有縁の人(改題):雑木の歌:心象の足跡:何かの縁で今がある!明治時代後期に渡米した米じいさん物語PART2;風袋 尽きりゃ風神 サボるベェ~。180306。
2018年3月6日(火)
昨日は曇り。ざっそう句;風袋 尽きりゃ風神 サボるベェ~。宅内閑居。パソコンに向かいBLOG下書き等。記事の在庫があればそれなりに安心できるが最近在庫不足だ。在庫と言えば、最近の店舗は、倉庫を売り場にしたような形式で、店頭にないものは、在庫が無いのとほぼ同じ。時々、店員が並んでいる商品数を調べているのを目にする。これぞ、現代版棚卸しなのか。大型店舗では売り場の配置がほぼ固定している。逆に、時々配置換えをしている店もある。顧客に、探させて、偶然知らない商品を発見させ、買って貰うという作戦のようだ。そのためには売り場の配置を固定させるのは良くないのだろう。ともかく、時間が欲しい場合は、店員に商品が並んでいる場所を聞くのに限る。最近は、距離が相当あっても、並んでいる場所まで案内してくれる。有り難いサービス精神だ。アメダス最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位))=21.3(西北西)。昨日は、結構強い季節風が吹いた。上州の空っ風。雷と空っ風義理人情。この札は、上毛カルタの特別札だとか。天気図を示して、西高東低の気圧配置と説明するのにも丁度良い天気だった。一方、風神雷神と目に見えない神様を具象化して絵にした昔の人の想像力も見習いたい。
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原ファイル名=「IOB_2018_AMEDAS18030521+FR-ZU風神雷神図.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
風神雷神図 - Wikipedia
風神雷神図屏風(俵屋宗達) に移動 - 国宝。2曲1双、紙本金地着色。建仁寺蔵(京都国立博物館に寄託)。落款、印章はないが、宗達の真筆であることは確実視されている。製作年については17世紀前半の寛永年間、宗達最晩年の作とする説が有力だが、法橋印が無いことや、おおらかな線質が養源院の杉戸絵と共通することから元和末期(1624年)頃の作とする説もある。 宗達の最高傑作と言われ、彼の作品と言えばまずこの絵が第一に挙げられる代表作である。
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2008/9/14
有縁の人(改題):雑木の歌:心象の足跡:何かの縁で今がある!明治時代後期に渡米した米じいさん物語PART2
追記(2018/03/05):過去記事を読み易く整形、過去BLOG再読、印象・コメント等を追記して再利用。
この記事を書いたのがほぼ十年前。話を遡れば、明治時代の中期頃まで繋がりそうだ。小さなドラマが、やがて大きなドラマに展開するが、いつしかそのドラマの主人公は遠い歴史の彼方に去ってしまう。そんな事があったんか、と先人の話を聞いて、調べ事をする。そうして、いくつかの手がかりを得る。
原ファイル名=「IOB_2018_TWO_SISTES_米じいさんの娘.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
親達から聞いた、昔物語が、やればできるという教訓のように頭の隅に残り、時にふれ思い出してきた。その、昔物語の主人公が、米じいさんであった。そうして、米じいさんの家族の話も、周辺の人々から、断片的に聞いてきた。米じいさんとは、アメリカに行った叔父さんを親しみを込めてそう呼んでのだが、自分にとっては、伝説の人であった。
伝説によると、米じいさんは渡米して、アメリカで日本の若い女性と結婚して、二人の娘がいたという話を聞いていた。そうして、ある事情で、妻と二人の娘の四人で帰国したらしい。不思議にも、帰国した頃の二人の姉妹の写真が残っていた。その写真を見て、詠んだのが次の一首だ。自分にとって、ほとんど関係が無さそうな写真であるが、色々な縁で自分の目の前にあるのだ。
実は、米じいさんについては、色々な手がかりから、調べて、「炬燵で聞いた遠い遠い昔話」として、2年程前に記事をまとめた所である。その記事を書く、キッカケがこの、「有縁の人」という記事であった。従って、この記事は、「炬燵で聞いた遠い遠い昔話」のイントロのような位置を占めるのである。それでは、旧記事の改造を始めよう。
