04A_寝言老人が幼少の頃

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2012年12月22日 (土)

寝言老人が幼少の頃:マンガで読んだ放射能の怖さの記憶

2012年12月22日土曜日
昨日は晴れ後曇り。最低気温(℃) -0.3 01:28 。冬眠が 出来ぬ野鳥の 餌探し。夏みかん収穫。昨年切った雑木の株をツルハシで堀上げた。根が腐り労力低減。柿木の高所に残った柿の実も大方無くなった。落柿も見あたらないので鳥が食べ尽くしたようだ。万年青の実が赤くなっている。これもやがて無くなってしまう。鳥の仕業だろ。自然の論理から見れば鳥は自分の役割を果たしているだけなのかもしれない。昨日は冬至。これから、更に寒くなるが、日長は伸びてくる。当面、気になるのがインフルエンザと花粉症。

2012年12月21日の天気(AMEDAS)

TAVE= 4.8
TMAX= 8.4 最高気温(℃) 8.9 13:32
TMIN= 1.1 最低気温(℃) -0.3 01:28
DIFF= 7.3
WMAX= 4.7 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.9(西) 03:50
SUNS= 4.3
RAIN= 0

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寝言老人が幼少の頃:マンガで読んだ放射能の怖さの記憶

小学生の頃は、マンガに夢中になり、学校帰りは、歩きながらマンガ本を読む事があった。「キンダーブック(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-5ac7.html)(2008/11/17)」。
絵本の記憶は余りない。科学に関心を持つのも小学生頃だろう。鳥に関しては、捕獲して遊ぶ事に夢中だった。雪が降った日は、フルイにつっかい棒をして、そのつっかい棒に長いヒモを付けて、フルイの下にまいた米粒を食べに来るスズメを生け捕りにしようとした事もあった。捕獲が成功した記憶はない。屋根裏のスズメの巣に手を入れて、ヒナを捕獲して飼った事もある。恐竜は治部の子供が熱中した。自分の頃はゴジラ等の恐獣の時代だった。

WIKIPEDIA「始祖鳥(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%A5%96%E9%B3%A5#.E5.A7.8B.E7.A5.96.E9.B3.A5.E3.81.A8.E9.B3.A5.E3.81.AE.E8.B5.B7.E6.BA.90)」によれば、「化石の発見地 [編集]始祖鳥の最初の化石は1860年、ドイツのバイエルン州ゾルンホーフェン(Solnhofen)地域のジュラ紀後期(キンメリッジアン、1億4600万年~1億4100万年前)の地層から発見された。」とある。「鳥類は恐竜から進化したとする説」が有力なようだ。

WIKIPEDIA「恐竜(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%90%E7%AB%9C)」。恐竜の恒温動物説 もあるが、異論もあるらしい。

WIKIPEDIA「鳥類(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E9%A1%9E)」によれば、「概説 [編集]:温血(恒温性があり)、卵生で、体制が爬虫類に近く、くちばしを持っており歯はなく、体が羽毛で覆われ、前肢が翼になっており[3]、飛翔のための適応が顕著である[2]。 現存鳥類は約1万種[4]であり、四肢動物のなかでは最も種類の豊富な綱(分類目)となっている。(別資料では8600種[2]や、9000種[3]としているものもある) 鳥類は北極から南極に至る地球上の広い範囲の生態系に生息している。」とある。

人類が生まれてから百万年程度。鳥類はその150倍もの長い歴史を持つ生物。温血(恒温性)、羽毛と防寒対策が身体に備わっている。雪が降れば餌探しも大変になるが、羽があるので移動は容易。今後生き残るのも鳥類に見えてくる。子供の頃、原水爆の影響が遺伝して、悲惨な姿になった人類を描いたマンガを見た事を思い出した。子供ながらに想像力を働かせて放射能の怖さを無意識的に理解していたのではないか。

2012年12月 7日 (金)

文化と文明雑感(寝言老人が幼少の頃):ラジオ少年がノーベル賞

2012年12月7日金曜日
昨日は晴れ。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.2)(西北西)) 12:44 。大型低気圧が日本海側を北陸から北海道に向け北上し、強風が吹いた。ざっそう句:不思議・夢 ラジオ少年 ノーベル賞。ゴミ出しに来た近所のおばさんがふらりと立ち寄って、日向ぼっこをしながら雑談。造園業者に庭木の手入れをしてもらうがお金がかかって大変だとこぼしていた。殺風景な我が家の庭をみながらそういわれると身にしみる。一度頼むとなかなか縁が切りにくい。我が家は植木屋さんの廃業を機会に自己流に変更。

