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2013年6月

2013年6月30日 (日)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(3)=上州一の大尽加部安左衛門の墓地

2013年6月30日(日)
昨日は曇り後晴れ。最高気温(℃) 29.8 14:24。ざっそう句:一日が ばっさり二つ 昼寝して。ようやくタマリュウの改植が終了。最後にフルイで土をかけて灌水。一昨日購入したポータブルラジオを使い始めた。聞いたことがない外国メーカー製だが、AM/FM2バンドで安定している。最近は昔のラジカセのカセットがSDカードのMP3録音機に進歩しているようだ。が名前が分からない。録音機がICレコーダーと言うようなのでラジレコか。WEBで価格を調べると1万円前後。あれば便利。最近はめっきり深夜早朝ラジオを聞いていない。

2013年6月28日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.7 NO DATA
TMAX= 29.1 最高気温(℃) 29.8 14:24
TMIN= 19.8 最低気温(℃) 19.8 05:17
DIFF= 9.3  
WMAX= 4.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.5(東南東) 17:38
SUNS= 4.2 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(3)=上州一の大尽加部安左衛門の墓地

日程の第2番目は五町田一家親分村上嘉四郎墓地であった。これに相当する画像は見つからない。訪問したか否かの記憶もはっきりしない。

日程の第3番目に大戸の大運寺、上州一の大尽加部安左衛門墓地と記されている。忠治と加部安を結びつけたのは何か。忠治が処刑の前に所望したのが加部安の酒だったとか。忠治にとってはまさに水杯となったのが加部安の酒。

改めて、墓碑の側面の戒名を拡大して見ると、「居士」と「大姉」が並んでいるのが何とか読みとれた。夫婦墓というのは今では珍しいようだが、加部安左衛門墓碑が夫婦墓ならまた、上州人の心意気を伝えているようにも感じる。加部安左衛門を地域一番の大尽まで盛り立てた裏にはおっかさんのように頼りになる女性がいたのかもしれない。Aさんは、加部安は俳句などに現を抜かしていたので身上が傾いてしまったと語っていたのが印象に残っている。

尚、上州の三大尽は一:加部 二:佐波 三:鈴木だそうだ。bingで「上州の三大尽」を検索=http://www.bing.com/search?q=%E4%B8%8A%E5%B7%9E%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%A4%A7%E5%B0%BD 。
Bopix_daiunji_haka_3pix

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追記(2015/9/9):「0031_国定忠治関連記事目次」:

(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/0031_KUNISADA-CYUUJI_KIJI.html)。(このページへのリンク)

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2013年6月29日 (土)

ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):お富士山古墳の石棺を見て広がるイメージ

2013年6月29日(土)
昨日は朝雨後晴れ。最高気温(℃) 25.4 16:29。ざっそう句:あの店の 看板いつか 外国語。朝飯前にタマリュウの改植続行。まだ終わらない。朝飯後に定例の仕事。ついでにP区画の除草。背が高くなるヒメジョオン等を抜く。それから用事外出。用事の前後に買い物やタウンウォッチング。昔馴染みの店に入ったらブラジル食品店に衣替えしていた。外国送金を手伝う窓口があった。BANKかと聞いたが言葉が通じない。ブラジルはポルトガル語。ペルーはスペイン語との事。ペルーと言えば日本人の大統領がいたっけと聞くと、フジモリさんネ、病気で刑務所らしいとの事。時代の流れを感じた一時。無料の外国語新聞や雑誌を貰う。おみやげに原産国ブラジルと記された乾パンのような物を買った。ワードが暴走。安定度が良くない。再入力。WZエディターは一度も暴走していない。
Ioi_viskonti_toast_brazil_s_2

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Q:ダミースペース(画像に文字が回り込む)
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Q:ダミースペース(画像に文字が回り込む)
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2013年6月28日の天気(AMEDAS)

TAVE= 21.7 NO DATA
TMAX= 25 最高気温(℃) 25.4 16:29 
TMIN= 18 最低気温(℃) 18.0 05:01 
DIFF= 7  
WMAX= 2.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.5(東南東) 00:46 
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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ハトよ 鳴いておくれ(愛しき古里):お富士山古墳の石棺を見て広がるイメージ

先日、富士山と美保の松原がユネスコの文化遺産に登録された。富士は日本一の山と親しまれ、昔の銭湯には決まって富士山が描かれていたようだ。まさに、銭湯に入って富士山を眺めいい気分になるのが庶民の楽しみだったのかもしれない。

古墳を見ると、色々なイメージが湧いてくる。WIKIPEDIA「古墳。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3)」によれば、「古墳(こふん)とは、一般に日本史上、3世紀後半から7世紀前半に築造された墳丘を持つ古い墓である。古代の東洋では位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された。 日本史では、墳丘を持つ墓は墳丘墓と呼んでいるが、この内、3世紀後半から7世紀前半に築造されたものを特に「古墳」と呼んで区別している。」。

古墳が築造された時代が、丁度日本という国が形を持ち始めた時期に重なるため、日本、日本の歴史とも関係して多くの人の関心を集めるのではないかと思う。そういう点で、古墳の見方感じ方は時代と共に変わっているのだろう。

「ざっそう句:古代へのロマン 伊勢崎の古墳群(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/02/post-930a.html)。(2012/2/12(日))」

古墳の謎の多くは、それを文字で記録した証拠が無いことによるのだろう。その記録も、色々な人が色々な観点から記録していれば、それだけ記録の精度は向上する。しかし、古墳築造の時代は、まだ漢字も十分普及していなかった時代のようで、古墳を読み解くには古墳に聞く以外に方法が無いのが現実のようだ。

今年の春、殖蓮史談会の史跡巡りで、「埼玉県立さきたま史跡の博物館 (http://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/)」を見学した。お目当ては、「埼玉の国宝の1つ「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」」であった。出土した鉄剣から古墳の被葬者が特定された極めて珍しい例がここに展示されている。早速、説明員にその古墳が出来た頃はまだ漢字が伝わっていなかったのではないかと聞くと、その刀剣を作った人の中に漢字が分かる渡来人がいたのだろうという回答をしてくれた。

パソコンに蓄積してあるデジカメ画像も徐々に記憶が薄れてどのような機会に撮影したのかはっきりしなくなる。残っていたお富士山古墳の写真はたった3枚。2009/11/9のタイムスタンプがあった。同じ日付の八坂用水の画像もあるので、八坂用水を見てから、偶然お富士山古墳へ回ったようだ。古墳の周辺は畑や水田であった。いわば低地にぽつんとある古墳である。水田開発は比較的新しく、昔は里山の風景があったのだろうかと想像した。そうすると、お富士山古墳の周辺には小さな古墳があったかもしれないと想像が膨らむ。

