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2010年1月

2010年1月11日 (月)

システム手帳

2010/1/11

システム手帳

20~30年前にシステムが紹介され、その優れた機能が評価され一般にも流行した。

WIKIPEDIAによるとこのシステム手帳が誕生したきっかけが第一次世界大戦にあったとい

う。その老舗がファイロファックスであったようだ。戦場でこのシステムを持っていたので銃弾

が貫通する事無く助かったという逸話も聞いたように思う。第一次世界大戦においては、

平民が将校ととして多数採用されたが、技術の進歩で兵器や戦術も従来と様変わりして、そ

れを的確効率的に運用するための情報量も増大した。その増大した情報を活用する為に生

まれたのがシステム手帳だったとのことである。確かにリフィル式で印刷した情報差し替

に便利である。定期的に変更される規定集等には便利であろう。さらに書込の出来る手帳

は書式通りに書き込めば必要事項を落とすことなく書き残せるマニュアル的な書式を備えて

いて平民将校向きであったのだろう。自分も何度かこのシステム手帳に挑戦したが長続き

しなかった。何故だったのかを考えると、用途、携帯性、一体性が適合しなかったのだろうと

思う。自分が手帳を使うのは備忘メモとスケジュールがほとんど。しかし、紙片のように散逸

せず、時系列で記録が残るためには綴じて一体性がある事が重要だ。現在、使っているの

が名刺サイズ程度の薄いノートと100円ショップの万能手帳。前者はシャツの胸ポケットに入

るので携帯性は抜群だ。テレカや名刺も挟める。これらが落下しないように表紙と最後のペ

ージの下部をホッチキスで留めてカードホルダーとしている。更に小さな市販電話帳を挟む。

ノートを替えるときも転記の必要がない。ともかく、システム手帳も電子手帳も、コスト、エネ

ルギー、入出力の手間、携帯性等で今ひとつ満足できない点がある。結局、まだ自分にとっ

て紙と鉛筆に勝るものが無い。もっとも、実際は筆記にはボールペンを多用しているがボー

ルペンの信頼性にはまだ満足できない。ボールペンが駄目な場合は鉛筆の出番となる。

2010年1月10日 (日)

電子辞書

2010/1/10

電子辞書

最近は電子辞書の機能・コンテンツが充実して、全部の機能を使いきれない程である。コン

テンツも数十から百余と十分以上かもしれない。これも技術の進歩に負っているのかも知れ

ない。基本機能はREAD ONLYであるが、自分の電子辞書は音声を出す機能を持ってい

た。試しに何度か音を出してみた。しかし、頻繁に電池交換が必要になるのがいやで積極的

に使っていない。更に、SDカードに情報を記録出来るようでもある。確かに、電子手帳的に

書込が出来れば便利であると思う。電子辞書は携帯電話にも搭載されているという話を聞

いた。自分の携帯は既に骨董品に近い。3月に3Gに移行するという通知が何回も来ている。

まだ、元気で頑張っている携帯が使えなくなるのは残念ではある。生き残り方があるのか。

この骨董品的携帯電話にもデジカメが搭載されている。撮影したのはほんの数回。試し撮り

だけであった。今後はこの携帯にデジカメと電子手帳手的な第二の人生を送らせてみたいと

思う。PHSから携帯に移行したのが丁度十年程前であった。PHSは皆で使った。最初に子

供が携帯に加入した。一人一台になった。PHSの前にはポケベルが家族との非常用移動連

絡手段であった。それも十数年前の事に過ぎないが、太古の出来事のように思われる。

2010年1月 9日 (土)

ベンチャー

2010/1/9

ベンチャー

半導体産業は裾野が広い。その生産設備も高度な設備が必要だ。しかも、技術の進歩が早

い。生産設備の陳腐化も早い。従って、分業体制は不可欠である。各業種毎に技術と人材と

設備が必要になる。そこで、設備や資金を余り要しない開発設計分野に、技術とノウハウを

持つベンチャーが参入するチャンスがある。自分も半導体関連の仕事を続ける中で、ベンチ

ャー企業とのつき合いがいくつか生じた。開発・設計・生産もベンチャー企業との交渉で詳細

が決まる。従って、つき合いを始める段階から最後の製品の販売までが検討の対象になる。

そのベンチャー企業が今どうなっているのかは定かではない。アメリカではベンチャー精神が

旺盛で、ベンチャー企業家を支援するベンチャー資本家もいるようだ。しかし、日本でも脱サ

ラして会社を興した技術者とつき合った事もある。やはり、自分が信じた事業を立ち上げて

成功に導くのがベンチャーの醍醐味であろう。逆に会社の一員として、そのような仕事に関

係する場合は立場は異なるが、自分としても新しい仕事をさせてもらう機会になり、その仕事

がうまくいった事例は強く記憶に残っている。契約交渉も本音を探り、本音を言う事から始ま

る。こちらから提示する条件に魅力が無ければベンチャーは次の相手を捜して去ってしまう。

しかし、得体のしれないベンチャーとつきあい始めると悔いを残す可能性もある。

ベンチャーにはリスクが付き物ではあるが、自分とベンチャーのつき合いは概ね順調であっ

たと思う。ある時は、資金がショートしてしまうと苦境を訴えられた事もある。相手方が出張で

来社して、そんな話を聞く時は、旅費・食費等ポケットマネーを持ち出していたのかもしれない

と思ったりした。そういう話を聞くと絶対に成功させねばと思った事もある。ベンチャーとの仕

事がうまく行った基本は技術者として、人間として信頼しあえる人物に巡り会えたからではな

いかと思っている。

2010年1月 8日 (金)

