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2011年11月

2011年11月10日 (木)

読みかじりの記:「特集 アナログテレビ放送の終焉」 ***著 (2011年 一般財団法人 情報処理学会)

2011/11/10
昨日は晴れ。朝の気温が低くなってきた。残りのサツマイモを堀上げた。その後は苗置き場の手入れ。昼食時に収穫したサツマをふかしたものを頂く。ベニアズマで、ほくほくしてうまかった。先日聞いた話では、芋をたくさん付けるにはある程度ツルを間引く必要があるとの事。ツルの元気が良すぎると、栄養成長でツルの成長だけに養分が使われて、芋の肥大がおろそかになるらしい。今回は、切り取ったツルを水刺しして発根させた株も堀上げた。小さいが芋は付いていた。かなり多く芋がついたのも一株あった。遅れて2回目に作った苗は芋まで進んでいなかった。苗を早めに植えれば、そのなかの元気が良いツルを苗として使う事も可能と分かった。

2011/11/9の天気

TAVE= 11.9
TMAX= 17
TMIN= 6.9
DIFF= 10.1
WMAX= 3.2
SUNS= 7.4
RAIN= 0

最低気温(℃)  6.4  06:31
最高気温(℃)  17.8  12:46


読みかじりの記:「特集 アナログテレビ放送の終焉」 ***著 (2011年 一般財団法人 情報処理学会)

表記記事は「情報処理 2011 Vol.52 No.7 通巻556号」に掲載されている。***著の著者は単独、連名であり省略する。総勢14名の執筆である。「アナログテレビ放送の終焉」というタイトルにつられて、ついつい手にした学会誌である。もう現役を離れているが、2011/7/24の「アナログテレビ放送の終焉」には感慨深いものがある。今の自分の興味は技術を離れ、もっと広い意味でアナログとデジタルという二つの代表的なモノの見方、感じ方、表現の仕方に向かっている。この記事は個人的なメモ書きに過ぎない。それにしても最近のテレビ放送のつまらなさには失望する。コンテンツを作る人や組織が死にかけているのか。「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」。いくら頑張っても、デジタルテレビも所詮ただのテレビ。だが、アナログテレビ放送にはテレビの全てが含まれていたような感じがする。その中にはデジタルテレビのアイデアもあったろう。テレビは所詮電子紙芝居。何を発信するかそのメッセージこそがメディアの生死を決めるのだろう。

○1:ハイビジョンからデジタルハイビジョンへ
かつて会社でごつい名前の数十万円もするハイビジョンテレビを紹介販売せよという檄が飛んだことがあった。それ以来、ハイビジョンとは無関係であり、今後も無関係だろう。ハイビジョンで流されたコンテンツは今までどれほどのインパクトを人々に与えてきたのだろうか。しかし、消えてしまうかもしれない事象をハイビジョンに残すのは非常に有意義な事だろう。コストとベネフィットという問題が付きまとう。

○2:地上波テレビジョン放送のデジタル化への取り組み
デジタル化の有利性が多いのは確かだが、地デジへの移行が末端のテレビユーザー不在で強行されたことに疑問が残る。情報処理とは情報の入り口から出口までを扱うのだろう。その処理には必ずハードが伴う。そのハードの流れも情報処理として捉えられれ、システム的な対応が必要だ。物流としての映像装置の生産から廃棄まで、環境の世紀という点では無視できない。エネルギーの消費量も同様。自分はNTSC方式が白黒とカラーのコンパティビリティを維持した技術開発を高く評価している。やはり技術開発とその成果の導入は最低でも視聴者の懐具合を勘案して頂きたいところである。当然システムの寿命は個別のハードの寿命より長い。しかし、今後の日本では、総合的なシステム設計が国の命運を握るだろう。ハードだけでは道半ば以下だろう。半世紀以上蓄積されてきたアナログTVコンテンツ(情報資産)の保存と利用は緊急な課題であろう。

○3:地上デジタル放送の研究開発と海外展開
デジタルとは強引に切った貼ったをする技術であることには間違いないだろう。もともと自然に存在しない技術だから新しい技術には特許とか知的所有権が付き物。本項ではそのデジタル製品の市場に言及している。方式を売り込むのはかつては政治問題でもあった。現に世界にはいくつものテレビ方式がある。コンテンツを方式変換するだけでも当初は大変だった。国際機関も方式決定までの権限を持たないのだろう。しかし、技術の進歩はやがて方式の壁は乗りこえるだろう。日本の研究開発のコンセプトと収益モデルが本項だけでは理解できない。南米だけで海外展開出来た理由も不可解。やはりもっと強いライバルに向かう必要があるのだろうか。

○4:ISDB-Tmm放送技術とサービス
聞いたことのないサービスだ。2012年から始まるらしい。ISDBにはISDNの響きが残る。ISDまで同じ。NがB(BROADCASTING)にとって代わった。mmはMOBILE MULTIMEDIA。それではTは何か。アナログTV放送を追い払って確保した貴重な電波資源である。ISDNのように腰折れにならないよう望むばかりだ。利権の巣で終わっては余りにももったいない。

○5:VHF-LOW帯マルチメディア放送 ~アナログてれび放送終了後の周波数有効利用に向けて~
既にアナログTV放送電波帯域は明け渡されているが、この帯域の利用方法は答申の段階らしく、いつから利用されるかの具体的な記述がない。これでは、有限の電波資源を国が隠匿しているのと変わらず、多数のアナログTV放送利用者に負担を強制した大義名分が通らない。あれもできるこれもできるとシーズはあっても、どれだけのニーズがあるか全く不明である。視聴者が専用受信機を買うだけの魅力あるコンテンツを提供するシステムも不明。今までマルチメディア云々と騒がれてきた例はあるが、テレビに勝ったマルチメディアはなく、そのテレビも衰退傾向である。一層のこと、新に確保された帯域を公共チャンネルとして国民の主体的な利用・緊急放送等のために解放したらどうか。当然NHK、民放、新聞社等の巨大マスメディアはこの帯域利用から除外しなくてはならない。

○6:700MHz帯を使った新しいITSアプリケーション
電波帯域を確保したが実用化のプロセスが不明なのは「VHF-LOW帯マルチメディア放送」と同様。現状は貴重な電波資源を休眠させるだけ。交通用となるとインフラ整備と信頼性の確保が最重要課題だろう。そんな事を考えると実用化はどんどん先に延びるだけだ。利用者負担も問題だ。車載電子機器は高機能化がすすむ。カーラジオ、カーナビ、レーダー探知機等多彩だ。しかし、これらの機器で共通する部分も多い。共通化は限られた車スペースの有効活用、電池エネルギーの省エネ、重量の削減等で環境・資源面で大きな効果が期待できる。車載電子機器のオプションとして取り付けられるような全体システムとしての位置付け、技術動向、買い換えサイクル等を盛り込んだ段階的実用化方針・ロードマップを作るのが先決だろう。運転者が使いたくなる応用を段階的に導入して欲しい。車車間間通信では「お先にどうぞ」と「ありがとう」という超日常的コミュニケーションにも不便をする。高度の技術より、このような人間的な応用が最も、事故防止や快適な運転に効果があるのではないか。人間不在の技術は不要だ。

