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2011年8月

2011年8月23日 (火)

読みかじりの記:千利休 無言の前衛 赤瀬川原平 著 (1990年 株式会社岩波書店)

2011/8/23
昨日は雨後曇り。機嫌が悪いXP機をだましだまし使っている。おかげで、電源を入れてからWINDOWSが立ち上がるまでの様子がおぼろげながら分かってきた。起動の不調はイベントビューアに記録されていない。パソコンをいじるツールはドライバーとテスター程度しかないのでお手上げだ。

2011/8/22の天気

TAVE= 21.9
TMAX= 25
TMIN= 19.3
DIFF= 5.7
WMAX= 2.7
SUNS= 0.1
RAIN= 17

YOMIURI ONLINEは、「34億年前の岩石から最古の化石?硫黄えさに;url=http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110822-OYT1T00959.htm?from=main7(2011年8月22日22時17分  読売新聞)」というタイトルで、「西オーストラリアの約34億年前の岩石から、地球最古の微生物化石が見つかったと、西オーストラリア大と英オックスフォード大の研究チームが発表した。」、「当時の地球は、酸素がほとんどなく、表面の多くは水温40~50度の海で覆われていた。発見された微生物は、直径約10マイクロ・メートル。グループを作って生息していたとみられる。」と報じた。

生命の起源には謎が多い。その謎解も証拠がなければ科学にならない。地球上の生物が地球上の環境から生まれてきたとする説の他に宇宙から飛来したという説もある。後者は隕石に含まれる有機物質を根拠としている。海で生まれた生命が陸に上がってきたというのが進化の筋道である。海水温が40~50℃とすれば、陸上の温度は更に高いだろう。WIKIPEDIA地球史年表によると地球の誕生が46億年前との事。それから12億年後には初期の生命が生まれたことになりそうだ。40億年前に原始海ができた。意外に速いピッチで生命が現れているように感じる。

読みかじりの記:千利休 無言の前衛 赤瀬川原平 著 (1990年 株式会社岩波書店)

もうふた昔前の本である。お茶などとは生涯関係ないだろう思っていたがとっさの時にどう対応するのだろうとふと考えて手にした。茶と言えば、「茶の本」BOOK OF TEAを高校時代の先生が紹介していたのを思い出す。こちらは岡倉天心の著作。WIKIPEDIAによれば、「岡倉 天心(おかくら てんしん、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、明治期に活躍した思想家で文人、哲学者。本名は覚三(かくぞう)。幼名は角蔵。」、「人物:横浜生まれ。東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献し、日本美術院の創設者としても著名。近代日本における美学研究の開拓者で、英文著作での美術史、美術評論家としての活動、美術家養成といった多岐に渡る啓蒙活動を行い、明治以降に於ける日本美術概念の成立に寄与した。」とあり、美術との関係が深い。

赤瀬川原平も最近「老人力」で知ったが、かつての前衛芸術家とは知らなかった。そのような著者が「利休」という映画のシナリオを書いたのが本書執筆の契機になったようだ。今日の茶道はその名の通り稽古事になっている。田舎物は素性がばれないように作法で身を隠せれば上々だと言う程度の積もりで読み流した。利休と秀吉等は別世界の人物だ。そんの事を思いつつ読むと面白く読めた。特にⅢの「利休の沈黙」が本書の山のようだ。そこには著者が辿ってきた視点が生きているようだ。人間がやること全てに表現者・パフォーマーとしての要素があるだろう。能力を一つの事に集中してパフォーマンスの質を高めるのが表現者の手段の一つだろう。ところが、著者はそのような方式で突っ張っても全然面白くなくなって、色々な方面に活路を求めたのだろうか。利休は魚問屋との事でまさに商人、こちらが本業だったのか。色々な仕事をこなすマルチタレントはなかなか評価が難しそうだ。芸術も文芸も表現も目的とする対象者がいるだろう。そう言う分野は饒舌性は付き物ではないか。無言は一種のパラドックスになる。阿吽の見えないルールが支配する世界。広いようで狭い。「ディーテールへの愛」、「縮小のベクトル」という項も面白い。日本人の縮嗜好を指摘した外国人もいたと思う。茶室をどんどん小さくする。そうすると収容人数も少なくなる。その処理のためパラレルからシリアルに変換する。誰が先に入るのか、誰がどこに座るのか。そこに必然的に序列が生じる。本書もWIKIPEDIAも利休はがっしりとした大男として描いている。また利休は禅にも関係があるらしい。それが小さな茶室で茶事を阿吽の呼吸でやるのだから、茶室はまさにパフォーマンスの式場に見える。自分も集積回路というミクロな世界を相手に仕事をした。回路を結ぶ配線を鉛筆の線に喩えればまさにミクロンの世界だ。しかし、現実に作業しているのは、紙やモニターの上に表されたバーチャルなシンボルを使っていた。数㎜角の集積回路チップの中の世界まで入り込む機会は少ない。不良解析の時は顕微鏡下にミクロンの針先を立てて探った。実はこれも本当の世界ではなさそうだ。回路の動きは電子の動きを見なければ掴めない。でも現実にはそんな暇なことはできない。いま、同じ事を外国人もやっているだろう。物理的に入れ物を小さくすれば入る量も少なくなる。入れる物の大きさが一定ならば。砂や水等を容器に入れる場合は、誰が入れても同じように入るだろう。形が異なる物を一定の容器に入れるのは工夫が要る。こんなところにも個性が出てしまう。部屋という容器、枠に人間を閉じこめてそこでお互いを観察するような事をチンパンジーが見たら本当に驚くだろうか。否、チンパンジーもその程度の事はやっているのかもしれない。茶道や茶の作法にはそれなりの仕来りやルールがあるのだろうが、残念ながらそのような世界にはほとんど馴染んでいない。茶室も見方を変えればバーチャルな空間なのかもしれない。近代文明により日常がバーチャルになりきっている。禅には不立文字、以心伝心という言葉があるという。以心伝心は使い古されて新鮮みを失っているようだ。不立文字は意味を伝えにくく敬遠されてほとんど使われいないのが実状だろう。「不肖の弟子」という項も参考になる。沈黙。この語も矛盾と危険性を含む。その例は至る所に満ちているだろう。本書の中に「貧乏性」という言葉が度々出てきた。SMALL IS BEAUTIFULという言葉もある。ユトリをもってこの「貧乏性」を堪能したいところだが、それがむずかしい。

