06D_文化と文明雑感

Feed

2012年12月 7日 (金)

文化と文明雑感(寝言老人が幼少の頃):ラジオ少年がノーベル賞

2012年12月7日金曜日
昨日は晴れ。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.2)(西北西)) 12:44 。大型低気圧が日本海側を北陸から北海道に向け北上し、強風が吹いた。ざっそう句:不思議・夢 ラジオ少年 ノーベル賞。ゴミ出しに来た近所のおばさんがふらりと立ち寄って、日向ぼっこをしながら雑談。造園業者に庭木の手入れをしてもらうがお金がかかって大変だとこぼしていた。殺風景な我が家の庭をみながらそういわれると身にしみる。一度頼むとなかなか縁が切りにくい。我が家は植木屋さんの廃業を機会に自己流に変更。

2012年12月6日の天気(AMEDAS)

TAVE= 6.9
TMAX= 14.6 最高気温(℃) 14.9) 11:08
TMIN= 0.6 最低気温(℃) 0.3) 04:59
DIFF= 14
WMAX= 6.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 17.2)(西北西)) 12:44
SUNS= 7.1
RAIN= 0
風速風向12時休止中
日照時間14及び15時欠落

Q
Q
以下は気象庁2012年12月6日12時の天気図
12120612_s_2

Q
Q

文化と文明雑感(寝言老人が幼少の頃):ラジオ少年がノーベル賞

今年、山中教授がノーベル医学生理学賞を受賞したニュースに元気付けられた人が多いと思う。終戦後、国民の生活も貧しく、戦争で自信を失っていた時に、湯川教授がノーベル物理学賞を受賞した時は、将来への希望、自信回復という点で、更に国民への影響は大きかったと思う。少年時代は紙と鉛筆だけであれだけの事ができるんだと信じていたが、考えがあさはかだった。少年時代に、鉱石ラジオを作った記憶は、「鉱石ラジオ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/09/post-dd58-1.html)。(2008/9/11)」という記事に書いた。昔は、検波器に鉱石を使ったが、戦後はゲルマニュームダイオード(型番1N60)が使われていた。このダイオードは現在でも使われており、電子パーツとしては超ロンングセラーと言えるだろう。

上毛新聞に、山中教授がストックホルムへ出かけた記事が出た。授賞式を中心に色々な行事がある。今後はノーベル賞受賞講演も話題になるだろう。それに期待したい。そこでWEB上でニュースを検索。

毎日新聞は、「ノーベル賞:「予期せぬ結果こそチャンス」…山中教授会見。http://mainichi.jp/feature/news/20121207k0000m040118000c.html。(2012年12月06日 23時38分(最終更新 12月07日 01時14分)))」というタイトルで、「【ストックホルム須田桃子】ノーベル医学生理学賞を受賞する山中伸弥・京都大教授(50)は6日午後(日本時間深夜)、共同受賞者で英ケンブリッジ大名誉教授のジョン・ガードン博士(79)とともにカロリンスカ研究所内で記者会見した。「同じ会場で何度も講演した。受賞者として今ここにいるのは、光栄だが夢の中にいるようだ」。山中さんは心境を英語でこう表現した。 科学との出会いについて聞かれ「少年時代、ラジオを自分で分解し、組み立てるのが好きで、そのころから科学への興味が芽生えた」と振り返った。若者へは「仮説と異なる思いがけない実験結果がなければ、人工多能性幹細胞(iPS細胞)はできなかった。予期せぬ結果こそ、新しい発見やブレークスルー(画期的な成果)のチャンスだ」と力を込めた。」と報じた。

上記の記事は署名記事であり、取材した記者の視点も感じられる。子供達へのメッセージも込められているように感じる。振り返ると、幼少時代は知識量が絶対的に少ないが、好奇心は旺盛だ。好奇心を満たす中で、科学的な見方や感動が生まれるのだろう。この記事で興味があるのは、「少年時代、ラジオを自分で分解し、組み立てるのが好きで、そのころから科学への興味が芽生えた」という部分。色々な分野で活躍している人々の中には、実は少年時代はラジオ少年だったという話を良く聞く。少年時代はラジオから音が出るまでの不思議や秘密を解明したくなる時だ。子供の興味の対象はラジオだけに限らないが、電波や電流という見えない物を通した疑問は、科学的な関心を生み育てる重要な種子となるだろう。

機械ならネジ・ナット・ドライバー、電気ならはんだごて・テスター、化学なら試験管、医学ならメス・ナイフ等々子供もその分野を象徴する道具に接しながら成長する。iPS細胞が子供達にどこまで理解できるか分からないが、これを機会に子供達の科学への関心を高めて貰いたいところだ。また、子供達は、身近にある道具を使ったり、壊れたものを分解したり、自分から遊びを作ってもらいたい所だ。

2012年11月 4日 (日)

文化と文明雑感:両毛線に蒸気機関車の復活をという夢の実現

2012年11月4日日曜日
昨日は晴れ。最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 12.5(北北西) 12:49 。ざっそう句:SLの 勇姿にむせぶ 両毛線。苗類に灌水後、かみさんと散策兼SL見物に出かける。見物場所はかみさんの直感が正解で、良い場所が取れた。駄菓子と缶コーヒーを持って久しぶりのハイキング気分。既に、何台かカメラの放列があり、車中でSLが来るのを待っていた。JRの社用車も停車。ガードマンも出ており、イベント気分が盛り上がっていた。

2012年11月3日土曜日の天気(AMEDAS)

TAVE= 11.4
TMAX= 16.7 最高気温(℃) 17.0 13:22 
TMIN= 7 最低気温(℃) 6.8 06:33 
DIFF= 9.7
WMAX= 6.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 12.5(北北西) 12:49 
SUNS= 9.6
RAIN= 0

Q
Q

文化と文明雑感:両毛線に蒸気機関車の復活をという夢の実現

東日本旅客鉄道株式会社 高崎支社のホームページに、~SL 両毛ウエ~ブ!プロジェクト~として、「11 月3 日(土・祝)、両毛線桐生駅から高崎駅間にSL C61 20 を運転します。桐生駅からSL が運転されるのは実に44 年ぶりになります。JR 東日本高崎支社では、当日運転するSL にみんなで手を振る「SL 両毛ウエ~ブ!プロジェクト」を沿線の桐生市、みどり市、伊勢崎市と協力して取組みます。」というニュースが掲載されていた。

いよいよその日が来た。文化の日だ。上記記事の「実に44 年ぶり」から、当時の自分の年齢を逆算すると微妙な年齢だ。「両毛線。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E6%AF%9B%E7%B7%9A。(最終更新 2012年10月20日 (土) 06:01 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「1951年からは気動車による運転が開始され、新駅が数多く設置されたが、1968年の全線電化に前後して休止(後に廃止)されている。」とある。両毛線の全線電化で、蒸気機関車やディーゼル機関車が過去のものになり、動力も電気の時代になったと実感したものだ。

かみさんもSLを見たいと言うのでつきあう事にした。やや北風が強いが天気は良好。見晴らしが良い場所を目指して散策を開始。待つこと30分以上。その間に何人も人が集まってきた。偶然同級生とも顔を合わせて雑談。ポンコツカメラで気温が低いとレンズが出ない事もある。予備に携帯デジカメを首にぶら下げて待つ。遠くから汽笛の音。接近してからシャッターを押す。帰宅して確認すると何とか写っていたが、自分のイメージと色調が違う。画像処理して自分のイメージに合わせた。ところで、SLの人気の要因は何なのか。単なる懐古趣味や珍しさだけなのか。それとも、人間と同じように動力源を背負ってひたむきに走る姿にそれとなく感動するからなのか。そこに生物的な共感があるのか。