2012年12月6日の天気(AMEDAS)

TAVE= 6.9
TMAX= 14.6 最高気温(℃) 14.9) 11:08
TMIN= 0.6 最低気温(℃) 0.3) 04:59
DIFF= 14
WMAX= 6.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.2)(西北西)) 12:44
SUNS= 7.1
RAIN= 0
風速風向12時休止中
日照時間14及び15時欠落

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以下は気象庁2012年12月6日12時の天気図
12120612_s_2

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文化と文明雑感(寝言老人が幼少の頃):ラジオ少年がノーベル賞

今年、山中教授がノーベル医学生理学賞を受賞したニュースに元気付けられた人が多いと思う。終戦後、国民の生活も貧しく、戦争で自信を失っていた時に、湯川教授がノーベル物理学賞を受賞した時は、将来への希望、自信回復という点で、更に国民への影響は大きかったと思う。少年時代は紙と鉛筆だけであれだけの事ができるんだと信じていたが、考えがあさはかだった。少年時代に、鉱石ラジオを作った記憶は、「鉱石ラジオ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/09/post-dd58-1.html)。(2008/9/11)」という記事に書いた。昔は、検波器に鉱石を使ったが、戦後はゲルマニュームダイオード(型番1N60)が使われていた。このダイオードは現在でも使われており、電子パーツとしては超ロンングセラーと言えるだろう。

上毛新聞に、山中教授がストックホルムへ出かけた記事が出た。授賞式を中心に色々な行事がある。今後はノーベル賞受賞講演も話題になるだろう。それに期待したい。そこでWEB上でニュースを検索。

毎日新聞は、「ノーベル賞:「予期せぬ結果こそチャンス」…山中教授会見。http://mainichi.jp/feature/news/20121207k0000m040118000c.html。(2012年12月06日 23時38分(最終更新 12月07日 01時14分)))」というタイトルで、「【ストックホルム須田桃子】ノーベル医学生理学賞を受賞する山中伸弥・京都大教授(50)は6日午後(日本時間深夜)、共同受賞者で英ケンブリッジ大名誉教授のジョン・ガードン博士(79)とともにカロリンスカ研究所内で記者会見した。「同じ会場で何度も講演した。受賞者として今ここにいるのは、光栄だが夢の中にいるようだ」。山中さんは心境を英語でこう表現した。 科学との出会いについて聞かれ「少年時代、ラジオを自分で分解し、組み立てるのが好きで、そのころから科学への興味が芽生えた」と振り返った。若者へは「仮説と異なる思いがけない実験結果がなければ、人工多能性幹細胞(iPS細胞)はできなかった。予期せぬ結果こそ、新しい発見やブレークスルー(画期的な成果)のチャンスだ」と力を込めた。」と報じた。

上記の記事は署名記事であり、取材した記者の視点も感じられる。子供達へのメッセージも込められているように感じる。振り返ると、幼少時代は知識量が絶対的に少ないが、好奇心は旺盛だ。好奇心を満たす中で、科学的な見方や感動が生まれるのだろう。この記事で興味があるのは、「少年時代、ラジオを自分で分解し、組み立てるのが好きで、そのころから科学への興味が芽生えた」という部分。色々な分野で活躍している人々の中には、実は少年時代はラジオ少年だったという話を良く聞く。少年時代はラジオから音が出るまでの不思議や秘密を解明したくなる時だ。子供の興味の対象はラジオだけに限らないが、電波や電流という見えない物を通した疑問は、科学的な関心を生み育てる重要な種子となるだろう。

機械ならネジ・ナット・ドライバー、電気ならはんだごて・テスター、化学なら試験管、医学ならメス・ナイフ等々子供もその分野を象徴する道具に接しながら成長する。iPS細胞が子供達にどこまで理解できるか分からないが、これを機会に子供達の科学への関心を高めて貰いたいところだ。また、子供達は、身近にある道具を使ったり、壊れたものを分解したり、自分から遊びを作ってもらいたい所だ。

2012年9月28日 (金)

寝言老人が幼少の頃:竹竿で「カキトリ」をした盆柿または上植木柿

2012年9月28日金曜日
昨日は晴れ後曇り。ざっそう句:古柿や 味も姿も 昔なみ。最高気温(℃) 24.4 15:26 。辛うじて夏日を脱した。畑仕事には快適な天気だった。汗をかいても心地よい感じだ。何かの加減で、オケラが一匹飛び出してきた。夢中になって捕獲。デジカメ撮影後解放した。辞書で調べると、農作物を食害するらしいが、童心にさせ、かつ、遊ばせてくれたので、オケラでオッケ(OK)ーラ。出会ったのは何年かぶり。畑の虫類ではコオロギなどよりずっと少ないようだ。雑草マルチの後かたづけ。ヒユ、メヒシバ等の大型雑草の上に、むしった草をのせた区画。太い茎は残っていたが、葉は腐敗しているのでマルチの効果はあった。腐敗しても根は張っているので、あぜかき等で根を切り離して、雑草を積み上げ堆肥にする。きれいになったスペースに、菜種のこぼれ種が発芽するのを期待した作業。