伊勢崎市ホームページには、「お富士山古墳。http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1355363671957/index.html(2013年1月4日更新))」というタイトルで、「お富士山古墳は全長125メートルの5世紀中頃の前方後円墳である。両毛線により前方部の一部が切断されているが、前方後円墳の形状をよくとどめている。昭和38年(1963年)群馬大学の学術調査で、墳丘は3段築造され、葺石が巡り、大型円筒埴輪の配列が確認された。後円部頂上の富士神社そばに砂岩製で縄掛突起をもつ県指定重要文化財の長持形石棺がある。」と紹介している。

更に同市は、「お富士山古墳所在長持形石棺http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1354006355686/index.html(2013年2月5日更新))」というタイトルで、「長持形石棺は古墳の後円部に置かれる。砂岩製で、全長285センチメートル、幅121センチメートル、重さ6.8トン。長持形石棺は5世紀に畿内の大型前方後円墳にみられ、県内ではお富士山古墳と太田市の天神山古墳で確認されているだけである。形態や制作技法が畿内の石棺と共通し、畿内の工人が東国へ派遣されて製作したと考えられている。」と紹介している。

そこで、国土地理院のウォッチズでその周辺の地形を調べた。その一部をお富士山古墳の石棺写真と連結して引用しておく。ウォッチズは表示した画面にリンク情報(http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=139.17184963728&latitude=36.336920281549)が示されるので、そのリンクから閲覧した方が便利だろう。

その地図をみると、オートレース場の北側で広瀬川と神沢川が合流する地点の数百m北東にあるのが分かる。市の説明に「墳丘は3段築造され、葺石が巡り」とあり、広瀬川の川原石を使うのには最適な場所のようだ。地図の等高線からみるとかなりの平坦地である。平坦地に山が一つだけ見えるという構図はまさに富士山が醸し出す風景に重なるのである。説明板によると、お富士山には富士神社があると記されている。

尚、群馬県埋蔵文化財調査事業団ホームページには、「群馬の遺跡・出土品群馬の遺跡案内 中毛地区お富士山古墳。http://www.gunmaibun.org/remain/guide/tyumo/ohujiyama.html())」というタイトルで、「もっと知りたい!の項で、お富士山古墳のある周辺は、本古墳を中心に市内でも有数の古墳群を形成していました。しかし、現在では開墾されてしまい確認できません。 1981年に国立歴史民俗博物館で石棺のレプリカ制作に伴う型取り作業に際して調査を行い、古墳が作られた年代と、石棺の年代がほぼ一致することから、お富士山の石棺である可能性が極めて高いと報告されています。」と紹介している。

文化庁は「「富士山」の世界遺産一覧表への記載決定について(PDF形式(260KB))(http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/)(2013年6月22日)」として、報道発表している。ユネスコに評価されたのは「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という側面もあると思うが、信教の自由という観点か、「信仰の対象」は余り脚光を浴びていないように感じる。

多分、お富士山古墳と日本一の富士山も何かの関係があるのかもしれないと思った。その接点に信仰があったのではないか。古墳自体、仏教という外来思想が広まる前後の日本人の精神世界を現しているのかも知れない。それにしても、石棺に埋葬された被葬者は、自分の墓が暴かれ、遺骸を収容した黄泉の国に通じる頑強な石棺が、展示物件になってされているのを見たらびくり仰天するのではないか。
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IOI_OFUJIYAMAKOFUN_SEKIKAN_MAP_3PIX.jpgをダウンロード

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2013年6月28日 (金)

日々農天気(花と実を楽しむ):高接ぎのハリウッドが実をつけた

2013年6月28日(金)
昨日は朝雨後晴れ。最高気温(℃) 28.3 16:08。ざっそう句:網かぶり 蚊取り線香 焚き仕事。ゴボウ区画の除草。双葉の間に本葉が見えてきたところ。タマリュウの間にヤブガラシ、ドクダミ、ニラ、スギナが生えている。どれも侮りがたい強敵。結局堀上げて株分けをして除去後改植。シランを移植。半袖シャツで作業したのでかなり蚊に刺された。蚊取り線香でお灸も食らった。

2013年6月26日の天気(AMEDAS)

TAVE= 22.0 NO DATA
TMAX= 27.9 最高気温(℃) 28.3 16:08
TMIN= 17.6 最低気温(℃) 17.5 07:16
DIFF= 10.3  
WMAX= 3.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.6(東南東) 19:42
SUNS= 7.7 NO DATA
RAIN= 4 NO DATA

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日々農天気(花と実を楽しむ):高接ぎのハリウッドが実をつけた

今年は冬の寒さが厳しく、果樹の開花がかなり遅れた。暖かくなって一斉に咲いた感じがした。我が家のスモモもあまり期待された存在ではない。木は大きいが実はほとんど付けない。スモモは他品種受粉をさせると実付きが良くなるとの事だ。

父がかつてスモモを作っていた頃があり、その頃読んだらしい参考書が残っている。現在、スモモ品種だけの参考書は書店で見たことがない。父が作ったスモモの品種の中にソルダムがあったのを覚えている。それを食べた話を色々な人から聞くので、量はそこそことれたようだ。父が、スモモの木を堀上げて、数十年後に自分がスモモの木を植えたのも何かの因縁があるようだ。結果は惨憺で、諦めに近い。

数年前に、農林大学校で果樹、花卉、野菜の研修を受けた。そこの果樹園にはスモモも植えられていて、授粉にハリウッドという品種があると知った。たまたまその品種が園芸店に並んでいたので、ならないスモモの木の授粉用に購入した。わざわざ、花粉を採取して人工授粉をせず、昆虫任せ。ハリウッドの花は咲いたがその効果はほとんどなし。

仕方ないので、ならせたいスモモの木にハリウッドを高接ぎした。ハリウッドは葉も花も紅色なので、花が咲くと少し異様な風景になる。それでも実は生っていない様子。最近、高接ぎした枝に実がなりはじめた。原木は実は生らずどんどん大きくなっている。その高接ぎした枝を見たら、幾つか実がなっていた。幾つか収穫して試食した。まだ酸っぱいというと、酸っぱいのが好きという人がいて救われる思いがした。

それにしても、お婿さんが一人で頑張っているようで、スモモも何か最近の女性に似てきたのかななどと変な空想を楽しんでいる。やはり、相性というより、開花のタイミング会わせ等が不十分なのかもしれない。勉強不足や努力不足が生らない本当の原因なのだろう。Ioi_hariuddo_sumomo_1306243pix


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2013年6月27日 (木)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(2)=一倉家の墓地

