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2009年9月

2009年9月30日 (水)

半導体の教科書

2009/9/30

半導体の教科書

大学で電磁気学を講義された教授の自著である。やや専門的なトランジスタについての知識

ははこの本で学んだと思う。一種の入門書であるが、自著を講義のテキストに使える先生は

多くはなかった。トランジスタ専門書としてはショックレーの 「Electrons and holes in

semiconductors, with applications to transistor electronics」がこの分野のバイブルといえる

だろう。訳本を手に入れてあるが、未だに積ん読くである。教授は当時としては色々な分野で

活躍をされており、講義より脱線の方を楽しんだ。トランジスタの講義はすれすれでパスさせ

て頂いた。これで人生の大半飯を食わせて頂いたのも不思議な縁ではある。そのなかで、自

分の父親は内村鑑三門下のクリスチャンであったと話された。マルクス云々という話しも聞い

て、父子の関係に興味を持った。宗教と理工系は関係が薄いと感じたが、教授がなぜ理工

の道に進まれたかの話はなかったように思う。自分の信じる道を歩んだのだろうか。同じ時

代を生きている身近な人にはそのバトンタッチの様子は極当たり前で、改めて言う必要がな

いかもしれないし、常々言っているので言う必要もないかもしれない。最近、世襲の問題に関

心が集まっているが、頭から世襲を否定する理由もないだろう。生物がDNAという形で自分

が辿ってきた筋道を次世代に伝えている事にはそれ相当の理由があるだろう。人間も家族と

いう枠組みで世代を超えて色々なものを伝えている。物や権利等は数世代で変質してしまう

だろう。やはり、伝えられれるべきは生き方、仕事の仕方、いわば家訓のようなソフトの部類

になるのではないか。

2009年9月29日 (火)

折伏教典

2009/9/29

折伏教典

大学の頃だったろうか、かつての友人が我が家を訪れた。どうも宗教がらみであったようだ。

折伏教典という本を示されたと記憶している。大学に入り、受験勉強から解放されて、ふと来

し方行く末を思うとなにがしかの不安を覚える。大学のキャンパスは学問だけではなく、会社

や宗教等の関係者が暗躍する場所でもあったようだ。当然、前衛的な学生団体も活動してい

た。こちらは、ビラとスピーカーの大音声で一般学生を折伏しようとした。自分は宗教活動に

も学生運動にも共感は出来たが積極的に係わる気持ちがしなかった。親父が汗水流して稼

いでくれた金と奨学金だけでこの四年間の学生時代を送らねばならないと考えると当時のノ

ンポリが自然の選択であった。今自分がやるべき事があるのである。自分の理想としては大

学とは講義や実験も普通の人間に無料で開放される事である。皆さん自由に入って下さい。

暴力と喧噪はお断りです。大学は健全な知的バトルの場です。自由に論争・研究・学問をし

て下さい云々。しかし、現実の大学は象牙に塔にもなれず、算盤の上に乗っているような危う

い存在だ。今日も学園紛争時代と同様に大学が活力と目的を失いかけているようにも思わ

れる。青年層の人口が減る。大卒のレッテルもかつて程の効能が薄れた。学ぶ事への疑

問。それなら信じてしまえ。しかし、学ぶことの第一歩は疑うことから始まる。信じる事に迷う

事はあった。キリスト教では無教会派の矢内原忠雄、南原繁に興味を抱いた事もあった。し

かし、宗教と信仰は別物であろう。まだ結論が出ていない。施設、組織、規律という外的な見

える要因が宗教にはつきまとうがそういうものは誰にでも見えるが、誰にも見えないか、極少

ない人にしか見えないものもある。そう言う、どうでもよさそうな事も一人の人間にとっては無

上のものかもしれない。そのような人の心を思うこともなく、これが最高の真理だと押し売りさ

れるのはうんざりである。当時、その団体の選挙運動が自転車とメガホンであったのを思い

出した。それと同じ様な運動を昨今の大政党がやっている。小さいことは良いことだ。原点に

返ることはもっと良いことなのかもしれない。

2009年9月28日 (月)