○7:デジタルテレビはどう変わるか ~通信機能によるテレビの進展~
デジタルであれもできるこれもできると宣伝されているが、通信機能もその一つだろう。しかし、本格的な通信機能はすでにインターネットや携帯、スマートフォンが押さえている。デジタル化の隠れた意味は課金の容易性等にあると考えられるが、サービスを多様化して、付加サービスに課金したり、視聴者を選別すると公共性は損なわれ、結局コンテンツの劣化・視聴者離れをもたらし、究極的にはデジタルテレビはインターネットに飲み込まれてしまうのではないか。テレビに通信機能が付けば便利と考えるのか、パソコンがテレビになるのが便利と考えるのか、で立場が逆転する。テレビとして買った消費者がその通信機能を使うことはほとんどないのではないか。デジタルテレビ放送はあくまでも電波というメディアを究極的に使い切るという土俵で勝負して貰いたい。そういう土俵こそその他のメディアが攻め込めない聖域ではないか。

○8:デジタルケーブルテレビ関連技術およびサービス動向
ケーブルテレビの三種の神器は映像、インターネット、電話との事だ。これを支えるインフラが同軸ケーブル。ともかく、作成された情報を再配信するテレビがそのサービスの基本だ。結局、このような大きな枠組みの中でどのような付加価値の高いサービスを生み出すかが今後の課題のようだ。

○9:新しいメディアとしてのIPTVサービス
可能性としては面白いかもしれない。最近の衛星テレビ放送では通販番組が多くなっているとの事だ。メディアの歴史も述べているが、ともかく、テレビは音声と映像。人間の五感の内の、視覚と聴覚だけが疑似情報とメディアを流れるようになったのが20~21世紀。視覚も聴覚もマヒ寸前だ。テレビの前にはお化粧された虚像が際限なく流れるが、テレビの画面から目を離せば、そこにハイビジョン以上の真実の世界がある。

本書の発行日が2011年6月15日。著者諸氏は東北地方太平洋沖地震という強烈な印象を受けつつ原稿を書いたのではないかと思う。最近の国会中継をテレビとラジオを同時に視聴してみた。地デジテレビは音声が遅れているのが確認できた。アナログTV放送実施中、アナログテレビと地デジテレビを同じフロアで写している場所に行った事があり、地デジテレビの遅れを自分の眼で確認した。このような信号の遅延はアナログ信号のデジタル化処理をするために起こるらしいが、本特集ではこのような問題とその解決法が取り上げられていなかったのは残念である。地震、津波等の緊急情報を伝達するには時間が命である。緊急情報のある程度の遅延対策は可能のようだが、対応に金が掛かるので放送局側での対応比率は低いようだ。「情報処理」という技術からはこのような課題について解説するのには格好の時期とテーマではなかった。かつてのアナログTV放送では時報を流す時にはアナログクロックの画面も出ていた。この時の時報の音と秒針の指示を合わせるのにも工夫があったようだが、そのような時代は終わってしまった。

2011年11月 9日 (水)

目に留まった風景:新田荘遺跡 太田圓福寺周辺散策 廿二夜の碑の謎

2011/11/9
昨日はやや雲があったが晴れ。柿を収穫した。品種は多分「富有」と思うが正確には分からない。熟度が進み、うんだらガキになったのもかなりある。ヒヨドリ、ムクドリ等がにぎやかになるシーズンだ。今年の夏、ラジオ子供相談室で鳥類の祖先は恐竜だという話をしていた。鳥類は恐竜時代から渋いモノより甘いモノが好きだったのかとふと考えた。今年はナンテンやピラカンサスの実が良くなっていて、目を楽しませている。鳥にも食べる順序があるようで、まだナンテンやピラカンサスの実までは食べていない。柿や他の餌がなくなってから、ナンテンやピラカンサスの実を食べにくるのではないか。昨日は立冬だったそうだ。いよいよ寒さへの備えが必要になる。投票所でもらった石竹の種が育って、ようやく最初の花を着けた(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/05/post-8971.html。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/01f_flower_and_seeds.html)。霜が降る前の滑り込みセーフ。

追記:リンクが合体してリンク先に飛ばない。urlの連記は「:(コロンではだめ?)」。転んではだめ!
セミコロンで試し。

http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/05/post-8971.html&http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/01f_flower_and_seeds.html)。

セミコロンでもダメ!?  「&」がおかしい?

http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/05/post-8971.html;http;//af06.kazelog.jp/itoshikimono/01f_flower_and_seeds.html)。

http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/05/post-8971.html。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/01f_flower_and_seeds.html)。

http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/05/post-8971.html。

http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/01f_flower_and_seeds.html
)。

http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/05/post-8971.html。

http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/01f_flower_and_seeds.html

これならOK。

リンク1:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/05/post-8971.html。(だめ)

     http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/05/post-8971.html。(OK)

リンク2:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/01f_flower_and_seeds.html

2011/11/8の天気

TAVE= 14.2
TMAX= 18.4
TMIN= 9.5
DIFF= 8.9
WMAX= 6.7
SUNS= 6.8
RAIN= 0

目に留まった風景/愛しき古里:新田荘遺跡 太田圓福寺周辺散策 廿二夜の碑の謎

DSC:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02A2_FUUKEI_ATG.html

特に目的もなくぶらりと訪問する事をHAPPY CALL と言い、そういう時に思わぬ拾い物があると、何かのビジネス書で読んだような気がする。そこは圓福寺であった。下車してから看板を見て庭に入った。そこで庭の掃き掃除をしているオジサンに、新田氏累代の墓はどちらですかと聞くと丁寧に教えてくれた。ぶらりと歩き始めると、「廿二夜」という石碑があった。その下に、「當村女人講中」とあり、文化年代の建立であった。石像に何か不可解なモノが刻まれていたのでオジサンに聞いてみた。実は地元の人間ではないのでその由来は分からないとの事だった。桐生の出で、当地で定年後の生活をしており、庭掃きはボランティアでしているとの事だ。「廿二夜」、「當村女人講中」、「文化年代の建立」というキーワードを念頭に、帰宅してWEBで調べてみるとあの石像は如意輪観音のようだ。どうもあの石像の不可解なモノは出臍ではなさそうだ。それならばと、その部分にデジカメを向けたが丁度電池切れになった。あの、石像の図章の意味をだれかが解明しているのだろうか。石段を上がると、鐘があった。だれもいなかったので突いてみた。その余韻はかなり長かった。その鐘には、大東亜戦争死者供養之鐘、昭和32年4月と記されていた。そうか、そう言う意味かと思い、もう一度供養の気持を込めて鐘を突いた。ついでに余韻が続く時間を計った。1分35秒だった。大東亜戦争応召軍馬供養塔というのもあった。気分は時空を超え、当時の雰囲気にワープしてきていた。一人でぶらりの楽しい一時であった。それにしてもここが円福寺茶臼山古墳だとは気付かなかった。

