04A_寝言老人が幼少の頃

Feed

2009年1月14日 (水)

牛の鼻取り。20090114。

2009/1/14

牛の鼻取り

農業の世界に動力機が入ってきたのは革命的な進歩であったと思う。それ以前はすべて人

力か家畜の力に頼っていた。稲作の田植えの前には田を耕す必要がある。この作業を

いう農具を牛にひかせる事により行った。牛の鼻には10㎝位の真鍮製の輪がはめられてお

り、この輪に麻の綱を結び、更に竹の棒を取り付ける。この綱と棒を使って牛を耕したい方

向に誘導するのである。これは、主として子供の仕事であり、牛の鼻取りと言った。が通る

と土が片側に寄せられるので、牛の向きが逆転するときに鍬の刃の向きを変更する必要が

ある。これは牛の鼻取りよりも技術と体力が必要であった。最初の頃は父が鍬の運転、自分

が鼻取りという組み合わせであった。大きくなってからは、弟が鼻取り、自分が鍬の運転とい

う組み合わせになった。その後は耕耘機が入り、畜力による耕耘もなくなった。農耕用の牛

は黒の和牛であった。農家は牛も飼っていたのだが、機械化になり牛もいなくなった。馬力で

表すと人間は0.25馬力位、小型耕耘機で数馬力、トラクターで10~数十馬力程度。持続

可能な農業を考えると動力機は化石燃料を消費続けるので、家畜の有用性はある筈だ。し

かし、総合的な評価は不明である。価値観を変えない限り元には戻らないだろう。

追記(2020/05/17):タイトルに投稿期日を挿入。アクセスランキング二位入った。10年以上前の記事を読んでくれる人がいたのだ。読者に感謝。読者の年齢層を想像する。それも記事を書いたおまけのようで楽しい。先日、我が家の田んぼを見ると綺麗に耕耘されていた。跡取り息子がサラリーマンになり農業をしなかったので、父は稲作を諦め田んぼの耕作をトラクターを所有している農家に委託した。それが正解だったと思うが、どこか寂しげであった。牛の鼻取りをしたのは小学生の頃だったろう。田植えはまさに人海戦術であった。毎年、新潟地方の人が出稼ぎで田植えを応援してくれた。その応援部隊が来る前に田植えの準備を済ませておく必要があった。この記事では鋤(すき)と鍬(くわ)を混同している。牛の鼻取り、鋤の運転、歩行型の耕耘機の運転までは何とかこなせた。将来必要になるだろうと中古の旧型トラクターを買ったが一度も使った事が無い。馬力のある農機事故で死ぬ人がいるのだ。水田に水を引かず耕起してから田植え前に水を引き、もう一度代掻きという作業を行う。農具は鋤から鉄の刃が付いた大きな櫛のような物に変える。名前は忘れた。調べたら馬鍬(まぐわ・まんが)というらし。代掻きが終わると、植え易いように束ねた苗を田んぼに散らした。これも子供の仕事だった。当地区では6月頃から田植えが始まる。これは水利と気候との関係があるようだ。溜池、用水路の管理も必要だ。昔の用水路は土の堀だったので大変だった。現在は三面コンクリートになって楽になったが、共同作業で後継者がいない農家は生涯現役を想定せざるを得ない。2020年5月17日(日)のアクセスランキングを以下に貼り付けておく。

Googleでキーワード「代掻き 農具 牛馬」を画像検索(https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BB%A3%E6%8E%BB%E3%81%8D%E3%80%80%E8%BE%B2%E5%85%B7%E3%80%80%E7%89%9B%E9%A6%AC&hl=ja&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=)。

2020年5月17日(日)

2009年1月12日 (月)

とっかん屋

2009/1/12

とっかん屋

幼少の頃、ポップコーンを作るとっかん屋が回ってきた。どうして、ポップコーンができるのか

不思議なのだが、ドカンーという音がするのでとっかん屋と呼んだようだ。鋼鉄のがっちりした

円筒形の容器にトウモロコシの実をいれて容器を回転しながら火であぶる。ポップコーンにな

る頃を見計らって、容器の出口を金網の筒に向けて一気に開くときにドカンーという音ととも

にポップコーンが飛び出してくる。容器はハンドルを持って回転させるのだが、ポップコーン

がもらえるので子供達が手伝った。とっかん屋はポップコーンの加工賃をもらう商売であった

ようだが、商売という点に関しては何の記憶もない。米でも同じような加工をしたらしい。甘み

は人工甘味料のサッカリンを使ったのではないかと思う。砂糖も菓子も高価で、自宅にある

材料を加工してもらった方が割安だったので、このような商売が成り立ったのであろう。生活

が豊かになるととっかん屋も来なくなった。

2009年1月11日 (日)

