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2009年10月

2009年10月21日 (水)

ジグ(治具)

2009/10/21

ジグ(治具)

入社以来トランジスタや集積回路の評価をしたが、回路部品は回路の中に置かなければそ

の機能や性能を測定できない。トランジスタや集積回路の取り付け装置をジグと言っていた。

語源は英語のJIGにあるのであろうか。少量の測定・評価にはジグの耐久性も余り問題が無

いが、量産になるとジグの耐久性が問題になった。トランジスタや集積回路のリードやピンを

受ける部品がソケットであるが、そのソケットが摩耗して、正しい測定が出来なくなる。苦肉の

策として、二重ソケットとして、ジグ本体のソケットの上に消耗品としてのソケットを乗せたりし

た。生産を、安定に、高速に、低コストで行う技術は生産技術の分野でもあるが、その分野

にも少し足を踏み入れていた事になる。ジグ作成で一番苦労したのはUHFトランジスタのNF

測定用のジグの作成と調整、工程導入であった。加工精度の悪い手作りの分布定数回路で

はカットアンドトライの試行錯誤が付き物であった。差し込むリードの長さが異なるとデータも

異なってしまう。この分野を担当する部署が出来て、ようやくその仕事から解放された。幸

い、ホールICの生産用測定器は、生産技術部署が専業メーカーに外注できたようだ。集積

回路の量産用測定器も初期の頃はその集積回路を設計した技術者が作成していた。しか

し、徐々に集積回路のテスターメーカーが育ち、回路技術者は回路の設計に専念できるよう

になった。

2009年10月20日 (火)

TEG(テグ)

2009/10/20

TEG(テグ)

test element groupをテグと呼ぶ。半導体素子の実験・評価用に設計された素子・グループ

の事である。現場では単にテグと呼んでいたので正式な原語を知っていた人も少なかったよ

うだ。回路記号で書かれた素子は単純であり、記号だけではその素子の特性が表せない。

素子の特性は形状依存性を持つ。集積回路は一般に微細化により集積度を向上させる事

で、機能、性能、コスト等の向上が可能になる。しかし、微細化は無制限に可能ではない。製

造技術等により微細化の限界が常に存在する。アナログ用の素子は更に種々の形状依存

性が現れる。例えば、光センサーではセンサー面積を広くすれば感度と性能は向上するがコ

ストが上昇する。トレードオフによりコストと性能をバランスさせる必要がある。従って、設計

上は素子形状の最適化が必要になる。そんな場合にTEGが登場する。形状を変えたり、形

状は一定だが面積比を変えたりして最適な素子を決定する。TEGのG:GROUPはそのよう

なある目的を持って作成された素子グループを表す訳である。自分も磁気センサー用のホー

ルICを開発する時に、ホール素子のTEGを作成して頂いた事がある。その他のトランジスタ

等は別の汎用TEGを使用して、実際に動作するブレッドボードを作成した。当時はCADの実

用化も始まっていた。しかし、ホール素子のSPICEモデルは無かった。ホール素子のTEGの

特性をシミュレーションするSPICEモデルを自前で作成して何とか回路全体のシミュレーショ

ンが出来た。かくして、開発されたホールICは幸いにも長期の製品寿命を経てから生産終了

になった。

2009年10月19日 (月)