太田市ホームページには、「円福寺茶臼山古墳;url=http://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/bunmazai/otabunka45.html」というタイトルで、「太田市西部、宝泉(由良)台地の西端に造られた長さ168mの大前方後円墳です。墳頂部や墳丘裾部は、後世の寺や神社等の建物を造った時に削られて、原形がそこなわれていますが、市内では天神山古墳に次いで第2位、県内でも第3位の規模を誇っています。中程にある平坦面には円筒埴輪が立て並べられています。墳丘の周りに巡らされた堀はほとんどが埋まっていますが、後円部の北側に今もその名残りがあります。造られた時期は、5世紀前半頃と考えられています。「宝泉茶臼山古墳」、「別所茶臼山古墳」とも呼ばれます。 なお、昭和46年に、群馬県指定史跡に「円福寺茶臼山古墳及び伝新田氏累代の墓附石幢」として指定されていました。しかし、平成12年11月1日に「新田荘遺跡」として国から史跡指定を受けたことに伴い、県指定は解除されました。」とあった。

2011年11月 8日 (火)

東北の海よ:ダライ・ラマさんありがとう

2011/11/8
昨日は晴れ。11月としては暖かい天気だ。チューリップの球根を植えた。品種はオックスフォードとラベルにあった。色は赤。タマリュウと混植した。これは植え場に足を踏み入れないようにするためでもある。球根ならば何年も持つだろうという省電力化が頭にある。球根サイズも管理しないと年々
小さくなってしまうかもしれない。高校の歴史だったか、先生がイギリスの名門校がオックスフォードとケンブリッジ。ケンブリッジは剣橋と書くと教えてくれたがオックスフォードは忘れている。調べてみると牛津(オックスフォード)剣橋(ケンブリッジ)らしい。オックス:牛;フォード:津では漢字の意味を当てたようだが、ケンブリッジは音+意味のようだ。ニラをもらった。さっそくおすそわけ。

2011/11/7の天気

TAVE= 17.7
TMAX= 22.8
TMIN= 14.6
DIFF= 8.2
WMAX= 5.9
SUNS= 5.5
RAIN= 1

東北の海よ:ダライ・ラマさんありがとう

ダライ・ラマについては断片的にしか知らない。しかし、チベットという遠い西域の国というイメージの中で関心があった。仏教が日本にもたらされたルートの中でもチベットは重要な位置を占めている。日本へは色々なルートで仏教が伝えれたと思うが、本当に仏教を学ぼうとした人達は海を渡ってそのルーツを追った。先日の講演会の講師のF先生も最澄や空海の姿を留学生として、自分の留学時代を語っていた。ダライ・ラマの著書は日本語訳があり、ツンドクしている。探検家の矢島保治郎は同郷の人であり、関心があったがほとんど知らない。最近母の友人と散歩中に会い、雑談した。矢島保治郎の話を聞いたら、なんと本人に会った事があるとの事だった。前橋で事業をしたこともあったとの事だ。風貌はあか抜けて芸術家のようであったとの事だ。最近、写真家 小松健一氏がチベット探検家の矢島保治郎関係の記事を上毛新聞に書いており、矢島保治郎生誕130年記念イベントの開催を呼びかけていたのが記憶に残っていた。そんなことが頭にある中で以下の記事を目にした。

河北新報は、「ダライ・ラマ、石巻で慰霊法要 「心の痛み分かち合う」;url=http://www.kahoku.co.jp/news/2011/11/20111106t15004.htm(2011年11月06日日曜日)」というタイトルで、「東日本大震災の復興を祈願するため東北入りしているチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(76)は5日、震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市門脇町にある西光寺を訪れ、慰霊法要を行った。
 ダライ・ラマは本堂に入って礼拝し、般若心経を唱えた。出席者約1000人に「心の痛みを同じ人間として分かち合いたい」と語り掛けた。太平洋戦争末期の原爆投下による広島と長崎の惨状にも触れ「焼け野原から立ち直ったときと同じように、勤勉な国民性と協調性で力強く立ち上がってほしい」と励ました。」と報じた。

「ダライ・ラマ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9E。(最終更新 2011年9月7日 (水) 05:06 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ダライ・ラマ(Dalai Lama, ????????????,taa-la’i bla-ma)は、チベット仏教において最上位に位置する化身ラマの名跡。また17世紀(1642年)に発足したチベット政府の長として、チベットの元首としての地位も保有。チベット動乱の結果、1959年に発足した「チベット臨時政府(のちチベット亡命政府)」においても引き続き元首としての位置づけを受けている。」とある。

「ダライ・ラマ14世。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9E14%E4%B8%96。(最終更新 2011年11月6日 (日) 04:41 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ダライ・ラマ14世(1935年7月6日(チベット暦5月6日) - 、在位1940年 - )は、第14代のダライ・ラマ[1]。インドのダラムシャーラーに拠点を置くチベット亡命政府ガンデンポタンの長である[2]。法名はテンジン・ギャツォ(チベット文字:??????????????????; ワイリー方式:Bstan-'dzin Rgya-mtsho)。 またチベット民族のあいだで尊敬されているチベット仏教を代表する最高指導者であり、宗派を超えて大きな影響力を持つ[3]。また、チベット仏教のゲルク派の最高位の仏教博士号(ゲシェ・ラランパ)を持つ僧侶でもある。チベット仏教の全宗派の伝統の教えを継承し研鑚を積んでおり、教え・実践両面のすべての領域における最高の権威者(チューキ・ギャルポ;法王)として広く認められている。また世俗的な称号としては、フランスパリ名誉市民、名誉博士(ニューヨーク州立大学バッファロー校)などがある。」とある。

