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2011年11月

2011年11月30日 (水)

雑木の歌:色即是義理人情

2011/11/30
昨日は曇り。車イスの空気入れ。右と左のバルブが異なっていた。調べてみるとバルブに英式と米式があった。空気入れはアダプターを付けたときが英式で外すと米式であった。これで何とか空気が入れられた。次ぎに、CDの曲をパソコンに保存しようとした。CDから聞くのが面倒くさくなった。CD-RとかでCDのバックアップはとれるのだが、好きな曲だけパソコンに移すには?これはMEDIA PLAYERの録音機能で可能であった。「CDから録音」というとかなり古典的な印象であったが、マイクロソフトとしては著作権法を意識してか、コピーという表現を避けたようだ。著作権法という関門を通らないと「CDから録音」という機能が開かなかった。ファイルは*.WMAという形式で数メガあった。WIN XPパソコンを使い始めたのが今年の5月頃。WIN MEではACROBAT READERの最新バージョンが扱えないので急遽変更した。丁度XPで半年が過ぎた。「Windows(R) XP Home Editionのサポート提供期間を2014年4月まで延長」とありあと2年余は何とか使えそうだ。2012年にはWIN8が発売になるとの事。XPで困るのがファイルがどこにあるか探すこと。パソコンが多機能になるに連れパソコンにたっぷり使われそうだ。ほどほどに付き合うのが良さそうだ。

2011/11/29の天気

TAVE= 9.9
TMAX= 15.7
TMIN= 5.2
DIFF= 10.5
WMAX= 1.6
SUNS= 1.7
RAIN= 0

雑木の歌:色即是義理人情

■亡き人が 歌うが如し 懐メロに 言い残された 真情を聞く
■義理人情 理知と比べりゃ 窮屈だけど 何か安らぐ 不思議な世界
■観自在 色即是空 羯諦羯諦と 経が流れる 中古パソコン

2011年11月29日 (火)

ざっそう句:刃物

2011/11/29
昨日は終日曇り。夏草が姿を消すと、既に次の草が育ち始めている。夏草の山を崩して敷き藁のように畑に敷いた。防草と防風。効果の程は不明だが運動にはなった。農具の紛失防止に取手等に黄色のビニールテープを巻き付けた。今回は4~5㎝の幅が広い物を使用。幅が狭いと巻く手間もかかり、はがれやすいようなので。仕事中農具を手放すと探すのに一苦労。その対策だ。置く時に、置き場所を確実に記憶する訓練が出来ていれば忘れ物が減るだろうが、仕事中に錆びた農具が出てくるとがっかりする。そんなわけか、農具も安物を買ってしまう。数が多いのが、剪定ばさみと大久保ハサミ。これらは、貰い物や安物ばかり。使う頻度は多いが、紛失頻度も多い。昨日は剪定ばさみの調子が悪いので調べてみたらナットが無くなっていた。6㎜のナットを探して回してみたが半分も入らない。分解してみるとボルトが湾曲していた。かなり無茶な使い方をしていたのだと反省した。ところで、剪定ばさみで太い枝を切るとき、枝の自由端を押すと切りやすくなる。刃物がナゼ切れるかも考えると不思議だ。橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)にその説明があった。枝を受け刃を支点に押すと切り刃の方向と同じ方向に合力が発生するので、結果としてはハサミを使う手に加える力は小さくとも切れるようになるらしい。強引な使い方は程々にして、鋸や太枝きりを使うのが正解なのだが。

2011/11/28の天気

TAVE= 8.8
TMAX= 14.1
TMIN= 3.3
DIFF= 10.8
WMAX= 1.7
SUNS= 0
RAIN= 0

最低気温(℃)  2.9  00:30
最高気温(℃)  14.5  14:32

ざっそう句:刃物

■刃物研ぎ仕事の前がプロのコツ
■安物の剪定ばさみこき使う
■剪定の極意はありや五輪書に

2011年11月28日 (月)

読みかじりの記:「進化しない日本人へ  その国際感覚は自画像の反映である」 杉本良夫 著 (1988年 株式会社 情報センター出版局)

2011/11/28
曇り一時晴れ。畑の清掃。蔓退治。アケビとムベの棚に使っているパイプハウスにカナムグラが這い上がっているのを除去した。木質のツルに一年草の蔓草が挑んでいる。日陰になったムベの実はまだ熟さず青いままの物もぶら下がっていた。ノブドウも一株堀上げた。蔓性の植物には蔓性の似たものが集まってくるようにも見える。

2011/11/27の天気

TAVE= 6.6
TMAX= 12
TMIN= 1.7
DIFF= 10.3
WMAX= 2.4
SUNS= 2.9
RAIN= 0

最低気温(℃)  1.4  06:53
最高気温(℃)  12.3  14:46

老人の寝言:市選挙管理委員会が開票結果をホームページに公表しない不思議

NHK NES WEBは、「大阪市長選 橋下氏が当選;url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111128/t10014236382000.html(11月28日 0時59分)」というタイトルで、「現職と前の大阪府知事の対決となった大阪市長選挙は、27日、投票が行われ、大阪維新の会の新人で前知事の橋下徹氏が初めての当選を果たしました。 大阪市長選挙は、開票が終了しました。▽橋下徹、維新・新、当選、75万813票。▽平松邦夫、無所属・現、52万2641票。前の大阪府知事の橋下氏が、現職の平松氏を破って初めての当選を果たしました。橋下氏は、42歳。弁護士でタレント活動も行い、平成20年の大阪府知事選挙で、自民党と公明党の地方組織の支援を受けて、当時、知事としては全国最年少の38歳で初当選しました。就任後は、大胆な歳出削減に取り組むとともに、歯に衣着せぬ発言で注目を集め、府と市を再編する「大阪都構想」を掲げて、地域政党・大阪維新の会を立ち上げました。4月の統一地方選挙で、府議会で過半数、市議会でも第1党を占めると、「大阪都構想」を実現するには大阪市役所にみずからトップとして乗り込む必要があるとして、任期途中で知事を辞職して市長選挙に立候補し、知事選挙とのダブル選挙を仕掛けました。2期目を目指す現職の平松氏との対決となった今回の選挙では、民主党系と自民党の市議団、それに共産党が平松氏の支援に回ったのに対し、橋下氏は100人を超える大阪維新の会の地方議員を率い、「大阪都構想」の実現を訴えて、知事選挙に立候補した松井一郎氏と一体となった運動を展開しました。その結果、大阪維新の会の支持層や、いわゆる無党派層に加え、民主党、自民党、公明党の支持層からも幅広く支持を集めるとともに、20代、30代の若い世代で支持を伸ばし、初めての当選を果たしました。 橋下氏は、大阪維新の会の地方議員や支援者を前にあいさつし、「まずは有権者の皆さんに感謝を申し上げたい。そして、大阪市役所、大阪府庁の公務員、大阪府の教育委員は、この選挙結果を重く受け止めるよう、お願いしたい。公務員や教育委員会の組織は激しい抵抗をしていたが、今回、有権者がこのように判断したわけなので、しっかり受け止めてほしい」と述べました。さらに、橋下氏は「大阪全体のことは大阪府知事が決定権と責任を持つ。こうした決定権を巡り、大阪府と大阪市の間に100年にわたる争いがあったが、これで100年間の戦争に終止符を打ちたい」と述べました。 一方、敗れた平松氏は、「この町がほんまにええ町やという思いと、それを支えているのは人の力であるという思いを、自分の発信力不足、表現力不足で、もっと分かりやすいことばで言い切らないといけなかったという思いがある。本当に申し訳なく、力不足だったということに尽きます」と述べました。 大阪市選挙管理委員会によりますと、今回の大阪市長選挙の投票率は60.92%で、前回に比べ17ポイント余り高くなりました。大阪市長選挙では、今回と同じくダブル選挙になった昭和46年の投票率が61.56%で、そのとき以来50%を超えたことがなく、40年ぶりの高い投票率となりました。」と報じた。

以上はNHKの報道であるが、大阪市選挙管理委員会url=http://www.city.osaka.lg.jp/senkyo/を見ると、投票の確定票は公表されているが、2011/11/28 6:00AM現在で、開票結果は公表されていない(url=http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu240/sokuho/kaihyo_data_10.html=投票日当日はこのホームページで開票結果を公開します。とあるだけ。)。NHKがWEBに乗せた時刻が(11月28日 0時59分)であるから、すでに開票結果確定後5時間は経ている筈だ。他のWEBニュースによると選挙システムにも不具合があり、二重投票となったとの情報があった。そうなると、投票の確定票にも疑問符が付く。大阪市選挙管理委員会が次ぎに来る市長が怖くて発表ができないようだと、次の市長の思うつぼではないか。更に、大阪市選挙管理委員会は大阪市のホームページに開票結果を公表する前にNHKに開票結果をリークしたという事なのだろうか。選挙管理委員会は絶対公正中立を維持する責任があるのではないか。世間が注目する選挙であったが、その大阪市選挙管理委員会は、投票結果に関心を持つ人々に十分なサービスをしたのか。確定値が出せないなら、暫定開票結果、確定率99.99XX%、未確定票何票、というような発表も許されるのではないか。そのような判断を行う人物がいなかったということなのだろうか。

大阪市のホームページの投票確定値:大阪市計=当日有権者(人):2,104,977 、投票者数(人):1,282,318、 投票率(%):60.92 、前回投票率(%):43.61であった。

読みかじりの記:「進化しない日本人へ  その国際感覚は自画像の反映である」 杉本良夫 著 (1988年 株式会社 情報センター出版局)

