04A_寝言老人が幼少の頃

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2009年4月11日 (土)

柱にかかったマントの影

2009/4/11

柱にかかったマントの影

こわさの裏には何か説明できない不安があるようだ。幼少時で何歳くらいか覚えていない。

古い家の土間の柱に雨具のマントがつるされていた。農家のありきたりの風景かも知れな

い。夜になって寝付く前にそのマントを思い出すと何となくそこに人がいるような気がしてこわ

くなったことを思い出す。ところがこわいと声を出すこともできない。柱には振り子式の柱時計

が静かに時を刻んでいる。この音さえもこわくなった。怖い昔話等を話を聞かされたためであ

ろうか。

2009年4月10日 (金)

お仕置きの倉入れ

2009/4/10

お仕置きの倉入れ

昔は親の言いつけを聞かない場合お仕置きを食らう事が多かった。尻を叩かれる位なら大し

たこわさはなかったろう。尻を叩かれ、泣いて反抗した時とうとう親も処置に困ったようで、土

倉に押し込められた事があった。何の理由で叱られたのかは思い出せない。外からは泣き

声が小さく聞こえて親の心理的な負担が軽くなった可能性はある。しかし、倉の中は照明もな

く暗く、当時はネズミやそれを狙うアオダイショウが倉に住み着いていた。そこに押し込めら

れるこわさは忘れられない。何回も押し込められたわけではないがこわい忘れられない思い

出ではある。まわりに影響されないよう夏場の受験勉強を倉の中でしたこともあった。個室も

エアコンもない時なので当時なりの苦肉の対処法であった。この頃は既に倉に閉じこめられ

たこわい思い出は卒業していたようだ。しかし、叱られた事の効用は無意識のうちに残って

いるのだろう。

2009年4月 5日 (日)

対人コンプレックス

2009/4/5

対人コンプレックス

音程をぴったり聞き分ける絶対音感の持ち主がいるようだ。そういう音感を持つとさぞかしこ

の世の音楽もうっとうしくなるのであろうか。その対極が音痴という事になくかもしれない。歌

を歌えば必ず音程が狂う。それで人前で歌うのがいやになる。そのわり、どんな下手な歌を

聞いても許せる気分になる。親が自分は音痴だと言っていたので自分も音痴だと信じてい

る。確かに、父はほとんど歌を歌わなかった。母は大正琴を弾いたり、古い歌謡曲や詩吟の

一節を唸っていた事があった。晩年に小さな電子ピアノを渡すともしもしかめさんの童謡を弾

いた。少しは音程が分かっていたのであろう。その母も我が家はへんま調だからと言ってい

た。どうも音痴の要因に対人コンプレックスもあるようだ。幼いときに内弁慶だ、内気、無口

だと言われた。親や先生から知らず知らずに決めつけられている事があるのではないか。そ

ういうことに対する反抗もあったろう。自分もそれを気にした事はあるが、世間がかってに言

っていることはどうでも良い、自分は自分だという意識も目覚めてきていたのではないだろう

か。従って、対人コンプレックスをあえてあおる必要もない。人前に出るのに襟を正そうとす

るのは当たり前の事であろう。いまから思うと大した判断力が無いのに家と外と同じに振る舞

うのは自制力が無いようにも見える。ともかく、社会に出て色々な場面に出会わせるとTOP

に応じた行動が身についてくる。昔のガキ大将が普通の人間になるのと変わらないのであろ

う。性格と行動様式は別物であるような思いを抱くのである。

2009年3月 8日 (日)

目覚まし時計の分解

2009/3/8

目覚まし時計の分解

蘭学事始めについては学校の教科書等で大抵学ぶ。漢方医学では人体の構造は正確に記

述されていなかった。蘭学医が死刑囚の腑分けをして西洋医学の精密さを実感しと事が解

体新書発刊の動機であったようだ。小学校の理科の実験で蛙の解剖があったように思う。と

もかく小学生頃になると何か動く物の中はどうなっているのかという疑問をもつ。その代表が

目覚まし時計であった。今日、時計はほとんど電子化しておりその機能と構造は理解しがた

くなっていると思う。昔の目覚まし時計はゼンマイと歯車の組み合わせであった。自分も親に

内緒で目覚まし時計を分解して遊んだことを思い出す。分解後組み立て直したのか、元通り

動いたのか定かでない。ともかく、当時の柱時計は振り子式で時々ゼンマイ巻が必要であ

り、子供がこの仕事をしていた。さすがに、毎日使う柱時計の方は手を着けることが出来な

かった。

2009年3月 7日 (土)