忘れ去られようとした蒸気機関車を整備し、実際に運行できたのも、細々と蒸気機関車の技術や技能が維持されて来たからに相違ないだろう。さて、これから鉄道に関してどんな夢を描く時代になるのか。今年行われた中学時代の同窓会で、JRに入社し、機関士も経験した旧友と話をした。今後は、スターリングエンジンを積んだミニSLを走らせたいという夢を語ってくれた。WIKIPEDIAによると、外燃機関の代表的なものとして、蒸気機関・蒸気タービン・スターリングエンジンがあるとの事。スターリングエンジンは高温部と低温部を圧縮・膨張で移動するガスに仕事をさせるエンジンで、現実的には高効率を実現するのは難しいが色々な燃料を使えるメリットがあるようだ。ともかく、夢は描かなければ実現できない。かつて戦時中は、木炭バスも走り、松根油が航空燃料の代用品として研究された。昨年は計画停電で鉄道も大混乱を起こした。スターリングエンジンの夢にも期待したい。
Ryoumousen_sl_121103_2pix
ryoumousen_sl_121103_2pix.jpg

2012年10月18日 (木)

文化と文明雑感(技術 回顧と展望):「Dynamic Obsolescence」は積極的陳腐化か?

2012年10月18日木曜日
昨日は晴れから曇り雨へと目まぐるしく天気が変わった。最低気温(℃) 10.7 04:44 。ざっそう句:柿熟し イラガは殻に はや籠もる。種子採種用を除いてモロヘイヤの株を全て抜いた。ヤブガラシの根を堀上げ。葉が見える時がそのチャンス。山東菜を間引き、間引き株を移植。途中で雨になり中断。キンモクセイの香りが漂い始めた。その木の下を通ると気付くがすぐ忘れてしまう。嗅覚はそれとなく意識せずに働いているのだろう。畑の柿をもいで食べる。柿の枝の股の部分にイラガの殻を何個も発見。畑の隅に植えた極早稲ミカン「日南の姫」が色づいていた。二三個試食。酸味は抜けたがまだ甘みは少ない。2007年頃の閉業前に、桝井農場から取り寄せた苗だ(桝井農場の果樹苗
http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/09/post-355e.html)。最初に結実したのが2010年だった。サービスとして一年物の苗の代わりに二年物の苗を送ってもらった記憶に残るミカン樹だ。逆算すると接ぎ木後5年で結実した事になる。
追記(2012/10/19):「日南の姫」のDSCを以下に追加。
Hionanohime_121017
hionanohime_121017.jpg

2012年10月17日の天気(AMEDAS)

TAVE= 15.3
TMAX= 20.9 最高気温(℃) 22.2 12:30 
TMIN= 10.9 最低気温(℃) 10.7 04:44 
DIFF= 10
WMAX= 3.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.6(西北西) 17:18 
SUNS= 5.4
RAIN= 9.5

Q
Q

文化と文明雑感(技術 回顧と展望):「Dynamic Obsolescence」は積極的陳腐化か?

平強氏のブログ(http://tsuyoshitaira.com/)が更新され、今回のタイトルは「Dynamic Obsolescence」であった。このブログの基本的な姿勢は「挑戦せよ!」であり、現役を離れても、興味をひかれる話題が多い。今回のタイトルも、日本の産業界や政界の閉塞感が背景にあるように感じた。要するに、生産能力や技術が向上すれば、コストも下がり、信頼性も向上するので、市場の現用品は増える一方で、新製品もすぐに飽和してしまう。従って、市場をリードするには、現用品を陳腐化して、新製品を押し込むマーケット戦略が必要だという内容に理解した。

アップルやインテルが、「Dynamic Obsolescence」という戦略をとったのに対して、平氏は、日本の企業のとった対応を以下のように述べている。「しかし企業としては自ら自分の新製品を置き換えてくような開発をしていかなければ企業の生き残りはできなくなります。 ですから自分で作りだした市場を自分でうちこわしていくことです。 ソニーはオークマン を早めに殺していくべきだったのです。 シャープはザウルスを早めに殺していけばもしかするとiPad に行きつぃたのではないでしょうか。ここらに日本のEngineer の開発に対する取り組みを改めて行かないといけないのでは, 新製品を自分でObsolete いくことです。 日本ではちょうとした成功に必要以上に長くぶら下がってしまいます。或いは現状を変えることをいやがっています。世界の競争相手から殺される前に自分で新しい物を作り自分の商品をObsoleteしていくことです。」と。

結果論としては、アップルやインテルは「Dynamic Obsolescence」で成功したが、ソニーやシャープは「Dynamic Obsolescence」が欠如して失敗したとも読める。現実の市場は、その市場が有望であれば、多くのライバルが生まれて、市場の争奪戦が始まる。「Dynamic Obsolescence」という戦略を仕掛けるにも、知力(技術力)、体力(資金力)等々が不可欠だ。有力な現行商品を陳腐化させた時、次々投入できる有力新商品を開発するのは非常に大きなリスクを伴う。リスクに立ち向かえる経営体制も「Dynamic Obsolescence」を成功させる要件のように見える。

EE Times Japan の「iPhone 5を分解、新型プロセッサ「A6」の謎に迫る(http://eetimes.jp/ee/articles/1209/23/news005.html)」という記事によれば、アップルは依然、スマートフォン市場で、特許紛争を続けているサムソンのファウンドリで生産したチップを使っているらしい。スマートフォンの市場では、「Dynamic Obsolescence」以上の激烈な競争が現実のようだ。

尚、平氏のページには、日本語でかかれたBLOGをGoogle翻訳で英語に翻訳された例が掲載されている。Google翻訳の性能はかなりの出来具合らしい。陳腐化の技術も結構だが、陳腐化しない技術の方が環境には良いだろう。文部科学省によれば、「平成23年度より、小学校において新学習指導要領が全面実施され、第5・第6学年で年間35単位時間の「外国語活動」が必修化されました。(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gaikokugo/index.htm)」との事。我々戦後世代が学校でアルファベットを習ったのは、小学校4年だった。WEB情報を調べると現在も変わっていないようだ。戦前は英語は敵国語で英語の使用が排斥され代用語が作られた。戦後は漢字改革で漢字の使用制限が進んだ。ローマ字、ひらがな表記運動もあった。一層のこと国語を英語にしてしまえという極論もあった。パソコンの普及で日本語の扱いも少し楽になった。しかし、日本語の場合かな漢字変換という作業が不可欠で思考の連続性が損なわれている。

思うに、日本人がカタカナ書きの外来語を好んで使うのは、一種の逃げの姿勢ではないか。外来語を使うのに、その国の辞書で語源を調べて使う人は極少ないだろう。外来語の一つの意味だけをつまみ食いして、使い捨てにしているのが現状ではないか。そんなようでは、その外来語を母語とする民族の精神や歴史は到底理解できないし、その民族の尊厳すら損なわないか。かつてはの日本人は文字を持たない民族だった。漢字から仮名文字、カタカナ文字を作り表記の合理化を進めてきた。義務教育で英語だけを必修とするのは何となく日本人の貧困な精神を表しているように思う。大義名分が何もない。実利だけ。隣国の中国語、韓国語、国連公用語等から選択させたらどうか。中国や韓国で日本語学習が盛んなようだが、日本では中国や韓国への関心はどうか。選択どころか、これからの言語教育は、多言語教育が必須ではないか。我が電子辞書にすら主要国の会話が入っている。児童に電子辞書を一台持たせるだけで可能ではないか。パソコンもソフト一つで言語学習機に変身する時代だ。

