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2013年2月17日 (日)

ハト(鳩)よ 鳴いておくれ:愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う(改題):アナタに伊勢崎の未来が見えますか?130217。

2013年2月17日日曜日
昨日は晴れたり曇ったり。最低気温(℃) -1.4 23:46最高気温(℃) 4.5 13:11 。ざっそう句:隕石か 小惑星か 見えぬ空。寒い一日。宅内閑居。ソ連に巨大な隕石が落下して大きな被害が出た。時を接して、小惑星が地球に最接近した。この隕石と小惑星は別物だが、普段目にすることのできない宇宙の底深さを教えてくれた。

2013年2月16日の天気(AMEDAS)

TAVE= 0.8  
TMAX= 3.4 最高気温(℃) 4.5 13:11
TMIN= -1.3 最低気温(℃) -1.4 23:46
DIFF= 4.7  
WMAX= 8.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.6(北西) 14:50
SUNS= 7.6  
RAIN= 0  

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読売新聞は、「小惑星、未明に無事通過…地球に最接近
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20130216-OYT1T00210.htm。(2013年2月16日09時05分))」というタイトルで、「【ボストン(米東部)=中島達雄】米航空宇宙局(NASA)は15日、直径約45メートルの小惑星「2012DA14」が日本時間の16日午前4時25分ごろ、地球に最接近し、インドネシアの約2万8000キロ上空を通過したと発表した。 NASAによれば、この小惑星と、ロシアに落下した隕石(いんせき)は、軌道が異なるため完全に無関係だという。」と報じた。

東京新聞は、「隕石落下、支援や復旧が本格化 重さ1万トンに修正。http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013021601001844.html。(2013年2月16日 21時28分))」というタイトルで、「【チェリャビンスク共同】隕石落下で大きな被害を受けたロシア南部チェリャビンスク市では、一夜明けた16日、ロシア非常事態省の救援機が到着、医療支援や建物の復旧作業が本格化した。 米航空宇宙局(NASA)は16日、隕石の大気圏突入前の重さは約1万トン、直径は約17メートルと推定されると上方修正した。当初はそれぞれ約7千トン、約15メートルとしていた。」と報じた。

小惑星は観測で補足されその軌道が予測されていた。一方ロシアに落果した隕石は予測できなかった。その大きさが、直径約45メートルと直径約17メートルの差である。その比は2.65倍。その三乗は18.5。重量が直径の三乗に比例すると仮定すると小惑星の重量は大雑把に20万トン程度か。その小惑星の運動エネルギーは質量に比例するから小惑星が地球に落果するとロシアの隕石の20倍程度の威力になるのだろうか。広い宇宙ではこのような現象が頻繁に起こっているのだろうから驚きだ。


ハト(鳩)よ 鳴いておくれ:愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う(改題):アナタに伊勢崎の未来が見えますか?

先日、用事で伊勢崎市役所へ行った。市役所北門のロータリー東側脇にやや高い石像が建っている。石川泰三の像だとは知っていたので、何回かデジカメで撮影したことがある。今回は、午後の西陽が当たる時間帯だったので、良い画像がとれるのではと期待して再度撮影を試みた。風が強く人影は疎らだったのでゆっくりと像に対面できた。像は西方を向いて建っているのだ。

灯台もと暗しというのか、あたりまえであえて見る必要もないのか、身近にあるものはつい見過ごしてしまう。改めて、写真を見ると、晴天で雲一つない青空を背景に、石川泰三翁が西方彼方を仰いでいる姿が写っていた。この像は、寿像で石川泰三が米寿を迎えたのを記念し、有志が顕彰のために建てたと説明板に記されている。

アイオー信用金庫のホームページに「いせさきフロンティア あなたの知らない28人の伊勢崎の偉人達(http://www.io-web.jp/info/local/PDF/frontier.pdf)」という記事がある。執筆者は「元伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館長 板橋春夫氏」である。その記事の二番目に石川泰三が描かれている。

その記事によると、「石川 泰三 嘉永6年(1853)~昭和18年(1943):
大正時代、華蔵寺から茂呂までは見渡す限り水田と畑が広がっていた。市街地の一部を除くと貨物自動車や荷馬車などの通行に不便な道路であった。それを解消するために石川泰三(いしかわ・たいぞう)は、南北に抜ける大きな道路を造る計画を発表。大正13年(1924)に完成した通称「六間道路」である。建設当時は「無用の長物」「採取用の道路」「ぺんぺん草が生える」と陰口が言われたという。この道路は約11メートル幅で、現在国道462号の一部となっており、長く伊勢崎市内の幹線道路として重要な役目を果たしてきた。泰三の先見性を感じる事績であるが、大きな構想は時としてその時代に受け入れられないものである。」とある。

「伊勢崎市。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E5%B8%82#.E6.AD.B4.E5.8F.B2。(最終更新 2013年2月12日 (火) 08:17)」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「歴史:1940年(昭和15年)9月13日 : 佐波郡伊勢崎町・殖蓮村・茂呂村が合併し、伊勢崎市が誕生。県内4番目の市になる。(人口40,004人)」とある。

大正の後半から昭和10年代は、まだ市内のほとんどが農村地帯であったようだ。丁度、この時代が母親の学生時代であった。家から学校までは畑や田圃だったと聞いた記憶がある。説明板は、石川泰三寿像の建立日を町村合併により新しい伊勢崎市制が施行された日であると記している。

光の加減で、デジカメ画像の碑文が読みやすかったので以下に読み出してみた。句読点は読みやすいように追加した。よごれのためか読めない文字もあった:「?方面委員」。正確には原文を参照。ともかく、伊勢崎市の市制が発足した翌年に、石川泰三の存命中に銅像が建てられたが、戦争のためその二年後に銅像が供出され、代わりに現在の石像が建てられた事が分かる。