「杉本良夫;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E8%89%AF%E5%A4%AB;(最終更新 2011年11月2日 (水) 11:25)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「来歴・人物 [編集] 兵庫県西宮市生まれ。洛星高等学校を経て、京都大学法学部に入学。在学中に米国のスワースモア大学 (Swarthmore College) に留学。京大卒業後、毎日新聞社勤務を経て、1967年に渡米。歴史社会学を専攻して、1973年にピッツバーグ大学 (University of Pittsburgh) で社会学博士の学位を取得。同年より、オーストラリア・メルボルンのラトローブ大学社会学部(La Trobe University, School of Social Sciences)にて教鞭を取り、現在は同大学教授(比較社会学理論/方法論・オーストラリアを始めとした社会不平等・日本社会/文化・アジア入門)。 この間1988年 - 1991年にラトローブ大社会学部長。1981年にはラトロープ大学・モナシュ大学など4大学の連合で設立されたメルボルン日本研究センターの初代所長に就任。1988年以来、オーストラリアン・アカデミー・人文系(Australian Academy of the Humanities)フェロー。筑波大学、東京都立大学やドイツのハイデルベルク大学、フランスのエブリー大学などの客員教授を務めた。
 オーストラリアの複合文化社会の研究を通じて、日本社会を問い直す日本論・日本人論などに関する著作を数多く発表。日本を単一均質社会とする枠組みに対して、多様性や階層構造に焦点を当てたマルチカルチュラル・モデルを構築し、日本社会論・日本文化論の新しいパラダイムの展開に主導的役割を果たした。Cambridge University Press 発行の An Introduction to Japanese Society は、英語圏で最も広く読まれる教科書の位置を占めている。 1980年代から、Kegan Paul International や Cambridge University Press の日本研究シリーズの責任編集者を務めたが、1999年、主として日本の社会科学の業績を英語出版することを目標とした出版社 Trans Pacific Press 社をメルボルンに設立。その代表として、100点を超える英文書の編集・出版に関わってきている。 現在の研究分野は「現代日本の国民国家と市民社会」「アジアに於ける文化相対主義」。」とある。

WIKIPEDIAの冒頭には「杉本 良夫(すぎもと よしお、1939年 - )は、日本の社会学者・文化人類学者。オーストラリアのラ・トローブ大学名誉教授。」とある。

本書を読んで著者は自分を「日本の社会学者・文化人類学者」と規定するだろうかと思った。WIKIPEDIAの記事の通り、著者が関係する国は、日本、アメリカ、オーストラリア。著者の国籍はオーストラリアとの事だ。本書の最後に著者はコスモポリタンについて書いている。著者の立場はコスモポリタン的な立場か。社会学者としては、評論家的な主張は避けているように見える。

ある人を規定するとき、国籍、人種、職業、性別、身分、影響を受けた教育文化等色々ある。いわば、そこには何らかの枠組みがある。その枠組みを絶対化すべきか。著者はそのような枠組みを相対化することの重要性を本書で述べているようだ。本書が出版されてから既に20年以上たつが、本書に示されている事例は今も通用するように思われる。この20年以上の間に、日本に住む外国人も非常に増えて、異文化理解とか異文化共存という言葉が定着しつつあるようにもみえる。それでも、まだ大方の日本人の意識には外国という見えない国境があるように考え・行動しているのではないか。日本人の国際感覚はほとんど変わっていないようにも見える。

首相がTPPに関して度々口にしている、「アジア太平洋地域の成長力を取り込み」というおまじない文句を本書の趣旨で解釈するとどうなるだろうと思ってしまった。情報・通信の発展で首相の言葉は瞬時に世界を巡ってしまう。「成長力を取り込み」という表現が、日本以外のアジア太平洋地域の国民には、いかにも日本がエコノミックアニマルであるととられかねないのではないかと思った。これが、国家間の関係となるともっと厳しい現実になるのではと思ってしまう。TPPと言えど詰まるところは国家間の利害の調整に過ぎない。しかし、調整となると相手が必要なのだが、「成長力を取り込み」とは国内向けの唯我独尊的発想に過ぎないように見えて、著者の言うように、国際感覚がマヒしているように見えてしまう。

本書は日本人の国際感覚チェックの教材として未だに捨てがたい本のようだ。

2011年11月27日 (日)

ざっそう句:渋柿

2011/11/27
昨日は晴れ。15時を過ぎると寒くなる。15:13.1℃、16:11.9℃だ。畑の清掃。散歩の夫婦と立ち話。ミカンをもいで試食しながら。庭の草むしり。種子採取。渋柿収穫。柿の古木を切った後からひこばえが生えてきてそれに実が生った。切られた古木の樹齢100年は前後はあったのではと思う。ヒコバエは台木そのもの。台木が渋柿だと分かった。台木の上に接がれた柿は盆ガキと呼んでいたと思う。小ぶりの甘柿で黒いゴマが入っていた。肉質が固いのでこりこりして歯触りは良かった。甘みはそれほど強くなかったが、食糧難の時代には結構とって食べた。ヒコバエが数本出ているので接木の実験台になっている。渋柿の味は?実を収穫してしまうと淋しい冬の風景が残っているだけ。観賞用にもなっていたようだ。渋柿で思い出したこと:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/09E_ISOBE_SOUKYUU.htmlにのせた大島麦邨氏の記事に俳句の「渋柿」があった事。外観はうまそうだが囓ってみると渋い柿も面白い。

2011/11/26の天気

TAVE= 7.7
TMAX= 13.6
TMIN= 3.6
DIFF= 10
WMAX= 3.3
SUNS= 9.4
RAIN= 0

最低気温(℃)  3.1  06:11
最高気温(℃)  13.9  13:57

ざっそう句:渋柿

■欲呆けの隠居爺の渋い顔
■タンニンが抜けきらぬうち身が落ちる
■潔く甘みに変わる柿の渋

2011年11月26日 (土)

文化と文明雑感:企業は人なりと言うが人を作るのも企業の責任ではないか。20111126。

2011/11/26
昨日は晴れ。ツツジ仮植え。道路脇の植栽の手入れ。接木実験。前回の接木で失敗したのは直ぐ分かる。穂木が褐変。穂木がまだ生きているのもある。これに期待。

2011/11/25の天気

TAVE= 8.0
TMAX= 14.1
TMIN= 3.4
DIFF= 10.7
WMAX= 5.8
SUNS= 6.8
RAIN= 0


最低気温(℃)  2.8  05:20
最高気温(℃)  14.5  12:02

文化と文明雑感:企業は人なりと言うが人を作るのも企業の責任ではないか

最近は優良企業と言われる会社の不祥事が目立つ。

追記(2019/12/23):ランキング4位。投稿期日追加。再読。日本にカジノが出来そうな雰囲気がしてきた。この記事を再読してカジノの依存症の怖さを再認識した。貧乏人がカジノ依存症になったらイチコロだろう。そんな日本を作ったのは誰か。

愛媛新聞ONLINEは、「大王製紙前会長を逮捕 特別背任容疑で東京地検;url=http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20111122/news20111122980.html(2011年11月22日(火))」というタイトルで、「大王製紙の巨額借り入れ問題で東京地検特捜部は22日、子会社に損害を与えたとして、会社法の特別背任容疑で大王製紙前会長の井川意高容疑者(47)を逮捕。井川前会長の東京・広尾の自宅や四国中央市の実家、ファミリー企業などを家宅捜索した。 逮捕容疑は、今年7月から9月にかけ、子会社に指示し、本人名義やカジノ関連会社の銀行口座に、7回にわたり計32億円を振り込ませ、損害を与えた疑い。 大王製紙は21日、子会社7社に85億8000万円の被害を与えたとして、前会長を特捜部に告発していた。 」と報じた。

前会長が関連企業から手にした金額は106億8000万円にもなるという。企業破滅の三代話しそのもののようだ。東大法学部出身のエリート、巨額の資金の注ぎ込み先がカジノとは常識では考えられない。しかし、この破滅に到る小さな種子はどこかで蒔かれ、芽を出し、日々育っていたに違いない。同族企業という企業文化がこの不祥事の温床になっていたことには疑いがなさそうだ。

ロイターは、「オリンパス「内視鏡神話」に揺らぎ、医師から不祥事に反発の声;url=http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-24352520111125(2011年 11月 25日 22:23 JS)」というタイトルで、「[東京 25日 ロイター] オリンパス(7733.T: 株価, ニュース, レポート)による損失隠ぺいの実態が次々と明らかになる中、同社の主力ビジネスに対し、ユーザーからの反発が広がっている。同社は消化器の検査などに使う軟性内視鏡で世界シェアが7割という圧倒的な市場支配力を持つ。 しかし、今回のスキャンダルを知り、不正を犯した企業との関係継続を潔しとしない医療機関も出始めた。同社の内視鏡ビジネスを支えてきたユーザーからの強い信頼にほころびが生じつつある。」と報じた。

オリンパス:昔はオリンパス工業という社名だと思う。現在はオリンパス株式会社となっている。ホームページによると、設立年月日は1919年(大正8年) 10月12日 とある。経営理念は「「生活者として社会と融合し、価値観を共有しながら事業を通して新しい価値を提案し、人々の健康と幸せな生活を実現する」 それが、オリンパスが経営理念に掲げる“Social IN”という考え方です。」で、一言で言えば「“Social IN”」のようだが、外からは容易に理解しがたい。創業以来90年以上の歳月を積み重ねてきた光学機器の名門企業で、現在では医療用の内視鏡では7割のシェアを持っているとの事だ。損失の先送り、それは粉飾決算につながる経営上の重要問題だ。株の世界では色々噂があったようだが、その煙の下に不正が姿を現してきたのが現在の状況だろう。やはり、つきつめれば経営者の質の問題になるのだろうか。我が家では、父が家畜人工授精師だったので、当時としては珍しいオリンパスの顕微鏡があった。高校時代に修学旅行に持っていったカメラはフィルムが半分で済むオリンパスペンとうカメラだった。その企業の存続が危ぶまれる事態が起きている。経営理念も企業自治を社内社外に明確に示すスローガンだろうが、一つの不祥事がその企業理念を地に落としてしまうのは余りにも勿体ない。もはや企業は個人の資質だけでは統治できない時代になってしまったのかもしれない。