2012年9月27日の天気(AMEDAS)

TAVE= 20.3
TMAX= 23.9 最高気温(℃) 24.4 15:26
TMIN= 15.3 最低気温(℃) 15.0 05:56
DIFF= 8.6
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.9(東南東) 18:28
SUNS= 4.3
RAIN= 0

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寝言老人が幼少の頃:竹竿で「カキトリ」をした盆柿または上植木柿

幼少の頃は、柿も大切なオヤツだった。竹竿の先を割って、小枝を挟み、その隙間に柿が生っている枝を引っかけて捻り、柿を取った。「カキトリ」の技術は、良く身についた。勉強の「カキトリ」は苦手だったが。その柿の木も、なじみがあるのは家の近くにあった盆柿だ。

正式な品種名は不明だ。当地区の上植木神社の近くに原木?があり、その系統を上植木柿と呼んだとか聞いたような淡い記憶があるが、それ以上は分からない。盆柿または上植木柿と言えば昔の人には分かるかもしれない。WEB検索によるとこの記事と同じような盆柿も見受けるが、筆柿を盆柿と呼んでいる例もある。

我が家の庭にも盆柿が二本あったが、屋根を傷めないよう太い方は切り倒した。現在、切り倒した盆柿の根本から生えたヒコバエの枝にもっと品質の良い柿を接ぎ木している。切る前は、渋柿の台木に盆柿を接ぎ木してあったようで、ヒコバエには渋柿がなった。

盆柿は実が小さいうえに、種が多いので食べられる部分は少ない。こりこりと歯ごたえは良い。完全甘柿のようで、熟期になれば外れて渋いという事がないのが利点。下記の写真では褐斑(ゴマ)が果肉全体に入っているのが分かる。

最近では、柿の人気も余りないのが実状。更に地域の固有?の果樹のようで、果樹の絶滅危惧種に近いのではないか。現在、我が家には一本だけが残っている。それほど太くないが、老木なので良い穂木がとれず、バックアップの接木を試みたが失敗。以前、トロイモのようなツルが巻きあがり、樹勢が弱まったが、今年はかなり実を付けた。その盆柿を二個とって食べた。昔の味だ。
Bon_kaki_or_kamiueki_kaki_4pix
DSC=2012/9/25。

2012年9月15日 (土)

寝言老人が幼少の頃:畑の出土品 これは おもチャカ?

2012年9月15日土曜日
昨日は晴れたり曇ったり。ざっそう句:ダイコンの 役者が揃う 草畑。最高気温(℃) 32.8 14:08 。依然夏日が続く。朝飯前に、ニンジン区画のカンレイシャのベタ掛けを改善し、隙間を作った。灌水、雑草退治。その跡に、例の二袋百五円の別品種であるビタミン大根を蒔いた。その後は、定例の仕事。大根の本によると、野菜の中では、大根は押しも押されぬ大役者の地位を占めている。薬効のある野菜として日本にもたらされた。件のビタミン大根の袋の写真では青首大根のようである。かみさんは、サンマを食べるのに、わざわざ大根の半切りを買ってきて、大根下ろしにした。残りをみそ汁の具にしたが、このみそ汁がノスタルジックで実にうまかった。冒頭のざっそう句は、「ダイコンの 役者が揃う 党首選」が元の句だった。畑の中にいる俺や大根の事等を思いつつ下句を修正。党首選で、各候補はじっくり大役を演じて、大根の味を出してもらいたいところだ。

2012年9月14日の天気(AMEDAS)

TAVE= 27.3
TMAX= 32.2 最高気温(℃) 32.8 14:08
TMIN= 22.7 最低気温(℃) 22.3 05:13
DIFF= 9.5
WMAX= 4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.7(南東) 16:27
SUNS= 4
RAIN= 0

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寝言老人が幼少の頃:畑の出土品 これは おもチャカ?

