07B_雑木の歌(雑木のごとく)

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2012年1月 3日 (火)

雑木の歌:冬の鳥

2012/1/3
昨日は晴れ。風が強かった。神仏にお供え。天下太平。家内安全。商売繁盛。月並みの祈願だ。午後来客。今朝起きると喉が痛みハナやタンが出る。身体の節々も痛い。風邪の症状だ。インフルエンザ流行レベルマップ - 厚生労働省:https://hasseidoko.mhlw.go.jp/Hasseidoko/Levelmap/flu/index.htmlを見ると群馬県は白地で注意報レベル以下のようだ。朝のコーヒーも忘れていた。忘れずに水分補給をしよう。

2012/1/2の天気

TAVE= 3.1
TMAX= 10.8 最高気温(℃)  11.3  11:18
TMIN= -3 最低気温(℃)  -3.5  04:52
DIFF= 13.8
WMAX= 9.9 最大瞬間風速(m/s)  18.2(北西)  11:46
SUNS= 6.8
RAIN= 0


雑木の歌:冬の鳥

■柿の実の赤く輝く元旦に椋鳥集いて競い食い入る
■あの柿が尽きたら次ぎに何食うか餌を探せばまだありそうだ
■白雪に鳥の眼は赤い実の虜になって飢えを凌ぐか

2011年11月30日 (水)

雑木の歌:色即是義理人情

2011/11/30
昨日は曇り。車イスの空気入れ。右と左のバルブが異なっていた。調べてみるとバルブに英式と米式があった。空気入れはアダプターを付けたときが英式で外すと米式であった。これで何とか空気が入れられた。次ぎに、CDの曲をパソコンに保存しようとした。CDから聞くのが面倒くさくなった。CD-RとかでCDのバックアップはとれるのだが、好きな曲だけパソコンに移すには?これはMEDIA PLAYERの録音機能で可能であった。「CDから録音」というとかなり古典的な印象であったが、マイクロソフトとしては著作権法を意識してか、コピーという表現を避けたようだ。著作権法という関門を通らないと「CDから録音」という機能が開かなかった。ファイルは*.WMAという形式で数メガあった。WIN XPパソコンを使い始めたのが今年の5月頃。WIN MEではACROBAT READERの最新バージョンが扱えないので急遽変更した。丁度XPで半年が過ぎた。「Windows(R) XP Home Editionのサポート提供期間を2014年4月まで延長」とありあと2年余は何とか使えそうだ。2012年にはWIN8が発売になるとの事。XPで困るのがファイルがどこにあるか探すこと。パソコンが多機能になるに連れパソコンにたっぷり使われそうだ。ほどほどに付き合うのが良さそうだ。

2011/11/29の天気

TAVE= 9.9
TMAX= 15.7
TMIN= 5.2
DIFF= 10.5
WMAX= 1.6
SUNS= 1.7
RAIN= 0

雑木の歌:色即是義理人情

■亡き人が 歌うが如し 懐メロに 言い残された 真情を聞く
■義理人情 理知と比べりゃ 窮屈だけど 何か安らぐ 不思議な世界
■観自在 色即是空 羯諦羯諦と 経が流れる 中古パソコン

2011年5月17日 (火)

老人の寝言:あらゆる所に蔓延している情報隠蔽は弱さの裏返しなのか

2011/5/17
昨日は苗床の草むしり。苗と雑草の競争だ。苗は発芽中でこれから展葉する。弱小という言葉を思い出す。生き物は小さい時は弱いという点で共通する所が多い。根を張った小さなスギナ等を引き抜くのに百円ショップのキウイフルーツ用皮むきナイフを使ってみた。ノコギリ状の歯が両面に付いているので根がきりやすい。台所用具を農作業用の小物として転用するのも楽しみの一つだ。近所のおばさんがふらりとやってきてしばらく雑談。サツマや野菜の苗を植えたとの事だ。年齢は自分より二回り位高いらしいが元気だ。百姓仕事が身についている。その点足元にも及ばない。