Google翻訳は、並列コンピュータで翻訳性能を上げているのか。携帯の性能が上がると音声通訳で外国人と会話が出来る時代も間近かもしれない。こういう技術は絶対に陳腐化しないだろう。外国語コンプレックスの日本人向きな技術をアップルに先行して開発できないか。陳腐化しない技術で特許をとれば最強の特許になり、その製品の市場支配も確実になるのではないか。

ガジェット通信(東京産業新聞社)は、「2011年度の国内携帯電話出荷台数のメーカー別シェアで富士通がトップに、スマートフォンではAppleがトップに(MM総研調査)
http://getnews.jp/archives/208385。(2012.05.11 00:30:43))」というタイトルで、「携帯電話出荷台数のメーカー別シェアは、富士通がシャープを抜いてトップに。出荷台数は766万台でシェアは17.9%になる。2位はApple、3位はシャープ、4位はパナソニック、5位はソニー、6位は京セラ、7位はNECカシオ。」と報じた。

以下は特許電子図書館による携帯メーカー各社の特許・実新の件数(2012/10/18)。

「携帯電話 富士通」に関する技術が 1019件 見つかりました。
● 特許  ・・・  1018件
● 実用新案  ・・・  1件

「携帯電話 アップル」に関する技術が 40件 見つかりました。
● 特許  ・・・  40件
● 実用新案  ・・・  0件

「携帯電話 シャープ」に関する技術が 1470件 見つかりました。
● 特許  ・・・  1462件
● 実用新案  ・・・  8件

「携帯電話 松下電器産業」に関する技術が 2222件 見つかりました。
● 特許  ・・・  2219件
● 実用新案  ・・・  3件
「携帯電話 パナソニック」に関する技術が 337件 見つかりました。
● 特許  ・・・  337件
● 実用新案  ・・・  0件

「携帯電話 ソニー」に関する技術が 1819件 見つかりました。
● 特許  ・・・  1816件
● 実用新案  ・・・  3件

「携帯電話 三星」に関する技術が 98件 見つかりました。
● 特許  ・・・  98件
● 実用新案  ・・・  0件
「携帯電話 サムスン」に関する技術が 20件 見つかりました。
● 特許  ・・・  20件
● 実用新案  ・・・  0件

2012年9月19日 (水)

文化と文明雑感:信頼できるビジネスパートナー(アメリカでは人間も熊のパートナー?)

2012年9月19日水曜日
昨日は晴れたり曇ったり。ざっそう句:田舎ショー 席取り婆が 顎でくれ。最高気温(℃) 33.6 12:09 。真夏日。天気予報では雨がありそうだったので、要所の灌水だけして用事外出。一枚だけショーの入場券を貰ったので用事のついでに見た。全席自由席。既に、ステージ前方のS席相当の部分はほぼ満席。空いている席を探してきょろきょろしていると、おばちゃんらしい人が荷物を除けて、席が空いているという仕草をするので、そこに座らせてもらう。なにやら携帯で連絡をとると、やがて数人の相棒がどやどやとやってきて荷物が置いてある席を占めた。熟女の鉄のチームワークとはこの程度のものなのか。

2012年9月18日の天気(AMEDAS)

TAVE= 27.5
TMAX= 32.5 最高気温(℃) 33.6 12:09 
TMIN= 24.6 最低気温(℃) 24.2 07:18 
DIFF= 7.9
WMAX= 6.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 11.6(南東) 13:46 
SUNS= 3.8
RAIN= 1

Q
Q

文化と文明雑感:信頼できるビジネスパートナー(アメリカでは人間も熊のパートナー?)

件のおばちゃんは、自分から一番遠い席を占めた。なんじゃやこりゃ。そんなおばちゃん連中は欲張りバーサンにしてやるゾ。売り込み中の芸人のサービス精神は、大いに無芸大食の老人の勉強になった。それにしても、スポーツ選手が応援してねと言ったり、芸人が拍手を催促するのは本末転倒のように思えてしまう。拍手はその芸相応の物こそ本物ではないか。

十数年前、大阪駐在を機会に、子供達となんばグランド花月(http://www.yoshimoto.co.jp/ngk/)を見物した。大阪のお笑いを体験させたいと思った。丁度、売り出し中の漫才コンビが熱演していた。しかし、なかなか笑いがとれない。これでもか、これでもかと笑いを取ろうとする姿に何か神々しさを感じた。大阪人の笑いの中には妥協を許さない冷酷さもあるのだとつくづく感じた。その拍手の仕方で芸が育つ。「ほんまもん」以外は拍手もせず、結果としてひきずりおろしてしまう。厳しさの中の優しさだ。拍手を控える事は、「おまえはん、はよ、別の世界でメシ食わにゃあかへんで」というような意味もありそうだ。

元技術者でエンジェル投資家の平強氏のブログ「挑戦せよ」は時々拝見させてもらっている。現役時代、それもようやく部下が付いた若い頃一緒に仕事をさせていただいたので、当時としては苦しかったが、今から振り返ると色々なことにチャレンジさせてもらった事を有り難く思い出している。

今回は、「相棒と熊の話(http://tsuyoshitaira.com/)(12/09/17 月曜日22:36:09)」というタイトルで、相性の良いビジネスパートナーの例を紹介している。チームワークと言えば、漫才にこそ、その原型があるように見える。ぼけと突っ込み。両雄並びたずという面があるが、チームワークがなければ漫才は成り立たない。最初は個人で始めたビジネスでも、最初から相棒と一緒に始めたビジネスでも、ビジネスの規模が大きくなれば、一人でビジネス全体を仕切ることが実質不能になるので、ビジネスの規模拡大に際してはビジネスパートナーは不可欠だろう。問題は、そのパートナーとの相性にあるようだ。日本でも、うまく行った相性の例は多々あるようだが、アメリカのベンチャー企業でもその相性があるようなのには驚いた。

その、相性を言葉にすれば、陰と陽、動と静、剛と柔等々補完し合う関係の方が、うまく行くようだ。これも、東西共通な現象なのかも知れない。電気の場合すら、同じプラス同志は反発し、プラスとマイナス同志なら引き合うのだから、ある種の共通性が見られる。

平氏の今回の話題は、ビジネスパートナーにあるが、そのパートナー関係を揺さぶる外乱・危機要因として熊が登場してくる。ビジネスはいつも順風満帆という訳にはゆかない。ビジネスパートナーの間に波風が立つこともある。相棒とキャンプ中に熊が出てきた例でどんなパートナーが良いかを例えている。やはり最終的にビジネスが成功するためには、ビジネスパートナーがお互いを補完し合う事・信頼できる事が大切なようだ。意見や行動が合わなければ関係の分裂以外にない。これは、ビジネスに限った事でもなさそうだ。家庭内の事にでも通用するだろう。我が国の政権与党の有様すらその好例なのかもしれない。

ところで、アメリカでは、熊と遭遇した時、食料等は投げ捨てて死んだふりをした方が助かるらしい。アメリカの大らかさを感じる。現代シリコンバレーの説話のようで興味深い記事であった。ご一読あれ。

2012年9月 5日 (水)

