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2013年5月 7日 (火)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある「伊勢崎耕地整理事業完成記念(都市建設礎業)碑」は何を語るか。20130506。

2013年5月7日火曜日
昨日は晴れ後曇り。最高気温(℃) 26.4 13:52。ざっそう句:野ざらしの 種芋腐り 肩落とす。昨日は一昨日に続いて夏日。上着を脱いで農作業。畑の里芋の種芋が全滅。土寄せと枯れ草をかけて防寒した積もりだったが、畑の里芋は腐って見る影もない。昨年は自働蒔きダイコンの莢を採取しておいたので、それから種子を取り出して、里芋の後作に播いた。ダイコンは冷涼な気候を好むようなので収穫期が夏だと大丈夫か?腐って全滅した種芋はダイコンの肥料になる筈だ。それにしても、腐敗菌は樹木と野菜で種類が違うのか?

2013年5月6日の天気(AMEDAS)

TAVE= 17.8  
TMAX= 25.5 最高気温(℃) 26.4 13:52 
TMIN= 10.1 最低気温(℃) 9.6 04:06 
DIFF= 15.4  
WMAX= 8.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.6(北北西) 23:07 
SUNS= 9.8  
RAIN= 0  

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある「伊勢崎耕地整理事業完成記念(都市建設礎業)碑」は何を語るか。20130506。

追記(2024/03/16):タイトルを変更してリンクを設定した。

この記念碑の篆額は「都市建設礎業」と読めるようだ。その碑には正確に「昭和十五年四月十五日」と年月日まで記されている。この昭和15年という年はどういう年だったのか。振り返ると、自分の父は、二十才台の中程の年齢であり、昭和13年に応召、14年にノモンハン事件に従事、15年に予備役、18年に再応召、20年に召集解除と青年時代のほとんどが軍隊生活であった。

WIKIPEDIA「1940年。(http://ja.wikipedia.org/wiki/1940%E5%B9%B4)」。WIKIPEDIA「1940年代。(http://ja.wikipedia.org/wiki/1940%E5%B9%B4%E4%BB%A3)」。

この昭和15年という年は、この記念碑(本碑)にもあるように、皇紀2600年でもあり、WIKIPEDIA「1940年」によると、「2月11日 - 日本、皇紀2600年(紀元2600年)祝典。阿部定を含む多数の囚人が恩赦を受ける。」とある。

本碑の冒頭に、「伊勢崎耕地整理事業」の経過が書かれている。この事業は既に、大正5年に企画され、大正12年に組合設立・起工、昭和14年12月に竣工し、その工期は24年、総経費は金四拾六萬参千余円という大事業であった。

そうして、本碑の建立は、「昭和十五年四月十五日」であり、実に手際よく事業が進んでいるように見える。市役所内にある、「石川泰三翁寿像建設記」には「昭和十五年九月十三日 寿像建設委員長 星野源左衛門 撰」と記されている。この「昭和十五年九月十三日」を以て、伊勢崎町が消滅し、伊勢崎市が生まれた。

WIKIPEDIA「伊勢崎町。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E7%94%BA)」によれば、合併前の人口は「23,588人(1935年)」。WIKIPEDIA「伊勢崎市。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E5%B8%82)」によれば、「1940年(昭和15年)9月13日 : 佐波郡伊勢崎町・殖蓮村・茂呂村が合併し、伊勢崎市が誕生。県内4番目の市になる。(人口40,004人)」。そうして、伊勢崎市ホームページ(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/toppage/0000000000000/APM03000.html)によれば、「 (2013年4月1日 現在) 人口:211,512人男:105,710人女:105,802人世帯数:82,512戸」である。

WIKIPEDIA「前橋市。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%A9%8B%E5%B8%82#.E7.94.BA.E6.9D.91.E5.88.B6.E6.96.BD.E8.A1.8C.E5.BD.93.E6.99.82.E3.81.AE.E7.94.BA.E6.9D.91)」によれば、「1892年(明治25年) - 市制に移行し前橋市が誕生」。

WIKIPEDIA「高崎市。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B4%8E%E5%B8%82)」によれば、「1900年(明治33年)4月1日:市制施行で高崎市となる。」。

WIKIPEDIA「太田市。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%B8%82)」によれば、「1948年(昭和23年)05月03日 - 太田町が太田市となる。」。

WIKIPEDIA「桐生市。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E7%94%9F%E5%B8%82)」によれば、「1921年(大正10年)3月1日 市制施行し、桐生市となる。群馬県では前橋市・高崎市に次いで3番目、東毛では初めての市制施行地となる。」。

群馬県の都市の市制移行順位をまとめると、前橋市:1892年(明治25年)、高崎市:1900年(明治33年)、桐生市:1921年(大正10年)、伊勢崎市:1940年(昭和15年)、太田市:1948年(昭和23年)であった。本碑には、何も書かれていないが、市制移行というのが石川泰三の大きな野望であったように見えてくる。

以下は「伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」を読む参考資料。

**********************************

都市建設礎業(篆額碑題)(参考資料)

伊勢崎耕地整理事業完成記念碑

予、伊勢崎町長就任の初、大都市建設の礎(いしずえ)を据ゑんと企図せるを以て、之が基準として、先づ街衢(がいく)整備水路疏通の急務なるを痛感し、其の目的達成には、耕地整理法に依るの便なるを認めたり。是に於て、大正五年七月三十一日、有志者と諮りて、機運の到来を待ち、十二年二月二十四日、伊勢崎耕地整理組合設立を申請して、四月一日、本懸の認可を得、同月十日創立総会を開き、役員を選挙して諸般の準備を進め、七月四日起工式を執行せり。会々(たまたま)佐波新田用水掘鑿(くっさく)の計画有り。予又、之が分水に着眼し、十三年九月十七日、八坂堰普通水利組合及佐波新田用水耕地整理組合と協議し、金壱萬弐千円を其の工事費中に提供し、華蔵寺西字堤下に於て、常時水量拾箇を伊勢崎地内に導入するの契約を結べり。爾来、着々工事を進めて、営々二十四年を閲(けみ)し、総経費金四拾六萬参千余円を費して、昭和十一年五月十日、水路先づ成り、十四年十二月十八日耕地整理の業、全く竣工を告げたり。今其の成果の大要を挙ぐれば次の如し。幹線道路幅員八間延長千五百三十七間を始めとし、中小道路面積九萬千八百九十一坪延長三萬七千三百三十七間に達す。街路は整然として、四通八達し、田九十四町七段五畝歩、畑百四町七段二畝歩の地は、耕作上の利便を高め且つ市街宅地の素地を為せり。水路面積四萬二千五百四十二坪、延長三萬千三百四十五間あり縦横に貫流す。其の一部は潅漑に用ひて、五穀豊穣の因を為し、大部は市街に通じて衛生火防に裨益すること萬人目睹(もくと)の事実なり。八間道路東側に町役場庁舎の竣工するや、沿線耕地は忽ち宅地と変じ、本町四丁目、立花町、日吉町、錦町、住吉町等店舗櫛比(しっぴ)し、漸(ぜん)を逐(お)ひて、堅実なる模範市街と化しつつあり、今や我が境域(きょういき)拡張市制施行の議、既に決し、今秋を期して実施せらるるに至れり。之を要するに該(がい=この)事業は大都市の基礎建立に貢献して、正に所期の目的を完遂達成したることを確信す。惟ふに、当時都市計画法未だ発布せられず、加ふるに農林大臣は、耕地の縮減を許さず、遵法上の困難亦(また)尠(すくな)からざりき。此の間、懸官技術員並役職員の真摯熱誠なる指導監督と参加組合員九百八十八名の協心戮力(りくりょく=協力)とに頼るにあらずんば、争(いか)でか此の美果を結ばんや。予、乏(とぼしき)を組合長に承(う)け終始事に従い、今日の成績を得たるは衷心満足とする所なり。然りと雖も、時勢は刻々進展して止まず。之が大成は後人の待つこと甚だ切なり。巽(ねがわ)くは、後賢夫れを努めよ。時、偶々(たまたま)紀元二千六百年に当り、予、亦米寿を迎ふ。感特に探し。茲に、碑を建て、由来を後世に伝えんと欲し、事業の梗概を叙し、併せて所懐を述ぶること斯(かく)の如し。