昨日の天気

TAVE= 18.3
TMAX= 24.5
TMIN= 11.6
DIFF= 12.9
WMAX= 4.1
SUNS= 4.5
RAIN= 0

老人の寝言:あらゆる所に蔓延している情報隠蔽は弱さの裏返しなのか

読売新聞は、「メルトダウンは3月11日…初動の遅れ裏付け(url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110515-OYT1T00527.htm;(2011年5月16日08時58分  読売新聞))」というタイトルで、「東京電力は15日、福島第一原子力発電所1号機で起きた「メルトダウン(炉心溶融)」は最近起きたものではなく、同原発が津波に襲われた約4時間後の3月11日夜に始まったとする分析結果を公表した。
 東電が注水を開始したのは、炉心溶融が始まってから10時間以上後の翌12日朝で、事故に対する東電の初動が遅れたことがデータからも裏付けられた。」と報じた。原発事故収束への工程表発表後1ヶ月で、5月17日にその改訂版が出るとの事だ。そう言うイベントの前に隠蔽された情報がお化粧をされて出てくる。改訂版の内容によっては最初の工程表の信頼性も試されるのである。

ラジオ中継で聞いていた昨日の衆議院予算委員会の審議で、地震直後に内閣総理大臣が放射能被曝という危険な状況を認識しながら無防備で福島第一原子力発電所を視察した件についての議論があったが、すれ違いで終わったように見えた。国家の危機管理という重責を担う職務にある公人のドンキホーテ的な振る舞いは余りにも不適切ではなかったかというのが質問者の問いかけではなかったか。権力がおもちゃのように弄ばれて、少しばかりうまくいくとそれに悪酔いしてくせになり、挙げ句の果てに大失態されるのでは国民にとっての最大の国難になるのではなかろうかという懸念に通じるのだろうか。人知を越える自然災害にはあきらめもつくが、人災はあきらめるか否かではなく許すか否かの問題になってしまう。最近の世論調査にも行き場のない国民の心情が現れているように感じた。

雑木の歌:花粉症

花粉症は国民病とまで言われて、2011年は前年の5倍程度大量に飛散すると予想されていた。ところがその花粉症の時期と東京電力福島原発事故の放射能物質の飛散時期が完全に重なってしまった。ニュースバリューでは、放射能物質の飛散が花粉症の飛散を圧倒して、花粉症もすっ飛んでしまった。これは個人的な感覚なのだが、疫学的には花粉の飛散と放射能物質の飛散の効果を分離できるのだろうか。放射能物質の飛散対策が結果的に花粉の飛散対策になっていた可能性があるが、自分の場合は花粉症の症状は例年以下のような印象であった。以下の作品は2010年のもの。文語調にするとどうしても叙情的になってしまう。そこで口語調で作ってみた試作品だ。福島原発事故でまき散らされた放射能物質で、今後癌が多発するか懸念される事だ。チェルノブイリ原発事故では甲状腺癌が有意的に多発していると伝えられている。先楽後憂は結果的には、原発事故以降に当局が取った態度である。花粉症なら笑い飛ばせるが、放射能被害は重く長い後遺症を残す。

■花粉症 クシャミ百発 目が痒い おごりと怠慢の 文明病だ
■真因は 花粉じゃない 副作用に ごまかされるな 立派な病気だ
■遅発病 癌も同じだ 先楽後憂 曲がって生きよ 生身の人間

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:風暖かし

歌題=風暖かし:

■枯れ芝の 明るき庭に 布団干し 陽のぬくもりを 母に敷きやる 93 峯岸 千恵子

冬の光景だが、母を思う気持ちと行動が明るくテンポ良く詠われている。

2011年4月17日 (日)

