08B_身辺雑記(田舎老人徒然草)
Feed

2010年1月 3日 (日)

エポケー

2010/1/3

エポケー

哲学と言うと何か別世界のように感じてしまう。物事をつきつめて考えるのは人間の習性なのかもしれない。しかし、哲学などは大抵の人が敬遠してしまう。

高校の頃、吉田兼好が誰かに何か質問をしたが、答えられなくなったという事を徒然草に書いているのを読んだ事があるのを思い出した。

自分の幼少時に母に発した質問に、「かーちゃん、太陽は火かい、月は水かい。」というのがあったと母から聞いた記憶が残っている。そのような、質問を受けた大人は当惑して何とかその場をしのごうとする。大人に難問を投げかけた子供も大人の態度に失望して、同じ質問は憚るようになり、結局前の大人のような大人になる。

高校の頃、ベルグソンの笑いという薄い岩波文庫を電車の中で読んだ記憶がある。哲学者であるベルグソンと笑いというテーマの結びつきに興味があった。安くて携帯に便利というのが選書の第一理由であった。日本ならば謹厳居士である哲学者が笑いについて書く事もなかろうと、安直、皮肉な考えもあった。内容は既に忘れたが、著者のサービスなのか入り口近くに少しは笑える部分があった。

最近では、笑いを研究する学会が出来たようでそれなりに笑いの研究の意義があるのだろう。哲学とはあるテーマに関して未知の分野を解明する作業といえるのではないか。これは哲学でござるといった所でその哲学は終焉している。

当然笑いについても突き詰めれば未知の分野が広がっている。残念ながら、人間の生きた精神作用を解明するためには、生きた精神作用を利用する以外に方法がない。ドリルの歯をつくるのにドリルが使えるのか。

東京スカイツリーの建設も自分が築いた足場の上で作業して一歩ずつ前進する。しかし、何らかの事情でその工程が進められない場合が生じる。そんな場合、一時停止、休止して括弧に入れておくことをエポケーと言うらしい事を知った。

何事も行き詰まる事は無いとはいえない。しかし、行き詰まって、悪あがきするよりも、一時停止・一服して、反省、レビュー、再評価、検証等のやり直しをすると意外にうまくゆく場合があるようだ。

括弧、括弧と何重にも括弧でくくって来た人生。捨てないで良かったと思うものもあるだろう。そんな括弧を少しでも取り払ってつん読の古本でもじっくり読んでみたい。

そういえば、本日は遠方の旧友から電話をもらった。うれしい。昨年退職したが、今後はマイペースで働きたいという事であった。一方、近所の同級生の訃報を聞いた。まだ、そんな年齢でもないのにと残念に思う。