昭和十五年四月十五日

   伊勢崎耕地整理組合長従五位勲四等石川泰三撰文

前伊勢崎尋常高等小学校長 勲八等未至磨大洲書



                          山田喜泉刻

**********************************

都市建設礎業(篆額碑題)

伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」碑文入力時のMEMO・参考資料

(平成25年5月4日)。

(1)   原文は『「八坂樋と伊勢崎の掘と川(長谷川 龍雄 著)」』の「都市建設礎業」の節から引用させて頂いた。

(2)   方法:スキャナーで読み込み、ワード文書に変換。語句の誤変換を手動で修正。本文を理解しやすくするため、句読点、読点、ふりがなを付けた。

(3)   碑文の解釈等は、碑の現物を基準とすべきである。仮名遣い、漢字も古くそのままとしたが、一部入力できない漢字もあり、類語を当てはめた。上記碑文は、あくまで参考資料の扱いとする。

(4)   水量拾箇」について

A)「八坂樋と伊勢崎の掘と川(長谷川 龍雄 著)」P32に用水量の単位について、1個=3.6トンと説明している。従って、「水量拾箇=3.6トンX10=36トンと思われる。単位時間については不明。

B)「1個とは1立方尺の水が1秒間に流れる水の量(黒部河川事務所HP=http://www.hrr.mlit.go.jp/kurobe/jigyo/gaiyo/ayumi1950.html」と定義されている。1尺=(1/33)*10=0.30303m。1立方尺/=0.027826m3/=1.6696m3(ton/分。

C)「農業用水の単位「個」とは?(http://okwave.jp/qa/q410981.html)」「0.303×0.303×0.303m=約0.0278m3」。(基本単位:秒)

(5)   「都市計画。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%B8%82%E8%A8%88%E7%94%BB#.E8.BF.91.E4.BB.A3.E9.83.BD.E5.B8.82.E8.A8.88.E7.94.BB.E3.81.AE.E6.88.90.E7.AB.8B。(最終更新 2013年3月9日 (土) 12:25)」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「日本の社会構造の変化や都市への人口集中を背景に、都市や建築の統制が必要という機運が高まり、1919年(大正8年)、市街地建築物法(建築基準法の前身)と合わせて都市計画法(旧法)が制定され、翌年施行。」とある。

(6)   「予、乏(とぼしき)を組合長に承(う)け終始事に従い、~」に関して、「谷干城「さくら山集序」(http://homepage3.nifty.com/koyosho/YMKW/sakura_jo.html)」に、「明治維新、余は軍務の乏(とぼ)しきを承(う)け、君の名を聞く。」という例がある。

7)尺貫法とメートル法

 

尺貫法

単位

換算率

メートル法

 

幹線道路幅員

8

1.818

14.544

同上延長

1537

1.818

2794.266

中小道路面積

91891

3.306

303791.65

m2

同上延長

37337

1.818

67878.666

九十四町七段五畝歩

     

 

 

9475

0.992

9399.2

a

百四町七段二畝歩

     

 

 

10472

0.992

10388.224

a

水路面積

42542

3.306

140643.85

m2

同上延長

31345

1.818

56985.21

8)石川 泰三: 嘉永6年(1853)~昭和18年(1943)

9)伊勢崎市の誕生(WIKIPEDIA記事)

1940年(昭和15年)9月13日 : 佐波郡伊勢崎町・殖蓮村・茂呂村が合併し、伊勢崎市が誕生。県内4番目の市になる。(人口40,004人)」

10)初代伊勢崎市市長(WIKIPEDIA)

初代 板垣源四郎 1940年(昭和15年)11月9日~ 1946年(昭和21年)11月16日。

11)伊勢崎町:WIKIPEDIA「伊勢崎町。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E7%94%BA)」)。廃止日:1940913日。

12)石川泰三:「石川泰三 1853-1943 自由民権家・伊勢崎町長 伊勢崎出身

群馬県最初の政治結社「協同社」を結成し、欧米の政治、法律を研究・討議した。

76 是我 石川泰三伝(郷土人物叢書 1)

長谷川竜雄/編著 伊勢崎郷土文化協会 1972.12(http://www.library.pref.gunma.jp/?action=common_download_main&upload_id=817)」。

12)「石川泰三翁寿像建設記」:昭和十五年九月十三日(伊勢崎市役所内)。

13伊勢崎耕地整理事業の総経費金四拾六萬参千余円:当時の事業規模を現在金額に換算すると?円。「明治 6年~昭和29年(図 録):1386倍(http://chigasakiws.web.fc2.com/ima-ikura.html)」という例がある。これを使った単純計算で約63756万円。参考「伊勢崎駅周辺第一土地区画整理事業の計画見直し(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1000000618000/files/h24-12.pdf)」=「工事費41億円を37億円に変更;補償費294億円を175億円に変更」。

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2013年5月 6日 (月)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):同聚院の大カヤの木

2013年5月6日月曜日
昨日は気持ちの良い五月晴れ。最高気温(℃) 25.6 14:47。ざっそう句:こどもの日 婦唱夫随の 町歩き。朝一番で灌水。かみさんと新聞を読みながらゆっくりと朝食。三光堂ギャラリー彩で淡彩画の展示会があるという記事に目が止まった。そういえば、あの人ももう三回忌かとある故人を思い出す。思い立ったが吉日、これから見に行こうと決まった。それが故人の供養にもなるだろうと思いつつ、数本の飲み残しペットボトルのお茶を一本にまとめて、デイパックを担いでハイキング気分で出発。弥次喜多道中で、行く先は気分次第。とぼとぼ歩いて、ついに広瀬川を渡り、カワチ薬品の近くのパン屋で、パンを買い、WIKIPEDIA「まちかどステーション広瀬。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%8B%E3%81%A9%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E5%BA%83%E7%80%AC)」(この記事の「伊勢崎市コミュニティバス「あおぞら」
」もリンク切れ)で昼食兼休憩。利用者は我々だけ。エアコンも効いている。何という贅沢。なんという不経済。親切にも持ち出し自由の街角文庫もある。興味のある本があったので頂いてきた。お手洗いを済ませてバスの時刻表を見ると既に定刻を数分経過。遠くを見るとこちらに向かってくる所。運良くそれに飛び乗って伊勢崎駅北口まで。最後に、三光堂ギャラリー彩で展示をみる。出展していたおばさんとお茶と饅頭を頂きながら歓談。最大の成果は同聚院で関重嶷父子の墓に出会えた事。婦唱夫随でかみさんのグチも出ない最高の一日だった。おまけに、三光堂ギャラリー彩の目と鼻の先に「最高の一日 結婚式場(http://www.saikono1nichi.jp/)」があるではないか。