マコモ

2009/10/19

マコモ

たんぼの中を流れる小川の水の流れが緩く、泥がたまる所に生えていた。幼少時にこれが

マコモであるとは教えられた記憶もない。つい最近昔の事が気になって調べて、マコモだった

のだろうと思っている。昔の小川は三面コンクリートの水路となり、もはやマコモの姿は見ら

れない。子供の背の高さくらいまで伸びるので、水辺の草としては目立った存在であった。し

かし、田んぼの中には生えないので害草と言うほどでもなかった。牛馬の餌にも余り使われ

る事はなかったと思う。従って、無害無益というどうでもよい存在であったので、マコモがいつ

とはなく無くなっていても、何の問題もなかったのかも知れない。しかし、水中に張った根の一

部が水流の中に伸びて、そこが魚の格好の隠れ家になっていた。手づかみで魚捕りをする

時はこのマコモの根の周辺が狙い目でもあった。マコモが無くなったのは、生育に都合の

良い泥土が無くなった事と水流が急になった事が原因だろう。要するにマコモがとりつく島が

無くなってしまったのだ。水流という点から見れば、マコモは障害物で、水流に緩急が起きて

しまう。しかし、この水流の緩急が魚類の棲息に必要であったのだ。魚は移動の時は、水流

に乗ればよい。上流に登る場合は流れの緩い所は休憩所になり、流れてきた餌がよどむ餌

場にもなる。マコモが生育しにくい環境は魚が生育しにくい環境でもあったのであろう。

2009年10月18日 (日)

庭石

2009/10/18

庭石

庭石は庭の一番目立つ所に置かれるのだろう。来歴は正確には分からないが、我が家の庭

にもそれらしき石がある。庭も父親が趣味程度にやったいたので、設計されてそこに持って

きたのではないようだ。かすかな記憶しかないが、業者が庭石を車に積んで売り込みにきた

らしい。金は無いが、米と交換で良ければという話しになって、たまたまそこに今の庭石が居

座ることになった。興味がなければ、その石は最初からそこにあった程度の話になってしまう

だろう。昔は、古代寺院の礎石、古墳の石棺の石蓋などが別の用途に再利用されていた事

があったらしい。エジプト等では先に作られた王の石像が後代に再利用された例もあるとの

事で、石という貴重な資源は再利用される運命にあるようにさえ思われる。畑から拾い出した

石片もこれは誰かが使った事があるのではないかと思うことがある。これは一種の思い込み

になってしまう可能性もある。2000年11月に旧石器捏造事件が毎日新聞のスクープで発覚

した。この事件は後に出版されて読んだ記憶がある。さすがに新聞社の取材と感心する位の

完璧さであった。自然の石も道具として使われた可能性は大いにあるだろう。現実に曲がっ

た釘を叩いて真っ直ぐにする時等に自然の石を使っている。厳密には自然石でない人造石

器ならば道具として使われた事が確実なので人造石器をもって石器と言うのであろうか。人

類の歴史に自然石を使い始めた歴史もあるはずであろう。自然にあるものを道具として使う

のと自然に無いものを道具として作り出して使うのと知能の差はどの程度の違いがあるのだ

ろうか。

2009年10月17日 (土)

高崎哲学堂

2009/10/17

高崎哲学堂

高崎哲学堂について最近関心を持ち始めた。井上工業社長の井上房一郎が提唱した文化

運動が高崎哲学堂の設立であったようだ。建物はあくまで運動の目印の旗に過ぎなかったよ

うだ。井上房一郎邸が公売にかけられ、これを買い取り高崎哲学堂と呼ぶようになったよう

だ。その後の状況は定かでない。2008年10月の井上工業の破産は各方面に波紋を及ぼし

ているが、高崎哲学堂の方も気になる。たまたま、高崎哲学堂講演会要旨 第11集を入手し

た。1978年初秋に刊行された。ここに、地球社会学への発想 -南方熊楠に学ぶ-という題の

鶴見和子氏の講演が記録されている。ここで、興味を持ったのが「熊楠曼陀羅」。一種の複

雑系の思考モデルである。社会現象も人間現象も一つのパラメーターでは既述できない。多

数のパラメーターを持つ現象から本質的な関係を引き出すには、特別な才能が必要なよう

だ。鶴見氏は南方熊楠は哲学教授でなく、真の哲人であったと述べている。何となく納得させ

られた。高崎哲学堂講演には著名人の講演が数多くある。市民という目線で話された講演

は堅苦しさが無く、自由な発想を助けるようだ。高崎哲学堂は残ったが文化運動としての講

演は残らなかったとなると残念である。

2009年10月15日 (木)

