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2011年10月

2011年10月21日 (金)

読みかじりの記:「キュウリのトゲはなぜ消えたのか ---サプライズな「野菜学」」 藤田 智 著 (2007年 株式会社学習研究社)

2011/10/21
昨日は曇り。区の行事に参加。その後タマリュウ改植の続き。タマリュウとその他の雑草を一緒にごそりと堀上げる。堀上げた物を裏側から見るとドクダミの根の張り具合が分かる。土を落としてタマリュウを分離する。密集している根を分解するとランナーで繁殖している。それを1株毎に切り、数株まとめて植え直した。蚊は少なくなっているが、まだ活動しているものがいる。動きの少ない作業をしていると気になる。

2011/10/20の天気

TAVE= 15.4
TMAX= 19.1
TMIN= 11.9
DIFF= 7.2
WMAX= 3.4
SUNS= 0
RAIN= 0

読みかじりの記:「キュウリのトゲはなぜ消えたのか ---サプライズな「野菜学」」 藤田 智 著 (2007年 株式会社学習研究社)

巻末の著者紹介によると著者は生活園芸及び野菜園芸学の教鞭をとっているとの事。副題が「サプライズな「野菜学」」なのだが、本題の方に先ず目を奪われて本書を手にした。「ナゼ」という疑問への回答はナイショ。ともかく農作物には人類の長い歴史が絡んでいる。農作物の原産地、原産地からの伝搬ルート、その経路途中での品種改良・品種の分化等の解明・解説は文明史にも通じる。日本では主食がコメで野菜は副食の地位に甘んじていたが、それはほとんど有史以来の事で、縄文時代、石器時代は何を食べていたのかと思う。自然の中の動植物を採取・捕獲して食料にしていた。それを、次第にヒトの管理下に置いてきた。さらにその管理品種の有用性を高めてきた。千年以上の間、科学的知識ではなく経験的知識で育種が行われてきた。遺伝学が実用化されて以来、科学的な育種が行われるようになった。そうして現在は遺伝子操作で育種が行われつつある。本書の話題も野菜の歴史やルーツの比率が高い。野菜の機能性、ビタミン、リコピンetcの発見や構造分析の歴史はせいぜい2~3百年しかない。特に野菜の機能性成分の研究史は極短いのではないか。そういう歴史をたどるだけでもサプライズは限りなくあるだろう。ともかく野菜は植物の家畜に相当する。ところがその家畜も現在では本物をみる機会は極少なくなっている。幸い野菜は生食の比率が高いのでその姿を見ることができる貴重な存在だ。しかし、一般消費者から見れば、生産現場も生産プロセスも直接見ることが困難になっているのは家畜と同じであろう。著者は「はじめに」で、「一人でも多くの人にやさいづくりの魅力を伝えたい」と述べている。本書をつまみ読みして、またヤサイに挑戦しようかとちょっと気持が動いた。「おわりに」でギャグお笑いを積極的に採用、つっこみが足りないだろうと述べている。確かにそのような点もあるが、人間、物を食べるのに頭で食べてしまう欠点がある。本書はその欠点を改良してくれるだろうか。ともかく野菜の魅力を伝えようとする熱意は伝わってきた。食の信頼性が揺らいでいるが、自分で作った野菜の信頼性は自分で分かる。野菜作りは「スローライフ」と、著者は「はじめに」で述べているが、本書はそこまで立ち入っていない。生鮮野菜を代用するジュースや錠剤に頼るのか、テマヒマかけて野菜を食べるのか。ビタミンがあるからヤサイを食べなさいが通用するのはその意味が分る年齢になってからだろう。それでは遅いのではないか。先日、もらった小松菜の根をつまんで除去し、包丁で2~3㎝に切って、軽く醤油もみにして食べたらみたら実に美味かった。ほんのり残る青臭さが青虫になった気分にさせる。かつて子育て用に作ったスローガンは「ヤサイ ヤマホド ウンチ モリモリ」であった。ヤサイを食べ・食べさせるにもウンチクが必要なようだ。

2011年10月20日 (木)

