05B_会社生活断面記

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2009年6月 7日 (日)

変貌した半導体工場

2009/6/7

変貌した半導体工場

自分が手作りの自動測定器を半導体組立工場に導入した頃は半導体工場は活気に満ちて

いた。官営の富岡製糸工場で女工さんが働いている写真を見るとその工場の当時の雰囲気

が偲ばれる。その時代の先端産業の労働の現場の姿がそこにある。富岡製糸工場が稼働

していた明治時代から一世紀余を経た昭和の時代は半導体工場で大勢の若い女工さんが

働いていた時代でもあった。自分がそのような工場に行ったのは、測定器の校正、修理、歩

留まり調査等の目的のためで、極限られた機会であった。しかし、そこで白衣を着て、てきぱ

きと仕事に励む女工さんの姿をみるとまさに天国と錯覚するようでさえあった。更に、その十

数年後、当時の仕事からは離れたが、何かの機会に工場を訪れた時は、工場は静まり返

り、十数台の測定器を管理する係りの男性が、工場内を巡回しているだけであった。あの白

衣の女工さん達はどこへいったのか。それから更に十数年後、工場自体が海外に出ていっ

た。これは、あの富岡製糸工場が辿ってきた歴史と同じ事なのだろうか。ともかく、富岡製糸

工場で働いた女工さん、半導体工場で働いた女工さんも当時の最先端の技術を学び、誇り

をもって自分の仕事に従事したことであろう。日本の最先端の産業もこのような女工さんの

働きに支えられていた事を忘れてはならないであろう。

2009年6月 6日 (土)

半導体農業論

2009/6/6

半導体農業論

今日の半導体はタバコの煙等を寄せ付けないどころか、人間の直接作業さえ寄せ付けない

超クリーンな環境が必要とされている。マイクロメータの世界からナノメータの世界に入りつ

つある。しかし、初期の半導体製造は全て人手を介して行われていた。製造する環境も十分

に管理されていなかった。従って、良品がとれる歩留まりは常に大きく変動した。それも、ゼ

ロ%から数十%が常態に近く、90~100%等は夢のまた夢であった。極端な場合はその日の

天気により歩留まりが変化する事を受けて、農業と同じ状況であるとして、半導体農業論が

ささやかれた。今日の歩留まりの水準は定かではないが、99%は十分に確保されていると

推定している。しかし、完全な100%は到らないであろう。常にぎりぎりまでの微細化が要求さ

れており、微細化が進めば、それだけ小さな欠陥が問題となってくる。ともかく、半導体農業

論は完全に過去の話になり、忘れ去られようとしている。しかし、1%の歩留まりを上げるた

めになされた膨大な努力があったことは記憶に留めておきたい。集積回路の開発技術者とし

ても、当然に歩留まりの向上に配慮して設計したことは言うまでもない。農業に片足を突っ込

んで、種子の蒔き方で発芽時期がばらつく事などを学んだ。これも、収穫時期をある期間に

納められる割合を歩留まりと考えるならば半導体と同じ様な考え方が適用できそうだ。

2009年6月 4日 (木)

技術者セールスマン

2009/6/4

技術者セールスマン

自分で作ったものは自分で売れと入社直後から上長から叱咤激励された。高機能の集積回

路は用途が限定されるため、売り込み先はその集積回路を使うメーカーだけにになる。新製

品を開発しても直ぐに使ってくれるような状況ではなかった。自分が上司の鞄持ちのような立

場であるメーカーを訪問したときは門前払いに近いような雰囲気であった。お宅が、どんな良

い物を、どんなに安くもってきてもウチは検討できませんというような具合であった。セットメー

カーが自社部品を使うという方針が崩れない限りこの壁は破れない。しかし、現実はこういう

純血路線の維持は行き詰まる事が少なくない。要するに一社で全部の部品をまかなうほど

のゆとりは無くなってくる。ハードディスクやパソコンの基板等に実装されている部品をじっくり

みて感慨にふけることがある。上司も技術者その鞄持ちも技術者。セットメーカーにサンプル

を持って売り歩く。何回も無駄足を運んだように思ったが、最終的にはその努力が報われ

た。顧客も異分子を取り入れて何らかのメリットを受けた筈である。場合によればそれは社

内部品との競合を招いたかもしれない。しかし、部品は生き残れなくても製品が生き残れな

ければ本も子もなくなる。技術の厳しい競争が製品競争の活力の一因であったのも事実であ

ろう。

2009年6月 3日 (水)