2011年8月22日 (月)

老人の寝言:復興は千載一遇のチャンスなのか。放射能で故郷を失った人々の復興とはなにか。

2011/8/22
昨日も雨。秋雨のようにしとしとと断続的に降った。気温は低く寒いくらいだが、変化は少ない。XP機の起動が不安定。ME機はフリーズしても再起動で何とかなった。ユーザの使い勝手を良くすれば、それなりにユーザ数は増える。そのためサポートも増える。サポートを減らすためにシステムが複雑になる。起動時に色々なメッセージが出るがそのメモをとるだけでも大変だ。マウスがフリーズするのはどういう理由か。ソフトかハードのインストールが問題というメッセージも出る。困ったものだ。XP機を使い出してからの印象だ。

2011/8/21の天気

TAVE= 20.0
TMAX= 20.6
TMIN= 19.4
DIFF= 1.2
WMAX= 1.6
SUNS= 0
RAIN= 13.5

最低気温(℃) = 19.3 (05:43)

老人の寝言:復興は千載一遇のチャンスなのか。放射能で故郷を失った人々の復興とはなにか。

農文協の主張は、「新自由主義的復興論を批判する 復興に名を借りた漁業権・農地所有権の自由化を許すな;url=http://www.ruralnet.or.jp/syutyo/2011/201109.htm(2011年9月号 )」というタイトルで、「規制緩和路線に沿った宮城県の復興計画 東日本大震災から、はや5カ月が経とうとしている。 被災地の方々が復興に向けて必死に歩み出しているなかで、気になることがある。 復興を好機とみて、漁業や農業の規制緩和を進めようという動きがあからさまになってきたことである。」、「経団連の火事場泥棒的「復興・創生」プラン 農業についても財界は大規模化、規制緩和路線を押し出しており、漁業で漁業権をターゲットにしたように、農業では農地の所有権がターゲットにされようとしている。」と論じた。

東北関東大震災の復興が日本の最大の課題となり、半年近くになろうとしている。

ブルームバーグは、「8月19日の海外株式・債券・為替・商品市場(◎NY外為:円が戦後最高値を更新-世界景気の減速懸念で );url=http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920018&sid=aia379zhmDI8()」というタイトルで、「 ニューヨーク時間午後4時20分現在、ドルは円に対し1ドル=76円51銭(前日は76円58銭)。一時75円95銭と、戦後最高値を更新した。」と報じた。

平成23年度前半の日本の状況は第二の敗戦に遭遇したようで惨憺たる状況であった。政界、経済界も混乱を極めた。政界に大連立という亡霊が徘徊した。しかし、それも与野党の腹のさぐり合いを越えなかった。大義名分が無かったから国民も醒めた見方しかしていない。東北関東大震災の復興に巨額の金が投入される。国民にとって連立とはその利権を掴む仲間に加わる程度と極めて理想が低く映るのだ。国民は衆参のねじれを相互牽制の次善的な体制と歓迎しているのが日本の現状ではないか。大政翼賛政治がどんな結果を日本にもたらしたかその感覚は未だ失われていない。

東北関東大震災の復興にも色々な動きがある。復興特区も一種の規制緩和になり、そこに利権を求めて人物金が集まるかもしれない。しかし、その反動で地域住民が疎外される可能性も出てくる。農文協が上記主張で、「経団連の火事場泥棒的「復興・創生」プランと噛みついたのも一理あるだろう。原料や製品を右から左へ回すだけのビジネス形態は持続可能な社会とはほど遠い。持続可能な社会では、極端に効率を上げるだけではシステムを疲弊させてしまう。第二次、三次産業でも独占、ダンピング等のシステム上の問題が生じるが、経団連が農業や漁業に口を挟むのも利権という見地から火事場泥棒的と言いたくなる事情は理解不可能ではない。ともかく、漁業権も農地所有権も漁業や農業を安定化させる機能を果たしているのは事実である。

津波対策としても、低地の土地を国が買い上げて、高台に住宅を建てるというアイデアが出されている。低地は利用価値が高いので当然地価も高いだろう。逆に高台は地価は安くても造成コストや生活コストは高く付く。朝三暮四のような甘言に乗ると錬金術の対象になるおそれはないか。自分に愛着のある土地や地域は自分で守り抜かなければ誰も守ってくれない。下記のように、低地であっても生活に便利で、津波に対しても安全な海岸沿いの「津波避難ビル」があったと知ると庶民の知恵に驚嘆する。庶民は身の丈に合わせて逞しく生きてゆきたい。

「 好きで始めた建築設計。 独立してアッと言う間に四半世紀が過ぎ、気が付けば還暦―の団塊世代の一設計士・佐々木繁の日々思うこと。生涯一設計士・佐々木繁の日々」というブログ(url=http://blog.livedoor.jp/shyougaiitisekkeisi2581/archives/52289803.html#)に、「 住民の『高台集団移住』の実現性は極めて低い。しかし、仮に間違えて実現してしまったら利益よりも不利益の方が多い、と私は考えている。 それに、実は『高台集団移住』の目的を達成するだけでなく、それ以上の津波対策になる方法が、すでに実行され効果を上げているのです……それは『津波避難ビル』に指定された『中高層津波避難アパート』。」、「この『津波避難ビル』は各地の津波避難計画の中に組み込まれていているもので、当然多数の人が住む海岸近くの町中に建つ。三陸沿岸でも、いくつかの公営の中高層共同住宅が『津波避難ビル』として指定されていた。そして、今回の大震災では、期待通りに居住民だけでなく近くにいた人もこのビルに避難してきて津波から命を守れた。」と実績を述べている。

東北関東大震災、福島原発事故からの復興も先ず、地域住民が過去・現在・未来を見据えて自分たちが青写真を描く必要があるだろう。原発立地という悲しい現実も中央と地方という格差がもたらしている面がある。復興の課題が持ち上がると、直ぐに政府の復興資金○○兆円という皮算用が流れた。日本の財政も危機的な状況にある。打ち出の小槌の如く振りまく金もすべて後世からの借金となると何となくお寒い感じがする。