雑木の歌:東北を想う歌

2011/4/17
桃や梨の花が咲いている。桃栗三年と言われるが、桃の育ちは早い。しかし、三年で果実が収穫できるほど甘くはないようだ。外出前に灌水だけは済ませた。福島原発関係で、原発推進学者の懺悔の記事が目に付いた。リンク: 原発推進学者が次々懺悔 「国民に深く陳謝する」 - 速報:@niftyニュース. その道を究めた学者が懺悔とは何か違和感を感じる。ものの道理や原理を知らない迷える羊ならば懺悔して天国への免罪符を頂くのも非難できないあろうが。

昨日の天気

TAVE= 15.5
TMAX= 24
TMIN= 9.2
DIFF= 14.8
WMAX= 9.5
SUNS= 10.5
RAIN= 0

雑木の歌:東北を想う歌

雑木とはどういう木か。雑草と同じように雑木という名前の木はない。どのような木も正式な名前を持っている。同様に人間という人はいない。草も木も人も、一本一本、一人一人精一杯生きている姿に本当の美しさがあるのではないか。群馬県は山一つを越せば東北につながる。しかし、その山一つ先が見えなかった。男体山を見ても、そこに暮らす人々の姿は浮かんで来なかった。福島原発の事故が起き、群馬県にまで放射能が飛散して初めて東北の近さを実感した。東北の事を色々想う。それなりに脳が活性化するのだろうか。こんな歌が生まれた。

■東北の 大根飯を 今思う 困窮もバネ 大根の本

正式な書名は忘れたが、大根の本という本を読んだ。大根栽培の実用書だ。そこに、大根飯に入れる大根切りという道具の写真があったと思う。大根を飯の中に入れて焚き、飯を増量したとの事だ。我が家でも、幼少時は、里芋やさつま芋を飯の中に入れた事があった。最初「貧困もバネ」だったが、「困窮もバネ」に変えた。どうも固定観念が付きまとっている。しかし、物質的な貧困も困窮も決して恥じることではないと思う。精神的な貧困や困窮こそ恥じかつ避けるべきではないか。

■ずーずー弁で 頑張った 古き友 Uターン後は 海に出たのか

青森から就職で群馬県に来た青年だった。トランジスタの測定ジグ等を一緒に作った。彼も自分も平社員の頃であった。仕事が水に合わなかったのか数年で故郷にUターンした。津波が襲った地方の生まれであったと思う。

■顧客にも 筋を通した 上司あり 品保部長の 肩書きしょって

品質保証という仕事は顧客と会社の板挟みになる仕事でもある。「顧客にも」という部分は「会社にも」と読み替えても通用する。建前ではお客様は神様であるが、品質問題では時により、顧客と会社の関係に火花が飛び、発火寸前にまでエスカレートする場合がある。この上司は大きな良くと通る自然体の声で顧客と対応した。東北生まれの質朴豪毅な性格であった。製造物には製造責任とともに使用責任もあり、その両者の責任がはっきりしない領域の問題もある。上司の問題解決に当たってのスタンスは、振り返って見ると、明らかに製造側の問題は製造側で解決するが使用側の責任は使用側で解決すべきだ、責任分担が明確でない部分は両者で問題の解明にあたり、再発防止をしようというごく当たり前な内容にみえるが、実際に交渉の現場でそれを徹底する事は非常に困難だ。物事を隠さず誠実に対応する事により信頼関係が生まれるのである。顧客にとっては手強い品質保証部長であったかもしれないが信頼されたのではないか。会社側も品質問題解決のためリワーク等の費用を要した場合もあったと思うが、結果としては部品レベルの問題で納まったのではないかと思う。顧客にも自分(会社)にも厳しい態度が結果として大きな問題の発生を防止し、損害の拡大を抑制したのではないか。どんな小さな部品でも、高額・人命にかかわる商品で致命的な市場問題を引き起こせばその補償は大変である。民生用半導体から産業用・自動車用半導体の品質保証体制を作る時にも尽力され、QS9000の認証取得に繋がった。忘れがたい東北の人であった。ところで、東京電力の品質保証体系とはどんなものであったのだろうか。

