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2010年11月

2010年11月20日 (土)

雑草句録:落ち葉

2010/11/20

雑草句録:落ち葉

■風吹いて今年最後の落ち葉かな

庭掃除は落ち葉が全部落ち終わってからするようにしている。落ち葉を掃き集めるには湿っている時が良いので、いつ掃き掃除をするかも状況次第。この落ち葉を、手間をかけずに集める方法はあるのか考えてみた事がある。地面に穴を掘り、そこに風で落ち葉が吹き溜まるの待つのはどうか。昔は、母の命令で落ち葉を集めて茗荷の上にばらまいた事があった。確かに、良い茗荷が出来たので落ち葉も役に立っていた。庭木の下の落ち葉等は腐って肥料になるので本当は落ち葉も自然の循環に任せたいのであるが。

2010年11月19日 (金)

雑草句録:剪定枝

2010/11/19

雑草句録:剪定枝

■予報見て燃やし始める剪定枝

剪定枝の処分には頭を悩める。以前は雨がふりそうになってから燃やしていた。当然燃やした後の消火をするのだが、更に降雨でだめおしをする。最近は数年間かけて腐るのを待つようにしている。剪定枝等は圃場から直ちに撤去せよと教えられたのではあるが。

追記1:圃場の剪定枝や作業ごみは細菌や虫やカエル等の生物の越冬場所でもある。これらの生物は当然作物に害を加える物も多い。環境的には燃やすと直接CO2を発生する。葉や小枝は1~2年で腐るが、太枝は数年以上かかる。腐るのを待つとCO2は生物や土壌を循環するので最終的に空中に排出されるまでに色々有用な作用をする。自然農法は興味はあるが、まだまだ疑問も多い。生物の多様性という観点からも圃場のごみの山は宝の山かも知れないが農家にとっては悩ましい問題がたくさんあり過ぎて、日々雑用に追われてしまう。

追記2:夏草も枯れてしまうと非常に燃えやすくなる。かつて、何かの用途で圃場で火を使った。その火が枯れ草に飛び移った。大抵少し燃えて消えるのだが、急に風向きが変わり火が走り出したので、大急ぎで上着で叩き消した。危機一髪で燃え広がらずに済んだ。以来、圃場では夏の蚊取り線香以外火を使わない事にしている。

追記3:冬は火災の多発シーズンだが、垣根にヒバ等の燃えやすい樹木を植えるなと昔聞いた覚えがある。昔は家自体も燃えやすい材料で作られていたので火災に対する配慮を忘れなかったのだろう。火災予防といえば、最近は消防車が鐘をならして防火を呼びかけているが、昔は町民が当番制で火の用心と言いながら拍子木を打ちならし町内を回っていた記憶が残っている。

2010年11月18日 (木)

雑草句録:種

2010/11/18

雑草句録:種

■夏草や種にかくれて消えてゆく

一年生の雑草は種を残して枯れて行く。稲や麦は一株せいぜい千粒の種子を付けるだけだが、雑草はその十倍から百倍の種子を残して枯れて行く。種はまさに越冬のためのシェルターのようだ。

追記:あのアメリカセンダングサも花が終わり、種子が軍手や衣類に張り付くようになっている。来年に種子を持ち越した。ヤブガラシの葉も枯れかけているが根を堀上げてみると、もう小さな芽が根のまわりに出ていた。

2010年11月17日 (水)

雑草句録:ノロウイルス

2010/11/17

雑草句録:ノロウイルス

■腹具合ノロウイルスのニュース聞く

ノロウイルスが問題となたったニュースが報じられた頃の作だろう。ちょっと腹具合が悪く感じるとノロウイルスかと疑ったりする。ニュースはその時々の事情で伝えられ方が変わる。大抵、後から思い出すと、ああそう言うこともあったな程度で終わってしまう。ニュースより自分の腹具合の方を大切にしなければならない。