マネージメントゲーム

2010/1/8

マネージメントゲーム

会社生活で何か役が付きそうになった頃に行われた研修にマネージメントゲームというのが

あった。平社員の場合は自分の仕事をつつがなくこなす事が第一優先である。しかし、何か

の役職に就くと、人、物、金、組織等の全体的な活用が課せられることになる。それを一種の

製造業のシュミレーションのようなゲームに仕立てて経営管理のトレーニングをさせたのがマ

ネージメントゲームであったと思う。ゲームのメンバーは数人で、各人が経営者になり、市場

から資材を購入して、生産した物を市場で売る。市場や各経営者の動きを観察して自分の

手を決める。利益の高い順位でゲームの勝者が決まる。ゲームの成績はいつも下位であっ

たが、市場経済を理解する手頃なゲームではあったと思う。作れば売れるという経済の高度

成長期にはふさわしいゲームであったかもしれない。しかし、会社組織が余りにも大きくなり

すぎると、組織と意志決定が細かく分断されて人・物・金が勝手に動き出し統制がとれなくな

る。高度成長期に水膨れした体質を強化するという目的で選択と集中とか本業への復帰等

が叫ばれたがそれは一面現実のマネージメントの対応の遅れを示していたのではないかと

思われる。残念ながらマネージメントゲームには物はあったが、人(サービス業)、金(金融

業)、組織(事業創出)という要素が欠けていたようだ。体力のあった企業は一斉に本業以外

の未経験な事業に進出しようと試みた。退職する頃は経営においてリスクマネージメントとい

う言葉がますます真実味を帯びる経済状況となった。しかし、どうもリスクマネージメントゲー

ムは経営にはなじまないようだ。リスクは例外で非定常な事が多い。従ってリスクは本業の

中のコストの一部に過ぎないという考えも成り立つかもしれない。おりこみ済みのリスクの類

である。まさかの、想定外のリスクもある。ゲームは仮想だが、リスクは仮想ではなく現実だ

というのが実状かもしれない。双六遊びでも何歩か下がるという場所があった。それがリスク

なら、その場所に当たらないようにサイコロを振ったことがあったろうか。どうも上がる事に頭

が一杯で、何が最高のサイコロの目の出方か考えるゆとりが無いのが人の常であるようだ。

2010年1月 7日 (木)

体育の授業:100107。

心象の足跡:残照雑記:老人の寝言:体育の授業(改題):鬼の大松の『なせば成る』と抗命の佐藤幸徳中将;嗚呼日本 逃げて隠れて する悪事。171028。=再編集記事へのリンク