群馬県では、名門企業として、地域の文化活動も支援した井上工業株式会社が破産した。

「井上工業;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%B7%A5%E6%A5%AD;(最終更新 2011年11月23日 (水) 03:22)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「井上工業株式会社(いのうえこうぎょう)は、群馬県高崎市に本社を置く建設会社。高崎市に高さ42mの観音像『高崎白衣大観音』を建設したほか、若き日の田中角栄元首相が勤めていたことでも知られる。2008年10月16日東京地方裁判所に破産を申請し、同日破産手続開始決定を受けた。」とある。

asahi.comは、「井上工業元社長ら5人逮捕 見せかけ増資の疑い 警視庁;url=http://www.asahi.com/national/update/1122/TKY201111220209.html(2011年11月22日15時8分)」というタイトルで、「東証2部に上場していた群馬県高崎市の中堅ゼネコン「井上工業」(破産手続き中)が2008年に実施した増資は、実体のない「見せかけ増資」だったとして、警視庁は22日、同社元社長の中村剛容疑者(68)ら同社関係者3人と、増資を引き受けた事業組合の代表奥村英(ひでし)容疑者(61)ら計5人を金融商品取引法違反(偽計)容疑で逮捕した。ほかに金融ブローカーが関与したとみて調べる。 」と報じた。

傾きかけた会社を再建しようと集めた金が、見せ金に過ぎず、その金や株が暴力団にも流れたようだ。
このような形で、地域の名門企業が消えて行くのは残念だ。現在破産手続きが進んでいるようだが、負債が債権者に戻ってくる配当率は50%以上というWEB情報もある。元社長の井上房一郎理想を実現するために何とか再建できないのかと思う。

元社長の井上房一郎理想とは高崎哲学堂という文化施設の建設。既にハード面の文化施設はかなり整っているので、今更いかがという意見もあるだろう。高崎哲学堂という文化施設の建設を目標に掲げつつなされた多くの講演にも注目したい。自分はこの講演会の様子はほとんど知らなかったが、あるときその講演会の内容を冊子にしたものを読んで感銘を受けた記憶がある。それは生物進化の話で、生物は受精から出生までに進化の中でたどってきた姿を再現するという記述。講演者が胎児の標本をみてその感想を述べていた。「個体発生は系統発生を繰り返すのかurl=http://www.systemicsarchive.com/ja/a/recapitulation.html」に「軟骨魚類的段階:受胎32日目の胎児では、心臓が魚類と同様に一心房一心室で、顔の側面には、魚類の鰓裂に相当する数対の裂け目が現れる。古生代の軟骨魚類の特徴を残すラブカとよく似ている。」とある。ともかく、自分のあまり関心のない分野でも、講演により、新しい目を開かされるという幸運に出会う事が文化の効用と言えないか。

たまたまWEB検索で、
「ギャラリー ときの忘れものurl=http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/」を開くと、
「熊倉浩靖『井上房一郎・人と功績』~文化のパトロンその1」という記事があり、高崎哲学堂講演会の講演会リストが掲載されていた。

上記、冊子の講演会を探すと:55. 1975年 三木成夫 東京芸術大学教授 「『こころ』と『あたま』―人類の生物史的考察」がそれらしかった。

この講演会のリストを見るだけで高崎哲学堂活動の偉大さが分かる。井上工業の不祥事で高崎哲学堂活動が更に遠くにかすんでしまうのは本当に勿体ない。以下は「ギャラリー ときの忘れもの」に掲載された講演会のリストである。

url=http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/52869492.html
◆高崎哲学堂講演会
1. 1969年 増谷文雄 大正大学教授 「仏教思想と現代」
2. 1969年 梅原猛 立命館大学教授 「日本の文化的課題」
3. 1969年 梅原猛 立命館大学教授 「仏教と現代」
4. 1969年 源了圓 日本女子大学教授 「西洋的ヒューマニズムと日本的ヒューマニズム」
5. 1969年 梅原猛 立命館大学教授 「内にゆらぐ燈火」
6. 1969年 福永光司 京都大学人文科学研究所教授 「荘子と現代」
7. 1970年 梅原猛 立命館大学教授 「自分の仏教」
8. 1970年 梅原猛 立命館大学教授 「新しい時代における仏教の意味」
9. 1970年 上山春平 京都大学人文科学研究所教授 「日本文化の課題」
10. 1970年 安部公房 作家 「現代の発見」
11. 1970年 湯川秀樹 京都大学名誉教授 「学問と生きがい」
12. 1970年 梅原猛 立命館大学教授 「創造の心」
13. 1970年 梅原猛 立命館大学教授 「文明の将来」
14. 1970年 日比野和幸 朝日新聞論説委員 「人間の未来について」
15. 1970年 石坂浩二 俳優 「演劇への希望」
16. 1970年 宮脇昭 横浜国立大学教授 「公害と自然破壊」
17. 1970年 伊藤善市 東京女子大学教授 「七〇年代の課題」
18. 1971年 梅原猛 立命館大学教授 「三島由紀夫の死について」
19. 1971年 森昭 大阪大学教授 「人間形成」
20. 1971年 梅原猛 立命館大学教授 「現代人の精神生活」
21. 1971年 宇尾光治 京都大学教授 「人間とエネルギー」
22. 1971年 庄司薫 作家 「若さと夢」
23. 1971年 中埜肇 関西大学教授 「内面への道」
24. 1971年 梅原猛 立命館大学教授 「高橋和巳・文学とその死」
25. 1971年 ドナルド・キーン コロンビア大学教授 「日本人の西洋発見」
26. 1971年 谷川徹三 元法政大学総長・哲学者 「人間であること」
27. 1971年 福永光司 京都大学人文科学研究所教授 「中国の芸術哲学」
28. 1972年 梅原猛 立命館大学教授 「法隆寺の謎」
29. 1972年 下村寅太郎 学習院大学教授 「日本の哲学」
30. 1972年 磯崎新 建築家 「群馬の森県立近代美術館の設計について」
31. 1972年 真継伸彦 作家 「最近思っていること」
32. 1972年 梶山雄一 京都大学助教授 「釈迦とヒッピー」
33. 1972年 香西茂 平和運動家 「国際連合の将来」
34. 1972年 日高一輝 平和運動家 「新しい時代へ」
35. 1972年 橋本峰雄 仏教学者 「近代日本における西洋哲学」
36. 1973年 磯崎新 建築家 「西洋の庭」
37. 1973年 鍵谷幸雄 慶応大学教授 「現代の詩とジャズ」
38. 1973年 梅原猛 京都大学教授 「万葉集について」
39. 1973年 谷川徹三 哲学者 「親鸞の自然法爾について」
40. 1973年 湯川秀樹・湯川スミ 世界連邦名誉会長 「この地球に生まれ合わせて」
41. 1973年 鈴木俊子 作家 「ソ連という国は」
42. 1973年 芳賀徹 東京大学助教授 「日本人と『変革』の思想」
43. 1973年 中川融 国際連合特命全権大使 「世界平和と日本」
44. 1973年 木村重信 京都市立芸術大学教授 「アフリカの人・自然・美術」
45. 1974年 グロータース 神父 「ロボットはいやだ」
46. 1974年 梅原猛 京都大学教授 「仮説と真理」
47. 1974年 谷川徹三 世界連邦顧問 「国家主権と人類主権」
48. 1974年 山本七平 作家 「各民族の生活の基本的な宗教の感じ方の相違」
49. 1974年 吉本隆明 作家 「夭折論」
50. 1974年 矢内原伊作 美学者 「現代と芸術」
51. 1975年 佐藤雅彦 京都市立芸術大学助教授 「日本美術の特性」
52. 1975年 生松敬三 中央大学教授 「人間と哲学」
53. 1975年 貝塚茂樹 京都大学名誉教授 「中国の古代思想と現代」
54. 1975年 安積得也 社会評論家 「われら地球市民の心」
55. 1975年 三木成夫 東京芸術大学教授 「『こころ』と『あたま』―人類の生物史的考察」
56. 1975年 伊東俊太郎 東京大学助教授 「地球的人類史に向かって」
57. 1975年 生松敬三 中央大学教授 「人間への問いと現代―一九二〇年代ドイツ思想史に学ぶ」
58. 1975年 福永光司 東京大学教授 「中国哲学における欲望論」
59. 1976年 針生一郎 和光大学教授 「一九三〇年代の芸術と思想」
60. 1976年 梅原猛 京都市立芸術大学教授 「哲学的思惟と万葉集―『水底の歌』以後の柿本人麻呂論」
61. 1976年 菊地昌典 東京大学助教授 「中ソ対立の現状と問題点」
62. 1976年 今西錦司 京都大学名誉教授 「私の進化論」
63. 1976年 木村尚三郎 東京大学教授 「現代ヨーロッパの変貌と日本の将来」
64. 1976年 武者小路公秀 国連大学副学長 「南北関係と日本の立場」
65. 1976年 木田元 中央大学教授 「自然の権限とは―自然の形而上学」
66. 1976年 安永寿延 和光大学教授 「安藤昌益の世界」
67. 1976年 市井三郎 哲学者 「江戸期における伝統的革新思想」
68. 1976年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「湖の伝説」
69. 1977年 福永光司 東京大学文学部教授 「天皇と真人」
70. 1977年 上田正昭 京都大学教養学部教授 「古代信仰と道教」
71. 1977年 上山春平 京都大学人文科学研究所教授 「天皇制の論理」
72. 1977年 木村重信 大阪大学文学部教授 「芸術の起源」
73. 1977年 玉野井芳郎 東京大学教養学部教授 「地域分権の思想」
74. 1977年 武者小路公秀 国連大学副学長 「新しい国際秩序と国連大学」
75. 1977年 岩田慶治 東京工業大学教授 「コスモスとしての世界」
76. 1977年 磯崎新 建築家 「日本の空間」
77. 1977年 増谷文雄 大正大学名誉教授 「釈迦に帰れ」
78. 1977年 好村富士彦 京都大学教養学部助教授 「希望の哲学者エルンスト・ブロッホについて」
79. 1977年 江上波夫 東京大学名誉教授 「私のアジア学―文明の二つの道」
80. 1977年 菊地昌典 東京大学教養学部教授 「ユーゴスラヴィアの試み」
81. 1978年 高木仁三郎 プルトニウム研究会 「我々は原子力と共存できるか」
82. 1978年 渡辺一民 立教大学教授 「六八年以後のヨーロッパと日本」
83. 1978年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「現代文明と哲学」
84. 1978年 三木成夫 東京芸術大学教授 「生命記憶と回想」
85. 1978年 福永光司 東京大学文学部教授 「中国哲学における『中』の思想」
86. 1978年 広川洋一 東海大学教授 「プラトンのアカデメイア」
87. 1978年 野田暉行 作曲家・東京芸術大学教授 「音楽から私へ―演奏を聴きながら」
88. 1978年 鶴見和子 上智大学教授 「地球社会学への発想―南方熊楠に学ぶ」
89. 1978年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「聖徳太子」
90. 1978年 田島節夫 東京都立大学教授 「言語の哲学」
91. 1978年 西川潤 早稲田大学教授 「新世界秩序と日本人」
92. 1978年 水田徹 東京学芸大学助教授 「青銅器時代ギリシヤ美術の技法と思想」
93. 1979年 渡辺一民 立教大学教授 「『戦後』を考える」
94. 1979年 木村尚三郎 東京大学教授 「ヨーロッパの都市・日本の都市」
95. 1979年 前田愛 立教大学教授 「広場とコミュニケーションの哲学―江戸から明治へ」
96. 1979年 小川国夫 小説家 「旅と言葉」
97. 1979年 西村関一 国際アムネスティ日本支部名誉理事長 「今、アジアで起こりつつあること」
98. 1979年 村井康彦 京都女子大学教授 「生活文化と場と文化史」
99. 1979年 山崎庸佑 九州大学助教授 「世に『住む』意味を問う」
100. 1979年 福永光司 京都大学人文科学研究所所長 「中国哲学における個と衆」
101. 1979年 木田元 中央大学教授 「合理主義と非合理主義のはざまで」
102. 1979年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「私の日本学」
103. 1979年 増谷文雄 大正大学名誉教授 「仏教の哲学―釈尊を継ぐ人々」
104. 1979年 今西錦司 京都大学名誉教授 「進化論散策」
105. 1979年 ?山道雄 上智大学教授 「八〇年代の国際環境と日本人」
106. 1979年 生松敬三 中央大学教授 「フランクフルト学派」
107. 1980年 松下圭一 法政大学教授 「市民自治と哲学」
108. 1980年 高島善哉 一橋大学名誉教授 「市民主義とは何か」
109. 1980年 樺山紘一 東京大学助教授 「自治と文化」
110. 1980年 木田元 中央大学教授 「ハイデガー問題」
111. 1980年 米山俊直 京都大学助教授 「アフリカから考える」
112. 1980年 松下圭一 法政大学教授 「市民自治の思想」
113. 1980年 久野収 哲学者 「全体的人間学への途」
114. 1980年 和田春樹 東京大学助教授 「現代ソ連の知識人と民衆」
115. 1980年 西川潤 早稲田大学教授 「世界秩序の将来」
116. 1980年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「文学としての『古事記』」
117. 1980年 海老坂武 一橋大学教授 「サルトルの思想と私たち」
118. 1980年 松本健一 歴史家・近代日本思想史 「ナショナリズムを越えて」
119. 1980年 市川浩 明治大学教授 「身(み)―精神としての身体をめぐって」
120. 1980年 竹内敏晴 宮城教育大学教授 「人間であることと人間になること」
121. 1981年 木戸翁 神戸大学教授 「揺れ動く東ヨーロッパ」
122. 1981年 福永光司 京都大学人文科学研究所所長 「中国哲学における安楽の思想」
123. 1981年 磯崎新 建築家 「『間』の思想を世界に問うて」
124. 1981年 加藤周一 評論家 「戦後日本再考」
125. 1981年 市川浩 明治大学教授 「都市のコスモロジー」
126. 1981年 河合雅雄 京大霊長類研究所長 「サルからヒトが見えてくる」
127. 1981年 司馬遼太郎 作家 「歴史と人間」
128. 1981年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「萬葉の美学と哲学―『萬葉集』長歌考」
129. 1981年 村田全 立教大学教授 「日本の数学思想―関孝和と建部賢弘」
130. 1981年 上山春平 京都大学名誉教授 「最澄と空海」
131. 1981年 土肥昭夫 同志社大学教授 「内村鑑三―彼の思想と上州の関わりを中心として」
132. 1981年 日高一輝 平和運動家 「湯川博士の平和思想」
133. 1982年 木村尚三郎 東京大学教養学部長 「八〇年代―日本の条件」
134. 1982年 畑敏雄 前群馬大学学長 「科学・哲学・人間」
135. 1982年 竹内尚次 東京国立博物館主任研究官 「風外さん―絵と詩と心」
136. 1982年 宮本陽吉 東京工業大学教授 「現代アメリカ文学」
137. 1982年 源了圓 東北大学教授 「心・技・体―剣法書と能楽論を中心として」
138. 1982年 芳賀徹 東京大学教授 「平賀源内とその時代―「徳川の平和」再考」
139. 1982年 今西錦司 京都大学名誉教授 「自然を見る眼」
140. 1982年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「ヤマトタケル」
141. 1982年 笠原一男 東京大学名誉教授 「中世人の心―蓮如の場合」
142. 1982年 三木正之 神戸大学教授 「ゲーテとダンテ 古典性の新しい意味」
143. 1982年 菊地昌典 東京大学教授 「中国・ソ連とつきあう道」
144. 1982年 有馬朗人 東京大学大型計算センター長 「文化の両論―独創性と連衆」
145. 1983年 小田切瑞穂 近畿大学名誉教授 「東洋的叡智の復権」
146. 1983年 藤村久和 北海道開拓記念館 「アイヌ文化概説」
147. 1983年 佐和隆光 京都大学教授 「現代経済学の内省」
148. 1983年 宮田光雄 東北大学教授 「解放としての笑い―キリスト教とユーモア」
149. 1983年 木戸蓊 神戸大学教授 「社会主義のディレンマ―効率と平等」
150. 1983年 安永寿延 和光大学教授 「安藤昌益と中江兆民」