文化と文明雑感(初代群馬県令 楫取素彦 没後100年記念):新設の楫取素彦顕彰碑の説明板を見る

2012年9月5日水曜日
昨日は晴れ。ざっそう句:雹混じる 雷雨も空し 利根渇水。最高気温(℃) 33.6 14:42 。真夏日。夕方頃雷雨があった。カチカチと音がして降雹があったようだ。新聞によると、今夏は降雨が少なく、利根川は渇水状態との事。一時の雷雨だけでは渇水が解消するには不十分だろう。オクラ、モロヘイヤを収穫。サツマイモ数株試し堀。食べられる程度に芋は肥大している。少しずつ掘って早めに食べ終えるようにするつもりだ。カボチャに甘味料としてサツマを入れて煮た。カボチャのできが今ひとつだった。

2012年9月4日火曜日の天気(AMEDAS)

TAVE= 26.7
TMAX= 33.1 最高気温(℃) 33.6 14:42 
TMIN= 23.8 最低気温(℃) 23.6 22:11 
DIFF= 9.3
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 14.2(東) 17:32 
SUNS= 6.9
RAIN= 34

Q
Q

文化と文明雑感(初代群馬県令 楫取素彦 没後100年記念):新設の楫取素彦顕彰碑の説明板を見る

先日、用事外出のついでに高浜公園を訪問。上毛新聞記事として掲載された新設の楫取素彦顕彰碑の説明板を見た。詳細は「09D2 初代群馬県令 楫取素彦 没後100年記念(2012年)。
http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/09d2_KATORI_MOTOHIKO_MEMORIAL.html」を参照。今年で百年目としての記念行事に、「いせさき明治館100年物語」がある。平均寿命が長くなると、百年という年月の体感的長さが理解しにくい。つい最近のようでもあり、遠い過去のようでもある。同じ公園内にある、「宮崎有敬翁紀功碑」(楫取素彦撰文)に巡り会えたのも収穫だった。明治維新は近代化という産業・文化革命の始まりでもあった。養蚕も医学も明治時代に近代化された。法律も然り。昨今の「維新」は何を改めようとするのか。まだ、西洋文明が未消化のままな部分があるように感じる。

2012年8月10日 (金)

文化と文明雑感(ちょっとした旅の思い出):「楫取素彦没後100年」を思う

2012年8月10日金曜日
昨日は晴れ。最高気温(℃) 32.6 14:53 。夏日だが、朝冷えてクシャミ連発。夏風邪要注意。雑木の歌:今もなお 偉人の徳を 偲ばせる 楫取素彦 百一回忌。苗に灌水。駐車スペース周辺の刈払。1:25の混合ガソリンを作ってから開始。メーカーは旧タナカ。現在、(株)日工タナカエンジニアリングとなっている。そのホームページには「日立工機グループの一員として設立され、2007年5月1日よりエンジン工具の製造販売の事業をタナカ工業株式会社より譲り受けました。」とある。調べてみると2002年9月に購入したのでもうじき10年になる。小型で馬力がないが、余り無理な使い方をしなかったのが長持ちしている一因かも知れない。

2012年8月9日の天気

TAVE= 26.4
TMAX= 32.3 最高気温(℃) 32.6 14:53
TMIN= 21.8 最低気温(℃) 21.5 05:25
DIFF= 10.5
WMAX= 5.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.1(東南東) 18:53
SUNS= 8.4
RAIN= 0

Q
Q

文化と文明雑感(ちょっとした旅の思い出):「楫取素彦没後100年」を思う

もうじき8月15日の終戦記念日となる。「伊勢崎空襲。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E7%A9%BA%E8%A5%B2(最終更新 2012年7月12日 (木) 07:53 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「伊勢崎空襲(いせさきくうしゅう)とは、1945年(昭和20年)8月14日深夜から翌8月15日未明にかけて群馬県伊勢崎市とその周辺地域が受けた米軍による空襲。太平洋戦争において秋田県秋田市の土崎空襲や神奈川県小田原市の小田原空襲等と並んで米軍最後の日本本土空襲となった。~[編集] 概要:1945年(昭和20年)8月14日深夜、84機の米空軍B24爆撃機・戦闘機が伊勢崎市と周辺の佐波郡3村に飛来し614.1tの焼夷弾、27発の爆弾を投下した。空襲は終戦日となる8月15日未明まで続いた。この空襲で罹災者8,511人(人口罹災率21.3)、死者29人、重軽傷者150余人、1943戸の家屋が焼失(共に伊勢崎市の被害のみ)した。市街地の約40%が焼失したが、空襲当日が無風状態だったことや広大な防空空き地を設置していたために類焼が食い止められ、人的被害は最小限に抑えられた。」とある。

近所のおばさんの話では、その頃学徒動員で、電車で通勤して、中島飛行機で部品の製造に従事していた。空襲があっても家と連絡もとれず、家に帰った時は真夜中になっていたとの事。「中島飛行機株式会社その軌跡(http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/nakajima31.html)」によれば、「小泉製作所への空襲は最初は1945年2月25日で太田製作所と同日に米国海軍艦載機が来襲し、111発の通常爆弾を投下し43発が東半分の建屋を中心に命中し、組立中の銀河43機に損害がでて、更に治工具に被害が及びその後の銀河の生産が極めて困難となった。また死傷者も21名に及んだ。(右写真は米軍機撮影)2回目は4月3日の夜間でB29が通常爆弾24発と焼夷弾4発を投下し、約半数は工場に命中して板金工場が壊滅的損害を受けた。」とある。伊勢崎が終戦の前日に空襲を受けたのと異なり、太田(大泉)は軍用機工場があったので、それより先に何回か空襲の対象になっていたようだ。また、空襲の時、松の木に上ったか、その木の下に逃げて助かったという男性の話を聞いた事もある。空襲体験者は既に80才代だろう。

8月14日は、初代群馬県令楫取素彦の命日で、今年で楫取素彦没後100年となる。今年の3月たまたま楫取素彦が建立した渋川市にある御蔭松の碑に出会って、楫取素彦という人物に興味を覚えた。楫取素彦と有縁の人たちが建てた顕彰碑は、大きく立派なものだった。楫取素彦が建立した御蔭松の碑はその対局にある。自分としては「御蔭松の碑」の謎めいた部分により深い関心があるのだが。

今年の8月14日が楫取素彦の没後100年という情報に接して、一度「前群馬県令楫取君功徳之碑」を見たいと思っていた。たまたま、その近くへ出かける機会があった。事前調査もしないで出かけたので、いざ歩いて探すとなると、猛暑の中かなりきつい苦行となった。前橋公園の中にあるという話も聞いたので、ともかくきょろきょろしながら探す。最初に虎姫観音堂周辺を探したが見あたらなかった。前橋公園に北に向かって歩いていると、右手に小さな公園があった。その奥の方に石碑らしいものがあった。それが、探していた碑であった。見逃して、前橋公園の中に入ってしまったら大変だった。公園も、夏までに伸びた樹木で鬱そうとしている。願わくば、公園入り口に、公園名、碑の存在を示す標識程度は設置して欲しいと思った。

とりあえず、「前群馬県令楫取君功徳之碑」をデジカメに納める。この篆額部分は画像処理してかろうじて、そう読めるだろうと言う画像しか写せなかった。ともかく大きな碑であった。周辺の樹木が邪魔をして碑全体を納めるアングルが制限を受けている。また、樹木の影がと日射がまばらに映り、碑面の明暗のばらつきが大きい。碑文は、楫取素彦の功績である、養蚕振興の部分らしい文字をデジカメに収めた。碑の隣に説明版、その隣に、「楫取君功○(?)碑賛助人名」という建碑者名を記した碑があった。「功徳之碑」の背面には有志者が之を建てたとあり、その有志者が別の碑に記されている。旧伊勢崎町の有志者の部分だけをDSCに納めて合成した。人名の最初に、佐位郡伊勢崎町織物業組合が掲載されており、当時織物業が盛んであった事を如実に示している。伊勢崎町の有志者氏名の中に、町長武孫平、県会議員下条弥一郎等の有力者の名前があった。