追記:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/11/post-f98d.htmlで日光の杉並木について記した。群馬県では天川大島の松並木はお馴染みであり、車を運転していても自然に現在位置を教えてくれるランドマークになっていると思う。しかし、車社会ではその並木や道路形態が交通渋滞の一因にもなっているようで、拡幅工事が続けられている。最近の東京新聞の記事で、松の大木が移植されると以下のように報道されていた。:「今ある六十四本のうち、来年度は四十三本を移植する。傷んだ八本は伐採し、十三本を現在の場所に残す。移植先は県道の中央分離帯で、最終的に工事の対象外の分と昨年度の移植分を含め、六十八本が残る。」大木を移植する場合、根のある部分の土を落とさずにかつ根を切らずに移植すれば活着する確率は大きくなる筈だが、工事が大変になる。最小限、根や枝を切除するのではないかと思う。移植が成功する事を願う。歴史的な景観は長い年月を経て形成されるので、この松並木が歴史を語る証人として残ることは大きな意義があると思う。
詳細は以下のダミーリンクを参照:クリック後アクセスが失敗するので、wwwwをwwwとwを一つ削除(自分で入力)してアクセス
http://wwww.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20101113/CK2010111302000073.html

2010年11月16日 (火)

雑草句録:降霜

2010/11/16

雑草句録:降霜

■薄着にて降霜を見るクシャミかな

いつ初霜が降るのか知るのは農作業の段取りを決めるのに大切な事なのだが、確実に予測もできない。原始的だが玄関に出て外の様子を見るのが実状だ。降霜が気になる頃は外気温も下がっている。無防備で外に出ると身体はそれなりに応答するようだ。

追記:今朝の室温は12℃程度。最近、安保徹著「病気は自分で治す」を拾い読みした。低体温は身体の不調・病気の原因になると免疫学の立場から説明している。無理せず、しかも寒さにくじけず前向きに生活したい。

パソコンMEMO:
メインパソコンのネットワークが不調でサブパソコンを使っている。置き場所が違うので生活パターンも少し変わっている。SWを入れたが、電源のLEDが点灯しただけで起動しない。再起動しようとSWを押してもSWが切れない。悪い予感がした。二台とも使えなくなったらどうしようかと。試しに電源プラグを一度引き抜いてから再度SWを入れたら無事起動した。これも寒さの影響なのか。CD-ROMとDVD-RAMの両方にDISKが入っていたので起動タイミングの問題で暴走したのか。

2010年11月15日 (月)

科学ニュースに独り言:口蹄疫の大流行。101115。

2010/11/15

科学ニュースに独り言:口蹄疫の大流行

今年、宮崎県で発生した口蹄疫の大流行は現代社会の縮図のように感じた。ようやく、流行の終息が宣言されたが、今後の流行の再発に心配ないのか気になる。

以下はWIKIPEDIA記事の引用である:
WIKIPEDIA(http://ja.wikipedia.org/wiki/2010%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%8F%A3%E8%B9%84%E7%96%AB%E3%81%AE%E6%B5%81%E8%A1%8C)「2010年日本における口蹄疫の流行」(最終更新 2010年11月7日 (日) 00:34 )によると『2010年3月頃発生し、2010年7月4日の終息確認まで、宮崎県で発生した牛、豚、水牛の口蹄疫の流行である。28万8643頭を殺処分した。畜産関連の損失は1400億円、関連損失を950億円とした[1]。宮崎大学の根岸裕孝准教授(地域経済)は年間426億円の損失で3-5年続くとしている[2]。』
尚、口蹄疫に関してはWIKIPEDIA:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E8%B9%84%E7%96%AB

宮崎県のホームページには、「宮崎県における口蹄疫対策の検証に関する中間的な論点整理」が掲載され、論点整理が進められているようだ。ざっと目を通してみたが、鳥インフルエンザが人への感染が懸念され大々的に予防対策が実施されたのに対して口蹄疫は牛・豚等の家畜のみに伝染するとされ予防対策に油断があったように感じる。

独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 動物衛生研究所のホームページ情報によると「韓国における口蹄疫の発生:2010年1月7日韓国で、2002年以来の口蹄疫の発生が確認された(下図)。」「遺伝子解析により流行ウイルスは近年東南アジアおよび中国で流行しているAタイプウイルス*と近縁であると報告された3)。」と報じられている。口蹄疫の流行が世界的な現象ならば世界の現状の把握と対策も必要であったろう。

宮崎県の論点整理では感染ルートの解明に関して、ウィルスの遺伝子解析の記述は見あたらない。国レベルで解析をしていると思うが、感染ルートの推定や対策に必要であるだろう。周知が望まれる。やはり、ウィルス感染に関しては初期対策と感染ルートの封鎖が最も有効だろう。しかし、このウィルスは高速かつ複雑な人や物資の移動に乗って感染するので一度広がると広範な影響が出てしまう。ウィルス対策マニュアルを作り、ウィルスを運搬する可能性のある人や団体に徹底する必要もあるだろう。