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石川泰三翁寿像建設記
石川泰三翁ハ嘉永六年十二月廿六日伊勢崎ニ生ル。夙ニ教育ノ振興ニ志シ十八歳郷学責善堂肝煎、次デ赤石学校教員ヲ努メ、又回天義塾ヲ開キテ青年ヲ指導ス。明治十四年佐位郡那波郡学事委員ニ推サレ、同十六年郡書記トナリ、縣属ヲ歴テ、郡長ニ任ジ、大正二年退官ス。同四年伊勢崎町長ニ選バレ、昭和七年辞職ス。在職十八年、各種財産ノ蓄積、町役場、中学校、郵便局、水泳場ノ設置、職業紹介所、?方面委員、公益質屋等ノ社会事業施設ヲ為シ、且耕地整理事業ヲ完成シテ大都市計画ノ基礎ヲ確立シ、市制ハ本日実施セラル。曩(さき)ニ、華蔵寺沼ノ払下ヲ為サシメ現公園ノ基ヲ開ケリ。尚、南佐波郡農会長、其ノ他公私団体ノ要職ニ推サルル等。教育、産業、自治ノ発展ニ尽瘁(じんすい)スルコト前後七十余年、従五位勲四等ニ叙シ、又紺綬褒章ヲ下賜セラル。翁今茲ニ米寿ヲ迎フ。有志之ヲ欣ビ相謀リテ銅像ヲ建テ、聊カ功績ヲ顕彰シ、永ク風貌ヲ景仰セン。
昭和十五年九月十三日
寿像建設委員長 星野源左衛門 撰

附記
翁銅像は昭和十六年一月二十六日に建設されましたが、第二次世界大戦のため昭和十八年三月二十三日供出の止むなきにいたり、同年四月二十七日に石造を建てることが決定になり、同年九月十三日除幕式が挙行されました。(追記:一部入力漏れあり。2013/2/20)
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前記、板橋春夫氏の記事によると、石川泰三の銅像は、青銅製の全身立像との事で、代わって建てられたのはの石製胸像である。石川泰三は伊勢崎市制施行の昭和15年に米寿を迎え、生前に自己の銅像を見る栄誉に恵まれたが、「泰三は率先し銅像の供出を了承した」という記事を読むとその人柄が伝わってくるような印象を受ける。

「石川泰三翁寿像建設記」の末尾に「永ク風貌ヲ景仰セン」とあるが、顕彰者の気持ちを良く伝えていると感じる。改めて西方を見つめている、石川泰三の胸像を見ると、永い風雪に耐えて、時代を生き抜いてきた風格が出てきて、周囲風景に溶け込みつつも、何事かを問わず語りに語っているように感じる。

WIKIPEDIAによると、伊勢崎市の市域は、「1940年(昭和15年)9月13日 : 佐波郡伊勢崎町・殖蓮村・茂呂村が合併し、伊勢崎市が誕生。県内4番目の市になる。(人口40,004人)」と町村合併と市制移行で拡大し、その十五年後、「1955年(昭和30年) 1月10日 : 佐波郡三郷村を編入。3月25日 : 佐波郡宮郷村・名和村・豊受村を編入。」で二度目の拡大があり、更に市制移行65年後「2005年(平成17年) 1月1日 : 伊勢崎市と佐波郡境町・東村・赤堀町が合併し、伊勢崎市を新設。人口が約20万8,000人となる。旧伊勢崎市の面積は65.17km2、人口は133,175人(2004年(平成16年)3月1日)。」と平成の市町村の対等大合併で三度目の拡大があった。

まさに、伊勢崎市は、石川泰三が唱えた「大伊勢崎主義」のような流れに従って、拡大してきた。しかし、現在では、合併が進んだ結果、ほとんど市と市が接するような状況となり、市域の拡大という流れはほぼ限界に達したと想われる。むしろ、広大な市域の中のアンバランスをいかに調和させて行くかという課題に取り組む必要性が増大している時代を迎えているように感じる。

石川泰三の年譜を調べると、今年が生誕160年であり、かつ没後70年でもある。更に、2015(平成27)年には、伊勢崎市の市制施行75年と旧佐波郡赤堀町、東村、境町と旧伊勢崎市の市町村が合併した平成の大合併から10年という節目を迎える。

石川泰三の石像を見ていると、石川泰三翁は何を見て、何を語ろうとしているのだろうかと想像させる。石川泰三がほぼ百年前に考えた伊勢崎の中に、今日の伊勢崎の姿があるのも事実だろう。

市民も百年後の伊勢崎の未来を語らなければ、その未来は貧弱なもので終わってしまうのではないか。

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BOPIX_ISIKAWA-TAIZOU_JYUZOU_2PIX.jpgをダウンロード
(「石川泰三翁寿像」の拡大
画像)

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追記1(2014/12/13):本記事がいきなりランキング4位に入った。その理由が分からない。本記事のように、伊勢崎市が来年に平成の大合併で新市になり10周年を迎えるので、その点に関心を持つ人が検索してアクセスしたのか。来年は、伊勢崎町が伊勢崎市になって75周年でもあり、伊勢崎市の将来を考えるには相応しい節目の年になると思う。

伊勢崎市は20年毎程度に、記念誌を発行してきたが、最近その発行が滞ってるようだ。歴史は、その時々語り継いで行かないと、知らぬ間に消えてしまう。伊勢崎市役所はいつ現在地に移転したのか調べたが、NET情報では分からなかった。記念誌を調べたら、当時の様子を知る事ができた。

最近の10年間の変化のスピードは速い。それを、記録し後世に残す事は、後世への最大の贈り物になるのではないか。聞く所によると、定期的な記念誌の発行は、予算や人材等々色々な要因で困難らしい。そこで、新市誕生10周年に限定し、記念冊子を発行する計画はあるようだ。ぜひ、それが、次の市史発行につながる事を期待したい。

とくに、今なら合併当時の記録やそれに関わった人々も健在である。合併は市の姿を大きく変える事業である。新市誕生10周年を記念した冊子にも期待したい。市史は継続してこそ意味があるのではないか。全市民が合併して良かったと感じる時が来る事にも期待したい。そのためにも、新市誕生10周年記念冊子が市史継続の中継ぎになる事を願いたい。

追記2(2015/1/31):「愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う」の記事が再度ランキング10位に入った。今年の正月前後にランク入りしていたので、「新」伊勢崎市誕生10年に関心を持った人がアクセスしたようだ。

うれしいニュースもあった。関係記事=「田舎老人徒然草:ハトよ 鳴いておくれ:石川泰三のお孫さんが書籍等を市へ寄贈!目出度くも 世間憚る 寝正月。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/01/post-c0d6.html)。(2015年1月 1日 (木))」

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追記(2017/11/21):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
タイトル文字サイズ、色を変更。投稿日を追加。タイトルを変更:

愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う⇒
ハト(鳩)よ 鳴いておくれ:愛しき古里:伊勢崎市役所北門脇にひっそりと佇む「石川泰三翁寿像」は何を想う(改題):アナタに伊勢崎の未来が見えますか?