賛助人を記した、「楫取君功○(?)碑賛助人名」という碑名の「○」の部分の漢字が電子漢和辞典で調べたが、分からない。偏が「云」作りが「懐古」の「懐」の作りである漢字のように見える。実質的には「功懐」と同じ意味か。当時の「前群馬県令楫取君功徳之碑」を建てた賛助人にとっては、楫取素彦の「功績」だけでなく、「徳性」を讃える意味で「功徳」としたのだろうか。「功懐」とは、楫取素彦の功績を、しみじみと懐かしむという意味にとれるのではないか。任地を去る、行政官としては、これほど名誉なことは無いだろう。「楫取君功○(?)碑賛助人名」の碑の「功懐(?)」は賛助者が楫取素彦を見つめる視線を感じる。同時に「功徳」の「徳」には、楫取素彦が賛助者を見つめる視線を意識しているように感じる。そういう意味で、群馬県の近代化は楫取素彦と群馬県の指導者層との相互作用で進んだように見える。

尚、碑文の書を成した金井之恭(ゆきやす)についてはWIKIPEDIAに記事がある。

「金井之恭。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E4%BA%95%E4%B9%8B%E6%81%AD(最終更新 2012年4月10日 (火) 04:38 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「金井 之恭(かない ゆきやす、天保4年9月18日(1833年10月30日) - 明治40年(1907年)5月13日)は幕末期の志士、明治期の官僚、書家。通称は五郎。字は子誠。号は金洞(こんどう)・梧樓・錦鶏など。長女は弁護士で政治家の小川平吉に嫁ぐ。~略歴:幼少の頃から文学を好み、また書もよくした。明治維新の際には尊王を唱えて討幕を試みたが、計画が露呈し、幽囚となった。しかし、生還した後に東京に入り、明治2年からは制度寮行政官に就任、その後内閣書記官、元老院議官、貴族院議員を歴任した。また、大久保利通が清に渡った際は、井上毅らとともに随行している。書は初め中沢雪城に学び、のち貫名菘翁の書風に傾倒した[1]。明治書壇の有数の大家であり、日本書道会・書道奨励会の会長等を歴任し、明治9年4月に明治天皇が大久保利通邸を訪問した際には、日下部鳴鶴とともに席書を行った。~[編集] 年譜:1833年(天保4)9月、上野国佐位郡島村(現在の群馬県伊勢崎市)に画家で勤皇家の父・鳥洲の三男として生まれる。」

昨年死亡した知人は、当地区の「八幡沼の碑」に関して、どんな立派な碑ができても、百姓は汗水垂らして働くだけで、そんな碑を見るひまなど無いと話していたのを思い出す。今年、当地区の私有地にあった「開拓記念之碑」が区有地に移設された。地主の都合で、記念碑の居場所がなくなってしまったのだ。当時、里山であった山林を開拓して畑地に換える事業の完成を記念した碑である。このような事業により、現在の地区の骨格が変わってきた事をしるのも有意義なことと思う。碑は、建立の当事者が未来に向けたメッセージであろう。「前群馬県令楫取君功徳之碑」をじっくり読んで見たいが、まだWEB上ではその文と読み下し文に出会っていない。この碑は、我々現代人にどんなメッセージを伝えようとしているのか。

Katori_kensyougd
「前群馬県令楫取君功徳之碑」。右:全体。中:文字面(着色加工)。左:説明版。

Katori_kenpisyagd
「楫取君功○(?)碑賛助人名」の碑。右:伊勢崎町有志氏名。左:碑の上部篆額部。

上記二枚の画像はDSCデータを合成・加工したもの。

関連リンク(2012/9/5);:WEB PAGE 「09D2 初代群馬県令 楫取素彦 没後100年記念(2012年)。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/09d2_KATORI_MOTOHIKO_MEMORIAL.html」 へ。

2012年4月11日 (水)

愛しきもの 根っ子(文化と文明雑感):ウッソー!東京スカイツリーの基礎杭は大木の根っ子に学んでいる?

2012/4/11(水)
昨日は晴れ。穏やかで暖かい一日。スモモの花が咲き始めた。ハリウッドで授粉させようとしたが、雄しべの花粉はほとんど飛んでしまい坊主になっていた。自然交配はタイミングが難しい。取りあえず花粉のありそうなハリウッドの花を摘んで少しだけ人工授粉を試した。リンゴの苗数本を移植。雨に期待。昨年に続きリンゴの根接ぎの実験。昨年は見事失敗。今年は本数を増やした。実験も一回だけして、それが失敗だったら諦めるのと、100回試して、一回でも成功すれば、更に成功の確率を高められると考えるのでは大きな差がある。可能性の検証は一回だけでも成功すれば良いのだと思う。日本のHⅡロケット開発では連続二回の失敗があった。その当時失敗学が脚光を浴びた。その失敗を克服してHⅡAで安定した実績を上げている。サーチナは、「北朝鮮の衛星打ち上げは成功するか? (1)~(3)=中国メディア。http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0410&f=politics_0410_011.shtml。(2012/04/10(火) 14:24)」というタイトルで、「北朝鮮が公表した情報によると、北朝鮮は「銀河3号」ロケットで地球観測衛星「光明星3号」を打ち上げる予定という。衛星の重さは約100キロ、高度500キロの軌道を運行し、寿命は2年とされている。衛星はカメラを搭載し、衛星管制総合指揮所に写真などの観測資料が送られる予定だ。中国網日本語版(チャイナネット)は9日付で、「北朝鮮の衛星打ち上げは成功するか?」と報じた。以下は同記事より。」と報じた。紹介された記事は、日本の報道より詳しく冷静に見える。日本では情緒的な動きが目立つように感じる。

2012/4/10(火)の天気

TAVE= 16.5
TMAX= 22.3 最高気温(℃)  23.3  13:21
TMIN= 8.5 最低気温(℃)  8.0  05:57
DIFF= 13.8
WMAX= 5.6 最大瞬間風速(m/s)  10.8(南東)  15:56
SUNS= 10.8
RAIN= 0

Q
Q

愛しきもの 根っ子(文化と文明雑感):ウッソー!東京スカイツリーの基礎杭は大木の根っ子に学んでいる?

