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2009年11月

2009年11月20日 (金)

おもちゃのプリズム

おもちゃのプリズム

理科の工作で万華鏡を作った記憶がある。この装置は前方の入光口から入った光が筒の

中間の物体の影響を受けつつ鏡に反射して後方の出光口から出てくるのを見る装置だ。鏡

の長板を使ったのだろうか。透明ガラスに紙を貼って鏡の代用にしたような気もするが定か

でない。普段見慣れない規則的な画像を見ると感動を覚えた。はっきり覚えていないがその

万華鏡の改造なのか、プリズムも作ったような記憶がある。そこで、Googleで検索:「板ガラ

ス 水 三角 プリズム 作り方 子供 実験 工作 虹 色 おもちゃ 感動 昔」に一致する

日本語のページ 7 件中 1 - 7 件目 (0.07 秒) 。期待する情報はヒットしなかった。

入れたキーワードをコピペして残して、再利用。透明な長方形の板ガラスを三角に組んでそ

の中に水を満たしておもちゃのプリズムを子供の頃作ったような記憶がある。作り方は誰

何かの本からか学んだものと思う。プリズムは胴体の側面から光を入れて別の面から出てく

る光を観察する装置である。現象的には光の屈析であるが、おもちゃのプリズムによる簡単

実験でも、虹色を作る事ができた。やはり、自分で工作したおもちゃがちゃんと動いたときは

動する。そんな昔の遊びを思い出した。しかし、自然の光が色々な成分から成り立っていると

いう事は理解できるが、このような現象の本質は何かという追求心がそこで停滞してしまい、

大方の子供は理科から物理という領域にまで進まないで終わるのであろう。自分も光の分光

解析が物理の最先端の量子力学等の基礎になっていたという事を知ったのは高校、大学頃

になってからであった。子供のころ夜空を眺めていると叔父さんがあの星々はお互いに引っ

張り合っているのだよと教えてもらった事を覚えている。万有引力の事であった。これも物理

の基本的な問題であった。先生はどこにでもいるのかもしれない。

追記(2014/1/14):
サイト内でキーワード「寝言老人が幼少の頃」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E5%AF%9D%E8%A8%80%E8%80%81%E4%BA%BA%E3%81%8C%E5%B9%BC%E5%B0%91%E3%81%AE%E9%A0%83%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。


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2009年11月19日 (木)

ブール代数

2009/11/19

ブール代数

大学から入社数年間の頃に学んだ事があった。コンピュータやデジタル回路は単純な論理

回路を積み上げて構成されている。論理回路も記号論理学の論理式で表す事ができる。そ

んな訳で、自分の仕事はアナログ電子回路が中心であったが、デジタル回路を専門にする

若手社員と一緒にブール代数等の勉強会をした事があった。厚い本を買ったが、その導入

部が終わった頃に勉強会も終わってしまった。しかし、テキストが手元にありその導入部を時

間を掛けて勉強しておけば、必要な部分は後からでも何とか手がかりが得られるものであ

る。ロジック用の集積回路を使って何とか生産用の測定器を作る事が出来たのもこういう勉

強が基礎になっていたのかもしれない。当時のロジック用集積回路はTTLという方式であり、

製造プロセスはバイポーラであり、アナログICと同じであり、内部回路も何とか理解できた。

ロジック回路のウエイトが高くなった時に採用したのがBi-CMOSであった。アナログ部がバイ

ポーラプロセス、デジタル部がCMOSプロセスであった。このデジタル部の設計はほとんど

CADで行われるのであったが、当時はBi-CMOSプロセスに対応するCADの能力が不十分

であった。従って、CMOS部門のCADからデータ等を移転してもらって全体設計をした。丁度

その時に自分のグループにCMOSを担当していた技術者がいたのでそれらの人には仕事を

の枠を越えて協力して頂いた。ともかく、初めての仕事をする場合は色々なお膳立てが必要

である。それに続く人々にはその辛さもそれを克服した嬉しさも少なくなるのだろう。現在は

畑の土いじり等をしているのだが、現役時代にはよくあんな事ができたなと思ったりする。

2009年11月18日 (水)

