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2009年1月

2009年1月21日 (水)

ノーベル賞講演

2009/1/21

ノーベル賞講演

ついにOBAMA大統領が誕生した。この先米国はどうなるか。日本はどうか。不安と期待が

交錯する。就任式のTV中継は通訳が入って便利なようで不便でもあった。いつか、もう一度

PLAY BACKしてみたい。昨年のノーベル賞の話題も遠い過去のように感じてしまう。そんな

中、リンクか検索かでたどりついたのがノーベル物理学賞受賞者の益川氏のノーベル賞講

演であった。済みませんが、英語を話せませんのでと英語で話してから、日本語の講演に入

った。これは、先生一流の皮肉ではないか。英語が万能ではない。自国語を愛し自国語に誇

りをもつ。その上で外国語を学ぶ。ともかく、外国語コンプレックスを持つより、言いたいこと

を持つ事の方が大切だ。前半のなぜ物理学に志したかについては共感を覚えた。後半の物

理学の部分は難解だ。しかし、青少年にとってこの世の中に分からないことがある事に気付

くだけで大発見ではないか。青少年・一般人も参考になるだろう。世界では日本語を理解で

きる人は少数だろうがこのサイトに有ることが重要だ。以下は講演の紹介とリンク先である。

Toshihide Maskawa delivered his Nobel Lecture on 8 December 2008, at Aula Magna, Stockholm University. He was introduced by Professor Joseph Nordgren, Chairman of the Nobel Committee for Physics. The lecture was delivered in Japanese.

http://nobelprize.org/mediaplayer/index.php?id=1064&view=3

2009年1月20日 (火)

古い記憶の再生

2009/1/20

古い記憶の再生

義経は兄頼朝の疑いを受け、山伏の姿に身をやつし奥州指して落ちて行き、安宅の関

に・・・・・・。母が機嫌の良いときに口ずさんだせりふであった。学校の学芸会か何かがあっ

た時、母がその劇のナレーターをさせられたようである。無声映画の弁士の様であったが、

口ずさんだのは劇のハイライトの極一部であった。間違ったり、とまどってはならないと一心

に暗記したらしい(と今推測している)。ともかく、十代で暗記して八十代までその一部を覚え

ていた。今、母の記憶をプレイバックしてみると、歌舞伎の勧進帳の一場面であったようだ。

天皇の名前は神武、綏靖、安寧、・・・・とこれも代々の名前を丸暗記していた。しかし、代々

の天皇名はいつしか言わなくなった。記憶を保つには常に出し入れした方が良いようだ。D-

RAMや語り部も同じ様な要素をもつようだ。記憶はいつか使うかもしれないために保持され

るようだ。使う必要が無くなれば捨てても良い。頭脳の中に情報として残すのでローコストで

効率的なリユースシステムだ。 自分が文字を読めるようになって、小学校1年の国語の教

科書の最後の部分にあった教材が多分「こぐまのぼうけん」というよみものであった。人里か

らはなれたところにこぐまがすんでいたとうような書き出しであった。何回も読んで少しは暗記

していたのだが、いざ思い出そうとしたら全く出てこないので愕然とした。インターネットで探し

たがまだ巡り会っていない。教科書の目録やライブラリーがるようなのでそれを調べれば手

がかりがつかめるだろう。とりあえず、以下に関連していそうな情報があった。

http://www.school.ikeda.osaka.jp/hatano-es/enkakuphoto/04.html

教科書の「こぐまのぼうけん」を劇にしたのであろうか。当時のなつかしい写真もあった。「こ

ぐまのぼうけん」を読んだ生徒数はかなりあったろう。しかし、古い情報は徐々に散逸してゆ

く。ともかく、再生された古い記憶で人と人のコミュニケーションがとれればその記憶の役割

は果たされたことになるだろう。

2009年1月19日 (月)

女性上司

2009/1/19

女性上司

冷戦の時代に共産圏の国であるポーランドに技術供与する仕事があった。自分は末端の一

担当者に過ぎなかったので、仕事の技術面の説明をさせられた。日本語とポーランド語の通

訳もいなかったので、英語でやりとりすることになった。どちらからから見ても英語は外国語

であったので、意志疎通にはかなり手間取った。時には黒板を使い筆談、身振り手振りを交

えて何とかのりきった。当時、共産圏の国では女性の職場進出が進んでいると言われてい

た。紹介されたとき、女性がマネジャーで、男性技術者が部下であった。これには内心びっり

した。女性の上司を持った男性技術者はやりにくいだろうと思った。今日、男女共同参画とか

で女性の職場進出が進められているようだが、当時でもポーランドでは女性の科学技術分

野への進出は相当進んでいたのであろう。マリー・キュウリーはポーランド生まれフランスの

女性物理学者・化学者。女性数学者ソフィア・コワレフスカヤの父方の祖父がポーランド人等

ポーランドに縁のある著名な女性学者がいる。ちなみに、日本の女性医師の割合は20%未

満。女性研究者の割合は日本11.6%、ポーランド38.1%。出典は下記ホームページ。(http://www.kunikoinoguchi.jp/katsudou/pdf/190609_shiryou.pdf