最初に読んだ科学の本

2009/3/7

最初に読んだ科学の本

科学に興味を覚えるには何らかの動機があるだろう。幼少時に最初に読んだ科学の本があ

ったように記憶している。おぼろげであるが磁石の事が書いてあったと思う。もうひとつ、それ

は今は亡きおばさんが買ってくれた本だったように覚えている。母はお前はよく「太陽は火で

できているんかい、月は水でできているんかい」と聞いたよと昔話をした。自分自身このよう

な質問をした事は覚えていないが母の話を介して思い出す。結局、母は自分の疑問には答

えてくれなかったのかもしれない。それだけに、おばさんが買ってくれた科学の本が印象に残

っているのかもしれない。人間、気が付かない些細なことが動機になっていることが多いので

はなかろうか。幼少時のまだ表現して伝えるのに十分な言葉を習得しない段階でも記憶に書

込を始める。しかし、それを確実に呼び出す手段がない。何か見えない、思い出せない経験

が次の記憶の核になる。そうすると、海面下の氷山のように親から見えない影響を受けてい

た部分は相当に大きいことになる。幼少時に発する疑問・質問にことごとく答えてしまっては

その後自ら試すという好奇心を失ってしまうのではないか。同時に適宜に学ぶ手がかりを与

えられれば自ら学ぶ態度を身につけるのではないか。

2009年2月26日 (木)

小川の洗い場

2009/2/26

小川の洗い場

昔話では、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯にという枕詞がある。昔の村

の生活そのものであり、聞く者にはそのイメージがすぐに浮かんできた事であろう。現在の子

供達はこの枕詞にどのようなイメージを持つのであろうか。炊事洗濯が家電の出現で一変し

た。我々団塊の世代がその切り替わる時代の証人であった筈だ。便利さの代償にCO2を排

出していた訳である。幼少時には炊事の燃料には竹木等を使用した。洗濯はタライと洗濯板

を持って小川に行った。当地の小川には洗濯作業がやりやすいようにコンクリートで洗濯場

が設けられていた。数人が作業をできる広さがあった。女性達はそこで井戸端会議に花をさ

かせていたのかもしれない。耕地整理により小川は三面コンクリートの直線の水路に改修さ

れた。更に、洗濯場らしい施設も別な所に作られている。しかし、そこで洗濯風景を見たこと

は無い。最早、川で洗濯するという時代は完全に過ぎ去った様だ。三面コンクリートなので川

に入るのは難しい。この洗濯場からは川に容易に入れる。子供達がこの川で遊ぶような時

代がまた来ないとも限らない。

2009年2月14日 (土)

紙のピアノ

2009/2/14

紙のピアノ

小中学校の音楽で本当の楽器で演奏したという記憶がほとんどない。楽器といえば音楽室

にあるピアノとオルガンを先生が弾き、生徒はそれに合わせて歌をうたったという程度であっ

た。自分にとっては楽譜は単に記号にすぎなかったようだ。音楽の試験では歌をうたったりす

る実技はまったく駄目、楽譜の方はまあまあの成績がとれた。一人の人間のなかで記号と音

と感性が統合されていなかった。音楽の教科書の末尾に印刷されたピアノの鍵盤が付いて

いた。実はピアノの練習にはこの紙のピアノが使われていたのであった。歌と言えば両親は

音痴を自認して子供にも音楽に対してほとんど配慮してくれなかった。母は一時詩吟を歌

い、大正琴の練習をした。しかし、父が歌を歌ったり、楽器を弾くのを見たことはなかった。

大学に入学して音楽コンプレックスを解消すべく、簡易楽器クラブに入りハーモニカを練習し

た。ギターも買った。しかし、長続きしない。社会人になり、宴会でマイクの番が回ってくると

どこかに隠れたくなる気持ちになる。百姓には音楽などの遊びは無縁だという父の考えもあ

ったかもしれない。父にそういうゆとりもなかった。子供達はピアノ教室に通い少しは楽器に

親しんだ。エレクトーンと中古のピアノを買った。最近、叔父さんに、お前のじいさんは屋台の

笛の名手だったという話を聞いた。じいさんの笛の音は遠くまで良く届いたそうだ。音痴にも

環境遺伝的要素があり、これを克服すれば音痴を改善できる可能性はありそうだと思えるよ

うになった。何よりも音楽は自分が楽しめればそれでよいのかもしれない。

2009年1月18日 (日)

