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2011年12月 3日 (土)

読みかじりの記:「特許のルールが変わるとき  知財大国アメリカを揺るがせた特許侵害事件「フェスト」」 高岡亮一 著 (2002年 日経BP社)

2011/12/3
昨日は曇り時々雨。終日寒い日であった。パソコンを置くスチールラックを修理。強いと思って体重を欠けたところ支えのパイプがグニャリ。金槌で叩き直す。外してあったXPパソコンのケースを付けた。夏からこの時期までケース無しで使ってきた。今年の夏は動作の不安定に直面したが、メモリーモジュールの接触不良だったようだ。その後は安定に動いている。ケースを強く押したらパワーSWのツメが外れて、ケースの中にSWが落果。狭くて工具も入らないので仕方なく、DVD取り付け金具を外して作業スペースを作ってからSWを取り付けた。今度は、CPUファンに配線が接触して異音が発生。何回かやり直しをしてようやく動作にこぎ着けた。おかげでDVD交換は出来そうだ。DVD-RAMを使いたいのだが。部屋の整理を始めたがほとんど進まず。

2011/12/2の天気

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読みかじりの記:「特許のルールが変わるとき  知財大国アメリカを揺るがせた特許侵害事件「フェスト」」 高岡亮一 著 (2002年 日経BP社)

本書を手にした動機はTPP交渉という黒船を理解するため。本書が出版された前後に大きな出来事が起こっている。同時多発テロもその一つ。その周辺が特許事務所が多い地帯だと本書で知る。日本政府はアジアの成長を取り込むと意気込んでいるがTPPでアメリカとどのように向き合うのかその姿勢が見えない。昔の中国への朝見外交の延長をアメリカでしているようにもみえる。TPPでアメリカが第二の黒船を派遣するとなると、物量的な仕掛けではなく、もっと巧緻な仕掛けをしかけてくるのではないかとう予感があるのだ。それがまさに特許戦略ではないか。

「米国の特許制度;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%89%B9%E8%A8%B1%E5%88%B6%E5%BA%A6;(最終更新 2011年9月23日 (金) 20:04)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「米国の特許制度では、アメリカ合衆国の特許制度について説明する。 米国において特許制度について定めた法律は、米国特許法(35 U.S.C.、Title 35 of the United States Code)である。米国の特許制度は、先発明主義を採用するなど、日本をはじめとする他の国の特許制度と大きく異なる点を有してきた。ただし2011年9月、先願制度への変更を含む「リーヒ・スミス米国発明法案」(Leahy-Smith America Invents Act)が米議会で可決されたため、今後の動きに注意が必要である。」とある。

本書では、アメリカのフェスト社が日本の焼結金属工業株式会社(現社名SMC:SMC株式会社(エスエムシー - )WIKIPEDIA url=http://ja.wikipedia.org/wiki/SMC)を特許侵害を理由に提訴した事件を主軸に、アメリカの特許事情を織り交ぜて、この事件が特許制度の大きな転換点になることを解説している。その焦点となるのが、特許権が両刃の剣となる「均等論」である。そもそも、特許権は国が発明者に独占的に与える権利の一つだ。産業上の不公正な独占は独禁法が厳しく監視するが、特許法に基づく特許権はその独禁法に優越する権利を許す。その前提に、その発明の実施が社会に有用である事だ。一方、その特許を持たない第三者(公衆)は特許権者の特許権行使が事業の障害になる。特許裁判はその利害の衝突と言える。「均等論」とは許可された特許の解釈で権利を拡大できるという論拠となる。均等論は特許権者には有利に働くが、その特許から逃れようとするライバルには不利にはたらく。本書はその均等論が変質して行くさまを各種の裁判の経過を通して示している。

本書の横糸としては、アメリカの特許制度、弁護士、弁理士の数等々いろいろな特許事情を紹介している。また、アメリカの弁理士が、どのようにして弁理士になり、どのような仕事をしているか、弁護士のノルマ、弁理士事務所の大型化等の現実的な姿を描いている点も興味がある。ともかく、特許裁判はアメリカの弁護士、弁理士にとっては金になる仕事らしいことは事実のようだ。