ハト(鳩)よ 鳴いておくれのカテゴリーに入っていたがタイトルに入っていなかったのでカテゴリー名もタイトルに追加。今後この記事と次のシンボル画像の関係がイメージしやすくなる筈。現在ランキング10位。読者に感謝。

カテゴリーのシンボル画像:「ハト(鳩)よ 鳴いておくれ」

Googleにてキーワード「石川泰三」で本サイト内を検索

追記(2023/03/06):一昔前の伊勢崎市のイメージ。県内主要市と検索ヒット数を比較した表があった。現在、この記事のランキングは3位で古い記事ながら読者がいるようだ。読者に感謝。

Photo_2 原ファイル名=「伊勢崎市のイメージ(ネット調査).jpg」
平成22年は2010年。

追記(2024/03/16)石川泰三は大伊勢崎を提唱してその実現に邁進したようで、その構想が華蔵寺公園の「都市建設礎業」という記念碑に残されている。その記事にリンクを設定した。

「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある「伊勢崎耕地整理事業完成記念(都市建設礎業)碑」は何を語るか。20130506。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/05/2013-a2f4-1.html)。(2013年5月 7日 (火))」で、「群馬県の都市の市制移行順位をまとめると、前橋市:1892年(明治25年)、高崎市:1900年(明治33年)、桐生市:1921年(大正10年)、伊勢崎市:1940年(昭和15年)、太田市:1948年(昭和23年)であった。本碑には、何も書かれていないが、市制移行というのが石川泰三の大きな野望であったように見えてくる。」と書いた。

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2013年1月 9日 (水)

愛しき古里(大木の移植):鹿島町にあった「疣(いぼ)薬師とカヤの大木」。130109。

2013年1月9日水曜日
昨日は晴れ。ざっそう句:鮭カマを 買って大根 引く畑。赤蕪、山東菜、自働蒔き大根を収穫。スーパーで野菜の値段を見たら、この寒さのためか結構高かった。カセットテープの音源を音楽CDとして焼いた。卓上CDラジカセで動作を確認。ファイルサイズが数百Mbと大きい。チャチなCDラジカセで再生できるか気になる。8mm映画フィルムや8mmビデオテープを持っているが、再生装置が無いか、あっても動きそうにない。宝の持ち腐れが増えそうだ。

2013年1月8日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.1  
TMAX= 10.4 最高気温(℃) 10.6 15:19 
TMIN= -2.9 最低気温(℃) -3.4 06:08 
DIFF= 13.3  
WMAX= 3.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.5(西) 02:43 
SUNS= 9  
RAIN= 0  

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愛しき古里(大木の移植):鹿島町にあった「疣(いぼ)薬師とカヤの大木」

昨年末に、赤城見台公園へ出かける機会があった。伊勢崎聖苑とそれに隣接する赤城見台公園の南側の樹木が多い区画に「疣(いぼ)薬師とカヤの大木」という説明板が立っていた。標識の指示の方向に向かうと大きなカヤの木とその根元に古びた石仏があった。このカヤの大木は、鹿島町から現地へ移植されたと説明板に記されている。

移植時に、板碑や五輪塔の破片が出土し、それから推測すると600年の歴史があるらしい。薬師さまに対する長い信仰があった事を石仏と大木という証拠物件が証明照明しているのだろう。「疣(いぼ)薬師」という石仏を見ると風化が進んでいて、説明板がなければその由来は分からないだろう。頭部がくぼんでいるのは何か意味があるのか気になる。薬師さまは、庶民の疫病・健康への不安・心配事を受け止めてくれる薬師如来信仰として、地域に広まっていたようだ。

「薬師如来。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5。(最終更新 2012年11月2日 (金) 13:18 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「像容 [編集]:像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壷を持たないものも多い。これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壷を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。 薬師如来の縁日は毎月8日である。これは、薬師如来の徳を講讃する「薬師講」に由来すると考えられている。」とある。

大寺院の薬師如来像は立派なのが多いが、民間の薬師如来像は素朴そのままのようだ。そう言えば、同じ頃、近くの地蔵山で見た石仏も、石の塊のような風情であった(ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):今も貴重な田園風景を残す地蔵山古墳周辺。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/12/post-15e8.html。(2012年12月24日月曜日))。

「地蔵菩薩。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9。(最終更新 2012年11月10日 (土) 06:41 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「地蔵菩薩 (じぞうぼさつ)、サンスクリット語クシティ・ガルバ(क्षितिघर्भ [kSiti gharbha])は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」と言う。また持地、妙憧、無辺心とも訳される。三昧耶形如意宝珠と幢幡(竿の先に吹き流しを付けた荘厳具)、錫杖種子(種字)はカ (ha)。 大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる。一般的には「子供の守り神」として信じられており、よく子供が喜ぶお菓子が供えられている。 一般的に、親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれる。」とある。

大木が移植してまで残るには相当な理由があるはずだ。また、それを残そうとした人々が居たはずだ。その作業の大変さと費用の大きさを考えるだけで切り捨てご免の例が多いと思う。米粒らしい供え物があるのでまだ信仰が残っているようだ。霊験あらたかなご神木となると、切り捨てご免という気持ちも萎えてしまうのか。大木には長い風雪に耐えた威厳のような物を感じる。そのような風格が出るまで数百年かかるが、切るのは一日で終わる。切ってしまえば、その大木はオーラを発しなくなってしまう。

Kaya_taiboku_iboyakushi_121209_4pix

追記(2018/07/15):タイトル文字を大きく修正。日付追加。ランキング:3位。「赤城見台公園へ出かける機会があった。」:ここに幾つもの古墳があるとは思わなかった。

2013年1月 8日 (火)