*************************
追記(2017/10/24):整形、再読、印象;

Googleにてキーワード「東京スカイツリー」で本サイト内を検索

Googleにてキーワード「笑い」で本サイト内を検索

*************************

2010/1/3

エポケー

哲学と言うと何か別世界のように感じてしまう。物事をつきつめて考えるのは人間の習性な

のかもしれない。しかし、哲学などは大抵の人が敬遠してしまう。高校の頃、吉田兼好が誰か

に何か質問をしたが、答えられなくなったという事を徒然草に書いているのを読んだ事がある

のを思い出した。自分の幼少時に母に発した質問に、「かーちゃん、太陽は火かい、月は水

かい。」というのがあったと母から聞いた記憶が残っている。そのような、質問を受けた大人

は当惑して何とかその場をしのごうとする。大人に難問を投げかけた子供も大人の態度に失

望して、同じ質問は憚るようになり、結局前の大人のような大人になる。高校の頃、ベルグソ

ンの笑いという薄い岩波文庫を電車の中で読んだ記憶がある。哲学者であるベルグソンと笑

いというテーマの結びつきに興味があった。安くて携帯に便利というのが選書の第一理由で

あった。日本ならば謹厳居士である哲学者が笑いについて書く事もなかろうと、安直、皮肉な

考えもあった。内容は既に忘れたが、著者のサービスなのか入り口近くに少しは笑える部分

があった。最近では、笑いを研究する学会が出来たようでそれなりに笑いの研究の意義があ

るのだろう。哲学とはあるテーマに関して未知の分野を解明する作業といえるのではない

か。これは哲学でござるといった所でその哲学は終焉している。当然笑いについても突き詰

めれば未知の分野が広がっている。残念ながら、人間の生きた精神作用を解明するために

は、生きた精神作用を利用する以外に方法がない。ドリルの歯をつくるのにドリルが使える

のか。東京スカイツリーの建設も自分が築いた足場の上で作業して一歩ずつ前進する。しか

し、何らかの事情でその工程が進められない場合が生じる。そんな場合、一時停止、休止し

て括弧に入れておくことをエポケーと言うらしい事を知った。何事も行き詰まる事は無いとは

いえない。しかし、行き詰まって、悪あがきするよりも、一時停止・一服して、反省、レビュー、

再評価、検証等のやり直しをすると意外にうまくゆく場合があるようだ。括弧、括弧と何重に

も括弧でくくって来た人生。捨てないで良かったと思うものもあるだろう。そんな括弧を少しで

も取り払ってつん読の古本でもじっくり読んでみたい。そういえば、本日は遠方の旧友から

電話をもらった。うれしい。昨年退職したが、今後はマイペースで働きたいという事であった。

一方、近所の同級生の訃報を聞いた。まだ、そんな年齢でもないのにと残念に思う。

2010年1月 2日 (土)

記憶と記録

2010/1/2

記憶と記録

ブログを書き始めて一年半程度になった。自分の記憶に残っているささいな事の備忘録のように感じる。記憶を海に浮かんだ氷山にたとえれば、海面以下に多くの記憶が眠っているのかもしれない。これを上手に読み出す方法があるのか。

ブログ画面の片隅に検索機能があるのに最近気付いた。古墳に関しては、少し興味があるがあるのでこのキーワードで検索したら10件程度ヒットした。それなら記憶はどうかと検索すると数えたくない位多い。

ともかく、記憶というもやもやしたものも文字という記号に変換してしまうとコンピュータの扱えるデータになってしまう。ともかく、人間の頭脳に蓄えられた記憶も多くの細胞が仕事をした結果が蓄えられているに過ぎない。それを何らかの手段で掘り起こすのが記憶の読み出しだ。

この読み出しの確実度は消滅過程という時間との勝負である。それを何らかの読み出し可能な形に固定する事が記録なのかも知れない。古墳も古代人が残した記録かもしれない。残念だが現代人はそれを読む能力が減退してしまったのかもしれない。

文字列で作られた今日の記録も未来の人類が十分に読みとれるか不明だ。それは今でも言えることかもしれない。現在作られつつある記録も捨てられずに拾い上げられたものが運良く残っただけのようでもある。

日々衰えつつある記憶力。いつダウンするか不安のあるセレロン400Mの老骨パソコン。室温7℃の正月早朝、油ぎれのようなファンかCD-ROMか、FDか、メカ部分のきしむ音を発しつつ無事立ち上がった。本体が暖まったのかこのきしみ音もおさまる。

パソコンの中のデータを調べると、中古パソコンとして我が家に来たのが2004年頃だ。買い換え等で既にその頃見放されたパソコンだろう。このパソコンも最近では何か自分の分身のような感じがしないでもない。与えられたブログスペースはまだ1%以下しか使っていない。このスペースが老骨パソコンの外部記憶のようにも感じる。

まだまだ捨てた物ではないのかも知れない。ひょっとしたら、まだ使われていない能力がこの老骨パソコンの中で眠っているのかも知れない。それは自分自身にも通じることかもしれない。

