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2023年6月11日 (日)

身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):角田柳作;「角田柳作も「平家・海軍・国際派」で気の毒だ」:;お節介 すわりが悪い 後の味。20230611。

2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年6月11日(日)
昨日は曇り一時晴れ。
ざっそう句;お節介 すわりが悪い 後の味。
かみさんは早めに用事外出。遠くの方でフクロウが鳴いたような感じがした。フクロウは朝方鳴くことはあるのか。幻聴で無ければ自分の耳で直接聞いたのは初めてか極希な体験かも知れない。コンビニカレー等で軽く朝食。配り物を仕分け。知人にケイタイ。午後、かみさんとお茶。イベントの雑談。夕方前に配り物。田植えが終わった田圃の水面上をツバメが低く滑空していた。YouTubeを見ていると解散がありそうだという情報が飛び交っている。その解散を名付ければ自己都合解散か。言い換えればはた迷惑解散。

Iob_20230611_
原ファイル名=「IOB_20230611_お節介 すわりが悪い 後の味.gif」

CEEK.JPのワンタッチキーワード検索:「ホット検索ワード:本日: 警視庁 自衛隊 北朝鮮 海上保安 埼玉 京アニ 福岡 大阪 解散 京都アニメーション;昨日: 警視庁 自衛隊 年金 ガーシー マイナンバー 大阪 海上保安 北朝鮮 中国 維新」

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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):角田柳作;「角田柳作も「平家・海軍・国際派」で気の毒だ」:20230611。

処分すると言うので、貰ってきた古本の一冊に「近世群馬の人々(1)」(三山文庫9:昭和38年刊)(本書)があった。その人名を目次から引用すると以下の通り。聞いたような名前もあるが、良く知っている名前はほとんどない。そこで当ブログ内での引用件数を調べて見た。今回は角田柳作からの妄想を綴る。

内田粂太郎(0)
江口きち(0)
金井之恭(4)
桑島定助(0)
佐藤次郎(0)
須永 好(0)
住谷天来(0)
角田金五郎(0)
角田柳作(15)
村上随憲(7)
湯浅一郎(2)

角田柳作の章の執筆者は明治13年生まれ(没年不詳)の角田恵重(ツノダ ケイジュウ)で「横野村誌」等の著書がある。彼は郷土史・民俗学分野の研究家らしく数冊の著書がヒットした。角田柳作は明治10年生まれで、執筆者と同時代人である。

WEB情報(https://ja.wikipedia.org/wiki/角田柳作)によると、「https://ja.wikipedia.org › wiki › 角田柳作;角田柳作 - Wikipedia;角田 柳作(つのだ りゅうさく、1877年(明治10年)9月8日 - 1964年(昭和39年)11月29日)は、群馬県出身の日本文化の研究者・教育者。コロンビア大学に日本文化研究所を設立し、日本研究コレクションのキュレーターを務めた。」との事だ。本書の発行が昭和38年で、その翌年死亡したことになる。執筆者は本章末尾に今後詳細綿密な伝記が作成されるよう希望している。執筆時には角田柳作の研究も進まず、評価も定まらなかったと思われる。今年で、角田柳作没後59年になるが、既に忘れられて過去の人になってしまったのか。

だが、2011年に起きた東日本大震災・東北三大災害に際して、角田柳作の直弟子を自認していたドナルド・キーンが、お世話になった日本人を励ますため、日本へ移住して日本国籍を取り日本人になると発表して、改めて角田柳作の存在が脚光を浴びた。それまで、角田柳作という人物には殆ど関心が無かった。

「老人の寝言:老人の妄想:身辺雑記:田舎老人徒然草:「海風」とドナルド・キーンとその先生・角田柳作の回顧;戦闘機 吹く木枯らしと 空中戦。20191215。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2019/12/20191215-05f1.html)。(2019年12月15日 (日))」で、「ドナルド・キーンといえば、東日本大震災・東北三大災害が発生した頃、日本に帰化するというニュースが流れ、米国にそんな人間がいたのかと感銘を覚えた。その後、ドナルド・キーンが先生と慕たのが、群馬県人の角田柳作だと知って、更なる感銘を受けた。  米じいさんが渡米を決意して実行した事は、炬燵で聞いた遠い遠い昔話として、BLOG記事を書いた。海を渡る風(海風)をドナルド・キーンの日本へのあこがれと重ね合わせて想像した事もあった。そのドナルド・キーン(1922年6月18日 - 2019年2月24日)も今年他界したのだと改めて感慨にふけった。  群馬県では、ドナルド・キーンも角田柳作も余り話題にならず、知る人ぞ知るという状況に近いようだ。そんな中で、米じいさん・こと重田善蔵を知る人は10指に満たないのが実情となってしまった。  そこで、米国サイトで、Ryusaku TsunodaやZ.Shigeta検索するとヒットする情報も幾つかあった。当時、角田柳作や重田善蔵はニューヨークで活躍しており、両者はニューヨーク日本人会の理事にもなったらしいという事が分かった。」と書いた。