2013年5月5日日曜日の天気(AMEDAS)

TAVE= 17.8
TMAX= 24.7 最高気温(℃) 25.6 14:47 
TMIN= 10.8 最低気温(℃) 10.2 05:42 
DIFF= 13.9
WMAX= 6.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.5(東) 16:34 
SUNS= 12.8
RAIN= 0

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):同聚院の大カヤの木

伊勢崎駅周辺の区画整理も着々と進んでいた。交番に小さな日の丸の旗が立っていた。三光堂ギャラリーの館長に聞くと、三光堂書店もまもなく新築オープンするとの事だ。現状は道路の中の離れ島のような立地だが、仮設道路なので、今後も駅前の姿は刻々と変わりそうだ。

同聚院の大カヤは以前見学した事があった。「同聚院の大カヤ(伊勢崎市ホームページ)(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1355120472563/index.html)」。ちょっと入って見ようと言うと、かみさんのグチも出なかった。墓地を見たのは初めて。相当広い墓地があった。WIKIPEDIA「同聚院。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E8%81%9A%E9%99%A2)」。この記事に、「関当義・重嶷父子の墓」へのリンクが張ってあったが、つながらない。ソースを見ると「<a rel="nofollow" class="external text" href="HTTP://www.city.isesaki.lg.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&amp;NEXT_DISPLAY_ID=U000004&amp;CONTENTS_ID=8003">関当義・重嶷父子の墓</a>」とあるので、多分伊勢崎市のホームページ改訂が原因なのかと思う。(httpを大文字にしてある)

外部サイトからリンクされるWEB上の情報資産も大切なIT資産だ。今後はホームページ改訂にも十分配慮が必要だろう。本来なら、ホームページ改訂の仕様条件として、旧ホームページのリンク情報からアクセスしても新ホームページの相当記事に到達するように規定するのが、本当のサービスというものだろう。

同聚院ではいくつかの法要が行われていたようだ。かみさんの興味と自分の興味が異なるので、墓地の真ん中で迷子の生き別れになってしまった。そうして、一緒になったのが大カヤの近く。その根本の太さが印象に残る。丁度、玄関から出てきた僧侶に聞くと、カヤの大木でも、腐りが入ったりしていない素性の良い大木は少ないのだそうだ。
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2013年5月 4日 (土)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):書上浄水場と大井戸湧水池

2013年5月4日土曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 20.8 16:00。ざっそう句:粕川を 泳いで渡る 鯉のぼり。さわやかな晴天。用事外出。粕川を横断して鯉のぼりがはたはたと泳ぐ。その鯉はかつて民家で泳いでいた筈だ。今、民家に泳ぐ鯉のぼりは僅か。WIKIPEDIA「憲法記念日。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5)」。鎧の下に何やらちらちらしている改憲論。大儀無き改憲論は邪道だ。国家が一部の政治家の思う通りに動くと盲信するならば必ず暴走をする。それが歴史の教訓だ。国家が弱体化している時に改憲論議など以ての外。写真は華蔵寺公園の鯉。
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2013年5月3日の天気(AMEDAS)

TAVE= 13.6
TMAX= 20.4 最高気温(℃) 20.8 16:00 
TMIN= 6.9 最低気温(℃) 6.7 05:13 
DIFF= 13.5
WMAX= 4.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.2(西) 08:05 
SUNS= 12.6
RAIN= 0

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):書上浄水場と大井戸湧水池

伊勢崎市は水に恵まれている。幼い頃の水の思い出も沢山ある。水道が普及する以前は井戸水で生活していた。風呂も炊事も井戸水。当地区の水田用水もその水源を辿ると大井戸湧水池やカケヤ清水につながっていた。

水道も当初は地下水を汲み上げていた。まさに日々、赤城山の水が沸き出した銘水を飲んでいたわけだ。そうして、あの水道タンク・配水塔が風景に溶け込み地域の景観を形作ってきた。先日、老人モードで外出して最初に巡った場所が書上浄水場である。

書上浄水場の一角に、土地改良(耕地整理)で埋め立ててしまった大井戸湧水池が復元されている。土地改良事業当時、大井戸湧水池の扱いに関してどのような議論があったか今となっては知る人は少ない。一部、保存の声もあったようだが、結果としては埋め立てられたのである。

聞くところによると、土地改良事業途上、県の土木技師は、本当に埋め立てて良いのかと尋ねてそうだ。そうして、土地改良事業が終わって、唯一の心残りは、あの大井戸湧水池を埋め立ててしまった事だとこぼしたそうだ。そんな事を思い出しながら浄水場を自転車で一周。

浄水場の中には管理棟等があり、松が植えられて、立派な邸宅のような印象を受けた。伊勢崎市の資料によると、主な設備は深井戸6本、送水ポンプ2台、非常用発電機1台を備えている。また、書上浄水場で、精製された水は、両毛線の北側地区と南側地区に配水されている。多田稔市議のブログは、「伊勢崎市の水道の安全確認 全て出来ました。http://blog.goo.ne.jp/kucctada/e/56ff580c5ac4c4863d81d19b963f5925。(2011-04-16 21:39:30 | 地震関係))」というタイトルで、「4月8日の時点で、まだ安全確認できていなかったのは、次の2つです。 あずま浄水場 井戸20% 書上浄水場  井戸29%」と報じた。

書上浄水場の水源は地下水から地下水と河川水(県水)の混合に切り替えられたのは知っていたが、その比率は知らなかった。上記BLOG記事によれば、「書上浄水場 県水71%、井戸29%」とのことだ。ちなみに、波志江沼環境ふれあい公園で存在感を示している波志江配水場では、「県水85%、井戸15%(竜宮上水道の井戸水)」との事。地下水を過剰に汲み上げてしまうと色々弊害も生じてくる。地下水という資源保護を年頭に適正な利用が望ましいのであろう。

書上浄水場に隣接している書上公園は、散歩人やドライバーの休憩に利用されているようだった。大井戸湧水池は、一級河川の男井戸川の源流でもあり、幼少時はそこまで魚捕り等で遊びに行った。小さな湧水池であったが、周辺の遺跡からは旧石器時代から有史時代までの遺物が出土している。現在から見れば、大井戸湧水池の埋め立ては本当に残念な事に思える。
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2013年5月 2日 (木)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある記念碑の篆額の読み方

