老人の寝言:マッチ棒政治家は自分のために燃えるだけで十分だ
2011/8/29
昨日は晴れ。真夏日になった。ポット苗手入れ。苗の傷み具合もばらつきがある。昨年のまま苗箱にビニールを敷いてあった苗は程度が良いように見える。ポットの底穴を塞いだこともある。今回は手抜きのための手抜きが影響した。手抜きのためにはそれなりの対応が必要だ。次は背丈以上に伸びた草退治が待っている。メヒシバ、アメリカセンダングサ、ハルジオン、アカザ等本当に逞しく育っている。ハルジオンは種子を飛ばす頃だ。メヒシバ、アカザは開花前。アメリカセンダングサの開花はそれよりも遅い?
キンカンとニラの花が咲いている。ニラは野生化したものを集めて庭先野菜として必要になったら使えるようにしているところ。本日民主党の代表選挙。5名が出馬。各候補支持率は党内と外野の世論とで乖離があるようだ。逆説だが日本の首相は駄目なほど良いのではないか。国民もコリャアカンと引き締まるのではないか。
2011/8/28の天気
TAVE= | 26.0 |
TMAX= | 30.5 |
TMIN= | 22.2 |
DIFF= | 8.3 |
WMAX= | 2.7 |
SUNS= | 9.6 |
RAIN= | 0 |
老人の寝言:マッチ棒政治家は自分のために燃えるだけで十分だ
京都新聞「凡語」は、「菅首相退陣;url=http://www.kyoto-np.co.jp/info/bongo/(京都新聞 2011年08月27日掲載)」というタイトルで、「権力の座を追われて、こんな香り高い歌を残せるものか。<東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな>と、太宰府に左遷される菅原道真が無念を詠んだ歌だ▼おなじみではあるが、昨今の政治家の出処進退を見るにつけ、菅公の器量や歌心に感じいる。それは平安末期の「大鏡」が鏡に映った歴史を後世に伝えてくれるからだ。<あきらけき鏡にあへば過ぎにしも今ゆくすゑのことも見えけり>とある」と報じた。
凡語氏が言いたかったのは結語の、「歴史の鏡をのぞき、映った姿を語るのは国民だ。その鏡の中に、菅首相が示した「脱原発」「再生可能エネルギー」といった社会転換の道がぼんやり見える。歴史になるかどうかはまだまだ分からない。」にあるのだろうが、本当はだまだ言いたいところがあるように感じる。凡語氏は「政治家の出処進退」と「政治家の業績」という二点を評価点に選んだが、どうも「政治家の業績」に付いては積極的に評価しにくいとそれを歴史の評価に委ねている。
思うに、菅首相は歴史に名を残すか否かは別として歴史的な場面にいて、歴史に名前を残す大きなチャンスがあったのは事実であろう。しかし、「政治家の業績」という点を採点するとどうか。首相としては国民の負託という大きな実現目標が課せられている。評価はその高い目標と比較し判断される。
「政治家の出処進退」という点ではどうか。首相の座にしがみつこうとしたスタミナには与党の反首相勢力も野党も手こずったようだ。与党の反首相勢力も野党も首相の座から引きずり降ろす実力と方策を欠いていたのも事実。思うに、首相としては、歴史に名前を残す絶好の時期、ポジションに居たが、「政治家の業績」を追求するも、同時に「歴史に名前を残す」という二兎を追って、捨て身の迫力を出せなかった。国民はそういう点で辛い点を付けているのではないか。次の首相に誰がなろうと、国民は期待を抑えて冷静に見ているのではないか。その視点は人物、器量、実力云々と項目は多いが、口先だけでは、直ぐにぼろが出て変化の激しい現実を乗り切れないだろう。歴史に名を残す本当の政治家とは国民の期待を先読みしてそれを燃焼させるエンジンになりきれるか否かにかかっているのではないか。