松下幸之助

2009/10/15

松下幸之助

松下電器産業株式会社は2008年10月1日をもって社名を『パナソニック株式会社(英称

Panasonic Corporation)』に変更した。これで、創業家の松下が社名から外れた。松下幸之

助の創業が1917年(大正6年)6月 であり、最初の事業が電球用ソケットの製造販売であっ

た。振り返ると、家電の基礎の一つがが照明、電灯にあるようである。最近、家電量販店に

行ってみると、照明関係の商品はパナソニックが独占の状況であった。社名から松下が消え

るまで約90年間、見方を変えれば松下幸之助の思想が直接的に生きてきた期間であろう。

戦前に一時、軍事産業に参入したようだが、松下幸之助は一貫して商人に徹してきたように

思われる。色々な書物で紹介されたりしたので、松下幸之助の逸話や業績は広く知られてい

ると思う。ユニークなのは松下政経塾であり、塾の卒業生も最近では各界で活躍しているの

を見る。また、松下幸之助の経営理念に水道哲学と呼ばれるものがあり、生活の基礎となる

物資を水道の水の如く安価に豊富に供給するのが産業人の使命であるとするものであっ

た。大量生産・大量消費は二十世紀文明の特長であったのは事実である。このため価格の

低下も進んだが、体力のない生産企業は淘汰され、数社から十数社の巨大メーカーのみが

生き残る結果になったのも事実である。人生の大半を家電業界に置くとなかなか客観的に物

事を見る事ができない。会社が大きくなると事業全体を見渡すことさえ難しくなる。松下電器

産業がコンピュータ事業に本格参入しなかった事も記憶に残る。かつての主要コンピュータメ

ーカーの現在の姿を見るとそれが正解であったとも考えられる。最終的な経営判断は経営

哲学に影響を受けるのは当然なのであろう。

2009年10月13日 (火)

ジラード事件

2009/10/13

ジラード事件

1957年(昭和32年)、当時の相馬が原米軍演習地で、薬莢を拾いに入った主婦が米兵に射

殺された事件である。米兵が引き起こした事件は色々あるが、この事件は自分の県内で起

こったので衝撃を受けた。このような問題の原因をたどれば、戦争、敗戦、米軍の駐留という

連鎖の中で起こったのであろう。当時のニュース映画をネットで見ると、薬莢を拾うにも競争

があり、たこつぼを掘り、まだ熱い内に手袋をはめて競って拾うような状況であったという。こ

の事件が起きてから、上空に大型の軍用ヘリコプターが頻繁に飛び交うようになったのに気

付いた。それまでは、相馬が原に米軍演習地があることなどほとんど気になっていなかった。

事件が起きてから事の本質を理解するようになったのだ。現在もヘリコプターが上空を飛ぶ

とつい空を見上げるが、航路が曲がる小型なら報道用かと思ったりするが、大型ヘリが一直

線に飛行するのを見るとふと当時の大型ヘリの事を思い出すのである。

2009年10月12日 (月)