生命の起源

2009/9/28

生命の起源

これは永遠の謎かもしれない。しかし、人間の頭脳がそういう回答が得られないかもしれない

問題を発見してしまったのだ。自分の親、祖父母、曾祖父母と一つ一つ歴史を遡ると家系が

見えてくる。その先に氏族、民族、人類、原人云々。種の起源も生命の起源の一里塚であっ

た。その先に、動物や植物の起源。細胞やウイルスの起源。最終段階になると生命と物質

の境界が曖昧になる。さらにつきつめると、物質自体にも歴史がある。単純な構造から複雑

な構造に時間的に不可逆的な変化が起こった。結局、生命とは不可逆な物質の変化の集積

としてとらえられることになる。生命の起源で思い出すのがオパーリン。オパーリンが生命の

起源に関して著作を始めたのが1920年代。1957年に『地球上の生命の起源』、1966年に

『生命の起源-生命の生成と初期の発展』を出版。コアセルベートという細胞に似た物質に

興味を覚えた。オパーリンは弁証法的唯物論の信奉者であったとのことであるが、オパーリ

ンの生命の起源も壮大な仮説であったようだ。論理学も究極的には頭脳の正しい使い方を

研究する学問に過ぎない。日本人は生命を論じると理より情に傾きやすいようだ。能動、受

動と二分したとき理は能動、情は受動の要素が多いだろう。残念だが、思考の武器を研かな

かったのが日本人の欠点であり、教育の欠点でもあったのかもしれない。ミラーが原始大気

の中で放電を行い生命の構成要素となる有機物の合成実験を初めて行ったのが1953年の

ことであったとか。人工的に生命を作ろうとする努力の始まりでもあった。生命現象は地球上

だけにあるのではないらしい。逆に宇宙には色々な生命現象の可能性が有りそうだ。仮説を

世に問うのは勇気が要るかもしれない。しかし、仮説は実験の足場を与える。足場が崩れた

らやりなおせば良い。ともかく、自分が生きた時代に生命の理解が大きく進んだ。細かいこと

が分かると更に謎も深まる。その謎解きが人間の興味を引きつける原点だ。

2009年9月27日 (日)

バルクハウゼン

20009/9/27

バルクハウゼン

自分が電気工学を学んだ時代が丁度、強電から弱電の分野が発展する時であった。電子工

学が新しい分野として大学でも教えられるようになった。しかし、真空管を中心にした技術は

最盛期から衰退期に向かっていた。そんな中で思い出したのがバルクハウゼンという人名。

真空管の授業か真空管の本で出合った名前だったと思う。いかにもドイツ人らしい名前なの

で記憶に残っていたのかもしれない。関連図書は探せばどこかにあるかもしれない。Google

で二つのキーワードで検索してみた。バルクハウゼン 真空管 に一致する日本語のページ

95 件中 1 - 95 件目 (0.25 秒) 。BARKHAUSEN VACUUM TUBU の検索結果 約 5,300

件中 1 - 20 件目 (0.08 秒) 。日本語では、たったの95件がヒットしたのみである。もう、完全

に過去の歴史になっているようである。しかし、超高周波電波の発振、レーダー技術(電波兵

器)という関連で日本の電波技術とも関連があった事を新たに知った。近代戦の主力が大艦

巨砲の軍備より機動性の良い航空機に移った。そこで敵機を早期に発見するにはレーダー

技術が不可欠である。これは今日でも全く同じ状況であろう。飛行機が飛翔体といわれるミ

サイルや衛星にまで拡大されているのが実状だろう。日本の軍事研究は敗戦が明らかにな

った時点で破棄されたり、それに従事した研究者も詳細を公表していないと思われる。大き

な時代の流れの中でぽっかりと歴史の空白が出来ているのかもしれない。これは、今日の企

業研究でも同じような事がいえるのかもしれない。何かの機会にぽつりぽつりと化石のように

現れてくるかもしれない。科学も事件も研究、そうして極論すれば何事も、その現場や当事者

の体験、証言等は知る機会は極一部に限られる。過去に向かってアンテナを広げるようだ

が、それを探して拾い上げる以外の方法がない。

2009年9月26日 (土)