パンドラの箱

2009/11/18

パンドラの箱

小学校頃の国語の教科書の教材であったと思う。これを劇にして、箱から色々な悪役が飛び

出したような記憶がある。WIKIPEDIAによると、ギリシャ神話の一つであるようだ。パンドーラ

は人類に災いをもたらす為に、神が作らせた女性。女性が災いの本であるとは皮肉な神話

ではある。パンドラの箱とはその災いの象徴のように思われる。神々は開いてはいけないと

と因縁を含めて、中身の分からない箱をパンドーラに与えたのである。これは人間の心理の

裏をつき興味をそそる設定ではある。鶴の恩返しの昔話を思い出す。見てはいけないと言わ

れるとつい見たくなる。開けてはならぬと言われれば開けたくなるのが人情だ。禁止はするが

箱の中身は教えない。結局、誘惑に負けて箱を開けてしまう。リンゴを食べてしまう。障子を

開けてしまう。ブスを舐めてしまう。同じようなパターンかもしれない。その箱からでてきたの

が色々な災い。劇から考えると箱の大きさは人間が入れるこおり程の大きさと思っていた

が、女性の持つ手箱程度の大きさのように描かれていた。災いは抽象的なもので箱も正体

を隠すシンボルに過ぎないのだから大きさにこだわる事もないだろう。箱を開けたら災いが

外に逃げ出してしまった。その事に気づいて蓋を閉めたら既に手遅れで、箱の中に残ったの

は希望であった。希望が災いであるならば開けるなという趣旨と矛盾するように思う。箱の中

に希望を幽閉したというのも納得できない。最後に箱の中に残った一片は何かという議論に

は興味がある。しかし、それが何かを詮索するよりも、災いのもとになる多くの要因が人間世

界に氾濫して、それが人間を誘惑しているという事であろうか。ギリシャ神話は本来現世肯定

的であり、教条的な解釈が加わったのは後世になってからであるという見方があったように

思う。希望が手箱の中に残っているから安心しなさいという説話ととるか開けてはならないと

言うからには中には何か好ましいことがあるぞという想像話ととるか。結果は箱を開けてしま

った。神話から現実の人間世界の話に戻ったのである。希望という妄想に捕らわれるな。現

実を直視し、災いはいたる所にあるがそれを避けて現実を享受せよという見方も成り立つ。

一方、災いの為に遣わされたパンドーラ、そのパンドーラに与えられた災いの予感の詰まっ

た箱の中の一片を残して飛び去ったという事はパンドーラに残された災いは最後の一片だけ

という見方もできる。即ち、パンドーラは箱を開いた事により、娑婆世界には多くの災いがあ

るが、心(箱)の中から見れば大方の災いから解放されたととれないか。この最後の一片と

は希望なのか絶望なのか興味が湧く。ともかく、箱は開けるためにある。謎は箱を完全に開

ければ解ける。しかし、一度開かれた箱は既に閉じられている。最後の一片は人間に残され

た謎かもしれない。

2009年11月17日 (火)