複眼視

2009/6/3

複眼視

物事を片目で見るのと両目で見るのは違いがある。その違いは大した違いではなさそうだが

立体感や広がり観等で単眼視より両眼視の方がメリットが大きい。同様に一つの物を複数

の人で見ると更に効果は大きくなる。要するに光は直進するため物の片面しか見えない。物

の裏側にいる人がそこを見れば一目瞭然である。しかし、別人が見るので見え方、感じ方に

差違が出てしまう。人事組織は通常目的がはっきりしている。目的にはっきりした組織に所

属してその組織の目的にかなった仕事をするのが色々な点で好ましい事が多いだろう。とこ

ろが、ある組織に属する人が他の組織の仕事をする場合は事情が複雑になる。要するにス

ーパーの食肉部門に所属するが野菜部門の仕事をさせられるような場合である。自分も会

社生活の一時期そのような境遇にあった。組織への帰属意識の強い日本人としては辛い思

いもした。しかし、物事を複眼的にみる習性も身についてくる。なぜそういう組織が生まれた

のかも考えざるを得なくなる。どっぷりとある組織の歯車の一員として働く人が多数かもしれ

ない。しかし、当面はその組織が必要であり、そこに配置される人材も必要であるという理由

による人事もあり得る。そんな場合、自分の存在理由に自信をなくすよりも、自分の存在理

由を確認するチャンスと意識した方が良いと割り切った。少し違った分野の技術者とつきあう

機会をもらっただけでも無駄ではなかったと思う。当然、業務だけではなく、人事や心理まで

複眼的に見る機会にも恵まれた訳である。

2009年6月 2日 (火)

にわ鳥が先か卵が先か

2009/6/2

にわ鳥が先か卵が先か

会社で技術研究発表会というものが毎年開催されていた。当年の技術開発成果を集めて発

表し優秀な技術を表彰する。自分の担当する集積回路開発グループの成果が発表テーマに

選ばれた。当時は表現手段としてスライド写真を使用した。作成は写真屋さんに頼むので手

間がかかる。これを何枚も作り、シナリオに従って発表の練習をする。改善点が出てくるとス

ライドの作り直しを何回もする。これで、プレゼンの大切さを学んだ。自分の上司がプレゼン

の重要性を認識しており、プレゼンの優れた実践者でもあった。優れた成果でも、それを認

めさせなければその努力は報われない。これは、学校の発表会からノーベル賞にまで通じる

ことかもしれない。製品開発が成功したのは優れた回路技術とプロセス技術を開発したこと

によるというシナリオを作った。個別製品には個別の技術が要る。しかし、それを可能にする

共通のインフラ技術も必要になる。農作物で例えれば、優れた農産品とそれを作り出す畑の

関係である。優れた農産品は優れた技術の集積である。しかし、それを作り出すのはそれに

合った畑が必要である。発表が終わって、審査員の質疑に移った。発表の趣旨は分かった。

それならば、回路技術とプロセス技術のどちらが重要であったのかという質問であった。この

質問への回答にはたじたじした。回路技術も一つのチーム、プロセス技術も一つのチームで

あり、こちらが重要であると言うのははばかられた。現実的にも甲乙付けがたい。自分は回

路技術のチームに属していたが。一つの製品開発には、これ以外の色々なチームが関与し

ており、それがオーケストラのようにうまく自分のパートを演奏しなければ成功しないのであ

る。それは大変難しい質問で、例えてみればにわ鳥が先か卵が先かという質問への回答の

ようにならざるを得ませんというような回答をした事を覚えている。質問者は会社の技術部門

の要職に居られた人であったと思う。いま思うと回答が難しいのを先刻承知した上での質問

であったようだ。この発表は該当部門の最優秀賞に選ばれた。自分としてやりがいを感じて

いるのは、この仕事で作った畑を色々改良して多くの作物が作られていることである。にわ

鳥も卵も両方大切なのである。しかし、卵から育てたにわ鳥に次の卵を産ませるまでには息

の長い努力が要る。これは農業で言えば育種に通じる。工業から足を洗い、農業に足を突っ

込んでいるが、どうも魅力を感じるのは同じ様な所である。

2009年5月30日 (土)