子供駅伝大会で優勝

2009/1/18

子供駅伝大会で優勝

運動の得意でない自分が子供駅伝の選手になって優勝した体験は忘れがたい。自分以外

の駿足の選手が平均値を引き上げてくれたのははっきりしているのであるが、まさか優勝す

るとは予想していなかったのであるから嬉しさは格別であった。当時、子供会という正式の組

織があったのか不明であるが、駅伝の練習などの世話をしてきたおじさんが、今日は優勝し

たので、うまい物を食べさせてやると言って大会の帰りにそば屋に連れていってくれた。何が

出てくるかとわくわくしていたが、ネギナンであった。ともかく、ネギナンとは初めて聞いて初め

て食べた。そもそも、そば屋など入った事がなかった。駅伝の練習は世話のおじさんが自転

車で伴走してくれた。冬の夕方頃の時間である。練習が終わると近くの商店で砂糖湯を飲ま

せてくれた。寒さの中の練習で疲れ、暖かい砂糖湯を飲むのは大変なご馳走であった。こん

んな時代であったから、ネギナンはとびきりのご馳走であった。ともかく、駅伝で優勝するか

否かに関係なく、ボランティアとして子供の世話をしてくれた人がいてくれた事を有り難く思う。

2009年1月17日 (土)

小学校の体罰

2009/1/17

小学校の体罰

本日、阪神淡路大震災14年目を迎えた。入院中の父は関西地方の戦友の消息が気になり

母が必死に連絡をとった。ようやく無事が確認されてほっと一息ついた。その戦友は帝国大

学卒業。父は尋常小学校卒業。天と地の差である。しかし、戦場では学歴の差もなく、同じ釜

の飯を食った戦友の結びつきは強かった。とりわけ、その戦友は戦場で片足を失ったが、そ

れを苦とせず会社の社長まで上り詰めても、ずっと同じ戦友としてのつき合いをしてくれた事

に誇りを持っていた。軍隊という組織の中にあって、戦友とは同じ運命を背負った仲間であ

り、苦楽を共にした体験が戦後も固いつき合い続けた要因であったであろう。

学校の体罰に関しては色々議論がある。教育と言えども、最初は教育ができる状態を作る

必要がある。言葉で生徒を指導できればそれに越したことはないだろう。言葉だけではどうし

てもうまく進まない時に体罰が使われるのであろう。叱ると尻を叩くは教育以前のしつけの問

題かもしれない。体罰はあくまでも不適切な行動の矯正手段であろう。従って、教育の段階で

は叱ると尻を叩くから、諭すと正すという手段を中心にするのが妥当なのかもしれない。これ

を本気で実行するとなると大変根気と手間のかかる仕事になる。自分の小学生時代を振り

返ってみて、殴られたりする暴力的な体罰を受けた記憶はない。宿題を忘れたり、質問に答

えられない時は立たされた事があった。廊下でボール遊びをして窓ガラスを割って叱られた

時もあった。いたずらをした時は罰はもう少し厳しくなり、水の入ったバケツを下げて立たされ

たり、拭き掃除をさせられた。結果論からいえば、自分もなぜそうさせられたか分かったの

で、先生を恨んだり、先生に感謝することもなかった。今から思うと諭すと正すという範囲で寛

大な処置であったかもしれない。場合によれば拳骨の一つ二つはもらう可能性があった。敗

戦直後の教育環境の中で体罰への反省や抑制意識もあったかもしれない。

2009年1月16日 (金)

船流し

2009/1/16

船流し

学校通りに沿ってコンクリートの側溝があり、船流しをして遊びながら学校へ行った。小学生

の頃であった。流したのはどこにもある、木片の類である。友達数名で流れる早さを競った。

ゴミなどに阻止されて船が止まってしまうと石を投げつけて動かす。ともかく木片一つで片道

の通学時間の間遊べたのである。今日側溝はコンクリートのふたでふさがれておりそこに水

が流れているのも気付かないのではないか。最近、水利の仕事をして知ったのであるがこの

側溝は防火用水も兼ねており、灌漑用の用水路から取水して通年水を流しているとのことで

あった。

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みかん栽培関係情報

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嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)