追記(2018/01/17):タイトルに日付を追加


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2010年1月 7日 (木)
20010/1/7

体育の授業

自分が受けた公的集団教育は幼稚園から大学までであった。体育には実技と理論があった

と思うがどちらも生半可で過ごしたような記憶しかない。幼稚園の遊戯なども体育の一部と見

なせるであろう。とくに教科らしき物はないのが何よりだ。ところが、大学でも体育の授業があ

ってびっくりした。体育の授業で記憶に残っているのは、身体は適度に鍛えればその機能は

向上するが過度に鍛えれば故障の原因になるというようなことのみである。逆に鍛えなけれ

ば、機能は衰える。これが、トレーニングの原則かもしれない。しかし、その後科学的に解明

されてきた理論も多いのではないかと思う。スポーツで合理的に最高の体力・能力を発揮す

るためのスポーツ科学等は最近相当進歩しているのではないかとと思う。日本の女子バレー

が強かったのはもう数十年前の事だった。あの、鬼の大松と呼ばれた大松監督の『おれにつ

いてこい!』『なせば成る』という言葉が流行った。自分には当時、これが過度な精神主義と写

った。しかし、WIKIPEDIAの大松博文の項を見ると「昭和16年(1941年)に陸軍に召集され、

中国・ビルマ・ラバウルを転戦する。中隊指揮官を務めた際、自分より年配の兵士が指揮に

従ってくれるよう、自ら率先して行動をとった。その後第31師団下に配属され、インパール作

戦に従軍。「白骨街道」とも呼ばれる悲惨な戦場からの数少ない生還者の一人でもある。こ

れら経験が、彼の性格を大きく変える出来事となった。」とあった。今日、インパール作戦の

事を知る人も少ない。インパール作戦で軍法会議で極刑を覚悟の上、陸軍で初めて軍の命

令に背いて、部隊を退却させ、部下の兵士が白骨になるのを阻止したのが佐藤幸徳中将。

父はノモンハン事件の時佐藤幸徳少将の部下であり、戦後にも軍隊生活を語ることの少な

かった父であったが、佐藤幸徳という人は立派な方だったと言うのを良く聞いた。ところが、

WIKIPEDIAの佐藤幸徳の項に、「1944年のインパール作戦では、第31師団長(「烈」)として

参加する。」とあった。そうであれば、大松監督は中隊長として、師団長佐藤幸徳を知るべき

立場にあった筈である。旧日本陸軍では主な編制単位に「総軍」、「方面軍」、「軍」、「師

団」、「旅団」、「連隊」、「大隊」、「中隊」、「小隊」、「分隊」があったとの事であり、組織から見

れば、部下でもあり部下を持つ身でもあった。数少ないインパール作戦の戦場からの生還者

であったと言うと佐藤幸徳の抗命も大松監督生還の一因であったかも知れない。戦場で部下

を動かす事は大変であろう。部下は上官の全てを冷静に見守って自分の行動を決める事で

あろう。『おれについてこい!』『なせば成る』という言葉を凡人が吐いても響かない。思うに、各

界のリーダーも自分の利害得失に執着せずに捨て身の覚悟で『おれについてこい!』『なせば

成る』と率先垂範すればその集団も活力を持って生き返るのではないか。最後の勝敗と生死

を決めるのに精神力も不可欠であるに違いない。ともかく、実際のスポーツ、教育や人生等

の場面では見える体力はもてはやされるが、見えない胆力には関心が集まらない。

2010年1月 6日 (水)

おばあちゃん子

20010/1/6

おばあちゃん子

Google検索:

おばあちゃん子 に一致する日本語のページ 約 1,080,000 件中 1 - 20 件目 (0.08 秒)

おじいちゃん子 に一致する日本語のページ 約 1,910,000 件中 1 - 20 件目 (0.28 秒)

年寄り子 に一致する日本語のページ 約 3,570,000 件中 1 - 20 件目 (0.31 秒)

おばあちゃん に一致する日本語のページ 約 5,310,000 件中 1 - 20 件目 (0.10 秒)

おじいちゃん に一致する日本語のページ 約 3,460,000 件中 1 - 20 件目 (0.40 秒)

子 に一致する日本語のページ 約 35,400,000 件中 1 - 20 件目 (0.34 秒)

少子高齢化 に一致する日本語のページ 約 1,700,000 件中 1 - 20 件目 (0.33 秒)

家族の中での子供の立場はその時代により異なる。個々の子供の立場からは男女や長幼によっても異なる。自分はおばあちゃん子と言われたが、そう言う立場に居たのはやむを得ぬ事情としか言いようがないのかも知れない。

曲書き、ピアノ弾きの日々見聞録というBLOGのおばあちゃん子&年寄り子は三文安いという記事が目に入った。おばあちゃん子&年寄り子は三文安いということわざは余り耳にした事はなかったが、それなりに納得できるような気がした。

幼少時に過保護に育てられるので、欲や機敏さに欠ける。それを経済的に評価すれば、おばあちゃん子&年寄り子の株価は人の動きを読んでさっさと身の振りを決める子供より低いという事だろうか。

ともかく、子育ても、子供の社会関係も、その子供である当人が勝手に選べる事ではない。自分が生まれたときには、曾祖父と祖父は既にいなかったが、曾祖母と祖母は健在であった。農家なので、元気で働ける者は自分の仕事があった。

大家族の中に子供が何人もいた。結局、次子が生まれてからは、自分の面倒は戦力外の曾祖母の役になった。自分もよちよち、曾祖母も腰を曲げてよちよちというという老幼相親しむ風景の中で育った。

逆に子育てに追われる母は遠い存在になった。同じ時期、祖母も終戦前後の医療不全で嫁ぎ先で両親を失った孫を引き取って子育てをするという重責を負っていた。従って、自分には祖母も甘えられる存在ではなかった。

今、終戦直後の我が家の子育て風景を振り返ると、曾祖母も、祖母も、母も各自子育てという役割を持って子供達を育ててくれていた。

そんな事を考えつつGoogleでいくつかのキーワードで検索して見た。ヒット数ではおじいちゃん子がおばあちゃん子を上まった。おじいちゃん、おばあちゃんという単独キーワードではおばあちゃんがおじいちゃんを引き離している。これが現在を反映しているデータかもしない。

大学一年生になって、あるクラブに入ったが、何人かの先輩が自分がおばあちゃん子であると直ぐわかったようだ。しかし、それ以後はおばあちゃん子を意識する事はほとんど無くなったが、今でも性格のどこかにそのような傾向が潜んでいるのかもしれない。