*************************
追記(2017/10/24):整形と再読と印象
現在のノートパソコンのCPUはX86-based PC、x64 Family 6 GenuineIntel ~1067 Mhzのようで、メモリー2Gを積んでいる。2004年頃から現在まで、パソコンは何代も代わった。森友学園、加計学園問題等々で、国家と役人・政治家は記憶と記録を残そう・公開しようとする努力を完全に放棄したかに見える。まさに痴呆大国日本の出現だ。過去の記憶も記録も無い国家・人物等は想像する事さえできなくなる。同様に完全無欠もあり得ない。現在、BLOG使用可能容量の3/4程度が未使用で残っている。
*************************

2010/1/2

記憶と記録

ブログを書き始めて一年半程度になった。自分の記憶に残っているささいな事の備忘録のよ

うに感じる。記憶を海に浮かんだ氷山にたとえれば、海面以下に多くの記憶が眠っているの

かもしれない。これを上手に読み出す方法があるのか。ブログ画面の片隅に検索機能があ

るのに最近気付いた。古墳に関しては、少し興味があるがあるのでこのキーワードで検索し

たら10件程度ヒットした。それなら記憶はどうかと検索すると数えたくない位多い。ともかく、

記憶というもやもやしたものも文字という記号に変換してしまうとコンピュータの扱えるデータ

になってしまう。ともかく、人間の頭脳に蓄えられた記憶も多くの細胞が仕事をした結果が蓄

えられているに過ぎない。それを何らかの手段で掘り起こすのが記憶の読み出しだ。この読

み出しの確実度は消滅過程という時間との勝負である。それを何らかの読み出し可能な形

に固定する事が記録なのかも知れない。古墳も古代人が残した記録かもしれない。残念だ

が現代人はそれを読む能力が減退してしまったのかもしれない。文字列で作られた今日の

記録も未来の人類が十分に読みとれるか不明だ。それは今でも言えることかもしれない。現

在作られつつある記録も捨てられずに拾い上げられたものが運良く残っただけのようでもあ

る。日々衰えつつある記憶力。いつダウンするか不安のあるセレロン400Mの老骨パソコ

ン。室温7℃の正月早朝、油ぎれのようなファンかCD-ROMか、FDか、メカ部分のきしむ音

を発しつつ無事立ち上がった。本体が暖まったのかこのきしみ音もおさまる。パソコンの中の

データを調べると、中古パソコンとして我が家に来たのが2004年頃だ。買い換え等で既にそ

の頃見放されたパソコンだろう。このパソコンも最近では何か自分の分身のような感じがしな

いでもない。与えられたブログスペースはまだ1%以下しか使っていない。このスペースが老

骨パソコンの外部記憶のようにも感じる。まだまだ捨てた物ではないのかも知れない。ひょっ

としたら、まだ使われていない能力がこの老骨パソコンの中で眠っているのかも知れない。そ

れは自分自身にも通じることかもしれない。

2009年12月30日 (水)