「矢島保治郎。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%B3%B6%E4%BF%9D%E6%B2%BB%E9%83%8E。(最終更新 2010年7月4日 (日) 01:17)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「矢島 保治郎(やじま やすじろう、1882年(明治15年)8月23日 - 1963年(昭和38年)2月13日)は日本の探検家、軍人。四川省からのルートで初めてチベット入りした人物であり、ダライ・ラマ13世の厚遇を受けてチベットの軍事顧問に就任した。 文献によっては名前が「保次郎」となっているものもあるが、矢島が使っていた名刺や親族からの手紙などには「保治郎」が使われている。」とある。

「チベット自治区。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%8C%BA。(最終更新 2011年10月26日 (水) 08:12)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「チベット自治区(チベットじちく、西蔵、チベット語: プー・ランキョン・ジョン[1], チベット文字:???????????????????; ワイリー方式:bod rang skyong ljongs)は、中華人民共和国(以下、「中国」)の西南部を占める区域自治区である。」とある。

ダライ・ラマ法王日本代表部ホームページ:url=http://www.tibethouse.jp/home.html

ダライ・ラマ14世はチベット仏教の最高指導者であるとともにチベットの元首でもある。しかし、中華人民共和国はチベットをチベット自治区として、独立を認めていない。日本国も中華人民共和国との関係でダライ・ラマ14世のチベットの元首としての入国を認めていないようだ。チベットもダライ・ラマ14世も大きな歴史の流れの中にある。ダライ・ラマ14世は、1989年にノーベル平和賞を受賞している。ダライ・ラマ14世は何度も日本を訪れている。日本が仏教国でダライ・ラマ14世に親近感を覚えるが、ダライ・ラマ14世の活動は世界的である。そんななか、矢島保治郎は当時は未知の国であったチベットへ向かい、ダライ・ラマ13世と親交があった。これも日本とチベットの関係で重要な歴史であったに違いない。河北新報の記事を読むとダライ・ラマ14世が、平和の実践者であることを改めて感じる。

2011年11月 7日 (月)

老人の寝言:TPPは血液凝固阻止剤「ワーファリン」ではない。劇薬を飲むより体質改善が先だ。

2011/11/7
昨日は曇り時々雨。AMEDASでは、3~4、14~16時に雨が記録されている。宅内で雑用をして過ごす。夕方話し相手が来て雑談。話は世界情勢から歴史とあちこち飛んだ。EUはギリシャが国民投票を回避して何とかEU内部の結束が保たれた。ところがイタリアが危ないというニュースも耳に入る。

2011/11/6の天気

TAVE= 16.5
TMAX= 18.2
TMIN= 15.5
DIFF= 2.7
WMAX= 2
SUNS= 0.1
RAIN= 7

老人の寝言:TPPは血液凝固阻止剤「ワーファリン」ではない。劇薬を飲むより体質改善が先だ。

ユーロとはまさに通貨のTPP版だろう。EU内部では無条件にユーロが闊歩する。EU構成国の経済力が均衡していればお互い様だが、不均衡だといつ問題が勃発するか分からない。通貨レートも関税もその不均衡を調整するための調整弁である。その調整弁を無くそうというのがTPPだから、無謀という以外にない。これは、人体や生物が安定して機能するように働くホルモン等から類推すれば自明な事だ。採血をするとき、血液をサラサラにする薬を飲んでいますかと聞かれる。血液も血管内をがんがん流れれば良いというモノではない。適度の粘性と凝固性を持たなければ生体に大きな負担を与え、ついには生体システムは暴走してしまうだろう。21世紀はIT革命の時代でもある。通貨レートが固定レートから変動制になったのも、経済の動きが早く、通貨レートの固定制ではコレステロールのような役割しか果たせなくなったからだろう。国家間の関税もIT技術で、時々刻々と変えれば、潤滑な経済の流れが実現することは目に見えている。TPPを「ワーファリン」のつもりで丸飲みするようでは国も国際関係も持たない。「ワーファリン」はそれを必要とするものに必要量だけ処方すればよい。

2011年11月 6日 (日)

読みかじりの記:「エンジニアが30歳までに身につけておくべきこと」 椎木一夫 著 (2005年 株式会社 日本実業出版)

2011/11/6
昨日は晴れ後曇り。温暖な天気だった。AM弔問。その足で外出。久しぶりで、スーパーモールに行ってみようと思い、脇道に入った。距離感覚を失い、目的地を通り越して、見知らぬ幼稚園の近くに出た。その南側になにやらお寺があった。しばらくそこを散策して、百目柿の苗を買ったりして帰宅。

2011/11/5の天気

TAVE= 16.1
TMAX= 19.8
TMIN= 11.7
DIFF= 8.1
WMAX= 1.7
SUNS= 3.9
RAIN= 0

読みかじりの記:「エンジニアが30歳までに身につけておくべきこと」 椎木一夫 著 (2005年 株式会社 日本実業出版)

本書カバーの著者の肩書きは慶應義塾大学理工学部教授。巻末の著者略歴によれば、専門は固体物理、磁気センシング。日立中央研究所を経て大学に戻った。産業カウンセラー、キャリアコンサルタントなどの資格を持つとあり、本書を読み進める参考になる。本書を読みかじったのも自分の人生をレビューしてみる意味もある。

本書のタイトルから本書が30歳より若いエンジニアを主たる対象に書かれているのだろうと思う。さらに対象を絞れば、大学を卒業してエンジニアとして出発した人となるだろうか。大学という人材育成の現場から、大学を卒業した若きエンジニアへのアドバイスを述べた本ともいえるだろう。自分が就職する当時にこのような本があれば大いに役だったのではないかと思う。

各章の構成は以下の通り。

序章 二十代のうちに早く意識改革を!
第1章 技術者魂こそ、エンジニアの証
第2章 自分のキャリアは自分でマネージメントする
第3章 一流エンジニアの仕事の進め方
第4章 味方を増やすコミュニケーション術
第5章 プレゼンテーションを成功させるコツ
第6章 知的所有権に強くなろう

自分が技術者として余り意識しなかった項目は、「第2章 自分のキャリアは自分でマネージメントする」、「第5章 プレゼンテーションを成功させるコツ」だったかもしれない。日本は終身雇用の国という意識がほとんどの労働者にあったと思う。いわば、職制に乗っていればなんとか食い損ねる事はないと思いこんでいた。従って、ある意味では技術やノウハウが個人に集積できた。自分の若きエンジニア時代に、リースマンの「孤独な群衆」という本を読みかじり、SOCIAL LADDAERというのがアメリカにもあると知ってショックを受けた。また、実務の面でも、エンジニアと作業員の格差がある事を知った。これは、欧米の会社と集積回路を共同開発したときの事だ。日本の技術者が、自分からデータを採ったりと、泥臭い仕事をしているのに、欧米の技術者はそのような仕事を作業員/OPERATORにさせているとの事だった。欧米では技術者の社会(階層)的に高い位置にいるように感じたのであった。従って、技術者になるには、がむしゃらに勉強して、大学に入り、就職をしても、知識や技術を追求する、そうして、より高いサラリーとより高い技術を求めて転職をする。当時、仕事で付き合った印象に残っているカナダのエンジニアの名前を検索したらそれらしい人物があった。やはり、キャリアを積み重ね、SOCIAL LADDAERを上がっていったようだ。