2013年6月27日(木)
昨日は曇り後雨。最高気温(℃) 23.5 10:32。ざっそう句:菜園に オクラが無けりゃ 夏は来ぬ。畑仕事をしようと外に出たらすぐに雨が降り出した。運良く、台所から海苔の筒に入れた昨年採取した野菜の種が出てきた。昨年オクラは二回目を6月初めに播いたので、それより1月ほど遅れている。オクラがオクレテルではギャグにもならない。とりあえず、ポットに種を播いて屋内へ退散。それにしても、種子を海苔の筒に入れて台所で保管したのが失敗。ともかく、オクラ入りにはならなかったので運が良ければ夏の食卓に間に合うだろう。

2013年6月26日の天気(AMEDAS)

TAVE= 20.9 NO DATA
TMAX= 23 最高気温(℃) 23.5 10:32
TMIN= 18.8 最低気温(℃) 18.8 24:00
DIFF= 4.2  
WMAX= 3.4 大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.2(東) 17:32
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 36.5 NO DATA

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残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(2)=一倉家の墓地

その第1番目の別行に「忠次の妾おとくの居候した一倉家の墓地」という書き込みがある。その日程に従って訪問した墓地のデジカメ画像も残っていた。WEB上には墓地訪問の記事が見られるが、自分にとって墓地訪問はなんとなく重苦しさを感じる。

「おとくさん」こと菊池徳に関しては、「国定忠治を男にした女侠 菊池徳の一生 高橋 敏著  朝日新聞社」に詳しい。「おとくさん」の事を知ったのもこの頃だったと思う。

「国定忠治生誕200年(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/10/post-a263.html)。(2008/10/18)」

Cさんも自分の足で、菊池徳について調べていた。菊池徳は「国定忠治を男にした女侠」と勇ましい肩書きを貰い、キャッチコピーとしては人目を引くが実際はどうだったのか。Cさんは菊池家の現当主・元町議の方に講演を依頼したとのことだったがついに実現できずに終わってしまったようだ。前記書物の内容は、地元群馬の女性菊池徳を通して、当時の女性の生き様を教えてくれる希有の内容だけに、肩書きだけは残念だ。

たまたま、「五目牛南組遺跡(歴史時代遍) 編集・発行/(財)群馬県埋蔵文化財調査事業団 平成4年11月30日発行」を見ていると、「(3)特論 A 近世村五目牛と四農家の素描  高橋 敏」という記事が掲載されていた。同書から、高橋 敏の所属・肩書き等は不明だが、整理協力者の筆頭にリストアップされている。遺跡の調査報告書にこのような記事が掲載されるのは珍しい。しかし、二度と不可能な破壊調査において、このような記録が残された事に敬意を表したい。この報告書も、菊池徳を歴史的に・客観的に理解する良い参考書ではないか。

墓地は特異な空間ではあるが、完全に閉ざされた空間ではない。善意でそこを訪れる人々を拒絶まではしていないと思う。訪れる者もそこから何かのメッセージを受け止めようとするのではないか。そんな事を思いながらの墓所巡りではあった。
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2013年6月26日 (水)

日々農天気(環境雑録;輪廻のトンネル):畑で子カマキリに会う

2013年6月26日(水)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 28.9 15:12。
ざっそう句:ビワ食えど 昔も今も 種でかい。ツルなしインゲンの種子をもらったのでまく。久留米鶏頭の播種。前回は失敗。二回目。百均店二袋で@105円。種子が非常に小さいので均一に蒔けない。乾いた砂に混ぜて増量して播いた。ミカン区画の手入れ。草むしりとツル退治。ジニア区画除草。ヤブガラシの根掘りも同時にする。根が地下にはい回っている。その根に栄養分を蓄えているのでツルが伸び出すと急成長する。もう蕾が付いている株もある。
先の日曜日東京都都会議員選挙が行われた。以下は東京都ホームページに掲載された投票結果である。前回より11%ほど投票率が低い。その理由は?都民が白けているのか。

投 票 結 果
20時 00分 現在 確定

選挙区名当日有権者数投票者数棄権者数投票率[%]前回
投票率[%]
東京都計 確 10,589,228 4,606,599 5,982,629 43.50 54.49
区部計 確 7,238,549 3,157,086 4,081,463 43.61 54.40
市部計 確 3,279,943 1,416,385 1,863,558 43.18 54.61
西多摩町村部計 確 48,079 19,273 28,806 40.09 52.85
島しょ町村部計 確 22,657 13,855 8,802 61.15 70.72

2013年6月24日の天気(AMEDAS)
TAVE= 24.6 NO DATA
TMAX= 29.4 最高気温(℃) 30.1 14:30
TMIN= 21 最低気温(℃) 20.9 05:10
DIFF= 8.4  
WMAX= 4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.0(南東) 16:02
SUNS= 5.3 NO DATA
RAIN= 1 NO DATA

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日々農天気(環境雑録;輪廻のトンネル):畑で子カマキリに会う

夏、栄養を摂って太ったカマキリが産卵して、樹木の枝の卵塊の形で冬を越し、春になるとそのカマキリが羽化して、出てくる。先日、出会った子カマキリはまだ3㎝程度。色は緑色。ミカンの葉の上にいた。緑色も保護色なのだろう。

子カマキリなので、怖さはない。人間で言えば、少年・少女かそれ以前の幼年期程度でではないか。カマキリが活動するのは一年の半分くらいしかない。餌となる小さな昆虫等が現れる前に現れては生存できない。そんな事を思うと子カマキリもそれなりに愛らしさがある。

ミカンの葉の上でポーズをとらせようと指を差し出したら指に飛び乗ってきた。ほとんど、そこに子カマキリがいるという感覚がない。右手に持ったデジカメでシャッターを押した。パソコンにデジカメデータをSDカードから取り込んでいるが、どうもそのデータがゴミデータとして残っているようで、撮影したデータを次回SDカードに書き込むとき、そのゴミデータがいたずらをしているようだ。指の上の子カマキリの色調がおかしい。デジカメ側でフォーマットして試したい。

デジカメで撮影するとき、比較の対象物を写し込むと大きさを理解しやすい。今回は自分の指がその役をつとめた。先日、小さな子バッタも見たが、そちらは見失った。昆虫も、一年一世代を繰り返すのもいるが、蚊は更に世代交代が多いようだ。WIKIPEDIA「カ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB#.E7.94.9F.E6.B4.BB.E7.92.B0)」によれば、「卵から蛹までの期間は種や温度によって変わる。イエカの一種 Culex tarsalis は、20℃の環境では14日で生活環を完成させるが、25℃の環境では10日である。」。との事。
「日々農天気(愛しきもの 生き物):ポリコップの中のボウフラ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/07/post-5c4a.html)。(2012年7月15日日曜日)」