ツルよ 飛んでおくれ(老人のヒガミ):赤城山に象がいたゾー

2013年1月8日火曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 9.2 14:49。ざっそう句:七草の 粥も忘れる せっかちさ。老人モードで用事外出。畑から朝焼けを見る。障害物があるので太陽が顔を出すのは7時過ぎだ。カラスも電柱の頂上にとまって日の出を見ているかのようだ。GoogleDoodleは七草粥だったが、絵の中に「Google」の文字が見つからなかった。ある特定の人だけが分かるような工夫が暗号だ。絵を工夫しすぎたのか。一つの物も見る人により色々に見える。江戸時代に描かれた象を見ると想像力をたくましくして描いているように見える。実物を見ることも不可能に近く、伝聞や書物の情報を手がかりにしているためだろう。「群盲象を撫でる」という譬えがある。こちらは、実物があっても全体が分からない例。

2013年1月7日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.4
TMAX= 8.8 最高気温(℃) 9.2 14:49
TMIN= -0.4 最低気温(℃) -0.7 23:34
DIFF= 9.2
WMAX= 5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.3(西) 02:03
SUNS= 9
RAIN= 0

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ(老人のヒガミ):赤城山に象がいたゾー

辞書を引くと「ヒガミ」:名詞「僻み」、動詞「僻む」、接頭語「僻」という関連語がある。和英では:a warped view;a bias(against)とあった。強引に「ヒガミ」=「僻見」とこじつけられそうだ。IBMのマイクロソフト対抗OSがOS/2 WARPだった。IBMのHPに「2006年12月31日をもちまして、OS/2のすべての活動が終了となりました。」とあった。

上毛カルタに「裾野は長し赤城山」という一札がある。昨年、山に現れる雪の図形で、その年の農作物等の吉凶を占うという話に出会った。それが鳥なら「農鳥」というらしい。長いと言えば象の鼻という連想が浮かぶ。そこで、赤城山の裾野に象を重ねた合成写真を作ってみた。赤城の鍋割りを象の頭に見立てると、その裾野が象の鼻に対応する。昨年、赤城山に軽い降雪があった時、鍋割りの頂上に楕円形の雪形が見えた。それが、象がかぶっている綿帽子のように見えた。

赤城山 ゾウの頭に 綿帽子

ゾウの頭の綿帽子がなぜ現れるのか。その部分が丘状なっており、大きな樹木が少ないので、積もった雪がそのまま見えるのかも知れない。それではなぜ大きな樹木が少ないのか。そりゃー、ゾウの頭に空っ風がまともに吹き付けるからさ。ありていに言えば、ハゲ山だ。いや、岩石地帯で根を張れる土が無いからかも知れない。ソウゾウの連鎖。生産現場の改善運動は、なぜ、なぜを三回繰り返すと本質に迫れると教えてくれる。自分なりには、赤城山にはまだ謎が多い。雲がかかる確率は、赤城山の鍋割り周辺の西方では低く、東方の長七郎、黒檜周辺では高いように感じるのだがそれも謎。そりゃー、標高の差だんべ~。真相はどうか。ヒガミ=a warped view?。IBMのWARPはSFの時空を超えるという意味がありそうだ。

「赤城山。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9F%8E%E5%B1%B1。(最終更新 2012年10月1日 (月) 08:54 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「山の構成 :[編集]赤城山は複成火山であり、複数の山頂の総称である。山頂名は以下の通り。
黒檜山(くろびさん、1,828m) - 最高峰、外輪山。
駒ヶ岳(1,685m) - 外輪山。
地蔵岳(1,674m) - 山頂に各電波通信の赤城中継局が置かれている。
長七郎山(ちょうしちろうさん、1,579m) - 小沼火山の一部で、爆裂火口の小沼を囲む火口壁の一部。
小地蔵岳(1,574m) - 小沼火山の一部で、爆裂火口の小沼を囲む火口壁の一部。
鍋割山(なべわりやま、1,332m) - 側火山。
荒山(あらやま、1,572m) - 側火山。
鈴ヶ岳(すずかだけ、1,565m) - 側火山。」とある。
Akagi_zou_gousei

2013年1月 3日 (木)

愛しき古里:蟹沼の弁天島と八幡沼の弁天島

2013年1月3日木曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -3.1 07:26。最高気温(℃) 14.3 13:40 。ざっそう句:いざ乾杯 酒気は無くとも 気合いあり。年賀状返信。来客。最近、ゴールドの免許証の色が変わってしまったという打ち明け話を聞いた。実は、自宅の近くで、まさかとシートベルトを装着していないところをお巡りさんに見つかってしまったらしい。それも数年前の話。まさかの話も白状するまで心の整理に数年間かかるらしい。最近は、年賀状の当選番号を調べていない。今年の初トチリは年賀状のスタンプの天地逆転押印。人様には出せないので自分宛に出した。これが上位入賞すればまさにマサカの慶事になる。

2013年1月2日の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.8
TMAX= 13.7 最高気温(℃) 14.3 13:40 
TMIN= -2.4 最低気温(℃) -3.1 07:26 
DIFF= 16.1
WMAX= 7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.3(西) 15:03 
SUNS= 9
RAIN= 0

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愛しき古里:蟹沼の弁天島と八幡沼の弁天島

八幡沼の弁天島が古墳ではないかという話を聞いてから沼の弁天島に興味を持つようになった。伊勢崎聖苑の西方に蟹沼という沼がある。今までは単なる沼と思っていたが、かつてはその沼の周辺に多数の古墳があり、蟹沼古墳群と呼ばれているのを最近知った。昨年12月に用事が済んでから蟹沼へ行って、沼を一周した。沼には網が張られており養魚をしているらしかった。蟹沼にも弁天島があり、かなり太い松が生えていた。八幡沼が潅漑用のため池であり、最近まで養鯉業者が鯉を飼っていた。二つの事例を並べると共通していることが類推できるようになる。八幡沼一帯は名前は異なるが、本関町古墳群が存在した。それでは、蟹沼の弁天島は古墳に関係があるのかと興味は募る。