かの乙女 セピア色した 写真にて 手まりを下げて あどけなし
古い古い写真である。過去の直接的に縁の無い人でも何か心に残る人がいる。小縁の人と言うべきか。大きな縁でではないが、空気のように時に縁を感じるときがある。何かわからないが何かの縁があるように感じる。ここに自分がいて、ここに一枚の写真がある。
どこで写したか、記録も具体的な言い伝えも無いが、多分米じいさんが米国から帰国した時、横浜あたりで、撮影されたのだろうと聞いた事がある。言い伝えでは、妹は、はしこく、姉は鷹揚であったらしい。帰国直後に、米じいさんは死んでしまった。妹は、若くして死亡し、姉は長寿を全うしたが、いずれを選んでもこの姉妹にとっては、過酷な運命であった。
姉が死亡した時は、天涯孤独であったが、その晩年を看取った医院の関係者の話では、充実した人生を送ったという話であった。見方を変えると、姉が長生きした事は、米じいさんの生き様を後世に伝えるためだっのかも知れない。
無限に広い宇宙にあってこれだけでも奇跡のようだ。一枚の古い写真も時に何かを語りかけてくる。毎日毎日強烈な刺激を送りつけられているとかすかに漂ってくる何かは知れない有縁のひとの小さな語りかけはかき消されてしまう。
そうして、その語りかけは永遠に消えてしまう。何よっ~そんなことっと言われそうなことではある。かくも現実は重く、回想は軽いのか。実は、米じいさんが渡米してから帰国するまで、米国で何をしていたのかさえはっきりしなかったのだ。頭の中では、米じいさんは、本当に犬死にしてしまったのかと、渡米は失敗に終わってしまったのかも知れないと感じていた。
だが、ある人が、親が買った本を処分するから、興味があればあげるよとかみさんに話した。そこで、捨てるのは勿体ないからと、取りあえずもらってきた。その中に、「海を渡った 幕末明治の上州人」という本(みやま文庫)があり、その中に、軍隊を経て旅行作家のような活動して、世界一周を果たした須藤元吉の記事があり、須藤元吉と米じいさんのニューヨークでの交友が描かれていたのである。この本と巡り会って、米じいさんが、ニューヨークという米国有数の中心街で、活躍していたのを知ったのである。
関心がある方は、「06BC1_明治時代後期に渡米した米じいさん物語を読む:記事目次(リンク)」のリンクから関係記事へ。
06BC1_明治時代後期に渡米した米じいさん物語を読む:記事目次(リンク):この記事へのリンク
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2008/9/14
有縁の人
かの乙女 セピア色した 写真にて 手まりを下げて あどけなし
古い古い写真である。
過去の直接的に縁の無い人でも何か心に残る人がいる。
小縁の人と言うべきか。
大きな縁でではないが、空気のように時に縁を感じるときがある。
何かわからないが何かの縁があるように感じる。
ここに自分がいて、ここに一枚の写真がある。
無限に広い宇宙にあってこれだけでも奇跡のようだ。
一枚の古い写真も時に何かを語りかけてくる。
毎日毎日強烈な刺激を送りつけられていると
かすかに漂ってくる何かは知れない有縁のひとの
小さな語りかけはかき消されてしまう。
そうして、その語りかけは永遠に消えてしまう。
何よっ~そんなことっと言われそうなことではある。
かくも現実は重く、回想は軽いのか。
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項目 | 日積温 | 残日 | 通日 | 通積温 | TA | TX | TN | TD | WX | SN | RN | 瞬低T | 瞬高T | 瞬風 |
DATA | 284.1 | 300 | 65 | 6981.7 | 11.8 | 16.2 | 7.8 | 8.4 | 11.5 | 1 | 0 | 6.9 | 16.8 | 21.3(西北西) |
時刻等℃ | 日 | D | ℃ | ℃ | ℃ | ℃ | ℃ | m/s | H | mm | 03:18 | 12:42 | 20:14 | |
2018年03月05日 伊勢崎(イセサキ) | AMEDASへのリンク |
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