本書の「はじめに」で、著者は「技術大国ニッポンの面影は薄れつつある。」それでも、資源の乏しい日本では技術立国が必要。若者の理工離れも進む中で、本書が「若者たちがエンジニアの仕事について考えるきっかけになれば幸いである。」と述べている。文明という大きな時代の流れの中で、日本のエンジニアの地位も生き方も代わりつつあるのかも知れない。日本では技術も学会も閉鎖的な面が多い。人間の動きでも同じ傾向が強い。そのような見えないバリアーもやがて引力を失ってくる。理工離れも嘆いているだけでは改善できない。そういう意味では本書を前向きに読んで自分の力を蓄えるのも結構だろう。

先日聞いた講演もそういう意味では興味を持って聞いた。講師は当地域の出身で大学卒業後渡米。専門は農学だったようだ。その後JICAの支援事業で世界各国で活動。更にその後は教育界に転進。教育学部系の出身でなかったたので、教育の本道以外でも仕事をされて、現在では大学系の高校の校長。講演後の質疑応答で、いじめの話になった。そのような相談員の資格もとって、数年間相談業務も経験したとの事だ。いじめがあったら必ず関係者に報告して相談しなさい。いじめは見えないままにしては解決しない。専門家に相談すれば必ず解決しますと言う心強い回答があった。これは先生のキャリアから生まれた確信のようだった。ともかく、人生の先輩が若者達に、助言をするのも良し、苦言を呈するのも良し。ヒポクラテスの言葉:「人生は短し、されど芸術は長し」。この「芸術」とは技術の誤訳らしい。医聖ヒポクラテスにとっては医術だったかもしれない。全ての技術に人間のありかたが問われているのではないか。

これから、人生100年という長寿社会になるのも現実味をおびてきた。仕事が全てではない。長い人生の中で、自分に最適な仕事はなにかと、いくつかの仕事を変えたり、新しい仕事にチャレンジすることも可能になるだろう。むしろそれが望ましいのではないか。大学、大学院等は人生の途中の、リフレシュ期間、次の仕事へのギアチェンジの期間であっても良いのではないか。自分の人生を振り返っても、受験勉強という非生産的な仕事に貴重な青春時代を浪費してしまったという少なからぬ悔いが残っている。これが先憂後楽という事なのか。青春時代は創造的に悩んでみたい。全ての可能性に挑戦してみたい。人生後半の切符を人生前半にもらってしまいそれに人生がとらわれてしまうのも勿体ない。エンジニアという一見近代的な職だが生涯現役を貫くのも難しい。そういう意味では、一丁前のエンジニアになるより先に、一丁前の人間にならなければならない。S.Jobs、Bill.Gatesはエンジニアなのだろうか。

2011年11月 5日 (土)

半端道楽:ブログのファビコンを作る

2011/11/5
昨日は晴れ。好天だが午前中は宅内で午後外出。スーパーの店頭に筆柿が並んでいた。愛知県産だった。今年は我が家の筆柿も数個実を付けた。うまそうなオレンジ色になっているのでもいでかじってみると渋かった。調べてみると筆柿は不完全甘柿との事。記事:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02e2_kaki_TREES.html。店頭に並んでいる筆柿は選別したり脱渋したりして付加価値を付けている。我が家の筆柿はスッピンだ。一昨日、汽笛の音を聞いて、我が家のかみさんは煙が見えるか二階にあがったと、新聞記事を見ながら話した。上には上がいるものだ。それにしても二人が共通体験をしたので、空耳で無いことが確認できた。

2011/11/4の天気

TAVE= 15.5
TMAX= 22.6
TMIN= 9
DIFF= 13.6
WMAX= 2
SUNS= 9.7
RAIN= 0

最低気温(℃)  8.7  06:27
最高気温(℃)  23.0  12:56

半端道楽:ブログのファビコンを作る

現在WEB閲覧には、IE6.2とFIRE FOX7.0.1を分けて使っている。FIRE FOXは色々な機能を追加できるとが売りらしい。IEはOSのおまけ。自分が最初に使ったブラウザは多分NET SCAPEだったと思う。それ以前はPROVIDER専用の接続ソフトを使っていた。これはADSL以前のパソコン通信の時代だと思う。

最近、FIRE FOXでは同じブログでも、URL表示部分に何か気になるマークがでるサイトがあるのに気付いた。IEだとその表示がない。IEのアイコンが出るだけ。これはウイルスかと疑った。調べてみるとファビコンというアイコンの一種との事。簡単に出来るとあるので試してみた。

グリーンダルマ(MIKANKUN)の画像は1年ほど前にPAINTとマウスで作った。これを少し加工して使って見た。このファビコンを作くってくれるサイトがあり、そのサイトに接続して問題はないかと気になった。WEB上にはピンからキリまで多様な情報が氾濫している。ともかく何とか作成したファビコンが画面に現れた。このグリーンダルマは元々は、七転び八起きを目指して赤のダルマを作ったのを改造した。もう真っ赤になって踏ん張る歳でもなさそうだ。失敗にめげず、何度失敗しても安全にという願いを込めて色グリーンにした。勿論シンマイや蜜柑の意味も込めている。

2011年11月 4日 (金)

ざっそう句:汽笛

2011/11/4
昨日は曇り。蜜柑樹の傾きを補正するための誘引をした。竹の杭とマイカ線を使用。昼前遠くから汽笛の音が聞こえてきた。SLの記念運行があるとのニュースを聞いていたので、仕事をしながらあの汽笛がそうなのかと思った。調べてみるとurl=http://jres.jp/news/docs/11.08.24pursu_akirin.pdfにその記事があった。11/3文化の日、「C61が故郷、群馬県伊勢崎市に帰ってきました。C61が伊勢崎~高崎間を走ります。(往路EL牽引・復路SL牽引)」とあり、往路EL牽引は伊勢崎着10:59、復路SL牽引は伊勢崎発11:39であった。このSLは華蔵寺公園に保存されていたものが復元された。「国鉄C61形蒸気機関車20号機;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84C61%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A20%E5%8F%B7%E6%A9%9F;(最終更新 2011年11月1日 (火) 03:02)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「廃車当時はSLブームであったこともあり、当機は国鉄から無償譲渡され、群馬県伊勢崎市の華蔵寺公園遊園地で静態保存されることとなった。」とある。直線距離で3Kmほどあると思うが、駅からSLの汽笛の音が聞こえてきたのは何年ぶりだったろうか。偶然聞いたSLの汽笛の音だがなんとなく懐かしさを感じた。夜は講演会へ出かけた。久しぶりに夜空を見た。木星が南東の空、上弦の月が南の空に輝いていた。月の光で薄い影が出来ていた。

