愛しき古里:三軒屋遺跡の近くにあった恵下古墳;秋深し 猫の眼は 丸干へ。171124。
2017年11月24日(金)
昨日は雨後晴れ。ざっそう句;秋深し 猫の眼は 丸干へ。朝方、ちょっとしたお湿りがあった。大根二本収穫。午後、サトイモの保存対策で、トマト等の枯れ草を萎えた株の上にのせて土をかけた。防寒効果は、やや疑問なので、今後強化が必要か。屋外保管は、気温と湿度の管理が難しい。この先は、しばらく天気が安定しそう。そこで、魚の丸干し作りに挑戦。日向に並べたら、直ぐに野良猫に見つかってしまった。
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愛しき古里:三軒屋遺跡の近くにあった恵下古墳
人間の悲しい性か、大抵見える物しかこの世には無いと思い込んでしまう。終戦後、殖蓮小学校で学んだが、一年の時の教室はは古い校舎にあった。そこで、四つん這いになって拭き掃除をすると、掌にトゲが刺さったのを覚えている。以来、自分の古里には自慢できるものは、ほとんど無いと思い込んできた。
原ファイル名=「IOB_2017JINSOKU_SOKUZU歴史的農業環境閲覧システム=上植木地区明治VS現代地図比較.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
高学年になってからは新校舎に移った。そろそろ、将来の進路を考え始める頃であった。ただ、当時は塾にも通えず、宿題も気にするほどでなかったので、遊ぶ時間は十分あった。放課後だろうか、悪ガキの親分が校庭を走れと部下共に命令して、アタフタと走ったのを覚えている。当時の校庭は、整備状況が余り良くなく、時には小石も転がっていた。
田舎の学校だったので校庭が広かった事だけは自慢できる。まだ、プールもなかったので、水泳の練習は市営プールかどこかで行ったのではないか。伊勢崎市ホームページによると、「、平成16年度と平成17年度には殖蓮小学校のプールや体育館の建設に伴う発掘調査が行われ、礎石建物や掘立柱建物が多数検出された」とある。あの、何も無く、西風が吹き抜けるだけの校庭が、地域の宝となる宝庫であったのだ。
まさに、三軒屋遺跡は、千数百年の間、地下に姿を潜めていたのだ。地域の古老は、三軒家という地名は、昔あった家の数から名付けられていると教えてくれた。同じような話は、太田町の三家にもある。そこで、明治時代中期に作成された迅速測図を調べてみると、その周辺の人家はまばらで、周辺は松等の山林が広がっているようであった。
恵下古墳は昭和3年頃に開墾・発掘され、出土品は東京国立博物館の収蔵品になっているようだ。三軒屋遺跡と上植木廃寺の中程にある恵下古墳群は、これらの施設と密接な関係があった被葬者が眠っていたのではないか。古代の古里の姿が少しずつでも現れてくると、古里の誇りも蘇ってくるように感じる。
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2017年11月23日 伊勢崎(イセサキ) | ||
TAVE= | 9.5 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の平均値 |
TMAX= | 15.8 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値 |
TMIN= | 6.1 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最小値 |
DIFF= | 9.7 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値と最小値の差 |
WMAX= | 8.1 | 毎正時のアメダス観測値(風速)の最大値 |
SUNS= | 1.8 | 毎正時のアメダス観測値(日射)の合計値 |
RAIN= | 4 | 毎正時のアメダス観測値(雨量)の合計値 |
1日の極値 | データ | 時刻 |
最低気温(℃) | 5.8 | 21:56 |
最高気温(℃) | 16 | 12:51 |
出典=気象庁 | 参照⇒ | AMEDASへのリンク |
最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) | 14.9(北北西) | 14:14 |
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