東武鉄道株式会社と東武タワースカイツリー株式会社は「東京スカイツリータウン ® 2012年 5月22 日( 火)グラン ドオープン予定」と発表した(2011 年6月7日url=http://www.tokyo-skytreetown.jp/dl/pdf/2011060701.pdf)。いよいよ、その日が一ヶ月余り後に近づいてきた。相当な前人気が伝えられているが、地デジ電波が同じ日に東京スカイツリーから発射が始まるのか。まだその報道に接していない。総務省によると平成25年1月頃運用開始(予定)となるらしい(http://www.soumu.go.jp/soutsu/kanto/bc/tv/chijyo/sky.html)。電波塔の花の部分と言えば、先端に設置されたアンテナ。衆人の目はそこに集まる。634mもの高さを支える根っ子の部分は最早見ようとしても見ることはできない。その点、植物を支えている根っ子はその気があれば自分で調べる事ができる。

日々農天気な心意気で根っ子を調べていると意外なことに気付く。農作物を元気に大きく育てるにはしっかりした根っ子作りも欠かせない。雑草退治にも根っ子の姿が目に浮かぶと色々感が働くようになる。先日、ポットに生えたハルジオンを根鉢を崩して取り出した。地上部はロゼット状だが、地下の根は立派に育っている。細根も張り巡らせている。こういう根っ子を越冬前に準備しておくことにより、春本番になって一気に伸びることが可能になるのではと思う。根の張り具合を想像するためにビールジョッキに水を入れ、その中で根を泳がせた見た。地中から引き抜くとき細根は切れてしまうので、細根を残すには、根を切らないように堀上げ、土を水に溶かすようにすれば万全だろう。そこまではできないので、根鉢を崩したのを利用した。
Harujion_ne_roots_3pix

植物も強風を受けて倒れることがある。永年作物の果樹などは倒れると大きな被害を受ける。それならば、東京スカイツリーは大丈夫かと気になった。東京スカイツリーの設計を行ったのが「株式会社 日建設計」でその事業内容は「建築の企画・設計監理、都市・地域計画および これらに関連する調査・企画コンサルタント業務 url=http://www.nikken.co.jp/ja/firm/outline.php」とのことらしい。日建設計の東京スカイツリー関係のホームページに、「ホーム > 構造技術の紹介 > 構造技術 [2]大樹のような地盤とのつながり方:url=http://www.nikken.co.jp/ja/skytree/structure/structure_02.php」という記事があり、「建物は、高くなるほど地震や強風時の揺れによって、基礎部分に大きな「引き抜き力」「押し込み力」がかかります。このタワーのように細長い場合には、特に大きな力がかかります。そこで、基礎の杭を、節の付いた壁状のものにすることで摩擦抵抗を大きくして、これに抵抗しています。この節は、いわば「スパイクシューズの靴底」のようなものです。また、この壁杭を連続させ、放射状に地中に張り巡らせることで、「木の根」のように地盤と一体化することを意図しています。また、地上に見えるタワーの鉄骨は、そのまま地下の杭に連続的に接続し、力をダイレクトに伝達しています。これを逆にいえば、「大地から生えてきた大樹のように建っている」ともいえるでしょう。」と東京スカイツリーの根っ子の部分の説明があった。「東京スカイツリー」が大木をイメージしたような名前の上、その根っ子(基礎)の部分にも、植物の根っ子に学ぶようなアイデアがあったようで、感慨を新にした。

強風や地震で「木(東京スカイツリー)」が倒れないようにする具体的な工夫が知りたい。調べてみると、東京スカイツリーを施工したのが大林組らしい。大林組のホームページに、「世界一のタワーを効率的につくるため2つの方法をドッキング 順打ち、逆打ち混合の「ハイブリッド地下工法」;url=http://www.skytree-obayashi.com/technique/detail/02/index.html()」というタイトルで、「また、タワーの足元(鼎)は複数の杭で1本の大きな鋼管柱を支えており、その接続部分は地盤面から10m以上掘り下げたところにあります。そのため、タワーの柱を逆打ち支柱としてあらかじめ地中に埋込んでおくことは難しく、タワーの三本足(鼎)は順打ち工法とせざるを得ません。」という記事と図面があった。専門的な事なので、内容はよく分からないが、色々な工法を組み合わせて、単独工法の欠点を避けて、総合的に問題解決を図った事を述べているように思う。確かに、タワーを支える三本足の地下部分は、植物の根っ子のように枝分かれしており、必死に大地を掴もうとする構造に見える。
Tokyo_sky_treeharujion_3pix

工学的な構造物の東京スカイツリーの根っ子と生物学的な構造物のハルジオンの根っ子を並べてみた。ハルジオンの草丈を1mと仮定すると東京スカイツリーはその634倍の高さである。ともかく、ハルジオンの茎の長さと根の長さの比はそれ程大きくなさそうだ。それに対して、東京スカイツリーの鉄塔部と地下の杭の部分の長さの比はどの位になるのか。樹木の根の長さはほぼ樹高程度はあると言われている。これは経験則とは思うが、東京スカイツリーが自然界のストレスに対してどれだけの耐力を持つのか興味を覚える。東京に震度7程度の地震が起こるとの想定がなされた現在何となく気になるのだ。

2012年2月24日 (金)

文化と文明雑感:心の古里華蔵寺公園

2012/2/24(金)
昨日は雨後、午後の後半より晴れ。夜は風が強くゴウゴウと音がした。用事で外出。しばし、華蔵寺公園を散策。北側の子供広場には大きな、クワガタやカブトムシをかたどった遊具が出来ていた。これら昆虫の実物の大きさが数センチ。遊具の大きさは数メートル。ざっと百倍のスケール変換を体験できるのだ。子供達はこのような風景を記憶に刷り込んで行くのだろうか。夜会議。農事の件で数軒まわる。TPPどころか足元が揺らいでいる。農事組合も終戦後地域農民相互の助け合いの必要から生まれている。昔は地域住民は、仕事や地域生活の面でも、隣近所、親戚、友人等々色々な関係を通して人々は結ばれていた。それがまさに人間の絆であった。人間の絆の中には、どろどろしたもの、不条理、理不尽な面もある。そいう面は、村八分等という言葉に残っていたのだろう。火事、葬式等の必要最小限の付き合いは絶たなかった。今は、火事も葬式も業者任せ。それと共にあの忌まわしい人間の絆も白々しいものになってしまったように感じる。

2012/2/23(木)の天気

TAVE= 7.8
TMAX= 12.4 最高気温(℃)  12.9  16:40
TMIN= 4.6 最低気温(℃)  4.5  09:45
DIFF= 7.8
WMAX= 7 最大瞬間風速(m/s)  15.6(北西)  20:40
SUNS= 1.9
RAIN= 9.5

文化と文明雑感:心の古里華蔵寺公園

春は名のみの季節だが、雨が降り公園の樹木も一息ついたように見えた。落葉樹が葉を落としているので公園にある色々な碑等も、探しやすい。小高い丘を登る途中には点々と石碑が並んでいる。聞くところによれば、華蔵寺の山腹に並べられた石碑は聖地霊場巡礼コースを模したものだとか。小高い丘の頂上は滑り台の発進場所だ。それにもかかわらず、三橋美智也が歌った、「松風さわぐ 丘の上 古城よ独り 何偲ぶ~」という歌(高橋掬太郎 作詞、細川潤一 作曲)の風景が思い出される。ここは、華蔵寺裏山古墳の頂上のようだ。古墳とはまさに古代人が永遠の眠りのために建立した墳墓だ。古墳の頂上から四方八方を見ると地域の山河が手に取るように見渡せる。これは古墳造営時点の空想だが、今は視界を遮る物が多く、太古の景観を眺める事は不可能だ。しかし、観覧車に乗るとそれが可能になる。群馬県は古墳の宝庫だ。とくに伊勢崎には古墳が多いようだ。その古墳時代まで含めて、東国日本というイメージにのせて群馬県を発信しようという動きがあるようだ。大変結構な事だ。そのためには、自分たちがその価値を知らなければならない。
華蔵寺裏山古墳はほとんど無名だが今こそ、市民が知ってもらいたい古墳の一つだろう。公園としての整備は進んでいるが、歴史的な文化財としての整備も必要ではないか。せめて、華蔵寺裏山古墳を解説した看板程度は欲しい。更に、南面にまわると、色々な碑や銅像がある。ここは、その碑や銅像を建てた人々の思いが、風化して、まさに古城の風景そのままだ。心の支えを失ったような光景だ。そこでひときわ目立つのが「金井 烏洲」の碑だ。それを書いたのが渋沢栄一。碑文の内容をぜひ知りたく思った。