2013年5月2日木曜日
昨日は晴れ後曇り。最高気温(℃) 20.4 11:41。ざっそう句:難解の 篆額読んだ 研究者。朝方は定例の仕事。当番一人欠。応援一人。四人で無事終了。午前中は好天。まさにメーデー日和。自宅に戻り一服して、偶々書棚の片隅にあった「八坂樋と伊勢崎の掘と川(長谷川 龍雄 著)」を手にした。「書肆 いいだや」という価格票の半分が残っていたので古本だ。偶然手に入れた本だろう。母が子供達を連れて、歩いて実家に帰る時、長い道に沿って流れていた川があった、それが、自分の八坂用水の原風景だ。午後、圃場整理。下草刈り。枯れ枝剪定。花水木を枯らすよう根本の土を堀上げ。リンゴ樹が一本倒れていた。葉が出そろい風圧をまともに受け、カミキリムシの被害にあった部分で折れている。カミキリムシの幼虫も活動を始めている。名前を知らない野鳥が餌を求めて2m位まで接近する。デジカメで写そうと作業を中断すると飛び去る。野鳥にこちらの行動を読まれているようで、バカにするなと言いたくなる。

2013年5月1日の天気(AMEDAS)

TAVE= 14.7
TMAX= 19.4 最高気温(℃) 20.4 11:41
TMIN= 11.3 最低気温(℃) 11.3 24:00
DIFF= 8.1
WMAX= 7.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.6(北北西) 17:14
SUNS= 7.5
RAIN= 0

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下記の記事には、「伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」の篆額が読めなかった事を書いた。写真下部に「○?X?建設礎△?」と解読できない篆字を「?」にしておいた。追記としてその続きを以下に書いておく。

追記:「八坂樋と伊勢崎の掘と川」は62ページの小さな本であるが、地域の歴史に愛着と関心がなければ書けない本であると感じた。その、『二、灌漑用水「佐波・新田用水」について』の章の「(三)都市建設礎業(2)」が「伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」の篆額そのもの読み方だったようだ。「○?=都X?=市建設礎△?=業」とすれば篆額の意味が通じる。本書には、「都市建設礎業」が篆額とは述べていないが記事の末尾に(華蔵寺公園の碑文)と記載しているので、篆額の題名をそのまま、本書の節のタイトルにしているように思われる。碑の建立が昭和十五年四月十五日。本書の出版が昭和六十三年七月二十一日。それにしても、「都市建設礎業」という碑題は近代的でかつ雄大な印象を与える。

以下に、自分の解読の試みの経過を記しておく。「○?=都」;「○?」の旁(つくり)が「邑」で部首の「おおざと」と同義まで分かったが、左側が「者」とは読めず挫折。「米(上)+日(下)」とあてはめたが該当の文字は見つからず。「X?=市」、尾崎咢堂のような号としての「○堂」をあてたが、石川泰三の号は?というところでとん挫。「△?=業」;田島弥平の「養蚕興業碑」の「業」と類似。「業」かなと思ったが「業業」と重なるようでこれもとん挫。ところが、漢字源によると、『「業業」とは、きおいたつさま』とある。改めて、この篆字を見ると、二人の人が踏ん張って仕事をしている姿に見えてくるのだった。この篆字になにかメッセージが込められているようにも感じる。

本書の「はじめに」に、著者は「私は長い間の教職生活から離れ、昭和三十八年に、伊勢崎の図書館に、お世話になりましたが、~」と本書執筆の動機を記している。WEB情報によると、伊勢崎市立図書館長も務められたようだ。偶然の連続だが、こいうう偶然に会うとうれしくなる。


ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある記念碑の篆額の読み方

先日、華蔵寺公園へ行き、たまたま遭遇した大きな記念碑。そのてっぺんの額の部分が篆書で、漢和辞典で検索したが適当な漢字が出てこない。部首を特定する前にとん挫してしまう。色々頭をひねり、その篆書の解読も試みたが、これという確定的な読み方が分からない。その篆額を書いているのが当時の権威者で、単なる実権だけでなく、文才も示しているようで面白い。見方によれば、芸術の世界で、読まれなくても、へ~スゴイと思われれば最大の目的は達成しているのかもしれない。多少のデフォルメは問題無し、むしろ望ましいのか。他の碑の篆額と比べると、読む方向等少しはルールらしいものも見えてくる。ともかく、お「題」が頭に入らないと、その先に進みにくい。

最近の、村上春樹のベストセラーの著者もタイトルも思い出せななかった。幾つかのキーワードでWEB検索してようやく「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」と分かった。篆額の作者はどんな気持ちでその篆書を物にしたのだろうか。

碑文内容は十分確認できていないが、顕彰されている人物は左より、石川泰三、小畠武堯、金井烏洲、川端宇兵衛、田島弥平と思われる。尚、「烏洲金井先生碑」の額は篆字ではないようだ。
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2013年4月26日 (金)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):伊勢崎市有数の水田地帯が消滅中

2013年4月26日金曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) 13.1 00:57。最高気温(℃) 25.4 13:57。ざっそう句:何となく 変な予感で 怪我をする。苗箱を見るとカボチャの苗等が枯れている。遅霜が降ったと聞いていたがまさかその被害が出るとは予想していなかった。発芽を始めたジャガイモの芽も黒くなっている。枯れた花水木の枝を圃場から撤去。鉈で小枝を切り落としている時に誤って左指に怪我をした。枯れ枝で思ったより固いので鉈に力を入れていた。幸いゴム手袋を着用していたので切り傷と言うより打撲傷の程度で済んだ。ゴム手袋着用で感覚が狂ったという要因もあるが今回は安全側に作用した。百均でバンドエイドを買ったところでこれも幸運だった。振り返ると変な予感がしていたようだ。電気チェーンソーで薪作りまで終了。夕方より用事外出。

2013年4月25日の天気(AMEDAS)

TAVE= 18.4
TMAX= 24.2 最高気温(℃) 25.4 13:57
TMIN= 13.2 最低気温(℃) 13.1 00:57
DIFF= 11
WMAX= 8.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 16.7(北西) 02:26
SUNS= 12.2
RAIN= 0

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):伊勢崎市有数の水田地帯が消滅中

先日外出して、宮郷付近に来た時、直売所があったので覗いてみた。野菜苗がお目当てだった。直売所から道を隔てて西側に広大な水田地帯が開けていた。その農道に車を停めて周辺を見回した。南側には大きな煙突が見える。農夫が、刈払機で黙々と畦草を刈っていた。遠くには、家電量販店の看板らしい物が見えた。

宮郷の畑作地帯ではブドウの栽培が盛んだ。農業は地形・地質と気候が重要だ。水田は更に水利という条件が加わる。ブドウ栽培が選ばれているのは地質が砂礫質で保水力が乏しいのが主な要因だろう。それでは、宮郷の水田地帯はどうなのか。ともかくあれだけ広い水田の開発は大変だったろうと思う。農道の脇で周囲を見渡しながらデジカメで水田風景を撮影した。

宮郷に工業団地を誘致する話は聞いていた。どの辺だろうかと調べてみたら、先日行った水田地帯だと分かって更に複雑な心境になった。既に、水面下では、工業団地化の作業が着々と進んでいるのだろう。

まさに日本がTPP交渉に参加しようとする時である。農地、特に水田は日本の食糧安保という名目で、厳しい管理状態に置かれている。個人で水田を転用しようとする時のハードルは高い。それが、工業団地となると掌を返す如くである。工業団地が十分活用され、その効果が地域に還元されれば異論は無かろう。低金利下の土地投資のような使い方をされれずに、投じた公金が生き金になるよう期待したい。
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2013年4月22日 (月)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):赤城山に第二の雪獣?

