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2013年5月

2013年5月11日 (土)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):八坂用水と粕川サイフォン

2013年5月11日土曜日
昨日は昼晴れ。朝晩曇り。最高気温(℃) 29.4 13:41。ざっそう句:よれよれの 麦わら帽子 出番来る。朝方は定例の仕事。昼間暑くなったので古い麦わら帽子を今年初めて着用。圃場整理。ミカン苗に這い上がった枯れた蔓草等を除去。もう新しい蔓草が育ちはじめている。一年の手抜きが三年以上の生育遅れになる。ジニア苗の除草。メヒシバや雑菜も同時に育っている。本葉2~3葉になった。スイカ等の種を播いたが全滅が多い。スモモに高接ぎしたハリウッドが実を付けていた。同居させて貰っているスモモの方に実を付けさせて欲しいのだが。コンビニプリント用にDSCデータを加工。

2013年5月10日の天気(AMEDAS)

TAVE= 20.8
TMAX= 28.5 最高気温(℃) 29.4 13:41
TMIN= 13 最低気温(℃) 12.2 03:29
DIFF= 15.5
WMAX= 4.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.6(東南東) 15:41
SUNS= 6.3
RAIN= 0

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):八坂用水と粕川サイフォン

偶然、華蔵寺公園で小畠武堯の頌徳碑に遭遇し、八坂用水の事が頭の隅に残っていた。神澤川を横切って樋(とい)で水路を延長した史実には感動する。その八坂用水は東流して粕川に突き当たるのである。その部分はどうなっているのか。

「読みかじりの記(ハトよ 鳴いておくれ;愛しき古里):華蔵寺公園にあった小畠武堯(おばたけ たけたか)頌徳碑(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/04/post-7415.html)。(2013年4月19日金曜日)」

先日、外出したついでに、改めて八坂用水の粕川サイフォンを見た。外見は単なる堰にしか見えない。堰とは水流を分けたり方向を変えたり水量を調整したりする水利施設だ。この粕川サイフォンでは、八坂用水が粕川の下をトンネルのようにくぐっているのだが、想像力を働かせないとそれが見えてこないのだ。

WIKIPEDIA「サイフォン。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86)」。この記事にあるサイフォンの始動に関する部分は参考になった。

粕川サイフォンの入り口、出口は安全対策の金網等があり、直接見ることが困難であった。改めて「八坂樋と伊勢崎の掘と川(長谷川 龍雄 著)」(昭和63年7月21発行)を開くと、写真集として出版当時の上流から下流までの八坂用水の写真が多数掲載されていた。参考にその中の、粕川サイフォンを引用しておく。粕川の河床下を横切って、東岸の出口の部分が佐波・新田用水の起点になっているようだ。

同書の「(五)八坂用水の開発と小畠武堯の功績」という段にある、小畠武堯の逸話も水利事業を遂行する指導者の責任を語るものであろう。当地区の八幡沼開鑿の指導者川端宇兵衛翁は江戸末期にだが、旱魃対策のため池開鑿に成功した。八幡沼は2014年に竣工150年を迎える。振り返ると、川端宇兵衛翁は小畠武堯の事業も研究していたように感じる。川端宇兵衛翁はいわば民間の人物だが、その水利事業を成功させた。伊勢崎藩に請願書を出して工事の許可を得ている。国定忠次と沼浚いをした西野目宇右衛門は切腹の刑。国定忠次は磔の刑に処せられた。お上の領分であった水利事業を無断で断行?したお咎めという見方もできるかもしれない。それでは、失敗に終わった女堀の開鑿指導者は~と色々想像してしまう。

同書で、著者は、「新水路に水を揚げる当日には、武堯は麻衿の白装束を着用して、菩提寺の善応寺本堂に端座し、刻々と報じられる通水状況に、耳をそばだてていたのであった。漸くにして領界の神沢川に架した八坂樋を、無事通水したとの報に接し、武尭は思わずニッコリと笑って立ち上り、古謡一曲を舞い歓びの言葉をかわしたと伝えられている。白装束で通水状況を待っていたのは、万一通水に失敗した時は、全責任をとって即座に切腹し、工事の不備を上下にお詫びする覚悟であったと、言われている。この八坂通水の大功労者小畠武堯小島武尭は、享保十八年(一七三六)病没し、善応寺の墓地に眠っておられるが、大正七年、生前の功績によって、従五位を追贈されている。生前苦労の多かった武尭も、地下に於いて此のはからざる聖恩に感泣したことであろう。」と記している。

小畠武堯は、いわばお上(官)の側の人物だが、その責任に対する覚悟は同書で余すところ無く語られているだろう。
Bopix_yasakyousui_kasukawa_saifon_6
左3枚:粕川東岸、その右2枚:粕川西岸、最右端(昭和の頃:本文参照)

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追記(2015/1/7):「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):八坂用水と粕川サイフォン。」の記事がランキング10位に入った。「ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):八坂用水と粕川サイフォン(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/04/post-7415.html)(現在ランキング2位)」と関係があるのかも知れない。以前、波志江町の郷土史研究家が八坂用水だったか、水利関係の古文書を研究して発表したと上毛新聞の記事にあったのを辛うじて思い出した。先日、鯉沼の南西隅にあったコンクリート堰に、堰建設時の記録らしい文字が記されていたのでデジカメ撮影した。工事中で危険だったので後日しっかり撮影しようとした。いくつかの文字が辛うじて読める程度だった。その後、行くとその旧堰はきれいに撤去され、新しい堰ができつつあった。残念!現代文明の機械力は歴史の破壊力に通じる事を身近に感じた事だった。
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2013年5月10日 (金)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):同聚院に関重嶷父子の墓を見る

2013年5月10日金曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 29.4 15:41。ざっそう句:仕事投げ 遊ぶ極楽 極楽だ。真夏日に近い夏日。行事外出。一昨日の悪天候が一転して、最高の気候の中無事終了。帰宅後一服して用事外出。気分転換にUTUBE で三橋美智也を聞く。その後、気まぐれに色々なキーワードで検索していたら、『【完全版】ダライ・ラマ14世法王 特別講演[桜H24/11/23] (https://www.youtube.com/watch?v=WT1ZT-324rQ)』という動画に出合った(アクセス数12,464 )。以前、「東北の海よ:ダライ・ラマさんありがとう(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/11/post-7853.html)。(2011/11/8)」という記事を書いた。昨年末、参議院議員会館の大講堂で国会議員の前で ダライ・ラマがこのような講演を行い、それがUTUBEで公開されていたのにはびっくりした。1時間以上の長い動画だが音声をBGMのように聞きながらこの記事を書いた。背景にはチベットの人権弾圧があるようだが、この講演開催に関しては、与野党の議員が人権という問題に関しては同一歩調をとり、チベット支援の立場をとっているようだ。人類70億人の一人という謙遜さと気さくさで語りかけて、そこから自然にダライ・ラマの人間性が伝わってくる。