ざっそう句:ドクダミ

2011/10/20
昨日は曇り。やや涼しくなってきた。庭のタマリュウの植え替え。タマリュウがグランドカバーとして雑草を抑圧してきれいな緑が保てることを夢見ているが、そのような理想の姿への道のりは遠い。ちょっとした隙間が出来ればそこに雑草がはえる。最も手強いのがドクダミ。根をあちこちに張り巡らせる。根が弱いので抜くだけでは地中に根が残る。そんなわけで昨日は全部堀上げてドクダミや雑草の根を取り除いて再度植え直した。ドクダミも見方を変えれば可憐できれいな花だ。ドクダミとタマリュウの混植も面白いかもしれない。ドクダミの茎葉は冬枯れるので冬場はタマリュウが見えるが、草刈りは必要になりそうだ。ともかくしっかりしたグランドカバーが出来ていれば草刈りも楽だ。ドクダミの生命力が余りにも強いので田圃の端に抑草対策で植えてみた。結果は期待した程ではなかった。その原因を考えてみたが、そこに生えてくる雑草の方がその場所に適しているからではないかと思う。コンクリート歩道の北面で日陰になりやすい、北風が当たる等が原因かもしれない。ドクダミは南面の暖かい所ではコンクリートや石に沿って根を伸ばす。タマリュウも日陰には耐えるが、日陰では成長が遅くなる。グランドカバーも適材適所で使う必要があるようだ。ヤブランは耐陰性に優れたグランドカバーになりそうだ。キウイフルーツの下のヤブランは面積が増えつつある。

2011/10/19の天気

TAVE= 14.2
TMAX= 16.9
TMIN= 11
DIFF= 5.9
WMAX= 2.8
SUNS= 0.7
RAIN= 0

最低気温(℃)  10.5  23:31
最低気温(℃)  10.5  23:31

ざっそう句:ドクダミ

■ドクダミはスタミナ並の根っ子持つ
■目の敵気分変わればドクダミ茶
■ドクダミに陣地譲れば憂いなし
■棲み分けも適材適所馬鹿笑う
■ドクダミの天ぷらもあり食の道

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追記(2014/5/11): 「ざっそう句:ドクダミ(2011年10月20日 (木))」の記事がランキング10位に入った。ドクダミという植物は一言で言いにくい性格を持っている。記事に書いた通りだ。かつて、かみさんがドクダミ茶にこっていた。おかげで、そのおこぼれに与った。

WIKIPEDIA「ドクダミ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%AF%E3%83%80%E3%83%9F)」によれば、「クエルシトリン - 利尿作用、動脈硬化の予防作用」があるらしい。

かみさんは、ハーブとしてドクダミ茶を飲んだのか。それとも薬効を期待して飲んだのか。いつの間にか、ドクダミ茶は出なくなった。今じゃ、インスタントコーヒーをビンの底を叩いて直接カップへ入れている。おい、そりゃー何だ。

ところで、ドクダミのGoogle検索をしたら、今日は母の日。かわいらしいGoogleDoodleが検索窓の上に出ていた(下記画像=GoogleTOP PAGE/2014/5/11より引用)。かあちゃんドクダミ茶ありがとう。動脈硬化が心配だ。そろそろ、ドクダミ茶を再開しないか。

Mothersday2014international520043_4
昔の句を再読して大体の意味は分かったが、「棲み分けも適材適所馬鹿笑う」はどんな意味か分からなくなった。「馬鹿笑う」が問題だ。
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2011年10月19日 (水)

老人の寝言:庭木の手入れが大変だ。枯れても結構と大胆に手入れをしよう

2011/10/19
昨日は穏やかな晴天。気になっていた多行松の縮伐をした。植木は手入れをすればきれいだ。手入れが出来ないでいると殺風景になる。しかし、どんな樹木もないよりはましだ。

2011/10/18の天気

TAVE= 18.5
TMAX= 22.6
TMIN= 15.3
DIFF= 7.3
WMAX= 4.8
SUNS= 8.2
RAIN= 0

老人の寝言:庭木の手入れが大変だ。枯れても結構と大胆に手入れをしよう

広辞苑によると「多行松:赤松の一変種。分枝が甚だ多く矮性。庭木とする。」とある。現在の位置に父と移植したもの。ここ数年手入れをしていないので枝が密集して光が入らない。頂部優勢で頂部へ伸びて内側の枝葉は枯れてくる。今回は枯れない程度に大幅に縮伐してみる事にした。関係記事:04C_縮伐カット&トライhttp://af06.kazelog.jp/itoshikimono/04c_syukubatu_cut_and_try.html

最初は枯れ枝と枯葉を落とす。次ぎにノコギリが入るように剪定ばさみや小形ノコギリで枝を切る。太枝を間引く。樹形を考えて主枝を切りつめる。分岐した枝の一番太い枝を切る。小枝を切る。という作業手順。結果としてほとんど光が通らない状態から、向こう側の景色が見える状態になった。松葉とゴミが眼に入らぬよう麦わら帽子に防虫ネットをかぶりゴム手袋を使用。ゴム手袋は弾力性があるので最後に指に激痛が走ったので軍手に変更。何とか終わったが、切った枝の後かたづけも大変。脚立は6~7尺の中型を使用。針葉樹の縮伐を秋にするのは適期か分からないが、結果任せ。