「弁理士 (日本);http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E7%90%86%E5%A3%AB_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%29;(最終更新 2011年11月12日 (土) 13:39 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「日本における弁理士(べんりし)とは、弁理士法で規定された産業財産権等に関する業務を行うための国家資格者をさす。」、~「このような懸念に対して、日本の現状では、資格要件が逆に規制緩和によってさらに簡素化されつつあり、ミスマッチが増大している。一方、急激な弁理士数の増加目標は達成され、弁理士登録年数5年未満の新人弁理士が40%を占める状態となっている。これにより、日本の弁理士数(7,500人)は、英国弁理士数(3,230人=1,730人+1,500人)、ドイツ弁理士数(2,300人)、およびフランス弁理士数(500人=230人+270人)の合計数(約6,000人)を大幅に上回っている。しかしながら、出願数比では、依然として米国はもちろん、欧州特許弁理士にも遠く及ばない(日本は7,500人/約40万件、米国は特許弁護士(Patent Attorney)約27,000人+特許出願代理人(Patent Agent)約8,500人=35,500人/約44万件、欧州特許庁への代理権保持者(大半が欧州特許弁理士)は8,500人/約14万件[12][13])。 2006年度からは科目合格制度その他の弁理士試験の緩和制度が整備された一方、合格率が50%近くから33%へと低下した法曹の増員ペースの鈍化の例もある。よって、今後の弁理士の増加のペースについては次第に明らかになるはずである[14]。」とある。

ともかく、アメリカの特許裁判が、特許の本質的な部分まで切り込んで、最高裁判決を塗り替えて行く様が本書で詳細に示されている。そのような点では日本はまだまだ国民の意識が低いのではと感じる。特許裁判に陪審制もあるのは驚きだ。弁護士、弁理士の質量という点でもアメリカ側の重厚さを感じる。特許の国家政策への反映そして、プロパテント、アンチパテントという二つの潮流があることも述べられいる。この二つの潮流も時代により変わる。特許権が余り大きくなりすぎれば産業も硬直化して、公衆の利益に反するようになる。知的所有権でグローバリズムが拡大するとその影響は計り知れない。マイクロソフトがあれだけの成長が出来たのもコピー防止の効果と無関係ではないだろう。コピーは自然界でも遺伝子の複製という形で実に正確に行われている。従って、本質的にコピーは禁止すべきものではないだろう。ソフトにしろ、新製品にしろ、普及の初期段階では、コピーが普及を助長する場合が多い。普及してからコピーを取り締まるのも何か不合理さが感じられる。パソコンのソフトコードそのものは、文字数字で書かれている。この万民公有の文字数字を使って無制限の利益を得ることにどれだけの正当性があるのかと思う。いかなるソフトでも製品でも社会の中で機能する産物なのだから自ずと制約があるべきだが、その境界がはっきりしない。現在米国アップルと韓国のサムスンが特許戦争をしているとの報道もある。

毎日新聞東京夕刊は、「知りたい!:アップルVSサムスン スマホ「特許戦争」激化 根底にジョブズ氏の怒り;url=http://mainichi.jp/select/biz/news/20111125dde001020034000c.html(2011年11月25日)」というタイトルで、「販売競争が過熱しているスマートフォン(多機能携帯電話)を巡り、特許訴訟合戦が激化している。日本でも10月、韓国サムスン電子が米アップルの新製品「iPhone(アイフォーン)4S」の販売差し止めの仮処分を申請した。しかし、実は攻勢に出ているのはアップル。背景には、故スティーブ・ジョブズ氏の「怒り」もあるというが--。」、「火種になったのは米グーグルの基本ソフト「アンドロイド」。同社は、サムスンなどのメーカーにアンドロイドを無償提供している。アンドロイド端末を増やすことで、同社の収益源となるインターネット広告を拡大する狙いだ。アンドロイド端末の販売台数はアイフォーンの数倍に達し、中でもサムスンは7~9月に単独でアップルを超えたと見られ、端末販売で稼ぐアップルの脅威となっている。」と報じた。