東日本大震災復興基本法案が成立したが、その中に「原子力発電施設の事故による災害」、「原子力発電施設の事故による複合的なもの」とかの語句は出てくるが、「放射能」という語句は一つも出てこない。
「原子力発電施設の事故」が「災害」になるのは、放射能を「原子力発電施設」内に閉じこめる事に失敗したからではないか。「放射能」という語句を法文から追放したことにより当局は事実を隠蔽できたと胸をなで下ろしたのか。「放射能」という危機を怖れて故郷を去った人々に東日本大震災復興基本法はどんな対応するのであろうか。故郷の喪失が人間として最も寂しいことではないか。

2011年8月21日 (日)

読みかじりの記:原子力神話からの解放-日本を滅ぼす九つの呪縛 高木仁三郎 著 (2011年 講談社)

2011/8/21
昨日は雨。気温も低くなり体調管理が必要だ。脚立昇降の作業は疲れる。骨休めに起動不安定のパソコンXP機BIOSのUP DATEを試みた。POWER SWオンで12VのCPUファンが回転、キーボードのLEDも点灯。ATX電源は起動している筈。FDはアクセス音無し。CHECK SUMエラー云々という表示が出たりするのでBIOSを疑った。一応現行BINARYデータをコピーで残してから書き換え。BIOS起動画面からUP DATEを確認。結果は?しばらく様子を見る。何とか動いている。(XP)

2011/8/20の天気

TAVE= 22.1
TMAX= 24.4
TMIN= 20.3
DIFF= 4.1
WMAX= 2.7
SUNS= 0
RAIN= 19.5

最低気温(℃) = 20.2 ( 23:56)

読みかじりの記:原子力神話からの解放-日本を滅ぼす九つの呪縛 高木仁三郎 著 (2011年 講談社)

本書は2000年8月に光文社より刊行された同名の書を一部訂正、編注をつけたものと後書きにある。末尾の著者紹介記事に2000年10月没とある。「年譜 高木仁三郎が歩いた道(url=http://cnic.jp/takagi/life/index.html)」によると「2000年10月8日午前0時55分、東京都中央区の聖路加国際病院で死去。」とある。本書の原版出版から2ヶ月後の死去である。また、本書は2011年5月20日第一刷発行とある。東京電力福島第一原子力発電所の事故から2ヶ月後の出版である。著者は最終章の結びに代えての中でパンドラの箱というギリシャ神話に言及している。火と技術(道具)は人類が文明時代に入るシンボルでもある。その文明が人類に幸福をもたらした。その幸福の裏側に厄災があることがパンドラの箱という神話が語る。上記の年譜を読むと「1961;東京大学理学部化学科を卒業(核化学)。日本原子力事業(NAIG)に入社しNAIG総合研究所核化学研究室に勤務。」とある。多分ここで原子力に関して具体的な研究をしたのではないか。更に、「1969;論文「宇宙線ミュー中間子と地球物質との反応生成物の研究」で理学博士号取得(東京大学)。7月、東京都立大学助教授に就任(理学部化学教室)。」高木仁三郎は科学者としての道を歩み始めたようだ。「1973;8月末をもって東京都立大学を退職。主に翻訳で生計を立てつつ雑誌原稿などを執筆。」とある。時代の流れの中でどのような生き方をすべきか。理想と現実を両立させる事は困難が多い。自分が本書を手にしたのは我が群馬県にもこのような先駆者がいたとは知っていたが、いざ福島原発事故が社会的な大事件になっって初めて気持が動いたからである。11年前の7月とある「結びに代えて」で、著者は「しかし、私たちに余分な時間はあまり残っていない事も確かです。」と記している。著者が自己の死を覚悟しつつ、パンドラの箱から希望を取り出し育てて行こうと訴えた本書の出版意図を感じる部分だ。

「高木仁三郎;url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E4%BB%81%E4%B8%89%E9%83%8E;(最終更新 2011年7月4日 (月) 08:53)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「地震による原子力災害への警鐘 [編集] 1995年、『核施設と非常事態 ―― 地震対策の検証を中心に ――』[1] を、「日本物理学会誌」に寄稿。「地震」とともに、「津波」に襲われた際の「原子力災害」を予見。 「地震によって長期間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展」[1] するとして、早急な対策を訴えた。
 福島第一原発 について、老朽化により耐震性が劣化している「老朽化原発」であり、「廃炉」に向けた議論が必要な時期に来ていると (1995年の時点で) 指摘。 加えて、福島浜通りの「集中立地」についても、「大きな地震が直撃した場合など、どう対処したらよいのか、想像を絶する」と [1]、その危険に警鐘を鳴らしていた。」とある。

まさに、11年前の著作が、福島原発事故を契機としてよみがえった感じである。自分が知ってしまったこと、自分が信じること、自分が行うこと、知行合一を実践する事は古来の難題であった。本書で著者は「原子力神話」という言葉を使っている。なぜ「原子力神話」なのか。その語法を理解すべく所々読み返した。著者が科学者として原子力の実態を理解し評価できたから、「原子力神話」というタイトルで「脱原子力」をアピールできたのではないか。11年前に直接的に「脱原子力」をアピールできる状況だったか。今なら、脱原発の大合唱に乗っても不思議でもない。しかし、10年後、日本の脱原発がどんな状況になっているか予断を許さない。

その点、阪神淡路大震災が著者に与えた影響は大きいと思う。WIKIPEDIA記事にあるとおり、「『核施設と非常事態 ―― 地震対策の検証を中心に―― 』 「日本物理学会誌」Vol.50 No.10,1995(url=http://ci.nii.ac.jp/els/110002066513.pdf
id=ART0002195281&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=
1313882203&cp=)」はWEB公開されており誰でも読める。

「東海村JCO臨界事故;url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%9D%91JCO%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85;(最終更新 2011年7月22日 (金) 18:43 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「概要 [編集] 1999年9月30日、JCOの核燃料加工施設内で核燃料を加工中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生、この状態が約20時間持続した。これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡、1名が重症となった他、667名の被曝者を出した。 国際原子力事象評価尺度(INES)でレベル4(事業所外への大きなリスクを伴わない)の事故。」とある。

本書原版の出版が阪神淡路大震災から5年後である。学会誌への論文発表は学者生命にもかかわるだろう(非会員著者として「日本物理学会誌」に紹介されている)。やはり、この「日本物理学会誌」投稿記事や JCO臨界事故が延長に本書があるように感じる。それも著者の人生の集大成として。

