核シェルター。20091012。
2009/10/12
核シェルター
キューバ危機はソ連が核ミサイルをキューバに配備する問題で生じ、1962年10月15日から
13日間続いた、米ソ間の冷戦に起因する最大の核戦争の危機であった。ケネディ大統領の
演説を朝日ソノラマで聞いた記憶がある。1960年8月アメリカのアイゼンハワー大統領がキ
ューバへの経済封鎖を行い、翌1961年4月にはジョン・F・ケネディ大統領がキューバ侵攻作
戦を認可した。5月1日にカストロはキューバ革命の社会主義革命化を宣言した。今年はチ
ェ・ゲバラの映画を見て、改めて当時の記憶を思い出した。この冷戦のさなかに、キューバで
チェ・ゲバラがカストロと働いていた事はほとんど知らなかった。チェ・ゲバラを知るようになっ
たのはチェ・ゲバラが死亡し、その果たせぬ夢が世界に知られるようになってからであった。
冷戦構造はキューバ危機以来相当の期間続いた。万一、核戦争になった場合の生き残りの
ために、核シェルターが日本でも売り出されたのを覚えている。ひょっとすると、日本でも核シ
ェルターを作った民間人がいるのではないかと思う。それほど、核戦争が現実性のある危機
となっていた。残念ながら核シェルターは庶民の手が届くものでは無かったし、放射能を含む
死の灰はいくら核シェルターと言えども防ぎようがなかったであろう。その後、世界は冷戦の
雪解けに向かったが、核保有国は着実に増加した。核拡散防止の国際世論が世界の核保
有国を中心に広がった。しかし、核拡散防止だけでは、列強の核支配の現実は変わらない。
米国のオバマ大統領へのノーベル平和賞授与が決まったという。賛否両論があるようで、複
雑な心境になる人もいると思う。ノーベル賞が戦争と平和の諸刃の刃となるダイナマイトに基
礎を置いていることを考えると、民間の平和運動、核兵器廃絶、核技術の平和利用という方
面を重視すべきであったとも思われる。
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追記(20223/05/29):タイトルの後に投稿期日を追加。核戦争の危機を感じた頃、核シェルターになる地下室を作ろうかと考えた事がある。東日本大震災・東北三大災害で放射線問題が現実になり核シェルターは現実的で無いと実感した。核物質が飛散すれば全ての生活が破壊されてしまう。