屋根登り

2009/12/30

屋根登り

高いところに登りたくなるのは本能的な部分もあるのだろうか。最も身近な高所と言えば、木

や屋根であろう。昔は木登りと言えば子供の遊びで、登るのに丁度良い木も多かった。幼少

の頃に屋根に登った記憶はない。青年になって以後、無線のワイヤアンテナを張ったり、

UHFのアンテナを設置する為に屋根に登った記憶がある。しかし、登ったのは平屋部分だけ

であった。屋根の上で作業をするので、転落を注意しつつ登ったのは言うまでもない。家を新

築した時に上棟式をやるが、その時施主が屋根に上がって祈願をするとの事で、棟梁に二

階の屋根に登らされた。仮設的な足場しかないすけすけの高所なので、しゃがみ込んで立つ

こともできないくらい怖い経験であった。怖い物見たさのついでで、用事が済んでからちょっと

だけ遠方を眺めて直ぐに降りた。地面に降りてようやくほっとする。そんな体験をしていたが、

ある時自分の子供が友達と三人で二階屋根の天辺でしゃがんで景色を眺めているのを発見

したときはびっくりした。下から大声で叱ったら、動揺して危険な事態が想定されたので平静

を装って危ないから直ぐ降りろと声をかけた。こんな事が一、二回あったが、それ以後はなっ

かたようだ。無事に済んでほっと胸を撫で下ろした。建物の構造を良く検討したら、二回のベ

ランダから一階部分の屋根に出て、そこから二回へはい上がったようだ。二階の屋根によじ

登れるだけの高低差があったようだ。この高低差は一階の屋根に登ってから気付いたのか

もしれない。なぜ登ったのか問いつめてはいないが、好奇心、冒険心があったのであろう。三

人寄れば文殊の知恵と言われるが、こういう場合は確かに三人の情報を共有して、役割や、

上り下りの順序を決めてチームワークをしていたと思われる。従って、一人の場合より安全

性は高かったかもしれない。逆に一人だけでは二階の屋根に登ろうという気持ちも起こらな

いとも思われる。二人ならば、おれとおまえの世界であるが、三人ならば集団の世界である。

危険ではあるが、それを乗り越える体験をグループで無意識に行っていたかも知れない。

これから恒例の餅つきをする。

2009年12月29日 (火)

痛み

2009/12/29

痛み

人間誰しも大きな痛みを体験したことがあると思う。何らかの慢性的な痛みを抱えている人も

多い。その痛みが極大に達したときにショックで気を失ったりするのであろうか。痛みが生体

の防御機構である限り、痛覚を失うと生存を脅かす方向に行動が進む。逆に、行動を矯正す

る為に痛みが利用される。刑罰、体罰はその例であろう。ところが、戦争で手足を失った人

が、その手足が痛いと訴えることがある事を本で読んだ事がある。痛みが、記憶と関係して

いることもあるようだ。卑近な例では、胃を全摘した人が、胃が痛いと言ったという話を聞い

たことがある。ともかく痛みの基本は痛みの原因になる刺激や物質があり、それを細胞が感

知し、その信号を脳に送る事により感じるというメカニズムがある。しかし、痛みのデータを定

量的に測定する事が可能なのか。採血時に注射針を刺される痛みはほとんどの人が体験し

ているであろう。この時に痛さは、自分の緊張度とか採血者の技量により変わるような印象

がある。会社に入社したての頃、スキーで転倒して肩を打ち外傷は無かった、痛みが長期間

残った。身体には大きな痛みを感じた傷跡もいくつかある。しかしその怪我をした時の状況

の記憶は薄れつつある。結局、痛みは目先の危機に対策できればその大きな目的は達した

事になるのであろう。記憶にインプットしておくのは一種の学習効果で、再発への対処を狙っ

たものなのかもしれない。もはや、その学習効果も不要になればその記憶を捨てても生体に

とっては未練はないのかもしれない。逆に痛みを感じる程度に応じて活力がある証拠ではな

いか。もう一度自分の痛みが発信しているメッセージを解読してみたい。

2009年12月16日 (水)

生老病死

2009/12/16

生老病死

人生の四苦と言われる生老病死に関するネット上の情報はどの位あるか気になってGoogle

でヒット数を調べてみた。やはり生と死の比率が高い。老と病は意外に低い。相対的に老と

病の比重は生死の比重より低いという事か。こういう数字にどの位意味があるかわからない

が、興味があるデータとも言える。

生 に一致する日本語のページ 約 34,800,000 件中 1 - 20 件目 (0.42 秒)
老 に一致する日本語のページ 約 3,170,000 件中 1 - 20 件目 (0.11 秒)
病 に一致する日本語のページ 約 14,300,000 件中 1 - 20 件目 (0.48 秒)
死 に一致する日本語のページ 約 15,700,000 件中 1 - 20 件目 (0.31 秒)
生 老 病 死 に一致する日本語のページ 約 501,000 件中 1 - 20 件目 (0.36 秒)
生老病死 に一致する日本語のページ 約 242,000 件中 1 - 20 件目 (0.11 秒)
生老病死苦 に一致する日本語のページ 約 14,400 件中 1 - 20 件目 (0.28 秒)