今日では、生産力の向上で、世界市場はあっという間に飽和してしまう。そのシェアの奪い合いで特許が切り札になって来る。特許訴訟合戦もその業界にとっては追い風なのだろうが、TPPでアメリカの弁理士、弁理士、会計士云々という業界が役務の自由化という事で日本に乗り込んで来ることはないかとう点が気にかかるのだ。ともかく、特許収入は、特許の内容にもよるが、生産設備等への負担をあまりかける必要もなく、特許ビジネスのうま味を味わうと、生産を忘れてしまう可能性もある。物の開発・生産の出発点になる最初の知的生産物に特許の網を掛けてしまい、そこから収益を得る方が、泥臭い生産で利益を絞り出すよりはるかにスマートのように見える。

尚、21世紀知的財産権研究会ホームページには本書事件の判決の翻訳があり、「フェスト社 対 燒結金属工業株式会社
(Festo Corp. v. Shoketsu Kinzoku Kogyo Kabushiki Co.) アメリカ連邦控訴裁判所 No.95-1066
判決日:2000年11月29日;url=http://www.asahi-net.or.jp/~xf7y-kmt/fest.htm()」というタイトルで、「判決: 均等により侵害されたと判定されたStollとCarroll両特許のクレームエレメントは、Stoll特許の審査とCarroll特許の再審査の過程で関連のクレームに、クレームの範囲を減縮した補正により、追加された。上に説明した如く、Festoは、これらの補正が特許性に関連なくなされたとの説明をしていない。従って、その補正は審査経過禁反言を生じさせた。このような状況下、補正されたクレームエレメントについての均等域は認められない。拠って、それらのクレームエレメントには、均等による侵害は起こり得ない。均等の原則に基づき侵害されたとの該法廷の判決を、:破棄・逆転する。
訴訟費用:各当事者が、夫々自己の費用を負担するものとする。」と報じた。

本書の結論も判決について、どのような効果があるのかは詳述していないように思う。訴訟費用を見ると、この特許裁判は引き分けのようにも感じる。上記WIKIPEDIAの記事を見ると「米国の特許制度は、先発明主義を採用」と特許制度も変わりつつあるようだが、依然サブマリン特許が出てくる法律の抜け道が残っているとの事だ。サブマリン特許は浮上するタイミングを測っているのかもしれない。

京大ホームページは、「iPS細胞技術に関する米国特許2件目が成立;url=http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news7/2011/111124_1.htm(2011年11月24日)」というタイトルで、「京都大学は、iPS細胞研究所(CiRA)の山中伸弥所長(物質-細胞統合システム拠点教授)の研究グループが世界で初めて樹立した人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cell: iPS細胞)に関する特許について、出願を行っています。このたび、4つの遺伝子を用いてiPS細胞を作製する方法に関する米国特許(出願番号12/457,356、特許番号8,058,065)が1件成立しました。 京都大学は米国において、iPS細胞基本技術特許を1件成立させています(8月5日特許査定、11月1日特許登録、特許番号8,048,999)。今回の特許は、これに続き、2件目の米国特許となります。 山中伸弥教授のiPS細胞基本技術に関する特許は、本日までに、日本では3件成立しています。海外では米国に加えて、欧州、南アフリカ、ユーラシア、シンガポール、ニュージーランド、イスラエル、メキシコ、香港で成立しました。」と報じた。

特許もグローバル化が進とその影響力は計り知れないほど大きくなる。自分が注目している京大のiPS細胞に関する特許は米国で2件目が成立したとの事だ。特許競争は公正かつ公開が原則だろう。重要な基本特許が、その技術が陳腐化してからある日突然出て権利を主張されると、それこそだまし討ちになる。米国とはそういう唯我独尊の国なのだろうか。その可能性は残されている。疑念は未だ解消しない。本書でフェスト訴訟事件の推移を見ると、明らかに均等論の修正が行われ、特許権の拡大を制限したものと理解できた。一連の裁判が収束するまで10年以上かかり、その裁判のなかで色々な意見の激突があった。それだけ、この均等論の本質は奥深い物らしい。でも、割り切れば、コピーしようとする側とコピーさせまいとする側という二つの主体の対立でもあろう。それがアップルとサムスンで現に起こっている。フェスト事件の最高裁判決も結局、米国という国家方針が反映されたようだ。国に知的所有権に関する基本戦略がなければ、国際化する特許戦略でも後手にまわるのではないか。

