05C_技術 回顧と展望

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2009年1月21日 (水)

ノーベル賞講演

2009/1/21

ノーベル賞講演

ついにOBAMA大統領が誕生した。この先米国はどうなるか。日本はどうか。不安と期待が

交錯する。就任式のTV中継は通訳が入って便利なようで不便でもあった。いつか、もう一度

PLAY BACKしてみたい。昨年のノーベル賞の話題も遠い過去のように感じてしまう。そんな

中、リンクか検索かでたどりついたのがノーベル物理学賞受賞者の益川氏のノーベル賞講

演であった。済みませんが、英語を話せませんのでと英語で話してから、日本語の講演に入

った。これは、先生一流の皮肉ではないか。英語が万能ではない。自国語を愛し自国語に誇

りをもつ。その上で外国語を学ぶ。ともかく、外国語コンプレックスを持つより、言いたいこと

を持つ事の方が大切だ。前半のなぜ物理学に志したかについては共感を覚えた。後半の物

理学の部分は難解だ。しかし、青少年にとってこの世の中に分からないことがある事に気付

くだけで大発見ではないか。青少年・一般人も参考になるだろう。世界では日本語を理解で

きる人は少数だろうがこのサイトに有ることが重要だ。以下は講演の紹介とリンク先である。

Toshihide Maskawa delivered his Nobel Lecture on 8 December 2008, at Aula Magna, Stockholm University. He was introduced by Professor Joseph Nordgren, Chairman of the Nobel Committee for Physics. The lecture was delivered in Japanese.

http://nobelprize.org/mediaplayer/index.php?id=1064&view=3

2009年1月 8日 (木)

最初の日米間テレビ衛星中継:090108。

最初の日米間テレビ衛星中継(改題):技術 回顧と展望:老人の寝言:フェイクとファクトの情報戦争;勝負年 勝ち栗貰い 運任せ。180109。=再編集記事へのリンク

追記(2018/01/17):タイトルに日付追加

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2009年1月 8日 (木)
2009/1/8

最初の日米間テレビ衛星中継

ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。その暗殺のニュースは、日米間の初の

人工衛星によるテレビの中継実験を通して伝えられた。全く予想されていなかった大事件が

テレビ画像で瞬時に報道された事に衝撃を受けたのであった。このニュースの中継にあたっ

たのがKDD茨城宇宙通信実験所で、1963年(昭和38年)11月20日に開設された。実験が

即実用ということになり、あの巨大なパラボラアンテナの存在意義が実証された。ところが、

当時はなぜあのように巨大なパラボラアンテナが必要なのかは自分には理解出来なかっ

た。大学生になり、無線通信工学等を学び、技術者としてテレビ用の用集積回路の開発に従

事してから、S/N比という概念に親しむようになってようやく理解できた。即ちS/N比とは画像

の質の善し悪しを計る尺度であった。商用の通信は画像の質を保証する必要があるのであ

る。当然、市販されるテレビもある水準の画質を保証する必要があり、そのためにはより性

能の高い集積回路が要求されたのであった。S/N比が低い時、即ちN:ノイズが大きい時の

画像にはちらちらと見苦しい点々がが現れて、ついには画像はノイズにかき消されてしまう。

ケネディ大統領暗殺の真相は未だに謎である。S/N比で考えるとS(信号)が少ないと言える

のか。封印されたと言われる情報に興味が湧く。技術分野では信号の質の尺度としてノイズ

の外に歪み(DISTORTION)というものもある。雑音も歪みも自然に発生したり、意識的に加

除修正されたりするので問題が複雑になる。雑音や歪みの混じる信号から本物の信号を選

び出すのが大変な時代になった。

2008年11月27日 (木)

