雑木の歌:貧窮もんどり歌
- 2012/2/6(月)
昨日は晴れ。寒さは一段落したがまだ油断できないようだ。AMEDASデータでは1/27の平均気温が-0.3℃。昨日の平均気温が4.1℃で数値上はかなり暖かな筈だ。宅内で資料作り等で過ごしたので実感できなかった。農事の役員が相談に来た。高齢だ、女性だけだ、会社勤めだと役を受けようとする人がいない。現職が説得して何とか平成24年度の役員は内定したようだ。日本の戦後経済の高度成長も、農林漁業の第一次産業の人材が、第二次、第三次産業に移動して、その活動を下支えしたから可能になったのだろう。当時の第一次産業の人材は、学歴こそほとんどないが、その体力と素質に優れていた。当時の中卒の集団就職は、金の卵とももてはやされた。その人材を叩き直して育成すれば、正に社会の人的鉄骨になった。今後、第二次、第三次産業から第一次産業への民族移動は起こるのだろうか。第一次産業は日本人が全てを失った時に、最後に帰る場所だ。終戦直後の買い出しがそれを証明している。第一次、第二次、第三次産業とが調和した社会を実現しなければ日本の未来はないだろう。
2012/2/5(日)の天気
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雑木の歌:貧窮もんどり歌
葬儀で、日向ぼこに集合した時の雑談。昔は焼き石を紙や布に包んで懐炉にして学校に通ったという話が出た。若い世代はそのような記憶は無いようだった。今は尚更だろう。高校生を車で駅まで送り迎えする風景も当たり前だ。焼き石懐炉が廃れたのは、衣類の品質が向上して安くなったのも一因だろう。昔は足袋や半纏が普通。手袋は贅沢品。大抵の子供が鼻水を垂らしていた。ともかく我慢と根性と生活の知恵が生きていた時代があった。
○この寒波 ストーブだけの やせ我慢 原発思い 妻も愚痴断つ
○生姜湯を すすりつ思う 被災者を せめて心身 温めてくれよ
○ナスビ球 LEDに 交換だ 百均相当 わずかな節電
○独り寝の 貧乏揺すり 板に付く アンカ抱き寝の 極楽去って
○貧に耐え 空腹に耐え 節守る 歴史が語る 一筋の道