樹勢が弱まり回復するまで時間が掛かれば掛かるほど手間暇が掛からないので結構。これは散髪と同じ。床屋に行くと髪の長さをどうするか最初に聞かれる。本当は短くと言いたいところを普通とか前と同じとか言ってしまう。我が家の庭木の手入れを自分でするにはその気兼ねがない。無理せず、体力等に合わせて楽しくできればそえで良いのではなか。

公園、庭園で手入れされている多行松はきれいである。我が家の多行松は畑の隅。オジサンが松のザラザラした表皮を落として地肌を出せば綺麗になると教えてくれたが実行できず。春に芽が出たとき摘んでやれば良いが、それが出来なければ棒でたたき落としても良いと言われた。棒の先にダンポールを付けた松の芽落とし用具を作ったがそれも使ったのは作った時のみ。庭木にも固定観念がありすぎる。その固定観念に縛られると維持管理に金と時間がかかってしまう。庭木は個人以上の寿命がある。数年前、この多行松の兄弟が貰われて行った。どこで生きているのだろと思ったりする。庭木は世代と世代をつなぐ記憶を貯蔵してくれる。大胆に、柔軟に、世間に惑わされずに庭木とつき合うのも面白いのではないか。

2011年10月18日 (火)

ざっそう句:秋の畑

2011/10/18
昨日は雲の多い晴天。過ごしやすい気温だった。AM柿木の下のシノ刈り。柿の木が数本。実なりの悪い渋柿がある。来年接木をしたい。殺草剤を散布したり、刈払機で刈ったりしているがまた伸びてきた。株元から細い茎が多く出て背丈は低くなっている。今回は鎌で刈った。柿の葉が落葉すると陽が当たり、光合成が盛んになる。気長に兵糧攻め。PMは柿を少し収穫。間引き菜を貰ったのでそのお返しに使った。夕方畑の蛇の目松の縮伐。何年か手入れをしていないので、枝が伸び放題。珍しい松なので枯らすより残す方を選択。今回は枯れてもやむなしと決断。上部の冠と株の枝を切り落とし、太い枝も思い切って抜いた。松を切るとヤニがでるので、もたもたしているとノコギリが重くなる。薄暗くなってから、エイヤーと思い切って切った。柿の枝に乗っていた雨蛙も冬眠の前でまるまる太っているように見えた。デジカメでその姿を撮っているとぴょんとポポーの葉に跳び移った。その距離をメジャーで測ると約60㎝。高度差は10数㎝で水平距離で50㎝程度跳んでいる。さて、疑問はなぜ跳んだのか、なぜ落ちなかったのか。柿の枝は茶色。ポポーの葉は緑。人間という敵の存在を認識して安全な方に逃げたと解釈できるが、本心はカエルに聞かないと分からない。WEBを調べてみると雨蛙の足には吸盤があるとの事だ。問題はかなりの距離と落差を跳んだので運動量を持っている。葉の上に着陸する時、カエルの吸盤はその運動量にうち勝つ吸着力を出さなければならない。そのための位置決め、タイミング等を考えるとカエルの能力もバカに出来ない。

2011/10/17の天気

TAVE= 19.7
TMAX= 24.1
TMIN= 15.1
DIFF= 9
WMAX= 6
SUNS= 5.3
RAIN= 0

ざっそう句:秋の畑

■雨蛙跳んで落ちない生きる芸
■姿変え今も踏ん張る畑の篠
■夕暮れてえいと縮伐蛇の目松
■早生ミカン色付く頃の試し食い
■カリカリと食味懐かし禅寺丸

2011年10月17日 (月)

ざっそう句:メダカの子

2011/10/17
昨日は曇り後晴れ。真夏日に近い夏日で気温が全国的に高かった一日だった。AMは町内行事。PMはS17区画除草。一瞬だが草が無くなり見通しが良くなった。メダカの容器を見たら水面に青粉が張っていた。藍藻類らしい。真夏には青粉はなかったと思う。

2011/10/16の天気

TAVE= 22.6
TMAX= 27.9
TMIN= 18.6
DIFF= 9.3
WMAX= 3.6
SUNS= 7.3
RAIN= 0

最低気温(℃)  18.4  23:56
最高気温(℃)  28.3  14:27

「藍藻;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%8D%E8%97%BB;(最終更新 2011年9月4日 (日) 03:44)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「藍藻(らんそう)はシアノバクテリア(藍色細菌)とも呼ばれる真正細菌の一群であり、光合成によって酸素を生み出すという特徴を持つ。単細胞で浮遊するもの、少数細胞の集団を作るもの、糸状に細胞が並んだ構造を持つものなどがある。また、ネンジュモなどの一部のものは寒天質に包まれて肉眼的な集団を形成する。」とある。