2013年5月9日の天気(AMEDAS)

TAVE= 19.2
TMAX= 28.4 最高気温(℃) 29.4 15:41 
TMIN= 10.3 最低気温(℃) 8.4 03:32 
DIFF= 18.1
WMAX= 5.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.8(西北西) 00:43 
SUNS= 12.7
RAIN= 0

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):同聚院に関重嶷父子の墓を見る

先日、同聚院の墓地で、初めて関重嶷父子の墓を見る事ができた。説明板をデジカメで写したが真っ黒で読めない。墓は東西に3基並んでいた。西から、
関譲齊平当義之墓、睡?(山+同:スイドウか)関重嶷之墓、関都守平重邑墓
とあった。

墓の基台は二段、墓碑銘に戒名や院号らしいものも含まれずに、実に簡素な印象を受けた。中央が「重嶷之墓」であり、その文字の上に二文字あるが、判読できない。コトバンクによると、、「関重嶷 【せき-しげたか】http://kotobank.jp/word/%E9%96%A2%E9%87%8D%E5%B6%B7。」という項目で、「字(あざな)は子岐。通称は助之丞。号は喚醒,睡?。名は「しげさと」ともよむ。」とあった。どうも、「睡?(山+同:スイドウか)」と書かれているように見えてきた。「山へんに同(仮に「Y洞」を充てる。)」という漢字はWIN XPで扱えないようで、その漢字は「?」に置き換わってしまう。漢和辞典では「山中のほらあな」という意味で「洞」に通じるらしい。当然、ほらあなは深ければ深いほど暗いのだ。

関重嶷之墓の西側の父の碑名には、「譲齊平」、東側の碑名には「都守平」が加えられている。この部分が死後に送られた贈り名に相当するのだろうか。そうすると、「平」とは「たいら」と読めそうだ。現代風に書いて、「関 譲齊平(じょうさい たいら)の当義(まさよし)の墓」と読めば、簡素でも何の不足もなさそうだ。そうすると、東側の「関都守平重邑」とはどんな人なのかと興味は募る。

碑名の書式から見ると、関重嶷の墓碑銘は、自分の号だけを先頭に乗せただけで、最も簡素である。後世は「関重嶷」だけでその存在と所行を評価してくれるだろうという自負心の現れのようにも感じてしまう。それでは、関重嶷の号「睡Y洞」からどんなメッセージが読みとれるのか。漢字源によると、「睡」はまぶたを垂れて眠る事に通じるとの事。「Y洞」も「山中のほらあな」。従って、
「睡」も「Y洞」も「暗い」に通じるのである。また、「睡」は動作・状態であり「Y洞」は場所でもある。

アイオー信金ホームページの「いせさきフロンティア あなたの知らない28 人の伊勢崎の偉人達(http://www.io-web.jp/info/local/PDF/frontier.pdf)(元伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館長 板橋春夫著)」の関重嶷の項に、「寛政9年(1797)には伊勢崎藩の国家老となった。重嶷はぎょくすい)から朱子学を学び、領民の教育に配慮した庶民教育施設「郷学(ごうがく)」の発展に尽くした。」

WIKIPEDIA「朱子学。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.B8.E3.81.AE.E4.BC.9D.E6.9D.A5.E3.81.A8.E5.BD.B1.E9.9F.BF)」

関重嶷(コトバンクの記事):宝暦6年9月3日生まれ。上野(こうずけ)(群馬県)伊勢崎藩家老。儒学を村士玉水(すぐり-ぎょくすい)にまなび,史学にも精通。天明3年の浅間山噴火の記録「沙降記」,地誌「伊勢崎風土記」をあらわす。天保(てんぽう)7(1836)年12月17日死去。81歳。

時代は関重嶷没後32年で明治維新を迎える(1868年)。自ら名乗った、「睡Y洞」という号は、学問、為政、実践倫理等々関重嶷の思想と行動の中に一貫して流れる、自戒、謙遜という姿勢を問わず語りに語っているようにも感じられる。そうして、墓碑銘も「「睡Y洞」関重嶷之墓」と単純きわまりない。来るべき時代を見通しているようだ。

伊勢崎市のホームページは、市指定史跡として「関当義・重嶷父子の墓(せきまさよし・しげたかふしのはか)。http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1355381199653/index.html。(2013年2月13日更新))」というタイトルで、「関家は代々伊勢崎藩の年寄(家老)職を務めた家柄であった。当義は飢饉や浅間山大噴火による利根川洪水被害の領民救済に務め、重嶷は山崎闇斎派の朱子学を究めた人物で、藩校学習堂の設置や領内に八校の郷学を興した。ともに朱子学的経世観をもって藩政にあたり、治世に大きく貢献した。当義、重嶷の墓は、同聚院墓地のほぼ中央に並んでいる。」と紹介している。
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三枚の写真を連結。

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2013年5月 9日 (木)

歴史の転換:へェ~群馬大学工学部が理工学部になった?

2013年5月9日木曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 21.0 14:20。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 20.6(北西) 14:03。ざっそう句:あの風で 発電したい 貧乏性。本日も昼間はほぼ終日強風が吹きまくった。宅内閑居。風が弱まった夕方灌水。手元にあった伊勢崎市市制40周年記念の伊勢崎市制四十年誌を拾い読み。伊勢崎市制四十年誌編集委員会代表 長谷川竜雄とあった。「八坂樋と伊勢崎の掘と川」の著者 長谷川龍雄と同一人物か気になった。アイオー信金ホームページの「いせさきフロンティア あなたの知らない28 人の伊勢崎の偉人達(http://www.io-web.jp/info/local/PDF/frontier.pdf)(元伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館長 板橋春夫著)」の石川泰三の項に「そして昭和15年(1940)の伊勢崎市誕生を迎えた。88歳の泰三が初代市長として下馬評に上ったという。」という記事が頭の隅に残っていた。華蔵寺公園にある「伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」を読むと初代市長への意欲も感じられた。伊勢崎市制四十年誌の「大正から昭和初期」の項に、「~、大伊勢崎計画に基づく市制施行への体制づくりに、町長はじめ町民一体となって努力を傾けた。しかし、たまたま収入役の過失から石川町長は引責辞職に追い込まれた。」という記事が目に入った。その記事の末尾に、伊勢崎は全国で164番目の市になったと記されている。石川泰三の没年は昭和18年(1943)である。仮に市長となり続投した場合は、重大事態の戦時下の任期途中の死亡という事になり、市政の混乱・影響は大きかったと推測される。まさに、潮時だったように思われる。

2013年5月8日の天気(AMEDAS)

TAVE= 14.8
TMAX= 20.6 最高気温(℃) 21.0 14:20
TMIN= 8.1 最低気温(℃) 7.6 02:36
DIFF= 12.5
WMAX= 12.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 20.6(北西) 14:03
SUNS= 11.6
RAIN= 0

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歴史の転換:へェ~群馬大学工学部が理工学部になった?