2011/11/3の天気

TAVE= 15.0
TMAX= 19.5
TMIN= 11.5
DIFF= 8
WMAX= 2.8
SUNS= 1.4
RAIN= 0

ざっそう句:汽笛

■夢現汽笛はるけし耳の奥
■SLの雄叫び悲しいつ滅ぶ
■老テクの蒸気機関に夢一つ
■夢乗せて汽笛一声なお走れ
■SLよ脱原発に復帰せよ

2011年11月 3日 (木)

ざっそう句:ムカゴ飯

2011/11/3
昨日は大体晴れ。夕方にかけて曇って寒くなった。朝方は定例の仕事。午後接木。接木ナイフを研ぎ始めた時に不注意で左中指先端にナイフの刃先が滑ってしまった。急いで押さえた。幸い傷は浅く出血もごく僅かで済んだ。傷絆創膏を用意していたのでそれを貼って作業を続行できた。ナイフが滑って指に当たるまで僅かだが短い時間あったと感じた。一瞬やった!と思ったが避けられなかった。怪我の反省をすると、やはり精神の統一が出来ていない。これから、ナイフを研ぐのだと始業点検を十分していなかった。行動と意識のベクトルを合わせなければならない。幸運にも玄米ムカゴ飯を味わった。玄米は新米。ムカゴもとりたて。素朴な味だが、贅沢な気分だ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/01e_ITOSIKIMONO_TABEMONO.html)。

2011/11/2の天気

TAVE= 14.7
TMAX= 20.3
TMIN= 9.1
DIFF= 11.2
WMAX= 4.9
SUNS= 7.9
RAIN= 0

最低気温(℃)  8.9  05:44
最高気温(℃)  20.8  14:03

ざっそう句:ムカゴ飯

■味も香も色も姿も楚々のまま
■ころころと釜の中までムカゴかな
■山里へ記憶を戻すムカゴ飯
■飄々とトロロになれず丸くなる
■一回り遅れて親追う子の努力

2011年11月 2日 (水)

老人の寝言:世界人口が70億人を突破して日本はどこに向かうのか

2011/11/2
昨日も穏やかな晴天。11月としては暖かい天気。日光浴をかねてタマリュウの改植。グランドカバーも良く目に付く部分はそれなりに手入れをしようと思っている。花木を植えても、一斉に同じ色で作とついつい綺麗!と感じる。そこに雑草や雑木があるとうっとうしく感じる。好ましいと思うものS(シグナル)と、好ましからざるものN(ノイズ)の比S/Nが影響しているようだ。TVの画像ではS/N=40dbが実用限界だったと思う。人間の審美眼はどうなっているのか。S/N比を上げるために雑草を引き抜くのでは際限ないエネルギーが必要になる。上手に手抜きをする方法はあるのか。暖かいのか蚊が元気良く飛び回っている。

2011/11/1の天気

TAVE= 15.3
TMAX= 21.7
TMIN= 9.6
DIFF= 12.1
WMAX= 3.8
SUNS= 10.1
RAIN= 0

最低気温(℃)  8.2  06:31
最高気温(℃)  22.1  14:11

老人の寝言:世界人口が70億人を突破して日本はどこに向かうのか

2011/10/31国連は世界人口が70億人を突破したと公表したようだ。2011年WIKIPEDIAによると「2011年現在193か国」とある。この世界人口70億人は瞬時値であり、増大傾向の通過値に過ぎない。国連が世界人口70億人を公表するにしても色々な意味があるだろう。そこで、国連サイトからこの世界人口70億人突破の記事を探して見つけたのが以下の記事である。世界の70億人に宛てたメッセージとなると、その表現一つにも細かな配慮が必要なようだ。冒頭の一行は国連総長が世界のリーダー達に向けたメッセージととれるのではないか。世界のリーダー達よ世界の困難な問題解決に挑戦せよと読める。

UN NEWS CENTREは、「As world passes 7 billion milestone, UN urges action to meet key challenges;http://www.un.org/apps/news/story.asp?NewsID=40257&Cr=population&Cr1=(31 October 2011)」というタイトルで、以下の通り報じた。

*********************************************
「31 October 2011 --
Top United Nations officials today marked the global population reaching 7 billion with a call to action to world leaders to meet the challenges that a growing population poses, from ensuring adequate food and clean water to guaranteeing equal access to security and justice.

“Today, we welcome baby 7 billion. In doing so we must recognize our moral and pragmatic obligation to do the right thing for him, or for her,” Secretary-General Ban Ki-moon said at a press event at UN Headquarters to mark the milestone.

Mr. Ban noted that the world’s population reached 6 billion in 1998, only 13 years ago, and it is expected to grow to 9 billion by the middle of this century, or even a few years earlier -- by 2043.

    What kind of world has baby 7 billion been born into? What kind of world do we want for our children in the future?

“But today -- this Day of 7 Billion -- is not about one newborn, or even one generation,” he stated. “This is a day about our entire human family.”

The world today is one of “terrible contradictions,” said Mr. Ban, noting that there is plenty of food but 1 billion people go hungry; lavish lifestyles for a few, but poverty for too many others; huge advances in medicine while mothers die everyday in childbirth; and billions spent on weapons to kill people instead of keeping them safe.

“What kind of world has baby 7 billion been born into? What kind of world do we want for our children in the future?” he asked.

“I am one of 7 billion. You are also one of 7 billion. Together, we can be 7 billion strong -- by working in solidarity for a better world for all,” the Secretary-General said.

In an op-ed published in The International Herald Tribune, Mr. Ban said that as the world population passes 7 billion, “alarm bells are ringing.” He noted that the meeting later this week in France of the Group of 20 leading and emerging economies (G-20) is taking place against the backdrop of growing economic uncertainty and mounting inequality.

“In Cannes, leaders should agree to a concrete action plan that advances the well-being of all nations and people, not just the wealthiest and most powerful,” he stated.

The President of the General Assembly, Nassir Abdulaziz Al-Nasser, said today’s milestone is a reminder of how the world’s poorest -- the so-called ‘bottom billion’ -- are rendered vulnerable with little or no access to basic needs.