宮崎県の論点整理の中に、第三者の視点から口蹄疫対策システムをチェックする必要性が述べられていた。確かに、総合的な対策として常にシステムが最新の状態で稼働するようにシステムを維持しないかぎり効果は期待できない。大騒ぎして、一件落着で、その後は担当者も代わって、システムもぼろぼろになって再発を迎えるのが日本の常態ではないか。今回の大流行は口蹄疫対策システム構築のために貴重な経験になるであろう。定期的なPDCAを廻すシステム監査のような体制を構築するが必要だろう。国、県だけでなく、畜産関係農家や団体にとって対策を行うチャンスかも知れない。

最近、「共生の生態学」 ( 栗原 康著、岩波新書 新赤版 (546))を拾い読みした。牛は反芻動物で、一度食べた草等の食物を反芻し消化するようルーメン胃を持つよう進化して、その中に多数の細菌や微生物が牛と共生していると知った。その細菌や微生物も親牛が子牛を舐めてやるときに親から子牛に伝わるようだと書かれていた。現代では、牛の肥育は牧草より栄養価の高い穀物・動物飼料等が中心になっていると思う。狂牛病もこのような家畜を単なる食肉・牛乳生産工場と捉えることに発生の遠因があるようだ。

それでは、狂牛病ではなく、口蹄疫の場合はどうなのであろう。昔は口蹄疫もそれほど拡大せずに終息できたのであろうか。口蹄疫のウィルスが進入しても動物側の体力や免疫力が強ければ発病に至らなかったのではないか。食肉・牛乳生産工場的な飼育方式で家畜自体の病疫に対する抵抗性は下がっていないのか。口蹄疫の発病区域で、発病しなかった固体がいたのであろうか。もし、そういう固体がいたとすれば、感染した固体とどのような差があったのだろうか。畜舎も合理的に設計されて、ウイルスもスムースに移動できるようになっていないだろうか。考えてみると疑問は色々ある。これは我々人間自体に関する問いでもあるだろう。

追記:殺処分された家畜の種類別頭数内訳の確定情報を探したはっきりしなかった。以下は宮崎県の「口蹄疫からの再生・復興方針」の中に記載された殺処分された家畜の数値である。
県全体頭数         牛               豚             その他
211,608頭        37,412頭      174,132頭         64頭

WIKIPEDIAによると、豚に感染した口蹄疫は感染力が高いとの記述もある。その豚への感染が全体の80%以上というのも考えさせられた。また、濃厚接触した場合は人にも感染するとの記述もあった。宮崎県のホームページには「口蹄疫は、牛、豚等の偶蹄類の動物の病気であり、人に感染することはありません。また、感染した牛肉や牛乳が市場に出回ることはありませんが、仮に感染した牛肉や牛乳を摂取しても人体には影響ありません。」とある。風評被害対策の意味もあると思うが、感染した可能性のある家畜を扱う立場の人間を油断させてしまうおそれがないか心配になった。

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追記(2017/11/12):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
タイトル文字の大きさと色を変更。記事の投稿期日を追加。
今年は、加計学園の獣医学部設置問題が、大きな問題になった。その中で、口蹄疫や鳥インフルエンザ対策に、獣医師が必要だという指摘もあった。伝染病は、人だけでは無く、家畜に関しても、国家や地方自治体レベルで十分対策を行う必要があるだろう。従って、一私立大学に、対策を丸投げしても解決にならないのは、火を見るより明らかではないか。

2010年11月14日 (日)

読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(1)

2010/11/14

読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(1)

高山彦九郎の事を意識的に知ったのは、会社退職の送別会が冠稲荷神社の結婚式場(ティアラグリーンパレス)で行われるので、細谷駅で下車したが、時間があったので、近くの太田市立高山彦九郎記念館にぶらりと入った時であろう。一通り見て、見学の記念にと「高山彦九郎の実像」という本を購入した。拾い読み程度で、その後は書棚の隅に潜んでいた。1993年6月3日あさを社発行のソフトカバーの冊子であった。そのサブタイトルが、前段に「没後200年 混迷の世によみがえる」、後段に「維新を呼んだ 旅の思想家」とあり、高山彦九郎没後200年の記念出版でもあったようで、編集者が末尾にやや長い出版の背景等を記録している。