たまたま、「271828の滑り台Log」さんのBLOGにアクセスした時、Halさんという方の訃報を伝えていた。さらに、その情報を辿ると、数理設計研究所のホームページに到達した(http://www.madlabo.com/mad/index.htm)。このHalさんと言う方は、大学は教育学部だったが、理工系の起業家になったらしかった。

かつては、お気に入りURLを保存してアクセスした事もあった。ユニークな商品を開発していた。しかし、HPアクセスに検索エンジンを使うようになり、数理設計研究所も忘れかけていた。「271828の滑り台Log」さんのBLOGを読むと、自分が進路を考え悩んでいた頃を思い出す。父は、青空大学へ来ないかと自分の後継に期待していたが時代は激変中であった。

当時、進路を色々考えたが、具体的な職業観もなかった。消去法で、期待できそうにない分野を切り捨てて最終的にたどりついたのがサラリーマン人生だった。ただ、会社では、ベンチャー企業の技術者ともつきあいができ、ベンチャーの気持ちも理解できたと思う。ともかく、日本ではベンチャー支援というかけ声は聞こえるが、ベンチャーを育てる風土は十分ではなさそうだ。しかし、従来の大企業が衰退する閉塞的な状況なかで、ベンチャー企業が日本の救世主になる可能性を否定することはできない。

一昨年、アップルのS.Jobsが死去して、伝記本も出版された。WIKIPEDIA「スティーブ・ジョブズ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96%E3%82%BA)」の記事を読んでも、彼が大学で何を学んだのかはっきり分からないが、大学で色々な経験をして、学外でも電子機器で色々な経験を積んで、コンピュータの世界に入っていったようだ。

日本の大学でも、少子高齢化で、学生数の減少、定員割れが問題になりつつある。その一つの解決策は、社会人学生の採用かも知れない。一定の仕事を経験した社会人が、その原理原則を再学習するためには有効だろう。別な対策としては、できるだけ間口と選択枠を広げる事も有意義だろう。いわば、大学に入ってから、好きな方向を選べるようにする事だ。最近、群馬大学工学部が理工学部になるという話を聞いた。学問に専門はあっても境界はあるべきではない。その点、日本の学問の世界は、まだまだ閉鎖的な社会のようだ。

GoogleでKW「群馬大学工学部」検索するとそのままのページが冒頭に出てきた。そこへアクセスすると、トップページに「群馬大学では平成25年4月に理工学部を設置します。理工学部設置に伴い、工学部の学生募集を停止しました。理工学部ホームページはこちらをご覧ください ⇒http://www.st.gunma-u.ac.jp/  ※ なお、工学部は所属する学生が在籍する限り存続いたします。」と出てきた。

ともかく、日本の場合、人生で一番大切な青春期を不毛な受験勉強ですり減らし、大学がその反動で、遊園地化しているようでは本当に勿体ない。これは、極論だが、小学校、中学校、高等学校、大学の各一年を学外社会教育期間と義務づけたらどうだろう。自分がやりたいことが自然に見えてくるのではないか。都合14年間の学校教育は10年間の学校教育と4年間の学外社会教育になるが、自分の課題が見えてくれば、学校教育分の勉強は10年間で十分消化できるのではないか。

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2013年5月 8日 (水)

日々農天気(愛しきもの 根っ子):花水木の根っ子のど根性

2013年5月8日水曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 16.6 11:16。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 20.2(北北西) 12:30。ざっそう句:木々緑、空青く冴え 風侘びし。ジャングル状態の圃場整理。一昨日の夏日から10℃も下がり風も強い一日。その風音を聞きながら、昨年1~2mにも伸びた苗畑のヒメジオンの枯れ茎を片付ける。伸び放題のカエデを切る。爪楊枝ほどの太さの株を何本も密集植えにした鉢物をばらして畑に植えたらぐんぐん伸びてしまった。桃の木もぐんぐん大きくなっている。今年は天候不順で花が少なかったが、ぽつりぽつりと幼果が着いていた。植栽図から2006年植付のあかつきのようだ。今は病虫害が出ていないが夏には惨めな姿になる。我が家でなって食べたモモは春雷のみ。

2013年5月7日の天気(AMEDAS)

TAVE= 12.5
TMAX= 15.3 最高気温(℃) 16.6 11:16 
TMIN= 8.2 最低気温(℃) 8.1 23:56 
DIFF= 7.1
WMAX= 10.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 20.2(北北西) 12:30 
SUNS= 13.1
RAIN= 0

Bopix_tenkizu_13050712_kyoufuu_hika
強風時の天気図を比較。

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日々農天気(愛しきもの 根っ子):花水木の根っ子のど根性

5年ほど前に、地上10㎝程度で花水木の幹を切った。そろそろ根が腐りすんなり抜けると思った。すでに、グズグズに腐った株もある(A)。ツルハシでようやく堀上げた株もある(B)。びくとも動かない株もある(C)。(B)で、花水木の根っ子は横に伸びる傾向があると分かったので、(C)で堀上げに再挑戦。根はほとんど生きていた。

樹木が腐るのは細菌が分解するから。いわば、地中で根の細胞と細菌のバトルがあり、腐らない株は、いつかチャンスがあれば芽を出そうと頑張っているようだ。(C)株を堀上げて、根の伸び方と腐り方にある傾向があった。スモモの木がある方向へは根が伸びず、日当たりがよい反対側に根が伸びていた。根が腐り出すのは、スモモの木がある側であった。

このような傾向は、多分植物ホルモン等の影響があると思うが、地上の幹や枝と同じ傾向が根にも現れるようだ。当然、日光を沢山受ける方へ伸びた方が樹体が生き延びる可能性は大ききなるだろう。根の腐り方も同じ傾向が出ている。スモモの木がある方向へ伸びていた根は腐り始めていた。時間をかけて(C)株を堀上げたが、無駄ではなかった。