更に振り返ると、年譜によると、著者は「1938年7月18日、群馬県前橋市に開業医の子として生まれる。」終戦の時に満7才であり、終戦を自分なりにとらえられる年齢になっていたと思う。湯川秀樹が日本人として初めてノーベル賞を受賞したのが1949年(昭和24年)。著者11才の時。著者も当然湯川秀樹にあこがれをもったのだろうか、「宇宙線ミュー中間子」云々という博士論文のタイトルをみると湯川秀樹の「中間子論」を思い出す。また、著者は「湯川秀樹氏が詩に託した思い」の項で「原子と人間」という詩を紹介し、著者の思いをそれに重ねている。原爆の巨大なエネルギーを原子力発電に使用する夢が語られ、それが現実化する中で、色々な人知で完全に制御しえない危険が明らかになってきた。そのような時代の流れの中で著者は著者独自の航路を進んで来た。

優秀な人材が原子力・電力産業に向かった。彼らにも生活がかかっている。自ら上に立とうとすれば神話を産み、神話を演じ...、矛盾に目覚めた者は職を去り、貝の如く水面化で隠棲する等々脱原発も一歩踏み出そうとすれば、問題は山積みだ。

それでも、著者が指摘した神話という虚構は音を立てて崩れてしまった。今、脱原発を決定して廃炉の放射能物質を完全に無害化するまでには何十年かかるかはっきりしない。著者が指摘している原子炉の老朽化は刻々と進む。少子高齢化が進み、日本の産業も衰退し、廃炉の負担も遅らせれば遅らせるだけ危険と共に重くのしかかってくる。

本書から何を読みとるべきか。確かに各論を追求するとあらゆる呪縛がつきまとう。神話という虚構を見抜く知的意志力と行動の勇気が現在求められているのかもしれない。歴史を見れば各論より感情論が最強なのだ。ともかく、上州という風土に高木仁三郎という希有の人物が生まれた事を再確認したい。

2011年8月20日 (土)

半端道楽:ツゲの生け垣を縮伐

2011/8/20
昨日は曇り後雨。昼前にちょっと濡れた程度の小雨。朝近所のおばさんがふらりと来た。ゴミ出しのついでだと言うが、今日は日が違うはずだが...。話が庭木の手入れになった。業者に頼んで手入れをしてもらうので10万円を下らないとこぼしていた。ツゲの縮伐を続行。縮伐も手入れがしやすい樹形にするのが目的。ツゲの生け垣は手入れ不足で樹木のような形状が出てしまっている。抜け殻になった野鳥の巣があった。種類は不明。手入れ不足という事は野鳥にとっては住み易い環境のようだ。東京電力の検針票に昨年比の節電率が記載されていた。我が家では約25%の節電になっていた。午後から小雨ながら連続降雨。肌寒くなる程気温が下がった。

2011/8/19の天気

TAVE= 24.6
TMAX= 28.6
TMIN= 21.1
DIFF= 7.5
WMAX= 4.4
SUNS= 0
RAIN= 11

最高気温(℃)=28.7 ( 01:41)

2011年8月19日 (金)

老人の寝言:今夏の計画停電は避けられたか。節電ブームは喉元過ぎて熱さを忘れる症候群で終わるのか。

2011/8/19
昨日は晴れ。猛暑日。ツゲ生け垣の縮伐2日目。午前と夕方。メダカ容器に発泡スチロール板を浮かせた。水温上昇防止兼隠れ家。紛状の餌を与えるとこの隠れ家からメダカが姿を現す。熱中症対策は梅干しドリンクで。ペットボトルに水と梅干しの果肉と塩少々を入れて振るだけ。ドカンという音が時々する。稲もようやくスズメ等が狙う食べ時になったのか。鳥脅しの音が聞こえてきた。

2011/8/18の天気

TAVE= 31.7
TMAX= 37.1
TMIN= 27.5
DIFF= 9.6
WMAX= 2.4
SUNS= 10.4
RAIN= 0

最高気温(℃) = 37.6  (15:31)

老人の寝言:今夏の計画停電は避けられたか。節電ブームは喉元過ぎて熱さを忘れる症候群で終わるのか。

東北地方太平洋沖地震直後のガソリン不足はもう過去のものになってしまったのか。今、車は街にあふれている。当時、市街のメインストリートを走る車の数がまばらになり、ガソリンスタンドは、長蛇の列となった。計画停電で懐中電灯や電池が逼迫して店頭から姿を消した。生活物資の過不足は実際に目の前で確認できる。ところが電気の過不足は見えない。それどころか電気は生産即消費、在庫がもてないという特殊な商品。競争というメカニズムがあれば、需要と供給のギャップを埋める力として作用する。ガソリンを節約しましょう、電池を節約しましょうという運動も節電運動のようにならない。節電運動も電気が見えない、停電の危機等色々な要素が重なって成り立っている。その深層にあるのが電力の独占。独占で潤うのは一部の人々に過ぎないのではないか。電力の自由化は日本経済の最も遅れた聖域でもある。敗戦直後は護送船団方式もそれなりの役割を果たしたろうが、すでにその体制も制度疲労が進んでいるのではないか。日本の電力は国際比較で安いのか高いのか。電力を自由化したとき安定供給は可能なのか。節電運動も電力のあり方を考えると奥が深い。

日経電子版は、「東電管内の電力使用率90.4%に 制限令後初の大台
気温上昇と東北電への融通で ;url=http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819696E3EAE2EA8A8DE3EAE2EAE0E2E3E38698E2E2E2E2(2011/8/18 19:16)」というタイトルで、「関東地方を猛暑が襲った18日、東京電力管内では同日午後に電力使用率(供給能力に対する最大需要の割合)が90.4%を記録した。朝方から気温が上昇したことに加え、電力不足が続く東北電力に対し午後のピーク時間帯に70万キロワットの電力融通を実施したため。使用率が90%を超えたのは7月1日の電力使用制限令発動後初めて。」と報じた。

url=http://www.tepco.co.jp/forecast/html/images/juyo-j.csvによると、「2011/8/18,14:15,4950」この「4950」万KWが5分毎の使用電力の最大値であった。予測値が5060万KWであり、実績は予測以下であった。言い換えると予測は厳しめな数値を出しているようだ。以下のグラフはurl=http://www.tepco.co.jp/forecast/index-j.html#graph1からの引用。2011/8/18のピーク時供給力(5460万KW)で、今夏の上限値5500万KWに迫っている値だった。気温もお盆が一つのピーク。お盆が過ぎれば熱さも徐々に和らいで行く。計画停電の山場も越えつつあるだろう。気温データ等:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/00A_sankou_siryou.html