“Seven billion people face, almost on a daily basis -- with varying degrees of severity -- the consequences of environmental challenges, increasing poverty, inequity, wars and economic instability,” he told the event.

“But with each of these challenges comes an opportunity -- 7 billion opportunities in fact,” he added, noting that these opportunities can be harnessed to reach global anti-poverty targets, to invest in youth and women, and to re-think the approach to sustainable development.

The Executive Director of the UN Population Fund (UNFPA) underscored some of the challenges in an expanding global community, including in promoting the rights and health of 7 billion women, men and children.

“We must ensure that, in areas of the world where population is growing fast, we raise the status of women and young girls to be able to access education and make choices for themselves,” Babatunde Osotimehin said at the gathering.

“We also owe it to the 215 million women worldwide who require family planning and are not getting it to make it available,” he said, adding it is also necessary to ensure safe pregnancy and delivery for every woman that wants to give birth.

At the same time, he highlighted the need to give ageing populations in many parts of the world a life of dignity, and to tackle the rapid urbanization and migration which many countries have to face.

The UN human rights chief also marked the occasion, stating that the 7 billionth child is, by virtue of her or his birth, a permanent holder of rights, with an “irrevocable” claim to freedom.

“But she or he will also be born into a world where some people, given the chance, will trample on those rights and freedoms in the name of state security, or economic policy, or group chauvinism,” High Commissioner for Human Rights Navi Pillay said in a statement.

“If she was born a girl, she will have fewer choices. If born in the developing world, she or he will have fewer opportunities. If born a descendant of Africans in a non-African country, or as an indigenous person, member of a religious minority, or as a Roma, she or he is likely to face discrimination and marginalization, with a childhood rife with vulnerability, and a future adult life hedged in by exclusion.

“But he or she has also been born at a time of great hope,” Ms. Pillay added, noting that the demonstrations and mobilizations of civil society seen in 2011 in a sense “provide a birthday celebration for the 7 billionth person on this planet, and also serve as a warning to those who might be inclined to deprive this child, like many others, of his or her birthrights.”」

*********************************************

「国際連合加盟国;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%A3%E5%90%88%E5%8A%A0%E7%9B%9F%E5%9B%BDurl;(最終更新 2011年9月24日 (土) 05:38 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「国際連合加盟国(こくさいれんごうかめいこく)は、2011年現在193か国である。原則として国際連合に加盟できるのは主権を持った国家だけである。国連憲章第2章第4条[1]によると、「国際連合加盟国となることの承認は、安全保障理事会の勧告に基いて総会の決定によって行われる。」と定められている。 国際連合安全保障理事会と総会の承認が得られなければ加盟できないために主権を持っている国であっても国際的に認知がなされていなかったり、特定の加盟国からの反対があると加盟できない。現在のところすべての加盟国が主権国家である。」とある。

2011/11/1ラジオの国会中継を聞きながら仕事をした。TPPの議論で首相の答弁も本音がどこにあるのかさっぱり分からない。農業政策も矛盾だらけ。そのままTPP交渉に突っ込むのか。覚悟云々と大見得を切ったが国民道連れの玉砕では困る。それにしても、日本の国会に格調の高さを余り感じなかった。余りにも内向きだったり、禅問答でも困る。

世界人口が70億人というニュースを聞いて先ず思い出したのが、食料をどのように確保するかである。上記国連ニュースで、「The world today is one of “terrible contradictions,” said Mr. Ban, noting that there is plenty of food but 1 billion people go hungry; lavish lifestyles for a few, but poverty for too many others; huge advances in medicine while mothers die everyday in childbirth; and billions spent on weapons to kill people instead of keeping them safe.」と述べている。日本が世界に目を向けるとまだまだやることがあるように思う。

食糧援助は被援助側の自立意欲を奪い、益々被援助側を不安定な立場にさせるという指摘もあったと思う。国際市場で食糧が動くのも余剰があるから可能なのだろう。通貨が不安定になり、食糧生産が不安定になると食糧への投機が始まる。福島原発事故で、放射能米が懸念されて、米価が例年以上に高値になっているのも気がかりだ。ともかく世界人口が70億人となった事実が日本にとりどんな意味を持つかをしっかり考えたい。ともかく、終戦後の食糧不足を体験した世代にとっては、日々安心して飯が食えるだけでもありがたいという思いがある。

2011年11月 1日 (火)

老人の寝言/出番無きマニュアル:東京電力福島原発事故時に、事故時運転操作手順書は有効に機能したか

2011/11/1
昨日も晴天。午後はやや雲が多かった。庭の松の縮伐続き(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/04c_syukubatu_cut_and_try.html)。手入れ不足で枝葉が伸び放題。丸坊主に近くなるほど切りつめた。枯れるも良しと割り切った。太い枝から切ったので細い枝が残っている。成長は遅くなり剪定の手間も省ける事を期待している。「太い枝から切れ」というのは果樹の剪定で学んだ。切った枝は元に戻らない。切る切らないの決断が必要だ。シャツが肌に張り付いてしまった。引っ張ると痛い。何事だと見ると松の切り口から出た松ヤニがしみ込んでいた。戦後最高値(1ドル=75円32銭)を記録し、円高が止まらない。白色の山茶花と菊が咲き出した。山茶花は蕾の開きかけから開花直後頃までは特に
綺麗なようだ。

2011/10/31の天気

TAVE= 17.0
TMAX= 23.9
TMIN= 12.4
DIFF= 11.5
WMAX= 6.2
SUNS= 7.1
RAIN= 0.5

老人の寝言/出番無きマニュアル:東京電力福島原発事故時に、事故時運転操作手順書は有効に機能したか

世間にはマニュアル人間云々と言い、マニュアルを軽視する風潮もある。マニュアルの意味は、「manual【名】①〔機器などの〕取扱[操作]説明書、マニュアル②《音楽》〔オルガンなどの〕手鍵盤③《軍事》〔小銃の〕訓練、演習」とある。英語で調べるとその語源は「Origin: 1375--1425; < Latin manua-lis (adj.), manua-le (noun) (something) that can be held in the hand (manu(s) hand + -a-lis, -a-le -al1, -al2); replacing late Middle English manuel < Middle French < Latin, as above(url=http://dictionary.reference.com/browse/MANUAL)」とある。まさに物事を操作するラテン語の「手」に語源があるわけだ。手は口より下だ。口先だけで全てが片づくと考えると労働観が崩壊してしまう。こつこつと手足でする労働が社会の原点になくてはならない。