女性を人的資源と見た場合、日本はその能力活用でまだまだ後進国であるようだ。ともかく

女性の社会進出が進めば多数の男性が女性の上司を持つことになる。やりにくいというよう

な事態では無くなる。

2009年1月18日 (日)

子供駅伝大会で優勝

2009/1/18

子供駅伝大会で優勝

運動の得意でない自分が子供駅伝の選手になって優勝した体験は忘れがたい。自分以外

の駿足の選手が平均値を引き上げてくれたのははっきりしているのであるが、まさか優勝す

るとは予想していなかったのであるから嬉しさは格別であった。当時、子供会という正式の組

織があったのか不明であるが、駅伝の練習などの世話をしてきたおじさんが、今日は優勝し

たので、うまい物を食べさせてやると言って大会の帰りにそば屋に連れていってくれた。何が

出てくるかとわくわくしていたが、ネギナンであった。ともかく、ネギナンとは初めて聞いて初め

て食べた。そもそも、そば屋など入った事がなかった。駅伝の練習は世話のおじさんが自転

車で伴走してくれた。冬の夕方頃の時間である。練習が終わると近くの商店で砂糖湯を飲ま

せてくれた。寒さの中の練習で疲れ、暖かい砂糖湯を飲むのは大変なご馳走であった。こん

んな時代であったから、ネギナンはとびきりのご馳走であった。ともかく、駅伝で優勝するか

否かに関係なく、ボランティアとして子供の世話をしてくれた人がいてくれた事を有り難く思う。

2009年1月17日 (土)

小学校の体罰

2009/1/17

小学校の体罰

本日、阪神淡路大震災14年目を迎えた。入院中の父は関西地方の戦友の消息が気になり

母が必死に連絡をとった。ようやく無事が確認されてほっと一息ついた。その戦友は帝国大

学卒業。父は尋常小学校卒業。天と地の差である。しかし、戦場では学歴の差もなく、同じ釜

の飯を食った戦友の結びつきは強かった。とりわけ、その戦友は戦場で片足を失ったが、そ

れを苦とせず会社の社長まで上り詰めても、ずっと同じ戦友としてのつき合いをしてくれた事

に誇りを持っていた。軍隊という組織の中にあって、戦友とは同じ運命を背負った仲間であ

り、苦楽を共にした体験が戦後も固いつき合い続けた要因であったであろう。

学校の体罰に関しては色々議論がある。教育と言えども、最初は教育ができる状態を作る

必要がある。言葉で生徒を指導できればそれに越したことはないだろう。言葉だけではどうし

てもうまく進まない時に体罰が使われるのであろう。叱ると尻を叩くは教育以前のしつけの問

題かもしれない。体罰はあくまでも不適切な行動の矯正手段であろう。従って、教育の段階で

は叱ると尻を叩くから、諭すと正すという手段を中心にするのが妥当なのかもしれない。これ

を本気で実行するとなると大変根気と手間のかかる仕事になる。自分の小学生時代を振り

返ってみて、殴られたりする暴力的な体罰を受けた記憶はない。宿題を忘れたり、質問に答

えられない時は立たされた事があった。廊下でボール遊びをして窓ガラスを割って叱られた

時もあった。いたずらをした時は罰はもう少し厳しくなり、水の入ったバケツを下げて立たされ

たり、拭き掃除をさせられた。結果論からいえば、自分もなぜそうさせられたか分かったの

で、先生を恨んだり、先生に感謝することもなかった。今から思うと諭すと正すという範囲で寛

大な処置であったかもしれない。場合によれば拳骨の一つ二つはもらう可能性があった。敗

戦直後の教育環境の中で体罰への反省や抑制意識もあったかもしれない。

2009年1月16日 (金)

船流し

2009/1/16

船流し

学校通りに沿ってコンクリートの側溝があり、船流しをして遊びながら学校へ行った。小学生

の頃であった。流したのはどこにもある、木片の類である。友達数名で流れる早さを競った。

ゴミなどに阻止されて船が止まってしまうと石を投げつけて動かす。ともかく木片一つで片道

の通学時間の間遊べたのである。今日側溝はコンクリートのふたでふさがれておりそこに水

が流れているのも気付かないのではないか。最近、水利の仕事をして知ったのであるがこの

側溝は防火用水も兼ねており、灌漑用の用水路から取水して通年水を流しているとのことで

あった。

2009年1月15日 (木)