追記:調べてみると東京電力でのISO9001の認証取得は不祥事が発覚した事を契機に柏崎刈羽原子力発電所の1件にとどまるようだ。「ISO9001を参照して」という品質保証活動が述べられているが、ISO9001の最大の特徴であり、存在意義は第三者機関が認証を受けるサイトを監査する点にあるだろう。「ISO9001を参照して」という記述は見方によれば企業論理丸出しの虎の皮に過ぎないように見える。自己監査の場合自己の論理から逃れられないという公理を前提としてISO9001という規格が構築されているのである。認証する第三者機関は顧客を代表するという位置付けも重要である。末端の顧客は認証を取得しようとする企業等を適正に評価する知識等は皆無に近いのだから。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:地球の緑

歌題=地球の緑:

■わが祖父らの なべて過ぎゆき 島村の 蚕種の廃材 炎と燃ゆる 60 高柳 和子

養蚕業が衰退すると共に養蚕を支えた祖父達も過ぎ去った時の現実が歌に焼き付けられている。

2010年10月14日 (木)

雑木歌録:ねじれ国会

2010/10/14

雑木歌録:ねじれ国会

■票が化け ねじれ国会 弥次郎兵衛 国民行司 出番待ち

国政が劇場に例えられ、悲しく国民はもその悲喜劇を観賞せざるを得なかった。そんな状況を受けてか、前回自公政権下にねじれ国会が生じた。その最大の原因は与党にも野党にも真の国政を託せなかったからではないか。与党も野党もお互いにたたき合っていれば、それ以上悪いことをするゆとりもあるまいと国民は弥次郎兵衛を見る如くに感じているのではないか。これがねじれ国会の一側面ではないか。今、かつての与野党が立場を代えて同じ状況になっている。諸外国は日本人がバラバラの方向を見てまとまらない事に内心安堵しているのではないか。そのことを思うと国民も眠りこけているわけにはいかないのであろう。

2010年10月12日 (火)

雑木歌録:雨蛙

2010/10/12

雑木歌録:雨蛙

■枯葉着て ぽんと跳ね出る 雨蛙 冬着脱ぎ捨て 生きよ我が友      夢野照葉
■青葉上 座禅の如き 雨蛙 雨近づけば 鳴きて友呼べ
■色付きぬ 畑で跳ねる 雨蛙 食いて太れよ 秋風が吹く
■霜降りし 落ち葉の下の 雨蛙 姿見えねど そこにおるらん
■野良仕事 不意に出くわす 雨蛙 一緒に生きよう この地尽くまで    

野良仕事をしていると春夏秋冬、どこかで雨蛙に出合う。季節に合わせて色が変わるのが面白い。馴染み深く愛すべき存在である。数年前の五首連作である。

追記:当ブログの先頭にハウス用の鉄パイプに入り外を眺めているアマガエルの姿を載せた。これも偶然の発見であったが、野良仕事をしていても、このようなアマガエルの姿に出会えると気分もなごむ。

 ブログ内「いとしきもの」 のページのアマガエルの写真へ

2010年10月 6日 (水)

雑木歌録:子供の庭

2010/10/6

雑木歌録:子供の庭

■五七に 七七加え 喜々とする 子供の庭は 広くなりけり   夢野照葉

歌の方は二年ほど前にぽつりぽつりと作り始めたところだ。句も歌も子供の遊び場のようだ。句という入れ物の他に歌という入れ物も使い始めてスペースの広さを喜んだ。実は句も歌も老人の手すさびが多いようで、自分もその類であろう。

文字数の制限という形式があるから、こういう文芸は入りやすいのかもしれない。句も歌も、間口は広いが奥も深いと感じる。最近は小中学生の間でも俳句が盛んになっているようだ。若さという点で、技巧よりセンスが際だつ。小中学生が和歌を作るとなると年寄りじみていると感じてしまう人がいるかもしれないが、がどうであろうか。学生、青少年の和歌には余りお目に掛かっていない。しかし、社会の見方、自己呪縛という観念が無くなれば学生の和歌も当たり前になるかもしれない。