角田柳作は日米の架け橋として、その活動が賞賛されていたが、なぜそのような行動をしたのか動機が理解できなかった。同時に、郷土史的観点から地元の農家の次男坊であった重田善蔵(明治12年
生まれ)がなぜ渡米したのかも長い間疑問として記憶の中に残っていた。そこで、色々調査を続行してきたが二人が渡米した理由になにか類似したパターンがあるように感じた。両者の生まれた年が接近している。同じ群馬県生まれの農家の次男坊で学問を好んだ。当時は、渡米熱、移民熱も盛んになった。渡米して、米国で活躍して、成功して故郷に錦を飾りたいという大きな夢を描いてそれを実行したのでは無いかと想像した。明治時代は、まだ家督制度が厳として存在して、それ故に農家の次男は土地に束縛されるという不自由は長男より格段に小さかったと推測した。そのような仮説で当時の人物の経歴を見ると仮説の妥当性が見えてきた。

WEB情報によると、「末は博士か大臣か、という言葉がありますが、この言葉が流行りだしたのはいつごろからでしょうか。」と質問に、「明治初期ですね。明治維新で徳川幕府が消滅し、若者たちの新政権下での夢は、1番が政治家になること、だめなら2番が学者、それもだめなら3番が軍人、それもだめなら新聞記者・・・のような順番でした。」の事だ。明治維新で、四民平等という世界観が普及した中で、現実的・理想的な職業観も生まれて来たと思われる。

角田柳作は江戸時代末期まで学問の中心であった漢学の上に明治時代に導入された洋学の素養を身につけ教師・学者として世に出た。彼の人生の変換点になったのがハワイの日本人学校の校長になったことだと考えられる。当時のハワイは独立王国であり、日本からも移民が押し寄せていた。彼の任務は、仏教系の学校で移民の師弟の教育に従事することであった。だが、ハワイの現実は彼の求めた理想からは遊離して行き、彼は学問の機会や収入が多い北米・ニューヨークへ転出した。

明治時代の中期から末期にかけて、日本人は盛んに北米へ進出して行き、各地に日本人移住地が形成された。当時の米国は、労働力不足で外国人の労働力が盛んに導入されていた。それは、さながら現代の日本や群馬県の実情に匹敵する。日本人はハワイ⇒米国西海岸⇒米国中部⇒米国東部へと進出した。特に、東部のニューヨークに進出した日本人は、単なる労働者では無く、貿易等で一旗揚げようとしていたビジネスマンも多かったようだ。日本産の生糸を米国に輸入して資産を築いた群馬県人新井領一郎もニューヨーク市場開拓のパイオニアであった。

当時のニューヨークには数千人規模の日本人社会が形成されていた。その日本人をまとめる仕事をしていたのが、群馬県人の角田柳作、重田善蔵、水谷渉三等であった。角田柳作は当時のニューヨーク在住の日本人の地位向上・共助・団結を目的としていた紐育日本人会の書記をしていた。重田善蔵は当時の紐育日本人教会の幹事・教会の裏方としてニューヨーク在住のキリスト教信徒を支えていた。水谷渉三はその来歴が不明であるが群馬県人らしく、紐育新報という新聞社の社長として日本人社会の情報網を支えていた。これらの人物がニューヨーク日本人社会の中に群馬県人会というまとまりを形成しつつ交流していたことが、ネット上で公開されている紐育新報等々米国内で発行された邦字新聞で知る事ができる。

ニューヨークの治安は1914年第一次世界大戦を契機に悪化して、ニューヨーク市当局はラスク委員会という治安調査委員会を立ち上げ、その中に角田柳作と重田善蔵の名前が各組織の代表者としてリストアップされている。角田柳作が紐育日本人会の理事長を辞任して、1928年、コロンビア大に日本文化研究所を設立をした。見方によると、この決断こそが上州人角田柳作が打った人生最大の博奕だったように感じる。時代は、日米関係が次第に険悪化して、戦争圧力は上昇して一触即発しそうになりつつあったのだ。角田柳作が日米の架け橋となった歴史は未だ十分解明されていないが、紐育日本人会書記長辞任~日本文化研究所設立頃に、角田柳作の人生観が大変換したと考えられる。

角田柳作は母国日本と郷里の群馬県を愛したが、自分を受け入れてくれた米国も裏切ることができなかった。彼が創設した日本文化研究所は自分の墓標と考えたのかも知れない。彼は死の直前、母国日本へ帰国しようと日本に向かったがホノルルで死去したようだ。彼は、戦時中も色々な苦難に耐えて米国にとどまった。彼は米国の国籍を取得したのか。幾ら調べても判然としなかった。但し、検索した米国サイトでは「Japanese Americans;日系アメリカ人」に分類されている例があった。

ドナルド・キーンが日本国籍を取得して日本人として死に日本の土に帰ったという最近の歴史は、ドナルド・キーンが恩師角田柳作を乗り越えようとして密かに演じた大ドラマのように感じた。そのような独り芝居を密かに角田柳作も演じていたのかも知れない。それをドナルド・キーンは見破って、角田柳作への恩返しとしたように妄想されてくる。角田柳作は国際派として国民理解は低調だが、角田柳作が戦前に蒔いた日米文化の交流があったから、戦後の日米関係が安定的に維持出来たと思われる。

死者は何も語らないが、死者が語ろうとしたことを想像できることは残された者どもにとっては最高のプレゼントに違いない。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN
DATA 555.8 205 160 45630.1 23.2 27.6 20.8 6.8 3.2 2.4 0
時刻等℃ 14 4 14 16.00 mm
        1年の 44% 経過       AMEDASへのリンク  
ダブルカウントに注意(2023年1月3日ファイル作成);黄緑はそのデータ発生時刻(MATCH関数20220116)
伊勢崎 2023年6月10日(1時間ごとの値)


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  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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