スポニチアネックスは、「尖閣諸島国有化後初めて 中国監視船6隻 領海内に侵入。http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/09/14/kiji/K20120914004111670.html。(2012年9月14日 09:24 )」というタイトルで、「14日早朝、沖縄県・尖閣諸島周辺の日本領海に中国政府の海洋監視船6隻が相次いで侵入したのを海上保安庁の巡視船が確認した。 中国監視船の領海侵入は、日本政府が11日に尖閣諸島を国有化した後、初めて。国有化への対抗措置とみられる。野田佳彦首相は14日朝、官邸で記者団に「警戒監視に万全を期していく」と述べた。政府は首相官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置。警察庁も警備局長をトップとする対策本部を設置した。」と報じた。

国が今まで私有地であった尖閣諸島の数島を買い受け国有化した一連の動きは何か唐突な印象を受ける。それ以前に東京都が買い受ける動きがあったがこの動きも唐突だ。唐突の二乗なのだから始末が悪い。国内が、がたがたしている所に、漁夫の利を狙うごとくに中国が動き始めたのが上記のニュースと言えないだろうか。領土問題は実効支配が原則中の原則らしい。領土問題がニュースになったり、ニュースにしたりしてからそれで実績をアピールするような手法は最悪の戦略であり、結果としては、後手にまわってしまうのではないか。要するに、おもちゃのピストル程度の認識で、領土問題を政治のおもちゃにしてしまったところに今回のような無様な失態を招いた要因があるのではないか。おもちゃのように安直に扱うと、危うく実弾が飛び交う危険を招く懸念があるのではないか。日本が領土問題を抱えている相手国は老獪な大国であったり特殊事情のある国だ。党利党略、私利私欲で動けば相手国は200%正確にその下心を読んでしまうのではなかろうか。真の領土問題解決は、相手国民との友好関係を深めることを含む地味な外交実績の積み上げ以外に方法は無いのではないか。何らそのための努力をしないで、スタンドプレーを狙う時、おもちゃが火を噴いてしまうのではないか。

石原裕次郎が砂浜で錆びたナイフを拾い上げるなら様になる。先日、畑でカチンとアゼカキに当たる物があった。錆び付いているが、アルミ製のおもちゃのピストルであった。おもちゃだがかなり重厚感がある。何と、「JAP」の文字が浮き出ている。後半に「AN」があったようだ。自分が子供の頃は、こんな立派なおもちゃを使った覚えがない。飛び道具のおもちゃと言えば、手製の弓、ゴムパチンコ、水鉄砲程度であった。主要材料は身近にあるものを使い、ほとんど手作りだ。

ともかく、水洗いして畑出土品のコレクションに加えた。畑の石はいつまでたっても石。以前就農準備校の先生がそんな冗談を言っていた。圃場の障害物だから見つけ次第排除せよという意味だろう。アゼカキにカチンと当たってもそのままにしていたが、いつからかそれらを畑から拾い集めている。これがオレのコレクションだと言うと子供達は、病気とつれない態度。

おもちゃにしろ、珍しい物なので、子供にこれは何かと聞いた。火薬シートを叩いて、音が出るおもちゃのピストルだという返事があった。やっと、話が通じた。それ以上の事は聞かなかったが、運動会で競走のスターターが打ったピストルと同じだと了解した。いつの間にか、こういうおもちゃも卒業していたのだろう。兄貴、あぶないおもちゃ遊びは早いとこ卒業した方がいいぜという声が聞こえそうだ。
Pistoru_toy

2012年9月 1日 (土)

幼少の頃:モンテッソーリ生誕142年

2012年9月1日土曜日
昨日は晴れ。ざっそう句:あれ以来 予想もデカイ 防災の日。最高気温(℃) 36.1 14:00 。猛暑日で熱帯夜。ほぼ連日だ。朝飯前灌水のみ。焼け石に水に近いが。畑の土はサラサラしている。最近は、東京電力のホームページを覗く事も少なくなった。暑さと言えば、熱中症と節電が話題の中心。天気図を見ると日本周辺の等圧線は少なく単調。赤外衛星写真も単調。この暑さが何時まで続くか。GoogleのTOP画面が特別画像になっており、マウスでポイントすると「モンテッソーリ生誕142年」という字が現れた。

2012年8月31日の天気(AMEDAS)

TAVE= 30.7
TMAX= 36.1 最高気温(℃) 36.8 14:52 
TMIN= 26.3 最低気温(℃) 25.8 05:27 
DIFF= 9.8
WMAX= 3.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.4(東南東) 17:36 
SUNS= 6.9
RAIN= 0

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幼少の頃:モンテッソーリ生誕142年

「モンテッソーリ」については、「読みかじりの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)(2011年11月24日 (木))http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/11/1976-c88c.html」の記事の中で書いた。「モンテッソーリ生誕142年」とはちょっと半端な数字なのだが、この特別画像が一日限りだったので、それなりの背景があったのではないか。
Montessorihp_s