INVISIBLE MAN

20009/1/15

INVISIBLE MAN

もうじきOBAMA大統領が誕生する。アメリカの歴史が大きく変わろうとしている。アメリカとい

う大きなるつぼの中で沸々と煮えたぎっているのは何か。大学の英語の講義の教科書が

INVISIBLE MANという小説であった。タイトルは辛うじて思い出したのだが、中身の詳細は

ほとんど覚えていない。何か、暗い、陰鬱なイメージのみが残っていた。辞書にも載っていな

いスラングが多く出てきた。どうして、こんな内容の小説を教材に使うのかとも思った。しか

し、本当の文学とはこういうものかとも思った。黒人が自分の存在を訴え叫んでいることは伝

わってきた。「INVISIBLE MAN」を素直に訳せば「見えない人間」ということであろう。正式な

題名は「Invisible Man 」のようだ。タイトルに著者の思いが込められている。末尾の文献で記

憶を新たにしつつ、当時の事を振り返えった。本は薄く小さなものだった。しかし、進むのは

遅かったように思う。難解であった。最後まで終わったのかも定かでない。本が出版されて1

0数年後のことなので当時から見れば新しい現代黒人文学であったろう。先生がこの作品を

工学部の英語の講義テキストに選んだのもそれなりの判断があったのだろうと今になって思

う。それこそ、人間はパンのみに生きるにあらずという箴言に通じるところもあったろう。君た

ちがこういう作品に二度と出会うことはないかもしれない。今になって先生の気持ちを推察す

る。先生自身はこの作品の意義をもっと深いところで理解していたことでろう。「Invisible

Man 」は白人から見れば自分たちは見えない人間に過ぎないが、そのような人種差別を見

えない人間である自分を通して表現して行く作品であったようだ。今日アメリカの歴史は意外

に早く回転し始めたように感じられる。あの大きなるつぼから発酵して生み出されてくるもの

は何か。受験英語で疲れ果てお義理で受講した英語の講義であった。気合いが入っていな

かったのがよかったのか。先生も生徒に余り期待することがなかったのがよかったのか。

「Invisible Man 」に遭遇し、その記憶がよみがえった。今まさに、「Invisible Man 」が

「Visible Man 」に変身しつつあるのであろうか。

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総合政策研究(Journal of Policy Studies)No.18 総合政策学部開設10周年記念号

マーク N. ベル Mark N. Bell
関西学院大学 総合政策学部 外国人常勤講師 (2004年11月1日現在)
Associate Lecturer of English, School of Policy Studies, Kwansei Gakuin University (as of November 1, 2004)

Title Racism and Redemption(解放): Wisdom from Invisible Man 
Abstract

Invisible Man (1952), by the African-American writer Ralph Ellison (1914-1994), is one of the most remarkable novels of the twentieth century. Ellison, by giving us an aesthetic (審美的な)vision of America’s misadventure (不運、災難)in race relations, opens us up to see it in a new way and perhaps to consider more deeply some of its more difficult realities, the wholesale (大規模)subjugation(征服) of an entire group who arrived with some of the first settlers to Jamestown, Virginia (early seventeenth century). Through Ellison’s aesthetic we can also see more clearly some of the sources of racism.

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2009年1月14日 (水)