夏は、昆虫の天国だ。それにしても、なぜ人間はカマキリをみるとゾットするのか。本能的な反応なのか、学習した結果なのか。
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2013年6月25日 (火)

読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):青空文庫で萩原朔太郎「氷島」を読む。20130625。

2013年6月25日(火)
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 28.9 15:12。ざっそう句:青葉には 青い衣の 子カマキリ。ミカン苗区画除草。自働蒔きダイコン区画の除草。買い置きのポーチュラカを改植。昨年、自家採種したダイコンの莢から種子を抽出。夕方頃にわか雨がパラパラと降る。自家採種ダイコンの種を播いて終了。

2013年6月24日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.4 NO DATA
TMAX= 28.5 最高気温(℃) 28.9 15:12
TMIN= 20 最低気温(℃) 19.6 01:37
DIFF= 8.5  
WMAX= 3.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.6(東南東) 14:47
SUNS= 4 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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読みかじりの記(ツルよ 飛んでおくれ):青空文庫で萩原朔太郎「氷島」を読む

萩原朔太郎は昭和九年二月と記された自序の末尾に、「因に、集中の「郷土望景詩」五篇は、中「監獄裏の林」の一篇を除く外、すべて既刊の集に發表した舊作である。此所にそれを再録したのは、詩のスタイルを同一にし、且つ内容に於ても、本書の詩篇と一脈の通ずる精神があるからである。換言すればこの詩集は、或る意味に於て「郷土望景詩」の續篇であるかも知れない。著者は東京に住んで居ながら、故郷上州の平野の空を、いつも心の上に感じ、烈しく詩情を敍べるのである。それ故にこそ、すべての詩篇は「朗吟」であり、朗吟の情感で歌はれて居る。讀者は聲に出して讀むべきであり、決して默讀すべきではない。これは「歌ふための詩(うた)」なのである。」と述べている。

そうして、自序の冒頭には、「近代の抒情詩、概ね皆感覺に偏重し、イマヂズムに走り、或は理智の意匠的構成に耽つて、詩的情熱の單一な原質的表現を忘れて居る。却つてこの種の詩は、今日の批判で素朴的なものに考へられ、詩の原始形態の部に範疇づけられて居る。しかしながら思ふに、多彩の極致は單色であり、複雜の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は、無技巧の自然的單一に歸するのである。藝術としての詩が、すべての歴史的發展の最後に於て、究極するところのイデアは、所詮ポエヂイの最も單純なる原質的實體、即ち詩的情熱の素朴純粹なる詠嘆に存するのである。(この意味に於て、著者は日本の和歌や俳句を、近代詩のイデアする未來的形態だと考へて居る。)
 かうした理窟はとにかく、この詩集に收めた少數の詩は、すくなくとも著者にとつては、純粹にパッショネートな詠嘆詩であり、詩的情熱の最も純一の興奮だけを、素朴直截に表出した。換言すれば著者は、すべての藝術的意圖と藝術的野心を廢棄し、單に「心のまま」に、自然の感動に任せて書いたのである。したがつて著者は、決して自ら、この詩集の價値を世に問はうと思つて居ない。この詩集の正しい批判は、おそらく藝術品であるよりも、著者の實生活の記録であり、切實に書かれた心の日記であるのだらう。」と記している。

さらに、「讀者よろしく、卷尾の小解と參照して讀まれたい。」とも述べている。いわば、文学という技巧をかなぐり捨てて、自分の素直な心情記録・日記として「氷島」を出したのだと宣言している。そうして、読んでみたいと思って検索したキーワードは「忠治」だった。「國定忠治の墓」の墓がヒットした。Googleの検索式:<「忠治」 site:http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/>で二件ヒットした。

「國定忠治の墓」こそ、自分が探した目標だったので、やった!という感じだ。なぜ忠治なのか。先日書いた、「残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出」(

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(1)=大久保一家の墓地

)とも通じるが、「国定忠治」も、すでに、原像が放つ白色光は消失し、それを見たり・読んだり・感じたりした結果として、スペクトルに分解された光しか見ることができないのだ。

萩原朔太郎は本書で、「しかしながら思ふに、多彩の極致は單色であり、複雜の極致は素朴であり、そしてあらゆる進化した技巧の極致は、無技巧の自然的單一に歸するのである。」と述べている。この「國定忠治の墓」の背景には、萩原朔太郎の世界が見えるのではないか。

この詩の小解を先ず引用する。
「 國定忠治の墓  昭和五年の冬、父の病を看護して故郷にあり。人事みな落魄して、心烈しき飢餓に耐へず。ひそかに家を脱して自轉車に乘り、烈風の砂礫を突いて國定村に至る。忠治の墓は、荒寥たる寒村の路傍にあり。一塊の土塚、暗き竹藪の影にふるへて、冬の日の天日暗く、無頼の悲しき生涯を忍ぶに耐へたり。我れ此所を低徊して、始めて更らに上州の蕭殺たる自然を知れり。路傍に倨して詩を作る。」

この数行を読むと、「國定忠治の墓」ができた背景が真に迫ってくる。WIKIPEDIA「萩原朔太郎。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E5%8E%9F%E6%9C%94%E5%A4%AA%E9%83%8E)」によれば、「萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。1942年5月11日(満55歳没)」。この詩を作った時、41才になろうか。上記検索式でKW=「父」をGoogle検索すると「約 126 件」と出た。この件数は青空文庫の萩原朔太郎の項では上位に属する。父の存在が萩原朔太郎に与えている影響を反映していると考えられる。

ともかく、人間関係も、季節も、生活も厳しく絶望の淵にある時の作品だ。国定忠治の墓が、こんな萩原朔太郎を招いたのだろうか。ともかく、この作品を作ることにより、萩原朔太郎は危機を脱したかに感じたのである。

國定忠治の墓

わがこの村に來りし時
上州の蠶すでに終りて
農家みな冬の閾(しきみ)を閉したり。

「いき【×閾】:刺激の強さを連続的に変化させたときの、生体に反応をひき起こすか起こさないかの限界。生理学・心理学の用語。」「閾(しきみ)」:門戸の境界とする横木。
「蠶」:かいこ

太陽は埃(ほこり)に暗く
悽而(せいじ)たる竹藪の影
人生の貧しき慘苦を感ずるなり。

COM:
埃:ほこり
国定村は畑作地帯:空っ風で砂埃が飛び太陽がかすんだ?

見よ 此處に無用の石
路傍の笹の風に吹かれて
無頼(ぶらい)の眠りたる墓は立てり。

COM:
無用の石=無頼(ぶらい)の眠りたる墓?