ハードルの高さ

2009/9/26

ハードルの高さ

大学時代から、科学史や技術史に関心を持った。科学や技術の領域でもある出来事、発

明・発見等が為される場合、その時代の必然性があるように感じる。電子技術も、真空管や

トランジスタの発明も、それに先行する真空中の現象、固体中の現象を解明する科学や技

術が基礎となっている。当然、そのような現象を合理的に説明するには仮説を立てることが

有効な手段となる。大学では余り人気があったようではなかったが、一般教養で科学史の講

義を受けたように思う。その中で仮説という概念に触れたのではないかと思う。ある人から、

その人の友人が、ある作物を誰もが予想しない冬に栽培して、営業的にも成功したという話

を聞いた事があった。しかし、テレビに出演してその種を明かしてしまった。そうしたら、直ぐ

にライバルが多数出現して、翌年には過当競争に陥ってしまった。頭がイイのと商売は別だ

よという落ちが付いていた。確かに、だれもやらなかった事をやるためには仮説をたて、実験

をして、実用化の筋道を立てたのだろうと思う。本当に新規で実用性が大きな発明は特許や

実用新案で発明者の権利を守る事ができる。種苗についても特許と同じ様な制度がある。そ

のような制度に該当しないノウハウもある。ともかく、自分の努力を無駄にしないためにはそ

れを自分で守らなければならない。低いハードルでも、それを何段にも重ねる事により、簡単

に乗り越えられない高いハードルにする事が出来る。老舗が生き残っているのは、ハードとソ

フトの技術の積み重ねという財産に守られているからであろう。技術としては本質的ではな

く、本にすると抜け落ちるような小さなノウハウがいたる所にある。従って、本を読んだだけで

うまく行く場合は少ない。何事も本当に成功するためには試行錯誤して身につけたノウハウ

が必要なようだ。

2009年9月25日 (金)

作業仮説

2009/9/25

作業仮説

何か根拠がはっきりしない状態で仕事をせざるを得ない場合がある。漫然としていると同じ

失敗を何度も繰り返す事になる。科学の領域でもある不確かな現象や問題を解明、解決す

るために仮説をたてる。実験によりそれが仮説通りであると検証されれば正しい知識・真理

となる。ともかく仮説というのも一種の知的な道具である。科学の領域で有効な道具なので、

それ以外の分野でも有効であろう。なにかにチャレンジする場合、色々な方法が考えられ

る。しかし、どのような方法があるのか分からない。その方法を探すのに手当たり次第、虱潰

しという方法もある。しかし、それでは効率が悪い。そのような場合、何かの仮説を立てる。も

し、その仮説が実験で誤っている分かれば、別の仮説を作る。そのような多くの仮説と実験

を詳細に検討すると獲物がどの辺にいるかが掴めてくる。ともかく、そこに到る方法がはっき

りしない場合は誰でもなんらかの仮説を立てて行動しているだろう。かくれんぼで誰が何処に

隠れているかを探すのも同じ様な場合だろう。重要なのは自分が仮説を立てて行動している

と十分意識して行動することである。そうすることにより、より効率的な仮説を立てる能力が

向上するのではないか。当然ながら、○○を実現する方法は無いという怠惰な仮説は弁明

にすぎない。○○を実現する方法は必ずあるという仮説はチャレンジするに値するだろう。最

近、「悪魔の証明」という言葉に遭遇した。○○があると証明するのは○○の内容によるが

一般に難しい問題であるらしい。難しければ難しいほど人間の挑戦を誘うのも事実だ。○○

はかならず有る筈だと○○を探し続けている人が多くいるだろう。ともかく、小さな事でも自分

が予想した通りになると大変うれしい。

2009年9月24日 (木)

