« 愛しきもの 根っ子(身辺雑記):クサノオウ | メイン | 身辺雑記:雨天決行の農業用水路の草刈り »

2012年5月 3日 (木)

花と実を楽しむ:アメリカハナミズキ

2012/5/3(木)
昨日は雨。朝方は曇り。種籾消毒終了。その後、定例の仕事。それが終わったところで雨が降り出した。聞くところによれば種籾を薬液に浸す時間は24~48Hとの事。水洗しないで乾燥させた方が効果があるとの事だ。薬液には殺虫剤と殺菌剤を混合している。それが籾殻を通して種子の内部に入って効果が出るのだそうだ。種子消毒も基本は野菜と同じらしい。イネ以外の種子にも参考になりそうだ。

2012/5/2(水)の天気

TAVE= 17.2
TMAX= 19.2 最高気温(℃)  19.6  09:27
TMIN= 15.9 最低気温(℃)  15.7  23:42
DIFF= 3.3
WMAX= 4.8 最大瞬間風速(m/s)   10.3(東南東)  11:08
SUNS= 0
RAIN= 18.5

Q
Q

花と実を楽しむ:アメリカハナミズキ

ハナミズキが一斉に花を付けるとその並木等は見事な景観となる。その花弁のように見えるのは総苞との事で、花の散り際をみると確かに、サクラとは違う。ハナミズキの本当の花は、総苞の中にある小さな花の固まりとの事だ。ハナミズキの花弁と思っている部分はサクラのようにはらはらとは散らないようだ。WIKIPEDIAによると、当時の東京市長であった尾崎行雄がアメリカへサクラを送ったのが1912(明治45)年。明治元年に日本の最初のハワイ移民が始まる。その後、日本から米国への移民や出稼ぎが増大した。かつては、日本もこのような人材輸出国であった。労働力だけでなく、学問やビジネス開発で渡米した人材も多数いたようだ。そのような歴史の中で、アメリカ国内に、排日運動が起こった。当時は、日本人にとってもアメリカは新天地だった。このような、世界史の一ページをめくると、日本がアメリカの首都ワシントン市にサクラの苗を送り、その返礼にアメリカから日本の首都東京にハナミズキの苗を送ったと言う、両国の外交史にも、世界史の大きな流れを感じる。現在の日本はかつてのアメリカの立場も担っている。

「ハナミズキ;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%82%AD。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年1月16日 (月) 14:16)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「ハナミズキ(花水木、学名:Benthamidia florida)はミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。北アメリカ原産。別名、アメリカヤマボウシ。 ハナミズキの名はミズキの仲間で花が目立つことに由来する。また、アメリカヤマボウシの名はアメリカ原産で日本の近縁種のヤマボウシに似ていることから。~特徴 [編集]:ミズキ科の落葉小高木。樹皮は灰黒色で、葉は楕円形となっている。北アメリカ原産。花期は4月下旬から5月上旬で白や薄いピンクの花をつける。秋につける果実は複合果で赤い。庭木のほか街路樹として利用される。栽培する際には、うどんこ病などに注意する。またアメリカシロヒトリの食害にも遭いやすい。 日本における植栽は、1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄が、アメリカワシントンD.C.へ桜(ソメイヨシノ)を贈った際、1915年にその返礼として贈られたのが始まり。なお、2012年に桜の寄贈100周年を記念して、再びハナミズキを日本に送る計画が持ち上がっている。」。
Hanamizuki_120430
ハナミズキ(ピンク、右は枯れたらしいハナミズキ)(DSC=2012/4/30)

ところで、statesymbolsusaは、「The National Flower:url=http://www.statesymbolsusa.org/National_Symbols/National_flower.html」というタイトルで、「Rose:The rose was designated the official flower and floral emblem of the United States of America in 1986. The rose has been around for about 35 million years and grows naturally throughout North America. The petals and rose hips are edible and have been used in medicines since ancient times.」と記している。日本語WIKIPEDIAによるとアメリカの国花は「セイヨウオダマキ」とある。http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_official_United_States_national_symbols」によると、「National flower: Rose、National tree: Oak」とある。日本語WIKIPEDIAでは、慣習上の日本国花は「桜、菊(いずれも慣習上)」とある。英辞郎で「ハナミズキ」調べると「dogwood《植物》〔米国ノースカロライナ州の州花〕、flowering dogwood《植物》〔米国バージニア州の州花〕」とある。

1914年に第一次世界大戦が始まる。ref/WIKIPEDIA/⇒第一次世界大戦:「第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、英語:World War I)は、1914年から1918年にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である。 ヨーロッパが主戦場となったが、戦闘はアフリカ、中東、東アジア、太平洋、大西洋、インド洋にもおよび世界の多数の国が参戦した。」

1915年当時のワシントン市長を調べる(url=http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_mayors_of_Washington,_D.C.)とOliver Peck Newman(Presidents, Board of Commissioners) :1913 ~1917である。url=http://genealogytrails.com/washdc/mayors/mayors&officials.htmlによると、「1913-1917 :Oliver Peck Newman :Birthplace=Iowa」である。

「1860 Apr 25, The first Japanese ambassador to the US, Niimi Buzennokami, and his 74-man staff arrived in Washington to present their credentials to Pres. James Buchanan.」url=(www.trivia-library.com/b/world-history-1860.htm)より引用。

「1912 Mar 27, The first cherry blossom trees, a gift from Japan, were planted in Washington, D.C. First Lady Helen Herron Taft and the Viscountess Chinda, wife of the Japanese ambassador, planted two Yoshina cherry trees on the northern bank of the Potomac Tidal Basin, near the Jefferson Memorial. The event was held in celebration of a gift, by the Japanese government, of 3,020 trees to the US government for planting along Washington's Potomac River. (HN, 3/27/98)」url=(http://timelines.ws/states/DC.HTML)より引用。