核シェルター。20091012。

2009/10/12

核シェルター

キューバ危機はソ連が核ミサイルをキューバに配備する問題で生じ、1962年10月15日から

13日間続いた、米ソ間の冷戦に起因する最大の核戦争の危機であった。ケネディ大統領の

演説を朝日ソノラマで聞いた記憶がある。1960年8月アメリカのアイゼンハワー大統領がキ

ューバへの経済封鎖を行い、翌1961年4月にはジョン・F・ケネディ大統領がキューバ侵攻作

戦を認可した。5月1日にカストロはキューバ革命の社会主義革命化を宣言した。今年はチ

ェ・ゲバラの映画を見て、改めて当時の記憶を思い出した。この冷戦のさなかに、キューバで

チェ・ゲバラがカストロと働いていた事はほとんど知らなかった。チェ・ゲバラを知るようになっ

たのはチェ・ゲバラが死亡し、その果たせぬ夢が世界に知られるようになってからであった。

冷戦構造はキューバ危機以来相当の期間続いた。万一、核戦争になった場合の生き残りの

ために、核シェルターが日本でも売り出されたのを覚えている。ひょっとすると、日本でも核シ

ェルターを作った民間人がいるのではないかと思う。それほど、核戦争が現実性のある危機

となっていた。残念ながら核シェルターは庶民の手が届くものでは無かったし、放射能を含む

死の灰はいくら核シェルターと言えども防ぎようがなかったであろう。その後、世界は冷戦の

雪解けに向かったが、核保有国は着実に増加した。核拡散防止の国際世論が世界の核保

有国を中心に広がった。しかし、核拡散防止だけでは、列強の核支配の現実は変わらない。

米国のオバマ大統領へのノーベル平和賞授与が決まったという。賛否両論があるようで、複

雑な心境になる人もいると思う。ノーベル賞が戦争と平和の諸刃の刃となるダイナマイトに基

礎を置いていることを考えると、民間の平和運動、核兵器廃絶、核技術の平和利用という方

面を重視すべきであったとも思われる。

************************
追記(20223/05/29):タイトルの後に投稿期日を追加。核戦争の危機を感じた頃、核シェルターになる地下室を作ろうかと考えた事がある。東日本大震災・東北三大災害で放射線問題が現実になり核シェルターは現実的で無いと実感した。核物質が飛散すれば全ての生活が破壊されてしまう。

2009年10月11日 (日)

洞窟観音

2009/10/11

洞窟観音

遠方に住む高校時代の友人とドライブに出かけた時に偶然立ち寄った記憶がある。既に一

昔も二昔も前の事である。洞窟観音は、実業家山田徳蔵氏が私財を投じて大正8年着工、

昭和39年に完成させたものであるという。30才余に建設を発願し、亡くなるまで50年掛けて

掘ったとの事である。拝観したときはこんな事情は知る由もなかった。しかし、薄暗い洞窟内

に並ぶ観音像を観ると不思議な感覚にとらわれた。何か母親の母胎の中に還った感じでも

あった。観音様の功徳というのであろうか。洞窟の薄暗いという不安と恐れの中に、それを克

服させる不思議な元気を与えた。洞窟という頑強なシェルターが生身の人間を守ってくれると

言う安心感も生まれるためか。観音信仰は日本人の最もポピュラーな信仰心の現れなのか

もしれない。知りたい事は、はなぜ洞窟を掘ってそこに観音像を安置しようとしたのか、発願

の真の動機・理由である。仏教はシルクロードを経て日本にもたらされた。シルクロードには

多数の洞窟に石仏が掘られているとの事だ。シルクロードの洞窟の石仏に思いを馳せて作

ったのか。伊勢崎の探検家である矢島 保治郎は明治の末にチベットへの探検旅行を決行し

た。一度、帰国してまた直ぐにチベット入りを果たした。最後にチベットから日本に帰国したの

が1918年(大正7年)10月であるという。当時の事は良く分からないが、三十代の山田徳蔵

氏が矢島 保治郎のニュースを耳にして世界に夢を馳せた可能性も無くはないであろう。

2009年10月10日 (土)

迷信

2009/10/10

迷信

幼少の頃乳歯が抜けたとき、屋根に向けて投げた記憶がある。調べてみたら、永久歯が順

調に伸びることを願って下側の歯は屋根に、上側の歯は縁の下に投げるらしい。乳歯が最

初に抜け始めるのが6才頃との事で、6才以降の記憶であろう。当時の家は縁側にもすき間

があったので、そこに抜けた歯を入れたかもしれない。こういう風習は迷信と思っていたが、

理由を調べると合理的な意味もあるようだ。今日では歯科医に行くのは子供でも当たり前で

あるが、終戦後は子供が歯科医に行くのは虫歯が痛む時くらいだったかも知れない。歯列の

矯正等は夢のような治療であったと思う。そう言う点で、自分の歯列も無修正のままだ。笑う

と歯列の乱れが見える。これも個性の一つか。思うに、理想な姿を追求すると、スーパーの

野菜のような無個性の物が跋扈するようになりかねない。マイケルジャクソンは以前から見

ると大変身したと聞いた。全く無関心の分野で何のことか分からなかった。説明を聞いて納

得した。変身願望も人間に備わった基本的な願望であるようだ。凡人は程々が良いようだ。

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嗚呼 伊勢崎 非情

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)