根を腐らせる細菌は好気性のようで、早く腐らせるには空気に触れた方が良さそうだ。土や草をかけていたが逆効果だったらしい。
Bopix_hanamizuki_ne_hikaku_5pix

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2013年5月 7日 (火)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある「伊勢崎耕地整理事業完成記念(都市建設礎業)碑」は何を語るか。20130506。

2013年5月7日火曜日
昨日は晴れ後曇り。最高気温(℃) 26.4 13:52。ざっそう句:野ざらしの 種芋腐り 肩落とす。昨日は一昨日に続いて夏日。上着を脱いで農作業。畑の里芋の種芋が全滅。土寄せと枯れ草をかけて防寒した積もりだったが、畑の里芋は腐って見る影もない。昨年は自働蒔きダイコンの莢を採取しておいたので、それから種子を取り出して、里芋の後作に播いた。ダイコンは冷涼な気候を好むようなので収穫期が夏だと大丈夫か?腐って全滅した種芋はダイコンの肥料になる筈だ。それにしても、腐敗菌は樹木と野菜で種類が違うのか?

2013年5月6日の天気(AMEDAS)

TAVE= 17.8  
TMAX= 25.5 最高気温(℃) 26.4 13:52 
TMIN= 10.1 最低気温(℃) 9.6 04:06 
DIFF= 15.4  
WMAX= 8.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.6(北北西) 23:07 
SUNS= 9.8  
RAIN= 0  

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある「伊勢崎耕地整理事業完成記念(都市建設礎業)碑」は何を語るか。20130506。

追記(2024/03/16):タイトルを変更してリンクを設定した。

この記念碑の篆額は「都市建設礎業」と読めるようだ。その碑には正確に「昭和十五年四月十五日」と年月日まで記されている。この昭和15年という年はどういう年だったのか。振り返ると、自分の父は、二十才台の中程の年齢であり、昭和13年に応召、14年にノモンハン事件に従事、15年に予備役、18年に再応召、20年に召集解除と青年時代のほとんどが軍隊生活であった。

WIKIPEDIA「1940年。(http://ja.wikipedia.org/wiki/1940%E5%B9%B4)」。WIKIPEDIA「1940年代。(http://ja.wikipedia.org/wiki/1940%E5%B9%B4%E4%BB%A3)」。

この昭和15年という年は、この記念碑(本碑)にもあるように、皇紀2600年でもあり、WIKIPEDIA「1940年」によると、「2月11日 - 日本、皇紀2600年(紀元2600年)祝典。阿部定を含む多数の囚人が恩赦を受ける。」とある。

本碑の冒頭に、「伊勢崎耕地整理事業」の経過が書かれている。この事業は既に、大正5年に企画され、大正12年に組合設立・起工、昭和14年12月に竣工し、その工期は24年、総経費は金四拾六萬参千余円という大事業であった。

そうして、本碑の建立は、「昭和十五年四月十五日」であり、実に手際よく事業が進んでいるように見える。市役所内にある、「石川泰三翁寿像建設記」には「昭和十五年九月十三日 寿像建設委員長 星野源左衛門 撰」と記されている。この「昭和十五年九月十三日」を以て、伊勢崎町が消滅し、伊勢崎市が生まれた。

WIKIPEDIA「伊勢崎町。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E7%94%BA)」によれば、合併前の人口は「23,588人(1935年)」。WIKIPEDIA「伊勢崎市。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E5%B8%82)」によれば、「1940年(昭和15年)9月13日 : 佐波郡伊勢崎町・殖蓮村・茂呂村が合併し、伊勢崎市が誕生。県内4番目の市になる。(人口40,004人)」。そうして、伊勢崎市ホームページ(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/toppage/0000000000000/APM03000.html)によれば、「 (2013年4月1日 現在) 人口:211,512人男:105,710人女:105,802人世帯数:82,512戸」である。

WIKIPEDIA「前橋市。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%A9%8B%E5%B8%82#.E7.94.BA.E6.9D.91.E5.88.B6.E6.96.BD.E8.A1.8C.E5.BD.93.E6.99.82.E3.81.AE.E7.94.BA.E6.9D.91)」によれば、「1892年(明治25年) - 市制に移行し前橋市が誕生」。

WIKIPEDIA「高崎市。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B4%8E%E5%B8%82)」によれば、「1900年(明治33年)4月1日:市制施行で高崎市となる。」。

WIKIPEDIA「太田市。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%B8%82)」によれば、「1948年(昭和23年)05月03日 - 太田町が太田市となる。」。

WIKIPEDIA「桐生市。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E7%94%9F%E5%B8%82)」によれば、「1921年(大正10年)3月1日 市制施行し、桐生市となる。群馬県では前橋市・高崎市に次いで3番目、東毛では初めての市制施行地となる。」。

群馬県の都市の市制移行順位をまとめると、前橋市:1892年(明治25年)、高崎市:1900年(明治33年)、桐生市:1921年(大正10年)、伊勢崎市:1940年(昭和15年)、太田市:1948年(昭和23年)であった。本碑には、何も書かれていないが、市制移行というのが石川泰三の大きな野望であったように見えてくる。

以下は「伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」を読む参考資料。

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都市建設礎業(篆額碑題)(参考資料)