追記:最近、寺山修司の『寺山修司青春歌集』という文庫本を手にした。自分の若き日の人生は寺山修司とほぼ没交渉で過ぎたが、当時を振り返ろうとする気持がこの本との遭遇になったと思う。寺山修司については「書を捨てよ、町へ出よう」というコトバを青春のスローガンのように思い出す程度であった。

WIKIPEDIAによると「1967年に寺山は「書を捨てよ、町へ出よう」(芳賀書店)という評論集を出版。その後、同年に旗揚げした演劇実験室「天井桟敷」の第7回公演(1968年)で「ハイティーン詩集 書を捨てよ町へ出よう」が演劇作品として発表された。」とある。1967年というと自分が二十代にさしかかり学生運動も盛んであり、デモの先頭にたった学友もいた。「書を捨てよ、町へ出よう」というスローガンはデモを遠巻きにみる者にとって後ろめたく感じた。

『寺山修司青春歌集』によれば、寺山修司は若い時から俳句や短歌を作った。それは、感傷的というより、何かの壁を乗り越えようとする動機があったようだ。寺山修司活躍の原点に和歌があったように感じた。寺山修司を知って、学生が形式という壁を意識しつつも、それを乗り越えて表現者としての契機を掴むのに和歌は適していると思った。

『寺山修司青春歌集』の中にある「僕のノオト」の一節:「縄目なしに自由の恩恵はわかりがたいように、定型という枷が僕に言語の自由をもたらした。」、「短歌を始めてからの僕は、このジャンルを小市民の信仰的な日常的の呟きから、もっと社会性をもつ文学表現にしたいと思い立った。」云々も短歌を一つの土俵のように見立てて、そのなかで何がどこまで出来るかという可能性の追求を自己に課していたのではないか。

気ままに、昭和萬葉集を拾い読みする時がある。歌が作られてから数十年もすると、作者が実際にどういう意図でその歌を詠んだかというより、その歌からにじみ出てくる生活や心情を強く感じる事が多い。一方、歌で個性を表現するとなるとにじみ出ると言うより絞り出すと言いたくなるような色々な物との格闘が生まれてくるようだ。

Googleで<書を捨てよ、町へ出よう>を検索すると、松岡正剛の千夜千冊の第四百十三夜【0413】2001年11月5日、寺山修司『寺山修司全歌集』が目に留まり読んだ(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0413.html)。寺山修司と交際のあった松岡氏が初めて寺山修司について書いた記事のようだ。それも、寺山修司の短歌と葬儀について限定して。葬儀についても寺山修司らしい内容で感動した。

ここで、松岡氏は寺山修司の短歌には、それが踏み台にした本歌(実は本句)があったと記している。『「 こんなことをぼくが言うのはおこがましいけれど、寺山修司とはその記憶と表現の全身が、「美しきもの・険しきもの・懐かしきもの・寂しきもの」で相移相入してできあがったハイパーリンク状態そのもののような人なんです。むしろ"盗作"事件が寺山さんの初期におこったことを祝福したいくらいです。』、また、「しかし、ぼくは盗作おおいに結構、引用おおいに結構という立場です。だいたい何をもって盗作というかによるのですが、古今、新古今はそれ(本歌取り)をこそ真骨頂としていたわけですし、そうでなくとも人間がつかう言葉の大半は盗作相互作用だというべきで、むしろどれほどみごとな引用適用応用がおこったかということこそが、あえて議論や評価の対象になるべきではないかとおもうくらいです。」ともその中で述べている。自分も頭脳の作用で連想し、拡大、縮小、回転等を等して色々な見方で物事を見たり感じたりする事は大切であると思う。これは何も文芸や芸術だけに限らない。科学や技術の世界でも同様だと思う。

