技術 回顧と展望:「知の信頼性」はどこへ向かうか
2012/3/16(金)
昨日は晴れ。最大瞬間風速(m/s) =18.3(北北西) /14:36と強風が吹いた。町内行事。その後は宅内。ハナダイコンの花が一本だけ咲き始めた。開花時期も、条件によりばらつきが出る。以前、花暦として、周辺の花の開花を調べた事がある。3月6~10日:ぼけ、すいせん、ほお、こぶし、ミニスイセン等が咲いていた。これらの花は、今年はまだ見ていない。暖かくなると一斉に咲き出すのではないか。
2012/3/15(木)の天気
TAVE= | 4.8 | |
TMAX= | 9.5 | 最高気温(℃) 10.1 11:11 |
TMIN= | 0.1 | 最低気温(℃) -0.1 06:09 |
DIFF= | 9.4 | |
WMAX= | 9.2 | 最大瞬間風速(m/s) 18.3(北北西) 14:36 |
SUNS= | 10.7 | |
RAIN= | 0 |
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技術 回顧と展望:「知の信頼性」はどこへ向かうか
少年時代から青年時代にかけて百科事典にあこがれを持っていた。学校教育では得られない知識がそこにあると思っていた。分厚く何巻もある百科事典は値段も高く、個人で持つのも不可能だった。本を読んでいると、百科事典の事が出てくることがあり、知識欲を刺激された。日本の百科事典では、平凡社のものが有名で、その創業者である下中弥三郎に関心を持ったことがある。
「下中弥三郎;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E4%B8%AD%E5%BC%A5%E4%B8%89%E9%83%8E。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2011年3月23日 (水) 08:11 )(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「下中 弥三郎(しもなか やさぶろう、1878年6月12日 - 1961年2月21日)は、平凡社の創業者、教員組合の創始者、また労働運動や農民運動の指導者。下中芳岳ともいう。1878年6月12日、兵庫県多紀郡今田村に生まれ、幼くして父を亡くし陶工となる。1898年、神戸市雲中小学校の代用教員となり、小学校準教員検定試験に合格。~学習権、教育委員会制度、教員組合結成の促進を要求した「教育改造の四綱領」を発表。1923年、「教育の世紀社」を創立。1924年、「児童の村小学校」の設立に協力する。その間、1914年には『ポケット顧問 や、此は便利だ』を発売するために平凡社を創設、1931年 - 1935年には『大百科事典』を出版して一躍「事典」出版社として著名になる。~敗戦後、公職追放。1951年、追放解除とともに再び平凡社社長に復帰。1955年、世界平和アピール七人委員会を結成。1955年 - 1959年、『世界大百科事典』を出版。1957年、日本書籍出版協会初代会長。晩年は平和運動や世界連邦運動を推進した。1961年2月21日没。享年82。」。
百科事典は知の集大成であり、物事の道理を理解するためには不可欠なものでもある。フランスの百科全書派:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E7%A7%91%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%B4%BEは、フランスの近代化に大きく貢献したようだ。平凡社の百科事典も、このような歴史の流れの中で発刊されたのだろう。社会人になり、何とか金の工面ができたので、平凡社の百科事典を分割払いで購入した。余り、活用した記憶はないが、必要ならいつでも調べ事ができるという安心感はあった。
asahi.comは、「ブリタニカ百科事典、書籍版244年で幕;url=http://www.asahi.com/culture/update/0315/TKY201203150137.html(2012年3月15日22時2分)」というタイトルで、「英語の代表的な百科事典で244年間にわたって出版されてきた「ブリタニカ百科事典」の書籍版が、姿を消すことになった。今後は電子版だけになる。発行会社が14日発表した。最近は電子辞書の普及や、インターネットの無料百科事典の台頭で、売れ行きが急速に落ちていた。 ブリタニカ百科事典は1768年に英国のスコットランドで発行が始まり、現在は本社を米国に移している。2010年に出版された書籍版の最新版は約4千人が執筆に加わり、全32巻。 かつては学校や図書館の必需品で、自宅で所有する人も多かったが、最新版は1395ドル(約11万7千円)という値段や約58.5キロの重量が原因で敬遠され、売れたのは約8500部。ピーク時の1990年の15分の1程度に減っていた。 」と報じた。
百科事典の書籍版が消えて行くのも時代の趨勢のようにも思う。手持ちの、カシオの電子辞書を調べるとブリタニカ百科事典が入っていた。それを使って、「ブリタニカ百科事典」を調べてみると、1768年初版:分冊形態、1871年3巻、1777~1784年第二版10巻、第三版1788~1797年18巻、第四版1810年20巻、~第十一版1910~1911年29巻、第十五版改訂版1985年32巻、1994年よりインターネット上のオンラインサービス開始とある。知識が巨大化して、電子化に向かう動きをブリタニカもとっていたようだ。数十巻の百科事典が電卓一つの中に収まってしまうのが現代だが、それを使い切れないのも現代だ。
市販の百科事典は、その分野の多数の専門家が実名で執筆しているので信頼性が高いという説を聞いたことがある。そう言われれば、フリーのWIKIPEDIA等は執筆者は匿名である。WIKIPEDIA等でも内容の信頼性向上に努めているようだ。基本的にはボランティアが無償でそのようなプロジェクトを通して貢献している。IT技術で、情報の量とスピードは飛躍的に向上した。しかし、情報の質はどうなのか。知識は情報とも異なる。知識は単なる情報の集積ではない。それなりに、洗濯・フィルタリングしてより精度と品質を向上させ、価値を高めた情報が知識になる条件だろう。今必要なのは知識なのか情報なのか。福島原発事故後の一年を振り返ると、「知の信頼性」も気にかかる。