蟹沼の取水口近くに大きな水鳥が一羽いた。とりあえずデジカメに収めた。物音を感知したのかすぐに飛び立った。色は灰色のような地味な色で首が長かった。他日、八幡沼の弁天島に、同じように大きな水鳥が何羽もいたのでそれもデジカメに収めた。デジカメ画像を拡大したり、加工したりして、WEB上画像検索を参考に、比較した結果、蟹沼のがアオサギ、八幡沼のがカワウではないかと推測した。弁天島は水鳥にとっては安全地帯。弁天島の構造にも、水鳥が使いやすいのと使いにくいという差がありそうだ。
Kaninuma_aosagi_kawau_hachimannuma_
kaninuma_aosagi_kawau_hachimannuma_.jpg
左半分:蟹沼;右半分:八幡沼。

2012年12月30日 (日)

愛しき古里(古代の地域):五目牛橋上流の粕川河床にあるコンクリート遺物

2012年12月30日日曜日
昨日は晴れ後曇り。最高気温(℃) 9.6 12:30 。ざっそう句:ちょっと待て ゆっくり出そう 年賀状。老人モードで年賀状作成。コンビニ印刷の図柄を切ってハガキに糊付け。文面は手書き。手作りハイブリッドハガキという所。よくよく見ると同じのが一枚もない。手抜きのため、住所は市か町以下を書くだけ。それでも時間がかなりかかる。実は郵便番号がどの程度有効に使われているのか試して見たい気持ちもある。宛先分類は機械なのか人手なのかetc。機械の場合数字認識も機械だが設備コストが高くなる。認識ミスが多くなると人が識別する必要がある。それなら最初から人が対応した方が良いのか。プリント基板の自動実装用にパターン認識を使ったチップマウンターがあるが、中国ではこれを人間がしていたと聞いたことがある。郵便屋さんが来て今日は暑いですね声をかけた。完全防寒対策しているとそうなのかも知れない。

2012年12月29日の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.8
TMAX= 8.9 最高気温(℃) 9.6 12:30
TMIN= 1.9 最低気温(℃) 1.7 00:51
DIFF= 7
WMAX= 2.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.1(東) 12:14
SUNS= 4.8
RAIN= 2

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愛しき古里(古代の地域):五目牛橋上流の粕川河床にあるコンクリート遺物

当地区は源義経伝説が多い。「五目牛」という地名もその伝説に由来している。以前に、「02A4_古代佐位郡の正倉遺跡(三軒屋遺跡):4.粕川の河床遺跡?(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02a4-SANGENYA_ISEKI.html) 」という記事を書いた。

最近、用事のついでに、五目牛橋上流の粕川河床にある、コンクリート遺物を再度より近くで見た。左岸の堤防は舗装され、サイクリング道になっている。以前見たのは、左岸からで、河床の物体が、岩石かコンクリートか判然としなかった。今回、舗装されていない右岸に回り、河床に降りてみた。アメリカセンダングサが生えているので、衣類に種子が付着しないよう斜面を降りた。河床に並んでいる物体の一つに、コンクリートの骨材らしい鉄棒が出ていた。他の物体は直方体で、表面には玉石が見えた。これらから、推定すると、河床に並んでいる物体は、コンクリート製と思われる。川の流れに沿って並べられているので、不要になったコンクリート製の塊を水が流れる邪魔にならないように並べて河床に放置したように思われる。問題は、いつ頃、何の目的で、この人造コンクリート塊が作られたかである。

以前、地域の郷土史家に、コンクリートが珍しい時代に粕川にコンクリートの堰が作られたが、そこからコンクリートの破片を取り出して、これがコンクリートという物だと見せあったという話があったと聞いた。更に、堰の話を遡れば、地域のため池である八幡沼に水を引くとき、粕川に外右衛門水車というのがあり、その余水を引いたという話が伝わっている。コンクリート遺物のすぐ近くに大きな自然石が横たわっている。これに板を渡せば水流の向きを変える堰になる。外右衛門水車と、昔粕川に作られたコンクリートの堰に関しては詳細が不明であるが、更に調べれば興味ある事実が分かるかもしれない。この遺物がある粕川左岸から西方を見ると、こんもりとした山にみえる洞山古墳があり、その麓の南東寄りに、牛石がある。河床に横たわる大きな自然石は、五目牛の牛石を思わせる。地質学的には同じタイプかもしれない。
Kasukawa_kasyou_ibutu_121215
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2012年12月26日 (水)

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):伊勢崎駅の駐輪場はどうなるか

2012年12月26日水曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -4.9 05:42。冬型の寒い日だった。ざっそう句:大寒波 立つのも怖い 代表選。物置兼車庫周辺整理。ラジオで民主党代表選挙の様子を聞きながら。代表選挙は党内の事情で予定が延期されてクリスマスに行われた。民主党にとってこれからが本当の冬だろう。政権を取るのが政治の目的になってはそこで終わりだ。WIKIPEDIA「民主党代表選挙(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E9%81%B8%E6%8C%99#.E4.BB.A3.E8.A1.A8.E5.80.99.E8.A3.9C.E8.80.85)」。立候補は今回が2名で前回は4名だった。

2012年12月25日の天気(AMEDAS)

TAVE= 2.6
TMAX= 8.7 最高気温(℃) 9.0 16:30 
TMIN= -4.6 最低気温(℃) -4.9 05:42 
DIFF= 13.3
WMAX= 4.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.9(西北西) 22:06 
SUNS= 9.1
RAIN= 0

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ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):伊勢崎駅の駐輪場はどうなるか

最近は、自家用車を使わずに外出する事が多い。自転車、電車、バスを乗り継ぐ。時には、伊勢崎市コミュニティバス「あおぞら号」を利用する事もある。老人モードの外出と考えている。車を運転しないので、移動中によそ見をしたり、考え事ができるという利点がある。しかし、時間や交通費は自家用車以上にかかる。

最寄りの伊勢崎駅は改築中で、伊勢崎駅周辺の整備も進んでいる。徐々に新しい伊勢崎駅とその周辺が姿を見せてくるだろう。「伊勢崎駅。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E9%A7%85#.E5.88.A9.E7.94.A8.E7.8A.B6.E6.B3.81。(最終更新 2012年10月27日 (土) 15:53 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「利用状況 [編集]:JR東日本 - 2011年度の乗車人員は1日平均5,193人である。 東武鉄道 - 2010年度の乗降人員は1日平均5,607人である。」とある。

