方丈記随読3:いとしきもの
2010/2/28
方丈記随読3
「それ 人の友たるものは富めるをたふとみ、ねんごろなるを先とす。かならずしも情あると、すぐなるとをば愛せず、たゞ絲竹花月を友とせむにはしかじ。人の やつこ たるものは 賞罰のはなはだしきを顧み、恩の厚きを重くす。更には ごく み あはれぶといへども、やすく閑なるをば ねがはず、たゞ我が身を奴婢とするにはしかず。もし なすべきことあれば、すなはちおのづから身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりはやすし。もしありくべきことあれば、みづから歩む。くるしといへども、馬鞍牛車と心をなやますにはしか(二字似イ)ず。今ひと 身をわかちて。二つの用をなす。手のやつこ、足ののり物、よくわが心にかなへり。心また身のくるしみを知れゝば、くるしむ時はやすめつ、まめなる時はつかふ。つかふ とても たびたび過さず、ものうし とても 心をうごかすことなし。いかに いはむや、常にありき、常に働(動イ)くは、これ養生なるべし。なんぞいたづらにやすみ居らむ。人を苦しめ人を惱ますはまた罪業なり。いかゞ他の力をかるべき。』」
人付き合い、友人論を述べているようだ。情があって、率直であるだけでは、わずらわしいだ
けで、愛せない。それより、友人は豊で丁寧だが気楽につき合えた方が良い。だが、気楽に
楽器や花鳥風月の自然を友とするに及ばない。あえて、乗り物等も気にしない。身体の調子
に合わせて歩き、手足をこまめにつかえば、養生にもなる。他人の力を借りずに、増して人
に迷惑もかけずに自力で生活するのが最高ではないか。自己流に読んでいるかも知れな
い。最近、自分も長明さんと同じ様な心境になってきたようにも思う。ちょっと出かけるとき
は、子供が通学に使った古自転車を使う。ちょっと、気分に応じて遠回りをする。面白い被写
体があるとデジカメでパチ。ここで、富めるとはどんな情景か。貧ならずという感じか。ともか
く、貧なる友には何かと気を使うだろう。高校時代に貧交行を学んだと思う。貧は富への上昇
のバネか。社会が階層化されてしまうと、人間のつき合いも何かと同一階層のつき合いが多
くなってしまうだろう。長明さんはどんな貧を見ていたのか。ところで、「人の やつこ たるも
のは 賞罰のはなはだしきを顧み、恩の厚きを重くす。」とはどういう意味か。長明さんの考え
か。しもべたちは信賞必罰に処し、恩賞の厚い者は重用すべきという事か。人とはしもべが
つかえる上位の人と解釈すれば、お上に使えるしもべたちは、賞罰も誰にでもわかるよう顕
著に行うことを歓迎し、恩賞も手厚く施したいものだと述べているのか。長明さんは自分を人
になぞらえているのかやつこになぞらえているのか。ともかく、賞罰・恩賞は人生の最後まで
つきまとうのは、昔も今も変わりがないようだ。