砂漠は生きている

2009/1/11

砂漠は生きている

自分が見た最初の映画は何であったろうかと振り返った事がっあた。屋外に

スクリーンを張って、チカチカとフィルムの傷が目立った白黒の映画を見たよう

な気もする。夏の夜の映画鑑賞会であったかもしれない。小学校で初めて見

た映画「砂漠は生きている」という記録映画であったように思う。調べてみると

W.ディズニーのカラー記録映画で日本初公開は1955年1月とあった。市内に

は映画館が数軒あって、その中の外国映画を扱っていた映画館へ授業の一

環とし出かけたものと思う。確かに、サボテンの花が開く様子をスローモーショ

ンで見せたり、自然の驚異を色々教えてくれたようだ。映画のタイトルだけは

忘れずに覚えていた。しかし、W.ディズニーの作品であったとは初めて知っ

た。W.ディズニーというと作品のキャラクターを最大限に利用した映画会社と

いう印象があったが、この「砂漠は生きている」という映画はW.ディズニーとい

う映画会社のなかでどのような位置づけであったのだろうか。

2009年1月 6日 (火)

中江藤樹の母

2009/1/6

中江藤樹の母

多分、絵本で読んだのだろう。雪の降る中、若き藤樹は母を思い家に帰る。しかし、藤樹の

母は、一度学問を志し家を出たのだから、その志を遂げるまで家に帰ってはならぬと藤樹を

泣く泣く押し返したという話を絵にしたものだったようだ。孟母三遷のたとえも同じような意義

があるだろう。母が子供の成長にあたえる影響である。こういう逸話は結果が先に生まれて

から生まれてきたのかもしれない。さすが、立派な人物の母は立派であった、いや立派でな

ければならなかったいうべきか。自分の志がくじけそうになった時こういう話を思い出すと励

みになるかもしれない。記憶の片隅にこの絵本の事が残っているのは、それなりの意義があ

ったのだろう。しかし、かなうことならば藤樹や孟子に自分の母の事を語ってもらいたい気も

する。ついでに藤樹や孟子の母に自分の息子の事を語ってもらいたい。子供の動機付けに

関して母親の影響は相当に大きいことに昔も今も変わりはないであろうが。歴史には不案内

であるが、中江藤樹は陽明学者で私塾藤樹書院を開いた民間の教育者であった。また、幕

末の尊皇攘夷運動は陽明学に影響を受けているとのことである。江戸幕府が終焉して、明

治維新を迎え、近代化社会として今日に至っているわけであるが、その流れの源流にこうい

う人がいたのであろう。高等学校 学習指導要領 社会科編 昭和31年度改訂版によると、高

校の社会科は社会・日本史・世界史・人文地理の4科目をもって再構成された。社会を含め

全員に3科目履修させた。今、振り返ると自分は高校の日本史を選択から外していた訳であ

る。日本史は、その気になればいつでも出来るであろうという意識もあった。しかし、社会に

出て学生という身分がいかに貴重であったかに気付くわけだ。目先のことしかできない。よう

やく、時間的なゆとりがとれるようになり、やり残した空白を埋めてみたい思いがする。

2009年1月 5日 (月)

最初のフィクション

2009/1/5

最初のフィクション

読み書きの勉強は小学校に入学してから始まった。授業の中に作文があり、鉄砲撃ちの後

について行った時の事を作文に書いた。鉄砲撃ちは近所のお兄さんで空気銃を持っており

電線にとまっているスズメなどを打ち落としていた。作文では自分が騒いでそのスズメを逃が

してやったことにした。この作文の事を覚えているのは事実と異なる最初のフィクションであ

り、ちょっと気になる事でもあったからである。作り事を書いてしまったからである。しかし、こ

の作り事がなければ、平凡なつまらない作文で終わったかも知れない。小学1~2年生頃の

記憶である。こういう、作り事を書いてしまったことを覚えているのは、嘘をいうと閻魔様にべ

ろを抜かれるよと教えられており、うらめしい気持ちがあったからだろう。今思うと、嘘と言う

より、最初のフィクションと言ってよいのかも知れない。郷土史の研究家に、あることの歴史

はその中心より、その周辺により正確に残っている場合が多いと聞いた事がある。偏りとい

うのは必ずつきまとうものなのであろう。100%正しいことはないかもしれないが、数%正しい

ことでも歴史を知ろうとする時は大切だ。その数%が次の行動の手がかりになる。

2008年12月30日 (火)