url=http://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/52868860.html
151. 1983年 小田切瑞穂 拓殖大学客員教授 「文明論研究の必要性」
152. 1983年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「アイヌ文化との出会い」
153. 1983年 木村重信 大阪大学教授 「アフリカの人・自然・芸術」
154. 1983年 西川潤 早稲田大学教授 「世界平和と国連の役割」
155. 1983年 有馬朗人 東京大学大型計算機センター長 「現代物理学を支えた思想」
156. 1983年 松下圭一 法政大学教授 「八〇年代の地方自治」
157. 1984年 安永寿延 和光大学教授 「安藤昌益再論―昌益の思想とスタイル」
158. 1984年 柳沢南 群馬工業専門学校助教授 「三浦梅園の世界―近代本の哲学」
159. 1984年 竹内啓 東京大学教授 「情報化社会と人間の選択」
160. 1984年 芳賀徹 東京大学教授 「桃源郷とユートピア」
161. 1984年 伊東俊太郎 東京大学教授 「比較文化論の考え方」
162. 1984年 日高一輝 神奈川大学講師 「国連NGOと世界の未来像」
163. 1984年 玉野井芳郎 東京大学名誉教授 「ヒューマン・スケールの世界を求めて」
164. 1984年 福永光司 京都大学名誉教授 「北関東地方の古代文化と道教」
165. 1984年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「聖徳太子再論」
166. 1984年 永井道雄 国連大学学長 「日本人の活路を求めて」
167. 1984年 有馬朗人 東京大学教授 「現代物理学の思想II」
168. 1984年 有馬朗人 東京大学教授 「現代物理学の思想II」
169. 1984年 上山春平 京都大学名誉教授 「空海の思想」
170. 1984年 小田切瑞穂 拓殖大学客員教授 「潜態論と文明」
171. 1985年 津端修一 広島大学教授 「都市型社会と自然」
172. 1985年 黒岩芳明 IFTジャパン会長 「生きているということ」
173. 1985年 村田全 立教大学教授 「教わることと学ぶこと―集合論を例として」
174. 1985年 紀野一義 仏教学者 「日蓮―法に生きた如来使」
175. 1985年 木田元 中央大学教授 「生松敬三の遺産」
176. 1985年 丸山圭三郎 中央大学教授 「言語と人間」
177. 1985年 紀野一義 仏教学者 「道元」
178. 1985年 笠原一男 東京大学名誉教授 「親鸞と蓮如」
179. 1985年 伊東俊太郎 東京大学教授 「ニューサイエンスと東洋の自然観―『自然』概念の変貌」
180. 1985年 梅原猛 京都市立芸術大学学長 「日本学研究と高崎哲学堂」
181. 1985年 坂部恵 東京大学助教授 「『近代合理主義』の系譜」
182. 1985年 岩田慶治 大谷大学教授 「自然・宗教・人間」
183. 1985年 源了圓 東北大学教授 「日本人のこころの思想」
184. 1986年 福永光司 関西大学教授 「天寿国曼荼羅と道教思想」
185. 1986年 山崎益吉 高崎経済大学教授 「玉野井経済学の遺産」
186. 1986年 上田正昭 京都大学教授 「神道の原像」
187. 1986年 松本健一 思想史家 「萩原朔太郎の原郷」
188. 1986年 井深大 ソニー名誉会長 「私の教育論」
189. 1986年 磯崎新 建築家 「高崎哲学堂建設の思想」
190. 1986年 木下順二 劇作家 「私の演劇論」
191. 1986年 源了圓/芳賀徹 国際基督教大学教授/東京大学教授 「江戸文化論」
192. 1986年 梅原猛 国立国際日本文化研究センター所長 「縄文のカミ」
193. 1986年 西宮一民 皇学館大学教授 「古典の中のカミ」
194. 1986年 竹内啓 東京大学教授 「本当の『国際化』とは」
195. 1986年 村上陽一郎 東京大学教授 「自然観の変遷と現代科学」
196. 1986年 米本昌平 三菱化成生命科学研究所 「生命科学と現代社会」
197. 1987年 有馬朗人 東京大学教授 「アインシュタインの自然観」
198. 1987年 安ビョン直 東京大学教授 「韓日近代百年の反省―韓国人と日本人共に学ぶべきこと」
199. 1987年 三木成夫 東京芸術大学教授 「こころ・あたま・からだ」
200. 1987年 紀野一義 宝仙短期大学副学長 「心に花吹雪舞う―良寛詩の風光」
201. 1987年 源了圓 国際基督教大学教授 「徳川時代儒学における『理』の観念」
202. 1987年 小池心叟 臨済会会長 「白隠禅師―人と思想」
203. 1987年 安永寿延 和光大学教授 「安藤昌益と現代」
204. 1987年 梅原猛 国際日本文化研究センター所長 「仏教東漸」
205. 1987年 磯部欣三 (財)佐渡博物館歴史部長 「良寛さまとその母」
206. 1987年 芳賀徹 東京大学教授 「春信錦絵の構図」
207. 1988年 木村尚三郎 東京大学教養学部教授 「時代を見通す発想」
208. 1988年 福永光司 北九州大学教授 「天と地と水の宗教哲学―山東半島と古代日本」
209. 1988年 高瀬浄 高崎経済大学教授 「経済の『国際化』と『地域文化』―岐路に立つ日本経済」
210. 1988年 海老原治善 東京学芸大学教授 「生涯教育とは何か―E・ジェルピを語る」
211. 1988年 日野原重明 聖路加看護大学学長 「老いと死から生を考える」
212. 1988年 源了圓 国際基督教大学教授 「江戸時代における儒教と仏教の交渉」
213. 1988年 小笠原春夫 東京農業大学教授 「黒瀧山不動寺潮音禅師の思想」
214. 1988年 木田元 中央大学教授 「ショウペンハウエル論」
215. 1988年 梅原猛 国際日本文化研究センター所長 「世界の中の日本文明」
216. 1988年 木戸蓊 神戸大学教授 「ペレストロイカ」
217. 1988年 菊地昌典 東京大学教養学部教授 「トロツキー―ペレストロイカの中での復権」
218. 1988年 和田春樹 東京大学助教授 「ロシアの歴史的伝統とペレストロイカ」
219. 1989年 山折哲雄 国際日本文化研究センター講師 「怨霊親交と判官びいき」
220. 1989年 鎌田東二 国学院大学講師 「神道と国学―平田篤胤と折口信夫を中心に」
221. 1989年 竹村牧男 筑波大学教授 「遊行の心―拾聖一遍の足跡をたずねて」
222. 1989年 吉永哲郎 高崎高校教諭 「芭蕉の宗教性」
223. 1989年 秋月籠珉 花園大学教授 「一休禅師」
224. 1989年 村井康彦 国際日本文化研究センター教授 「平安朝における宗教的生活と文化」
225. 1989年 土肥昭夫 同志社大学教授 「内村鑑三に学ぶもの」
226. 1989年 梅原猛 国際日本文化研究センター所長 「縄文の美術」
227. 1989年 西宮一民 皇学館大学教授 「『古事記』―神々の物語」
228. 1989年 中村啓信 国学院大学教授 「聖徳太子の片岡山説話」
229. 1989年 吉永哲郎 高崎高校教諭 「徒然草と方丈記」
230. 1990年 源了圓 国際基督教大学教授 「佐久間象山と横井小楠」
231. 1990年 有馬朗人 東京大学総長 「物理学者と宗教と文学」
232. 1990年 秋月籠珉 花園大学教授 「禅者と文学」
233. 1990年 飯岡秀夫 高崎経済大学教授 「内村鑑三の思想形式と上州」
234. 1990年 久保千一 蕨高校教諭 「柏木義円の教育観・国家観」
235. 1990年 鈴木秀一 高崎経済大学助教授 「新島襄における宗教と国家」
236. 1990年 山口昌男 東京外国語大学教授 「大正期における芸術とスポーツ」
237. 1990年 パオロ・ダル・ポジェット アリア・グラツィア・チャルディ・ヂュプレ マルケ州美術文化財監督局長官 フィレンツェ大学教授 「ウルビーノの美術」
238. 1990年 水田洋 名城大学教授 「自由主義の道徳哲学」
239. 1991年 恒松制治 獨協大学教授 「地域づくりの哲学」
240. 1991年 原一雄 歌人 「土屋文明先生」
241. 1991年 鎌田東二 国学院大学講師 「湾岸戦争と宗教―日本的霊性の視座から」
242. 1991年 米山俊直 京都大学教授 「ふるさと―小盆地宇宙論」
243. 1991年 西川潤 早稲田大学教授 「激動の世界情勢と日本の選択」
244. 1991年 佐々木宏幹 宗教学者 「日本宗教の可能性」
245. 1991年 和田春樹 東京大学教授 「ソ連国民の戦いに学ぶ」
246. 1992年 木村尚三郎 東京大学名誉教授 「一九九〇年代―不透明な時代をどう生きるか」
247. 1992年 木村晋介 弁護士 「憲法とぼくの元気」
248. 1992年 磯崎新 建築家 「群馬県立近代美術館について」
249. 1992年 長谷川端 中京大学教授 「中世の人間像―『ばさら大名』と『かぶき者』」
250. 1992年 源了圓 前・国際基督教大学教授 「型と日本文化」
251. 1992年 横山紘一 東京大学教授 「コロンブス五〇〇年」
252. 1992年 芳賀徹 東京大学教授 「死にたもう母」
253. 1992年 山崎益吉 高崎経済大学教授 「経済学における自然概念―荻生徂徠とアダム・スミス」
254. 1992年 飯岡秀夫 高崎経済大学教授 「ルソーと安藤昌益―その思想の現代的意義」
255. 1992年 クリストファー・ブレイズデル 尺八奏者 「尺八コンサート」
256. 1992年 有馬朗人 東京大学総長 「二〇世紀の物理学―一〇〇年をふりかえって」
257. 1993年 藤本信義 宇都宮大学教授 地方中枢都市から知核都市へ」
258. 1993年 伊東俊太郎 国際日本文化研究センター教授 「日本思想の特質―安藤昌益から湯川秀樹まで」
259. 1993年 前田哲雄 ジャーナリスト 「アジアでいま―日本の課題」
260. 1993年 横山紘一 東京大学教授 「コロンブス五〇〇年 PART II」
261. 1993年 カール・ベッカー 京都大学助教授 「死から生を考える」