ああ我れ故郷に低徊して
此所に思へることは寂しきかな。

久遠に輪廻*を斷絶するも
ああかの荒寥たる平野の中
日月我れを投げうつて去り
意志するものを亡び盡せり。

COM:
「久遠に輪廻*を斷絶するも」:意味難解。
「久遠に輪を斷絶するも」⇒「意志するものを亡び盡せり」と続く?
輪廻*≒本文では「廻」の旧字?使用。

?自分を含め、忠治も生きとし生けるモノだが、
永久にグルグルと転生極まりない運命を断ち切って
意志する人間と生まれてきても、日月(自然の摂理)は
自分を投げ捨てて去り、
自分(も忠治も生きとし生けるモノ)を
全て滅ぼしてしまう。?

いかんぞ殘生を新たにするも
冬の蕭條たる墓石の下に
汝はその認識をも無用とせむ。

「汝はその認識をも無用とせむ」:難解。
「殘生を新たにする」:輪廻転生で生まれ変わる?
「汝」=「国定忠治」?
「汝」と「我」という対比で、萩原朔太郎は国定忠治と
対話をしているようだ。
既に、国定忠治の墓は上州の荒寥たる自然の中に
投げ出されている路傍の石に過ぎないが。

――上州國定村にて――

上州國定村はその後、合併で佐波郡東村となり、佐波郡東村は平成の大合併で更に伊勢崎市となっている。青空文庫では「国」の旧字体「國」を使っている。萩原朔太郎は国定忠治の墓を訪問し、自分の人生と国定忠治の人生を重ねてみて、自分を相対化しているようだ。国定忠治の人生は、その生き様を通して、色々なメッセージを発信しているようだ。それを、うまく受信できない人もいるだろう。見方によれば、萩原朔太郎は国定忠治の墓を訪問し、生きる意欲を取り戻しているのではないか。

**********************************
萩原朔太郎に従って音読してみよう。

國定忠治の墓

わがこの村に來りし時
上州の蠶すでに終りて
農家みな冬の閾(しきみ)を閉したり。
太陽は埃に暗く
悽而(せいじ)たる竹藪の影
人生の貧しき慘苦を感ずるなり。
見よ 此處に無用の石
路傍の笹の風に吹かれて
無頼(ぶらい)の眠りたる墓は立てり。
ああ我れ故郷に低徊して
此所に思へることは寂しきかな。
久遠に輪廻*を斷絶するも
ああかの荒寥たる平野の中
日月我れを投げうつて去り
意志するものを亡び盡せり。
いかんぞ殘生を新たにするも
冬の蕭條たる墓石の下に
汝はその認識をも無用とせむ。

――上州國定村にて――

**********************************
以上、萩原朔太郎の作品は青空文庫から引用させていただきました。
ありがとうございます。

追記(2023/02/21):タイトルの末尾に投稿年月日を20130625を追記。ほぼ10年前の投稿である。青空文庫の推進者に富田倫生がいる。「富田倫生 - Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/富田倫生: 富田 倫生(とみた みちお、1952年(昭和27年)4月20日 - 2013年(平成25年)8月16日)は、日本の著作家・編集者。 電子図書館 サイト 『 青空文庫 』の主宰者で、同サイトの「呼びかけ人」のひとり。」10年一昔と言うが古い記事を読んでくれる人がおり感謝。青空文庫は、まさに文化の金鉱だ。

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2013年6月24日 (月)

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):ああ、あの吾妻渓谷もダム底に消えてしまうのか?

2013年6月24日(月)
昨日は晴れ時々曇り。最高気温(℃) 30.1 14:13。ざっそう句:鄙の畑 人目盗んで 咲く紫陽花。ゴボウ区画をねじり鎌で除草。雑菜と雑草に埋もれている。未だ双葉。自働蒔きダイコンと下仁田ネギ区画の除草と土寄せ。ネギに鶏糞をまく。イチジクの下から生えているヤブガラシの根を手で引き抜く。アカザとヒユを収穫。かみさんが茹でてくれた。雑草らしいクセのある素朴な味がする。アカザは1m位。放置すると手に負えなくなる。

昨日のGoogleDoodleIoigoogledoodle20130623mt_fuji_be_2 はユネスコ世界遺産に登録決定した富士山だった。このGoogleDoodleは決定記念に相応しく「クール」だ。

2013年6月23日の天気(AMEDAS)

TAVE= 23.1 NO DATA
TMAX= 29.8 最高気温(℃) 30.1 14:13
TMIN= 17.6 最低気温(℃) 17.4 05:08
DIFF= 12.2  
WMAX= 5.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.8(東南東) 17:28
SUNS= 8 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA


首相官邸は、「「富士山」世界遺産登録にあたっての総理メッセージ。http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/discource/20130622fuji.html(平成25年6月22日)」」というタイトルで、「きれいな稜線、端正なたたずまい。時に荒々しく、時に幻想的。富士山の多彩な美しさに、古来、私たち日本人は、感動し、元気づけられてきました。
 その「私たちの富士山」が、今日、「世界の富士山」になりました。心から嬉しく思います。 ゴッホの絵にも描かれた富士山は、まさに「クールジャパン」の元祖。世界遺産登録を機に、政府も海外への発信を強化し、多くの外国の方々にも、日本に足を運んでもらい、富士山を見てほしいと願います。」と報じた。

手放しで慶びたいが、富士山が更に遠くなったような複雑な心境でもある。

Q
Q

ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):ああ、あの吾妻渓谷もダム底に消えてしまうのか?

2010年地区生涯学習の行事でやんば館と吾妻渓谷(あがつまけいこく)を見学した。八ッ場ダムができると、湖底に沈み見られなくなる風景を一度は見ておこうという企画であった。民主党の「コンクリートから人へ」というスローガンで一時本体工事が停止したが、自民党に政権が代わり再度その工事が動き出した。

WIKIPEDIA「八ッ場ダム。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E3%83%83%E5%A0%B4%E3%83%80%E3%83%A0)」

時代の流れと政治の流れは必ずしも一致しない。ともかく、大型土木事業は時代と共に性格は変わるが、古墳時代からあったのだ。現代文明の機械力を動員すれば相当大きな土木事業が出来る。問題は、長い歴史の中で、その事業がどれほど有効で後世の評価に耐えうるかという事だろう。今、政治に求められているのは大きな夢なのである。

単純に考えると、ダムという構造は垂直に立てた板で川の水をせき止めるのと何ら変わりがない。多量の水を蓄える装置は巨大ダムが最適解だという保証は皆無だ。今日、ある目的を達成するために、幾つかの手段・方法が可能であるというのが常識であろう。水を溜めるのはダムだけではない。バケツもあるのだ。

東日本大震災の教訓を受け、高台移転が叫ばれたが現実は、実現性の点で問題も多いようだ。津波被害を想定した対策としては、高層建築という代案もあるようだ。ハードで実現できない部分はソフトで補うという割り切り方もあるようだ。ともかく、最適解はハードとソフトの融合になるのは明らかだ。ハードだけだといずれ、バブルの塔になってしまう懸念がある。