ともかく、幼少時は自分を育てをしてくれる人が、頼りになる。これは一種の刷り込み現象かも知れない。自分も、喧嘩をした時などは、曾祖母の所に逃げ込んだ。そうすると、曾祖母は喧嘩の相手を追っ払ってかばってくれた。自分には頼りになる存在が祖母ではなく曾祖母であった。

曾祖母はその頃80歳代で既にある程度もうろくしていたのかも知れない。自分の姿が見えなくなると名前を呼んで探し回った。自分と同じようにお漏らしもしていたようだ。そんな状態でも曾孫を可愛がってくれたし、それが生き甲斐になっていたようだ。

そんな曾祖母を思いだしたのが、既に還暦を過ぎてからであり、申し訳がないが、有り難いことであった。少子高齢化でおばあちゃん子等の言葉が死語になってしまうのであろうか。

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追記(2017/10/23):久しぶりに過去記事を読んだ。書いた時、ブログの枠に合わせて文の整形をしていた(Enterで区切った)ので、表示サイズを変えると非常に読みにくい。もう一度、清書して読み直す。7年前のBLOG開始直後から見れば、書き方も上達したようだ。隙間の多いBLOG記事を印字すると用紙が多くかかる。そこで、文字や文を詰めて書いていたが、電子文書では、読みやすさを第一優先にすべきだろう。

ついでにGoogleでキーワード「おばあちゃん子」を検索=約 761,000 件 (0.41 秒) (当時=約 1,080,000 件)。「おばあちゃん子」などは先々死語になってしまうか。少子高齢化 =約 1,130,000 件 (0.38 秒) (約 1,700,000 件)。Googleがヒット数を控えめに表示するようになった?

Googleでキーワード「おばあちゃん子」を検索

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以下は作成時のまま
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20010/1/6

おばあちゃん子

Google検索:
おばあちゃん子 に一致する日本語のページ 約 1,080,000 件中 1 - 20 件目 (0.08 秒)
おじいちゃん子 に一致する日本語のページ 約 1,910,000 件中 1 - 20 件目 (0.28 秒)
年寄り子 に一致する日本語のページ 約 3,570,000 件中 1 - 20 件目 (0.31 秒)
おばあちゃん に一致する日本語のページ 約 5,310,000 件中 1 - 20 件目 (0.10 秒)
おじいちゃん に一致する日本語のページ 約 3,460,000 件中 1 - 20 件目 (0.40 秒)
子 に一致する日本語のページ 約 35,400,000 件中 1 - 20 件目 (0.34 秒)
少子高齢化 に一致する日本語のページ 約 1,700,000 件中 1 - 20 件目 (0.33 秒)

