方丈記切読2:いとしきもの
2010/2/27
方丈記切読2
誰しも、年齢を重ねると来し方行く末を考える。長明さんの自画像はこの部分か。祖先の大
きな家に住んだが、三十才台でその十分の一の家をかまえた。妻子がないとは新発見であ
った。しかし、これは少子化社会の現実の一面をも語っているようで胸にこたえる。「すべて
あらぬ世を念じ過ぐしつゝ、」とは若かりし時には、大志を抱いていたのか。「おのづから短き
運をさとりぬ」とは世を捨てた動機か。「家をいで世をそむけり」とは。ともかく、このような疑
問は既に研究され解明されていると思う。
「我が身、父の方の祖母の家をつたへて、久しく彼所に住む。そののち縁かけ、身おとろへて、しのぶかたがたしげかりしかば、つひにあととむることを得ずして、三十餘にして、更に我が心と一の庵をむすぶ。これをありしすまひになずらふるに、十分が一なり。たゞ居屋ばかりをかまへて、はかばかしくは屋を造るにおよばず。わづかについひぢをつけりといへども、門たつるたづきなし。竹を柱として、車やどりとせり。雪ふり風吹くごとに、危ふからずしもあらず。所は河原近ければ、水の難も深く、白波のおそれもさわがし。すべてあらぬ世を念じ過ぐしつゝ、心をなやませることは、三十餘年なり。その間をりをりのたがひめに、おのづから短き運をさとりぬ。すなはち五十の春をむかへて、家をいで世をそむけり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官祿あらず、何につけてか執をとゞめむ。むなしく大原山の雲にふして、またいくそばくの春秋をかへぬる。」
ともかく、公職や定職から去れば、物事はより客観的にみる事が出来る。しかし、その時は
既に現実的な影響力は失っている。長明さんは方丈記を残した事により、名前を残した。当
時は、こういう生き方が普通だったのか。社会保障という制度の無い時代である。余力を残
して老後を楽しむのも一つの生き方かもしれない。余力がなければ随筆どころではない。庵
を結ぶのは庶民以上の余力があったからできたのだろうか。