学校給食の思い出(改題):日々食べて生きる:給食は永遠の課題。081230。

2008年12月30日 (火)

学校給食の思い出(改題):日々食べて生きる:給食は永遠の課題

学校給食が何学年から始まったのか良く覚えていない。午後の授業のためなので多分中高学年になってからだろう。

メニュウと言えばコッペパンに牛乳とおかず程度であったと記憶している。牛乳は脱脂粉乳を水で溶いたものであったようだ。それも、国産のものでなくユニセ
フ?かどこかの援助物資であったらしい。敗戦国として児童の食料支援を国際機関から受けていたのである。

ともかく、学校給食のおかげで日本人の体位が向上したのは事実であろう。給食の時間になると憂鬱になることが一つあった。当時は食器を布袋に入れて持参していた。各自が自分の食器を並べて係りの生徒がその中に盛りつけるのだが、自分の食器とある女生徒の食器がうり二つで、よく間違ったのである。アルマイトの食器であったが親に別の食器を買ってくれとも言えず憂鬱になったのであった。しかし、この憂鬱もいつしか解消した。クラス替えか席替えで間違えが起こらなくなったためであろう。

給食の時間には担任の先生が本を読んでくれた。これは楽しい思い出である。


*************************

2008/12/30

学校給食の思い出

学校給食が何学年から始まったのか良く覚えていない。午後の授業のためなので多分中高

学年になってからだろう。メニュウと言えばコッペパンに牛乳とおかず程度であったと記憶し

ている。牛乳は脱脂粉乳を水で溶いたものであったようだ。それも、国産のものでなくユニセ

フ?かどこかの援助物資であったらしい。敗戦国として児童の食料支援を国際機関から受け

ていたのである。ともかく、学校給食のおかげで日本人の体位が向上したのは事実であろ

う。給食の時間になると憂鬱になることが一つあった。当時は食器を布袋に入れて持参して

いた。各自が自分の食器を並べて係りの生徒がその中に盛りつけるのだが、自分の食器と

ある女生徒の食器がうり二つで、よく間違ったのである。アルマイトの食器であったが親に別

の食器を買ってくれとも言えず憂鬱になったのであった。しかし、この憂鬱もいつしか解消し

た。クラス替えか席替えで間違えが起こらなくなったためであろう。給食の時間には担任の先

生が本を読んでくれた。これは楽しい思い出である。

*************************
追記(2017/11/05):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
原文を残して、書式変更のみで記事を書き直した。今回はフォントサイズを大に設定してみた。読み易い、印象に残るetcを考えると編集にも結構時間がかかる。設定には、BLOG-EDとブラウザの両方があり、混乱して終わっているのが実情だ。


2008年12月29日 (月)

影絵

2008/12/29

影絵

電灯の光を手で遮ってその影を障子に投影する遊びをした。他愛のない遊びであったが、狐

は指をこうして向きをこうすると、ホラこうなる。やって見ろ。犬はこうする。覚えているのは、

この二つしかないのだが、白熱電灯の光の影が作る影絵は昔の家族の団欒の一こまであっ

た。この遊びは特別に用意する道具もいらない。てもちぶたさの時間はある。ちょっとした余

暇を潰すあそびだったようだ。影といえば屋外では影踏みという遊びもした。これも単純で説

明の余地の無い遊びだ。生活が豊かになると照明も明るくなった。影は意識されにくくなった

のであろう。新しい遊びが生まれ、古い遊びは消えて行く。遊びはそれ自体が目的で強制さ

れれば遊びではなくなる。今年は不況の冷たい風が荒れ狂っている。昔も不況があり、会社

は仕事もないので、構内の草むしりや清掃をしたという話を聞いたことがある。仕事も遊びの

心境にまで高まれば言うことはない。いやな、苦しい仕事でもあれば何とかなる。仕事もな

くなると、遊びの心理的ゆとりも無くなりやすい。しかし、他愛のない遊びで自分を取り戻すこ

とも大切なようだ。遊びとは自分が自分の主人になることであろうから。

2008年12月26日 (金)