「バベルの塔。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A1%94。(最終更新 2013年6月16日 (日) 08:44)」『ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に、「バベルの塔(バベルのとう、ヘブライ語:???? ????、英語:Tower of Babel)は、旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔。 神話とする説が支配的だが、一部の研究者は紀元前6世紀のバビロンのマルドゥク神殿に築かれたエ・テメン・アン・キのジッグラト(聖塔)の遺跡と関連づけた説を提唱する[1]。 実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまったといわれることにちなんで、空想的で実現不可能な計画を比喩的に「バベルの塔」という[2]。」とある。

「バブルの塔」は「バベルの塔」のパロディ版。先々の事を考えずに、目先の事だけで、長期的には必ず劣化し、崩壊の危機が迫ってくる巨大構造物を作る愚かしさを皮肉った。

土木事業の面でも、巨大なダムを幾つか造るより、小さなダムを沢山造った方がシステム的には安全なような感じがする。軍備の面ではすでに大艦巨砲主義は過去のものだろう。空母も原水爆も然り。現実の世界では、見えにくいがテロやサイバー攻撃が真実味を帯びている。コンピュータ一つ一つは、ゴミのような小さな存在だが、現代はそれが世界を動かす小さな細胞でもある。しかし、想像力が乏しい平凡な政治家には、何も見えないのが真実なのだ。デカイ物が目の前に無いと自分を信じられないのだ。そういうお守りを持たないと安心できないのが政治家の宿命かのようだ。

これでは、永久にバブルの塔のような巨大建設が必要になってしまう。数世紀後の市民が最も迷惑するのがこのようなバブルの塔の後始末ではないか。WIKIPEDIAによると八ッ場ダムの有効貯水量は「9,000,000 m3」との事だ。1立米の浴槽ならたったの900万杯分だ。平成24年10月1日現在の群馬県の世帯数は、766,766世帯。群馬県1世帯当たりに換算すると11.7杯分だ。感覚的には、群馬県全世帯が二週間ほど連続して風呂を使うと八ッ場ダムの貯水量は尽きてしまう程度だ。

ともかく、巨大なダムを数個造って、そのダムの貯水・放水を制御するだけで、万全な洪水対策が可能かは疑問に思う。むしろ、流域全体の河川を貯水機能と流水制御機能を持った巨大なネットワークとみなし、入力となる気象状況等と各種要因により刻々と変わる水需要に基づき、政府は、水量と流す方向をダイナミックにコントロールするような雄大なシステム構築を計画すべき段階にあるのではないか。

当然、このシステムでは、収集されたあらゆるパラメータを評価して刻々とリアルタイムで制御される。この方式で、毛細血管の末端のような水路まで使用すれば、バカみたいな巨大ダムも必要なく、一時的には膨大な貯水量が確保でき、洪水防止も可能になるのではないか。まさに、水利のクラウド版だ。当然、これは電力の相互融通とも類似した事業になる。米国では巨大な電力網が機能している。この水利版の一例が関東利根川流域水利クラウド制御システムということになろう。こんな制御は、生物の血液循環を考えれば、すでに自然が実行しているシステムと大差がない。

このようなアイデアが実現すると膨大な新技術が生まれ、その技術は外国にも輸出できるのである。トランジスターラジオのセールスマンを自認した元首相もいた。結果としては電子立国を大きく支援したのではないか。美しい国日本。WIKIPEDIA「美しい国。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E5%9B%BD)」美しい国は水を魔術のように自在に使いこなして初めて可能になるのではないか。そもそも、人口減少社会に向かって水需要が増大を続ける見込みはないだろう。工事を断行するために、洪水に対する安心・安全という呪文をかけたが、まさにバブルの呪縛にとらわれているだけのように見える。

日本は水を魔術のように自在に使いこななす技術は古来からの水田・水利事業や河川改修等により実現してきた。無数のため池を作ってきた。余りに馬鹿でかいダムを造りすぎるとその維持管理だけで、相当の経費増大が永続する事になってしまう。

上毛カルタに「耶馬渓しのぐ吾妻峡」という一札がある。初めて見た吾妻峡の秋も印象深いものであった。その名勝地が風前の灯火なのを実感して、荒涼たる思いになった。
Ioiyanbakan_komenkyou_keikokunoaki_


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2013年6月23日 (日)

環境雑録(愛しきもの 生き物):カミキリムシがやってきた

2013年6月23日(日)
昨日は雲が厚かったが晴れ。最高気温(℃) 30.1 14:33。ざっそう句:ともかくも 今年も食えた タケノコ煮。トウモロコシの除草と移植。発芽しない部分に苗を移植。草丈30㎝位あり、移植ゴテで掘るが、プツプツと根が切れる。トウモロコシ種子の残りを播種。通路の草掻き。柿の枝切り。樹勢を弱めるため根本を円形状に掘る。

2013年6月22日の天気(AMEDAS)

TAVE= 22.5 NO DATA
TMAX= 29 最高気温(℃) 30.1 14:33
TMIN= 18.2 最低気温(℃) 17.9 04:56
DIFF= 10.8  
WMAX= 5.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 12.6(東) 14:52
SUNS= 7.8 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

Q
Q

環境雑録(愛しきもの 生き物):カミキリムシがやってきた

先日、運良くデジカメを持っているところでカミキリムシを発見した。モミジの幹の丁度撮影しやすい高さの所をはい回っていた。動いていると見失うので写真を2枚撮ったところでご用!捕獲するときどこを掴むのが良いのか。下手をするとかみつかれて、その隙に飛んで逃げられる場合もある。今回は両手を組んでその中に極短時間捕獲した。

我が家では、リンゴ、イチジク等のほとんどがカミキリムシの食害に会っているので絶滅させてやりたい所だが、現実的には困難だ。一時は、専用の殺虫剤をカミキリムシの穴に注入した事もあったが、その後はあきらめた。

今回は、比較的鮮明に撮影できたので、WEB図鑑で調べたら、ゴマダラカミキリらしい。種類名として、白い斑点が特長になっているいるようだ。長い触角も白黒のまだらになっている。その斑点の形や並び方は少しずつ差があるようだ。羽の模様も遺伝子の働きで作られるとすると遺伝子の配列が少しずつばらついているのだろうか。ついでに防除農薬を調べると園芸用キンチョールEがあった。

すでに、成虫になったカミキリムシは防除も駆除も大変だ。幼虫なら何とかなるだろうと思うが、~。防除と言えば農薬を思い出す。
Ioikamikirimusi_20130622_2pix