2011年11月25日 (金)

ざっそう句:葉、葉、葉

2011/11/25
昨日は晴れ後曇り。外出。平地での落葉が始まっている。落葉樹の葉が落葉する前に変色する事を、その色毎に紅葉、黄葉、褐葉と言うようだが、それをまとめて何というのか。秋の葉で秋葉。春の若葉に対して枯れ行くのだから老葉。ローバというと叱られそうだ。自動車標識ではもみじマークに相当するのでもみじが正解か。対になる言葉にも微妙なミスマッチがあることに気付いた。

2011/11/24の天気

TAVE= 9.6
TMAX= 17.2
TMIN= 3.4
DIFF= 13.8
WMAX= 7.3
SUNS= 6.2
RAIN= 0

最低気温(℃)  3.1  06:33
最高気温(℃)  17.3  12:05

ざっそう句:葉、葉、葉

■春若葉落ち葉朽ち葉の輪廻かな

老人の寝言:大きな事は良いことだは本当か

人間には約60兆細胞の細胞があるとの事だ。1個の細胞が二倍、二倍と増えると何回目に60兆になるか計算した事がある。その時のメモ:「メモ:倍々に増えたとき、10回目は2の10乗で1024となる。人間は約60兆個の細胞からなるとの事。最近頭の体操で何回目の細胞分裂で60兆個になるか計算してみた。2のX乗=60兆となるXを求めればよい。WINDOWS付属の電卓ソフトCALCで計算したらX=45.77002773425686670376789152731。倍々で増えると仮定すると46回目で約70兆余になる。人間は受精後から出生までにこの約60兆個の細胞数をそろえてしまうのだろう。細胞数というハードが揃ってからはソフトの段階に入る。」
追記:上記Xで逆算したら60000000000000.000000000000000005となった。かなりの精度。

リアルタイム財政赤字カウンター:url=http://www.kh-web.org/fin/
Last Modified 2011/11/21 15:43
1174兆9688億XXXX万YYYY円

このリアルタイムカウンターではXXXX万YYYY円は見る見る上昇している。借金が利子相当の仕事をするかしないかにかかわらず借金の残高は上がるだけ。

ヨタ  Y 24 一(じょ)、(し)
ゼタ  Z 21 十垓(がい)
エクサ  E 18 百京
1ペタ  P 15 千兆
テラ  T 12 1兆
ギガ  G 9 10億
メガ  M 6  百万
キロ  k  3 千
ヘクト  h  2 十
デカ  da 1 一

60兆を国際単位で表せば60テラという事になりそうだ。成人の場合、60テラ個の細胞は、生まれて増える物もあるが、死滅してしまうものもある。全体の収支は減少方向のようだ。システムが際限なく増えると許容限界に達する。その先には破滅しかない。原爆も核分裂が止められなくなった時に爆発して安定化する。癌も癌細胞が暴走して人の死で終わる。昔は、好景気と不景気が季節の如く循環していたような印象があるが最近は景気云々に実感が伴わない。赤字国債というのはどのような本質を持つのか。かつてデノミ論争があった。千円札を一円玉と扱えば千兆円の借金も一兆円に目減りする。通貨制度は余りにもバーチャルになりすぎた。自分が60テラ個の細胞で成り立っていることもついつい忘れているか、それさえも気付いていない。生物には必ず巨大に成りすぎないメカニズムが備わっている。財政赤字は21世紀の亡霊なのか。この亡霊を本気で退治しようとする人物がいないのが現代か。リアルタイム財政赤字カウンターを見ていると、破局へのカウントダウンカウンターに見えてくる。ともかく巨大な数も自分の実感で掴まなければわからない。財政赤字の約1200兆は人間細胞数の約20倍。

2011年11月24日 (木)

読みかじりの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)。111124。

2011/11/24
昨日は晴れ。庭の手入れをした。ツツジの下に余ったリュウノヒゲを植えた。そのスペースを作るためツツジの一部をツルハシで分断。根が付いているので株分けが出来る。玉突きのように余分な仕事が増えてしまうが。一昨日の霜でアメリカセンダングサがしおれた。一面アメリカセンダングサがはびこっている区画があるが何となく気分がすっきりする。そこに、ヒマワリの種をまいた。まくと言っても畑に種を投げ捨てる程度だが、一つの花には数十個の種子がありそうで、数パーセント発芽すれば来年も花が楽しめると思う。