伊勢崎耕地整理事業完成記念碑

予、伊勢崎町長就任の初、大都市建設の礎(いしずえ)を据ゑんと企図せるを以て、之が基準として、先づ街衢(がいく)整備水路疏通の急務なるを痛感し、其の目的達成には、耕地整理法に依るの便なるを認めたり。是に於て、大正五年七月三十一日、有志者と諮りて、機運の到来を待ち、十二年二月二十四日、伊勢崎耕地整理組合設立を申請して、四月一日、本懸の認可を得、同月十日創立総会を開き、役員を選挙して諸般の準備を進め、七月四日起工式を執行せり。会々(たまたま)佐波新田用水掘鑿(くっさく)の計画有り。予又、之が分水に着眼し、十三年九月十七日、八坂堰普通水利組合及佐波新田用水耕地整理組合と協議し、金壱萬弐千円を其の工事費中に提供し、華蔵寺西字堤下に於て、常時水量拾箇を伊勢崎地内に導入するの契約を結べり。爾来、着々工事を進めて、営々二十四年を閲(けみ)し、総経費金四拾六萬参千余円を費して、昭和十一年五月十日、水路先づ成り、十四年十二月十八日耕地整理の業、全く竣工を告げたり。今其の成果の大要を挙ぐれば次の如し。幹線道路幅員八間延長千五百三十七間を始めとし、中小道路面積九萬千八百九十一坪延長三萬七千三百三十七間に達す。街路は整然として、四通八達し、田九十四町七段五畝歩、畑百四町七段二畝歩の地は、耕作上の利便を高め且つ市街宅地の素地を為せり。水路面積四萬二千五百四十二坪、延長三萬千三百四十五間あり縦横に貫流す。其の一部は潅漑に用ひて、五穀豊穣の因を為し、大部は市街に通じて衛生火防に裨益すること萬人目睹(もくと)の事実なり。八間道路東側に町役場庁舎の竣工するや、沿線耕地は忽ち宅地と変じ、本町四丁目、立花町、日吉町、錦町、住吉町等店舗櫛比(しっぴ)し、漸(ぜん)を逐(お)ひて、堅実なる模範市街と化しつつあり、今や我が境域(きょういき)拡張市制施行の議、既に決し、今秋を期して実施せらるるに至れり。之を要するに該(がい=この)事業は大都市の基礎建立に貢献して、正に所期の目的を完遂達成したることを確信す。惟ふに、当時都市計画法未だ発布せられず、加ふるに農林大臣は、耕地の縮減を許さず、遵法上の困難亦(また)尠(すくな)からざりき。此の間、懸官技術員並役職員の真摯熱誠なる指導監督と参加組合員九百八十八名の協心戮力(りくりょく=協力)とに頼るにあらずんば、争(いか)でか此の美果を結ばんや。予、乏(とぼしき)を組合長に承(う)け終始事に従い、今日の成績を得たるは衷心満足とする所なり。然りと雖も、時勢は刻々進展して止まず。之が大成は後人の待つこと甚だ切なり。巽(ねがわ)くは、後賢夫れを努めよ。時、偶々(たまたま)紀元二千六百年に当り、予、亦米寿を迎ふ。感特に探し。茲に、碑を建て、由来を後世に伝えんと欲し、事業の梗概を叙し、併せて所懐を述ぶること斯(かく)の如し。

昭和十五年四月十五日

   伊勢崎耕地整理組合長従五位勲四等石川泰三撰文

前伊勢崎尋常高等小学校長 勲八等未至磨大洲書



                          山田喜泉刻

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都市建設礎業(篆額碑題)

伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」碑文入力時のMEMO・参考資料

(平成25年5月4日)。

(1)   原文は『「八坂樋と伊勢崎の掘と川(長谷川 龍雄 著)」』の「都市建設礎業」の節から引用させて頂いた。

(2)   方法:スキャナーで読み込み、ワード文書に変換。語句の誤変換を手動で修正。本文を理解しやすくするため、句読点、読点、ふりがなを付けた。

(3)   碑文の解釈等は、碑の現物を基準とすべきである。仮名遣い、漢字も古くそのままとしたが、一部入力できない漢字もあり、類語を当てはめた。上記碑文は、あくまで参考資料の扱いとする。

(4)   水量拾箇」について

A)「八坂樋と伊勢崎の掘と川(長谷川 龍雄 著)」P32に用水量の単位について、1個=3.6トンと説明している。従って、「水量拾箇=3.6トンX10=36トンと思われる。単位時間については不明。

B)「1個とは1立方尺の水が1秒間に流れる水の量(黒部河川事務所HP=http://www.hrr.mlit.go.jp/kurobe/jigyo/gaiyo/ayumi1950.html」と定義されている。1尺=(1/33)*10=0.30303m。1立方尺/=0.027826m3/=1.6696m3(ton/分。

C)「農業用水の単位「個」とは?(http://okwave.jp/qa/q410981.html)」「0.303×0.303×0.303m=約0.0278m3」。(基本単位:秒)

(5)   「都市計画。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%B8%82%E8%A8%88%E7%94%BB#.E8.BF.91.E4.BB.A3.E9.83.BD.E5.B8.82.E8.A8.88.E7.94.BB.E3.81.AE.E6.88.90.E7.AB.8B。(最終更新 2013年3月9日 (土) 12:25)」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「日本の社会構造の変化や都市への人口集中を背景に、都市や建築の統制が必要という機運が高まり、1919年(大正8年)、市街地建築物法(建築基準法の前身)と合わせて都市計画法(旧法)が制定され、翌年施行。」とある。

(6)   「予、乏(とぼしき)を組合長に承(う)け終始事に従い、~」に関して、「谷干城「さくら山集序」(http://homepage3.nifty.com/koyosho/YMKW/sakura_jo.html)」に、「明治維新、余は軍務の乏(とぼ)しきを承(う)け、君の名を聞く。」という例がある。

7)尺貫法とメートル法

 

尺貫法

単位

換算率

メートル法

 

幹線道路幅員

8

1.818

14.544

同上延長

1537

1.818

2794.266

中小道路面積

91891

3.306

303791.65

m2

同上延長

37337

1.818

67878.666

九十四町七段五畝歩

     

 

 

9475

0.992

9399.2

a

百四町七段二畝歩

     

 

 

10472

0.992

10388.224

a

水路面積

42542

3.306

140643.85

m2

同上延長

31345

1.818

56985.21

8)石川 泰三: 嘉永6年(1853)~昭和18年(1943)

9)伊勢崎市の誕生(WIKIPEDIA記事)

1940年(昭和15年)9月13日 : 佐波郡伊勢崎町・殖蓮村・茂呂村が合併し、伊勢崎市が誕生。県内4番目の市になる。(人口40,004人)」

10)初代伊勢崎市市長(WIKIPEDIA)

初代 板垣源四郎 1940年(昭和15年)11月9日~ 1946年(昭和21年)11月16日。

11)伊勢崎町:WIKIPEDIA「伊勢崎町。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E7%94%BA)」)。廃止日:1940913日。

12)石川泰三:「石川泰三 1853-1943 自由民権家・伊勢崎町長 伊勢崎出身

群馬県最初の政治結社「協同社」を結成し、欧米の政治、法律を研究・討議した。

76 是我 石川泰三伝(郷土人物叢書 1)

長谷川竜雄/編著 伊勢崎郷土文化協会 1972.12(http://www.library.pref.gunma.jp/?action=common_download_main&upload_id=817)」。

12)「石川泰三翁寿像建設記」:昭和十五年九月十三日(伊勢崎市役所内)。

13伊勢崎耕地整理事業の総経費金四拾六萬参千余円:当時の事業規模を現在金額に換算すると?円。「明治 6年~昭和29年(図 録):1386倍(http://chigasakiws.web.fc2.com/ima-ikura.html)」という例がある。これを使った単純計算で約63756万円。参考「伊勢崎駅周辺第一土地区画整理事業の計画見直し(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1000000618000/files/h24-12.pdf)」=「工事費41億円を37億円に変更;補償費294億円を175億円に変更」。