Power110818_juyoj

2011年8月18日 (木)

身辺雑記:生け垣のツゲを縮伐

2011/8/18
昨日は晴れ。猛暑日。生け垣のツゲを縮伐。広辞苑によるとツゲは常緑小高木で樹高3mとある。上方は伸び放題で樹高が高くなっているので低くする。夏や冬の縮伐は適期ではなさそうだが試しに実行。カラスウリ、ツタ、スイカズラ等のツルが多かった。手入れ不足。発汗。塩分を梅干しでとる。

2011/8/17の天気

TAVE= 30.1
TMAX= 35.3
TMIN= 24.4
DIFF= 10.9
WMAX= 2.8
SUNS= 9.3
RAIN= 0

最高気温(℃)  =35.7  (16:12)

2011年8月17日 (水)

技術 回顧と展望:製品は死んでも技術の結晶である特許は最後に光る時があるのだろうか

2011/8/17
昨日は晴れ。また猛暑日。盆棚をたたんで墓参り。家の回りに咲いているギボウシの花等を供えた。日中は扇風機だけで昼寝。夕方になって活動再開。夜雷鳴。雨は極少ない。夜になると虫の音が聞こえている。

2011/8/16の天気

TAVE= 29.5
TMAX= 35.4
TMIN= 25.3
DIFF= 10.1
WMAX= 3.7
SUNS= 11.4
RAIN= 0

最高気温(℃) = 36.1  (15:30)

技術 回顧と展望:製品は死んでも技術の結晶である特許は最後に光る時があるのだろうか

日経電子版は、「グーグルのモトローラ買収に3つのWhy? 訴訟合戦、オープン性、端末開発… (ジャーナリスト 石川 温);url=http://www.nikkei.com/tech/personal/article/g=96958A9C93819499E3E4E2E3808DE3E4E2EAE0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;dg=1;p=9694E3EAE3E0E0E2E2EBE0E4E2E6(2011/8/16 20:30)」というタイトルで、「インターネット検索最大手の米グーグルが通信機器大手の米モトローラ・モビリティを125億ドル(約9600億円)で買収することを15日発表した。グーグルとしては過去最大規模の買収案件だ。モトローラの豊富な知的財産権を手にしてアップルなどからの訴訟合戦をどう勝ち抜こうとしているのか。これまで端末メーカーにスマートフォン向けプラットフォーム「Android(アンドロイド)」を提供してきたが、そのオープン性を今後も貫いていくのだろうか。また買収を通じて独自の端末開発や垂直統合型のビジネスモデルの構築に動くのだろうか――。
 今回の買収計画を巡る「3つのwhy?」を読み解くことで、新たなステップに踏み出したグーグルの次の戦略を占う。」と報じた。

この記事を読むと時代の流れを感じる。グーグルといえばソフト産業。モトローラと言えば製造業が中心のハード産業。ソフトがハードを飲み込んだ。グーグルが対抗しようとしているのがアップル。

マイコミジャーナルは、「米Appleが時価総額でエクソンモービルを抜いて世界トップ企業へ;url=http://journal.mycom.co.jp/news/2011/08/11/085/(2011/08/11)」というタイトルで、「米Appleの株式時価総額が8月10日(現地時間)に米Exxon Mobilを抜いてトップに踊り出て、同社が事実上世界最大の企業となったことが話題となっている。同日ニューヨーク市場の終値から算定された時価総額はApple (AAPL)が約3,372億ドル、Exxon Mobil (XOM)が約3,308億ドルとなり、64億ドルの差をつけて終値で初めて逆転した。現在世界の株式市場は経済先行き見通し不安における下げトレンドのただ中にあるが、それが結果としてAppleを躍進させる一助になったようだ。」と報じた。

アップルも日本の製造業と異なり、ハードよりソフトに重点を置いているように見える。日本も電子手帳とか携帯とか小型電子機器では相当先行していた筈だ。アップルの快進撃を指をくわえて悔しがっている。日本の自動車も米国では小型車として健闘してきた。小型化にも限度がある。人間の身体にあった使い勝手の良い小型化が今後の進むべき方向のようだ。その良さを消費者に理解させなければビジネスは成功しない。今回の「グーグルのモトローラ買収」には自分の技術者人生からも感慨深いものがある。

「モトローラ;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9;(最終更新 2011年8月16日 (火) 00:33)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「モトローラ (Motorola, Inc., NYSE:MOT) は、かつて存在したアメリカ合衆国の電子・通信機器メーカーである。 2011年1月4日をもって、二つの独立した公開会社であるモトローラ・モビリティ及びモトローラ・ソリューションズに分割された[1]。本社所在地はシカゴ近郊のイリノイ州シャインバーグであり、分割以降はモトローラ・ソリューションズが引き継いでいる。」、「半導体 [編集] 1999年8月4日、ディスクリート・標準アナログ・標準ロジックなどの半導体部門をオン・セミコンダクターとして分社化した。これは、イリジウムコミュニケーションズ倒産の損失をカバーするために分社化された。 2003年10月16日、組み込みシステム向けのチップを主力とする半導体部門をフリースケール・セミコンダクタとして分社化した。 以降、モトローラ社自身は半導体を製造していない。」とある。

モトローラも事業形態を刻々と変えている。現役時代に相当品として開発したTV用VIF集積回路のオリジナル品がモトローラのMC1352であった。勤務していた半導体事業部門も分社化されて、最終的には2011年にモトローラから分社化されたオン・セミコンダクターの傘下に入っている。企業の事業部門が分割と統合という大きな波の中にさまよっているのが現代の特徴かもしれない。

一方、知的所有権も企業が保有する資産であるが、幅広い事業分野を手がける場合は競合他社の知的所有権の問題が生じる。今回のグーグルによるモトローラの買収もモトローラが保有する知的所有権が目的の一つと上記日経電子版は見ているようだ。敵対的な競合の場合、特許という例外的な権利の独占権が戦略的な意味を持つ。共存共栄的な妥協が生まれればクロスライセンスというビジネスベースの特許の相互利用の交渉はいつでも可能だ。先ずはグーグルがアップル打倒・アップルの独走を許さないといった戦うという動きが出たとうことなのか。