「マリア・モンテッソーリ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%AA。(最終更新 2012年8月31日 (金) 09:37 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「マリア・モンテッソーリ(伊: Maria Montessori、1870年8月31日 - 1952年5月6日)は、イタリアの医学博士、幼児教育者、科学者、フェミニスト。モンテッソーリ教育法の開発者として知られる。」

Googleによる「明治 女医 群馬」の検索で、「日本の女性史にかがやく群馬ゆかりの先駆者たち 関連資料展示リストhttp://www.library.pref.gunma.jp/index.php?block_id=636&page_id=0&action=announcement_view_main_init&html_flag=0&nc_session=b5f7e9f3d891a345ef63789324e569f2」がTOP。モンテッソーリより早いか、同じ時代に生きた、女性先覚者が、群馬県にもいることを知る。

幼少の頃は、お産婆さんが活躍していた。助産婦や幼稚園教師は、女性の仕事として違和感はないが、女性の社会進出の先がけのようにも感じる。
Touden_pwrtenkizu_120831
画像出典:上(東京電力HP)、下(気象庁HP)共に2012/8/31。

2012年8月15日 (水)

幼少の頃:盆棚の作り方

2012年8月15日水曜日
昨日は朝方雨。後曇りから晴へ。ざっそう句:上がり込み 雨の新盆 長話。つい遅れたが、朝一番で盆棚作り。一部手抜き。花は周辺に咲いている、萩、ジニアを飾る。その後新盆見舞いに出る等お盆行事etc。雑談で昔の盆棚の作り方が話題になった。

2012年8月14日の天気

TAVE= 27.7
TMAX= 32.3 最高気温(℃) 32.8 15:35
TMIN= 23.8 最低気温(℃) 23.7 09:04
DIFF= 8.5
WMAX= 3.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.5(西北西) 05:41
SUNS= 5.3
RAIN= 12.5

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幼少の頃:盆棚の作り方

Googleの「盆棚」という検索の画像検索をすると約 888,000 とヒット数が出た。色々な画像があるが、「盆棚」のルーツはどこにあるのか興味がある。ちなみに、「お盆休み」:約 9,760,000 件、「京スカイツリー」:約 7,390,000 件、「デズニーランド」:約 6,610,000 件、「甲子園」:約 2,050,000 件のヒット数。お盆とそれを象徴する盆棚は国民的関心事と思われるが、都会と田舎は別。都会は欲望の渦巻く場所、田舎は欲望からの癒しの場所。古来変わらない二層構造がここにある。良い意味で都市と地方の機能分離、悪い意味で都市と地方の格差。でも、地方が疲弊したら都市も疲弊しないか。

幼少の頃、父が作っていた盆棚は、あり合わせの用具を使っていた。話を聞くと、よその家も同じような作り方をしていたようだ。先ず、台は養蚕で使う、蚕に桑を与えるときにカゴをのせる、床几(折り畳みイス)を大きくしたような台を流用した。その台の上に戸板を渡し、四隅に、竹や養蚕に使う棚柱等を立てた。昔は、竹はあちこちで入手できた。その台ができると、新品のゴザを敷いて、その上に位牌や供物、仏具等を並べる。ゴザとキンキラキンの盆花は毎年買った。香炉は火事になる危険があるので、サトイモの葉を下に敷けと教えられた。経済の高度成長期は、養蚕の衰退期に重なり、昔風の盆棚は、組立式の盆棚に代わってきた。新盆の時は、新しい仏は専用の盆棚を使うという風習があるらしい。従って、古い仏用と新しい仏用の二つの盆棚を用意する。新盆の家は出費もバカにならない。そこでレンタル盆棚も登場しているようだ。そのレンタル料も施主の足下を見たような結構な値付けのようだ。毎年使うのだから買ってしまえと言う事になる。一方、都会では盆棚はおろか、仏壇さえ設置スペースの確保ができない。お盆行事も風前の灯火になりつつあるようだ。何事も施主の信念が大前提。新盆の気持ちを表したいなら、一枚数十円の色つき画用紙を方形に切り、その上に新仏の位牌を配するだけで十分ではないか。大金で故人を供養するより、あり合わせのものと無理せずできるわずかな出費で、心をこめて祖先を供養してきた姿がつい最近まであったのだ。

2012年8月14日 (火)