最近、上毛新聞にEUがネオニコチノイド系農薬の使用を禁止したという記事があった。WIKIPEDIA「ネオニコチノイド。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%83%89)」

日本経済新聞は、「ミツバチ減少で殺虫剤禁止、EU 。http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2407Q_U3A520C1FF2000/(2013/5/24 23:20 ))」というタイトルで、「【ブリュッセル=共同】欧州各地でミツバチが減少している事態に対処するため、欧州連合(EU)の欧州委員会は24日、原因の一つとされるネオニコチノイド系の殺虫剤3種類の使用を今年12月からEU全域で禁止することを決定した。専門家によると、一部は日本でも製造、販売されているという。 ミツバチの減少は欧州だけでなく、日本を含む世界各地で問題になっており、植物など生態環境への影響が懸念されている。」と報じた。

「科学ニュースに独り言:ミツバチの大量死の原因は解明されたのか(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/04/post-16a5.html)。(2012/4/21(土))」

「「みつばちの減少に関する緊急調査研究」報告書(http://www.naro.affrc.go.jp/nilgs/project/honeybee/029486.html)。(2010年4月13日);(2011年7月1日:一語訂正))」は、「緊急調査研究」とうたっているが、EUの対応から見ると、緊迫感が感じられない。報告書なら、報告者名を示すのが常識ではないか。これは、学術報告書の基本ではないか。また、実験手法も作業仮設と目的意識が明確でなく、手当たり次第やっているように見える。従って、統計手法の有意さ検定も機械的に行っているに過ぎないように見える。これでは、結論をぼかし、真の原因解明を妨げる研究に見えてしまう。微量農薬の長期間蓄積効果は切り捨てられているかのようだ。農薬の使用基準が絶対正しいという前提では、上記報道のような、EUの禁止決定は出て来ないだろう。農薬はそもそも農家あってのもの。ミツバチが死に、農家が死に、農薬会社が生きる構造は本末転倒も甚だしいのではないのか。世界は広い。学術研究にはライバルがいるのだ。しかし、EUの研究の二番煎じでは研究者の資質が問われる。

西日本新聞は、「ミツバチ失踪 農薬“引き金” ネオニコチノイド系 金沢大が確認 低濃度で帰巣本能狂う http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/word/7214/9713
(2013年6月17日掲載))」というタイトルで、「国内外で広く使われているネオニコチノイド系農薬をミツバチに摂取させると、比較的低濃度でも巣箱の中のミツバチがいなくなり、群れが消える「蜂群崩壊症候群(CCD)」に似た現象が起こるとの実験結果を金沢大の山田敏郎教授らのチームが17日までにまとめた。 山田教授は「ハチが即死しないような濃度でも、農薬を含んだ餌を食べたハチの帰巣本能がだめになり、群れが崩壊すると考えられる」と指摘。養蜂への影響を避けるためネオニコチノイド系農薬の使用削減を求めている。一方農薬メーカーは「科学的根拠が明らかでない」と否定的な見方を示した。 山田教授らはセイヨウミツバチの群れを使用。ネオニコチノイド系農薬のジノテフランとクロチアニジンを、糖液と花粉ペーストに加えて投与、群れの中の成虫と幼虫の数の変化を4カ月間、写真を使って調べた。 イネの害虫のカメムシ防除に推奨される濃度をさらに100倍に薄めた比較的低濃度の農薬を与えた場合、いずれの農薬も約1万匹いた成虫が投薬から5週間程度で半減、12週間後には群れが消滅した。 より高濃度(10倍に薄めた)の場合、投与直後から死ぬハチが見られ、12日後には多数が死ぬなどしてクロチアニジンの農薬では約13%、ジノテフランでも約33%まで激減した。最終的に15~18週後に群れが消失した。」と報じた。

住友化学はホームページで「EUのネオニコチノイド剤規制に対する住友化学の見解(http://www.sumitomo-chem.co.jp/newsreleases/docs/20130527_2.pdf)(2013年05月27日
)」として、「EU 委員会の今回の決定は、その依拠する欧州食品安全機関(EFSA)の審査
において、ミツバチの大量死、大量失踪とネオニコチノイド剤の因果関係について何ら明確な判断がなされなかったにもかかわらず、予防的措置の考え方の下に現在行われているミツバチ問題の真の原因究明やネオニコチノイド剤の適切な使用確保に関する取り組み、また多数のEU 参加国の反対を省みず行われたもので、行き過ぎたものと言わざるを得ません。今回のEUでの措置は国内のクロチアニジン関連商品の使用に何ら影響を及ぼすものではなく、また今回の決定は、ネオニコチノイド剤がミツバチの大量死、大量失踪の主たる原因ではないとする当社の見解に何ら影響するものではありません。」と発表している。

「EFSA clarifies neonicotinoid conclusions in light of new data
http://www.efsa.europa.eu/en/press/news/130314a.htm」にはかなり詳しい資料が掲載されている。

EU諸国は食物の安全性・環境問題には敏感なようだ。当然だが、そのような問題が発覚した場合は、既に問題が深刻化している場合が多いのである。ネオニコチノイド剤の使用を禁止して事態が軽減される事が検証できればその効果は大きい。更に、事態の深刻化防止を早期に実現できる効果も大きいだろう。EUの決定はまさに社会実験に相当するだろうが、それを断行できるのは日本と比べると相当意識レベルが異なるのではないか。

上記の「みつばちの減少に関する緊急調査研究」報告書(これから以下の表を引用)にも、「農薬塗布による帰巣率」のデータを比較すると差がある。Ioikisouritunohenka_inyou_hyou

考察も気になる。データがあるのにそのデータで問題の本質に切り込む姿勢が見えない。初報に2010年4月13日の日付があるが、一年後の2011年7月1日付けでたった一語の訂正をしただけで、続報がないようだ。緊急性の認識が見えない。

関心がカミキリムシの話からミツバチに移ってしまったが、農薬で弱まっているのはミツバチだけなのか気になるところだ。最近、畑に飛んでいるモンシロチョウの動きがヨタヨタしているように見えてしまう。農薬ノイローゼか。


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2013年6月22日 (土)

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(1)=大久保一家の墓地

2013年6月22日(土)
昨日は曇り一時雨。最高気温(℃) 24.1 12:08。ざっそう句:うたた寝て パソコンファンに 目を覚ます。宅内閑居。気温が上がらず少し肌寒い。畑ではポータブルラジオを聞いている事が多いが、最近調子が良くない。時々音声が途切れる。叩いてショックを与えると鳴り出す。接触不良の症状だが何のショックもないのに途切れる理由が分からない。ケースを開いて中を覗いたが原因不明。このような中途半端な症状は最もたちが悪い。

2013年6月21日の天気(AMEDAS)