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2013年5月 6日 (月)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):同聚院の大カヤの木

2013年5月6日月曜日
昨日は気持ちの良い五月晴れ。最高気温(℃) 25.6 14:47。ざっそう句:こどもの日 婦唱夫随の 町歩き。朝一番で灌水。かみさんと新聞を読みながらゆっくりと朝食。三光堂ギャラリー彩で淡彩画の展示会があるという記事に目が止まった。そういえば、あの人ももう三回忌かとある故人を思い出す。思い立ったが吉日、これから見に行こうと決まった。それが故人の供養にもなるだろうと思いつつ、数本の飲み残しペットボトルのお茶を一本にまとめて、デイパックを担いでハイキング気分で出発。弥次喜多道中で、行く先は気分次第。とぼとぼ歩いて、ついに広瀬川を渡り、カワチ薬品の近くのパン屋で、パンを買い、WIKIPEDIA「まちかどステーション広瀬。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%8B%E3%81%A9%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E5%BA%83%E7%80%AC)」(この記事の「伊勢崎市コミュニティバス「あおぞら」
」もリンク切れ)で昼食兼休憩。利用者は我々だけ。エアコンも効いている。何という贅沢。なんという不経済。親切にも持ち出し自由の街角文庫もある。興味のある本があったので頂いてきた。お手洗いを済ませてバスの時刻表を見ると既に定刻を数分経過。遠くを見るとこちらに向かってくる所。運良くそれに飛び乗って伊勢崎駅北口まで。最後に、三光堂ギャラリー彩で展示をみる。出展していたおばさんとお茶と饅頭を頂きながら歓談。最大の成果は同聚院で関重嶷父子の墓に出会えた事。婦唱夫随でかみさんのグチも出ない最高の一日だった。おまけに、三光堂ギャラリー彩の目と鼻の先に「最高の一日 結婚式場(http://www.saikono1nichi.jp/)」があるではないか。

2013年5月5日日曜日の天気(AMEDAS)

TAVE= 17.8
TMAX= 24.7 最高気温(℃) 25.6 14:47 
TMIN= 10.8 最低気温(℃) 10.2 05:42 
DIFF= 13.9
WMAX= 6.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.5(東) 16:34 
SUNS= 12.8
RAIN= 0

Q
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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):同聚院の大カヤの木

伊勢崎駅周辺の区画整理も着々と進んでいた。交番に小さな日の丸の旗が立っていた。三光堂ギャラリーの館長に聞くと、三光堂書店もまもなく新築オープンするとの事だ。現状は道路の中の離れ島のような立地だが、仮設道路なので、今後も駅前の姿は刻々と変わりそうだ。

同聚院の大カヤは以前見学した事があった。「同聚院の大カヤ(伊勢崎市ホームページ)(http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1355120472563/index.html)」。ちょっと入って見ようと言うと、かみさんのグチも出なかった。墓地を見たのは初めて。相当広い墓地があった。WIKIPEDIA「同聚院。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E8%81%9A%E9%99%A2)」。この記事に、「関当義・重嶷父子の墓」へのリンクが張ってあったが、つながらない。ソースを見ると「<a rel="nofollow" class="external text" href="HTTP://www.city.isesaki.lg.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&amp;NEXT_DISPLAY_ID=U000004&amp;CONTENTS_ID=8003">関当義・重嶷父子の墓</a>」とあるので、多分伊勢崎市のホームページ改訂が原因なのかと思う。(httpを大文字にしてある)

外部サイトからリンクされるWEB上の情報資産も大切なIT資産だ。今後はホームページ改訂にも十分配慮が必要だろう。本来なら、ホームページ改訂の仕様条件として、旧ホームページのリンク情報からアクセスしても新ホームページの相当記事に到達するように規定するのが、本当のサービスというものだろう。

同聚院ではいくつかの法要が行われていたようだ。かみさんの興味と自分の興味が異なるので、墓地の真ん中で迷子の生き別れになってしまった。そうして、一緒になったのが大カヤの近く。その根本の太さが印象に残る。丁度、玄関から出てきた僧侶に聞くと、カヤの大木でも、腐りが入ったりしていない素性の良い大木は少ないのだそうだ。
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2013年5月 5日 (日)

環境雑録(愛しきもの 生き物):これ何で鳥(何という鳥?)

2013年5月5日日曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 22.3 15:18。ざっそう句:鯉登る 緑も登る 赤城山。圃場整理。昨年植えた接ぎ木ミカン苗の大半が枯死している。中には蔓草に埋まって生き延びている苗も少数ある。落葉樹のように葉を落として頑張り、ようやく芽を出しつつある苗もある。ミカン樹は燦々と輝く太陽が大好きなようだ。半日陰でも枯れてしまう。ああ、ヤンナチャウ。でも、ここでくじけては勿体ない。一本でも生き残れば前進だ。そういえば、ウクレレ漫談の牧紳二氏が亡くなった。

NHKは、「漫談家の牧伸二さん死亡 自殺か。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130429/k10014258061000.html。(4月29日 12時38分))」というタイトルで、「「ああやんなっちゃった」のフレーズで知られるウクレレ漫談家の牧伸二さん(78)が、29日、死亡したということです。
警視庁によりますと、自殺とみられています。 牧さんは昭和9年に東京で生まれ、戦後は定時制の高校に通いながら働いていましたが、昭和32年、人気漫談家の牧野周一に入門し、浅草を拠点に活動を始めました。ウクレレを弾きながら愛きょうたっぷりに語る「漫談」を披露するスタイルが人気を集め、1970年代にはハワイ民謡に合わせて時事問題を明るく笑い飛ばす「やんなっちゃった節」が大ヒットし一世をふうびしました。」と報じた。

かみさんと一緒にこのニュースを聞いた。かみさん曰く、「いい人だったのに。世間の不満や悩み事を一人で引き受けてしまったのだろうか」と。冥福を祈る。

来客。先日は申し訳ありませんと挨拶に来た。こちらが恐縮。夕方にも来客。計画の進捗報告。一歩前進。昨日はみどりの日、今日はこどもの日。先日、華蔵寺橋からこの季節にふさわしい風景を撮影。

2013年5月4日の天気(AMEDAS)

TAVE= 15.0
TMAX= 21.5 最高気温(℃) 22.3 15:18 
TMIN= 6.5 最低気温(℃) 5.6 04:41 
DIFF= 15
WMAX= 4.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.9(東南東) 13:12 
SUNS= 10.6
RAIN= 0

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ミドリと彩度を強調(赤城山の新緑は中腹まで登っていた。)

環境雑録(愛しきもの 生き物):これ何で鳥(何という鳥?)