家族の中での子供の立場はその時代により異なる。個々の子供の立場からは男女や長幼

によっても異なる。自分はおばあちゃん子と言われたが、そう言う立場に居たのはやむを得

ぬ事情としか言いようがないのかも知れない。曲書き、ピアノ弾きの日々見聞録というBLOG

のおばあちゃん子&年寄り子は三文安いという記事が目に入った。おばあちゃん子&年寄り

子は三文安いということわざは余り耳にした事はなかったが、それなりに納得できるような気

がした。幼少時に過保護に育てられるので、欲や機敏さに欠ける。それを経済的に評価すれ

ば、おばあちゃん子&年寄り子の株価は人の動きを読んでさっさと身の振りを決める子供よ

り低いという事だろうか。ともかく、子育ても、子供の社会関係も、その子供である当人が勝

手に選べる事ではない。自分が生まれたときには、曾祖父と祖父は既にいなかったが、曾祖

母と祖母は健在であった。農家なので、元気で働ける者は自分の仕事があった。大家族の

中に子供が何人もいた。結局、次子が生まれてからは、自分の面倒は戦力外の曾祖母の役

になった。自分もよちよち、曾祖母も腰を曲げてよちよちというという老幼相親しむ風景の中

で育った。逆に子育てに追われる母は遠い存在になった。同じ時期、祖母も終戦前後の医

療不全で嫁ぎ先で両親を失った孫を引き取って子育てをするという重責を負っていた。従っ

て、自分には祖母も甘えられる存在ではなかった。今、終戦直後の我が家の子育て風景を

振り返ると、曾祖母も、祖母も、母も各自子育てという役割を持って子供達を育ててくれてい

た。そんな事を考えつつGoogleでいくつかのキーワードで検索して見た。ヒット数ではおじい

ちゃん子がおばあちゃん子を上まった。おじいちゃん、おばあちゃんという単独キーワードで

はおばあちゃんがおじいちゃんを引き離している。これが現在を反映しているデータかもしな

い。大学一年生になって、あるクラブに入ったが、何人かの先輩が自分がおばあちゃん子で

あると直ぐわかったようだ。しかし、それ以後はおばあちゃん子を意識する事はほとんど無く

なったが、今でも性格のどこかにそのような傾向が潜んでいるのかもしれない。ともかく、幼

少時は自分を育てをしてくれる人が、頼りになる。これは一種の刷り込み現象かも知れな

い。自分も、喧嘩をした時などは、曾祖母の所に逃げ込んだ。そうすると、曾祖母は喧嘩の

相手を追っ払ってかばってくれた。自分には頼りになる存在が祖母ではなく曾祖母であった。

曾祖母はその頃80歳代で既にある程度もうろくしていたのかも知れない。自分の姿が見えな

くなると名前を呼んで探し回った。自分と同じようにお漏らしもしていたようだ。そんな状態で

も曾孫を可愛がってくれたし、それが生き甲斐になっていたようだ。そんな曾祖母を思いだし

たのが、既に還暦を過ぎてからであり、申し訳がないが、有り難いことであった。少子高齢化

でおばあちゃん子等の言葉が死語になってしまうのであろうか。

2010年1月 5日 (火)

内弁慶

2010/1/5

内弁慶

内と外を意識するのが日本人の伝統的性格なのであろうか。戦後の日本人論ではベネディ

クトの菊と刀が大きな話題になった。西洋は罪の文化、日本は恥の文化と位置づけたよう

だ。西洋、日本を問わず人間が社会生活をしてゆく以上社会のなかに何らかの規律が生ま

れてくるのであろう。基本的にはそのような規律は普遍的な意味をもち、罪も恥も簡単に割り

切れないのではないか。確かに西洋人は自己主張が強い一面があるようだ。ともかく、卵を

食べる場合でも、料理の仕方にこだわる。やはり、一番先が優位なのか。皆が違う料理法を

指定するわけにはゆかない。結局、最後の方は誰かと同じ料理法を選ばざるを得なくなる。

自己主張の最大の要因はものの奪い合いだろう。それを、合理的に処理するには法令を定

めること。事件が起こっては既に遅いので教育を徹底すること。汝盗むなかれ。盗めばこうい

うことになる。罪と罰で社会を統制する。明治政府は西洋の文化までは輸入できなかった

が、民法、刑法という基本法制も輸入した。こんな事を最近になって知った。巨視的にみる

と、幕府という私立国家が明治維新という革命に倒れて、新しい立憲共和国が生まれた。外

国に対して日本国民を代表する国家が生まれたのである。自分が幼少の頃は内向的である

とよく言われた。これは、学校側の見解でもあった。家のなかでは内弁慶と言われた。要する

に家の中では威張り散らし、家の外では意気地がないと見られていた。しかし、今振り返って

みると、威張り散らしの威張るが自分の行動としてしっくり理解できないのである。確かに、何

か気に入らない事があれば、親や周辺に当たった事があったが、それは一種の反抗期の症

状に過ぎなかったのではないか。当時の親たちが児童心理等知る由も無かったろう。幼少年

期には親に反抗したりした事はあるが、薄々自分の将来を考えるようになり、父が親は子供

の肥やしや踏み台だとささやく意味が分かりかけた頃には内弁慶と言われることも無くなって

いた。しかし、学校では相変わらず、人前に立つのが苦手であった。そのくせは今日も残って

いる。雀百まで踊りを忘れずということであろうか。

2010年1月 4日 (月)

横文字好き;どや顔で 横文字使う 軽さかな。

2010/1/4

横文字好き;どや顔で 横文字使う 軽さかな。

最近はあらゆる場面に横文字が氾濫している。これは、最近の事ばかりではなく、海外から文物を導入してきた日本人の習性も関係しているのかもしれない。言葉を導入することは、その言葉に関連する意味、心象、行動、習慣、体系等も間接的に導入する準備にもなる。

卑近な例では保健医療サービス及び福祉サービスという言葉が、介護保健法に第一条に登場する:(介護保険法(平成九年十二月十七日法律第百二十三号))。母親の介護が必要になった頃、介護保険制度が実施されたので介護保険制度の運用開始直後から介護サービスという言葉を耳にしてきたと思う。

また、介護保険の利用を申請したとき、サービスという言葉に違和感を覚えたのも事実である。ところが、このサービスという言葉を純粋な日本語で説明すると何となく難しいのである。

サービスという言葉自体が日本語ではないかと言えばそれまでの話である。英語のSERVICEという概念が日本語に欠けているからサービスという言葉を使うのかという疑問でもある。

広辞苑の第一項に奉仕とある。奉はたてまつる、仕は仕事や労務という事であろう。要は仕事や労務をたてまつる主体側に立った言葉が奉仕であり、これはSERVICEの原義に近いのかもしれない。

欧米では兵役に従事するのも国家に対するサービス即ち奉仕であるようだ。SERVEという言葉自体が身体を張って仕えることを意味しているようだ。

ソノシートで聞いたケネディ大統領の就任演説の一節SERVEという語句があるのを思い出してネットで探した。

The energy, the faith, the devotion which we bring to this endeavor will light our country and all who serve it - and the glow from that fire can truly light the world.