松岡正剛千夜千冊の第四百十三夜の記事は色々な点で参考になった。特に、手紙の形で書かれたのは単なる事象の記録ではなく、寺山修司という人間に語りかけたいという意味にもとれた。何事もゼロからは始まらない。大きな作品も雪だるまを作るように最初は一握りの雪を雪上で転がすようにして始まる。寺山修司の色々な作品の中にも短歌が核として残っているのかもしれない。

2010年9月22日 (水)

温暖化:いとしきもの

2010/9/22

雑草句録:温暖化

■温暖化ミカンの産地がここに来る

地球温暖化が騒がれるようになったのはいつ頃からであったか。自分が最初にミカンの苗を買って植えた頃は温暖化の事はほとんど頭になかった。もう、それから十数年から二十年近く経っていると思う。あの、「みかんの花が咲いている~」という歌にノスタルジーを感じたのが苗を買った動機であった。「みかんの花」ってどんな花という好奇心も働いた。りんごについても全く同じ状況であった。

数本ある古いみかんの株は穂木を採種されて大きくならなかった。最初は日当たりがよく、寒風の当たらない場所を選んで植えていた。最近は、シノや雑木、雑草が茂り、手入れが行き届かない畑の隅や通路際に植え始めた。主な目的は有効利用が出来ていないスペースの維持管理の省力化である。おまけに実が生った風景を楽しみ、少しでも実が収穫できればありがたい。

確かに、桃栗三年といわれるようにこれらは成長も早く実を付けるのも早い。しかし、柑橘類はユズの馬鹿と喩えられるように成長も遅く、実を付けるのも遅い。果実を収穫する上でも、樹形が大きくならない事を期待している。ともかく、みかん栽培も自分でやってみないと分からないことばかりである。

追記:日記のタイトルのように575の句を作り始めたのが5~6年前から、57577の歌を作り始めたのが2年前からである。ともかく、文字数という、容量が決まった入れ物という位の感覚で気ままに作っている。歌の方はどうも心情が中心の叙情的物語りになってしまい余り気が進まない。でも、センチメンタルの心情になった時は歌も良いのかと思う。句の方は逆に入れ物が小さすぎていろいろひねってダイエットする楽しみがある。結局、タイトルだけで内容がわからないような句は文章で説明しているような感じである。樹木に喩えれば、句は幹、説明文は枝葉のようだ。調べてみたら、みかんの花を詠った次のような歌を作っていた。

雑木歌録:みかんの花

■なつかしき みかんの花の 歌を聞き 見たことのなき 花を思いき

■白き花 仄かに香り みつばちは 羽を休めて 仕事に励む

○ひまつぶし:

Twitterの文字数は140字との事で俳句の17文字を基準に計算すると、

短歌:31/17=1.82≒2

Twitter:140/17=8.24≒8(140/31=4.52)

となり、大雑把には歌が俳句の2(2の1乗)句分、Twitterが俳句の8(2の三乗)句分の長さになるのが面白い。短歌とTwitterの中間が俳句の4(2の二乗)句分の長さとすると、68文字となる。これを、70文字とするとTwitterの半分の長さだ。この長さに相当する文書表現形式はなにかあるのだろうか。短歌2首=31X2=62、短歌1首+俳句2句=31+17X2=65。短歌1首+俳句1句=31+17=48≒俳句3句=17X3=51≒50。原稿用紙が400字とすると50字も区切りが良い。ともかく、文字数の制限という形式を導入する事により、一つのパターンが出来る。

○メモ:

一つのWEB LOGを複数のカテゴリーに登録する機能があった。カテゴリーの選択:複数指定をクリック⇒選択画面⇒CTRLキーを押しながら、登録したいカテゴリーを複数選択⇒設定。この設定をしておけば、どちらのカテゴリーからも記事にアクセスできる。

2010年9月18日 (土)