酸性・アルカリ性食品

2009/9/24

酸性・アルカリ性食品

一時期、酸性・アルカリ性食品という分類が流行っていた事があった。最近、このような分類

がもてはやされていないので気になっていた。調べてみるとこういう二分法は医学的なデータ

が乏しく一種の仮説に過ぎなかったようだ。世の中にはこういう例は非常に多いように思う。

なかなか人体で、確証できるまで実験をする事が難しい。従って疫学的な研究法等の統計的

な方法に頼らざるを得ない。しかし、統計現象は一つの現れた結果の傾向を表すがその原

因を表していない。同じ原因であっても結果が違えば、かならず反例がある事になる。喫煙

が健康に良いか悪いか等も突き詰めるともやもやしたものを感じる。医者だけれど喫煙して

いるが元気だという反例が必ず出てくる。自然は、完全に白黒と言い切れない現象が多いの

ではないか。同じ現象でも白く見える場合もあり、黒く見える場合もある。当然灰色に見える

場合もある。どれを取るかを価値観とすると価値観の幅がかなり大きいのが何を食べるかと

いう問題だろう。完全に白、完全に黒だけを選べれば勝ち負けで差が出るのだろうか。白と

いわれる物だけを選んでいても、それが科学的に黒だと分かると非常なリスクをおかしてい

たという事になりかねない。結局、凡人は両極端の中間を選ぶのが無難という事になるよう

だ。何をたべたら良いか悩むのは贅沢な悩みかも知れない。特に健康、ダイエット等のテー

マとなると諸説紛々で声が大きい方が勝つという実状ではある。俺はその手には乗らないと

いう覚悟で地道に実践する以外にない。一番確実な食べ物は人類が長い歴史の中で食べ

続けてきた自然の中でとれた食物であるに違いない。食べ方は、自分の食べ方の信念を一

生の間実践して、成功した人に学ぶ以外にない。長い期間には、価値観自体が変わってしま

うのだから目先だけの説には信頼が置けないと言うべきであろう。

2009年9月23日 (水)

プリンター

2009/9/23

プリンター

パソコンの周辺機と言えばそのNO1はプリンターかもしれない。パソコンに取り込むことも可

能かも知れないが余り合理的ではない。パソコンと付かず離れずの関係を保っている。プリ

ンターのメーカーも一時はパソコンを手がけたが、ほとんど撤退しているのが実状だろう。パ

ソコンすら、そのパーツは得意な専業メーカーがある。結局、パソコン産業も車と同じで分業

体制で成り立っている。しかも、技術の進歩の早い業界である。個人的にプリンターを使えな

い場合はフロッピーでデータを持ち出して、他人のプリンターを借用した事もある。個人がプ

リンターを手軽に買うことが出来るようになったのも技術と競争のおかげであったろう。プリン

ターは平面である紙の上に文字等を書き出す装置なので、必ず縦横に印字部を動かす機構

部分がある。人間はこれを手でやってしまうからただである。プリンター技術の主要な進歩は

筆記具の筆先の部分にあった。ここに企業の独創性が現れ、特許で固められてしまう。従っ

て、プリンターのインクは特許料を払っているような値段になる。本体は損しても安く、消耗品

のインクで稼ぐという方式が定着した。インクも古いタイプの入手が少しずつ困難になり、本

体の買い換えを無言で促す。いわば、使い捨ての典型的なビジネスモデルでもある。これ

が、個人ならば節約精神が少しは働くが、会社や官庁はどうであろうか。かつて、会社の環

境運動でプリンター用紙の何パーセント削減とかを目標にした事を思い出した。トイレットペ

ーパーの削減と同じ感覚しかなかった。イチイチ使用現場をチェックできない。また、人間に

はどうも紙に印字してみないと安心できない習性がついてしまっているようだ。一番確実なの

はプリンターと紙を入り口で削減することだ。プリンターは部長席だけに置く。用紙の購入は

半減するetc。不便にして、不足させる事だ。

2009年9月22日 (火)