2012年1月22日 (日)

文化と文明雑感:JR前橋駅北口のケヤキ並木の骨董屋さん

2012/1/22(日)
昨日はAM曇り、PM雨。大寒であった。終日3±1℃程度の寒い日だった。宅内で過ごす。夜は懇親会兼会議。トイレに新聞販売店が毎年くれる薄手の暦をぶら下げて気が向けば拾い読みをする。暦には生活の知恵が詰まっている。高島歴とあった。今日は大寒、もうすぐ春分だと、老人の冷水にならぬようこの極寒を乗り切ろうと思う。WIKIPEDIAで「暦」、「高島嘉右衛門」を調べてみた。ページトップに「Wikipedia needs the Internet to stay free.」とアピールが表示された。「free」という言葉にもピンからキリまである。そうして「free」につられて色々手を出してしまう。その点、WIKIPEDIAが自由に使える事は本当に有り難い。

Takashima_kaemon

WIKIPEDIA(高島 嘉右衛門;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%98%89%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80)によると、「高島 嘉右衛門(たかしま かえもん 1832年12月24日(天保3年11月3日) - 1914年(大正3年)10月16日)は横浜の実業家および易断家。父は遠州屋嘉衛門(本姓は薬師寺)。母は「くに」。姉が2人。弟に高島徳右衛門。幼名は清三郎。後に嘉衛門、嘉右衛門に改名。号は呑象(どんしょう)[1]。以下嘉右衛門を使用する。 吉田勘兵衛、苅部康則らとともに横浜三名士といわれる。」とある。実業家としては、今日の外貨取引のような事もしており、経済を見通す眼力に優れていたようだ。「高島易断 [編集]:嘉右衛門は、実業家としても有名だが、易断による占いでも特に有名で、今でも「易聖」と呼ばれている。」そうだが、その易による占いそのものを商売にすることは戒めたとある。政治家も実業家も庶民も自分の運勢を本気で占ったらもう少し明るい未来がみえるような気がする。

2012/1/21(土)の天気

TAVE= 3.0
TMAX= 4.2 最高気温(℃)  4.4  13:40
TMIN= 1.7 最低気温(℃)  1.7  07:02
DIFF= 2.5
WMAX= 2.8 最大瞬間風速(m/s) 
SUNS= 0
RAIN= 14

文化と文明雑感:JR前橋駅北口のケヤキ並木の骨董屋さん

昨年は用事で前橋に何回か通った。JR前橋駅北口のケヤキ並木も通って色々な発見もした。樹木が大きく育つと存在感を示してくる。その年輪が、そこに生きて生活した記憶として自然に頭の中に浮かぶ。その前橋通いで、ケヤキ並木を守っている様々な人がいることにうすうす気付いた。その一人がケヤキ並木の骨董屋さんだった。その骨董店から相当離れた所で黙々と掃き掃除をしているおじさんがいた。おじさんと言っても自分と同年配のようで、よく頑張っているなと思った。誰かなと思いつつ通り過ぎたが、あの骨董屋のおじさんだと気付いた。我が家にも、大きなケヤキが一本あるだけで、その落ち葉には困り果てている。毎日掃き掃除などできない。枝から葉が全部落ちてから掃き掃除しているのが実状だ。落ち葉の季節は大変だろうと思う。以下の記事を読んで改めてあの骨董屋のおじさんを思い出した。

YOMIURI ONLINEは、「ケヤキ倒木の危機 JR前橋駅北口;url=http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20120122-OYT8T00029.htm((2012年1月22日  読売新聞))」というタイトルで、「戦後復興を願って約60年前に植えられた、JR前橋駅北口のケヤキ並木(87本)の一部が枯れ始め、倒木の危険が生じている。専門家の診断で、28本で腐朽などが進み、そのうち5本は伐採が必要とされた。水分や養分不足が原因のため、県は年度内に歩道の舗装の改善工事に乗り出す。街のシンボルを守ろうと水やりなどの住民活動も広がっている。」、~「近隣住民の保全活動の輪も広がってきた。通り沿いで骨董品店を営む大江正行さん(62)は「ここ最近、急激に枯れ始めた。細かった頃のケヤキと一緒に育ってきたから愛着がある」と話す。約4年前から毎朝、水をまき、秋以降は午前5時すぎから3時間かけて落ち葉を掃く。 大江さんの姿を見て、通り沿いの企業や住民も毎朝、掃除や水やりをするようになった。通り沿いに長年住む荒木静子さん(85)は「植えられた当初は近所の人たちが水をあげて育てた。ケヤキがなくなったら寂しくなる」と心配した。」と報じた。

老人の寝言:原子力安全保安院は初めからメルトダウンしていたのか;http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/04/post-c7d4.html

02AA_ほっと一息ポケットパーク;http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02aa_POCKET_PARK.html

2011年12月14日 (水)

読みかじりの記:「胎児の世界 人類の生命記憶」 三木成夫 著 (1983年 中央公論新社)

2011/12/14
昨日は晴れ。澄んだ空。赤城山が綺麗に見えた。用事外出。麦茶をコーヒーミルで粉末にして飲んでみた。マアマアの感触だ。当地の放射線量のデータを市のホームページで調べた。ばらつきはあるが、大雑把には0.1マイクロシーベルト程度であった。気になるのが落ち葉掃き。どうも落ち葉には放射性物質が多く吸着しているのではないかと心配している。掃いた落ち葉を集めるとそこの放射性物質濃度が高くならないか。落ち葉は可燃ごみとして焼却炉で焼却されている筈。焼却灰の放射線量はどうなっているか調べてみた。

以下は伊勢崎市ホームページのデータ
*******************************************清掃リサイクルセンター21の焼却灰の放射性物質(url=http://www.city.isesaki.lg.jp/data/seisou/sokutei.pdf)
※採取日 平成23年7月1日
(単位:ベクレル/kg)
試料:ごみ焼却灰(飛 灰)
測定値
セシウム134    セシウム137       セシウム合計      暫定規制値
837         973            1810           8000以下
※飛灰とは、排ガス中に含まれるダストをろ過式集塵機などで捕集したものです。
※測定結果は、国の埋め立て暫定規制値以下でした。
*******************************************

2011/12/13の天気

TAVE= 8.0
TMAX= 12.4
TMIN= 5
DIFF= 7.4
WMAX= 4.9
SUNS= 9.1
RAIN= 0

最低気温(℃)  5.0  24:00
最高気温(℃)  12.5  12:48

読みかじりの記:「胎児の世界 人類の生命記憶」 三木成夫 著 (1983年 中央公論新社)

