年増猫:いとしきもの
2010/5/10
雑木歌録:年増猫
■人並みに いびきかいてる 年増猫 パソコン仕事は もう終わりだぞ
猫は居心地の良い場所を探して移動する。妻は猫を名前で呼ぶ。自分はおいネコと呼ぶ。
その年増猫も呼ばれ方で態度を決めている。古いCRTモニタは猫の炬燵にぴったりだ。
2010/5/10
雑木歌録:年増猫
■人並みに いびきかいてる 年増猫 パソコン仕事は もう終わりだぞ
猫は居心地の良い場所を探して移動する。妻は猫を名前で呼ぶ。自分はおいネコと呼ぶ。
その年増猫も呼ばれ方で態度を決めている。古いCRTモニタは猫の炬燵にぴったりだ。
2010/5/7
雑木歌録:足跡
■和歌も句も おのが足跡 消えゆけど 新たに刻む 鼓動なるべし 照葉
母はある短歌会に属していた。毎月例会があり作品が会誌に掲載されていた。毎号十首前
後あり、これが約十年間続いて三十一文字の貴重な足跡を刻んでいた。継続は力である。
2009/1/1
肥やし場のツル
有り難や生老病死すべてみてなお定まらぬ輪廻の行方
新年を迎えた。日々これ新たなりという言葉がある。同じ事は二度と起こらないという意味で
もあろう。しかし、日々新しい気持ちで行動せよという戒めでもあろう。日々健康で、飯がうま
く、何事もなく、平凡に過ごせれば何よりだ。願わくば、その平凡のなかに小さくともきらりと輝
くものを見つけられれば至福の至りであろう。凡人は小さな事を積み上げる以外にない。
輝かしく縁起の良い鶴が、ゴミ捨て場に降り立てばその落差の大きさで鶴の存在も殊更目立
つであろう。二十世紀梨の誕生にもそのようなたとえ話があるようだ。1888年(明治21年)
に、千葉県松戸市に住む13歳の中学生であった松戸覚之助が親類石井佐平宅の裏庭の
ゴミ捨て場に生えていた小さな梨の木を偶然発見して、それを父が経営する梨園「錦果園」
に移植して育ててたところ、10年目に結実したそうである。ところが、その果実は従来の梨
に無い、食味と食感を持っていた。鶴の誕生である。ゴミとして捨てられた梨の種が発芽し、
それが発見され、実が生るまで育てられたという一連の縁が鶴の誕生に必要であった事に
疑いはない。種子そのものが突然変異で素晴らしい性質を持っていても、実が生るまで育て
てみないとその性質は実証されないわけである。叔父さんに聞いた幼少時の話である。姉が
ウリ畑で、非常においしいウリの株を見つけて、誰にも教えないで、そのウリだけを食べてい
た。どうも様子がおかしいので、白状させたらば、お前だけに教えるといって、ここのウリが
うんとうまいと教えてくれたとのことである。今思うと、あれは突然変異のおいしいウリの新品
種であったかもしれない。種を採っておけば良かったと残念がっていた。良い性質を持った
種を発見し、それを育て、世に出すのは長い期間がかかる。これは、野菜、果樹、牛馬、人
間等全てに通じることである。誰にも肥やし場のツルを発見するチャンスはあるだろう。しか
し、発見しようとする意識とそれを育てようという意欲がなければ何事も起こらないだろう。今
年は肥やし場に生えてきたカボチャに負けぬ程度のカボチャでも作ってやろう。自然体で行
こうと思う。
2008/12/16
行者山の祭
飄々と彷徨う霊を導きしかの老僧も一人旅立つ
毎日、一つの事を行うには大変な努力が要る。それが人のためというと尚更である。最近遷
化された近くの寺院の老住職は毎朝の読経はおつとめとして欠かした事がなかったと聞い
た。真冬でも祭壇を清掃し、檀家の人々等の幸せを願い読経をすると身体が温もってくると
のことであった。行者の姿を見る思いであった。地域内に小さな山が三つあった。その一つ
を行者山といい、幼少時にはお祭りのような行事が行われていた。灯籠といって、各戸に絵
などを描いた灯籠を出品してもらい地域の余興としたものらしい。灯籠が並べられた山を通