AXパソコン

2009/9/22

AXパソコン

業界初AX仕様パソコン「MBC-17Jシリーズ」の出荷開始が1988年2月。SEGAのIBMパ

ソコン(テラドライブ)の発売が1991年5月発売。AX仕様はIBM-PC互換機の仕様にに日本

語表示機能を搭載した業界団体の仕様。IBM-PC互換機の仕様はオープン(無償)で解放さ

れていたので、その上に日本語環境を構築したようだ。開発コストを抑える効果は大きかっ

たであろう。当時、すでにNECのPC-9800が業界の首位を占め、その他組がPC業界参入

に結束したのがAXパソコンであったようだ。漢字表示は1990年に日本IBMが開発した「IBM

DOSバージョンJ4.0/V」(DOS/Vの元祖)でサポートされた。AXパソコンの理想は素晴らしか

ったが、現実の方が厳しく、急激に変わってしまった。AX協議会(1987/10発足)の副会長に

就任した中原紀博士の謦咳に接し、今その理想を追想している。今日の日本のパソコン標

準はDOS/Vの系統である。結局、AXパソコンは主流になれず、消えていった。ともかく、パソ

コンの標準入力であるキーボードの漢字入力の段階でFEPにお世話になり面倒な操作が要

求される。もっとも、FEPの発明は実用的には偉大な発明であったと思う。パソコンの文字入

力で、かつての漢字タイプライターの操作を要求されたならばパソコン人口は激減して、知的

生産力で欧米等の表音文字系原語に対抗できなかった事であろう。仮名漢字変換は日本語

ワープロの基本技術でパソコンの漢字入力より一歩先行していたようだ。見方を変えれば、

日本語ワープロは日本語処理の専用パソコンであった。その機能が汎用パソコンで可能に

なれば、二重投資は不要になる。そのような技術の胎動は既に20年も前に始まっていた訳

だ。ちなみに、業界最後のワープロとなったシャープの書院シリーズの第一号機は1981年

(昭和56年)に発売され、2003年9月末に生産中止となったらしい。22年の製品寿命であっ

た。

2009年9月21日 (月)

SEGAのIBMパソコン

2009/9/21

SEGAのIBMパソコン

パソコンは情報化時代の申し子であった。それが既に斜陽化が始まっているような雰囲気を

感じる。価格を見るとどん底まで落ちているようだ。昔のMSXパソコンがたどったような風景

が見られる。ハードは家電店に沢山並んだ。パソコン関係の書籍はどこの書店にも溢れてい

た。ところが、最近パソコン関係の売場面積が縮小しているような感じを受けている。商売の

基本は利幅が大きい物、数が多いものが優先するのが原則だ。パソコンは外の何かにその

地位が奪われかけているいるようだ。ともかくIBM-PCが主流になろうとしたとき、ゲーム器メ

ーカーのSEGAがIBM-PC互換機を売り出した。IBMのOEMらしかったので、本当のIBMパソ

コンでもあった。SEGAはこのIBM-PCというプラットホームの上でゲーム関連の商売を計画

したのであろう。それがどの程度成功したか定かではない。しかし、ゲームの世界では後手

にまわたっら致命的である。そこで他社の力を借りてでもともかく自社ブランドの商品を出し

たのであろう。どういう経緯かSEGAのIBM-PCの相棒のCRTモニターが我が家に残ってい

る。多分本体と別に我が家に紛れ込んできたのだろう。IBM-PCの市場からは本家のIBMも

すでに去ってしまっている。情報機器から家電商品になった商品は多い。パソコンもその典

型であったようだ。IBMはパソコンから撤退した時すでにそれを見抜いてパソコン事業を高値

のときに売り払ってしまった。さすがにこれはビジネスの天才の思い切りの良さを示した好事

例であろう。

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みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

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嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)