東京電力福島原発事故の検証にため、衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会が東京電力に福島原発の「事故時運転操作手順書」の提出を東京電力求めたが、東京電力が提出した「事故時運転操作手順書」は数ページで、それもほとんどが黒塗りにされていたので、ゴウゴウとした不満が渦巻いた。東京電力は黒塗りの理由として、「テロ対策の核防護や知的所有権などを挙げていた」が本心は別の所にあるのではという推測もあった。それが、ようやく提出された。この「事故時運転操作手順書」がどこにあるのか探したが、経済産業省のホームページの2011年10月24日の報道発表として公表されていた。「衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員会への東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故原因の検証に必要な資料の提出について(url=http://www.meti.go.jp/press/2011/10/20111024003/20111024003.html)」。

福島原発事故の検証の最大の目的は何か。それは、同じ事故・同類の事故の再発防止以外にないだろう。検証の結果は当然、組織体として後々の原発事故にフィードバックする必要がある。そのようなシステム体系の一つにISO9001があり、東京電力は柏崎刈羽原子力発電所でISO9001の認証を取得したとされている。東京電力は福島原発事故に先立ち、2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震で原発事故を体験している。またWIKIPEDIA、「東京電力原発トラブル隠し事件:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9B%BB%E5%8A%9B%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E9%9A%A0%E3%81%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6」も多発している。東京電力は真摯に物事に対応してきたのか。柏崎刈羽原子力発電所のが福島第一原子力発電所に展開されていたら事態はもう少し良かったのだろうか。ISO9001も看板に終わっているような例もある。どうせ役に立たないからそんな業務はやらぬ方が良いと割り切る経営者もいるだろう。

JCOの臨界事故では表マニュアルと裏マニュアルがあり、日常の作業は裏マニュアルが使われていたとの記憶が残っている。会社生活では業務マニュアルを書いた経験がある。ともかく、マニュアルがあれば、業務の全容が掴みやすくなる。コンピュータのプログラムはコンピュータの実行手順書だ。このプログラムが適正に書かれていればコンピュータも正常に動作する。出番無きマニュアルとは、マニュアルが、問題が発生した時、ようやく出番を迎えるような意味で使っている。しかし、マニュアルがあるだけでも、問題解決の手がかりになるのだ。東京電力の事故時運転操作手順書の作成者もきっとこのマニュアルの出番が来ないようにと願いつつ書いたのかもしれない。

経済産業省の上記公表の、(別添3)1号機 事故時運転操作手順書(事象ベース)、(別添4)1号機 事故時運転操作手順書(シビアアクシデント)を拾い読み。「第一運転部(主管部)」とある。一番の関心は誰が何をするかの規定である。それが「6.責任と権限」で、「本業務における責任と権限の所在を以下のとおりとする。」として、「職務:操作責任者、責任者:当直長、役割:操作の責任を有する。」とある。これは、船舶や飛行機で言えば、船長や機長に相当する職務であろう。一つの原子力発電機の当直長は、その原子力発電機に精通して、その原子力発電機を操作し、機能遂行、人命・財産の保護等を行う責任と権限を有するのだろう。限られた範囲、限られた状況では当直長に原子力発電機システムの操作権限と責任を委ねているのだろう。重大な緊急事態においては、独断遂行も許されるというのが一般的な理解なのだろう。

福島第一原子力発電所事故直後は原子炉は三重の壁に守られて、原子炉の健全性は保たれているというメッセージがあちこちから流れてきた。それから、半年以上経過して「原子炉の健全性」という言葉は、空虚に響くどころか、ほとんど聞かれなくなってしまった。福島原発事故はその初動対応という点で多くの疑問を残している。その最大の疑問は、地震や津波が襲った時点で、東京電力の経営トップの会長、社長がどのような役割を果たしたかである。平成23年3月11日は金曜日。WEB情報によると会長は海外、社長は関西と業務外物見遊山だったとか。金曜日に物見遊山で土日は休みというようなスケジュールを組めるのはサスガだ。業務出張だったのか。東京電力福島原発事故で、原子炉への海水注入の問題でも不可解な事があった。原子力発電所所長の独断専行を処分すると経営トップが発言した記憶がある。事故時運転操作手順書によれば、原子力発電所所長の独断専行は当然の権限と責任の範囲にあるように思う。命令の指示と許可等があいまいなままうやむやになったいるのではないか。「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」は内閣官房に設置されて中立性がないとの批判を受けて、国会にも同趣旨の委員会ができた。

asahi.comは、「原発事故調設置法が成立 次の臨時国会で設置;url=http://www.asahi.com/politics/update/0930/TKY201109300254.html(2011年9月30日13時58分)」というタイトルで、「東京電力福島第一原発事故の検証のため、国会に有識者の事故調査委員会と衆参国会議員の両院合同特別協議会を設ける「東京電力福島原発事故調査委員会設置法」と改正国会法が、30日の参院本会議で全会一致で可決、成立した。次の臨時国会で設置される。 」と報じた。

東京電力福島原発事故で、事故時運転操作手順書がどこまであいまいな事態を解明してくれるかは不明だ。権限と責任は上層部になればなるほど曖昧になってくるようだ。経営者は文書に書かれたような仕事はできないと崇高な使命を持って事態にあたれば結構だがその姿はマニュアルからは見えない。東京電力ホームページのトップページは「被害にあわれた皆さまへ」と損害賠償についてが最先端に表示される。経営方針がかすんで見えない。「経営方針・会社概要(url=http://www.tepco.co.jp/ir/management/index-j.html)」のページにも見えない。「グループ経営理念(url=http://www.tepco.co.jp/ir/management/index-j.html)」には「第1の経営指針:「社会の信頼を得る」、第2の経営指針:「競争を勝ち抜く」、第3の経営指針:「人と技術を育てる」」とある。これは東京電力全体で検証して頂きたい所だ。

ISO9001(品質マネジメントシステム規格)によれば、監査機関が第三者(利害関係者、顧客等の被監査機関以外の代表)の立場で監査に当たる。監査機関と被監査機関の秘密は契約で保証される。このような標準的なシステムで、会長、社長の業務マニュアルが作成されて、監査時に会長、社長が監査に対応するならば経営トップも自己の業務を認識するだろう。うちの会社はそんな第三者のやっかいになるほどうらぶれていないと大企業、優良企業は唯我独尊の態度をとるかもしれない。権限と責任が属人的な特性だとするのは余りにも前近代的だろう。それでは人物の器量で職務が決まってしまう。東京電力の第1の経営指針は「社会の信頼を得る」である。これがお題目でないことを証明するにはISO9001の認証を取得すればその最低レベルを証明できるのではないか。あの黒塗りの事故時運転操作手順書を見ると出番無きマニュアルが思い出されてしまう。

「ISO9001とは(url=http://www.jab.or.jp/mas/05.html)」が参考になった。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
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    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
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    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)