牛の鼻取り。20090114。

2009/1/14

牛の鼻取り

農業の世界に動力機が入ってきたのは革命的な進歩であったと思う。それ以前はすべて人

力か家畜の力に頼っていた。稲作の田植えの前には田を耕す必要がある。この作業を

いう農具を牛にひかせる事により行った。牛の鼻には10㎝位の真鍮製の輪がはめられてお

り、この輪に麻の綱を結び、更に竹の棒を取り付ける。この綱と棒を使って牛を耕したい方

向に誘導するのである。これは、主として子供の仕事であり、牛の鼻取りと言った。が通る

と土が片側に寄せられるので、牛の向きが逆転するときに鍬の刃の向きを変更する必要が

ある。これは牛の鼻取りよりも技術と体力が必要であった。最初の頃は父が鍬の運転、自分

が鼻取りという組み合わせであった。大きくなってからは、弟が鼻取り、自分が鍬の運転とい

う組み合わせになった。その後は耕耘機が入り、畜力による耕耘もなくなった。農耕用の牛

は黒の和牛であった。農家は牛も飼っていたのだが、機械化になり牛もいなくなった。馬力で

表すと人間は0.25馬力位、小型耕耘機で数馬力、トラクターで10~数十馬力程度。持続

可能な農業を考えると動力機は化石燃料を消費続けるので、家畜の有用性はある筈だ。し

かし、総合的な評価は不明である。価値観を変えない限り元には戻らないだろう。

追記(2020/05/17):タイトルに投稿期日を挿入。アクセスランキング二位入った。10年以上前の記事を読んでくれる人がいたのだ。読者に感謝。読者の年齢層を想像する。それも記事を書いたおまけのようで楽しい。先日、我が家の田んぼを見ると綺麗に耕耘されていた。跡取り息子がサラリーマンになり農業をしなかったので、父は稲作を諦め田んぼの耕作をトラクターを所有している農家に委託した。それが正解だったと思うが、どこか寂しげであった。牛の鼻取りをしたのは小学生の頃だったろう。田植えはまさに人海戦術であった。毎年、新潟地方の人が出稼ぎで田植えを応援してくれた。その応援部隊が来る前に田植えの準備を済ませておく必要があった。この記事では鋤(すき)と鍬(くわ)を混同している。牛の鼻取り、鋤の運転、歩行型の耕耘機の運転までは何とかこなせた。将来必要になるだろうと中古の旧型トラクターを買ったが一度も使った事が無い。馬力のある農機事故で死ぬ人がいるのだ。水田に水を引かず耕起してから田植え前に水を引き、もう一度代掻きという作業を行う。農具は鋤から鉄の刃が付いた大きな櫛のような物に変える。名前は忘れた。調べたら馬鍬(まぐわ・まんが)というらし。代掻きが終わると、植え易いように束ねた苗を田んぼに散らした。これも子供の仕事だった。当地区では6月頃から田植えが始まる。これは水利と気候との関係があるようだ。溜池、用水路の管理も必要だ。昔の用水路は土の堀だったので大変だった。現在は三面コンクリートになって楽になったが、共同作業で後継者がいない農家は生涯現役を想定せざるを得ない。2020年5月17日(日)のアクセスランキングを以下に貼り付けておく。

Googleでキーワード「代掻き 農具 牛馬」を画像検索(https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BB%A3%E6%8E%BB%E3%81%8D%E3%80%80%E8%BE%B2%E5%85%B7%E3%80%80%E7%89%9B%E9%A6%AC&hl=ja&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=)。

2020年5月17日(日)

2009年1月13日 (火)

「赤土への執念」を読んで

2009/1/13

「赤土への執念」を読んで

2008年大晦日に古本市で出会った本が、相沢忠洋(1926年6月21日 - 1989年5月22日)

著「赤土への執念」であった。早速読ませて頂いた。遠い過去の遺物が何を語っているの

か。それを語ってくれるものを必死に求めた。その思いを「赤土への執念」という本のタイトル

に込めたのであろう。同時に次ぎに何を探求するかを示している。旧石器時代の人骨。残る

可能性は極めて小さいがゼロではない。発見されることを待っている旧石器時代の人骨がど

こかに眠っているかもしれない。ともかく、夢をみるのも個性である。その夢を語ってようやく

現実的な意識の対象になる。石器はそれを使った人類がいたという間接的な証拠である。石

器と人骨が揃って出土すればそれこそ大発見であろう。考古学の世界に捏造事件が発覚し

て考古学の氷河期が来た。捏造は他の世界にも及んだ。功をあせる必要はない。遠い古代

の姿を想像し胸をときめかせるのは誰にも自由なのである。科学が進んだ現在人骨に代わ

る証拠を探す可能性は皆無なのであろうか。ともかく不確かな過去の事を考え始めると際限

が無くなる。今年は相沢忠洋氏没後20年となるようだ。同氏の夢を誰かがかなえる時は皆

無ではないだろう。情熱と執念がそれを可能にするのであろう。

2009年1月12日 (月)

とっかん屋

2009/1/12

とっかん屋

幼少の頃、ポップコーンを作るとっかん屋が回ってきた。どうして、ポップコーンができるのか

不思議なのだが、ドカンーという音がするのでとっかん屋と呼んだようだ。鋼鉄のがっちりした

円筒形の容器にトウモロコシの実をいれて容器を回転しながら火であぶる。ポップコーンにな

る頃を見計らって、容器の出口を金網の筒に向けて一気に開くときにドカンーという音ととも

にポップコーンが飛び出してくる。容器はハンドルを持って回転させるのだが、ポップコーン

がもらえるので子供達が手伝った。とっかん屋はポップコーンの加工賃をもらう商売であった

ようだが、商売という点に関しては何の記憶もない。米でも同じような加工をしたらしい。甘み

は人工甘味料のサッカリンを使ったのではないかと思う。砂糖も菓子も高価で、自宅にある

材料を加工してもらった方が割安だったので、このような商売が成り立ったのであろう。生活

が豊かになるととっかん屋も来なくなった。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)