「尾崎 行雄;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%A1%8C%E9%9B%84#.E6.88.A6.E5.BE.8C。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年4月24日 (火) 12:09)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「尾崎 行雄(おざき ゆきお、安政5年[注釈 1]11月20日(1858年12月24日) - 1954年(昭和29年)10月6日)は、日本の政治家。日本の議会政治の黎明期から戦後に至るまで衆議院議員を務め、当選回数・議員勤続年数・最高齢議員記録と複数の日本記録を有することから「憲政の神様」、「議会政治の父」と呼ばれる。~東京市長・憲政擁護運動 [編集]:桂太郎弾劾演説、1913年(大正2年)2月5日(大正政変) 1903年(明治36年)から1912年(明治45年)まで東京市長に就任。夫人の逝去を受けて尾崎三良の娘・テオドラと再婚したが、混血児との結婚は尾崎に対する種々の誤解を生じさせたようである。結婚後は軽井沢に別邸を設け、莫哀山荘は軽井沢の名所とさえなった。

1904年(明治37年)2月、日露戦争の開戦後に第1次西園寺内閣が発足、西園寺公望が桂太郎の反撃を受けて総辞職し、第2次桂内閣が発足すると、1908年(明治41年)12月21日、尾崎は猶興会を改組して紅葉館で河野広中らと又新会を成立させるが、自身は西園寺総裁の下で再び政友会に復帰する。他方、犬養毅や大石らは立憲国民党を結成した。この時、幸徳秋水らの大逆事件と南北正閏問題が起こり、桂内閣は西園寺を推薦して総辞職した。

陸軍大臣・上原勇作の声明で、西園寺公望が二個師団増設案で退陣に追い込まれ、長州軍閥による毒殺で桂園時代が終わると、桂太郎が宮中・府中の別をみだるものと難じ全国的な国民運動が巻き起こった。1912年(大正元年)の憲政擁護運動では立憲政友会を代表して質問を行い、「玉座を胸壁とし詔勅を弾丸とするもの」と首相・桂を糾弾する演説を行って大正政変のきっかけとなった。これらの集会は全国で行われ、各地に咢堂会が生まれ、尾崎が壇上に立つと聴衆からは「脱帽々々」と喝采が鳴り止まず、しばしば口を開かせなかった。」。

ここまで来ても誰が日本にハナミズキの苗を送ったのか分からなかった。WIKIPEDIAでワシントンD.C.の歴史等を調べる。ワシントンがアメリカの行政都市として計画された人工都市だという記憶が甦る。そうすると、尾崎行雄がサクラの苗を送った時の大統領は第27代のウィリアム・タフトWilliam Howard Taft(共和党)だと分かる(歴代アメリカ合衆国大統領の一覧。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7)。しかし、日本にハナミズキの苗が送られた1915年には、既に第28代のウッドロウ・ウィルソンThomas Woodrow Wilsonが就任している。タフトは前職の地位に甘んじていた筈だ。

Dayton大学のホームページは、「Happy 100th!(日本のサクラ100周年おめでとう!とう風なタイトルだ。);http://www.udayton.edu/news/articles/2012/04/taft_cherry_trees.php()」というタイトルで、「President Taft sent flowering dogwood trees to Japan in 1915 to reciprocate the gift of the cherry trees.  Today, the Taft family legacy remains strong.」と報じていた。この記事では、前オハイオ州タフト知事の祖母が、タフト家はDayton大学とも日本とも深い関係があるようだ。その、家族の中で、この日本サクラについての伝説が活き活きと語り継がれていることに驚きを感じた。この記事は、アメリカの大学が地域によく根ざしていることも伝えているようだ。

「ウィリアム・タフト;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%88。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年5月1日 (火) 20:35 )(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「ウィリアム・ハワード・タフト(英: William Howard Taft, 1857年9月15日 - 1930年3月8日) は、第27代アメリカ合衆国大統領および第10代連邦最高裁判所首席裁判官。両方の職を務めた唯一の人物である。~最初かつ唯一の任期でのタフト大統領の国内課題は独占禁止、官公庁の改革、州際通商委員会の強化、郵政業務の改善および憲法修正第16条の通過に強調された。対外政策では自ら「ドル外交(英語版)」と呼んだ手段でラテンアメリカおよびアジアの発展途上国の経済発展を促進しようとした。しかしながら、有権者は彼から遊離し、二期目を目指した1912年の大統領選では大敗し再選に失敗した。」。

尾崎行雄がタフトに桜の木を送った(3月27日)1912年という年は尾崎が東京市長を引退し、タフトが大統領二期目の選挙で大敗した年である。100年前の歴史をひもとくと、日本の政治家尾崎行雄とアメリカの政治家ウィリアム・ハワード・タフトの間には、計り知れない精神の交流があったように見える。当時は日本もアメリカも世界の歴史の中では青年期に入ろうとしていた頃だろう。1914年が第一次世界大戦が始まる年であり、サクラ&ハナミズキ外交も世界史の転換期の中の一こまだったように見える。今回の、ハナミズキ外交は赤い色の実を結ぶだろうか。政治とはサクラの花のように散ってはダメだ、ハナミズキのような咲き方もあるぞと教えるために、失意の中にあったタフトはその苗を日本に送ったのかも知れない。そう考えると、尾崎行雄が議会政治にかけた執念が理解できるような気がしてくる。

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2024  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)