2013年4月22日月曜日
昨日は雨後晴れ。最低気温(℃) 3.5 08:25。最高気温(℃) 13.0 15:12。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.0(北西) 15:33。ざっそう句:赤城山 雪形見えて 春近し。平野部では降雨だったが、赤城山には降雪があった。寒い一日。AM宅内閑居。PM用事外出。気になるTPP。国民各層の期待・不安が入り交じり関心が高いが実像が見えていない。しかし、TPP交渉はTPP参加各国が冷徹に・狡知を尽くして自国の国益を追求するという外交の本質を失っていない。交渉の前座で交渉に使うべきカードを切りまくっている姿勢は何なのか誰もが疑問に思うだろう。

「環太平洋戦略的経済連携協定。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%9A%84%E7%B5%8C%E6%B8%88%E9%80%A3%E6%90%BA%E5%8D%94%E5%AE%9A。(最終更新 2013年4月15日 (月) 04:26 )」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「環太平洋戦略的経済連携協定(かんたいへいようせんりゃくてきけいざいれんけいきょうてい、英語: Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement または単に Trans-Pacific Partnership, TPP,環太平洋経済協定、環太平洋連携協定、環太平洋経済連携協定、環太平洋パートナーシップ協定[1])は、環太平洋地域の国々による経済の自由化を目的とした多角的な経済連携協定 (EPA) である[2]。 TPPは、2005年6月3日にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国間で調印し、2006年5月28日に発効した。2011年現在、アメリカ、オーストラリア、マレーシア、ベトナム、ペルーが加盟交渉国として、原加盟国との拡大交渉会合に加わっている。9か国による拡大交渉は、2011年11月12日に大枠合意に至り、2012年内の最終妥結を目指している[3]。」とある。

2013年4月21日の天気(AMEDAS)

TAVE= 6.7
TMAX= 12.3 最高気温(℃) 13.0 15:12
TMIN= 3.6 最低気温(℃) 3.5 08:25
DIFF= 8.7
WMAX= 9.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.0(北西) 15:33
SUNS= 4.5
RAIN= 14

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):赤城山に第二の雪獣?

昨日は寒い一日であった。午後は晴れたが強風。昼頃外出したかみさんが赤城山がきれいと言うために戻ってきた。それならばとデジカメを渡した。そのデジカメで撮影してまた戻ってきた。残念だが画像が写っていなかった。以前、象の帽子云々という話をしていたのでそれが一つ。二つ目は雲間から赤城山が現れるダイナミックな風景だったようだ。

「ツルよ 飛んでおくれ(老人のヒガミ):赤城山に象がいたゾー(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/01/post-7ab0.html)。(2013年1月8日火曜日)」

今度は自分が外出する番になり、赤城山がよく見えるたんぼ道を通った。強風で自転車が倒される程であったが、赤城山の雪景色が見えた。象の帽子がハッキリ見えるのは丁度雲間から日光が当たるときで、そのタイミングを狙った。

帰宅して画像を見ると、左側に象の帽子が写っていた(象の綿帽子)が、右の方にも白い細長い雪形があった。雪のない地面に雪で出来る白い雪形を動物や鳥に見立てる見方がある。雪馬、農鳥等と呼ばれている例もあるようだ。つまらない事かも知れないが、見方によってそういう図形が姿を現す事を発見するのは小さな楽しみでもあろう。

ある人に鍋割りの象の綿帽子の話をしたら、長七郎か黒檜の下方にも雪形が見えると話してくれた。ひょっとしたら昨日見た雪形と同じ場所にできていたのかもしれない。雪形が見えるのは雪のない地面があるのが条件になるので、いつでも見られるわけではない。

「ざっそう句:雪の赤城(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/02/post-b473.html)。(2012/2/5(日))」

ところで、あの白い細長い雪形を動物に例えると何に見えるだろうか。色々想像してみるのも楽しいと思う。いくつか思いつくが一般的なイメージとぴったりと合わない。足らないところはイメージを膨らませて見ることにしよう。同じ物・イメージを何となく見ていても意志疎通はできない。それに名前を与えることにより言葉として意志疎通が可能になる。
Bopix_akagiyama_zounobousi_130421_m
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CEEK.JPによるKW「TPP」の検索結果(2013/4/21) 1 件目 ~ 100 件目

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日本のTPP参加を承認 先行11カ国が歓迎声明 (経済) 20 20:28 共同通信
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日本のTPP交渉参加 伊藤元重・東大大学院教授インタ... (経済) 20 09:57 産経新聞
貿易や投資の自由化議論 APEC貿易相会合開幕 (経済) 20 09:49 共同通信
日本のTPP交渉参加、正式承認へ カナダとも大筋合意 (経済) 20 07:51 フジテレビ
TPP 日本、7月から交渉合流 閣僚会合 参加全11カ国認める (経済) 20 07:40 東京新聞
日本、TPP交渉参加11か国の同意取り付け (経済) 20 07:09 TBSテレビ
TPP影響 宮城の農林水産1031億円減 22品目県試算 (地方・地域) 20 06:10 河北新報
日本のTPP交渉参加 カナダが承認持ち越し (経済) 20 05:50 テレビ朝日
日本の参加、承認へ=カナダとも大筋合意-TPP (経済) 20 05:14 時事通信
APEC 経済連携の取り組み議論へ (経済) 20 04:54 NHK
日本のTPP交渉参加 正式に了承へ (経済) 20 04:23 NHK
TPP交渉、7月から合流…参加全11か国承認 (経済) 20 02:00 読売新聞
TPP交渉参加11カ国、日本の参加について20日も討議継続 (経済) 20 01:53 ロイター
TPP交渉、日本7月に合流 全11カ国、大筋で一致 (地方・地域) 20 01:51 北海道新聞
日本 TPP交渉参加 カナダ以外の10ヵ国同意 (経済) 20 01:45 テレビ東京
TPP交渉参加、20日にも承認 カナダ一度は持ち越し (経済) 20 01:44 朝日新聞
TPP交渉参加11カ国、日本の参加について20日も討議継続 (経済) 20 01:31 ロイター
TPP、7月に交渉合流 11カ国の支持獲得 (経済) 20 01:07 共同通信
TPP閣僚会合、日本の交渉参加を正式承認 (経済) 20 00:46 読売新聞
TPP閣僚協議、日本の参加は結論出ず-20日再開へ (経済) 20 00:06 Bloomberg.co.jp
TPP 日本参加にカナダ同意せず (経済) 19 23:54 NHK
TPP閣僚級会合 20日以降も協議へ (経済) 19 23:54 NHK
首相、満を持して「3本目の矢」 成長戦略をアピール (政治) 19 23:47 日本経済新聞
米食肉輸出団体、関税引き下げ議会に働きかけへ (経済) 19 23:39 TBSテレビ
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2013年4月19日 (金)

読みかじりの記(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):華蔵寺公園にあった小畠武堯(おばたけ たけたか)頌徳碑。130419。