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追記(2015/4/4):「読みかじりの記:「特許のルールが変わるとき  知財大国アメリカを揺るがせた特許侵害事件「フェスト」」 高岡亮一 著 (2002年 日経BP社)(2011年12月 3日 (土))」の記事がランキング10位に入った。このような記事がこの時期にランキング入りする事は全然予想しなかった。読み返しても本の内容は直ぐに思い出せない。ただ当時、TPP交渉は比較的世間の関心が薄いが、日本の将来にとって重要な問題だという見立てをして本書を手にしたのは覚えている。TPP交渉は、一種の秘密交渉とされており、交渉の内容が正確詳細に伝えられていないという懸念が交渉開始から問題視されていた。これは、交渉当局にとっては、非常に便利な口実で、交渉の成果や進展をPRして、期待を待たせるが、合意は先送りされるという、参加国が隠れ蓑として使えるツールに過ぎないのではないかと当時思った。以来、未だいつ合意するかもはっきりしない。ただ、当事国として気を抜くと、いつのまにかババを掴まされているという恐ろしさもあると思う。それが、日本外交の特技に見えてしまうのだ。多分、目先の浮沈しか考えられない政治家は、本気で取り組まない課題ではないか。それが、我が政治家の特技なのかもしれない。

Googleでキーワード「TPP交渉 知的所有権OR知的財産権」を検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=TPP%E4%BA%A4%E6%B8%89%E3%80%80%E7%9F%A5%E7%9A%84%E6%89%80%E6%9C%89%E6%A8%A9OR%E7%9F%A5%E7%9A%84%E8%B2%A1%E7%94%A3%E6%A8%A9)。

最近のSTAP細胞事件でも、STAP細胞に関して出願された国際特許が科学的発見・発明に伴う利権の側面として存在していたが、その特許に迫る問題を本気で真剣に追及したメディアは少なかったと思う。多分、その英語特許をまともに読める記者もいなかった・少なかったのではないか。

現役時代、外国企業との技術契約で、英文契約書に向き合った事があった。大抵、先方企業が原案をぶつけてくる。ここで、すでに攻めと守りの枠組みができてしまう。大抵、原案は先方企業にとって、最大限有利に書かれているのだ。それを、交渉で少しだけ譲歩させてシャンシャンとせざる場合もある。相手側が出してくる、契約書自体が先方企業の知的所有権の固まりのように感じる事もある。

残念だが、TPP交渉では、交渉相手国からどのような条件が突きつけられているか正確に知らされていないのだ。江戸時代の、不平等条約の二の舞を、その150年以上も後に再度味わう可能性も無きにしもあらずではないか。

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2011年11月28日 (月)

読みかじりの記:「進化しない日本人へ  その国際感覚は自画像の反映である」 杉本良夫 著 (1988年 株式会社 情報センター出版局)

2011/11/28
曇り一時晴れ。畑の清掃。蔓退治。アケビとムベの棚に使っているパイプハウスにカナムグラが這い上がっているのを除去した。木質のツルに一年草の蔓草が挑んでいる。日陰になったムベの実はまだ熟さず青いままの物もぶら下がっていた。ノブドウも一株堀上げた。蔓性の植物には蔓性の似たものが集まってくるようにも見える。

2011/11/27の天気

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老人の寝言:市選挙管理委員会が開票結果をホームページに公表しない不思議