WIKIPEDIAによれば、JR東日本と東武鉄道のデータで乗車と乗降の違いがあるが、単純に合計すると、約一万人/日の利用客があるようだ。すべて通勤・通学の往復利用と仮定するとのべ利用客はその二倍となると思われる。この数字は過去10年ほど大きく変わっていない。利用客の分類に関しては不明だが、朝夕の時間帯では学生が圧倒的に多いようだ。それは、駐輪場の自転車の台数で大体想像が付く。親が車で送り迎えする例もかなりあり、時代の変化も感じる。老人モードの外出でお世話になるのもこの駐輪場。無料なのが有り難い。数十年前の通勤通学の時は、駅前の自転車預かり店を利用していた。有料だが、当時は自転車も高価で、安全、確実、快適のため負担であった。

伊勢崎駅周辺の整備も進んでいるので、あの駐輪場はどうなるのか気になった。伊勢崎市のホームページに、「伊勢崎駅前周辺整備基本方針」や「伊勢崎駅南口駅前広場の整備について」等の情報があった。それによると、駐輪場は民間の自転車預かりと高架下駐輪場の併用になるようだ。これも、コストとサービスの選択になるようだ。高架下の駐輪場が有料か無料か不明だが、是非無料を維持してもらいたい所だ。電車通学の学生は、ほとんどが定期券を利用する長期間利用客だろう。通学客がいなければ、駅のにぎわいもなく、駅前は寂しくなってしまうだろう。

「伊勢崎駅南口駅前広場の整備について(http://www.city.isesaki.lg.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=12925)」によると、
--------------------------------------------------------------------------------
「【整備概要】
○広場全体面積          7100平方メートル
・一般車両用のロータリー          1周約260メートル
     身障者用乗降場   2台
     一時利用駐車場     15台(内1台身障者用)(無料)

・バスやタクシー用のロータリー   1周約310メートル
  バス乗降場      6台
  タクシー乗降場    4台
  バスプール      3台
  タクシープール    8台

・公園     2300平方メートル(当面は、芝張りなどの暫定整備)」
--------------------------------------------------------------------------------
との事だ。イメージ図によると駅前に広大な広場空間が現れるようだ。駐輪場を使う客は駅前広場を通る構造なのか、通らない構造なのか。脇道⇒駐輪場⇒ホームという通路構成になると、自転車利用客は広場に姿を見せなくなる。その場合、駅前広場は閑散としてしまうのではないか。現在では、駐輪場を使う利用客は、小さいが駅前広場を通ってホームに入る。こういう配置だから、人の流れが見える形で生まれている。混雑の中に身を置くことにより人間の心は安定する場合もある。閑散とした場所では、人はお互い近づきたいという気持ちにならず、避けてしまう傾向が生まれる。これが、田舎の駅かと言わせるような広大な駅前は、コンプレックスの裏返しのように見える。一層のこと、広場のど真ん中に駐輪場を作って見たくなる。「ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場(ていしやば)の人ごみの中にそを聴(き)きにゆく(青空文庫:一握の砂(川啄木))。http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/816_15786.html。」
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2012年12月24日 (月)

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):今も貴重な田園風景を残す地蔵山古墳周辺

2012年12月24日月曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) 0.8 23:34。ざっそう句:腕よりも 味で売り切れ 鰤大根。庭石の裏側に畑で拾い上げた小石、瓦かけ、コンクリートの破片、ブロックの破片等の瓦礫を仮置きしていたが、高く積もって見苦しくなった。それを邪魔にならない別の場所に移動。中には鉄の戸車や土器の破片もある。生活遺物だ。瓦礫も調べてみると面白い。正月用に里芋を堀上げた。今年の夏は小雨と高温で、サトイモの葉もかなりいたんだ。そのためか、小ぶりで小芋も少ない。我が家の畑から出てくる土器の破片は小さく、全体の形状は皆目分からない。農具が何度も当たり、ガジリ等で摩耗している。自分が今住んでいる周辺に、遠い古代の祖先も住んでいたと思うと何となく不思議な感じがする。

2012年12月23日の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.4
TMAX= 9.5 最高気温(℃) 10.2 13:14
TMIN= 1.3 最低気温(℃) 0.8 23:34
DIFF= 8.2
WMAX= 7.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 12.2(北西) 03:20
SUNS= 8.3
RAIN= 0

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ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):今も貴重な田園風景を残す地蔵山古墳周辺

地蔵山古墳は華蔵寺公園北東に開けた田園地帯の丘陵の上にある。幼少時は「とんがらし山」と呼んでいたが、それが古墳だとは思わなかった。その丘陵地帯の最高部にあるので、一帯の風景を形成す中心になっている。「とんがらし山」という名前と、古い社とで、何となく神秘的な感じを持っていた。子供の頃は遊びの領域外だったので登ったことはない。成人後、何度か登ったが、周辺は少しずつ変化しているようだ。前回見たときは、鬱蒼と茂った松を切り倒した後であった。WEB画像には松を切り倒す以前のものがあるようだ。先日登ってみると、残された松が枯れているのも目に付いた。地籍調査のピンク色のテープが境界に結束されていた。

墳丘に登る道路には小さな廃棄物破片が散乱して、不法投棄禁止の看板が並んでいた。頂上には瓦葺きの小さな社がある。奉納された腰掛け石が一台あった。中を覗くと、風化したような赤いおかけを付けた石造地蔵尊があり、その背後に仏画が掛けられていた。古墳が、このように信仰の場になることにより、守られてきた例は多いだろう。古墳の樹木がなければ、周囲を見渡せる絶好の位置にある。南面は視界が開け、遠方が見渡せる。以下のデジカメ画像には、地蔵山古墳周辺の理解を助けるため国土地理院の電子国土ポータル「標高がわかるWeb地図」より、地蔵山古墳周辺の地図を引用している。