生きる に一致する日本語のページ 約 19,400,000 件中 1 - 20 件目 (0.48 秒)
老いる に一致する日本語のページ 約 2,810,000 件中 1 - 20 件目 (0.42 秒)
病む に一致する日本語のページ 約 374,000 件中 1 - 20 件目 (0.49 秒)
死ぬ に一致する日本語のページ 約 13,700,000 件中 1 - 20 件目 (0.37 秒)

    ヒット数               %
生 34,800,000           51.19905841
老 3,170,000            4.663822275
病 14,300,000           21.03869354
死 15,700,000           23.09842578
SUM= 67,970,000

        ヒット数            %
生きる 19,400,000         53.46709293
老いる 2,810,000          7.744460368
病む 374,000             1.030757359
死ぬ 13,700,000          37.75768934
SUM= 36,284,000

ともかく、生きることに過半の重さがあるようだ。生の裏返しが老病死なのかもしれない。

老病死も生あってのもの。老病死は生の一面に過ぎないと思いたい。

2009年9月13日 (日)

戒名と院号

2009/9/13

戒名と院号

葬儀の時に気になる事だ。しかし、その意味を生活の中で考える事は少ないのではないか。

それを授かるのは故人であるので戒名と院号も生存者は余り実感が伴わないのであろう。

会社で壁につき当たった時に実用書を読むとともかく相手や場所や時を変えろというアドバ

イスがあった。確かに、自分が束縛されていた条件から飛び出すと何にとらわれていたか客

観的に見える場合がある。駄目な上司が最早打つ手無しで相手に出来なくなった場合はそ

の上司の上司がいるではないか。名前を変えるのも同じ様な意味合いがあるようだ。新しく

名前を変え、または名前を貰って再出発すれば良いではないか。自分自身は唯一で変えら

れない。しかし、名前は幾つも持てる。意識を変えれば良いのだ。生前、自分の名前が気に

入らないので名前を変える人もいるようだ。そんなに勝手に変えさせてくれない。衆人から本

名が忘れられるくらいまで自分の希望する名前で通すのだ。そうすれば社会生活上、その人

の名前がその名前であると定着する。実名を本当に変えるのは公的な手続きが必要になる

ようだが、名前を変えるべく生前に努力すればそれがかなうのも事実だ。戒名と院号も自然

に付いてくるかもしれない。ともかく、芸事や修業事で名前を貰う事や自分がハンドルネーム

や筆名を名乗るのも実名以外の活動を想定するためであろう。即ち意識の仕切直ししている

様に思われる。実名で全ての事ができればそれ以上の名前は必要でないように思われる。

しかし、生死を分かつ時、ここでも価値の仕切直しが行われる。戒名と院号もそれをいかに

理解するのかいかに生かすかでその意味が変わるのであろう。

2009年5月20日 (水)

春蘭

2009/5/20

春蘭

モミジの木の株本に黄緑色の小さな花が咲いていた。余り目立つような花ではない。しかし、

気付いてみると捨てがたい花でもあった。自生してる花だと早とちりして植え替えてしまった。

ところが、それは父がそこに植えた物だと分かり再度植え戻した。その花は春蘭であった

が、由来は聞き忘れた。趣味と言うほどでもなく道楽で植えた物のようだ。小さな道楽でも生

活に潤いを与えればそれでよいだろう。ともかく少しずつ株が増えているようである。当面は

手を加えずに自然に任せようと思っている。

2009年5月 2日 (土)