幼少の頃:お盆迎え

2012年8月14日火曜日
昨日は曇り時々晴れ。ざっそう句:汗かくも 家片づかず 盆迎え。日照時間は3.3H。それでも熱帯夜、猛暑日。最高気温(℃) 36.7 12:52 。AMEDASデータでは1H毎の最高気温は34.1℃。瞬間の最高気温(℃) 36.7との差が大きい。10分毎のデータを見ると、12:50 に36.1 ℃。風は2.1 南南東。平均で 4.4 南東 日射は10 。瞬間的に高温になる条件が重なったようだ。朝飯前に灌水。チガヤ綯い。家の周りの片づけ。楠の落葉を放置。更に雑草。庭木の枝伸び等々で作業が重なる。定刻となり中断。シャワーを浴びて新盆見舞い。

2012年8月13日の天気

TAVE= 29.9
TMAX= 34.1 最高気温(℃) 36.7 12:52
TMIN= 26 最低気温(℃) 25.9 06:37
DIFF= 8.1
WMAX= 1.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.4(東南東) 00:07
SUNS= 3.3
RAIN= 0

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幼少の頃:お盆迎え

お盆という風習だけは、戦後からも大きく変わっていないようだ。幼少の頃は、寺へお盆迎えに行くのは子供の仕事。その間に父母が色々な仕事をこなす。役割分担があった。当世は、お金で済ませられる所はお金を払って省力化をする方向だ。ともかく、自分の代だけは、オヤジの真似事でも続けようかと思っている。チガヤを刈り、陰干しし、木槌で叩いてから、綯うというのも一連の作業だ。それを、盆棚に取り付け、棚を飾る。見方によれば、無駄な仕事をしているようだ。しかし、昔なら、縄を綯う事は、農作業の基本でもあった。縄も、俵もすべてコメの出荷には不可欠で、それを自給自足した。労賃ゼロで費用を削減していたわけだ。綯わないもそういう事を伝える作用はあるだろう。仏壇があるのに、なぜ盆棚なのか。考え始めると、不可解の山がそこにある。大昔は仏壇等の贅沢品は庶民には無縁だった筈だ。だが、祖先供養は何とかしようという事で、一時的な盆棚を作るようになったのではないか。いわば、盆棚は仮設仏壇だ。本格仏壇があるのに、仮設盆棚を作るのは、まさに屋上屋。逆の見方では、そんな事をなぜ延々と行うのか。縄で区画を区切る事は何かの象徴だろう。家の起工式の神事でも、同じような事をする。その時々の事情に合わせて、できる範囲でするだけで良いのではと思う。新しいことを始める動機付け、セレモニーと考えよう。

2012年7月20日 (金)

幼少の頃:朝起きして置き針を上げるときの楽しみ

2012年7月20日金曜日
昨日は晴れ。相変わらずの猛暑日。朝飯前仕事で苗床の草むしり。用事外出。朝方は、雑草にも朝露が降りているので、手が泥だらけになる。朝露が無くなる頃、蚊が出てくるように感じた。雑草を揺らして、葉の下に潜んでいる蚊を追い出しているようで釈然としない。ほうきで雑草をたたいて、蚊取り線香を付けたら心持ち蚊が少なくなったように感じた。気持の問題か。先日、腰に下げていたポータブル香取線香容器を紛失してしまったが、雑草の中から出てきた。早起きは三文の得の譬えのようだ。早朝の朝露で思い出したのが、幼少時に近くの川に仕掛けた置き針を上げに行く時の感覚。遊びだから楽しいだけでなく、まだ誰も起きていない早朝に朝露を踏む事にも爽快感があった。当時の事なので素足で出かけた筈だ。素足の感覚が無意識の中に残っているようだ。

2012年7月19日の天気

TAVE= 28.4
TMAX= 37 最高気温(℃) 37.7 13:51
TMIN= 21.5 最低気温(℃) 21.2 23:57
DIFF= 15.5
WMAX= 6.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 11.5(東南東) 15:10
SUNS= 9.8
RAIN= 0

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幼少の頃:朝起きして置き針を上げるときの楽しみ

幼少の頃とは、今からほぼ50~60年程度前になるだろう。当時は、人口もすくなく、郊外は里山の風景があちこち残っていた。農薬もほとんど使われず川にはいろいろな魚がいた。「生物の多様性http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/10/post-88cb.html」にその頃の事を書いた。また「魚の捕り方(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/10/post-0357.html)」では、「5.置き針・・・・・釣りの一種だが夕方仕掛けて翌朝引き上げる。効率が良い。ナマズやウナギが捕れた。」と書いた。

2012年の「土用の丑の日」は7月27日との事だ。今年は、ウナギの稚魚の値上がりで、ウナギの価格も1.5倍からそれ以上に値上がりしているようだ。また、今まで謎に包まれていたウナギの産卵場所や生態が解明されてきたようだ。養殖への手がかりが確実になってきたと思われる。養殖が実用化された段階では、国費で行った調査・研究の成果は国民に広く還元して頂きたいところだ。