ケネディは国民が国家の事業に奉仕するよう熱っぽく呼びかけたのである。ともかく英語のSERVICEにはその内実を支えるSERVEという動詞があるが、日本語となったサービスにはそれを内実を支える動詞を置き忘れているようでもある。

横文字のおいしい部分のつまみ食いのような感じがする。サービスするとは値引きしたり、おまけを付ける程度の意味に理解してしまう。横文字を使う事には良い所取りをする面があり、日本語で言ってしまうとまずいようなそれ以外になにか隠された意味があるかのように感じてしまう。

使われた横文字自体が、目新しく、それを使うと優越感を覚え、本音は便宜的で使い捨てのような使う側の意識も反映しているようにも感じる。

要するに、日本語は横文字に頼らなければならない位貧弱なのか。横文字を使って得々とする姿をみると言い換えの能力しかないのかとうんざりする事が多い昨今ではある。

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追記(2017/10/25):整形、再読、印象;

Googleにてキーワード「ケネディ」で本サイト内を検索

ざっそう句;どや顔で 横文字使う 軽さかな。

YOUTUBE:「Jan. 20, 1961: Inaugural Ceremonies for John F. Kennedy(https://www.youtube.com/watch?v=MdG1kcEAsX0)。(U.S. Presidential Inauguration
2012/12/21 に公開;視聴回数 62,736 回)」(YOUTUBEのJan. 20, 1961: Inaugural Ceremonies for John F. Kennedyへのリンク

トランプ米大統領、JFK暗殺の機密文書を公開の意向 CNN Japan · 1日前」とか。

日本は記録が無い闇国家になるのか。

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200/1/4

横文字好き

最近はあらゆる場面に横文字が氾濫している。これは、最近の事ばかりではなく、海外から

文物を導入してきた日本人の習性も関係しているのかもしれない。言葉を導入することは、

その言葉に関連する意味、心象、行動、習慣、体系等も間接的に導入する準備にもなる。卑

近な例では保健医療サービス及び福祉サービスという言葉が、介護保健法に第一条に登場

する:(介護保険法(平成九年十二月十七日法律第百二十三号))。母親の介護が必要にな

った頃、介護保険制度が実施されたので介護保険制度の運用開始直後から介護サービスと

いう言葉を耳にしてきたと思う。また、介護保険の利用を申請したとき、サービスという言葉

に違和感を覚えたのも事実である。ところが、このサービスという言葉を純粋な日本語で説

明すると何となく難しいのである。サービスという言葉自体が日本語ではないかと言えばそれ

までの話である。英語のSERVICEという概念が日本語に欠けているからサービスという言葉

を使うのかという疑問でもある。広辞苑の第一項に奉仕とある。奉はたてまつる、仕は仕事

や労務という事であろう。要は仕事や労務をたてまつる主体側に立った言葉が奉仕であり、

これはSERVICEの原義に近いのかもしれない。欧米では兵役に従事するのも国家に対する

サービス即ち奉仕であるようだ。SERVEという言葉自体が身体を張って仕えることを意味し

ているようだ。ソノシートで聞いたケネディ大統領の就任演説の一節SERVEという語句があ

るのを思い出してネットで探した。

The energy, the faith, the devotion which we bring to this endeavor will light our country and all who serve it - and the glow from that fire can truly light the world.

ケネディは国民が国家の事業に奉仕するよう熱っぽく呼びかけたのである。ともかく英語の

SERVICEにはその内実を支えるSERVEという動詞があるが、日本語となったサービスには

それを内実を支える動詞を置き忘れているようでもある。横文字のおいしい部分のつまみ食

いのような感じがする。サービスするとは値引きしたり、おまけを付ける程度の意味に理解し

てしまう。横文字を使う事には良い所取りをする面があり、日本語で言ってしまうとまずいよう

なそれ以外になにか隠された意味があるかのように感じてしまう。使われた横文字自体が、

目新しく、それを使うと優越感を覚え、本音は便宜的で使い捨てのような使う側の意識も反映

しているようにも感じる。要するに、日本語は横文字に頼らなければならない位貧弱なのか。

横文字を使って得々とする姿をみると言い換えの能力しかないのかとうんざりする事が多い

昨今ではある。

2010年1月 3日 (日)

エポケー

2010/1/3

エポケー

哲学と言うと何か別世界のように感じてしまう。物事をつきつめて考えるのは人間の習性なのかもしれない。しかし、哲学などは大抵の人が敬遠してしまう。

高校の頃、吉田兼好が誰かに何か質問をしたが、答えられなくなったという事を徒然草に書いているのを読んだ事があるのを思い出した。

自分の幼少時に母に発した質問に、「かーちゃん、太陽は火かい、月は水かい。」というのがあったと母から聞いた記憶が残っている。そのような、質問を受けた大人は当惑して何とかその場をしのごうとする。大人に難問を投げかけた子供も大人の態度に失望して、同じ質問は憚るようになり、結局前の大人のような大人になる。