落雷:いとしきもの

2010/9/18

昨日、第二次管内閣の組閣が行われた。これからの日本はどうなるのか期待と不安でその結果を見守った人が多かったと思う。ともかく、政治家は自分の政治生命をかけたことばだけはしっかり守ってもらいたいと常に思う。しかし、それを国民一人一人が記憶の中にしっかりとどめ、政治家の行動を検証するのも大変な事だ。人の記憶は徐々に薄れ、それを良いことに政治家も前言を翻し、時には記憶にないととぼける。継続的な仕事にはPDCAが大切であると言われるが、政治家の場合このC(CHECK)がどうもあいまいである。

雑木歌録:そろばん

■国会の 先生方の そろばんは 音はすれども 数合わぬなり

ともかく、組閣という最初の数合わせは終わったが、公約実現という最大の数合わせで、パチパチという音は歓迎するが、ギシギシという音は勘弁願いたい。ところで最近、マニフェストというコトバが流行しているが、なぜ横文字なのか理解できない。マニフェストとは国民との契約であると説明されているようだが、マニフェストの中にその通り規定されているのであろうか。その点公約とすれば一目ではっきりする。基本政策文書に横文字を使うのは何となく逃げ腰のように感じる。

雑草句録:落雷

■落雷や停電の不便のありがたさ

最近は送配電システムの管理が良くなったのか停電も少なくなり、停電の時間も短くなっている。しかし、落雷が宅内の機器に及び被害が出ると復旧に手間取る。その間、不便ではあるが機械に使われない貴重な時間を貰ったような気がする時がある。

追記:落雷によりパソコンやMODEMがこわれたと言う話を良く聞く。雷サージは電源ラインと電話ラインの二系統から入る。機器が壊れるのはこのサージ電流により、機器内部の電子部品が破壊されることによる場合が多い。MODEM等の機器が壊れやすいのはコストの安い機器に高性能なサージ保護対策がとれないという事情があるのかもしれない。

かつて、光ケーブルが導入される以前に、光ケーブルが導入された場合、万一の場合の端末の電源供給をどうするかという議論があり、その対応を検討した事があった。一般電話の場合、局側から端末側に電力を送るので、端末は繋がっていれば機能する。光ケーブルの場合、局側から電力を送れないので、電力は端末側で用意しなければならない。通常はその電力を商用電力線から貰ってくる。しかし、停電の時は、その電力がもらえない。そんな時どうするかという問題であった。

この事情は今日でも全く変わっていないと思う。しかし、今日では電力が止まって、一般電話が不通になっても携帯があるので何とか急場はしのげるかもしれない。しかし、大規模で長期間の停電が続くと携帯の充電も難しくなる可能性もある。以前光電話に換えようかと考えてNTTに電源バックアップについて聞いてみたら、そういう装置は扱っていないという事であった。停電の時には使えなくなるという説明も、パンフレットも見落としそうな小さな扱いでしかない。ぐんま経済新聞(2010年2月11日 1:17 AM)によるとNTTの群馬の「フレッツ光」の世帯普及率は26%という。現状のまま進むと、普及率が大幅に向上した頃問題が発生する可能性も残る。

尚、NTT東日本のサイトを調べてみると『ひかり電話停電対応機器について
ひかり電話停電対応機器は、「停電対応電源アダプタ」と「停電対応電源アダプタ用電池ケース」で構成されています。ご希望のお客様へ、レンタルにより提供いたします。』とあり、最近は状況は少し改善され無対応とまでは言えないようだ。アルカリ乾電池は6ヵ月毎の交換が必要で、約20分の電源バックアップを可能とするとの事だ。パソコンや仕事等を含めたシステムのバックアップを総合的に考えないと判断が難しそうだ。

2010年5月23日 (日)

こじゅけい:いとしきもの

2010/5/23

雑木歌録:こじゅけい

■こじゅけいの長き一鳴き響きたり歌集開けし未明の床へ

一番鳥の声だ。最近は鶏の声は聞かないが、早朝の野鳥の声は人間の活動に先行して聞

こえてくる。そうして、パソコンのファンの音等生活雑音の中に埋もれて行く。元気で何より。

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やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
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  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)