二十数名の執筆者の中に、歌集「山河哀唱」の著者で歌人の須永義夫氏が「彦九郎 歌と生涯」という題名で7ページの文章を書いているのを最近みつけた。須永義夫氏の意識の中には戦前の青年時代から平成の時代まで高山彦九郎への強い関心があった事がうかがわれた。

その文の冒頭で、須永氏は「彦九郎の生涯を見ると誠実で情熱的な人間が、変革の時代の中でどんな生き方をしたかが解る。単なる二百年回顧でなく、日本人の苦悩として、高山彦九郎正之という人物に焦点を当てて考えてみる必要がある。」と述べて、詳論に入っている。

2010年11月13日 (土)

食べて生きる:伊勢崎発の地域ブランド発掘

2010/11/13

食べて生きる:伊勢崎発の地域ブランド発掘

伊勢崎はこれからどうなるのと心配している伊勢崎人が多いのではないかと思う。食べ物では、焼き饅頭やもんじゃで街興しが進められている。農産物としては、「茂呂の白菜、下植木のネギ」はどうだろうかという提案もあるようだ。伊勢崎の地域ブランドも関心ある人が先ず自分の目で発掘して行く事から成長が始まるのであろう。野菜に関しては伊勢崎市も力を入れるとしているが、これと言った決め手を欠いているのが実状のようだ。

群馬県(当然伊勢崎も)は全国有数の日照時間を誇り、野菜は健康のシンボル。太陽も自然環境のシンボル。最近は、地元の特産だけではなく、特産を生み出す風土や文化という無形の財産を売り出したらどうかと考え始めた。ちなみに、群馬国体(あかぎ国体)「風に向かって走ろう」というスローガンはmade in ISESAKIであった。当時、近所の女子学生さんがこのスローガンを作ったと聞いた記憶がある。風通しが良い風土というのも全国一と思うが、この良い点を生かす必要もあろう。

しかし、市民性とかの無形の財産は抽象的でとかく扱いが難しい。地域産品でアピールするのが具体的で最も合理的ではある。下植木のネギを調べて見たら、ブランド作りにも、長い年月をかけた大変な努力が必要だったようだ。高齢化が進んでブランドの維持が大変なようだが、若い農業高校生が後を引き継いで行くことを期待したいところである。http://wwww.asahi.com/food/news/TKY200811240114.html、(asahi.comへのダミーリンク:クリック後アクセスが失敗するので、wwwwをwwwとwを一つ削除(自分で入力)してアクセス)http://akagiyama1936.kazelog.jp/noramiti/2010/10/post-c621.html等参照。

伊勢崎銘仙がブランドとして確立したのも、当時の産地の乱立・競争・安売り等で品質に対する信頼感が暴落している時に、伊勢崎の業者が団結して高い品質を維持できた事に起因していると聞いたことがある。

健康志向は、女性や若者だけでなく、全年齢層にわたり共通の関心事であり、野菜ジュースには好感があると思う。そこで、伊勢崎名産に野菜ジュースを加えてみたらどうかと思った。頭の中ではニラとトマトのミックスジュースが最強な組み合わせで、ニラトマジュースという名前をつけようと考えている。ニラは定評のあるスタミナ野菜、トマトは美容・健康に相応しい健康野菜。

ニラはJA経由で出荷されているのが多く地元の消費者にも余り知名度は高くないようだが、実は伊勢崎の隠れた名産品。とりあえず、ニラジュースを試作してみた。材料のニラは、某ニラ作り名人からジュース試作用に少々分けてもらった。このニラは有力食品業者の指名買いで市場には出ない逸品との事。数本のニラを数㎝に切り、水と一緒にジューサーに入れるだけで、緑色のおいしそうなニラジュースの完成。

一口飲んでみるとネギやタマネギのような辛さを少し感じるが、ニオイは余り気にならなかった。ところが、...飲んだ後にニラのニオイが少々残った。このニオイもトマトジュースとの混合比を変えれば解決できそう。実は自分が好きなのはトマトの葉や茎の青臭い香り。これもマニア向けジュースになりそうに感じるが...。