植物も動物も細胞に核を持つ生物で、その遠い祖先に当たるのが藍藻らしい。増殖や活動に適した温度や日照になると水面に浮かんでくるようだ。水面が綺麗になっていた時があった。藍藻は水底に沈んでいるのか。餌をやっても青粉があると青粉の上に乗っていて食べられない云々と思いつつ容器を覗くとボウフラのようにウヨウヨ動く物がいる。よく見るとメダカの子だった。親のメダカに食べられずにいるようだ。大きさは数㎜から10㎜程度。デジカメで写してみたら、それらしい物が写っているデータがあった。

ざっそう句:メダカの子

■メダカの子親より大きな世界見る
■知らぬ間にメダカ飼ってる暇な爺
■日溜まりの青粉の下は遊園地
■ああ日本メダカ大国でよかんべー
■生命のドラマが一杯ポリ容器

Medakano_ko

2011年10月16日 (日)

読みかじりの記:「堀江貴文のカンタン! もうかる会社のつくり方」 堀江貴文 著 (2004年 ソフトバンクパブリッシング株式会社)

2011/10/16
昨日は曇り。朝小雨。AM来客雑談。切れない鉈を振り下ろして竹きりをして疲れた云々とお互いに年だナーとか言い合うが、こちらはもっと頑張らなくてはとう年なのだが。PM宅内雑用。予想外に昨日収穫したサツマイモが食卓に上がった。薄く輪切りにしてその上にクリームチーズをのせて焼いたもの。ほくほくしてうまかった。昔の芋の食べ方。サツマイモ、ジャガイモは大体ふかして食べた。サツマイモは甘みがあるので何もつけない。ジャガイモは塩を付けて食べた。サトイモはゆでて醤油を付けて食べた。ジャガイモを焼き芋にして食べるのもうまかった。自分はサトイモをすべるいもと言って好物だったようだ。終戦後の食料が不足して贅沢が出来ない時代に、食い盛りだったので芋はご馳走のうちだった。紙芝居屋さんの思い出:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/12/post-591d.htmlで紙芝居もお金でなく、ジャガイモ等の現物を持って見せてもらった記憶もある。祖母は乾燥芋を作った。ゆでたサツマイモの皮をむき、口にくわえた木綿糸で薄く切っていた。それを蚕を飼う竹かごに敷いた新聞紙の上に並べて乾燥させた。これも一種の保存食である。時が経つと徐々に固くなる。その分口の中に滞留している時間が長くなる。飴のようにしゃぶった事もある。草むらの中に落ちていた蜂屋柿を食べた。こちらは膿ガキ。ウンダラガキと言っていた。熟柿も意外にうまい。妻曰く熟柿は年寄りの好物だ。それはもっともだ。

2011/10/15の天気

TAVE= 19.9
TMAX= 21.2
TMIN= 18.6
DIFF= 2.6
WMAX= 3.3
SUNS= 0
RAIN= 2

読みかじりの記:「堀江貴文のカンタン! もうかる会社のつくり方」  堀江貴文 著 (2004年 ソフトバンクパブリッシング株式会社)

本書の腰巻きに「年功序列も大企業信奉も間違っている! 儲かる会社を作って勝ち組になろう!」とある。本書の巻末に本書の著者の処女出版本「100億円稼ぐ仕事術(2003年)」の広告がある。そのキャッチコピーが「一日にメールを5000通さばく! 堀江貴文の驚異の仕事術がこの一冊に」とある。ともかく本書出版当時は著者の勢いは凄まじかった。

金融用語辞典は、「ITバブル;url=http://money.infobank.co.jp/contents/A100107.htm(更新日:20110317)」というタイトルで、「あいてぃーばぶる
 ITバブルとは、1990年代末に米国を中心に世界的な広がりを持ったバブル経済状況をいいます。パソコン・携帯電話およびその関連機器、コピー機やファックス機器などの事務用機器などに新製品が相次いで発表され、爆発的に普及したこと、さらには通信回線とコンピュータが結合した情報ネットワークの構築など、情報技術(Information Technology ; IT)に関連する産業が中核となり、その拡大・急成長が米国だけでなく世界経済全般の好況をけん引したところから「ITバブル」と呼ばれます。また、電子メールやインターネットがめざましく普及し、社会のあらゆる場面で情報化が一気に進展しました。」と解説している。

「失われた10年;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F10%E5%B9%B4;(最終更新 2011年10月9日 (日) 03:54)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「日本では1991年3月から2002年1月までの約11年間。本項で述べる。」、「日本における失われた10年はバブル景気崩壊後の1990年代前半から2000年代前半にわたる不況の時代を指す語である。平成不況(平成不況期)や複合不況とも呼ばれる。」、「1991年(平成3年)3月から始まった「失われた10年」(平成不況)は、1999年(平成11年)から新世紀にかけてのITバブルを経て、2002年(平成14年)1月を底とした外需先導での景気回復により終結した。」とある。