ミカンの数え歌。20081226。

2008/12/26

ミカンの数え歌

昨日はクリスマスであったが、それらしい事はせずにすぎた。何回か書き直して、ようやく目

先の書類が受理されて、少し肩の荷が下りた感じである。これをもって、自分が頂いたプレ

ゼントとしようと思いつつお茶を一杯。昔はお歳暮や御年始に木箱入りのミカンを頂く事が多

かった。こたつみかんと言われる通りコタツに入っているとミカンが食べたくなり食べ始めると

止まらなくなる。ミカンの数え歌は子供にミカンの食べ過ぎを戒める歌であったようだ。前半

は良く覚えているが後半はうろ覚えである。母親か祖母あたりが口ずさんでいたのだと思う。

一つ二つは良いけれど    三つミカンを食い過ぎて

四つ夜中に腹下り       五ついつものお医者さん

六つ向こうのお医者さん   七つ泣いても直らない

八つやっぱり直らない     九つ今夜も直らない

十でとうとう死んじゃった

腹具合を悪くしないように注意を与えると共に倹約させる意味もあったろう。ミカンは果物とし

ては一番庶民的なものであったようだ。また栄養面でも優れておりミカンの食べ過ぎで体調

を崩したことも無かった。地球温暖化の影響で当地でもミカン樹が育つようだ。自分で作った

ミカン苗に実が付くのを楽しみにしている。

追記(2023/03/24):タイトルの後に投稿年月日。本日のランキング6位。読者に感謝。ミカン樹は収穫出来るまで育ったが手入れ不足で枯れる株が増えている。

2008年12月25日 (木)

いろいろな子供の遊び

2008/12/25

いろいろな子供の遊び 

子供の仕事は遊びにある。ギャンブル性のあるものでは、ビー玉、メンコ。キシャゴ(オハジ

キ)は主に少女の遊びであったが玉のやりとりがあった。石蹴り、お手玉、まりつき、縄跳び、

跳び馬、とうりゃんせ、チャンバラ、雪合戦、雪だるま作り、竹スキー、そり遊び、かくれんぼ、

キャッチボール、野球、セミ捕り、虫取り(カブトムシ、クワガタ)。主な遊びは既に書いてみ

た。今、思い返すと子供の遊びは実に多くあり多様であった。幼少であればあるほど遊びの

男女差は近づく。従って大抵の遊びは多かれ少なかれ男女の差もなく遊んだようだ。ところで

今日の子供達はどんな遊びをしているのであろうか。ギャンブル性のあるもの、ルール性の

あるもの、原始生活の延長みたいのもの等視点により色々分類できそうだ。しかし、大人の

仕事の準備、動機付けの練習を無意識のうちにやっているようでもある。遊びは子供の仕事

である。その仕事を手がかり足がかりとして大人の仕事に乗り換えるのである。大人の仕事

が昔の労力を中心としたものから知力を中心したものに変質した結果、子供の遊びも変わら

ざるを得なくなった。労力はホワイトボックスだ。なにをどうすれば良いか人目で分かる。しか

し、知力はブラックボックスである。箱の中身とその構造を読み解かなければ本当の仕事が

出来ない。大人も仕事から落ちこぼれる。子供の遊びも不透明にならざるをえないのかもし

れない。

2008年12月24日 (水)

漫画の歩き読み

2008/12/24

漫画の歩き読み

校庭の隅の二宮金次郎の像は薪を背負って本を読んでいる。勤労と勉学の大切さをあの像

で象徴させたのに違いない。幼少時にあったあの二宮金次郎の像は今は無い。どういう経緯

で無くなり今どこにあるのか気になる。ところであの二宮金次郎は何歳頃の姿であたったの

か。おそらく小学校の校庭に設置されていたのだから小学生位の年齢であったのだろう。

自宅から学校まで約2kmを歩って通う。時間は2~30分位か。登校時は時間がないから

直行。下校時はマンガ本を歩き読みしながら帰った事が多い。母は自分がマンガを読んでい

てくすくす笑うと何でそんなにおもしろいのだといぶかしがった。今思い出すのは「赤胴鈴之

助」くらいである。調べてみると1954/昭和29 『少年画報』(少年画報社)に連載され、作者

は武内つなよしであった。実は作者を知ったのは今調べて知ったばかりである。元朝日新聞

論説委員 池見哲司氏のホームページに漫画家、武内つなよしについての記事があり拝読さ

せていただいた。人間の歴史を残す事、歴史を正しく評価する事の大切さを感じる。漫画

家、武内つなよしが紙芝居の作家から漫画家になったと知ると人間の奥深さも知るのだ。

ともかく、漫画の歩き読みは二宮金次郎、学校、母親等に教えられたのではない。

面白いことは自分から自発的に発見する以外にないのだろう。

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2024  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)