ともかく、イベント等では見て、味わって、楽しめる事が大切。お好みに合わせてニラジュースとトマトジュース等のブレンドをジュース・バーテンダーにして注文で作って貰うのも話題作りになりそう。ニラトマジュースは未完成。余り早く完成させずに、想像の楽しさを十分味わいつつ、作る気分がじっくり熟成するのを待つことにする。

健康食品ならマズーイ青汁も人気になるのだから、後は如何に改良・味付けして物語性をもたせるかということになりそう。ニラに限らずほとんどの野菜は生食が可能なので伊勢崎名産の野菜を使ったジュースは前途有望かもしれない。当のニラ作り名人はニラジュースで伊勢崎をアピールしてくれる人には試作用のニラを提供したいと言っていた。

ともかく、ジューサーは大抵の家庭にあっても余り使われない家電製品の一つ。本来、スーパーに並ばない野菜・果物等のB級品をジュースにして飲むのがジューサーのお得な使い方。これならB級グルメにも最適だ。

2010年11月12日 (金)

雑草句録:イチョウの葉

2010/11/12

雑草句録:イチョウの葉

■イチョウの葉コロコロと舞う路上かな

イチョウの葉が色付き落葉するのは落葉樹では遅いほうに属するようだ。街路樹に何を植えるか具体的な指針や法令があるのか分からない。色々な街路樹が色々な場所にあるので、自然や四季の楽しさを体感できるのではないか。江戸時代に作られた杉並木、松並木というのもそれなりの判断で植えられたと思う。人口減少社会に向かってどのような街路樹が必要になるのか。常緑樹も古い葉を落として更新するので注意が必要だ。

追記:杉並木の杉が何を目的に植えられたのかとふと気になったので、日光の杉並木について調べた。「これは Google に保存されている http://www.doboku.shimotsuke.net/nikkousuginamikikaidou.html のキャッシュです。」より引用:『世界に誇る日光杉並木街道は、日光東照宮の造営に由来しています。徳川家康の近臣であった松平正綱によっ て、寛永2年(1625)頃から始まり20年以上の歳月をかけて、約20万本の杉が植えられ、日光東照宮に寄進されたことによって日光杉並木街道が誕生しました。
 この街道は、国際観光都市「日光」に至る日光街道・ 例幣使街道・会津西街道の三つの街道からなり、総延長37㎞ もある並木道です。古いものでは樹齢380年を超える杉の巨木が約12,500本も連なる壮大な並木で、我が国で唯一、特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けており、ギネスブックにも世界最長の並木道として掲載されるなど、本県が誇る貴重な文化遺産です。』とある。

昔のことで、街道沿いに植えておけば、必要なときに容易に切り出して使えるという利点があったと思った。しかし、日光東照宮の造営に由来しているとなるとそう簡単には切り倒せなかったであろう。それ故、今日まで残されてきたのだろうが。当時の旅を考えると、街道を往来する人馬を風雨や直射日光から守る巨大な植物アーケードの役割があったのかもしれない。杉苗も植えるときはせいぜい人の背の高さ前後であろう。杉並木として立派に見えるまでには相当の年月がかかる。そういう事業を決断実行したした人は何を思っていたことだろうか。

2010年11月11日 (木)

雑草句録:花水木

2010/11/11

雑草句録:花水木

■花水木紅葉散って幹を切る

花水木は春の花と秋の紅葉を楽しめる。しかし、観賞できる期間は限られている。我が家の畑には父が植えた花水木の株が相当数ある。

たまたま昭和52年5月5日付けの「明るい農協いせさき」を見る機会があった。その最後のページに農協の各部会のメンバーが掲載されていた。当時は植木部という部会があり、その専門部役員として父の名が庭木部のところに載っていた。これで、我が家の花水木の謎も少し解消した。植木の街といわれる安行に行った話は聞いていたので、その記事から米麦や養蚕に代わる植木の生産販売に取り組む動きがあったように見えた。

我が家の花水木も、かつては街路や公園に植栽されたようだが、もう造園業者からの声がかからなくなってから久しい。しかし、樹木は生長することを止めない。若い苗ならば移植は容易だが、幹が太くなると移植も管理も難しくなる。先々の事を考えて、断腸の思いで数本の株を残して幹を切った。秋の紅葉を見てから。

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  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)