る道路にはアセチレンガスを灯した夜店も出て、見物客でにぎわった。これも、終戦後の娯
楽の少ない頃の地域の活性化として企画されたものであろう。いつしかこの行事も消えてい
った。自分にとって「行者」とは何か今も謎である。大泉町の西小泉駅の近くに小さな遺跡ら
しい物があり、そこに説明版があった。うろ覚えであるが、そこは地域住民の救済を願って行
者が即身仏になる行を行った所らしい。最後の即身仏になったのは仏海上人と言われ明治
36年(1903)とされている。江戸時代末期になると飢饉や天変地異が目立った。ひょっとし
たら、当地の行者山にも地域住民の救済を願って即身仏になる行を行った行者がいたので
はないか。行者山という固有名詞に昔の地域住民の記憶が刻まれているのではないかと思
われる。行者山は本来は古墳であったようだ。その後は行者の事跡を祭る祭礼の場となり、
灯籠の行事につながったようだ。しかし、いつしか、灯籠の行事も無くなり、山さえも切り崩さ
れ、石棺の残骸が残っているだけとなっている。
自ずから往生かなわぬ衆生なりかの老僧に低頭合掌
2008/9/22
蛍が飛び交った頃
うねうねと 小川流れる 田植え時 夕日落ちれば 蛍飛び交う
外ではしきりにコオロギが鳴いている。
それなのに何か蛍の事を思い出す。
ほのかに光る物に対する憧憬があるためか。
昔の田は何となく曲線が多かった。
川もその田に沿って流れてうねうねしていた。
夕方頃になるとそれが一枚の絵になった。
今日、土地改良事業等で田は大体広い矩形をしている。
水路は直線の三面コンクリートになり、水は勢い良く流れる。
蛍の幼虫と餌のカワニナが生育するには流れが早すぎるのか。
反対にうねうねした川の水流にはあちこち淀みが生じる。
やはり、蛍が生息しやすい環境がうねうねした小川にあったのだろう。
父から聞いた話だ。
蛍を沢山とって、川端で野糞をたれて、その上に蛍を放つ。
誰かが、蛍の下の物をつかむと皆で喝采する。
他愛のない子供の遊びだったがそれも昔話になってしまった。
2008/9/14
有縁の人
かの乙女 セピア色した 写真にて 手まりを下げて あどけなし
古い古い写真である。
過去の直接的に縁の無い人でも何か心に残る人がいる。
小縁の人と言うべきか。
大きな縁でではないが、空気のように時に縁を感じるときがある。
何かわからないが何かの縁があるように感じる。
ここに自分がいて、ここに一枚の写真がある。
無限に広い宇宙にあってこれだけでも奇跡のようだ。
一枚の古い写真も時に何かを語りかけてくる。
毎日毎日強烈な刺激を送りつけられていると
かすかに漂ってくる何かは知れない有縁のひとの
小さな語りかけはかき消されてしまう。
そうして、その語りかけは永遠に消えてしまう。
何よっ~そんなことっと言われそうなことではある。
かくも現実は重く、回想は軽いのか。
2008/9/8
古墳と人骨
幼少時の思い出
幼き日近所の古墳のふもとにて白き人骨拾いたり
それは膝の骨だったのだろうか。
今となっては定かでない。
喜々として母に見せた。
線香をもって返してきなさいと言われ、
黙ってその通りにした。
古墳のふもとで拾ったのだから大体の想像がつく。
何か得たいのしれない物を集め始めるのも好奇心が発達するためであろう。
世の中にあふれ出している物には段々興味が薄れてくる。
どうしても手が届かないものにあこがれる。
その一つに古代があるのだろ。
一部分しか分からない。残りは想像するしかない。その想像に楽しみがある。
色々なものを集めると全体が見えてくる。
集められたものもやがては分散してゆく。
自分が趣味でせっせと集めたものもそうだ。
他人にとっては自分のいとしきものもがらくたなのだ。
自分さえもそうだ。
例の古墳も崩され、畑となり、家が建った。
記憶を呼び出すにも手がかりが要る。
古代の、ひょっとすると我々の先人の存在証明が無くなるのは
なんとなく寂しい感じがする。