高校の頃、ベルグソンの笑いという薄い岩波文庫を電車の中で読んだ記憶がある。哲学者であるベルグソンと笑いというテーマの結びつきに興味があった。安くて携帯に便利というのが選書の第一理由であった。日本ならば謹厳居士である哲学者が笑いについて書く事もなかろうと、安直、皮肉な考えもあった。内容は既に忘れたが、著者のサービスなのか入り口近くに少しは笑える部分があった。

最近では、笑いを研究する学会が出来たようでそれなりに笑いの研究の意義があるのだろう。哲学とはあるテーマに関して未知の分野を解明する作業といえるのではないか。これは哲学でござるといった所でその哲学は終焉している。

当然笑いについても突き詰めれば未知の分野が広がっている。残念ながら、人間の生きた精神作用を解明するためには、生きた精神作用を利用する以外に方法がない。ドリルの歯をつくるのにドリルが使えるのか。

東京スカイツリーの建設も自分が築いた足場の上で作業して一歩ずつ前進する。しかし、何らかの事情でその工程が進められない場合が生じる。そんな場合、一時停止、休止して括弧に入れておくことをエポケーと言うらしい事を知った。

何事も行き詰まる事は無いとはいえない。しかし、行き詰まって、悪あがきするよりも、一時停止・一服して、反省、レビュー、再評価、検証等のやり直しをすると意外にうまくゆく場合があるようだ。

括弧、括弧と何重にも括弧でくくって来た人生。捨てないで良かったと思うものもあるだろう。そんな括弧を少しでも取り払ってつん読の古本でもじっくり読んでみたい。

そういえば、本日は遠方の旧友から電話をもらった。うれしい。昨年退職したが、今後はマイペースで働きたいという事であった。一方、近所の同級生の訃報を聞いた。まだ、そんな年齢でもないのにと残念に思う。

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追記(2017/10/24):整形、再読、印象;

Googleにてキーワード「東京スカイツリー」で本サイト内を検索

Googleにてキーワード「笑い」で本サイト内を検索

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2010/1/3

エポケー

哲学と言うと何か別世界のように感じてしまう。物事をつきつめて考えるのは人間の習性な

のかもしれない。しかし、哲学などは大抵の人が敬遠してしまう。高校の頃、吉田兼好が誰か

に何か質問をしたが、答えられなくなったという事を徒然草に書いているのを読んだ事がある

のを思い出した。自分の幼少時に母に発した質問に、「かーちゃん、太陽は火かい、月は水

かい。」というのがあったと母から聞いた記憶が残っている。そのような、質問を受けた大人

は当惑して何とかその場をしのごうとする。大人に難問を投げかけた子供も大人の態度に失

望して、同じ質問は憚るようになり、結局前の大人のような大人になる。高校の頃、ベルグソ

ンの笑いという薄い岩波文庫を電車の中で読んだ記憶がある。哲学者であるベルグソンと笑

いというテーマの結びつきに興味があった。安くて携帯に便利というのが選書の第一理由で

あった。日本ならば謹厳居士である哲学者が笑いについて書く事もなかろうと、安直、皮肉な

考えもあった。内容は既に忘れたが、著者のサービスなのか入り口近くに少しは笑える部分

があった。最近では、笑いを研究する学会が出来たようでそれなりに笑いの研究の意義があ

るのだろう。哲学とはあるテーマに関して未知の分野を解明する作業といえるのではない

か。これは哲学でござるといった所でその哲学は終焉している。当然笑いについても突き詰

めれば未知の分野が広がっている。残念ながら、人間の生きた精神作用を解明するために

は、生きた精神作用を利用する以外に方法がない。ドリルの歯をつくるのにドリルが使える

のか。東京スカイツリーの建設も自分が築いた足場の上で作業して一歩ずつ前進する。しか

し、何らかの事情でその工程が進められない場合が生じる。そんな場合、一時停止、休止し

て括弧に入れておくことをエポケーと言うらしい事を知った。何事も行き詰まる事は無いとは

いえない。しかし、行き詰まって、悪あがきするよりも、一時停止・一服して、反省、レビュー、

再評価、検証等のやり直しをすると意外にうまくゆく場合があるようだ。括弧、括弧と何重に

も括弧でくくって来た人生。捨てないで良かったと思うものもあるだろう。そんな括弧を少しで

も取り払ってつん読の古本でもじっくり読んでみたい。そういえば、本日は遠方の旧友から

電話をもらった。うれしい。昨年退職したが、今後はマイペースで働きたいという事であった。

一方、近所の同級生の訃報を聞いた。まだ、そんな年齢でもないのにと残念に思う。

2010年1月 2日 (土)

記憶と記録

2010/1/2

記憶と記録

ブログを書き始めて一年半程度になった。自分の記憶に残っているささいな事の備忘録のように感じる。記憶を海に浮かんだ氷山にたとえれば、海面以下に多くの記憶が眠っているのかもしれない。これを上手に読み出す方法があるのか。