TAVE= 21.7 NO DATA
TMAX= 24 最高気温(℃) 24.1 12:08 
TMIN= 19.6 最低気温(℃) 19.6 24:00
DIFF= 4.4  
WMAX= 2.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.4(南東) 12:32 
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 1.5 NO DATA

Q
Q

残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(1)=大久保一家の墓地

数年前、何かの縁で知り合った四人(Aさん、Bさん、Cさん、D:筆者)で国定忠治(通称)が処刑された大戸の関を見学することになった。Aさんは国定忠治研究家。Bさんは郷土史家、Cさんも国定忠治ファンのようだった。Cさんが、知り合いのAさんを誘って、Bさんに国定忠治について解説してもらおうとした企画のようだった。Dは国定忠治には三氏ほど関心は薄く、アッシー君程度の役割ならと同行させてもらった。

その時までに、Aさんは封筒に入れた資料を用意してくれていた。封筒の表に「国定忠治大戸分在中」と几帳面に毛筆で書かれている。その中に1ページの日程表がある。その第1番目に大久保一家墓地があった。Aさん、Cさんは既に故人になられている。Dも当時の事を忘れかけている。

日程は第10番目は沼田の「?林寺」まであるが、この寺は帰りの心配があるので途中で引き返した記憶がある。沼田の「?林寺」手書き文字で解読できず、まだ特定できていない。夕方、Aさん宅に帰着すると、表紙に「国定忠治吾妻之部 大戸の忠治地蔵」と書かれた冊子を復習用にくれた。その冊子には複写禁止と書かれていた。文末には、「~後世の人のために文書を作成して残したいと思って居ます。」とかかれている。

もらった資料は書棚にしまったままだったが、たまたまとりだして読んでみて、なぜくれたのか何となく分かったような気がした。言われるままに車を運転しただけなのでもう場所も忘れている。デジカメデータはかろうじて残っている。とかく、親の道楽を理解・評価してくれる子息は少ない。結局、親の代ですべて散逸してしまう事が多いのが現実のようだ。

Aさんは、「国定忠治こと長岡忠次郎の研究に一筋 六十年 親分の眠る大戸へ出掛け尋ねて七十回」と書いている。Aさんがそこまで情熱を傾けたのは何か。
Bopix_ookubo_f_ohaka

追記(2015/7/10):「0031_国定忠治関連記事目次(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/0031_KUNISADA-CYUUJI_KIJI.html)。」(この目次へのリンク)

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2013年6月21日 (金)

老人の寝言(出番無きマニュアル):どこかおかしいマニュアル通りの対応

2013年6月21日(金)
昨日は終日曇り。最高気温(℃) 24.7 14:03。ざっそう句:草むしり した翌朝は 関節痛。昼前後は町内行事。一休みして畑の通路部の草掻き。ジニア区画の草むしり。蚊が多いので今年初めて蚊取り線香を使用。前橋のAMEDAS湿度は75~91%と高い。ヤブガラシの根をかなり引き抜いた。そのためには地中に手を突っ込んで根を掴むか茎と根の付け根の太くなっている部分を掴むと力が入り抜けやすい。爪を切ったので爪の下に土が余り入らない。自分用の仕事ノウハウができた。久しぶりでAMEDAS天気図を見た。この先一週間は曇りが多いようだ。

2013
年6月20日の天気(AMEDAS)

TAVE= 22.8 NO DATA
TMAX= 24.4 最高気温(℃) 24.7 14:03
TMIN= 21.8 最低気温(℃) 21.4 05:34
DIFF= 2.6  
WMAX= 2.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.1(南東) 17:09
SUNS= 0 NO DATA
RAIN= 0.5 NO DATA

Ioiamedas_tenkizu_13062021_s

Q
Q

老人の寝言(出番無きマニュアル):どこかおかしいマニュアル通りの対応

先日買い物をした時の出来事だ。その出来事から何も起こらなかったのでそれで終わりといえば終わりなのかも知れないがメモのつもりで書いておく。

店内の商品をカゴに入れてレジに出した。自分はちょっと買いすぎかなと財布と相談しながら品定めをしていた。若く新入りらしい店員はその商品の価格・数量をレジに入れて総額を出した。その金額が自分の想定額の倍以上だったので、あまりいい気分はしないが、もう一度計算して貰った。その結果、自分の想定額に近く、想定額に余り狂いは無かった。そこで、再計算した総額で精算した。

清算後に、店員が言った言葉もマニュアル通りのようで、結果としては何事も起こらなかった。ただ、店員がレジに立った時の対応としては何か欠けているような感じがして、お節介にも一言、今のことを上司に報告して相談したらと言ってしまった。その時の様子を、別の店員が見ていて、帰り際に申し訳有りませんとか言われたような記憶がある。

かつて、銀行員は、閉店後も、金額が1円までぴったり合うまで確認しないと帰れないという話を聞いた。これは、従業員にお金に対する感覚・姿勢を教えるためと思っていた。多分、お金が不足した時の事を想定しているのだろう。お金が余った時、どのように対応したのか聞いたことがない。ここには、信頼するというより、疑うという醜い人間心理も覗いている。

ともかく、売買や金銭取引では、原則過不足が生じないような仕組みになっているはずだ。ところが、売買のレジの所では、打たれたレジの数字が正しいという前提で精算が行われる。レジ打ちが正しくないと分かったところでストップをかければ間違いは防止できるが現実的には不可能だろう。店員は信頼できるという前提が物を言うのだ。そのためには、店の方でも店員教育を徹底しないと間違いが起こる。

一桁や二桁オーダーの金額ミスなら何とか我慢が出来るが、千円単位のミスはやはり見過ごされるべき大きさではないだろう。問題は、商品の総額の倍以上を取られても、それを証明する事は難しく、泣き寝入りになる可能性がある。結局、そのような事が起こらないよう再発防止をしなければ、いつかは問題が起こるだろう。万一、知らん顔で定価の倍以上の価格で、売ってしまうと店の信用にもかかわる。

たかがレジ、されどレジだ。このへんの事情はじっさいどうなっているのだろうか。多少の損失はあっても、安い労働力を使って、トータルで儲けが多い方に傾いているように見えるのだが、そこまで踏み込む事は難しい。ともかく、再計算して誤りが確認できた所で、「申し訳ありませんでした。」とかいうところまで、従業員教育は行うべきではないか。

マニュアル通りしても、その状況に応じた対応ができなければ、顧客満足度を満たせないのはあきらかだ。マニュアルとしても欠陥があることになるだろう。ともかく、ごめんなさいが出てこないで、シャアシャアと口上を述べられては唖然とするばかりだ。

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    なんだこりゃ?作成当時の記憶

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やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

公開資料

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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MEMO 海外の博物館・美術館

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  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)