青空大学(改題):学生時代追想:我が人生のこれから;二三個の 芋を洗うも 一仕事。20181111。
2018年11月11日(日)
昨日は晴れ。ざっそう句;二三個の 芋を洗うも 一仕事。畑土の色はまだ黒い。こぼれ種で密集して生えているキャベツ苗が勿体ないので、移植を継続。今回は畑の周辺だ。収穫出来なくても、春に花が咲いて、こぼれ種が発芽して、雑草を抑圧してくれれば、それで良しとしよう。白菜区画は、間引いて施肥をしようと考えているが、まだそれができない。まだ、結球する気配が見えない。老爺柿の実が、赤くなり美味しく見える。少ししなびかけている。一個採って、口に含んでみたが、甘さが無く、苦い感じがした。昼前には、気温が高くなり風も無かったので、春のような天気だった。立冬が過ぎたので、初冬の小春日和だった。上着を脱いで、少し汗を掻いた。植え場所から、転がり出した種芋を、日当たりの良い場所に植え直したら、順調に育った。一本だけだが、その株を掘り上げた。子芋が数個収穫出来た。これを食うには、オレが洗わなければと思いつつ、水桶の中でかき回す。自家採種したカボチャの種子の水洗が不十分なので、種皮にカビが生えてきた。畑土を入れて洗い直す。しっかり乾燥させてから保管する予定だ。雑草や霜に負けない種蒔きのタイミングを選ぶ必要がある。
2018/02/13に設置したアクセスカウンターが昨日10023と1万カウントを超えた。自分が確認でアクセスした回数も含まれるので正味の外部アクセスは割引して考える必要がある。今日は百均店の暦によると、世界平和記念日、介護の日。十一月十一日⇒±⇒電池の日。電池はモバイル電子機器の生命線だ。予備電池があると電池切れの時助かる。
Googleでキーワード「世界平和記念日」を検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&num=20&q=%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5)(このKWで検索)
食べて生きる:市場で声を交わしながら買い物をするのも良いものだ(伊勢崎地方卸売市場の新鮮市)。111120。:この記事へのリンク
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2008/11/3
青空大学(改題):学生時代追想:我が人生のこれから
追記(2018/11/10):この過去記事は、ほぼ10年前に書いたが、読みにくさがあるので、読み易く整形、再読して、印象・コメント等を追記して再利用。BLOGを本格的に書き始めた頃の記事を再読・再編集を始めて、ようやくこの記事の日付が11月になった。BLOG開始後10年が経過した。
この10年間は退職後の第二の人生を謳歌できた中心的な期間だったのだろうか。父が誘った青空大学への入学をせずに、サラリーマン人生を歩んだが、今では一人寂しく、青空大学で、終わりの無い宿題をさせられているように感じないでも無い毎日を過ごしている。10年前のBLOG記事改造は、この記事で一先ず終了しよう。以下改造。
敗戦という厳粛な事実から戦後の日本は歩みだした。小学四学年の時に友達の一家がブラジルに移民して行った。この時、担任のO先生は、同級生の言葉を綴った文集を作り、旧友に贈った。その文集に自分の住所を記して、いつか手紙を欲しいと書いて置いた。忘れた頃ブラジルから手紙が届いた。パラナ州に住んでいるとあった。
更に、何年か後に、日本に働きに来ていると連絡があり、息子を連れて我が家を訪問してくれた。小学生の頃は、地球の裏側に行って、もう二度と会えないと思ったが、半世紀程の間に世界は小さくなってしまった。
「ブラジルの友との再会(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/12/post-8d8a.html)。(2008年12月12日 (金))」(この記事へのリンク)
農家に生まれて、農業の将来と自分の進路は幼いながら気になっていた。日本の農業も大規模経営でないと成り立たなくなるという話をラジオで聞いたことも覚えている。ブラジル移民も広大な農地という大きな夢があったのだろう。
ともかく、小学校高学年から中学校の前半頃は進路の悩みもあまりなかった。しかし、自分の進路を具体的に決める段になると悩み事も多くなった。父はある時、冗談に、「どうだ、青空大学に入ったら」と言った。正面から言えないが農業を継ぐ気かという問いかけであった。
青空大学に入ると決めたなら、農業高校への進学ということになる。父は、自分が青空大学に入る気がない事を察してからは、青空大学の話は二度と無かった。父も学問への志はあったが、戦争と家族の状況がそれを許さなかった。今となっては父の心中を聞くこともかなわない。
経済の高度成長期から、農家も大きく変わった。子供の頃は、人海戦術で行った田植えも、田植機でする時代になった。我が家にも、父が買った、初期の数条植えの田植機が残っている。これ以後、父は大型の田植機やトラクター等への投資は一切諦めた。時代の流れに背を向けたような決断ではあったと思う。
来年の退位まで半年となった平成天皇は、既に恒例の稲作と稲の刈り取りは済まされたようだ。これにあやかり、自分も、我が人生で初めて、庭先水田で稲の栽培をして、一握りの籾を収穫した。この先はまだ思案中だ。
我が人生で、青空大学は、これからも目前に立ちはだかってきそうだ。良く試験の夢でうなされて、目が覚める事がある。試験に落第したら困る。青空大学は、どんな大学なのか。
青空大学には、試験はなさそうなので、その点は安心だ。
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2008/11/3
青空大学
敗戦という厳粛な事実から戦後の日本は歩みだした。小学四学年の時に友達の一家がブラ
ジルに移民して行った。農家に生まれて、農業の将来と自分の進路は幼いながら気になって
いた。日本の農業も大規模経営でないと成り立たなくなるという話をラジオで聞いたことも覚
えている。ブラジル移民も広大な農地という大きな夢があったのだろう。ともかく、小学校高学
年から中学校の前半頃は進路の悩みもあまりなかった。しかし、自分の進路を具体的に決
める段になると悩み事も多くなった。父はある時、冗談に「どうだ、青空大学に入ったら」と言
った。正面から言えないが農業を継ぐ気かという問いかけであった。青空大学に入ると決め
たなら、農業高校への進学ということになる。自分が青空大学に入る気がない事を察してか
らは、青空大学の話は二度と無かった。父も学問への志はあったが、戦争と家族の状況が
それを許さなかった。今となっては父の心中を聞くこともかなわない。
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項目 | 日積温 | 残日 | 通日 | 通積温 | TA | TX | TN | TD | WX | SN | RN | 瞬低T | 瞬高T | 瞬風 |
DATA | 423.6 | 50 | 315 | 133417.7 | 17.7 | 24 | 14 | 10 | 6.8 | 9.5 | 0 | 13.8 | 24.2 | 12.2(北西) |
時刻等℃ | 日 | D | ℃ | ℃ | ℃ | ℃ | ℃ | m/s | H | mm | 06:47 | 11:53 | 17:34 | |
2018年11月10日 伊勢崎(イセサキ) | AMEDASへのリンク |
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CEEK.JPでキーワード「片山さつき」のニュース検索(上位100件=新しい順):検索日=20181111-0454
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