家畜の人工受精

2008/11/27

家畜の人工受精

高祖父が生きていた時代は江戸末期から明治にかけてである。叔父さんの話では明治の初

期はまだ、ちょんまげを結っていたとの事である。高祖父は進取の風があったので地域では

最初に髷を落とした人物であったという話をしてくれたのを覚えている。そういえば、高祖父

は長男は農業を継がせたが、次男は師範学校に出してその後渡米させている。父は戦争前

後に青年期、壮年期を過ごし、親が病弱であり、家族が多く、徴兵もされるという事で大変な

貧乏くじを引いてしまった。しかし、その運命にあまりグチを言うことなく、米麦、養蚕、野菜等

時代に合った農業をやってきたようだ。一時は養豚をやった事があった。規模は小さく10頭

程度であった。いまもその時の豚舎が残っている。養豚の延長で始めたのが家畜の人工授

精であったようだ。人工授精って何?と興味もあるが聞くのも照れくさい年齢の頃であった。

受精の注文があると、県の畜産試験所かどこかへ行って、豚や牛の優良種の精子供給を受

けて、発情した家畜の人工受精をしてやる仕事である。ステンレスのピカピカ光る魔法瓶を

肩にかけてオートバイを使って行き来していた。家畜の人工受精もオートバイ乗りも当時は

時代の先端にあったので、父も進取の風があったのかなと今となって思う。農業、特に畜産

にあってはこの人工受精という技術は特筆すべき技術革新であったと思われる。今日のバイ

オテクノロジーのはしりでもあった。

2008年11月12日 (水)

技術の究極にあった黒電話

2008/11/12

技術の究極にあった黒電話

今日、一人一台と言って良いほど携帯電話が普及している。電話の歴史をたどると、たゆま

ぬ進化があったようだ。一般の家庭に電話が入る前には、呼びと言って電話のある家の電

話を使わせて貰うことも行われていた。その後に、有線放送という地域の組織ができて、地

域内の一斉放送と、放送時間帯以外の通話の兼用が行われた時代があった。地域に専用

のコンクリート柱が立てられ有線が張り巡らされていた。しかし、一般の電話の普及で有線放

送も使命を終えて消えていった。電話機といえば、両親はあの重たいが存在感のある黒電

話を使い通した。頑丈で音質も良く扱いに不自由がない単純さ。まさに電話以外でない電話

そのものであった。電子式の電話機は軽く多機能であるが、電源が必要、落雷に弱いという

問題もあった。半導体が電話の世界にも大量に使われるようになった結果でもある。一度電

子式に変更してみたが結局黒電話に戻った。その電話機の型番は定かでないが、使い始め

た年代から600形と思われる。WIKIPEDIAによると「600形電話機は、1963年(昭和38

年)、日本電信電話公社によって制式化され、提供が開始された電話機。アナログ回線によ

る単機能電話機としては、これ以上の根本的な性能向上は望めない水準で、完成された電

話機と言われる。」とある。局側も端末側もアナログレベルでは究極の状態に達していたので

ある。アナログをデジタルで置き換える事により、各種の機能、サービスが可能となり普及が

加速されてくる。その結果が一人一台の携帯電話の時代といえるだろう。携帯電話では電波

技術と移動する電話を追跡して電波をつなぐ技術が活躍している。

我が家の黒電話も当主がダイアルを回すことが徐々に少なくなり退役を迎える事になった。

実に見事な働きぶりであったと思う。このような名器が現役を去るのは残念ではあるが、これ

も時代の流れで仕方がない。電話は社会のインフラである。光電話は便利であるが停電の

時に使えなくなるという。また、万一の場合のバックアップ電池の販売もしていないとのことで

あった。光電話の採用を検討したときの回答であった。この事実は広告や説明書では小さな

文字で説明されているに過ぎない。社会のインフラとして周知すべきであると要請したことも

ある。災害、事故等万一の場合の命綱で黒電話がまだどこかで健在であるかもしれない。黒

電話を今まで残しておいたのは万一の場合の命綱を確保しておく目的もあった。

2008年10月21日 (火)