2013年4月19日金曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 25.7 15:34。ざっそう句:惚れて聞く 鶯の声 一万両。AM町内行事。PM用事外出。タウンウォッチング。本体価格と税込み価格を大きく併記している量販店があった。人間の心理としてどうしても安い本体価格の方に目が向いてしまう。この方式は消費税が上がると更に普及するのではないか。百均店で25W二個入りの白熱電球を買った。最近このクラスの物が少ない。センサーライト用。ナス苗を1本買った。ケンケンとキジが鳴いているようだ。まだ遠くの声で自信は無いが。「身辺雑記(愛しきもの 生き物):片足でけなげに生きていたキジ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/05/24/)。(2012/5/24(木))」。昨年は4~5月頃キジが近くに来ていた。いつの間にかいなくなっていたが、また来たのか。先日はコジュケイが4~5mの近さで鳴いてびっくりした。縄張り宣言をしているようだが、鳥の本音は分からない。

2013年4月18日の天気(AMEDAS)

TAVE= 18.3  
TMAX= 25.3 最高気温(℃) 25.7 15:34 
TMIN= 12.2 最低気温(℃) 11.3 05:27 
DIFF= 13.1  
WMAX= 3.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.1(東) 16:02 
SUNS= 8.4  
RAIN= 0  

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読みかじりの記(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):華蔵寺公園にあった小畠武堯(おばたけ たけたか)頌徳碑

先日、老人モードで外出して、粕川の堤防から華蔵寺公園まで来てしまった。既に桜は散って、八重桜らしい桜がちらほら咲いていた。

ふと見ると、遊園地の南側に二つの記念碑が建っていた。説明板はすでに文字がかすんでいる。記念碑の名前を記す篆額は篆書体という古い書体で読めない。何とか分かる文字を拾った。大きい方が石川泰三が推進した当時の伊勢崎の耕地整理?、今日風に言えば、土地開発事業に関するものらしかった。こちらの碑は大きく、碑文も長い。植木の陰になって読みにくさもあるのでデジカメ撮影も篆額だけ。

もう一つはやや小ぶりの記念碑。中に関重嶷とかの名前が出てくる。とりあえず、10年前の性能がいまいちのデジカメで、文字が読める程度に細切れにして撮影した画像の解読を始めた。篆額もたった三文字だが読めない。「碑」だけはなんとか想像が付いた。次ぎに、部首から想像して右の文字は「頌」らしいと想像した。そうなると真ん中は、「頌徳碑」を想定すると「徳」ではないかと思ったが、「真」にも「直」にも見える。漢和辞典にあたると、「徳」の異字体が合うようだった。

そんな、謎解きのような作業をして、何が書かれているか推測してみた。幸い、WEB上には幾つかの参考になる資料があった。「小畠武堯の墓(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1355294252248/index.html)。(2013年2月13日更新)」は伊勢崎市の史跡に指定されている。碑の本文には、「小畠武堯頌徳碑」と碑名が付けられている。碑文の中には「明治43年10月」と書かれている。関重嶷の時代からは遅れているのだが、明治43年になってようやく先人の偉業を讃える余裕が出てきたように感じる。

水土里ネット群馬のホームページの記事(http://www.kakasi.or.jp/tonesuik/Acrobat_Data/Vol_04.pdf)の、「利根川 VOL4」に、「八坂堰土地改良区」に関して、「八坂堰土地改良区:八坂用水は、利根川支流、桃の木川(現在、前橋市笂井町)から分水し、かんがいを行っています。宝年3年(1705年)伊勢崎藩の奉行、小畠武堯により用水開発がなされ、当時他藩領の上増田、下増田、二之宮町地域の通水路開発には、想像以上の苦労と努力を重ね、神沢川に八坂樋を架け、三郷、伊勢崎へ通水に成功、水源開発への第一歩を記したことは歴史的に由緒ある貴重な遺産といえます。その後、大正13年新田郡下の要請により、采女、木崎、境、世良田、尾島地区まで延長し、広大な農地への通水は極めて重要な用水路となっています。当土地改良区は、明治42年3月19日付、水利組合法により、伊勢崎市、三郷村、茂呂村の区域をもって、八坂堰普通水利組合として県知事認可、昭和27年3月に維持管理を主な目的として、八坂堰土地改良区が設立認可となりました。 以後、昭和49年に桃の木川河川改修に伴う、附帯工事として現在の自動堰に改修されました。又、地域の重要な農業用水路として、農業の発展と安定的な農業経営を目指すために、県営八坂佐波新田かんがい排水事業として、昭和59年に着工し、平成5年に完了となりました。」と紹介している。

この記事によると、「明治42年3月19日付」で八坂堰普通水利組合として県知事認可となっており、「明治43年10月」の「小畠武堯頌徳碑」も時代の動きを反映したものかも知れない。尚、記念碑の末尾に「井上澹泉 刻」とある。当地区の「八幡沼の碑」も「井上澹泉 刻」であり、「井上澹泉」という人物にも興味がある。

WIKIPEDIA「華蔵寺公園。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E8%94%B5%E5%AF%BA%E5%85%AC%E5%9C%92)」によると、華蔵寺公園は「1893年(明治26年)着工、1911年(明治44年)完成。当初は伊勢崎公園としてスタートし、現在に至る。」との事であり、「小畠武堯頌徳碑」は華蔵寺公園の完成以来伊勢崎の発展を見守ってきているのではないか。

たまたま、水利の役員当番が回ってきて、それを機会に八坂用水も見学した。用水の脇には幾つか記念碑が建っている。そこにのっている人名はほとんど分からないが、一二名名前が分かる人が居た。八坂用水はサイフォンで粕川を横切り、更に下流の伊勢崎東部を潤し、早川を横断して新田町へ通じている。治水、利水は政治の基本である。伊勢崎市はやがて市制施行75年を迎える。華蔵寺公園公園には、伊勢崎の歴史を伝える重要な記念碑が幾つもある。残念だが、説明板等は文字が消えて読みにくくなっており、周辺の樹木の陰になって近づきにくいものもある。是非整備をお願いしたいところだ。関連画像を連結して一枚にまとめた。碑面には、漢詩らしい物も刻まれているが、とりあえず本文を読みかじった。その内容をMEMOとしてWEB DISKに残しておく。
Bopix_obataketaketaka_yasakayousu_3
BOPIX_OBATAKE-TAKETAKA_YASAKAYOUSUI_6PIX.jpgをダウンロード
OBATAKE-TAKETAKA_KOUSYOUHI_MEMO_130417_L.pdfをダウンロード

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追記1(2015/1/30):「読みかじりの記(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):華蔵寺公園にあった小畠武堯(おばたけ たけたか)頌徳碑
」の記事がランキング6位に入った。最近、Go!伊勢崎の掲示板で八坂用水等の議論が盛り上がっているようだ。昨日の講演会の時、伊勢崎城の掘りの水の水源が話題になった。以前、粕川から水を引いたと殖蓮史談会会長から聞いた事があった。まさに、城下町を作る時等々、水をどうするかという、インフラ整備から都市計画は始まるようだ。八坂大樋の付近にはメガソーラーが建設されているようだ。「ハトよ 鳴いておくれ:あれが地域有数のメガソーラーか!;狼が 羊に化けりゃ 尾が目立つ。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/01/post-6098.html)。(2015年1月25日 (日))」

