辞世:いとしきもの
2010/4/4
辞世
誠心(まごころ)は天知る地知る人も知る我死して後我も知るらん
昭和萬葉集3巻。二・二六事件 辞世の区分にあった短歌である。二・二六事件は日本人に
どのような影響を与えてきたのか。確かに、学校教育で教えた歴史が先ず脳裏に残っている
のであろう。自分は高校の時、日本史を選択から外した。母が神武天皇から歴代の天皇名
を暗記して、時にはその冒頭部分を復唱したのを聞くと複雑な感情を抱いた。日本史なら
ば、その気になればいつでも勉強できるだろうと楽観していた。年号を暗記するが苦手なの
は父譲りであったのかも知れない。ともかく、二・二六事件の歴史も義務教育で教えられた程
度で、余り鮮明な記憶がない。昭和萬葉集3巻の欄外に二・二六事件の解説があり、改めて
その概要を知った。教育とは教えられないものを学ぶ能力を身につけることが究極的な目的
であろう。日本の中で軍隊とはという問いかけに未だ統一的な国民合意が形成されていない
ように感じざるを得ない現実が今も続いている。この歌の作者は明治末の生まれ。二・二六
事件に係わったのはまだ二十才代であった。末尾の人名記事を検索すると結婚の直後に事
件が起きている。父も軍人という事である。そのような身の上の作者が残した辞世の歌で相
当の歳月を経てから発表されたようだ。獄中で作った歌のようである。我死して後我も知るら
んという後段に作者の心情が込められているように感じる。作者は二十代の軍のリートとして
先頭に立ったようだ。自分が本当の誠心(まごころ)を知るのは自分が死んでからなのだろう
と語る所から青年将校の複雑な心境が読みとれるようにも感じる。そのような可能性はすで
に絶たれているのは承知の上だろう。自分の行動を理解して欲しいという悲痛な叫びのよう
にもとれる。辞世はその作者の最後のメッセージであろう。それを感じ取るのは残された者
の役割だ。吉田松陰が処刑されたのが30才の時。その辞世の歌を調べてみた。
その辞世は: 身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