2011/11/23の天気

TAVE= 8.9
TMAX= 14
TMIN= 2.6
DIFF= 11.4
WMAX= 2.7
SUNS= 7.5
RAIN= 0

最低気温(℃)  2.4  05:17
最高気温(℃)  14.5  14:12

読みかじりの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)

自分が幼稚園に入った頃の記憶はほとんどない。当時の幼稚園がどのようにして始まったのかも皆目知らない。当時の状況からは、子供を幼稚園に預ければ親は仕事に集中できるという実用性があったのではないか。自分が通った幼稚園は殖蓮幼稚園といっていたが、大きな木造の講堂を間仕切りして作った部屋があり、そこが教室だったような記憶がある。その後、殖蓮小学校の校庭の中に独立の園舎が出来て、幼稚園らしい体裁が整った。記憶にあるのは、ギンギンギラギラ夕日が沈むというような歌に会わせて遊技をした事位である。先生はA先生という女性の先生だった。縁の太めな眼鏡をかけていたような記憶がある。音楽はオルガンかレコード。多分、自分は遊技は嫌いで、よそ見をしながら手をブルブラさせていたのではないか。通園が嫌いでぐずったこともあったが、何とか卒園した。本書の初版は昭和9年に「幼稚園保育法真諦」として出版され、その後約30年後、久しい絶版後に昭和28年に復刊された。132ページの小著であるが、長い寿命を保っている。凡例に「第4篇、誘導保育案の試み」は除外されている旨記されている。終戦前後の幼稚園保育の考えも変わったのではないかと思うが定かではない。

本書を読みかじったのは自分の幼少期の教育を理解したいため。昭和28年に復刊されたという事は戦後の幼稚園教育に本書の需要があったためではないか。いざ読み始めてみるのさっぱり理解できない。著者の講演記録が本書のようだが、話として聞けばそれなりの流れは分かるのかも知れないが。今日では保育園と幼稚園が分離してその機能が区分されているが、本書では「幼稚園保育法」等とあり混然としているのも理解しがたい一因のようだ。また、幼稚園を一つの小宇宙のようにとらえているように見えて幼児から、小中高大、社会人と人間の人生に一貫する教育の中の幼稚園教育という捉え方が述べられていないのも理解しがたい理由かも知れない。幼児を一個の主体として理解し、幼児教育とはその主体とかかわり主体の発達・伸長を促す事ともとれた。幼児を表に出して、教育者が裏に回るので理解しにくい。そういう意味では本書の訴えたい事も、下記WIKIPEDIA記事にある「自ら育つものを育たせようとする心」にあるのだろうか。確かに、ある目的を持って幼児教育をしても、その目的が達せられる保証はない。幼児が成長するに及び何を為し、どんな大人になるか予め決められたらそれこそ味気ない人生が待っている以外にないだろう。

「倉橋惣三;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%89%E6%A9%8B%E6%83%A3%E4%B8%89;(最終更新 2011年10月15日 (土) 15:53)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「倉橋惣三(くらはし そうぞう 1882年12月28日 - 1955年4月21日)は、日本の児童心理学者。」とあり、「1913年、東京女子高等師範学校講師を経て、1917年には教授就任。東京女高師附属幼稚園の主事を長年務め、形式化した明治以来のフレーベル主義を改革、幼児教育の発展に尽くした。戦後、教育刷新委員会委員を経て、保育学会を創設した。*墓所の句碑には「自ら育つものを育たせようとする心 それが育ての心である 世の中にこんな楽しい心があろうか」と刻まれている。」とある。

追記(2017/09/28):Wikipediaのリンクを訂正
WIKIPEDIA「倉橋惣三。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%89%E6%A9%8B%E6%83%A3%E4%B8%89)」(このサイトへのリンク

「フレーベル;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB;(最終更新 2011年10月20日 (木) 01:48)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「フリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・フレーベル(Friedrich Wilhelm August Fro"bel, 1782年4月21日 - 1852年6月21日)は、ドイツの教育者。幼児教育の祖。ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチに啓発され、彼の初等教育のやり方をより小さい子供たちの教育に当てはめて、幼児の心の中にある神性をどのようにして伸長していけるか、ということに腐心。小学校就学前の子供たちのための教育に一生を捧げた。」とある。

追記(2017/09/28):Wikipediaのリンクを訂正
WIKIPEDIA「フレーベル。()」(このサイトへのリンク

日本の幼児教育も文明開化、和魂洋才という流れの中で、西洋の影響を受けてきたようだ。幼児教育に関しては、モンテッソーリ教育というのも聞いたことがある。

「モンテッソーリ教育;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%AA%E6%95%99%E8%82%B2;(最終更新 2011年8月16日 (火) 14:20)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「モンテッソーリ教育(モンテッソーリきょういく Montessori method)とは20世紀始めにマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。 イタリアのローマで医師として精神病院で働いていたモンテッソーリは知的障害児へ感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見せ、1907年に設立した貧困層の健常児を対象とした保育施設「子どもの家」において、その独特な教育法を完成させた。以後、モンテッソーリ教育を実施する施設は「子どもの家」と呼ばれるようになる。」

追記(2017/09/28):Wikipediaのリンクを訂正
WIKIPEDIA「モンテッソーリ教育。()」(このサイトへのリンク

WIKIPEDIA:モンテッソーリ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%AA)によると、モンテッソーリはイタリア初の女性医師でシングルマザーでもあったとか。

WIKIPEDIA「モンテッソーリ。()」(このサイトへのリンク

幼児教育では、ソニーの井深大も忘れられない。「井深大;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%B7%B1%E5%A4%A7このサイトへのリンク);(最終更新 2011年10月28日 (金) 09:45 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「教育活動 [編集]:教育活動に熱心にとりくみ、1969年(昭和44年)に幼児開発協会[4]、1972年(昭和47年)にソニー教育振興財団を設立し理事長に就任。また、1985年(昭和60年)にはボーイスカウト日本連盟理事長にも就任している。教育の持論は「この人の能力はこれだけだと決め付けていたらその人の能力は引き出せません。」だった。」とある。

井深大の著書「幼稚園では遅すぎる」も読んだことがあるが、実業家でこれだけ幼児教育に真剣に取り組んだ人は少ないのではないか。

幼稚園の頃を再現するには、宇宙の始まりを見ようとするように困難を感じる。しかし、人生百年という歴史が、具体的に始まる頃が幼稚園時代ではないか。人間は生まれたときには既にその構造、骨格は固まってしまっている。しかし、知的能力、行動力等々は嬰児から幼児の間に徐々に獲得されてくる。コンピュータで言えば、イニシアルプログラムローダーを読み込む頃までが幼児教育に相当するのではないか。ともかく、幼児教育がうまく行われなければ、次なる教育への引継もうまく進まない。形にはめて行くのがしつけかもしれないが、その形を自ら壊し、創造的に再構築できる能力を養わないと、進歩の早い時代に追いつけなくなる。子育て中は夢中であったが、遅蒔きながら最近幼児教育が気になってきた。

自分の幼稚園時代を振り返ると幼稚園のクラスが幾つあったか覚えていない。2~3クラスかそれより多かったか定かでないが、小学校では6クラスあった。そう考えると、幼稚園年齢に達しても全員が幼稚園へ通園したわけではなさそうだ。今日では、小中学校の義務教育に加えて、その前後の幼稚園と高等学校も準義務教育化してその普及率は高くなっている。今日では0歳児保育からあるので大学卒業までに20年以上の教育が為される。二度と繰り返しが効かない人生初期の教育にかける20年間をふと考えた。ともかく、20年間無駄飯を食えるのはそれなりに食糧の生産性が上がっているからなのか。教育に関しては受験と職業選択が大きな難問なのだがそれを解決する方法はあるのか。いくら教育を受けても就職できないという現実をみるとなにかさびしい思いがする。

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追記1(2014/1/12):
サイト内でキーワード「読みかじりの記」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E8%AA%AD%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%8A%E3%81%AE%E8%A8%98%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。

追記2(2014/3/6):
上記記事のランキング変動から勝手な推測を楽しんだ。
「書き足しの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/03/1976-1b00.html)。(2014年3月6日(木) )」

追記3(2015/1/17):「読みかじりの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)」の記事がランキング3位に入っている。比較的読まれている記事らしい。おまけに、最近読み直した過去の関連記事にリンクしておく。「技術断想:小さな力。((2010年10月 4日 (月))」「技術断想:小さな力(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/10/post-16b7.html)。)」

追記4(2017/09/28):Wikipediaへのリンクを訂正(リンク先が正しく表示されない)。

追記(2018/06/19):タイトルに日付を追加。ランキング7位。

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2011年11月23日 (水)

技術 回顧と展望:S.Jobsとhp9100A(改題):老人の寝言:日本はどこへ行くのか。111123。

2011/11/23
昨日は晴れ。朝7:30の室温は12.9℃。外に出ると霜が降りていた。AM宅内で残務。PM外出。前橋初霜平年:11月13日との事だ。平年は10年毎に見直されている。今年がその見直しの年の筈。温暖化で紅葉が遅くなったと言われている。初霜の平年値も遅くなったのか。ラジオでは熊谷・前橋に初霜と報じていたので当地でも初霜だと思う。

2011/11/22の天気

TAVE= 8.5
TMAX= 14.4
TMIN= 3.6
DIFF= 10.8
WMAX= 4.5
SUNS= 9.7
RAIN= 0

最低気温(℃)  3.5  01:01
最高気温(℃)  14.4  15:01

技術 回顧と展望:S.Jobsとhp9100A(改題):老人の寝言:日本はどこへ行くのか

外出のついでに書店に立ち寄る。週刊誌はパナソニック株式会社の業績不振を報じていた。その不振を押し広げているのが会長の出身部門。身内に甘かったのが傷口を広げたのではという指摘をしていた。

アップルはどうだったか。アップルが不振の時それを立ち直らせたのがS.Jobs。S.Jobsの翻訳伝記本が店頭一等席に山積みされていた。第1章をペラペラとめくってみた。家族のこと、幼少年時代のことに興味があった。育ての父の存在が後のS.Jobsへ与えた影響が大きかったようだ。