産学協同

2009/5/30

産学協同

自分が大学を卒業した頃は大学紛争が花盛りであった。産学協同は言い出すのもはばかれ

るような雰囲気であったのではないかと思う。戦前の軍事研究の記憶も残っていたのも関係

しているのであろうか。大学側も産業界との連携に余り積極的ではなかったようだ。最近は

大学が法人化されて生き残りも厳しくなって、産学協同への取り組みも盛んであるようだ。確

かに、企業で廃棄されるような機材でも大学では貴重な教材になる。かって、隣の研究室で

拡散炉を手作りしていた先生が会社に来られたときにお会いした事があった。使用済みの拡

散炉を貰い受けるためであった。ともかく人的な交流が共同の第一歩になる。共同研究のテ

ーマも向き不向きがある。自分も集積回路の開発という仕事に従事したが、実際は現業部

門と一体であり目先の製品を仕込むので精一杯であった。自分が開発を手がけて、中途半

端で終わった仕事にセンサー関係の集積回路があった。このような未開拓の分野で共同研

究ができれば良かったと思うことがある。

2009年5月18日 (月)

針立て試験

2009/5/18

針立て試験

集積回路の開発では設計通りに動かない場合がある。対象が肉眼では見えない。顕微鏡下

で不具合の部分を突き止める必要がある。これなら動くというのが設計図である。現実は設

計図通りにできない。設計図はあくまで理想な姿を現した抽象的なものなのである。動かな

い状況は回路の症状として現れる。この隠れた不具合点をあぶり出すのが色々な試験であ

る。最初に顕微鏡下に集積回路の配線を見たとき、自分にこんな仕事ができるだろうかと思

った。幸いパターンを作成する仕事はパターン設計の専門技術者が行った。回路が動かな

いとなると回路設計技術者とパターン設計の技術者が両者の立場から協力して検討しなけ

れば効率的に解決できない。二人三脚と同じようにこの技術者とは長いつきあいになった。

回路に接続する針を立てる装置をマニピュレータと呼んでいた。X-Y方向に針を微妙に動か

す装置である。針の一端にはテスターやオシロ等の測定器の探針をつなげる。場合によって

はこの針で配線を切ったりつないだりする。最初にマニピュレータを使った頃は顕微鏡の倍

率もマニピュレータの精度も低かった。汗をかきながら根性で操作した。肉眼では見えにくい

針先がまるで丸太のように感じられてくる。集積度が上がってくるとマニピュレータも顕微鏡も

高精度になった。立てる針も増えた。今となっては、こういう細かなかつ泥臭い仕事に耐えら

れるかと思ったりする。しかし、最近接木をしているとその接合面がどうなっているのか顕微

鏡でしきりに見たくなる。ともかく肉眼で見えないことも顕微鏡で見える。顕微鏡がなくても一

度その操作を習えば、肉眼で見える限界の下に別な世界がある事を実感できる。技術の世

界ではこのような強引な物理的な手段が使える。裁判員制度が間近にスタートする。裁判の

対象となる現象を特定することには多くの困難が伴う。その現象は完全に特定でき、動機と

原因と結果を完全に解明する事は可能なのか。裁判員は裁く側に属する。裁かれる側に裁

判員は不要なのか。人間の世界の問題は一挙に複雑系の様相を呈する。そんな中、本日一

つの結論が出る。因果関係を特定するだけで大仕事であるのに、その刑罰を決めることは

更に心理的な負担の大きな仕事であろう。罪を贖うべきべき人もおり、救済を受けるべき人

もいる。ここに第三者が割り込むのだ。その第三者になる可能性が自分にもある。ともかく、

ある人が裁判員になるのは百年に一度くらいという社会の到来を願う。

2009年5月17日 (日)