竹藪は鳥のねぐら

2009/5/2

竹藪は鳥のねぐら

竹は農業資材としてかっては多くの用途があった。養蚕具としても、竹かご等に使われた。竹

に代わって、プラスティック、鉄等が安価に使えるようになると竹の用途は激減した。結局、

竹を使わなくなる事に対応して竹藪の効用もなくなり竹藪も激減している。戦時中は我が家で

は防空壕を竹藪の下に作った。その残骸を見たことを思い出す。いつしか、その防空壕も姿

を消した。今では、七夕、竹とんぼ作り等にときたま竹の需要があるだけだ。唯一、毎年の一

回の楽しみが筍の収穫である。最近気付いたのだが、夕方になると多数のムクドリ、ハト、ス

ズメ等が竹藪に集まってくる。その鳴き声のかしましさが気になるが、暗くなると共に鳴き声

は消えてひっそりする。竹藪は鳥のねぐらに最適なようだ。なぜだろうかと考えた。その一つ

に、竹の枝は細くて、鳥がその枝を掴んでとまることにより身体が安定するのではないか。太

い枝や平面にはとまることは可能だろうが眠るときの姿勢としては不安定なのではないか。

更に竹の幹はつるつるして滑りやすい。従って、鳥を襲う蛇や害獣が登りにくくねぐらとして安

心できるのではなかろうか。鳥から見れば竹藪は毎日使う安心・安全なマイホームであった

わけだ。せいぜい害虫をたべて恩返しをしてもらえると有り難い。からすは竹藪で寝ないよう

だ。別格なのか。その鳥達も春になって巣作りに忙しい。

2009年4月28日 (火)

栴檀の花

2009/4/28

栴檀の花

子供が小さな時にどこかから掘ってきて、庭に小さな木を植えた。何の木か覚えがないが、

子供の気持ちをその木と共に残した。ついに見上げるほどの高さになったとき、樹上に紫色

の花が咲いているのに気付いた。何の木だろうか色々調べた結果栴檀の木であろうというこ

とになった。放置すると庭がふさがれるので上部を切りつめた。材質は軟らかくその分成長

が早いようだ。広辞苑で調べたら薬剤、用具材として使われ、古くは獄門のさらし首の木に使

われたとある。なぜさらし首の木が栴檀なのか。一時使うだけなので何でも良いのではとも思

う。樹勢が強く成長が早く材が軟らかい。材木としての価値はあるようだが、それほどの価値

でもなさそうだ。紫の花のイメージもその理由の一つなのか。ともかく、無価値ではなく、最低

でもないある程度の価値がある用材を使うという刑執行の作法があったと言うことは受刑者

の尊厳に配慮していたという事なのであろうか。田部井村名主宇右衛門も国定忠次郎に連

座して打ち首の刑を受けたことを思い出すと栴檀の花も無駄には咲いていないのであろう。

2009年4月27日 (月)

黒松の羅漢さま

2009/4/27

黒松の羅漢さま

畑の隅や道路脇に黒松が植えられている。四半世紀前に父が赤城山方面から貰ってきた膝

下位の苗が知らないうちに大きくなってしまった。何本もあるので本気に手入れをすると五月

の連休にかかりきりになっても終わらない。脚立の上り下りも大変になった。いっそう根本か

ら切ってしまおうかと思うことも度々ある。しかし、それに逆らう感情も残る。ついに上部を切

りつめて自分の背の高さ程度にして上に伸びるのを押さえた。切り口が目立たないようにそ

の部分は枝葉で隠すようにしている。かつらのような工夫だ。日本的な植木の固定イメージ

からすると衆人の評価はさんざんではある。しかし、自分ではこれを羅漢様を見るような気持

ちで仕立てている。よく見れば一本一本個性があり、首を落とされてもそれにめげずに修業

に励んでいるようでもある。自分と黒松の我慢比べ。生きている居場所さえ有れば良いでは

ないか。だが、手を抜くとかつらはぼうぼうになる。植物の生命力は強い。あるとき近所の人

からあんたの父親から松の接ぎ木を教えてもらったという話を聞いた。垂れ枝の松が接いで

あるというのであった。確かに垂れ下がっている枝もある。この枝が羅漢さんの腕になるか

は分からない。

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2025  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

公開資料

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)