本書を手にしたのは本書の著者が、高崎哲学堂の講演会の講師かもと思ったことによる。本書の冒頭に「ある地方都市で講演を依頼された。」とあり、本書の備考と以前に引用した高崎哲学堂講演リスト(第84回. 1978年 三木成夫 東京芸術大学教授 「生命記憶と回想」)が一致し予感通りであった。本書が出来る経緯を見ると、高崎哲学堂講演の講演が出版のきっかけになったようにも思われる。

asahi.comは、「井上工業元社長室長ら起訴 見せかけ増資事件で東京地検;url=http://www.asahi.com/national/update/1214/TKY201112130718.html(2011年12月14日0時42分)」というタイトルで、「東証2部に上場していた群馬県高崎市の中堅ゼネコン「井上工業」(破産手続き中)の見せかけ増資事件で、東京地検は13日、元社長室長の前田敬之容疑者(41)ら同社関係者2人、増資を引き受けた「アップル有限責任事業組合」代表の奥村英容疑者(61)、証券ブローカーの高橋利典容疑者(63)の計4人を金融商品取引法違反(偽計)などの罪で起訴した。 同法違反容疑などで逮捕された井上工業元社長ら3人について、地検は「関与が薄い」として処分保留で釈放した。 」と報じた。

高崎という地方都市で生まれ育った文化(メセナ)活動がこのような事件と共に消えて行くのは残念である。本書の出版が高崎哲学堂講演がきっかけとなっているとすれば、成書として著者の思想を残す役割も果たしているのではないかと思う。

「三木成夫;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E6%88%90%E5%A4%AB;(最終更新 2011年7月27日 (水) 01:30 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「三木 成夫(みき しげお、1925年12月24日 - 1987年8月13日)は、香川県丸亀市出身の解剖学者、発生学者である。 丸亀中学から六高、九州帝国大学航空工学科、東大医学部と進み、東大助手を経て、東京医科歯科大学助教授、東京芸術大学教授となり教鞭をとった。 生前に出版された本は二冊(『胎児の世界』中公新書、『内臓のはたらきと子どものこころ』築地書館)にすぎないが、死後続々と遺稿が出版され、解剖学者・発生学者としてよりも、むしろ特異な思想家・自然哲学者として注目されている。 三木が思想的影響を受けた人物としては、冨永半次郎、ゲーテ、クラーゲス、宝井其角などを挙げることができる。自然科学者としての三木は、西欧近代の硬直化した機械論的、実証主義的立場から距離を置き、人間と自然との生きた自然感覚とでもいえるものを取り戻そうと試みた。そのことが、自然界の中で持っていた固有のリズムを喪失した現代人に、強く訴えかけるものを持っていると考えられる。 死後、ほぼ毎年、「三木成夫記念シンポジウム」が開催されている。」とある。

一読して、本題が「胎児の世界」だが、副題の「人類の生命記憶」の方に重点があるように感じた。そう言う意味では、高崎哲学堂の講演会のタイトル「生命記憶と回想」がよりふさわしかったのかも知れない。ともかく、単に「記憶と回想」では扱う範囲が非常に狭くなるが、「生命記憶と回想」というように、生命のたどってきた歴史を含めると時間の流れが数億年と広がり、その人類の歴史を胎児がたどって生まれる個体発生の中に、「生命記憶と回想」が現れるというような捉えがたいが、否定もし難い何かを訴えている。ここには、つかみがたさと、科学では永久に解けないミッシングリングがあるように思われる。本書は、科学の領域をはみだしているような印象を受ける部分もあったが、科学的事実の上に独自の発想や主観的解釈を加え、我々人間に、時空を超えた原体験とおもわれる曰く言い難い記憶や回想に類似した現象があること解説しているようにも思えた。

動物も植物も進化を考えると全く同じ原理が適用できると思うのだが、どうも動物である人間は動物の進化の方に自己を投影しやすいようだ。西田治文 著「植物のたどってきた道 化石が語る<緑>の過去」と進化の年代では重なる部分があるが、印象は異なる。著者の関心が異なるのだろう。本書でも最後の方で植物を扱っているが、植物と動物の対応関係も追求すれば面白そうだ。性と食という問題も動植物共通である。羊水⇒太古の(母なる)海という連想もかなり一般的だが、植物の場合どのような類推が働くのか。「生命記憶と回想」というテーマの取り扱いも人間の知識や学問の蓄積があって可能になるように思う。胎児⇒種子という連想は働くが、羊水⇒太古の海という類推で植物の羊水に相当するのは何かとつまらない詮索をしている。ともかく植物に向かう視線は動物に向かう視線と異なってしまう。著者はゲーテの「植物メタモルフォーゼ」についても書いている。

現代は余りにも専門化が進んで、科学の知識を統一的に捉える事が困難になっている。一歩間違えば科学という美名の元にあらぬ方向に誘導されるおそれもある。本書では遺伝子工学、バイオテクノロジーに関してはほとんど言及されていない。ヒト遺伝子の数が確定され、ヒトの発生から死滅までの遺伝子の働きが解明されつつある。著者が述べる奇形も遺伝子の発現誤りと解釈できるのではないか。生体が世代間というマクロなレベルで恒常性を保つために遺伝子ができたのではないか。遺伝子も生命体も単純な物質の複合体に過ぎない。動物の身体はタンパク質等からできている。動物の体内では無数の化学反応が起こっている。その化学反応をコントロールする物質の一つが酵素との事。ところがその酵素が効率よく働く温度は、人体で言えば体温の前後らしい。ヒトが暖を求めるのはヒトの祖先を遡って恒温性獲得する前後の記憶が体内に残っているからなのか。

色々連想を重ねると際限が無くなる。連想、類推は楽しい。思考の連立方程式のようでそれを解いてみると意外な解がある時がある。「胎児の世界」は我々一般人には直接見ることが出来ない。著者は学者という立場からそれを見て、標本を作り、解剖して、学者人生の後半に「胎児の世界」に潜む謎を解き明かし、その驚異を一般人に解説するために本書を書いたようだ。読み方により色々な刺激を受ける本だろう。

検索サイト

NANDA?⇒物臭検索

  • ラベル(タイトル):最初は何も分からない
    なんだこりゃ?作成当時の記憶

エネルギー関係

ウェブページ

更新ブログ

PHOTO2(写真集)

  • Iob_fujijyuukouentotu
    たまたま出会ったもの2

PHOTO4(写真集)

  • Iob_minitomatodaruma
    果樹・野菜・花等

PHOTO5(写真集)

  • Iob_senteihasami_funsitu_sabi
    現在使われなくなった機器、農具、ガラクタ等。

PHOTO6(樹木等)

  • Iob_sendan_kiru_2013
    樹木の縮伐カット&トライetc

PHOTO7(写真集)

  • Iob_kaiko_ga_gazou
    BLOG関連写真2
フォトアルバム

MIKAN KUN

  • 赤城連山MAP
  • Fight_Fukushima
  • ISESAKI_PIGEON
  • MIKANKUN

Copyrighit

  • © Copyright 2006-2023  af06.kazelog.jp  All rights reserved.

健康関係:リンク&検索等

Favorites2

Favorites

Favorites3

Favorites4

やさしい科学・SCIENCE

  • 日経サイエンスのウェブページ
    「日経サイエンス」とは:「日経サイエンス誌は,1845年に創刊された長い歴史と伝統を持つ米国の科学雑誌「SCIENTIFIC AMERICAN」の日本版で,世界の最先端の科学技術動向を日本の読者に届けています。」
  • SCIENCE IS FUN in the Lab of Shakhashiri
    University of Wisconsin-Madison Chemistry Professor Bassam Z. Shakhashiri のサイト

みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

外国の博物館・美術館 外国語・国際関係(リンク)

TOOLS

地域産業・機関

地域興し関連情報

MEMO_TL_TEST

  • TOP PAGEの 「アクセスランキング(2015/6/8より表示再開)」へ飛ぶためのラベル
  • TEST END
    TEST_H23/10

アクセスランキング

リンク:ページ先頭へ飛ぶ

写真集へのリンク

MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)