追記2(2015/4/6):本記事が再度ランキング6位に入った。このような記事を読んでくれる人がいるだけでもありがたいような思いがする。捨てる神もあれば、拾う神もいるという例え話があるが、今日では、御利益の無い神等捨てるに躊躇しないのかも知れない。今まで、水利の関係で地域の古老との付き合いがあり、色々な話を聞いた。だが、現在では農家の後継者もいないのが実情で、そのような話や農家の苦労等は自然に消滅しそうな感じがしている。しかし、極論すれば、今日の日本の繁栄も、農家・農民が流した血と汗の賜物ともとれるのではないか。日本中の農村には、水利や開墾に関する歴史があるのだろう。少しでも記録に残せれば、だれかそれを拾ってくれるのではと思う事がある。

「ハトよ 鳴いておくれ:八幡沼(川端宇兵衛)開削150周年と八坂用水(小畠武堯);安物を 買って気になる カゴの中。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/02/150-f523.html)。(2015年2月17日 (火))」

八幡沼と八坂用水も、江戸時代の大土木工事により作られたものだが、今日では、その事業を指導した人物の名前も忘れられようとしている。幸い、その事業の恩恵を受けてきた先人達は、それを碑(記念碑)として残してくれた。ただ、このような巨大な人造施設でも、どのように企画され、建設され、運営されてきたかについては余り知られていない。以下の資料「波志江の民俗」:「水利の組織と慣行(P67)」に波志江の例が記述されている。

昨年末、伊勢崎市史・民俗調査報告書第三集というシリーズ物で、「波志江の民俗(伊勢崎市 昭和59年4月1日発行)」を入手して、ページをめくっていると、八坂用水に関しても水利関係の項目に記述が見られる。「三和町の民俗」がその第一集である。これらの報告書には、信頼できる調査者によりなされた、高度経済成長時代以前の時代を生き抜いてきた地域の調査協力者に対して面接調査した結果が、まとめられている。その地域を歴史的・全体的に捉える事ができる貴重な資料であろう。「波志江の民俗」には、水利関係の記述が比較的多いが、「三和町の民俗」には、記述が少ない。これは、地域の水田面積や田畑率等ウェイトの違いかもしれない。波志江と三和の中間にある本関町に関しては、「本関町の民俗」は発行されなかったようだ。

「02A5_三軒屋遺跡シンポジウム2011/11/13(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02a5_S_ISEKI_SIMP_20111113.html)。」の記事に、「~今年亡くなったある人が言った。一緒に歴史話をした人だ。八幡沼の碑のような立派な碑を作っても、百姓はそんな碑を読むことも出来ず、汗水垂らして働くだけだ。その人は百姓。自分も百姓のせがれだ。~」と書いた事を思い出す。

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追記(2017/11/14):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
タイトルの文字サイズ、文字色変更。投稿時期を追加。ランキング10位。

「伊勢崎市の街づくり応援サイト・Go!伊勢崎」に関連情報あり。

Googleにてキーワード「八坂用水」でGo!伊勢崎のサイト内を検索

Googleにてキーワード「八坂用水」で本サイト内を検索

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Ranking

00001_アクセスランキング記録2017-PART2

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2013年4月10日 (水)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):ああ伊勢崎駅 近くて遠かった駅前交番

2013年4月10日水曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 20.6 16:27。ざっそう句:ご褒美に また物欲の 無駄遣い。AM物件修理パート5。二人で。今回で一通り終了。昼食後用事外出。街路樹の欅も芽を出し早くも新緑の季節がきてしまったようだ。新年度に入り、雑用も終わり、区切りも付いたので何となく自分にご褒美を出したくなった。そこで家電量販店を回った。ついでにセルフ店で給油。満タンですねと言われずに済む。最近はセルフにも慣れてきた。

2013年4月9日の天気(AMEDAS)

TAVE= 12.7
TMAX= 19.8 最高気温(℃) 20.6 16:27
TMIN= 3.5 最低気温(℃) 3.4 05:58
DIFF= 16.3
WMAX= 3.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.8(西北西) 01:32
SUNS= 9.5
RAIN= 0

Q
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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):ああ伊勢崎駅 近くて遠かった駅前交番

伊勢崎駅前の整備が進んでいるようだ。最近は伊勢崎駅周辺に行っていないのでようすが分からない。旧伊勢崎駅前交番は既に移転して、新庁舎になっているようだ。旧伊勢崎駅と旧駅前交番の思い出もいくつかある。それは身の丈にあった思い出だったのか。

食べる方では、駅舎内の売店と立ち食いそばの店。どこかに出かけるときは売店で新聞を買ったりした。立ち食いそばは帰りの待ち時間に食べた。普通は単なるかけそば、卵入りは良い方。伊勢崎駅には、ホームの中と外にトイレがあった。トイレを使うのはやはり帰り際が多かった。ホーム内トイレは古めかしくお世辞にも良い匂いはしていなかった。外のトイレはそれより少しましなような感じがした。不思議なことに、駅のトイレの匂いの強さは都心からの距離に比例して増大する傾向があった。駅が男の職場だった名残かもしれない。

車の迎えを待つときは、そばを食べたり、トイレに行ったりして、それでも時間がありそうな時は、交番の前の掲示板を見て暇つぶしをした。というのは、駅の西側の歩道沿いから駅前ほどがタクシー乗り場で、その東側に送迎用の駐車区域があり、その奥に交番があった。迎えを待つ場所も自然に決まってしまうのだ。そこに立っていると、駅前で客待ちをしているタクシー運転手の目が何となく気になるのだ。気軽にタクシーを使える身分でもないのは承知している。それだからタクシー運転手の気持ちも何となく分かる。掲示板に貼ってある指名手配書等を見ていると交番らしさを実感し、気分が紛れるのだ。一時はオウム真理教の指名手配が多かったが、オウム真理教事件も、最近逃亡中の犯人が逮捕され過去のものになりつつあるように感じる。

駅前を写したデジカメ画像はかなりあるが、旧駅前交番の画像は少ない。やはり、そこに余り関心がなかったからか。交番を写すのを憚ったのか。よくよく調べてみるとアングルを少しずつずらせた連続写真があった。多分、旧伊勢崎駅の取り壊しを知って駅前の風景を残そうという意識があったのかもしれない。駅前広場の西側から東側を写していた。それをパノラマソフトで合成した見たが、駅と交番のつなぎ部分がうまくつながっていない。自分の記憶の中でも、駅と交番は近くて遠い存在のように思えた。いっそうのこと、駅の案内所と交番を一体化して駅内に設置すれば有機的結合関係が生まれるのだろうか。そういえば、昔は駅の片隅で「鉄道公安官」に遭遇した事もあったけ。WIKIPEDIA「鉄道公安職員。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E5%85%AC%E5%AE%89%E8%81%B7%E5%93%A1)」。

交番の南側にバスステーションがあり、駅前ロータリーの東側にバス停がいくつか並んでいた。東側の歩道沿いには、小さな商店や自転車置き場が並んでいた。駅前ロータリーにつながる東西の歩道脇には街路樹が植えられていた。今思えば、全てが身の丈に合った駅前風景だったようだ。
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BOPIX_ISESAKIEKI_KOUBAN_20100523_PANORAMA.jpgをダウンロード

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2013年3月22日 (金)

寝言老人が幼少の頃(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):高山古墳群の思い出

2013年3月21日木曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 14.1 00:01。ざっそう句:空耳か 鶯の声 一度だけ。町内行事。DSCデータを整理しプリント用に編集。 用事外出。訪問先で打合せと雑談。貰い物。その足でもう一件。寒暖の差が大きく要注意。一般の人が裁判に関わる件数は一生の内どのくらいあるのだろうか。刑事事件で裁判員制度が実施されているが、なぜ民事事件で裁判員制度がないのか疑問に思っていた。毎日新聞がその動きを伝えていた。