柱時計

2009/11/17

柱時計

チクタク、チクタク、ボーン、ボーン。柱時計の記憶は年輩者の誰にもあるであろう。自分も我

が家の柱時計のゼンマイ巻きの当番をした事がある。所が、そのゼンマイの固定部分のビ

スが緩んで、ゼンマイが巻けないようになりその時計が引退した。捨てるのは忍びないので

どこかに保管してあると思う。ゼンマイの代わりに電磁石でエネルギーを供給する電気時計

への改造記事を何かの雑誌で見た記憶もある。柱時計の身代わりに何がなったかはっきり

覚えていない。多分、ゼンマイ式の目覚まし時計であったろう。これは分解して壊した記憶が

ある。その次の時計は電気時計であったと思う。家庭に来ている交流の周波数を計測して時

刻表示をさせた物である。モーター式と電子式があったようだ。電子式は専用集積回路があ

り、ロングセラーICでもあった。時計の精度は電力会社の提供する交流の周波数精度で制

限される。水晶の圧電効果を使用したクォーツ時計の出現で時計の精度は大幅に向上し

た。1958年にセイコーがクォーツを使った放送局用時計の商品化に成功し、これを小型化し

たクォーツ時計が1964年の東京オリンピックのマラソンの走行タイムの計測に使われたとの

事である。クォーツ時計の普及が進んだのは東京オリンピック以降となろう。今日ではそのク

ォーツ時計が1000円程度で買える日用品になってしまった。更に実用上ほとんど誤差のな

い電波時計もクォーツクロック並になりつつある。電波時計用の集積回路は一種のラジオ受

信機である。その動作が極微量の電流で可能になっているのも驚異である。自分がテレビ以

外の集積回路の分野に転進したのが腕時計にラジオを詰め込むようなアプリケーションの仕

事であった。そうして、現役を離れて退職前に電波時計用の集積回路の販売のサポートの

仕事に従事した。今日でもパソコンにはリアルタイムクロックという時計用の集積回路が搭載

されている。ところが、この時計の精度は余り良くない。インターネット経由で標準時刻に合

わせる事は可能であるが、パソコンのリアルタイムクロックの代わりに電波時計用ICは使え

ないかと置きみやげをしてきた。余り正確すぎるとファイルのタイムスタンプ等が気になり出

す心配も生じるかもしれない。

2009年11月15日 (日)

シリコンサイクル

2009/11/15

シリコンサイクル

景気に山と谷があるがそれを人為的に適正にコントロールする事にはまだ人類は成功して

いないようだ。朝鮮特需は、神武景気、岩戸景気、オリンピック景気、いざなぎ景気、列島改

造景気などと次々に起こった好景気の序章となったと言われるが、そのころ自分は小学生の

頃で好景気の有り難さを余り実感できなかった。特需のあった1950~1955年を振り返ると

確かにこの前半の生活では継ぎの当たった衣類を着た写真が残っているので生活が豊かで

ないことがはっきりしている。後半の生活では豊という実感は無かったがそこそこの生活がで

きていたのではないかと思う。オリンピック景気は、日本における1963年から1964年にかけ

ての好景気をいうらしいが、社会のムードは確かに明るい雰囲気があったように思う。オリン

ピックの招致が国力を反映していると考えれば、日本も国際的な一流国家になったという自

信が持てたのかも知れない。しかし、これも一過性のものであった。一方、半導体業界には

シリコンサイクルという好況が、オリンピックの開催年の四年毎に巡ってくると言われていた。

確かにそのような傾向が何年も続いた。従って、半導体の生産計画を立てるときはシリコン

サイクルの動向を見通して建てていた。当然、オリンピックは毎回開催国が変わるのである

から、半導体の需給がオリンピックに同期して世界的規模で変動した事を示していたと思わ

れる。即ち、当時の日本は世界の半導体需要をまかなう実力のある国であったと思われる。

しかし、半導体の生産能力を有する国が海外にも増加し、供給量が増大するとシリコンサイ

クルの重要性も余り言われなくなってしまったようだ。今日、21世紀の情報化社会を支えてい

るコンピュータ業界にほとんどのCPUを供給しているのがインテル一社になっているのも特

異な事実である。インテルの市場占有率が約80%、ライバルのAMDが約20%。結局アメリカ

勢がほぼ100%のシェアを押さえている。今日では半導体業界はシリコンサイクルとは無縁

になってしまったようだ。これは、一面では半導体の用途が非常に広くなり国際的な大型のイ

ベントに伴う需要さえも全体の需要の極一部に過ぎなくなったという事であろう。これは更に

経済の好況・不況の波の直撃を受けやすくなったという事でもあろう。

2009年11月13日 (金)