IT技術が世界経済を牽引したのも事実であろう。ITは情報の流通速度と流通量を飛躍的に高めた。特にコンピュータと通信網(インターネット)は情報の質と流れる方向の多様化を拡大した。IT技術はビジネスだけでなく生活のインフラになってきた。著者のビジネスがコンピュータと通信網を中心とするIT技術分野であった事が、まざまざと思い出される。

本書を読んだのは、S.Jobsの生涯と重ねて見たいという動機があった。S.Jobsは1955年-2011年、56才で死去。著者は1972年生まれだ。

「スティーブ・ジョブズ;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96%E3%82%BA#.E9.9D.92.E5.B9.B4.E6.9C.9F;(最終更新 2011年10月14日 (金) 14:05)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「幼少期 [編集];1955年、シリア人の政治学者、アブドゥルファター・ジャンダリとアメリカ人の大学院生ジョアン・シンプソンの間に生まれる。ジョアンの父が、シリア人であるアブドゥルファターとの結婚を認めなかったため[5]、誕生以前から、養子に出すことに決められていた。結果、スティーブはポール・ジョブズ、クラリス・ジョブズ夫婦に引き取られることになった。ジョアン・シンプソンは、ジョブズ夫婦が大学卒でないことを知り、養子縁組を躊躇したが、ジョブズ夫婦が彼を大学に進学させることを約束して、縁組が成立した。ジョブズが、実の母と再会するのは、彼が30歳を過ぎた頃である。作家のモナ・シンプソンは、彼にとって実の妹に当たる。」とある。

人格の原型の自我が形成されるのが幼年期である。S.Jobsの幼年期も必ずしも幸福ではなかったようだ。しかし、幼年期に形成された自我がその後のS.Jobsを作る基礎になっているとも思われる。目前の難問も障壁も、それを乗り越えてきたという自信がなければくじけてしまうだろう。強い自我の主張は、本来のナイーブな自我を守るのに役立つのではないか。ナイーブな自我を忘れてはならない。

S.Jobsと著者の仕事ぶりにも似た所があるようだ。しかし、似ているのと同じなのとは別物だ。仕事の対象がIT技術の中核であるコンピュータとインターネットであるのも似ている。

上記、WIKIPEDIAの「青年期 [編集];968年、ジョブズが13歳のとき、あこがれのヒューレット・パッカード社のビル・ヒューレットの自宅に電話をかける。ビル・ヒューレットはパロアルトに住んでいることを知っており、電話帳で調べてみたところ、パロアルトで、ビル・ヒューレットの名前で掲載されているものはひとつしかなかった。ジョブズが周波数カウンタの部品をくださいと言うと、部品をくれたばかりか、夏休みにアルバイトをしないかと持ちかけられた。もらった仕事は、ヒューレット・パッカードの支社で、周波数カウンタをつくっているところだったという[6]」とうい記事も興味がある。

ヒューレット・パッカード社は元々はヒューレットとパッカードという技術者が起業して作った計測器を作るベンチャー企業であった。ソニーの前身もこのような計測器を作る会社であったとの事だ。自分が入社して技術者として最初に使ったバルボル(真空管電圧計)とSG(信号発生器)もhp社製であった。hp社製計測器は価格は高くてもその信頼性は国産品を凌駕していた。S.Jobsが青年期に技術に目覚め、成功したベンチャー経営者と会った事はS.Jobsの生涯にも大きく影響したのではないか。

本書は著者の起業の経緯を記した本でもある。日本はベンチャー企業が育ちにくい風土であるとよく言われている。しかし、日本に商工業という事業が生まれたのも100年単位で考えればつい最近の事だ。そのルーツをたどれば必ず創業者がいる。本書に記された内容も特に新しさはないだろう。本書出版時点では、起業をして成功した実績から、起業をしやすい社会的風土を作る追い風になったとは思う。「一日にメールを5000通さばく!」とはかなりの誇張に感じた。凡人は寝ずに頑張ってもこれだけのメールはさばけないだろう。著者の会社の急膨張で人材・組織の脆弱性が気になった。組織については著者も本書で述べていたことだ。

米国ではXX_BROTHERS AND COMPANYかの会社名がある。hp社も創業者の名前を冠した社名である。社名も創業の精神も企業では大切な要因だろう。そういう点では、企業の人的側面は無視できないだろう。XX_BROTHERS AND COMPANYとかは日本の同族企業のようでもあるが、社名は人材はどうでも良いという会社には凝集力は生まれないのではないだろうか。その点、S.Jobsのアップルは何を教えてくれるのか。会社は利益追求第一というのも考えさせる。そこが若さか。会社も社会的存在として成長しなければならない。読み方では色々な事を教えてくれる本ではあろう。