NHK NES WEBは、「大阪市長選 橋下氏が当選;url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111128/t10014236382000.html(11月28日 0時59分)」というタイトルで、「現職と前の大阪府知事の対決となった大阪市長選挙は、27日、投票が行われ、大阪維新の会の新人で前知事の橋下徹氏が初めての当選を果たしました。 大阪市長選挙は、開票が終了しました。▽橋下徹、維新・新、当選、75万813票。▽平松邦夫、無所属・現、52万2641票。前の大阪府知事の橋下氏が、現職の平松氏を破って初めての当選を果たしました。橋下氏は、42歳。弁護士でタレント活動も行い、平成20年の大阪府知事選挙で、自民党と公明党の地方組織の支援を受けて、当時、知事としては全国最年少の38歳で初当選しました。就任後は、大胆な歳出削減に取り組むとともに、歯に衣着せぬ発言で注目を集め、府と市を再編する「大阪都構想」を掲げて、地域政党・大阪維新の会を立ち上げました。4月の統一地方選挙で、府議会で過半数、市議会でも第1党を占めると、「大阪都構想」を実現するには大阪市役所にみずからトップとして乗り込む必要があるとして、任期途中で知事を辞職して市長選挙に立候補し、知事選挙とのダブル選挙を仕掛けました。2期目を目指す現職の平松氏との対決となった今回の選挙では、民主党系と自民党の市議団、それに共産党が平松氏の支援に回ったのに対し、橋下氏は100人を超える大阪維新の会の地方議員を率い、「大阪都構想」の実現を訴えて、知事選挙に立候補した松井一郎氏と一体となった運動を展開しました。その結果、大阪維新の会の支持層や、いわゆる無党派層に加え、民主党、自民党、公明党の支持層からも幅広く支持を集めるとともに、20代、30代の若い世代で支持を伸ばし、初めての当選を果たしました。 橋下氏は、大阪維新の会の地方議員や支援者を前にあいさつし、「まずは有権者の皆さんに感謝を申し上げたい。そして、大阪市役所、大阪府庁の公務員、大阪府の教育委員は、この選挙結果を重く受け止めるよう、お願いしたい。公務員や教育委員会の組織は激しい抵抗をしていたが、今回、有権者がこのように判断したわけなので、しっかり受け止めてほしい」と述べました。さらに、橋下氏は「大阪全体のことは大阪府知事が決定権と責任を持つ。こうした決定権を巡り、大阪府と大阪市の間に100年にわたる争いがあったが、これで100年間の戦争に終止符を打ちたい」と述べました。 一方、敗れた平松氏は、「この町がほんまにええ町やという思いと、それを支えているのは人の力であるという思いを、自分の発信力不足、表現力不足で、もっと分かりやすいことばで言い切らないといけなかったという思いがある。本当に申し訳なく、力不足だったということに尽きます」と述べました。 大阪市選挙管理委員会によりますと、今回の大阪市長選挙の投票率は60.92%で、前回に比べ17ポイント余り高くなりました。大阪市長選挙では、今回と同じくダブル選挙になった昭和46年の投票率が61.56%で、そのとき以来50%を超えたことがなく、40年ぶりの高い投票率となりました。」と報じた。

以上はNHKの報道であるが、大阪市選挙管理委員会url=http://www.city.osaka.lg.jp/senkyo/を見ると、投票の確定票は公表されているが、2011/11/28 6:00AM現在で、開票結果は公表されていない(url=http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu240/sokuho/kaihyo_data_10.html=投票日当日はこのホームページで開票結果を公開します。とあるだけ。)。NHKがWEBに乗せた時刻が(11月28日 0時59分)であるから、すでに開票結果確定後5時間は経ている筈だ。他のWEBニュースによると選挙システムにも不具合があり、二重投票となったとの情報があった。そうなると、投票の確定票にも疑問符が付く。大阪市選挙管理委員会が次ぎに来る市長が怖くて発表ができないようだと、次の市長の思うつぼではないか。更に、大阪市選挙管理委員会は大阪市のホームページに開票結果を公表する前にNHKに開票結果をリークしたという事なのだろうか。選挙管理委員会は絶対公正中立を維持する責任があるのではないか。世間が注目する選挙であったが、その大阪市選挙管理委員会は、投票結果に関心を持つ人々に十分なサービスをしたのか。確定値が出せないなら、暫定開票結果、確定率99.99XX%、未確定票何票、というような発表も許されるのではないか。そのような判断を行う人物がいなかったということなのだろうか。

