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2016年1月31日

2016年1月31日 (日)

身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(8):The Japanese Christian Institute, Inc.とは何か;雪融けて 畑が恋いし 黒い土。1601。

2016年1月31日(日)
昨日は小雪・小雨後曇り。ざっそう句;雪融けて 畑が恋いし 黒い土。野暮用の打ち合わせ。超老人モードで預かり物を配る。雪は雨に変わり薄い影が出来る程度の晴れ間もあった。雨で雪融けが急に進み、黒い土が現れた。何となく、畑仕事がしたくなった。一仕事終わったと来客。雑談。ビデオ一巻鑑賞。チャップリンが主役のキッドという作品。1921年物。米じいさんはこの頃もアメリカにいたので、ひょっとするとこの映画をみていたかも知れない。準主役(子役)も有名なようだ。このドラマの発端にも捨て子という重い課題があった。

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身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(8):The Japanese Christian Institute, Inc.とは何か

「The Japanese Christian Institute, Inc.」をキーワードにして検索すると、かなりの情報がヒットする。だが、日本語の情報は少ない。ヒットしても断片的な情報が多い。もう一つのキーワードがREV.SOJIRO SHIMIZU,MINISTERである。肩書きの意味は分からないが、どうも教会と関係がありそうな雰囲気を感じた。

そこで、参考になりそうな資料を探すと、以下の電子化された書籍が見つかった。「Tokyo Life, New York Dreams」というタイトルは、渡米を志した人々の夢と現実を言い当てているように感じる。

「Tokyo Life, New York Dreams;Urban Japanese Visions of America, 1890-1924;Mitziko Sawada;UNIVERSITY OF CALIFORNIA PRESS;Berkeley ・ Los Angeles ・ Oxford;c 1996 The Regents of the University of California」(http://publishing.cdlib.org/ucpressebooks/view?docId=ft7x0nb515;chunk.id=0;doc.view=print)(このサイトへのリンク

最初に重複が少ない人名、「SOJIRO」で検索すると、29ページに一件ヒットした。その部分を以下に引用する;「Yoshisuke and Barbara Hirose married in 1898, opened a Christian boardinghouse on Prospect Street, moved to East 54th Street the following year, and moved again in 1901 to East 57th Street. Their mission was designated the Japanese Christian Institute in 1913. The institute, under the leadership of Sojiro[*] Shimizu in 1914, grew rapidly and became the largest Japanese Christian church in New York.[58] At about the same time (1908), Ernest Atsushi Ohori[*] started a Christian boardinghouse with funds from the Reformed Church in America, established the Japanese Christian Association the following year, then moved to West 123rd Street, providing dormitories (one for women), a library, and meeting rooms. He retired in 1916.[59]」

これを、大雑把に意訳すると「Yoshisuke とBarbara Hiroseは1898に結婚し, Prospect Streetに Christian boardinghouseを開き, 翌年 East 54th Streetに移り、再度1901年にEast 57th Streetに移った。1913年、彼らのmissionは、the Japanese Christian Institute と呼ばれた。1914年、そのThe instituteは, Sojiro[*] Shimizu のリーダーシップの元、急速に成長し、New Yorkで最大のJapanese Christian churchになった[58] 。それとほぼ同じ頃(1908)、 Ernest Atsushi Ohori[*] はアメリカのthe Reformed Church の基金により、 a Christian boardinghouseを始め、翌年 the Japanese Christian Associationを設立し、後 West 123rd Streetへ移転し、dormitories (女性用)、 a library、及び meeting roomsを提供するようになった。」

この1900年以前から既に、ニューヨークで日本人によるキリスト教活動が始まっていたのが読み取れる一節ではある。米じいさんが渡米を志した頃であり、米じいさんがThe Japanese Christian Institute, Inc.と関係するのはこの時期よりやや遅れているようだ。

更にWEB情報を調べると「History/Testimonies 日米合同教会の歴史/証」に「100th Anniversary of JAUC in 1994 1994年100周年記念 - 三教会合同と新しい教会堂探索」(http://www.jauc.org/history/)という記事(By Fujio Saito)があり、ニューヨークの教会が日米合同教会へ統合されて行く歴史が記されている。それによると、「In 1897 Rev. Yoshisuek Hirose from Chicago established a boarding house at 52 Prospect Street in Brooklyn near the Navy Yard where he conducted Sunday services and Bible studies for the Japanese in the area. In time the Navy Yard stopped hiring Japanese and many moved to Manhattan to work in American households. Thus in 1899, Rev. Hirose moved the mission to 105 East 54 Street in Manhattan. Then in 1901 the mission moved to 330 East 57 Street due to increase in the number of boarders and it was named the Japanese Mission. In 1912, Rev. Hirose returned to Japan and the mission was left without a minister. At that time through the efforts of Rev. Earnest Atsushi Ohori, who had founded the Shudokai (Japanese Christian Association) in 1909 with the support of the Women's Board of Domestic Missions of the Reformed Church in America, encouraged the Women's Board to support Rev. Sojiro Shimizu, a recent graduate of McCormic Theological Seminary who was on his way to Scotland, as the minister for Japanese Mission. He was hired for one year but continued to serve for 35 years when he retired in 1948. In 1916 the Japanese Mission became officially the Japanese Christian Institute. As described above, the Japanese Christian Association was formed in 1909 with the Rev. E.A. Ohori as the first minister. In the beginning the congregation met at the Bible Teachers Training School for Sunday services at Lexington Avenue and 49th Street and later in a room of the Harlem Reformed Church at 103 West 123rd Street. In 1927 the Church purchased the two buildings at 453 and 455 West 143rd Street. In 1929 Rev. Giichi Kawamata was appointed as assistant minister and succeeded Rev. Ohori who passed away in 1931. Upon the retirement of Rev. Shimizu, the two Reformed missions merged to become the Japanese American Church of Christ (Reformed).」(このサイトへのリンク