今思うと、アップルはソフトを重視しているが、ハードを捨てていない。ハードとそれを実現する技術に信頼を寄せている点にアップルの特徴があるように思われる。その点著者のビジネスはハードや技術への信頼が薄いのではと感じた。バーチャルの度合いが高まるに連れビジネスも不安定になる要因が高まるのかもしれない。

2011年10月15日 (土)

ざっそう句:サツマ芋

2011/10/15
昨日は晴れ後曇り。雨は降らず。サツマを一部収穫。雨を期待して苗の移植をしようとしたが、竹やぶの東側を見て予定変更。植えた苗救出のため竹切りの続きをする。竹は竹やぶの周辺の方が元気だ。過密になっている竹やぶ本体の竹を切るのが根本対策だがそこまで手が回らない。今年竹が栄養分を溜め込んだので来年はタケノコが豊作になるかも。今年のサツマはマルチ床に作った。3株(端からA,B,C)堀上げた。マルチ床は除草の手抜きのため。それでもツルが伸びて雑草に勝つまで数回の除草が必要だった。後半はツルが勝って背丈の高いアメリカセンダングサやヒユ、アカザを除草する程度。メヒシバの被害は無かった。Aは芋の数が少なく、芋に太い亀裂が沢山は入っている。Bは芋の数も多く外皮もきれい。A,B共根本は太い。Cはツルがひょろひょろで元気がない。芋も細いのが数本あるのみ。3株でばらつきのサンプルが揃ってしまった。Cは太いツルが枯れた形跡があり生育不良が原因らしい。Aは逆に生育過多で芋の数が少ないので芋に蓄えた養分が多すぎて亀裂が入ったようだ。養分を 蓄える芋の数が少ないのも原因だろう。Cは廃棄。芋を洗ってみて、Aは水に沈むがBは浮かんだ。今回は苗を水挿しして発根してから植え付けた。買った苗の品質が良くないのもばらつきの一因だろう。苗半作という金言を実感する。さて食味はA,B対決となるが、Aの方がホクホクして美味いのではないかと予想。最初の元気の良いツルを発根させて2番つるのサツマも育っている。これはおまけで最後の楽しみ。

2011/10/14の天気

TAVE= 18.3
TMAX= 22.9
TMIN= 12.4
DIFF= 10.5
WMAX= 3.3
SUNS= 6.1
RAIN= 0

ざっそう句:サツマ芋

■三株掘りゃ三株の個性我がサツマ
■サツマ屁放って食いたいベニアズマ
■食卓へ掘って洗って先遠し
■干し芋や祖母が銜えた木綿糸
■手を合わす育ての母は芋なりき

2011年10月14日 (金)

ざっそう句:柿

2011/10/14
昨日は終日ほとんど曇り。畑の手入れ。アメリカセンダングサや紅柏の退治やK落果を拾ったり雑用の一日。一昨日はポポーの種子をポットに播いた。WEBで調べると「オオバベニガシワ(おおばべにがしわ・大葉紅柏) 」とあった。最初は名前すら知らなかったが庭の片隅に植えてあった。春先に紅色の若葉を開き綺麗だし、低木で毎年楽しめる。そんな思いで、畑の道沿いに植えた。どんな樹木も、野菜を作るような畑は天国のようだ。地下10㎝程度に根を張り回して紅柏が林立してしまった。放置したら手が着けられなくなる。急遽引き抜きを始めた。根が横に伸びて浅いので比較的容易に抜ける。昨年もかなり引き抜いたが今年もまだ生き残りが伸びてきた。WEB通販価格は1000円台とあった。複雑な心境だ。ポットや鉢に植えたらどうなるだろうか。マメガキの原木の方をチェック。見上げるほどの高さになっていが実は付いていない。接木の方は背丈は低いが実を着けている。果樹は生育条件が良いと伸び伸びとして実を着けるのが遅いようだ。大器晩成とはある意味本当だ。実生苗を買ったロウヤガキも実を着けていた。ロウヤガキは雌雄があるので実が生らない株もある。ロウヤガキ愛好家は授粉をさせてやっているようだ。筆柿や蜂屋柿、甘柿大養(福島天香園の苗)も実を付けた。url=http://www.fukuten.com/02hinsyu/view.php?id=133によると大養は「熟期:晩生種で、福島市では11月上旬~中旬頃に収穫できる。;樹性: 樹勢は強健で、単為結果性が強く、生産力も高いが、種子が4粒以上入らないと渋味が残るので、授粉樹の混植が必要である。」との事。大養の収穫は今年初めての予定。試食が楽しみだ。昨年は柿の裏年。今年は実付きが良い当たり年のようだ。柿は日本の代表果樹だが、皮をむくのがメンドーな時代になってしまった。

2011/10/13の天気

ざっそう句:柿

■草むらに影を潜めた蜂屋柿
■豆ガキを食う夢もあり子供時
■久々に妻が誉めたる接木柿
■腹膨れ秋の味覚も鳥の餌
■落ち葉して実は鮮やかに時を待つ

2011年10月13日 (木)