大阪市のホームページの投票確定値:大阪市計=当日有権者(人):2,104,977 、投票者数(人):1,282,318、 投票率(%):60.92 、前回投票率(%):43.61であった。

読みかじりの記:「進化しない日本人へ  その国際感覚は自画像の反映である」 杉本良夫 著 (1988年 株式会社 情報センター出版局)

「杉本良夫;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E8%89%AF%E5%A4%AB;(最終更新 2011年11月2日 (水) 11:25)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「来歴・人物 [編集] 兵庫県西宮市生まれ。洛星高等学校を経て、京都大学法学部に入学。在学中に米国のスワースモア大学 (Swarthmore College) に留学。京大卒業後、毎日新聞社勤務を経て、1967年に渡米。歴史社会学を専攻して、1973年にピッツバーグ大学 (University of Pittsburgh) で社会学博士の学位を取得。同年より、オーストラリア・メルボルンのラトローブ大学社会学部(La Trobe University, School of Social Sciences)にて教鞭を取り、現在は同大学教授(比較社会学理論/方法論・オーストラリアを始めとした社会不平等・日本社会/文化・アジア入門)。 この間1988年 - 1991年にラトローブ大社会学部長。1981年にはラトロープ大学・モナシュ大学など4大学の連合で設立されたメルボルン日本研究センターの初代所長に就任。1988年以来、オーストラリアン・アカデミー・人文系(Australian Academy of the Humanities)フェロー。筑波大学、東京都立大学やドイツのハイデルベルク大学、フランスのエブリー大学などの客員教授を務めた。
 オーストラリアの複合文化社会の研究を通じて、日本社会を問い直す日本論・日本人論などに関する著作を数多く発表。日本を単一均質社会とする枠組みに対して、多様性や階層構造に焦点を当てたマルチカルチュラル・モデルを構築し、日本社会論・日本文化論の新しいパラダイムの展開に主導的役割を果たした。Cambridge University Press 発行の An Introduction to Japanese Society は、英語圏で最も広く読まれる教科書の位置を占めている。 1980年代から、Kegan Paul International や Cambridge University Press の日本研究シリーズの責任編集者を務めたが、1999年、主として日本の社会科学の業績を英語出版することを目標とした出版社 Trans Pacific Press 社をメルボルンに設立。その代表として、100点を超える英文書の編集・出版に関わってきている。 現在の研究分野は「現代日本の国民国家と市民社会」「アジアに於ける文化相対主義」。」とある。

WIKIPEDIAの冒頭には「杉本 良夫(すぎもと よしお、1939年 - )は、日本の社会学者・文化人類学者。オーストラリアのラ・トローブ大学名誉教授。」とある。

本書を読んで著者は自分を「日本の社会学者・文化人類学者」と規定するだろうかと思った。WIKIPEDIAの記事の通り、著者が関係する国は、日本、アメリカ、オーストラリア。著者の国籍はオーストラリアとの事だ。本書の最後に著者はコスモポリタンについて書いている。著者の立場はコスモポリタン的な立場か。社会学者としては、評論家的な主張は避けているように見える。

ある人を規定するとき、国籍、人種、職業、性別、身分、影響を受けた教育文化等色々ある。いわば、そこには何らかの枠組みがある。その枠組みを絶対化すべきか。著者はそのような枠組みを相対化することの重要性を本書で述べているようだ。本書が出版されてから既に20年以上たつが、本書に示されている事例は今も通用するように思われる。この20年以上の間に、日本に住む外国人も非常に増えて、異文化理解とか異文化共存という言葉が定着しつつあるようにもみえる。それでも、まだ大方の日本人の意識には外国という見えない国境があるように考え・行動しているのではないか。日本人の国際感覚はほとんど変わっていないようにも見える。