フロッピーディスク

2009/11/13

フロッピーディスク

最近では3.5インチ用のフロッピーディスクも影が薄くなった。店頭で探すのも大変になってい

る。他の記録メディアに駆逐されてしまった。コンピュータの記録メディアとして最初の頃に使

われたのがパンチカードであった。このパンチカードは入社直後に使った記憶がある。その

後は8インチのフロッピードライブが、1970年IBMにより開発された。容量は128キロバイトで

あった。最初はパンチカードの代わりに大型コンピュータへのデータ入力用メディアとして利

用され、その後は初期の8ビットや16ビットパソコン用としても1980年代後半まで使われてい

たようだ。会社でも製造や管理のデータ保管用に使っていた。一般の人がフロッピーディスク

を使うようになったのはPC9800やその互換機でFDが使えるようになってからであろう。5.25

インチサイズで雑誌の付録でソフトの配布が行われるようになった。DOS/Vの3.5インチの

FD/FDDの標準化に関してはソニーの貢献が大きかった。ソニーにとって3.5インチの

FD/FDDの標準化の推進は事業としても成功であったと思う。βの教訓が生かされたのであ

ろうか。記録密度はDVDで更に向上し、次世代DVDの規格戦争ではブルーレイ(BD)陣営

対HD-DVD陣営が戦った。結果はソニーと松下が担ぐブルーレイ陣営が勝利し、東芝が同

分野から撤退を発表した。東芝はHD DVD事業の終息についてという2008年2月19日付け

のニュースリリースで、当社は、これまでHD DVD規格に基づいたプレーヤー及びレコーダ

ーのグローバルな事業を展開してまいりましたが、本年初頭の大幅な事業環境の変化に際

し、今後の事業戦略を総合的に検討した結果、同事業を終息することを決定いたしましたと

発表した。戦争の傷跡が余りに深く広汎に及ばない時期における撤退という判断にはそれな

りの意義はあるだろう。デファクトであろうとなかろうと規格は争って決めるべきなのか協調し

て決めるべきなのか。競争が無くなれば技術の進歩も無くなるのか。まだまだ、考えさせられ

る事が多い。

2009年11月12日 (木)

高原学校

2009/11/12

高原学校

小学生か中学生の頃か定かでない記憶である。学校行事で榛名高原学校での合宿訓練が

あり、榛名湖でカッターボートを漕いだことを覚えている。何人乗りボートか覚えていないがか

なりの人数が乗れたと思う。広い海や湖に出た経験はほとんど無かったのでこの訓練の記

憶は今でも残っているのだと思う。広さは開放感を与えるが、なんとなく不安も与える。やは

り、船の転覆等で水中に投げ出された時の事をそれとなく心配することも一因である。当時、

湖に漕ぎだしたとき救命胴衣を付けていたのか全く思い出せない。飛行機に乗る時も同じよ

うな不安を味わう。飛行機の場合は乗務員が救命胴衣の使用法等を説明するので尚更危

機感を覚える。自動車のシートベルトの着用も全く同じ目的で着用するのであるがこちらはま

ったく習慣ボケをしているようだ。危険の確率は海や空より陸の方がはるかに高い。級友と

の宿泊も初めての経験であった。皆が寝付く前に枕投げ遊びをして先生にお目玉をくらっ

た。榛名高原学校は集団行動の良き訓練であったのであろう。榛名高原学校を検索してみ

たら「こちら榛名山の榛名湖畔西側には群馬県内の小中学生は必ず一度は学校で「高原学

校」として合宿訓練に連れてこられる「榛名高原学校」こと財団法人榛名高原体育センターが

あります。群馬県教育委員会が指導する教育施設で、児童生徒の合宿・宿泊訓練・研修活

動に使われています。」と紹介されていた。現在も小中学生の課外訓練に使われているよう

だ。そうすると、県民のほとんどがこの訓練を体験しているのではないかと思われる。数十年

の見えざる輝かしい実績を持つ教育企画ではあると思う。どのような契機でこのような企画

が生まれたのか興味が湧いた。

2009年11月11日 (水)