ざっそう句:満月

2011/10/13
昨日は晴れ。アメリカセンダングサの退治。道路沿いの生け垣と竹やぶ周辺。黄色い花を付けて実も熟しつつある。衣類に種子がへばりつかない内に退治したいが根絶は難しそうだ。気長につき合う意外にないか。ついつい竹切りの方に重点が移った。タケノコ段階で駆除が不十分で立派な若竹に育ってしまっている。こちらは竹と攻防戦をしている。竹に押され気味だ。何とか稲荷様の祠が見えるようになった。昔は竹と稲藁で父が毎年稲荷様の祠を作っていた。今はコンクリート製のものになっている。ヤマモモも日陰で元気がない。いつ頃実が着くかも不明。美味い実が生れば竹切りも元気がでると思うが。

2011/10/12の天気

TAVE= 19.2
TMAX= 24.3
TMIN= 15.1
DIFF= 9.2
WMAX= 4
SUNS= 9.1
RAIN= 0

ざっそう句:満月

■満月に小便放つ畑の隅
■名月は壊れ眼(まなこ)も恵みけり
■心眼も裸眼も同じ月の暈(かさ)
■天頂の月を拝んで床につく
■鉈降ろす若竹の葉に青い月

2011年10月12日 (水)

がんばれ! ふくしま:福島天香園の果樹カタログ(改題):復興の象徴;カチューシャの歌とリンゴの歌。111012。

2011/10/12
昨日は晴れだが、薄日で時々曇る。秋接木の実験。ジャングル畑を歩き回ったので、座業で気分転換。試行錯誤の連続。デジカメをもって散歩がてら回覧板を回しに出かけた。通路にまたヘビがいてまたびっくり。近づいてカメラを向けても動く気配がない。棒で突いても動かない。死んでいた(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/WEBPAGE10.html)。顎の後ろ辺りに傷があった。カラスの攻撃を受けた可能性が大きいと思われる。

2011/10/11の天気

TAVE= 20.0
TMAX= 25.3
TMIN= 15.5
DIFF= 9.8
WMAX= 3.7
SUNS= 6
RAIN= 0

がんばれ! ふくしま:福島天香園の果樹カタログ(改題):復興の象徴;カチューシャの歌とリンゴの歌

昨日で東北関東大震災、東京電力福島原発事故後7ヶ月となった。東北地方は関東地方より秋は早く訪れ、冬はさらに厳しいだろう。数回果樹苗を購入した福島天香園から2011年秋-2012年春のカタログが届いた。ここ1~2年は苗の購入も無く、カタログも絶えていた。苗屋さんも大変なのかとふと思った。最近、春から秋が苗の生産、秋から翌春までが販売という、苗屋さんの仕事のパターンが分かってきた。もらったカタログには放射能の心配はないというような事が書かれていた。東北地方の苗屋さんが得意なのはやはり落葉果樹のリンゴ、モモ、サクランボ等のようだ。

リンゴといえば思い出すのがカチューシャの歌とリンゴの歌(【作詞】サトウ ハチロー、【作曲】万城目 正 )だ。自分の頭の片隅にこれらの歌があり、リンゴの花をぜひ見たいと思い、ついに苗を植えてしまった。url=http://www.utagoekissa.com/ringonouta.htmlによれば、「リンゴの歌」は「1945年の松竹映画「そよかぜ」の挿入歌で、主題歌「そよかせ」を食ってしまったといういわくつき。」とある。「リンゴの歌」の歌詞にはリンゴの花は出てこない。初々しい乙女をリンゴになぞらえているのだと思う。

調べて見ると、「カチューシャの唄」はリンゴとは無関係。「カチューシャの唄;url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%81%AE%E5%94%84;(最終更新 2011年8月13日 (土) 11:04)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「『カチューシャの唄』(カチューシャのうた)は、1914年(大正3年)に発表された日本の歌謡曲、ならびに同楽曲を題材にした同年製作・公開の日本の短篇映画である。楽曲の作詞は島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平。劇団芸術座の第3回目の公演である『復活』の劇中歌として、主演女優の松井須磨子などが歌唱した。翌年の1915年(大正4年)には『復活唱歌』の題名で、松井の歌唱によるレコードが発売された。歌詞の「カチューシャかわいや わかれのつらさ」は爆発的な流行語となった。」とある。