幼少の頃に、前日の夕方に仕掛けた置き針を、4時ころから朝起きして、その仕掛けを上げるときの楽しみは格別であった。どこに仕掛けるかは、個人のノウハウがあり、他人には見せたくない気持もあり、それはお互い様という事で、置き針に関しては、単独行動が多かった。この早起きだけは、親が感心してくれた。餌は、肥やし場の中に棲息するミミズを使った。置き針用の針は、漁具店で売っていたと思う。針をカツ糸に結び、糸の他方は仕掛けを固定する箸のような割竹に結んだ。それを、魚がいそうな場所に仕掛けるのだ。他の者に、その仕掛けを取られないように、その場所には作業の後を残さないようにした。場所が分かるよう自分だけ分かる印を付けることもあった。ともかく、自分が作った仕掛けを、自分が仕掛け、それで獲物がとれれば、それだけでうれしかった。創意工夫の面白さは自発的なほど面白いと言えるのではないか。

かかったウナギを食べたかはっきりした記憶がない。自分でさばいた記憶はない。当時は一般の人は、フナ、ドジョウ等はよく食べたが、ウナギをさばいたりするのを面倒がっていたのではないか。大きなウナギはヘビにも似ているので気味悪がっていたのかもしれない。生きたウナギをさばくのは大変だ。仕掛けにかかったウナギでもなななか掴めない。下手に包丁を使うと怪我もしかねない。当時は、近所のおばさんが、ウナギを買ってくれたので、それを売って、小遣いにした。そのおばさんに、さばき方、食べ方を聞くほどの世知辛い関心はなかった。

最近、日本ウナギの生態の解明が進み、マリアナ諸島西方の太平洋で産卵されたウナギが、はるばる日本列島の中央部まで遡上・生活し、それが産卵のため、さらに太平洋を下って、大きな循環をつくっている事が分かってきた。このような生態が、ウナギのDNAの中に記憶されているのは驚異と言えるのではないか。そのような、数千年、数万年も続いたと思われる、生物の循環が、この半世紀ほどの内に無くなってしまったのは残念ではある。まれに、思わぬウナギの捕獲のニュースもあるが、一昔の規模でないのは明らかだ。ウナギにとって大衆魚になってしまったのも運がわるかったのかもしれない。「土用の丑の日」は茄子の鴫焼き等はいかがか。

2012年7月11日 (水)

幼少の頃(愛しきもの 道具達):桑摘み

2012年7月11日水曜日
昨日は晴れ。最高気温は32℃台の真夏日。ただ、まだ梅雨明けにはならないらしい。日陰の下草刈り。残りタレドリンクに塩と砂糖を追加して熱中症対策ドリンクを作り、これを飲みながら作業。大量の発汗。防虫ネットをかぶっているので汗を拭くのも大変。汗が眼に入りヒリヒリする。発汗作用も人類が改良してきた身体防衛機能と言えるだろう。他の生物はこれほど汗をかかずに、暑いときはそれなりのゆったりした動作をしているのではないか。幼児の時に汗をかかないと汗腺が発達しないらしい。人体も生きるためにはそれなりの適応をしているのだろう。ツルハシで邪魔になった細めのムクゲとウメの木を各一本堀上げた。休み休み作業。1~2週間前からちらほら咲き始めたムクゲの花が満開となっている。ムクゲの花を見るとまた長い夏が来たと思う。先日、作業小屋の鴨居の釘にぶら下がっている桑摘み用具をデジカメに納めた。なぜか一個だけ残っていた。

2012年7月10日の天気

TAVE= 26.5
TMAX= 32 最高気温(℃) 32.7 16:31
TMIN= 21.2 最低気温(℃) 21.2 05:17
DIFF= 10.8
WMAX= 3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.1(南東) 20:06
SUNS= 8.5
RAIN= 0

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幼少の頃(愛しきもの 道具達):桑摘み

養蚕では、蚕の餌が桑の葉。桑の葉の与え方も、蚕の蚕齢大きさの段階ごとに違う。辞書をひくと蚕齢は、はきたてが一齢で、脱皮ごとに数えて五齢まであるとの事。はきたては、桑の葉を包丁で刻んで与えた。母や祖母の仕事だった。それから、中間段階は、桑の葉を摘んでそれを飼育台に並べて与えた。最終段階は葉を食べる量も多くなるのか、葉が付いた桑の枝ごと与えた。枝切りには剪定はさみも使っていたかもしれない。剪定ばさみや大久保はさみがやたらに多くあった。昔は、こういう道具を業者が贈答品としてくれたようだ。ほとんどが安物だ。