たった一個の良品

2009/5/17

たった一個の良品

集積回路の試作品が出来る時は丁度子供がうまれる時のような思いがする。一枚のウェー

ハの上に数百個程度形成される。それを切り出して組み立てる。それから一つ一つ動作を

確認する。ダメ、ダメ、ダメ、...全滅だ。目先が真っ暗になった。念のためと最後に取り上

げたICが予想に反して動いた!しかし、たった一個しか良品が無いとはどういうことか。まっ

たく理由が分からない。限りなく歩留まりがゼロに近いのだ。仕方なく顕微鏡を覗き配線を追

いかけた。なんという事か、本来切れてはならない配線が切れているという配線ミスがあっ

た。本来ならばダメ、ダメ、ダメ、...というところがOK、OK、OKになるべきであったのだ。

そうして、動いた!と叫んだICが不良となるべきであった。問題の配線部分を調べてみると、

そこに欠陥があり配線がつながっていたのである。このような事は全く偶然の仕業であるが、

そのトリックを解明できてなんとなく浮き浮きした一瞬であった。マニュピュレータで切れたア

ルミ配線をつないで、動かないICが動くことを確認して最後のだめ押しも無事に済んだ。今で

は遠くなったが、ミクロの世界の仕事もやってきたのだなと感慨深い。

2009年5月 9日 (土)

尾瀬へのハイキング

2009/5/9

尾瀬へのハイキング

高度成長時代は仕事だけではなくレジャーも盛んになった。会社も社員の慰安旅行でバスを

仕立てた。職場にもいろいろなグループが生まれた。そんな中、隣の職場の先輩から尾瀬へ

のハイキングに誘われた。それを機会にキャラバンシューズを買って、初めて尾瀬を歩い

た。若い女性も参加して楽しいハイキングであった。尾瀬と言えば、自分が学生当時に発電

工学の講義を担当していた教授が尾瀬ヶ原を巨大な貯水池にして揚水式の発電に使うとい

う計画があったと教えてくれたのを覚えている。電力は蓄えることが出来ない。今使っている

電力は今作られているという事である。しかし、電力需要には山と谷がある。需要がピークに

なるときに必要な電力を供給することが安定な電力供給に不可欠になる。そのために、電力

エネルギーを位置エネルギーに変換して蓄えるのが揚水式発電である。要するに需要が少

ない時期に発電した電気で下流の水を汲み上げて上流の貯水池に溜めて、需要があるとき

に溜めた水を流して発電する方式である。ともかく、多くの人々のこの計画に対する反対で

尾瀬ヶ原が水没することを免れたのである。

2009年5月 8日 (金)

チャンスという名の女神

2009/5/8

チャンスという名の女神

チャンスという女神は前髪を垂らしてやってくる。後ろ髪はなくつるつるで掴めない。チャンス

はやってきたとき掴まなければ、過ぎ去ってからでは掴めないというたとえである。何度かこ

のたとえ話に出会ったことがある。チャンスは練って待てという言い方もあるようだ。あること

が幸運であったか不運であったかは結果に過ぎない。しかし、何となく納得しやすいたとえ話

ではある。社会に出て実際の仕事に従事しても、いつも女神が微笑んでいる訳ではない。そ

んなことは極まれで、むしろ渋い顔がまわりを取り巻いているのが実態ではないか。主任試

験の時に集積回路のAC特性をウェーハ状態で行う事を提案した。当時はウェーハ状態では

DC特性しか測定できなかった。それをVIFという高周波ICで行うことは飛躍的な合理化にな

る。しかし、衆人が見て不可能な事を言い出すだけ馬鹿な事であった。担当しているICのウ

ェーハを持って国内の有力テスターメーカーに数回通っただけでその話は終わった。何事も

機が熟すまでの期間が必要である。ともかく集積回路のAC特性をウェーハ状態で行う事は

その十数年以上後になってから実用化された。単能機ならばもっと早期の実用化が可能で

あったろう。しかし、工場のラインには色々な種類の品目が流れる。そこに使われる機器は

流れる品目に対応した汎用性が求められる。結局汎用機と単能機のトレードオフ、妥協が必

要になる。果たして、あの時自分に女神が微笑んでくれたであろうか。女神に悩まされずに

済んだということのようだ。計測技術部門も生産現場では必要な部門であるが、自分の居場

所はその後とも開発部門であった。

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みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

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嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)