特許が実際に利用されれば技術としても社会的な有用性を発揮できる。ところが、特許が単にビジネス上の戦いの鉾と盾のような使われ方でしか使われないとなるとその特許の発明者の心境は複雑なものとなるだろう。技術者としては自分が発明した特許は利用して貰いたい。願わくば多少に関わらず特許実施報酬を貰いたいというのが本音だろう。不毛の特許訴訟で本当に素晴らしい特許が光る事があるのか。今日では特許権の独占も時代遅れになっていないか。ビジネスベースの正当な利用を阻害させない事を保証する柔らかい独禁法のような規制をすれば、ビジネスは正しい方向で活性化するのではないか。

2011年8月16日 (火)

読みかじりの記:句集 『白楊集』 張替久雄 著 (1986年 河南台二の会名簿一部転載)

2011/8/16
昨日は晴れ。夕方軽い雷雨。雨量データとしては出ていない。 終戦記念日。全国戦没者追悼式に参列した人も世代交代が目立ったようだ。真夏日になった。風が少ないのが辛い。 午前中はビーチパラソルの下でポットの除草。午後お盆で外出。パソコンはFMV-6300CX2cという機種で作業。CPU はCeleron(TM)プロセッサ(300A MHz) 。内蔵HDD:4.3GB(Ultra DMA/33)。資料に98年10月発とある。スピードが遅いのでパソコンがやっている事が何となく分かる利点がある。最終的にはXP機併用。

2011/8/15の天気

TAVE= 28.9
TMAX= 35.1
TMIN= 24
DIFF= 11.1
WMAX= 3.5
SUNS= 8.7
RAIN= 0

最高気温(℃) = 35.7  (14:54)

読みかじりの記:句集 『白楊集』 張替久雄 著 (1986年 河南台二の会名簿一部転載)

古い茶箪笥を覗くと父の戦友名簿があった。昭和61年度版。元満州ハイラル第八国境守備隊。河南台二の会。二の会の発足が昭和51年3月と本文にあった。その中に張替久雄氏(名簿によると昭和14年徴集)のハイラル時代の句集『白楊集』の一部が掲載されていた。原本の出版については不明。Googleによる「張替久雄  白楊集 」の検索ではヒット無し。戦争の体験もなく、父の体験も手探りで探っている状況だ。このような戦地の作品が埋もれてしまうのはもったいない。戦友諸兄の追憶の一助になればと本文で述べているのでそれを再掲させて頂く。張替久雄氏について調べたが確かな情報はない。父の戦友として、戦地では父と何らかの付き合いがあったかもしれないし、すれ違っていたかもしれない。しかし、戦地で共通に体験した事は多いだろう。以下の句も20才台の青年兵士の眼で観賞しなければならないだろう。戦地滞在中に作ったのか帰還後に作ったのかは不明。

関連記事
読みかじりの記:ノモンハン戦争 田中克彦 著 (岩波新書 2009年):http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/05/post-97be.html

読みかじりの記:(歌集)ホロンバイルの青   高橋素子著 (2008年 角川書店):http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/06/post-ef33.html

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張替久雄:氏名検索(句集『白楊集』の著者か不明)。
JST COPYRIGHT
整理番号:80A0274842
和文標題:防災的に安全な集合住宅のちゅう房
著者名:張替久雄 (東京消防庁予防部)
資料名:建築設備 JST資料番号:F0416A
巻号ページ(発行年月日):Vol.31, No.7, Page78-83 (1980 ) 写図表参:写図10, 表3
資料種別:逐次刊行物(A) 記事区分:解説(b2)
発行国:日本(JPN) 言語:日本語(JA)
抄録:集合住宅のちゅう房において,消防法上いかなる規制等がなされているか,火災事例等を混えてちゅう房の安全性について述べる
分類コード:AA020208, AB060207 (614.84, 696.1/.4)
シソーラス用語:集合住宅, ちゅう房, 火災, 防災, ちゅう房設備, 排気ダクト, 安全性
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以下名簿のなかの抜粋句

■黄塵に消されし兵の姿かな

黄砂が巻き上がり兵隊の姿がかすんださまのようだ。

■草いきれ道はろばろと兵の列

広大な草原を隊列を組んで行軍する兵隊の詠んだようだ。

■吹雪かれつ外出の兵帰りけり

「かれつ」とは「苛烈」の事か。吹雪の中の外出から無事帰った安堵感。

■ペチカ燃え兵の話題の盡きぬ夜

二十才台の青年兵士の歓談の一時を詠んで いるのだろう。

■打ち水やロシヤ娘の白き脚

ハイラルには亡命ロシア人がいたとは最近知った事だ。

■柳濡れ馬車(マアチョ)の鈴の音も爽(さ)やか

ハイラルは草原地帯と思っていたが、雨が降り樹木も茂っていたようだ。

■迎春花(インチュウホウ)明日の開花を数えつつ

桜のように春を告げる花があるようだ。

■白雲の逍遥悲し母恋うる

白雲がたなびく様に母を恋う気持ちを重ねている。

■夕時雨(ユウシグレ)蒙古少女の化粧かな

何か絵になりそうだが絵にしがたい風情を詠んでいるようだ。

■ペーチカの煙のどかに四温かな

四温とは三寒四温で本来は中国由来の言葉らしい。煙のどかにとは春が近づいてきた様子を示しているようだ。

■湯上がりの頬に粉雪ふりかぶり

戦地でどんな風呂に入っていたのか先ず興味がある。緊張が解けた一瞬をとらえているようだ。

■凍てし飯むさぼり星に叉銃(サジュウ)解く

叉銃(サジュウ)とは携行した小銃を三挺ずつ三角錐状に立てることと辞書にある。その状態を解くとは、軍務に着くことだろう。寒さでこちこちになった飯を短時間でむさぼり食ってすぐに星空の下で軍務に着いたという戦場の一句だと思う。

■寒月へペチカの煙一すじに

この句は厳冬の月夜陣地の状況を詠んだようだ。

■大陸を我物顔のカラスかな

この大陸のカラスとは何か。現地のカラスを詠むのにわざわざ大陸を引用するまでもなさそうだ。そうすると、我物顔がカラスと別物と見えてくる。自分たちは大陸の嫌われ者ではないかとも読めないこともなさそうだ。