子供が手伝ったのは桑摘みがほとんどだった。桑の枝きりは父の仕事だった。そのためには刃が厚い小鎌を使っていたようだ。桑摘みにつかった道具は、指を通す穴がある刃物だった。それを両手の人差し指にはめて両手を使って桑の葉をかきむしるように摘んで、竹のかごにぎっしり詰め込んだ。それをリヤカー等に摘んで帰り、秤で重さを量る。更に、それからかごの重さ分を差し引いて、仕事の能率に応じて賃金をもらった。まさに、若年労働者と同じ扱いだったが、こういう仕事を通して労働の厳しさと共にその尊さも実感した。年齢的には10才前後の頃だったと思う。重さは何貫目という尺貫法だった。

子供が手伝った養蚕の仕事では、上簇できる蚕を拾う「ズウ拾い」と言うのもあった。こちらは、時間との勝負だったのか、拾った蚕の重さを計量した記憶はない。誰が使ったか分からないが、作業小屋の鴨居に桑摘みが一個だけかかっていた。表面は錆でぼろぼろになっている。摘んだ桑は、鮮度を保つためすぐにかごから出して、空気を通して霧をまいた。霧は霧吹きという道具を使ったか、口に水を含んで霧にしたのか定かでない。桑置き小屋という小さな建物が桑の保管場だった。蚕は、隙間があればどこでも飼った。お蚕さまという程で、客間でも棚を作って飼っていた。母は、この子はかまってやれなかったので、目を離したときXXをチュウチュウ吸っていた良く話した。XXは今、思い出せないが、元気な蚕ではなく、死んだりグッタリした蚕をそう呼んでいた。かみさんに聞いたらXXは「ナダレ」だった。もう、「ナダレ」も死語に近く記憶から遠ざかりつつある。
Kuwatumi_4pix

2012年5月26日 (土)

幼少の頃:スイカズラの花を摘んで蜜をなめた

2012/5/26(土)
昨日は曇り。昼頃から夕方までパラパラと小雨。朝方は定例の仕事。大豆苗の間引き。間引いた苗を移植。除草も並行して行う。ミニトマトやナスが伸びてきた。以前は支柱との結束にポリひもを使ったが、圃場に残ったものは腐りにくい事が分かった。人工化学物質なのでそれを食べる微生物がいないのであろう。長い期間では分解すると思うが。そこで、輪ゴムを切ってゴムヒモにして結束に使ってみた。天然資材なので、圃場に残しても適当な時期に腐ったり、分解してくれれば省力化になる。耐候性が適度にあれば良いが。これも実験をしてみないと分からない。プラスティック容器等は直射日光が当たると脆くなる。これは主に紫外線の影響らしい。紫外線は波長が短いので高分子の結合まで分断してしまうのか。安物のジョーロ等数年も持たないので今後は価格は高いが鉄板製のものにした方が良いのか。ともかく紫外線が強い季節となった。屋外作業の時は帽子を着用しよう。忍冬・スイカズラの香りが漂ってきた。子供の頃は、この名前を知らなかった。

2012/5/25(金)の天気

TAVE= 18.7
TMAX= 22.3 最高気温(℃) 22.7 11:32
TMIN= 15.8 最低気温(℃) 15.8 23:44
DIFF= 6.5
WMAX= 4.2 最大瞬間風速(m/s)
SUNS= 1.1 (風向(16方位)) 9.4(西北西) 17:16
RAIN= 4

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幼少の頃:スイカズラの花を摘んで蜜をなめた

幼少の頃、スイカズラの名前は知らなかったが、今それを思い出すのは、香りや味を覚えているからなのだろう。スイカズラがそのようにして親しまれたのはそれを伝える子供文化があったと思う。幼少の頃、簡単な生け垣にスイカズラが這い上がって、その生け垣越しに、納豆、豆腐、キャンデー等を買った記憶がある。スイカズラの花を摘んで蜜をなめたのも、一人ではしなかったように思う。この花には蜜があって舐めると甘いと教えたり・確認したりと子供達のコミュニケーションの材料でもあったといまになって思う。あの、甘い香りがしてもスイカズラだと名前が直ぐに出てこなかった。辞書を引くと解熱・利尿用の生薬でもあるとの事。この茎葉を干して焼酎に入れると忍冬酒となるらしい。スイカズラの花を酒に入れたら良い香りの酒ができるだろうか。実験してみたいが酒が無い!

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)