部品の差し替え

2008/10/21

部品の差し替え

部品の差し替えは本体を使って行く限り必要になってくる。当然、本体が主たる機能を発揮し

て、部品は全体の機能の一部を受け持つ。部品の価格が本体価格に比べれば十分低い場

合に、部品の差し替えが実用的な意味を持つ。

かって、TVの心臓部部品の真空管がトランジスターに移行する時期には各種のトランジスタ

ーが開発されTV用途の需要も増大した。トランジスターには単品の規格があるが、セットの

中でどのような性能を示すかは実証されていない。従って、販売競争が激しくなると単に新製

品のサンプルを顧客に提出するだけでなく、現用品と問題なく交換できることを実験で確認

し、データを提出するようになった。医薬品開発では臨床試験のような物であったろう。駆け

出しの技術者としてこのような差し替えという仕事も色々行った記憶がある。マーケット指向

の開発の走りのようなもので、後々の開発の基本をこのような仕事で修得した。ビジネスベ

ースで大量の部品の差し替えをする場合は再設計に近くなる場合もある。修理の場合は事

情が変わってくる。大抵は補修部品で対応するが、補修部品が無くなると修理も相当困難に

なる。ともかく、部品の規格が標準化されていれば、部品の差し替えも容易だ。万年筆が各

社まちまちのカートリッジ形式になって以来、万年筆は使わなくなってしまった。環境の世紀

になり、代用可能な互換品という考えも必要になってきたようだ。

2008年10月20日 (月)

ジェネリック薬品と互換性

2008/10/20

ジェネリック薬品と互換性

最近、病院や薬局に行くとジェネリック医薬品の表示が目立つ。医薬品といえども商品なの

で製造方法から売り方まで色々あるようだ。医薬品と農薬品はその性質から法令に基づい

た規制がある。医薬品の場合自分で選ぶという意識が余り働かない。しかし、ともかく商品で

ある以上、市場と顧客の存在が前提となる。ある商品の売り上げが好調ならば、当然二匹

目のドジョウを狙うメーカーも現れる。その時の最大のセールストークは互換品とか相当品と

いう場合が多い。使う側からすれば、機能や性能が同じならば安い相当品を買うか、信頼で

きるオリジナルメーカーの製品を買うかの選択の幅が広がる。製品の機能が多い家電製品

等はその機能の数で差別化を図る事が出来る。しかし、医薬品という商品になると差別化も

困難になる。やはり医薬品は市場原理からやや離れている製品に違いない。

医薬品の価格には開発コストと臨床試験のコストが多くの比重をしめるようだ。独創的な製

法で特許をとれば、開発コストは特許料という形で製品価格に上乗せして回収できる上に、

市場を独占できるので利益は大きくなる。一方、特許が切れれば、市場が健在で需要がある

限り、他の後発メーカーの参入障壁が下がるので互換製品の市場投入が可能になる。

従って、先発医薬品と成分や規格が同じであるとして承認された医薬品(後発医薬品)である

ジェネリック薬品の存在意義は大きい。しかし、医薬品の製品名がなかなか馴染めずジェネ

リック薬品の製品名まで考えが及ばないのが実状である。生活習慣病等で一度薬を使用を

始めるとそれを止めることが難しくなり薬代も馬鹿にならなくなる。試しに、自分の使用してい

る医薬品のジェネリック薬品があるか聞いたところ新薬なので無いとの答えであった。

医療費の増大という現実の中で、今後のジェネリック薬品の普及促進策が期待される。

米国では工業製品である集積回路にも互換品を求めたことがあったように記憶している。単

独の一社のみに供給を仰いでいると、価格も下がらず、品質もサービスも向上しないし、万

一の場合のリスク対応も不可能になる為である。地震の被害で自動車の基幹部品の生産が

停止し、自動車の生産ラインが停止した例も記憶に残る。医薬品においても、コストの引き下

げ、品質・サービスの向上、リスク対策としてのジェネリック薬品の存在意義があるかもしれ

ない。

2008年10月16日 (木)

iPS細胞と再生医療

2008/10/16

iPS細胞と再生医療

今年の科学界の特記すべき進歩の一つにiPS細胞の作成があるだろう。数年前にはES細胞が話題になり、韓国では2005年末にヒト胚性幹細胞捏造事件も起きた。ヒトES細胞はヒトの卵子から作成するので倫理上の問題等多くの問題が指摘されていた。iPS細胞はヒトES細胞の代替えとして期待が寄せられている。植物の細胞は動物細胞と異なり、色々な器官にに分化する万能性を備えている。この性質は既に産業的で数多く実用化されている。動物(ヒト)細胞の場合、あらゆる器官に分化する能力を持つ細胞は無いと信じられていたが、ES細胞がそれを持つことが発見され一躍脚光を浴びることになった。

iPS細胞 (induced pluripotent stem cells、人工多能性幹細胞)とは、体細胞(主に線維芽細胞)へ数種類の遺伝子(転写因子)を導入することにより、ES細胞(胚性幹細胞)に似た分化万能性(pluripotency)を持たせた細胞のこと。京都大学の山中伸弥教授らのグループによって世界で初めて作られた。(WIKIPEDIA)