■向日葵と丈をくらべて戎衣(ジュウイ)かな

戎衣(ジュウイ)とは戦争に出る時の衣服と辞書にある。戎衣は重いので向日葵と丈をくらべてもどうも負けそうに見えてしまうがちょっとしたウィットを感じさせる句だ。

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示不調で以下(地デジ)検索を削除。
CEEK.JPにて「地デジ」キーワードにてニュース検索を引用していたが、最近は「地デジ」関連ニュースも少なくなった。「地デジ」移行で潤ったのが家電業界や家電販売店。しかし、「地デジ」特需は需要の先食いで、今後その跳ね返りが来る可能性が大きい。一般のTV受信者には相当の金銭的な負担を強いた事がニュース追跡から明らかだ。地デジ難民はこのような表向きの津波に完全に飲み込まれてその悲鳴すらかき消されたように見える。このニュース検索を引用すると、BLOGエディターが折り返し表示をしなくなる症状が出ている。CEEK.JPにて「地デジ」キーワードにてニュース検索を引用はここで終了する。今後は東京スカイツリー開業に注目したい。

2011年8月15日 (月)

老人の寝言:歴史の転換:1945年8月15日の天気は日本の未来を語ってくれるか。110815。

2011/8/15
昨日は再び猛暑日となった。1945/8/14は伊勢崎市が空襲を受けた日だ。B29が東方より飛来し焼夷弾を投下。飛行機の数も空が黒くなる程と聞いたような記憶がある。その恐怖は直接味わっていない。しかし、夢で巨大な飛行機が頭上を滑空したときの恐怖を味わった記憶があっる。かなしばり寸前の恐怖だった。灌水。焼け石に水の感じだ。新盆見舞い。当地区の民俗調査報告書によると「新盆のときには、親戚の人、近所の人、懇意の人などが、新盆見舞いに来てくれる。もとはうどん粉を一重箱か、うどんを三把とか持ってきてくれる。」とあった。この記事を見ると新盆見舞いの起源も地域共同体の中での助け合いにあったようだ。昭和56年8月31日に伊勢崎市が第一集として発行した。丁度30年前である。貴重な調査報告ではあるがその続編を余り見ない。途中で中止になったのだろうか。夜は雷雨となった。落雷の心配があったのでMODEMは本線から切り離した。XPパソコンは何度も落ちた。ME機で作業。

2011/8/14の天気

TAVE= 29.2
TMAX= 35.5
TMIN= 24.5
DIFF= 11
WMAX= 6.5
SUNS= 8.4
RAIN= 42.5


最高気温(℃) =36.1 (14:26)

老人の寝言:歴史の転換:1945年8月15日の天気は日本の未来を語ってくれるか

1945年8月15日の天気はどうだったかと調べてみた。

「チーム森田の天気予報で斬る」は、「8月15日 ;url=http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map/58355244.html(2009/8/15(土) 午後 1:13)」というタイトルで、「1945年8月15日、東京の最高気温は32.3℃。」と報じた。

この記事は、戦争と天気予報、語り継ぐ事の大切さを伝えていた。

「お天気豆知識」は、「太平洋戦争と天気図、天気予報;url=http://www.bioweather.net/column/weather/contents/mame091.htm()」というタイトルで、「このように気象情報や天気予報は重要な戦略情報です。日本では1941年12月8日(日本時間)から軍の命令でラジオから天気予報が放送されなくなりました。各地の気象台や測候所からの観測データは、すべて暗号にされて中央気象台に送られるようになりました。中央気象台から放送される気象電文もすべて暗号化されました。
 戦争中、日本人の生活は物資の不足でだんだんと大変になっていきましたが、天気は毎日変化します。台風や嵐もお構いなしにやってきます。そんな中、1942年8月27日に発達した台風が九州に上陸し、戦争中最大の被害をもたらしました。被害の中心は西日本です。さすがに台風のときは特別な情報が出るようになりましたが、この台風がきっかけです。 終戦は1945年8月15日ですね。ラジオの天気予報番組の再開は8月22日で、東京から再開されました。今では当たり前のように、毎日ラジオで聞くことができる、テレビや携帯電話で見ることができる天気予報や気象情報は平和の象徴といえるでしょう。」と報じた。

この記事の中には(図3)1945年8月15日の天気図として、当時の天気図が掲載されている。敗戦当日とその前後の天気図の気象データの多少を戦局と合わせて説明している。ところが、現代ではIT技術が発達して膨大な気象データが集められ、処理され、配布されている。地震や津波に関しても戦後の歴史を辿ればかなりの進歩があったと思う。東京電力福島第一原子力発電所事故による放射性物質の飛散情報は、気象条件と密接に関係し、それを予測するSPEEDIというシステムも開発され、稼働状態にあったが、残念ながらそれが全く利用されなかった。

重要な情報を国家が握っているがそれが生かされなかったという歴史がだぶって見えてしまう。終戦の1945年8月15日は晴れで、今日の真夏日だった。それでも、やっと戦争が終わったという開放感を国民は味わったのではないか。精神の自由を感じたから戦後の復興も成し遂げられたのではないか。まさに、国敗れて山河あり。

気象庁ホームページをみると、「東日本大震災 ~東北地方太平洋沖地震~ 関連ポータルサイト(http://www.jma.go.jp/jma/menu/jishin-portal.html)」が開設されている。

東北地方の人々は本日をどんな心境で迎えているだろうか。


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追記1(2014/1/12):
サイト内でキーワード「老人の寝言」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E8%80%81%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%AF%9D%E8%A8%80%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。

追記2(2014/6/19):
本記事が再度ランキング10位に入った。最初にランキング入りしたのが2013/10/9で、4位であった。本記事が読まれるのは「1945年8月15日」と「天気」というキーワードが関係しているように感じる。そろそろ、終戦記念日に向かって、戦争の事を思い出す時期になっているのかもしれない。さらに、集団自衛権等々、政治や世相の天気が変わろうとしている不安感もあるのではないかとも思う。ここで、敗戦直後の親たちから聞いた昔話を思い出した。数人のアメリカ兵がある家に来て「ワォ~タ」と叫んだそうだ。どうも「太田」に違いないと思い、「太田はあっちだ」と東の方角を指さしたが、米兵は納得せず、何かを物色していたとの事。ようやく井戸を見つけて水をがぶがぶ飲んで帰ったらしく、事なきを得た。今、思うと太田には、軍需工場の中島飛行機の工場があったので、家人は「太田」と直感したのかもしれない。「ワォ~タ」とは「WATER」だったが、平和になってからは笑い話で済んだが、敗戦直後にジープか何かの軍用車に乗り付けられ、「ワォ~タ」と叫ばれれば怖くなるに違いない。