地図西方には蟹沼があり、その周辺には蟹沼古墳群があるとの事。蟹沼と地蔵山(96mと表示されている)を結んだ直線上、粕川左岸には一ノ関古墳や本関町古墳群がある。また、地蔵山北東近くに、いせさき聖苑(火葬場)があり、それに隣接した赤城見台公園の一角には10基の古墳が保存されていると表示板に記されている。地蔵山古墳とその周辺は、古代の古墳銀座のような古墳の密集地域であったとの印象を受ける。古墳は有力な古代豪族の墓に起源があるだろうが、やがてその豪族の系統は断絶して、地域の鎮守の形をとって、古代の歴史を伝えてきたのではないか。先日、地蔵山に登って、まだ地蔵尊がまつられているのを見て、何となくほっとした。
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2012年12月21日 (金)

ツルよ 飛んでおくれ(環境雑録):波志江沼環境ふれあい公園 昼間のイルミネーション

2012年12月21日金曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -0.1 06:45。ざっそう句:忘年会 酒がまわれば 持病譚。町内行事。実生の夏みかんを半分ほど収穫。忘年会。夏みかんは今年も豊作。冬場に長期間樹上に置くと水分を失いパサパサにになってしまう。年内に収穫を済ませたい。皮が厚く酸味もあるので、食べやすい果物とも言えないが、食べ始めると結構食べられる。手間をかければ、マーマーレードや果皮の砂糖まぶしができる。少し苦味があるが、この苦味も何ともいえない魅力。皮が厚いと鳥も食べない。多分、畑に囲い無しで植えても、盗難の心配もないだろう。無肥料、無農薬、手入れ無しで収穫できる。春頃まで保存が出来る。柑橘類なので栄養成分も多い。こう考えると夏みかんは知られざる果樹の優等生に思えてきた。

2012年12月20日の天気(AMEDAS)

TAVE= 4.3
TMAX= 10.1 最高気温(℃) 10.5 13:57 
TMIN= 0.1 最低気温(℃) -0.1 06:45 
DIFF= 10
WMAX= 5.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.2(北西) 14:55 
SUNS= 9.2
RAIN= 0

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ツルよ 飛んでおくれ(環境雑録):波志江沼環境ふれあい公園 昼間のイルミネーション

最近、あちこちでイルミネーションが行われている。キラキラ輝く物には自然と興味が湧く。先日、かみさんは友人と波志江沼環境ふれあい公園へ、イルミネーション見物に出かけた。こちらにはお声掛けはない。仕方なく、近くの女堀史跡へ行った帰りに寄ってみた。しばらくぶりの訪問だ。昼間だが、広い公園は人影がほとんどない。勿体ない!

昼間のイルミネーションは、まさに昼行灯だが、昼間も来客があれば申し分ないだろう。幸い、LED点灯装置や配線という舞台の裏方を見ることができた。各LED点灯装置には電子基板が内蔵されているようだ。まさに照明の分散処理というところ。基本パーツが完成した商品としてあると、それを組み合わせるだけで相当大きな仕掛けが出来る。セットの寿命もLEDや半導体が中心なので、数年や10年、またはそれ以上あるだろう。1期間の稼働時間も多くて100H位のようだ。毎年少しずつセットを増設すれば規模も大きくなる。装置の設置や撤去が大変になりそうだ。

LEDの色は、赤、黄色、緑色は比較的早くから実用化されたが、波長が短い青色の実現が難しかったが、新しく発明された青色LEDの量産、価格低下で応用範囲が急拡大した。実用上は過大電流を流すと壊れるので一定の電流で点灯するのが望ましい。そのためにLED駆動用の集積回路もある。一種の自己発光型の素子だが、明るいところでは、相当強力に発光させないと目立たない。欠点と言えばこれが欠点になる。大きな装置をセットアップしても昼間の効果が不足する。

イルミネーションにも、輪郭を描くのと、面全体を描くのがある。人形やオブジェという面全体ならば昼間も鑑賞できる。イベントとしてなにかキラキラさせたいとなると昼光対策が必要だ。最新の技術を使えば、太陽光を反射させる受動型キラキラ装置も可能ではないかと思った。鳥追い反射テープの類の応用だ。手始めに、どこかの家庭菜園でやっているように、不要CD盤をかき集めて使って見たらどうか。

波志江沼環境ふれあい公園はその名前が秀逸だ。「環境とふれあい」は今後の公園機能としては不可欠の要素だと思う。波志江沼環境ふれあい公園は波志江スマートインターにも近く、伊勢崎のイメージ向上だけでなく、伊勢崎への集客でも多いに期待できる施設であろう。環境をアピールする昼間の電力ゼロのイルミネーションも面白そうに感じた。夜間の来園は色々制約が多い。老人や子供にはハンディとなる。他地域からの来園にも不便だ。昼間の公園利用が増えれば波及効果は倍増以上に間違いない。同じ物を見るという共通体験の機会が増やせる「環境ふれあい」公園であってもらいたい。(参考:「06A1_波志江沼環境ふれあい公園(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/06A1_HASHIE_NUMA_1.html)」)。追記:今回、波志江沼環境ふれあい公園を訪問時、煉瓦園路に生じた凹凸部に印が付けられて、修繕予定のように見えた。ユニバーサルデザインの適用も地道に進められていると感じた。
Ilmination_daytime_121209_6pix
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2012年12月20日 (木)

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):市民がお世話になる伊勢崎市民病院

2012年12月20日木曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) 0.2 23:28 。ざっそう句:親の縁 今年も済んだ 付け払い。用事外出。用事が済んで雑談。安倍さんの景気刺激策に期待する声があるとの事。株が上がった。ご祝儀相場でしょう。国債を増発してインフレ基調になれば物価が上がり、年金暮らしの高齢者を直撃する。お札を印刷しただけで景気回復ができればすでに、こんな結果にはなっていなかったろう等々と議論百出。お手並み拝見というのが現状のようだ。本日のGoogleDoodleは「「グリム童話」出版 200 周年」。

読売新聞は、「韓国大統領に朴槿恵氏…初の女性、親子2代。(http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20121219-OYT1T01602.htm?from=top)」というタイトルで、「【ソウル=門間順平】韓国大統領選は19日、投票が行われ、即日開票の結果、保守系与党・セヌリ党の朴槿恵(パククンヘ)候補(60)が最大野党・民主統合党の文在寅(ムンジェイン)候補(59)との接戦を制し、当選した。 朴氏は韓国に高度経済成長をもたらした朴正煕(パクチョンヒ)元大統領の長女で、韓国初の女性大統領となる。2013年2月25日に就任する。任期は5年。」と報じた。