ブログ画面の片隅に検索機能があるのに最近気付いた。古墳に関しては、少し興味があるがあるのでこのキーワードで検索したら10件程度ヒットした。それなら記憶はどうかと検索すると数えたくない位多い。

ともかく、記憶というもやもやしたものも文字という記号に変換してしまうとコンピュータの扱えるデータになってしまう。ともかく、人間の頭脳に蓄えられた記憶も多くの細胞が仕事をした結果が蓄えられているに過ぎない。それを何らかの手段で掘り起こすのが記憶の読み出しだ。

この読み出しの確実度は消滅過程という時間との勝負である。それを何らかの読み出し可能な形に固定する事が記録なのかも知れない。古墳も古代人が残した記録かもしれない。残念だが現代人はそれを読む能力が減退してしまったのかもしれない。

文字列で作られた今日の記録も未来の人類が十分に読みとれるか不明だ。それは今でも言えることかもしれない。現在作られつつある記録も捨てられずに拾い上げられたものが運良く残っただけのようでもある。

日々衰えつつある記憶力。いつダウンするか不安のあるセレロン400Mの老骨パソコン。室温7℃の正月早朝、油ぎれのようなファンかCD-ROMか、FDか、メカ部分のきしむ音を発しつつ無事立ち上がった。本体が暖まったのかこのきしみ音もおさまる。

パソコンの中のデータを調べると、中古パソコンとして我が家に来たのが2004年頃だ。買い換え等で既にその頃見放されたパソコンだろう。このパソコンも最近では何か自分の分身のような感じがしないでもない。与えられたブログスペースはまだ1%以下しか使っていない。このスペースが老骨パソコンの外部記憶のようにも感じる。

まだまだ捨てた物ではないのかも知れない。ひょっとしたら、まだ使われていない能力がこの老骨パソコンの中で眠っているのかも知れない。それは自分自身にも通じることかもしれない。

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追記(2017/10/24):整形と再読と印象
現在のノートパソコンのCPUはX86-based PC、x64 Family 6 GenuineIntel ~1067 Mhzのようで、メモリー2Gを積んでいる。2004年頃から現在まで、パソコンは何代も代わった。森友学園、加計学園問題等々で、国家と役人・政治家は記憶と記録を残そう・公開しようとする努力を完全に放棄したかに見える。まさに痴呆大国日本の出現だ。過去の記憶も記録も無い国家・人物等は想像する事さえできなくなる。同様に完全無欠もあり得ない。現在、BLOG使用可能容量の3/4程度が未使用で残っている。
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2010/1/2

記憶と記録

ブログを書き始めて一年半程度になった。自分の記憶に残っているささいな事の備忘録のよ

うに感じる。記憶を海に浮かんだ氷山にたとえれば、海面以下に多くの記憶が眠っているの

かもしれない。これを上手に読み出す方法があるのか。ブログ画面の片隅に検索機能があ

るのに最近気付いた。古墳に関しては、少し興味があるがあるのでこのキーワードで検索し

たら10件程度ヒットした。それなら記憶はどうかと検索すると数えたくない位多い。ともかく、

記憶というもやもやしたものも文字という記号に変換してしまうとコンピュータの扱えるデータ

になってしまう。ともかく、人間の頭脳に蓄えられた記憶も多くの細胞が仕事をした結果が蓄

えられているに過ぎない。それを何らかの手段で掘り起こすのが記憶の読み出しだ。この読

み出しの確実度は消滅過程という時間との勝負である。それを何らかの読み出し可能な形

に固定する事が記録なのかも知れない。古墳も古代人が残した記録かもしれない。残念だ

が現代人はそれを読む能力が減退してしまったのかもしれない。文字列で作られた今日の

記録も未来の人類が十分に読みとれるか不明だ。それは今でも言えることかもしれない。現

在作られつつある記録も捨てられずに拾い上げられたものが運良く残っただけのようでもあ

る。日々衰えつつある記憶力。いつダウンするか不安のあるセレロン400Mの老骨パソコ

ン。室温7℃の正月早朝、油ぎれのようなファンかCD-ROMか、FDか、メカ部分のきしむ音

を発しつつ無事立ち上がった。本体が暖まったのかこのきしみ音もおさまる。パソコンの中の

データを調べると、中古パソコンとして我が家に来たのが2004年頃だ。買い換え等で既にそ

の頃見放されたパソコンだろう。このパソコンも最近では何か自分の分身のような感じがしな

いでもない。与えられたブログスペースはまだ1%以下しか使っていない。このスペースが老

骨パソコンの外部記憶のようにも感じる。まだまだ捨てた物ではないのかも知れない。ひょっ

としたら、まだ使われていない能力がこの老骨パソコンの中で眠っているのかも知れない。そ

れは自分自身にも通じることかもしれない。

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嗚呼 伊勢崎 非情

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)