身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(27):野間清治と米じいさん・重田善蔵の師範学校時代;師匠真似 共に落ちるよ 蟻地獄。20190824。
2019年8月24日(土)
昨日は曇り一時雨・晴れ。ざっそう句;師匠真似 共に落ちるよ 蟻地獄。アメダス瞬低T/瞬高T=23.3/30.8;08:08/17:00。昨日23日は処暑だった。令和元年8月23日に発表された3ヶ月予報によると「この期間の平均気温は、高い確率50%です。」とか。まだ、残暑は続きそうだ。宅内閑居。朝晩は涼しさを感じるが、日照時間が少ないので当然のようだ。どうしてもパソコンに向かうような安直な生活になり、前向きの仕事ができない。ネットサーフィンをしていると、野間清治に関するまとまった記事に遭遇した。ついついその記事に読みふけってしまった。自分が探しているのは、師範学校時代机を並べていたという伝説しか残っていない米じいさん・重田善蔵という人物の実像である。多分、野間清治と米じいさんはその人生の中で交流した期間はごく短いと思うが、同じ群馬県生まれとして描いた将来には何か共通点があったと思う。
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身辺雑記:田舎老人徒然草:炬燵で聞いた遠い遠い昔話(27):野間清治と米じいさん・重田善蔵の師範学校時代
野間清治と重田善蔵が群馬師範で机を並べていたという伝説は、伝説に過ぎないが、その事実を確認したくなり、群馬大学教育学部図書館へ出向いて、在籍を確認した事がある。重田善蔵の成績等の記録は残っているとの回答を頂いた。だが、その記録のコピーをもらっても仕方が無いので遠慮した。
講談社現代ビジネスは、「極秘資料を発見!日本の出版のあけぼのと、野間家の人々【新連載】大衆は神である①。;url=https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55519。(2018/05/13:ノンフィクションライター 魚住 昭)」というタイトルで、「幕末・維新を経て、近代国家として歩みはじめた、日本。その時代はまた、日本に「巨大メディア企業」が誕生する黎明期でもあった。 日本社会のさまざまな場面で垣間見える、権力とメディアの応酬。そして、インターネットを中心に広がる、既成メディアへの不信。だが、そもそもこの日本で、一般大衆と向き合うメディアは、どのようにして生まれ、拡大してきたのか。メディア、権力、大衆、そして近代史の暗部――。知られざる歴史に光を当ててきたノンフィクションライターの魚住昭氏が、ウェブという場で挑戦する、まったく新しい近代メディア史、新連載『大衆は神である』第1回。~極秘資料を発見:目の前に積まれた段ボール箱を見たとき胸が高鳴った。その中には濃紺やあずき色のハードカバーにがっちり保護された、ぶ厚い合本が約150巻あった。講談社が昭和34年(1959)に編纂した社史『講談社の歩んだ五十年』のもとになった秘蔵資料である。」と報じた。
野間清治と米じいさん・重田善蔵は群馬師範学校時代に接点があった事は事実だろうが、その具体的内容は皆目分からない。だが、「米じいさんは、野間から、出版の仕事を一緒にやろうと誘われたらしいが、米じいさんは、お前は本を作って人を育てれば良い、俺は学校を作って人を育てると言って、別々の道を歩む事になったと言う話だ。」
米じいさん・重田善蔵は師範学校卒業後は渡米してしまい、その後は野間清治と米じいさん・重田善蔵の直接的な交流は無かった推測される。米じいさん・重田善蔵一家が帰国後は、家族を支えるために国内を就職運動で回っていたが、その途中で病没したと伝えられている。従って、この就職運動中に野間清治との接点があった可能性は残る。
米じいさん・重田善蔵は、帰国後野間清治の出版事業の拡大を見て、野間清治には負けまいと孤軍奮闘していたのかも知れない。
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項目 | 日積温 | 残日 | 通日 | 通積温 | TA | TX | TN | TD | WX | SN | RN | 瞬低T | 瞬高T | 瞬風 |
DATA | 626.9 | 130 | 235 | 89125.8 | 26.1 | 30.7 | 23.4 | 7.3 | 2.4 | 0.9 | 3.5 | 23.3 | 30.8 | 4.9(北西) |
時刻等℃ | 日 | D | ℃ | ℃ | ℃ | ℃ | ℃ | m/s | H | mm | 08:08 | 17:00 | 18:24 | |
2019年08月23日 伊勢崎(イセサキ) | 1年の | 64% | 経過 | AMEDASへのリンク |
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