リンゴの花が出てくるカチューシャの歌はロシア民謡のようだ。url=http://www.aki-kaeul.com/muzika/katyusha.htmlによると「「カチューシャ」は、実は第二次大戦の頃作られた歌らしく、「民謡」というよりも「歌謡」と言った方が正確だと思われます。題名の「カチューシャ」とは、一般的な女性名「エカチェリーナ」の愛称です。」、「訳詞者 関 鑑子・丘灯至夫」、「この歌は第二次大戦中につくられたということもあり、元のロシア語の歌詞は、戦争に行った人への歌になっていることが分かります。日本語版も、分かりにくくはありますが、やはり戦争に関するもので、「君なき里にも~」というのは、君が戦争に行ってしまってここ(里)にはいない、という意味です。ただ、ロシア語版が、日本語版での「君」に相当する人物がまだ生きているようなのに対し、日本語版ではもう亡き人になっているように思えます。」とある。

「カチューシャ」は故郷に残してきた恋人、この歌を戦場で歌ったのは若い出征兵士、リンゴの花は戦争が終わった後の春を象徴しているようでもある。「カチューシャ」がロシアでも日本でも親しまれてきた理由が分かる。YUTUBEには「カチューシャ」の歌が色々アップロードされていた。http://www.youtube.com/watch?v=BrUjAz4Kh5A&feature=related(Ирина Билык - Катюша :再生回数:2,321,939;2007/05/08 に公開;視聴回数 3,002,468 回=平成29年11月10日(金)現在)は軍隊を慰問した女性歌手が「カチューシャ」の歌を歌っているような映像であった。また色々なコメントがあった。個々の戦争には賛否があるだろうが、この歌が若い出征兵士の心情に強く訴えっている様子が分かる。

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追記(2017/12/11):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
上記YOUTUBE動画が削除されている。別の動画URLを以下に掲載。

ZZZ2_YOUTUBEで懐メロ鑑賞」へのリンク

   


YouTube: Katyusha - Iryna Bilyk(2017/12/11)

 

https://www.youtube.com/watch?hl=ja&gl=JP&v=zygdaJ8Q2x0

このURLには以下の記載がある:

Katyusha - Iryna Bilyk= 視聴回数 25,279 回(平成29年12月11日(月)現在)

2010/01/16 に公開

「標準の YouTube ライセンス」とあり、著作権問題で削除される心配は無いか?

*************************

日本にもリンゴの在来品種はあったようだが、その系統は発展しなかったようだ。日本でリンゴが本格的に果物として栽培されたのは、外国から各種リンゴ品種が導入された明治以降だったようだ。そうして、そのリンゴ栽培が根を降ろしたのが東北地方で、幾多の困難を乗り越えて今日に至っている。

自分にとって何となく親しみのあるリンゴだが、生まれてこの方リンゴの花を見たことがなかった。5~6年前に苗を購入してようやく花を付け始めた。放任なので実がほとんどならない。カミキリムシに食害されて何本も倒れた。本格的に実を生らせるには人工授粉が必要だと分かった。ともかくリンゴの花を見ることはできた。色々苗を植えてみて、バラ科の果樹はずぼら人間には不適と痛感してきた。果樹生産も少子高齢化の影響が大きいと思う。高齢者が脚立から落下して再起不能になってはどうしようもない。でも、リンゴには何か分からない魅力がある。アメリカではリンゴが最も身近な果物のようだ。アップルコンピュータもどこか果物のリンゴと結びついているのではないか。

福島天香園の最新カタログを見ると、ブルーベリーとか無花果とか家庭果樹向きの品種も扱いが増えているのに気付いた。 03_「庭先果樹のつくりかた(農文協)(前田 知(徳島県果樹試験場長歴任、農学博士)著)」は果樹に親しむきっかけを作ってくれた本である。新しく果物農家を始めるのは大変だが、小規模なら庭先でもプランターでも果樹は作れる。各家庭が果樹を植えて果樹に親しめば予期しない多くの学習ができ・楽しみも実益もあるのではないか。果樹は二重、三重にも歴史を照射してくれる。苦労や失敗が多いが、努力すればそれに応えてくれるのが果樹ではないか。東京電力福島原発事故による放射能が果樹苗販売にも影響を及ぼしているとは夢にも思わなかった。適地適作が農業の基本であるが、最初から適地があったとは思われない。ある場所に何が適すかも試してみないと分からない。パイオニア精神は農業にも不可欠だ。そのような時代の流れを最初に感じるのは種苗屋さんかもしれない。

「カチューシャ」の歌も「リンゴの花」の歌も、戦争からの復興の時期にぴったりの歌だったようだ。戦争・災難という冬からリンゴの花が咲く春への希望・あこがれがこれらの歌にはある。今年は、東北関東大震災、東京電力福島原発事故と忘れることができない歴史的大事件があった年だ。記念樹として何か果樹苗を植えて、花が咲き、実が生るまで育て、あの果樹はあの時に植えた苗だと、歴史を振り返るのも良いのではと思う。東北地方はこれから厳しい冬に向かうががんばれ! ふくしま。がんばれ、東北。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
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    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
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  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
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