いきなり、ジジイギャグ。人間、好きでも嫌いでも関心が強ければ覚えも良い。鳥類と昆虫類は飛翔能力を持った人類以上の大先輩だが、それが理由か余り身近に感じない。5年ほど前に切った花水木の根を掘りだしている時に、名前を知らない野鳥がその近くに来て餌をあさっていた。

2m程度まで接近してくるのでデジカメで撮影しようとするとその気配を感じて逃げてしまう。SWを入れたり、シャッターを押すと音が出てそれも影響しているようだ。野鳥としては、人間が作業すると、雑草等がかき回されて餌が出てくるので、多少のリスクがあっても近寄ってくるのだろう。

WEB鳥類図鑑を見ても、何という鳥?かハッキリ分からない。じっくり探せば分かるかも知れないが、そこまで探す気もしない。モズではなさそうだ。知っている鳥の種類が少ないので、結局虱潰しに探さないと種類を特定できない。WIKIPEDIA「日本の野鳥一覧。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%87%8E%E9%B3%A5%E4%B8%80%E8%A6%A7)」これは分類だけ。

二日目には、かなり接近して農具に止まったりした。危険でないと学習したのか。こちらの対応がうまくなったのか。ともかく写真が撮れたので、名前は気長に探そう。WIKIPEDIA「愛鳥週間。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E9%B3%A5%E9%80%B1%E9%96%93)」。「愛鳥週間(あいちょうしゅうかん)とは、日本において野鳥保護思想普及のために鳥類保護連絡協議会が設けた5月10日から5月16日までの一週間である[1]。」との事だ。

春からは、野鳥の繁殖期になる。人間の活動領域まで接近して、しきりに餌を食べている野鳥は子育て中なのか。オスかメスか不明だが、鳴き声は出さなかった。
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2013年5月 4日 (土)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):書上浄水場と大井戸湧水池

2013年5月4日土曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 20.8 16:00。ざっそう句:粕川を 泳いで渡る 鯉のぼり。さわやかな晴天。用事外出。粕川を横断して鯉のぼりがはたはたと泳ぐ。その鯉はかつて民家で泳いでいた筈だ。今、民家に泳ぐ鯉のぼりは僅か。WIKIPEDIA「憲法記念日。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5)」。鎧の下に何やらちらちらしている改憲論。大儀無き改憲論は邪道だ。国家が一部の政治家の思う通りに動くと盲信するならば必ず暴走をする。それが歴史の教訓だ。国家が弱体化している時に改憲論議など以ての外。写真は華蔵寺公園の鯉。
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2013年5月3日の天気(AMEDAS)

TAVE= 13.6
TMAX= 20.4 最高気温(℃) 20.8 16:00 
TMIN= 6.9 最低気温(℃) 6.7 05:13 
DIFF= 13.5
WMAX= 4.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.2(西) 08:05 
SUNS= 12.6
RAIN= 0

Q
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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):書上浄水場と大井戸湧水池

伊勢崎市は水に恵まれている。幼い頃の水の思い出も沢山ある。水道が普及する以前は井戸水で生活していた。風呂も炊事も井戸水。当地区の水田用水もその水源を辿ると大井戸湧水池やカケヤ清水につながっていた。

水道も当初は地下水を汲み上げていた。まさに日々、赤城山の水が沸き出した銘水を飲んでいたわけだ。そうして、あの水道タンク・配水塔が風景に溶け込み地域の景観を形作ってきた。先日、老人モードで外出して最初に巡った場所が書上浄水場である。

書上浄水場の一角に、土地改良(耕地整理)で埋め立ててしまった大井戸湧水池が復元されている。土地改良事業当時、大井戸湧水池の扱いに関してどのような議論があったか今となっては知る人は少ない。一部、保存の声もあったようだが、結果としては埋め立てられたのである。

聞くところによると、土地改良事業途上、県の土木技師は、本当に埋め立てて良いのかと尋ねてそうだ。そうして、土地改良事業が終わって、唯一の心残りは、あの大井戸湧水池を埋め立ててしまった事だとこぼしたそうだ。そんな事を思い出しながら浄水場を自転車で一周。

浄水場の中には管理棟等があり、松が植えられて、立派な邸宅のような印象を受けた。伊勢崎市の資料によると、主な設備は深井戸6本、送水ポンプ2台、非常用発電機1台を備えている。また、書上浄水場で、精製された水は、両毛線の北側地区と南側地区に配水されている。多田稔市議のブログは、「伊勢崎市の水道の安全確認 全て出来ました。http://blog.goo.ne.jp/kucctada/e/56ff580c5ac4c4863d81d19b963f5925。(2011-04-16 21:39:30 | 地震関係))」というタイトルで、「4月8日の時点で、まだ安全確認できていなかったのは、次の2つです。 あずま浄水場 井戸20% 書上浄水場  井戸29%」と報じた。

書上浄水場の水源は地下水から地下水と河川水(県水)の混合に切り替えられたのは知っていたが、その比率は知らなかった。上記BLOG記事によれば、「書上浄水場 県水71%、井戸29%」とのことだ。ちなみに、波志江沼環境ふれあい公園で存在感を示している波志江配水場では、「県水85%、井戸15%(竜宮上水道の井戸水)」との事。地下水を過剰に汲み上げてしまうと色々弊害も生じてくる。地下水という資源保護を年頭に適正な利用が望ましいのであろう。

書上浄水場に隣接している書上公園は、散歩人やドライバーの休憩に利用されているようだった。大井戸湧水池は、一級河川の男井戸川の源流でもあり、幼少時はそこまで魚捕り等で遊びに行った。小さな湧水池であったが、周辺の遺跡からは旧石器時代から有史時代までの遺物が出土している。現在から見れば、大井戸湧水池の埋め立ては本当に残念な事に思える。
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2013年5月 3日 (金)