初期の細胞への遺伝子導入にはヴィールスの運び屋を使っており、癌化の問題があったという。最近この運び屋をプラスミドに変更して癌化の心配の無いiPS細胞の作成に成功したと報じられた。以下はそれを報告する論文のタイトルである。遺伝子科学の進歩の早さには驚かざるを得ない。正にここに、未知なる有望で巨大な金鉱があるのは確実であるため、国も会社も学者も必死で研究に取り組んでいるわけである。

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Published Online October 9, 2008
Science DOI: 10.1126/science.1164270

Reports

Submitted on August 6, 2008
Accepted on September 25, 2008

Generation of Mouse Induced Pluripotent Stem Cells Without Viral Vectors

Keisuke Okita 1, Masato Nakagawa 2, Hong Hyenjong 3, Tomoko Ichisaka 4, Shinya Yamanaka 5*

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実験はマウス細胞で行われているが、ヒト細胞でも可能であるという前提でマウスが使われていると思う。ともかく再生医療が手に届く可能性が見えてきた。今までに無い全く新しい原理による医療や創薬等の新技術の実現は何をもたらすのか予想もつかない。その光が強いだけ陰も深いのかもしれない。既に、植物の分野では遺伝子操作食品が流通し、知らない間にそれを摂取していることが日常的な事態になっている。再生医療の場合新しく作成された細胞が直接人体に入ってくる。効果は劇的であるかも知れないが使い方を誤ればその逆効果も劇的に成らざるを得ないであろう。しかし、万が一、目的外の予想も出来ない極極微量の不要な遺伝子が導入されて、それが当面は大きな効果の陰に隠れて姿をあらわさなっかたとしても、何世代も後に突然姿をあらわさないという保証はなにもない。一度導入した遺伝子はそれを次々に再生し遺伝させることによりその効果を発揮するのであるから。キュリー夫妻はウランの核分裂を実証して、それが原爆の開発につながった。今日、世界は核兵器の拡散という問題を抱えて世界平和・国際政治にも科学の陰が及んでいる。極微の世界の法則がこの大きな世界を支配しているのは悲しい現実かもしれない。しかし、この世界が極微なものごとにより成り立っている以上それから逃れられない。1953年のJ.ワトソン、F.クリックによDNA の二重らせん構造の解明が遺伝子工学の夜明けとすると、iPS細胞の作成は太陽がまぶしく輝く前兆のようでもある。一度発見された真理は何をもってしても否定することは不可能である。問題はその真理をいかに生かすかに尽きるのであろう。

2008年10月12日 (日)

ラジオ放送80年

2008/10/12

ラジオ放送80年

NHKラジオを聞いていると80ちゃん号が登場する。NHKラジオの開局80年を記念して作ら

れた中継車らしい。日本で最初にラジオ放送が行われたのが1925 ( 大正14 ) 年3月で当日

の受信契約数は約3,500であったとの事。今年でラジオ放送開始83年になるわけだ。

この間のあらゆる面の変化は著しい。ラジオ受信機も、真空管から、トランジスター、ICへと

変化してきた。しかし、確実に変化していないものがある。それは音声を電波に乗せる方式

である。それは鉄道で言えば軌道の規格のようなもので、この規格も一度決めてしまうと簡

単に変更できない。AMラジオとは音声の大きさを電波の強さ(振幅)に変換する放送方式で

ある。

音声という世界と電波という世界は別世界であるがその大きさを対応させる事で音声のもつ

限界を飛躍的に拡大できた技術がAM変調技術である。同じ情報でも媒体を乗り換えること

でその限界を乗り越える事ができる。電波から音を取り出す装置がラジオ受信機ということ

になる。AM復調技術である。基本的には変復調には非線形信号処理を伴うが、技術の根

幹にアナログ原理があり、直感的で理解しやすく、技術的にも容易に実現できるという特徴を

もつ。それがAMラジオ放送が80年以上永続してきた技術的な背景であろう。当然に社会の

インフラ構造としての役割がそれを要請していると言えるだろう。

2008年10月11日 (土)