追記3(2014/8/15):本記事がランキング1位に入った。昨日まで2位が続いていた。ランキングに入り始めたのが7月上旬。敗戦を考え直そうとする人が検索をかけたのだろうと推測する。昨日、古い写真帳が出てきたので、その写真を見ていると、父の出征前に撮影したと思われる写真が貼ってあった。父が出征してしまうと、残るは老人と女・子供だけである。その通りの写真だった。改めて父の苦労がしのばれる。

追記4(2015/3/4):「老人の寝言:1945年8月15日の天気は日本の未来を語ってくれるか」の記事がランキング10位に入った。1月中はほぼ全日ランキング入りしていたようだ。最近、マスコミの報道に戦前の大本営発表を思い出させるような傾向が見られるようになったと指摘する声が聞こえてくる。日本の敗戦後、国民は戦前知らされていなかった事を数多く知ったと思う。正しい情報が全国民にあまねく行き渡る事が、国家の繁栄には不可欠ではないか。戦時中、通信兵として外国情報の収集に従事した人の話を聞いた事がある。末端の通信兵も、米国から流される情報を知って、敗戦をうすうす知ったとの事だ。相当の高齢だったが、モールス符号や軍事知識ははっきり覚えていた。聞く所によると、その人は昨年あっけなく亡くなったとの事だ。

追記(2018/03/31):この過去記事が本日のランキング8位に入った。読者は、多分WEB検索でこの記事見つけたものと思う。いつの記事か分かるようにタイトルを再編集して見やすくした。

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2011年8月14日 (日)

老人の寝言:イギリスの暴動を見て日本は安全な国と錯覚していないか

2011/8/14
昨日は暑かったが猛暑日寸前の真夏日。無事お盆迎えが済んだ。庭の片隅の萩の花を供えた。今時は余り人気はないようで、ひっそり咲いている。XP機が何度か落ちたのでME機に切り替えた。

2011/8/13の天気

TAVE= 30.2
TMAX= 34.2
TMIN= 26.2
DIFF= 8
WMAX= 2.4
SUNS= 6.4
RAIN= 0

最高気温(℃)=  34.8  (13:13)

老人の寝言:イギリスの暴動を見て日本は安全な国と錯覚していないか

神戸新聞社説は、「英国の暴動/若者の不安感を取り除け;url=http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/0004363039.shtml(2011/08/13 10:08)」というタイトルで、「優等生の国で何が起きているのか。英国ロンドンに端を発した暴動を、そんなふうに見た人は少なくないだろう。 商店や倉庫に火を放つ。通行人から金を略奪する。暴動はバーミンガムなどに飛び火し、沈静化の兆しはあるとはいえ、英政府を揺るがす事態となっている。」、「「英国社会の一部は(モラルが)壊れているだけでなく病んでいる」と首相は嘆いた。若者を覆う閉塞(へいそく)感には、政治や社会にも責任の一端がある。 政府は現代の若者を取り巻く厳しい環境に向き合い、不安を取り除かなければならない。」と論じた。

今回の暴動の要因も色々ありそうだ。一つの小さな原因が大きな結果につながるにはそれなりの要因の連鎖が必要である事は明らかだ。山火事は一度勢いが増せば、拡大を阻止することが非常に困難になる。今回のイギリスの暴動も火種があった。その火種が黒人男性が警官に射殺された事件だったようだ。次の拡大の過程は諸説があるだろう。ともかく、拡大を阻止する条件が十分機能しなかった結果拡大した。言い換えれば拡大する条件の方が優位であった。このような条件が続く限り自体は進行してしまう。ツイッター等の情報伝達機能がそのような暴動の拡大の原因であるとして当局はそれを規制しようとしているようだ。最終的な結果はどうなるか分からない。ともかく、大きな意味で社会的な損失が生じたことには疑いがないだろう。一部には、警察の人員削減を推進する政府と警察の対立も伝えられている。暴動鎮圧に積極的にならない事で政府に圧力を加えようとしているという見方である。公的機関とそれに属する関係者の利害関係だけで事態が動くとなるとますます民衆の疎外感はつのるだろう。神戸新聞社説の最後の一行はイギリス政府に対する一言とは思われない。しかし、全ての不安を取り除いてしまったら、社会は活力を失ってしまうのではないか。将来を担う若者が職も生き甲斐もない社会的な弱者の立場に立たされているのは東西を問わず現代社会の一面だ。そういう点で、イギリスの暴動は日本より進んでいるのかもしれない。他国の事件と見過ごせない。

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CEEK.JPにて「地デジ」キーワードにてニュース検索:2011/8/13

82 件の記事の 1 件目 ~ 82 件目 (重複2件は非表示です)

地デジ化でテレビの不法投棄増 静岡市、3年... (地方・地域) 10:20 中日新聞
金沢ゆめ街道、きょう開幕 YOSAKOIやサンバ (地方・地域) 02:53 北國新聞
薄型テレビ、1~6月販売23%増 「1年分」半年で超す (経済) 12日 20:22 日本経済新聞
薄型テレビの上半期売上台数は数量前年比23%増。Gf... (電脳) 12日 19:29 impress
【YAMAHA】ヤマハから、置くだけで... (エンターテイメント) 12日 19:01 BARKS
【Hothotレビュー】日本HP「HP Pavilion g6-A1100A... (電脳) 12日 00:00 impress
ピクセラ、偏光方式の3D表示に対応した32V型液晶テ... (電脳) 11日 21:25 ITmedia
日立、3Dやスマートフォン連携の薄型TV「Wooo GP08... (電脳) 11日 11:00 impress
地デジ化でテレビ不法投棄急増 前年度比17%... (地方・地域) 10日 22:43 産経新聞
ヤマハ、ホームシアターパッケージの新製品「YHT-S... (電脳) 10日 18:00 internet.com
「数千円台で、できるだけ大容量のを」──ポータ... (電脳) 10日 17:00 ITmedia
自作PCの万能ぶりを地道に示した7月のアキバ (電脳) 10日 11:33 ITmedia
第3次産業活動指数、6月1.9%上昇 地デジ関連好調で (経済) 10日 10:09 日本経済新聞
6月第3次産業活動指数は前月比+1.9%、3カ月連続... (経済) 10日 09:13 ロイター
パナソニック、3D対応ブルーレイディーガを拡充--3... (電脳) 09日 18:30 CNET Japan

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)