環境雑録(愛しきもの 生き物):クマバチのホバリング

2013年5月3日金曜日
昨日は晴れ。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.8(北北西) 16:58。ざっそう句:貴金属 買い取りますと 優男。やや風が強いが晴天。圃場整理。花水木の根を3本堀上げた。身なりを整えた若者風の男が来た。選挙かと聞くと、貴金属の買い取りだと言う。ネックレス等の貴金属を掌に載せて、これで何万円だとか見せて、不要になった物はないかと聞く。百姓だからそうゆうもんには縁がないよと返事。金だって純度は色々だろう。どうすれば分かるのかと聞いたら、重さや色で分かると言う。匂いでも分かるという。ガリレオ・ガリレイWIKIPEDIA「ガリレオ・ガリレイ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%A4)」の『贋金鑑識官』(1623年)を思い出した。科学的に贋金を見破る方法を書いた本だと思った。貴金属の売買をした事は無いが、金のインゴットに刻印された純度にもウソとホントがあると言っていた。疑心暗鬼は至る所にありそうだ。

2013年5月2日の天気(AMEDAS)

TAVE= 12.5
TMAX= 17 最高気温(℃) 17.4 13:05 
TMIN= 8.6 最低気温(℃) 8.5 04:58 
DIFF= 8.4
WMAX= 9.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 18.8(北北西) 16:58 
SUNS= 13
RAIN= 0

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環境雑録(愛しきもの 生き物):クマバチのホバリング

最近、圃場の特定の場所で良くクマバチと会う。クマバチにとってもその辺が仕事場なのかも知れない。ホバリングしている時ならデジカメ撮影できるかもと思い適当に狙いを定めてシャッターを切った。運良く、数コマにクマバチが写っていた。

クマバチの巣は屋根の垂木の穴の中にあるようだ。春になるとその穴にクマバチが出入りしている。また、シモツケの花を訪問しているのを見たこともある。それらの画像を連結してまとめた。毎年別の個体を見ているとすれば、クマバチは順調に世代交代をしているのか。
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2013年5月 2日 (木)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある記念碑の篆額の読み方

2013年5月2日木曜日
昨日は晴れ後曇り。最高気温(℃) 20.4 11:41。ざっそう句:難解の 篆額読んだ 研究者。朝方は定例の仕事。当番一人欠。応援一人。四人で無事終了。午前中は好天。まさにメーデー日和。自宅に戻り一服して、偶々書棚の片隅にあった「八坂樋と伊勢崎の掘と川(長谷川 龍雄 著)」を手にした。「書肆 いいだや」という価格票の半分が残っていたので古本だ。偶然手に入れた本だろう。母が子供達を連れて、歩いて実家に帰る時、長い道に沿って流れていた川があった、それが、自分の八坂用水の原風景だ。午後、圃場整理。下草刈り。枯れ枝剪定。花水木を枯らすよう根本の土を堀上げ。リンゴ樹が一本倒れていた。葉が出そろい風圧をまともに受け、カミキリムシの被害にあった部分で折れている。カミキリムシの幼虫も活動を始めている。名前を知らない野鳥が餌を求めて2m位まで接近する。デジカメで写そうと作業を中断すると飛び去る。野鳥にこちらの行動を読まれているようで、バカにするなと言いたくなる。

2013年5月1日の天気(AMEDAS)

TAVE= 14.7
TMAX= 19.4 最高気温(℃) 20.4 11:41
TMIN= 11.3 最低気温(℃) 11.3 24:00
DIFF= 8.1
WMAX= 7.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.6(北北西) 17:14
SUNS= 7.5
RAIN= 0

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下記の記事には、「伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」の篆額が読めなかった事を書いた。写真下部に「○?X?建設礎△?」と解読できない篆字を「?」にしておいた。追記としてその続きを以下に書いておく。

追記:「八坂樋と伊勢崎の掘と川」は62ページの小さな本であるが、地域の歴史に愛着と関心がなければ書けない本であると感じた。その、『二、灌漑用水「佐波・新田用水」について』の章の「(三)都市建設礎業(2)」が「伊勢崎耕地整理事業完成記念碑」の篆額そのもの読み方だったようだ。「○?=都X?=市建設礎△?=業」とすれば篆額の意味が通じる。本書には、「都市建設礎業」が篆額とは述べていないが記事の末尾に(華蔵寺公園の碑文)と記載しているので、篆額の題名をそのまま、本書の節のタイトルにしているように思われる。碑の建立が昭和十五年四月十五日。本書の出版が昭和六十三年七月二十一日。それにしても、「都市建設礎業」という碑題は近代的でかつ雄大な印象を与える。

以下に、自分の解読の試みの経過を記しておく。「○?=都」;「○?」の旁(つくり)が「邑」で部首の「おおざと」と同義まで分かったが、左側が「者」とは読めず挫折。「米(上)+日(下)」とあてはめたが該当の文字は見つからず。「X?=市」、尾崎咢堂のような号としての「○堂」をあてたが、石川泰三の号は?というところでとん挫。「△?=業」;田島弥平の「養蚕興業碑」の「業」と類似。「業」かなと思ったが「業業」と重なるようでこれもとん挫。ところが、漢字源によると、『「業業」とは、きおいたつさま』とある。改めて、この篆字を見ると、二人の人が踏ん張って仕事をしている姿に見えてくるのだった。この篆字になにかメッセージが込められているようにも感じる。

本書の「はじめに」に、著者は「私は長い間の教職生活から離れ、昭和三十八年に、伊勢崎の図書館に、お世話になりましたが、~」と本書執筆の動機を記している。WEB情報によると、伊勢崎市立図書館長も務められたようだ。偶然の連続だが、こいうう偶然に会うとうれしくなる。


ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):華蔵寺公園にある記念碑の篆額の読み方

先日、華蔵寺公園へ行き、たまたま遭遇した大きな記念碑。そのてっぺんの額の部分が篆書で、漢和辞典で検索したが適当な漢字が出てこない。部首を特定する前にとん挫してしまう。色々頭をひねり、その篆書の解読も試みたが、これという確定的な読み方が分からない。その篆額を書いているのが当時の権威者で、単なる実権だけでなく、文才も示しているようで面白い。見方によれば、芸術の世界で、読まれなくても、へ~スゴイと思われれば最大の目的は達成しているのかもしれない。多少のデフォルメは問題無し、むしろ望ましいのか。他の碑の篆額と比べると、読む方向等少しはルールらしいものも見えてくる。ともかく、お「題」が頭に入らないと、その先に進みにくい。

最近の、村上春樹のベストセラーの著者もタイトルも思い出せななかった。幾つかのキーワードでWEB検索してようやく「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」と分かった。篆額の作者はどんな気持ちでその篆書を物にしたのだろうか。

碑文内容は十分確認できていないが、顕彰されている人物は左より、石川泰三、小畠武堯、金井烏洲、川端宇兵衛、田島弥平と思われる。尚、「烏洲金井先生碑」の額は篆字ではないようだ。
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  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)