また、シリコンヴァレーという最新の技術的雰囲気が満ちた地域とそこでの人間関係がS.Jobsをコンピュータに目覚めさせたのが分かった。そうして、ヒューレットパッカード社のhp9100Aというコンピュータに衝撃を受けたような事が書かれていた。

このhp9100Aを頭の中にたたき込んだ。調べてみると、Hewlett Packard HP 9100A electronic programmable calculator, 1968.とあった。S.Jobsはこのコンピュータに中学生か高校生の頃に会っていたのだ。

そうして、その写真を見ると何と自分がSパラメータからYパラメータの変換に使ったコンピュータと同じであった。自分もS.Jobsと同じ物を見ていた。

その記憶はhttp://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/02/post-c796.htmlに書いた。当時のSパラメータ測定システムは、SG、ベクトルボルトメータ、Sパラメータ測定ユニット、それにデスクトップコンピュータであった。

このシステムを導入した上司は後にエレクトロニクス部門に異動し、コンピュータの開発に従事したようだ。また、Sパラメータ測定システムは後にはトランジスタ等のパラメータ抽出システム、抽出したデータを活用する回路設計CADへと展開して行った。

このような技術の流れを振り返ると、ヒューレットパッカード社が現在でも世界のパソコンシェアランキングで第一位である理由が何となく分かる。
hp9100Aの写真
Hp9100a

url=http://4ki4.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-5efb.htmlによるとそのTOP10は(世界のパソコンシェアランキング(2009年) 順位  PCメーカー  国名  シェア
1  HP  アメリカ  19.7%
2  DELL  アメリカ  12.6%
2  Acer  台湾  12.6%
4  レノボ  中国  8.2%
5  東芝  日本  5.2%
6  ASUS  台湾  4.1%
7  アップル  アメリカ  3.7%
8  サムスン電子  韓国  2.1%
9  SONY  日本  2.1%
10  富士通  日本  1.8%)
である。

ヒューレットパッカード社は元々は計測機器メーカとスタートした企業だが、1999年にその計測機器部門を現アジレント・テクノロジーとして分離させている。ともかく、自分が入社した当時はhpの測定器にはよくお世話になった。

その中心はhp608EというVHF帯域信号発生器。url=http://www.messmuseum.de/hp608e.htmにその概要があり懐かしかった。Weight :62 lbs ( kg)、Power :220 watts、Technology :tube, transistorとあり、真空管式で鉄の固まりのように重かった。測定器をフル稼働すると、冬はシールド室はほかほか暖かかった。夏は地獄。昼食後は睡魔が襲った。

S.Jobsが長じて理工系と文化系の中間の分野に向かったのにも、S.Jobsが生まれ育った環境が大きく影響していたのだと思った。日本では理工系離れが叫ばれて久しいが、地域の企業等がもう少し小中学生達へ関心を持たせるような活動をしても良いのではないかと思った。

自分も子供達を自分の職場へ連れていって仕事をしている所を見せてやりたいとい思ったことがよくあった。結局一度も実現しなかった。親がどんな仕事をしているかも子供にはブラックボックス。職場もブラックボックス。当然そこで使っている機械類もブラックボックス。子供達はそのブラックボックスを打ち壊して成長するのではないか。

S.Jobsが、育ての親が自動車の修理や器具の製作をしているのを見て、父親は凄いと尊敬していたが、ある日、父親より自分の方が優れていることに気付いた場面の記述が印象に残る。

父親は子供が最初に乗りこえるべき存在なのだ。それが、子供が独立して行くための最初の踏み台なのだ。このような体験が勇気と自信を与えるのではないか。

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追記(2017/11/16):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等

Googleで「S.Jobs」を検索。そのトップに下記のように表示される:

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スティーブ・ジョブズ - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/スティーブ・ジョブズ

スティーブン・ポール・“スティーブ”・ジョブズ(Steven Paul "Steve" Jobs、1955年2月24日 - 2011年10月5日)は、アメリカ合衆国の実業家、資産家、作家、教育者。 アップル社の共同設立者の一人。アメリカ国家技術賞を受賞している。

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この記事はS.Jobs死亡後、二ヶ月以内に書いていたので、その死亡を念頭に書いたような記憶がある。ブランド名としては有名だが、製品として余りお付き合いをしなかったのが、日本ならソニー、米国ならアップルであった。当時、S.Jobsの翻訳伝記本が発売されており、少し立ち読みした。その後、古本を入手したが、ツンドクのままだ。

S.Jobsが死亡してから6年程経った。この間に、日本の家電メーカーの経営状況は壊滅的に悪化してしまった。再び、過去の栄光を取り戻せるのか。もはや、日本の家電の繁栄は過去の物になってしまったのか。

電気製品は、基本的には道具であり、安くて信頼性が高ければ、あまりメーカーにはこだわった事も無い。そんな訳で、パソコンはDOS/Vの流れに乗ってきた。子供達には、自作のDOS/V機を与えたが、知らぬ間にMAC派になっていた。今では、MACもDOS/Vも使えるので、それで良かったのだろう。

DOS/Vパソコン (2009年2月 4日 (水)の記事へのリンク)

道具あれこれ記:半端道楽:デジカメで撮影したノートパソコンの異音?;爺婆の 迷子が絶えぬ バス旅行。171116。(東芝テレビ事業を売却)

最近の日本の電気メーカーは、壊滅状態になりそうだ。何が、問題なのだろうか。やはり、経営者という人材不足なのか。製造業、サービス業への投資が不足なのか。長期的な視野に立って、戦略的投資を決断できる銀行家という人材難もあるのか。

ともかく、人材、人の動き、経営、政治、経済、産業、教育、文化、何事を見ても、刹那的なのが、最近の日本の現状のようだ。今が良ければ、それだけで満足だという状況の先に何が起こるのか。


2011年11月22日 (火)

柿(カキ)色々(半端道楽):カキの実の色と柿の縮伐

2011/11/22
昨日は晴れ。部屋の整理、事務。リュウノヒゲをタマリュウに改植。リュウノヒゲは草丈が30㎝程度になる。コンクリートの脇に植えていたが大きくなりすぎて、圧迫感があり、通行にも不便。堀上げたタマリュウの面積の2~3倍の面積を埋めることができた。堀上げたリュウノヒゲは別の場所に移植。リュウノヒゲは野草の一種で買った記憶はない。鳥が種子を運ぶのか畑や竹やぶにはえている。タマリュウは野生の物はみたことがない。園芸種なのだろうあ。グランドカバーについてはWIKIPEDIAに:地被植物(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%A2%AB%E6%A4%8D%E7%89%A9)としてある。リュウノヒゲは耐陰性があるので、樹木の陰の空きスペースの防草、目隠しに向く。タマリュウは草丈が低いので、日照があり、広さを感じさせたい部分へ使うのに適しているようだ。カキの木にムクドリやヒヨドリが群がり始めた。カキも丁度食べ頃になったようだ。集団で来て鳴いているのでにぎやかだ。ところで、カキを食べているときに何と言って鳴いているのか。このカキはうまいぞ。これは俺が食っている。くちばしを出すな云々。餌を食っているときはそちらにエネルギーを集中している。そこを猛禽類等に襲われると命を落とす。群全体で鳴いていれば敵を寄せ付けない効果があるのではないか。群は全体で大きな固体と同じような機能を果たす。60羽いれば、各固体は一分に1秒間鳴くだけで群れ全体では1分間鳴き通しの効果がある。群を作れば餌の取り合いも生じるが、餌にされる危機というデメリットは解消できるのだろ。ところで、秋は鳥にとっても餌を食べられるだけ食べて栄養分を蓄え冬に向かう準備をしているのだろうか。

2011/11/21の天気

TAVE= 9.3
TMAX= 13.7
TMIN= 4
DIFF= 9.7
WMAX= 5.8
SUNS= 6.8
RAIN= 0

最低気温(℃)  3.6  23:42
最高気温(℃)  15.0  11:32

柿(カキ)色々(半端道楽):カキの実の色と柿の縮伐

カキは馴染み深い果実だ。見るだけでは勿体ない。もう少し利活が必要だ。「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」。カキは正岡子規の好物だったようだ。出町誠著のカキの本の「カキの色」によると、黄色成分は、柑橘類やバナナと同じカロチノイド系の色素、朱色はリコピンとの事だ。青柿の青(緑)はクロロフィルという緑色素による。リコピンは20℃前後で発現が高まるとの事。秋になりカキが色付くにもクロロフィルという緑色素⇒リコピンの発現という変化が起こっている。

自然界の植物の色は色素の合成・発現が絡んでいる。ところが、太陽光は色の成分を全て含んでいる。クロロフィルという色素は波長の長い赤色と波長の短い青色の成分を吸収するのだとの事。葉に当たった太陽光で吸収されずに反射されるのが緑色成分で、人間はその光を見て緑と感じるらしい。植物の人造光栽培では、波長の長い赤色と波長の短い青色の成分を当ててやればエネルギー効率が良くなる。赤色と青色のLEDで人工栽培用の光照射装置を作って見たいところだ。ところで、作物を作っているとき、作物以外の雑草があると、雑草が利用できる光を吸収してしまうだろう。雑草が無ければ地面に反射して作物に当たるので少しだけ作物の利用できる光は増えるのか。日光が地表に当たると地表温度が上昇する。温度管理という観点では雑草があった方が良い時期と雑草がない方が良い時期がありそうだ。

カキの木の枝はもろいので要注意とよく言われた。木に登ったり、脚立で枝を引き寄せたりしているとポキンと折れる心配もある。怪我や事故は禁物。庭先果樹としては申し分ない特性を備えているようだ。欠点はやはり樹高が高くなる事。高齢化社会になると樹高の高い果樹は敬遠される。カキに関しては矮性台木に接木した苗を知らない。矮性台木はあるのだろうか。