毎日新聞は、「憂楽帳:民事への国民参加。http://mainichi.jp/opinion/news/20130321k0000e070177000c.html。(2013年03月21日 12時26分))」というタイトルで、「刑事裁判に市民感覚を反映させようと始まった裁判員制度は、5月でスタートから4年。極端に長い時間がかかるケースへの対応など課題もあるが、ともかく定着しつつある。そこで「民事は裁判官任せのままでいいのだろうか」と思っていたら、民事への国民参加を考える動きがあった。 1月に経済団体や消費者団体などの代表者、学者らがスタートさせた「民事司法を利用しやすくする懇談会」だ。事務局長の小林元治(もとじ)弁護士は「民事訴訟制度を利用しやすいと感じている人は国民の2割程度。この10年間の制度改革で刑事は身近になったのに、民事は立ち遅れています」と話す。懇談会の設立趣意には、さまざまな改革案とともに「国民の司法参加も重要な検討課題」とある。」と報じた。

もっと疑問なのは、裁判で人を裁くより、被告を弁護する事になぜ一般人が参加出来ないのかという事ではないだろうか。件数比較なら民事事件の方が圧倒的に多いと思う。一般人の常識的判断力は弁護活動にも有効ではないか。

2013年3月21日の天気(AMEDAS)

TAVE= 7.9
TMAX= 12.9 最高気温(℃) 14.1 00:01
TMIN= 4.6 最低気温(℃) 4.2 22:39
DIFF= 8.3
WMAX= 12.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 21.3(北西) 01:44
SUNS= 11.5
RAIN= 0

Q
Q

寝言老人が幼少の頃(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):高山古墳群の思い出

先日、赤堀歴史民族資料館で、企画展「探検家・矢島保治郎展 中国 チベットに足跡をたどる」を見学したついでに、常設展示場も見学した。そこに、「高山1号古墳出土埴輪鞆」が展示されている。かつて、当町内には、高山、行者山、丸塚山という三つの山があり、子供らの遊び場であった。その山が、古墳らしいと気付いたのは小学生中学年の頃だったと思う。

「炭焼きじいさん(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/12/31/)。(2009/12/31)」

「古墳と人骨(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/09/post-2d0b.html)。(2008/9/8)」。

高山、行者山は、開発により平削等が進み、ほとんど見る影がない。ただ、自然の丘陵部に作られたらしく、その自然地形は辛うじて残っている。丸塚山は伊勢崎市の史跡(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/genre/0000000000000/1000000000126/index.html)に指定され、辛うじて破壊から免れた。

赤堀歴史民族資料館に展示されている「埴輪鞆(とも)」の説明板に「高山1号古墳」とあり、周辺には幾つかの古墳の集群があったようだ。伊勢崎市史民族調査報告書第一集「三和町の民俗(昭和56年8月31日 伊勢崎市 編集・発行)」を調べたが、古墳に関する記述は無かった。この地域民俗史も今では、当時を知る貴重な資料である。

「高山1号古墳出土埴輪鞆」は市指定重要文化財であり、そのホームページに、「鞆(とも)は革製で巴(ともえ)形をしており、矢を射るときに左手首につけ、弓の弦(つる)が腕にあたるのを防ぐために用いる。この埴輪は、昭和52年、高山1号古墳(三和町)の発掘調査で出土し、鞆と台部からなる。完形に近い状態で発見され、県内でも希少な資料である。製作年代は6世紀前半と考えられる。(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1354780969798/index.html)」と説明されている。昭和52年と言えば、サラリーマンになって数年後の事。家の近くでの発掘調査だったが、全く記憶にない。

この「巴(ともえ)形」は市章の勾玉の形にも類似している。WIKIPEDIA「巴。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4)」。ところで、この「鞆(とも)」を装着したのは誰だったのか。次々に矢を放つ状況は、狩猟とは思えない。獲物が大型動物であっても昔の狩り人の腕なら数本の矢で仕留めたろう。そうなると、武人の姿が浮かんでくる。近隣の村落との戦闘で勝利した一族がその記憶として古墳に収めたのだろうか。
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BOPIX_TOMO-HANIWA_AKABORI_H_M_4PIX.jpgをダウンロード (拡大画像)


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2013年2月18日 (月)

愛しき古里:鯉沼の堰堤に生え育った古木が醸し出す懐かしい風景

2013年2月18日月曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -3.3 04:39。最高気温(℃) 7.1 15:24 。ざっそう句:バス旅行 寒気寒風 山冴える。朝、軒下の気温は-4.5℃の寒さ。旅行。山は目的地ではないが、冴え渡った山々を見られたのも収穫だった。

2013年2月17日の天気(AMEDAS)

TAVE= 1.7
TMAX= 6.7 最高気温(℃) 7.1 15:24 
TMIN= -2 最低気温(℃) -3.3 04:39 
DIFF= 8.7
WMAX= 5.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.4(西北西) 08:11 
SUNS= 9.9
RAIN= 0

Q
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愛しき古里:鯉沼の堰堤に生え育った古木が醸し出す懐かしい風景

当地区の鯉沼については以下の記事を書いた。「ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):旧伊勢崎市内のため池で唯一未整備の鯉沼の将来(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/11/post-689c.html)(2012年11月23日金曜日)」この鯉沼の東側に北関東道の伊勢崎インターチェンジがあるが、この周辺には、現在でも全く別世界のような農村風景が見える。

堰堤に、二本の古木が生えている。そのルーツを辿ると、鳥が運んできた糞のなかにあった雑木の種にたどり着くようだ。誰かが意識的に植えた物ではないらしい。その二本の雑木の大きさと生えている位置が丁度、絵になる関係にあるようで、近くに出向いたときにデジカメで写真を写していた。松や杉の古木なら、夫婦松とか呼ばれても通用するだろう。雑木なので気が利いた名前が付けにくいが、これまで生き延びてきたのだから今後も住民に親しまれる資格は十分にあるだろう。

樹高は、僅かに伸びているのかもしれないが、印象ではほぼ一定の高さを保っているようだ。その理由を考えると、沼の堰堤という、日照条件は良好でも、四方八方から沼越しの風を受けるので、風の影響で樹高がきまっているように見える。頂部に伸びるより、幹の下方や根の張り方に力点があるようだ。

沼の南側の道路あたりから見ると、赤城山を借景として絵のような構図になる。この風景は智鵜息の人が無意識に楽しんでいる風景ではないかと思う。沼の北側から見ると、古木の影が水面に映り、これも素晴らしい風景を生み出している。更に、堰堤は、昔は堤町と書上町を結んだ道路であり、現在はインターが出来ているので、その道路の役割が変わっている。散歩をしたり、自動車の運転手が休憩する場所でもある。やはり、人間は、だだっ広い所で休むより、日陰が出来たりする樹木がある場所の方がくつろげるようだ。
Bopix_koinum_entei_koboku_4pix_ss
BOPIX_KOINUM_ENTEI_KOBOKU_4PIX.jpgをダウンロード (鯉沼堰堤の古木拡大画像)

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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