竹スキー

2009/11/11

竹スキー

運動の好き嫌いに個人差がある。この個人差の原因も色々ある。結局、突き詰めれば有限

な人生の時間の配分の問題になってしまうのかも知れない。好きなことにはそこに金や時間

もより多くを投入する。嫌いな事はその逆である。子供の頃は降雪量も結構多かった。竹藪

の竹が雪で曲がり、ついにその竹が雪の重さに絶えられなくなり音を立てて割れた事もあっ

たように思う。従って雪遊びもいろいろやった。その一つが竹スキー。青だけを二つに割り、

スキーもどきの遊具を作ってそれで滑った。そのスキー作りは父親がしてくれたのか、手伝っ

てくれるかしたように思う。場所が平坦地なのでスポーツスキーのような滑り方はできない。

単なる雪遊びに近かったと思う。本当のスキーをはいたのは、高校生になってからである。ス

キー用具を買った記憶は無いので、スキーに行くときはレンタルで間に合わせた。このよう

な、自分のスキー体験を思い出すと、成り行き任せでどちらかと言うとスキー嫌いに属するの

か。子供達にそんな思いをさせたくないと家族でスキー場に行った事もあった。リフトに乗る

までもなく傾斜がゆるい場所ですべっただけだったが何とか一日を楽しめたと思う。ある人に

子供をスキー好きにさせる方法を聞いたことがある。天気の良い日に連れて行き楽しい体験

をさせる事が大事だそうだ。そうすれば、スキーは楽しい物だと思いもう一度行きたくなる。そ

れが重なれば自然にスキーが好きになり、技術も上達するようになるとのことだ。天気が悪

いとそれだけでうんざりで嫌いになってしまう。習い事を始める時の初期条件の重要性を教

えてくれた。これは、スキー以外の事にも通用すると思う。高齢になってからスキーを始めた

人もいるようだ。スキーにこだわることも無いだろうが、60の手習いで新しい事にチャレンジ

する事にも意義があると思う。

2009年11月10日 (火)

算数の教科書

2009/11/10

算数の教科書

小学校時代の算数の教科書について思い出そうとしたが、残念ながらほとんど思い出せな

かった。表紙は極単調で藍色であったように思う。その隅に出版社や著者名が記載されてい

た筈である。数学教育に関しては小倉金之助の著作をかじったことがある。同氏が終戦後の

教科書に関係していたか自分としてはまだ分かっていない。ともかく数学教育の在り方に関し

ては大きな影響を与えているのではないか。次ぎに思い出したのが矢野 健太郎であった。

一般の数学書でもお世話になった。自分が小学生時代の前半にあった期間で算数の教科

書検索をして、数学者として名前を識別できた方々は、辻 正次、 戸田 清、吉田 洋一、弥永

昌吉、矢野 健太郎、清水 辰次郎、末綱 恕一、丸山 儀四郎、森戸 辰男、秋月 康夫等であ

った。森戸 辰男は政治家、教育者としての活動で思い出されたようだ。奨学金制度の日本

育英会の会長であったと知った。この奨学金制度があったので何とか大学を卒業できたので

あった。社会人になってから10年かけて貸与された奨学金の返還が終わってようやく社会へ

のお返しができたと肩の荷を降ろした思いがした。 『零の発見―数学の生い立ち』吉田洋一

著岩波書店は高校時代の必読書の100冊の本の一冊であったと思う。ともかく、戦後の算数

教科書に錚々たる数学者が多数参画されていた事実は、これらの数学者が日本の教育に

大きな夢と期待をかけた事実をも示しているのではないかと思う。理工系の学問には数学の

知識は重要ではあるが、それが絶対に必要であるとも言えないであろう。ようするに何事も

論理的な思考ができるようになればよいのであろう。一般人にとっては、数学も論理的な思

考の訓練になればかなりの役割を果たした事になると思う。

2009年11月 9日 (月)

造反有理

2009/11/9

造反有理

1968年8月、中国の文化大革命に際し、毛沢東が言ったという革命無罪、造反有理という言

葉があり、それが日本でも広がったようだ。造反有理の前に革命無罪という言葉があったの

は、今知ったばかりである。中国の偉大な指導者毛沢東がかく言うのであれば、それを行動

で現しても何ら正義に背く事はなかろうと一般大衆は信じた事であろう。文化大革命の実態

にはいくつもの側面があるので、文化大革命全体の歴史的な評価には相当な期間と相当な

労力がかかるであろう。造反有理も意味の広い言葉であろう。<反>はひっくり返す事、裏

返し、こっちに対してあっち、YESに対してNOという意味だろう。<造>は意識的に作る、や

らかすという意味にとれるだろう。<有理>とは理由がある。当時の大学紛争の本当の原因

が何であったのか、自分はいまだはっきり理解できないで居るが、造反有理という言葉に関

係するのも確かだろう。自分たちがNOと言うのには理由があるのだ。しかし、何がNOなの

か。終戦後20年余も経ると社会は安定に向かった。しかし、泥水をかき回したような戦争は

社会のしがらみを分解し、人間を裸のヒトにしてしまった側面もあったと思う。そこにはまた人

間らしい自由、開放感があったと思われる。その一粒毎の泥が沈殿して新しい社会が現れ

そうになった時に、これはおかしいという意識も同時に生じたのではないか。何かはっきり見

えないが許し難い何者かが現れそうになり、それにNOを投げつけたのが当時の世界的な若

者の運動であったのではないか。当時のあの勇ましい造反有理というかけ声が完全に過去

のものになってしまったのか。

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ISESAKI  有情2

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嗚呼 伊勢崎 非情

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)