WEB検索すると宮菜園掲示板に、「柿の矮性台木;url=http://8024.teacup.com/minikabu/bbs/559(投稿者:宮爺メール  投稿日:2010年10月21日(木)19時36分56秒 )」というタイトルで、「私が知らないだけかも知れませんが、柿の矮性台木はあまり一般的に使用されていないようですね。矮性台木の苗を販売しているのも見た事がありません。 ネットで検索すると、木種によりその様な傾向(矮性)があるものもあるようです。」、「思うに柿の矮性台木はあまり必要とされていないのではないでしょうか?普通の台木で育てても小さい木でも実が成る様ですし、強めの剪定を行っても(肥料次第と思いますが)、実は成りやすいように思います。 現在、老爺柿を少し育てていますが、これはかなり矮性の機種の様に思いますので、これを台木にすると、矮性台木になるかも知れません。普通の柿に老爺柿を接いで、さらにその上に普通の柿を接ぐと、矮化の具合を調整出来るかも知れませんよ。」とあった。

趣味、観賞的なら、鉢やコンテナ、実用的には露地で整姿剪定で対応という所か。我が家のカキの木も畑の中に一本立ちしているのは、条件が良すぎて大木になってしまう心配がある。芯抜き・縮伐をして、樹高を下げてみたい。

2011年11月21日 (月)

老人の寝言:原子力事業者は原子力損害賠償に関して国に「おんぶにだっこ」なのか

2011/11/21
昨日は晴れで暖かだった。15時頃から西風が強くなった。突風で帽子が吹き飛ばされた。道路沿いの畑の手入れ。除草、タマリュウ改植等。暗くなってから回覧板を回しに行く。南東の空のやや高くに木星が見える。南西のそらの低いところに金星が見えた。西の空には不気味な真っ黒な雲が出ていた。デジカメで写して見たが真っ黒。画像ソフトで明度とコントラストを調整するとようやくそれらしい画像が現れてきた。とっさの一言ではなく、シャッターのとっさの一押し。ちゃんと調整すればもう少しまともに写るのかもしれない。11/20より政策仕分けが始まったとの事だ。

Kuroikumo_s

2011/11/20の天気

TAVE= 16.4
TMAX= 23.3
TMIN= 10
DIFF= 13.3
WMAX= 9.7
SUNS= 6.5
RAIN= 0

AMEDASデータ(10分間):時刻、雨量、気温、平均風速、最大瞬間風速、日照
14:50 0.0 19.3 8.0 北北西 14.8 北北西 10
17:10 0.0 15.1 10.2 北西 15.9 北西
昼前後は東南東の風向き。13:40から北西の風向きに変わった。

YOMIURI ONLINEは、「もんじゅ抜本見直しを提言…政策仕分け開始;url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111120-OYT1T00545.htm(2011年11月20日20時07分  読売新聞)」というタイトルで、「政府の行政刷新会議(議長・野田首相)は20日、政策や制度の問題点を公開で検証する初の「提言型政策仕分け」を都内でスタートさせた。 初日は原子力政策が取り上げられ、日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の研究開発を抜本的に見直し、2012年度予算で試験運転の再開費の計上も見送るよう提言した。しかし、原子力発電を含む日本のエネルギー政策の方向性については見解を示さなかった。」と報じた。

「初日は原子力政策が取り上げられ」とあるが、「もんじゅ」でお茶を濁しただけなのか。文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は智慧を司る仏とされるらしいが、会議は知恵も出さず、汗もかかずというのか。なぬ、議長は野田首相ではないか。

老人の寝言:原子力事業者は原子力損害賠償に関して国に「おんぶにだっこ」なのか

福島第一原子力発電所の事故の被害の大きさが明らかになるにつれて、損害賠償の問題がクローズアップされた。そこで登場したのが、「原子力損害の賠償に関する法律」であるが、調べてみると「(昭和三十六年六月十七日法律第百四十七号)」とあり、意外にも早く成立していた。東京電力の起こした福島第一原子力発電所事故の損害範囲も、直接的な損害から、風評損害、精神的な損害と際限なく広がっている。気になるのが、この膨大な損害の加害者である東京電力が、いまでもその社会的・経営的な責任を十分果たさず、損害賠償額など気にせずに対応しているように見える事だ。

以下に「原子力損害の賠償に関する法律」の要点を抜粋してみた。

(目的)
第一条  この法律は、原子炉の運転等により原子力損害が生じた場合における損害賠償に関する基本的制度を定め、もつて被害者の保護を図り、及び原子力事業の健全な発達に資することを目的とする。

(無過失責任、責任の集中等)
第三条  原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。

第七条  損害賠償措置は、次条の規定の適用がある場合を除き、原子力損害賠償責任保険契約及び原子力損害賠償補償契約の締結若しくは供託であつて、その措置によ り、一工場若しくは一事業所当たり若しくは一原子力船当たり千二百億円(政令で定める原子炉の運転等については、千二百億円以内で政令で定める金額とす る。以下「賠償措置額」という。)

(国の措置)
第十六条  政府は、原子力損害が生じた場合において、原子力事業者(外国原子力船に係る原子力事業者を除く。)が第三条の規定により損害を賠償する責めに任ずべき 額が賠償措置額をこえ、かつ、この法律の目的を達成するため必要があると認めるときは、原子力事業者に対し、原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行なうものとする。
2  前項の援助は、国会の議決により政府に属させられた権限の範囲内において行なうものとする。
第十七条  政府は、第三条第一項ただし書の場合又は第七条の二第二項の原子力損害で同項に規定する額をこえると認められるものが生じた場合においては、被災者の救助及び被害の拡大の防止のため必要な措置を講ずるようにするものとする。

「原子力損害の賠償に関する法律」第七条によると、原子力事業者は、損害賠償として「一工場若しくは一事業所当たり若しくは一原子力船当たり千二百億円」用意するだけでよい。これでは原発周辺住民は安心できない。「賠償措置額」は原発1基に、例えば5000億円程度確保させる等大幅に拡大すべきではないか。(国の措置)として 第十六条があるが、政府が行う「損害を賠償するために必要な援助」とは何か。損害賠償積立金でまかなえない損害賠償額を国にツケまわししても良いという事なのか。ともかく、このような損害賠償の枠組みだけでは、原発立地地域の住民は言うに及ばず、国民も、安心して眠ることもできないのではないか。国が支払う損害賠償も、結局は国民にツケが回ってくるのだから。

第三条:(無過失責任、責任の集中等)は余り、議論されていないが、福島原発事故当初は、これは政府の基本的な立場のように政府自身も述べてきたが、現在は東京電力の「おんぶにだっこ」を認めているようにも見える。

「無過失責任;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%81%8E%E5%A4%B1%E8%B2%AC%E4%BB%BB;(最終更新 2011年8月3日 (水) 08:49 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「無過失責任(むかしつせきにん)とは、不法行為において損害が生じた場合、加害者がその行為について故意・過失が無くても、損害賠償の責任を負うということである。」、「概要 [編集]:元来、不法行為においては被害者が加害者の故意・過失を立証しなければならないという過失責任主義を原則としていたが、科学技術の進歩・交通機関の発達などにより、公害をはじめ企業の活動により多くの被害者を出すようになったことから、過失責任主義における矛盾が生じ、それを是正するために講じられるようになったのが無過失責任である。」とある。

「不法行為;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%B3%95%E8%A1%8C%E7%82%BA#.E4.B8.80.E8.88.AC.E7.9A.84.E6.88.90.E7.AB.8B.E8.A6.81.E4.BB.B6;(最終更新 2011年9月22日 (木) 04:54 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「不法行為(ふほうこうい)とは、ある者が他人の権利ないし利益を違法に侵害した結果[1][2]、他人に損害を与えたという場合に、その加害者に対して被害者の損害を賠償すべき債務を負わせる制度である(民法709条)。そのような違法な利益侵害行為自体も不法行為と呼んでいる[3]。」、「一般的成立要件 [編集]:一般不法行為の成立要件は以下の通りである(709条)故意・過失、、権利侵害(違法性の存在)、損害の発生、侵害行為と損害発生との間に因果関係があること、責任能力、違法性阻却事由(違法性が正当化される理由)がないこと、違法性阻却事由は不法行為責任の不成立を主張する被告側が主張すべき要件である。 」とある。

原発事故の損害賠償責任が民法レベルに留まらないことは、その質量規模の大きさ等から明かだろう。また、損害賠償も追求すれば際限が無くなる。しかし、小さな損害ならば切り捨てて良いとすると倫理崩壊が起こる。損害は大から小まで連続的に起こっているのだ。

毎日新聞は、「東日本大震災:福島第1原発事故 東電監査役に提訴請求 株主、5兆5045億円求め;url=http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111115ddm041040117000c.html(毎日新聞 2011年11月15日 東京朝刊)」というタイトルで、「福島第1原発事故で東京電力が巨額の損失を出したことについて、一部の株主は14日、監査役に対し、勝俣恒久会長ら新旧役員計61人を相手に損害賠償訴訟を起こすよう請求した。株主側代理人の河合弘之弁護士によると、賠償額は総額5兆5045億円。会社法の規定で、監査役が60日以内に提訴しなかった場合は株主代表訴訟に移行する意向だ。」と報じた。

いよいよ、東京電力福島原発事故の損害発生に対する経営陣の経営責任の追及の動きが出てきた。会社法の経営責任は「原子力損害の賠償に関する法律」の無過失責任よりより広い意味の責任が対象になるのだろう。ところが、株主代表訴訟を起こすには、訴訟費用だけでも膨大になるだろう。今後の動きに注目したい。それにしても、裁判は起こってしまった事の後始末の一つだ。このような原子炉事故の再発を招かないためにも、「原子力損害の賠償に関する法律」を叩き直して、原子力事業者は安心して眠れない程度厳しい損害賠償に対する「賠償措置額」を確保させたり、事故を起こさせないよう注する責任がある等の条項を追加する必要があるのではないか。今の政治家は得点目当てに目先の対策だけを優先させるが、再発防止の法令対策は未着手だろう。無過失責任を謳っているが、その賠償責任の上限は余りにも低すぎる。「原子力損害の賠償に関する法律」は、まだ、大きな原発事故が発生する前に制定されていたのだろう。不完全とはいえ、この法律があったからこそ、対応の筋道がつけられたのだろう。しかし、その法律が現在では余りにも、ザルに近く、再発防止にも不十分であるのも明瞭だ。そう言う意味で、もう一度福島原発事故を教訓に「原子力損害の賠償に関する法律」を抜本的に再構築すべきではないか。

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