「Sojiro Shimizu」とは誰か。日本語では「清水宗次郎」が該当するようだが、依然情報量は少ない。検索で「信仰と信仰生活 清水宗次郎 著」(http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000643560-00)がヒットした。「恩寵四十年略史 (1939年刊行)    草信竹治會長 /松尾弘理事長 /清水宗次郎牧師;紐育日本人キリスト教會    1939」という文献もヒット。

追記(2019/02/21):BLOG記事で移民と海外への出稼ぎを話題にした。そこで、下記記事にリンクを設定してアクセスしやすくした。    
検索結果    
「炬燵で聞いた遠い遠い昔話」で検索した結果、以下の記事/ウェブページが見つかりました。    
タイトル 投稿日 タイプ
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(24):J.Ohga はJunji Ohgaらしい!;春霞 秘書は金持ち 雲霞。1602。 16/02/24 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(23):広島の女と群馬の男;重力波 捕らえた如し 猫の髭。1602。 16/02/23 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(22):米じいさんの手紙に残されたキーワード;タコ銀が 食い詰めて食う 自他の足。1602。 16/02/22 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(21):米じいさんの奥さんの面影を求めて;雨水かな そぼ降る雨は 憎からず。1602。 16/02/21 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(20):米じいさんが娘に付けた名前;起きて見りゃ 夢物語も 夢の中。1602。 16/02/20 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(19):米じいさんの恋人の手紙の一節を読む;立ち話 行き着く先は 墓の事。1602。 16/02/19 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(18):米じいさんの伝説:閑話休題;後ろ指 指されて燃える アホもアホ。1602。 16/02/16 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(17):関東大震災がニューヨークまで影響した!;春一番 吹けどお寒い このお国。1602。 16/02/15 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(16):J.Ohga という人物が活躍したニューヨークで何があったのか?;チョコで釣る 人の心の ほろ苦さ。1602。 16/02/14 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(15):米じいさんが貿易に挑戦;裏の顔 知って納得 スキャンダル。1602。 16/02/11 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(14):米じいさんが隣町のビジネスマンに遭遇;スクープを 打てずに放つ サルダマシ。1602。 16/02/10 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(13):米じいさんに逆風が吹いたのか;尋ね人 ぽっと出てくる 貰い本。1602。 16/02/09 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(12):米じいさんの同僚達;老醜を 写す鏡は 日々曇る。1602。 16/02/08 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(11):米じいさんが米国で出会った女性の謎;立春の 薄暮に大根 抜いてやる。1602。 16/02/07 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(10):海を渡る風(海風);世も末だ 借りて利子取る エゲツ無さ。1602。 16/02/03 記事
     
0B1_炬燵で聞いた遠い遠い昔話(目次) 16/02/01 ウェブページ
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(9):米じいさんの初恋は?;盆栽狂 咲いた椿の 腕自慢。1602。 16/02/01 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(8):The Japanese Christian Institute, Inc.とは何か;雪融けて 畑が恋いし 黒い土。1601。 2016-01-31 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(7):母から渡された玉手箱を開く;雪溶けて キケン・キタナイ ウラの道。1601。 16/01/27 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(6):米じいさんの奥さんの謎;きけよきけ わだつみのこえ いまこそは。1601。 16/01/24 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(5):米じいさんの娘の訃報に仰天;アンマリだ ブルータスかよ あのTPP。1601。 16/01/21 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(4):米じいさんの先輩の矢嶋昇という人物;大雪の 注意伝える 黒電話。160118。 16/01/18 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(3):米じいさんの葬式;大砲の 音よりましな 落雪だ。1601。 16/01/20 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(2):米じいさんの帰国;事故初め 地獄に向かう スキーバス。1601。 16/01/16 記事
     
身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(1):米じいさんの伝説;そこにある 道も歩けば 古道かな。1601。 16/01/12 記事
     



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2016年01月30日 伊勢崎(イセサキ)
TAVE= 2.9 毎正時のアメダス観測値(気温)の平均値
TMAX= 5.5 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値
TMIN= 0.5 毎正時のアメダス観測値(気温)の最小値
DIFF= 5 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値と最小値の差
WMAX= 1.8 毎正時のアメダス観測値(風速)の最大値
SUNS= 0 毎正時のアメダス観測値(日射)の合計値
RAIN= 3.5 毎正時のアメダス観測値(雨量)の合計値
1日の極値 データ 時刻
最低気温(℃) 0.4 4:17
最高気温(℃) 5.8 14:41
出典=気象庁 参照⇒ AMEDASへのリンク
最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 3.7](南南東]) 16:36


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    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)