ツルよ 飛んでおくれ;ハトよ 鳴いておくれ:地域の歴史を語る八幡沼と鯉沼の姿
2014年12月10日(水)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 13.1 12:35。最低気温(℃) -1.5 06:22。ざっそう句:選挙戦 商戦冷やす アノ氷河。丹波の黒豆乾燥。年末の用事外出。ハガキ投函・年賀状購入。コンビニ用事。野菜を配る。買い物。支払い。年賀状はリストラを考えているが断行できない。そう言えば今年の我がモットーはQUE SERA, SERAであった。なるようになるサ。現役時代にお世話になった上司が、どんな心境で年賀状を受け取るのかを考えると複雑な思いがする。出す相手毎に心理的な距離が違うような気持ちもする。現役時代、何人かの部下を持った。転職して郷里に帰る部下を色々と慰留した事があった。退職の意志が固いことを確認してから退職書類を書いた。退職後しばらく年賀状を交換した。貰った年賀状で、仕事のこと、結婚したこと、子供が生まれたこと等を知らされた。彼の退職という人生上の大きな決断は成功したのだろう。その後、何かの機会で年賀状が途絶えた。これで良かったのだろう。
2014年12月9日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 5.1 | NO DATA |
TMAX= | 12.3 | 最高気温(℃) 13.1 12:35 |
TMIN= | -1.2 | 最低気温(℃) -1.5 06:22 |
DIFF= | 13.5 | |
WMAX= | 8.7 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 15.3(北西) 19:56 |
SUNS= | 8.2 | |
RAIN= | 0 |
Q
Q
ツルよ 飛んでおくれ;ハトよ 鳴いておくれ:地域の歴史を語る八幡沼と鯉沼の姿
先日、出かけたついでに八幡沼と鯉沼の様子を見た。八幡沼も農閑期となり、貯水量は激減しているが、カモが沼面を泳ぎ、弁天島には多数の白鷺が羽根を休めていた。
八幡沼の西側は、国道462号の拡幅のため少し削られたようだが、周辺の整備は進んでいる。数年前まで、立派な黒松が沼の景観を引き立てていたが、松枯れ病等の転倒を心配したのか、切り倒されてしまった。ただ、弁天島は沼の景観にアクセントを与えるでけでなく、水鳥や野鳥のサンクチャリーとして立派に役割を果たしている。この、弁天島の下に、古墳が眠っている事は、知る人ぞ知るで歴史の証人の役割も負っている。
鯉沼は、八幡沼より遙かに長い歴史を持っているが、その歴史を知る人も極少なくなっている。この鯉沼の堰堤が決壊して、鯉が下流の川や田圃に逃げて、それを捕獲して食べた記憶がある。食べきれないので、塩漬けにする程であった。また、大正用水土地改良事業で、鯉沼を埋め立てる案があったという話も、地域の古老に聞いている。
今回、何となく鯉沼内の南東に隅に設置されているコンクリート堰を見ていると、その背面に文字が刻まれているのに気付いた。とりあえず、デジカメに納め画像処理をすると、不完全ながら、高橋云々、上植木水利組合云々、昭和三十云々等々という文字が読み取れた。半世紀以上前に、設置されたようだ。多分、沼の決壊を教訓にこの堰と堰堤が作られたのではないか。この堰は残るのか?
今年の大雪で、鯉沼南岸の古木一本が倒伏して、現在撤去されて、残された古木が孤軍奮闘している。この古木はどうなるか気になりつつ継続観察を続けているのだが。
八幡沼と鯉沼は上植木水利組合が管理している。今まで、沼の水は、灌漑と同時に鯉の養殖にも使われた。時代は変わり、食材としての鯉の価値も余り注目されず、養鯉業者も苦境に陥っているようだ。現在まで、生き残ってきた沼の価値を見いだすのは、後世の人々かもしれないが、現在、新しく沼を作る事は、不可能に近い。今ある沼を資産として活用する事が今後の課題だろう。
我々が、幼少の頃には、鯉沼にも弁天島があった。それが、浸食されていつの間にか跡形も無く無くなってしまっている。主立った沼には大抵、弁天島が作られている。是非、弁天島を復活して欲しいと願っている。