パナソニックのTVが3億台達成

2008/10/11

パナソニックのTVが3億台達成

2008年10月1日、“松下電器産業株式会社”が、“パナソニック 株式会社”に社名変更して、

これを記念するように、本年10月7日に累計のTV生産台数が3億台になると発表した。

3億台の内訳は、白黒、カラーのブラウン管テレビが2億7700万台、プラズマが1300万

台、液晶が1000万台。 これは、世界のテレビメーカーで初めてとの事だ。ブラウン管テレビ

が圧倒的な比率を占め、今日でも全世界ではこの傾向は変わっていない。薄型のLCD TV、

PDPTVも普及が始まっているが、世界的規模で従来の基幹技術を完全に置き換えるまでに

は相当な期間を必要とするようである。ブラウン管テレビはアナログ技術を集大成したような

民生品であった。これを作りこなすのは日本人の特性が最適であったようだ。米国のTVメー

カーは一つ一つ消えてゆき、日本メーカーが世界の首位を占めている。

しかし、ブラウン管テレビの生産拠点は海外に移り、海外メーカーも不動の地位を占めるよう

になっている。いずれ、日本のメーカーもブラウン管テレビから撤退せざるを得ない時が来る

かもしれない。この技術的に偉大な遺産を次の技術の創造に生かさない限り、技術も産業も

衰退してしまう心配がある。意欲的な世界の国々は日本の技術に追いつき追い越すことを目

標にしているのであるから。

2008年10月10日 (金)

ノーベル化学賞と花成ホルモン

2008/10/10

ノーベル化学賞と花成ホルモン

スウェーデン王立科学アカデミーは8日、08年のノーベル化学賞を下村脩・米ボストン大名

誉教授(80) 、マーティン・チャルフィー米コロンビア大学教授(61)、ロジャー・チェン米カリ

フォルニア大学サンディエゴ校教授(56)に授与すると発表した。受賞理由は「緑色蛍光たん

ぱく質(GFP)の発見と発光機構の解明」。

連日の日本人科学者のノーベル賞受賞に元気づけられる。素粒子は極微の世界を巨大な

装置で暴くことによりその存在が実証される。人類が未知の真理を手に入れるにはそれくら

いの負担は当然であるという考えによるのであろう。間接的には色々な波及効果があるだろ

う。一方、今回のノーベル化学賞の対象は、実用面での応用範囲が広いという特徴があるよ

うだ。生体の中で働いているタンパク質のマーカーとしての応用である。

緑色に光るタンパク質を取り出すときのインスピレーションに感心する。蛍光物質を取り出す

には光らせてはならない。物質そのものが消耗してしまうからとの事だ。その解決策に酸性

にしてやるというインスピレーションがわいたようだ。やはり、あれこれ考えつくし、もう駄目か

もしれないという時の最後のインスピレーションが成功のきっかけになることは多いだろう。

人がやった事の無いことをやるのには信念と勇気がいる。無鉄砲にやっても効率が悪い。何

らかの作業仮説をたてる。いくつかの実験を行い獲物のいる範囲を定め、その範囲を狭め

て行く。そうして最後に獲物を追いつめて捕獲した時が目的を達成した成功の時なのだ。

植物の世界では、花を咲かせるには花成ホルモンという物質が形成されそれが働くことによ

り花が形成されるのであるという仮説がある。しかし、花成ホルモンは極微量で働く物質であ

りそれを特定した人はいないらしい。最近、花を作るきっかけになる遺伝子が特定されたらし

い。花成ホルモンを光らせる事ができれば、どこで働いているかが特定でき、いつでも花を

咲かせることができるようになるのではないか。果物は花がさかなければ実がならない。実を

ならせるまで数年かかる。1年で実をならせることが出来ればすばらしいことだ。現在では夢

かもしれないが、いつかは実現するかもしれない。

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みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)