アジア地域でも、中国、韓国、北朝鮮、タイ、日本と新しい指導者が選ばれた。日本の指導者が世界で、これらの指導者に肩を並べて存在感を示せるのか。女性の国家指導者誕生は社会の進歩を印象づけるが、日本ではその可能性があるのか。

2012年12月19日の天気(AMEDAS)

TAVE= 3.3
TMAX= 7 最高気温(℃) 7.1 14:11 
TMIN= 0.6 最低気温(℃) 0.2 23:28 
DIFF= 6.4
WMAX= 9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.5(北西) 17:30 
SUNS= 9.1
RAIN= 0

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ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):市民がお世話になる伊勢崎市民病院

伊勢崎市民なら、伊勢崎市民病院のお世話になった人は多いだろう。健康なら病院とは無縁でいられるかも知れないが、長い人生お世話になったり、なにかの機会で病院を訪問する時もある。先日、訪問した時、他市ナンバーの車も駐車場に散見した。屋上にはドクターヘリが離着陸できるようで、以前離着陸の様子を見た。すでに伊勢崎市民病院は地域の中核病院である事に間違いない。病院は多種多様で多数の人が来るので、売店や食堂もある。つい最近、コンビニ店があるのに気付いた。場所が奥まった所で、その方角に用事がないので行かなかった。店員に聞くとかなり前からあったそうだ。

足は、自然と昔馴染みがあった上階に向かった。そこから外を眺めるとパノラマのような景色が見える。漠然と景色を眺めているとパジャマ姿の男性が来た。言葉を交わすと、この景色を見ると癒されますと言った。自分も同じ体験をし、同じ感想を持ったが、今は異邦人のような気もする。入院は心のどこかに重圧感を受けるのだ。公園で楽しそうに時を過ごす人々の姿を見ると、早く自分も良くなろうと前向きな気持ちになる。健康の有り難さ。これから、寒さも厳しさを増す。多分患者も来院者も増えるのではないか。

昨年の冬の事、寒くて早く院内に入りたかったが駐車場は満車。どうしようかと困って、仕方なく西部公園の駐車場へ回った。そこでは、待ってましたというように、委託業者風の人が、ここは公園利用者の駐車場ですというビラを配っていた。少し寒いが、公園を散策するふりをして、病院へ向かった。

病院のすぐ北に余り利用されていない様子のテニスコートがある。先日の訪問時は写真の通り数名がテニスをして、コートの片面は空いていた。あのテニスコートをなぜ駐車場にできないのかと疑問に思った。私有地ではなく、公園の一角ならなんとかなるのではないかと思った。伊勢崎市民病院のホームページで、駐車場の収容台数を調べると身障者用も含めて460台であった。病院北側には、交通量が比較的多い道路があり、信号も無いので、現状では横断には危険も伴うが、本気で対策すれば解決できない問題ではないだろう。

伊勢崎市民病院は、職員の意識向上や地域の医院との連携を強化しているようだ。その甲斐あってか、赤字も解消したらしい。合併で市や地域の中核病院として伊勢崎市民病院の役割はますます重要になるだろう。それを考えると、交通信号機一基新設、病院周辺の環境・交通整備、道路規制等等により、病院北側駐車場の増設は十分可能ではないか。またコスト・効用比も十分以上あるのではないか。公園と病院と周辺環境を総合的に一体開発すれば、病院能力・機能は増強でき、更に本当の意味での癒しの空間ができるのではないか。公園利用者や道路走行者のちょっとした不便が通院者や患者の利便につながる。それはお互い様の精神で自分にも戻ってくる。
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2012年12月 6日 (木)

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):三軒屋遺跡から見る夕陽に映える浅間山

2012年12月6日木曜日
昨日は晴れ後曇り。最低気温(℃) 0.0 05:34 。ざっそう句:朝焼けて 身体髪膚 寒気退く。朝方は定例の仕事。全員集合。薄暗い畑道をヘッドライトを付けて犬の散歩をさせている老人がいた。元気が何より。選挙カーの叫び声が宅内まで響いて走り去った。予想通りボリューム全開ではないか。東京都知事選挙立候補者の年齢分布、80才台が2名、70才台が2名、60才台が3名、50才台が1名、40才台が1名で、計9名。WIKIPEDIA「供託金(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9B%E8%A8%97%E9%87%91#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E4.BE.9B.E8.A8.97.E9.87.91)」によると、「都道府県知事選挙 300万円 」とある。立候補の第一の関門が、政見や見識ではなく、お金では選挙も盛り上がりそうもない。ともかくあの九名の中の一人が来るべき都知事になる。投票率が注目だ。

2012年12月5日の天気(AMEDAS)

TAVE= 6.5
TMAX= 12.1 最高気温(℃) 12.7 12:35 
TMIN= 0.7 最低気温(℃) 0.0 05:34 
DIFF= 11.4
WMAX= 2.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.2(南西) 11:12 
SUNS= 6.4
RAIN= 0

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ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):三軒屋遺跡から見る夕陽に映える浅間山

先日、殖蓮公民館の講演会の後で、夕陽に映える浅間山がきれいなのでデジカメに収めた。この場所は三軒家遺跡の内部にある。古代の人々も浅間山を眺めただろうが照明の輝きにはびっくりするだろう。このような光景が出現したのは歴史的な時間スケールで見るならつい最近といえるだろう。国土地理院の距離計測で調べると、浅間山から殖蓮小学校まで約62Kmであった。浅間山の大噴火で飛んできた砂礫が蓄積されその地層が時を刻んでいる。2008年の三軒屋遺跡の発掘調査説明会で、浅間噴火を記録しているという地層の説明があった。

浅間山の噴火の歴史は以下のサイトにあった。
http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/VOLCANOES/asama/asama_kiroku/index.htm

子供の頃、大きな浅間噴火があり、当地にも火山灰が大量に降下して、それを集めて保存した記憶がある。その火山灰の所在は現在では不明だが、遠方にある浅間山も当地の住民にとっては忘れられない景観の一つだ。
Asamayama_sunset_121124_chisou_0805
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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)