首相がTPPに関して度々口にしている、「アジア太平洋地域の成長力を取り込み」というおまじない文句を本書の趣旨で解釈するとどうなるだろうと思ってしまった。情報・通信の発展で首相の言葉は瞬時に世界を巡ってしまう。「成長力を取り込み」という表現が、日本以外のアジア太平洋地域の国民には、いかにも日本がエコノミックアニマルであるととられかねないのではないかと思った。これが、国家間の関係となるともっと厳しい現実になるのではと思ってしまう。TPPと言えど詰まるところは国家間の利害の調整に過ぎない。しかし、調整となると相手が必要なのだが、「成長力を取り込み」とは国内向けの唯我独尊的発想に過ぎないように見えて、著者の言うように、国際感覚がマヒしているように見えてしまう。

本書は日本人の国際感覚チェックの教材として未だに捨てがたい本のようだ。

2011年11月24日 (木)

読みかじりの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)。111124。

2011/11/24
昨日は晴れ。庭の手入れをした。ツツジの下に余ったリュウノヒゲを植えた。そのスペースを作るためツツジの一部をツルハシで分断。根が付いているので株分けが出来る。玉突きのように余分な仕事が増えてしまうが。一昨日の霜でアメリカセンダングサがしおれた。一面アメリカセンダングサがはびこっている区画があるが何となく気分がすっきりする。そこに、ヒマワリの種をまいた。まくと言っても畑に種を投げ捨てる程度だが、一つの花には数十個の種子がありそうで、数パーセント発芽すれば来年も花が楽しめると思う。

2011/11/23の天気

TAVE= 8.9
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SUNS= 7.5
RAIN= 0

最低気温(℃)  2.4  05:17
最高気温(℃)  14.5  14:12

読みかじりの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)

自分が幼稚園に入った頃の記憶はほとんどない。当時の幼稚園がどのようにして始まったのかも皆目知らない。当時の状況からは、子供を幼稚園に預ければ親は仕事に集中できるという実用性があったのではないか。自分が通った幼稚園は殖蓮幼稚園といっていたが、大きな木造の講堂を間仕切りして作った部屋があり、そこが教室だったような記憶がある。その後、殖蓮小学校の校庭の中に独立の園舎が出来て、幼稚園らしい体裁が整った。記憶にあるのは、ギンギンギラギラ夕日が沈むというような歌に会わせて遊技をした事位である。先生はA先生という女性の先生だった。縁の太めな眼鏡をかけていたような記憶がある。音楽はオルガンかレコード。多分、自分は遊技は嫌いで、よそ見をしながら手をブルブラさせていたのではないか。通園が嫌いでぐずったこともあったが、何とか卒園した。本書の初版は昭和9年に「幼稚園保育法真諦」として出版され、その後約30年後、久しい絶版後に昭和28年に復刊された。132ページの小著であるが、長い寿命を保っている。凡例に「第4篇、誘導保育案の試み」は除外されている旨記されている。終戦前後の幼稚園保育の考えも変わったのではないかと思うが定かではない。

本書を読みかじったのは自分の幼少期の教育を理解したいため。昭和28年に復刊されたという事は戦後の幼稚園教育に本書の需要があったためではないか。いざ読み始めてみるのさっぱり理解できない。著者の講演記録が本書のようだが、話として聞けばそれなりの流れは分かるのかも知れないが。今日では保育園と幼稚園が分離してその機能が区分されているが、本書では「幼稚園保育法」等とあり混然としているのも理解しがたい一因のようだ。また、幼稚園を一つの小宇宙のようにとらえているように見えて幼児から、小中高大、社会人と人間の人生に一貫する教育の中の幼稚園教育という捉え方が述べられていないのも理解しがたい理由かも知れない。幼児を一個の主体として理解し、幼児教育とはその主体とかかわり主体の発達・伸長を促す事ともとれた。幼児を表に出して、教育者が裏に回るので理解しにくい。そういう意味では本書の訴えたい事も、下記WIKIPEDIA記事にある「自ら育つものを育たせようとする心」にあるのだろうか。確かに、ある目的を持って幼児教育をしても、その目的が達せられる保証はない。幼児が成長するに及び何を為し、どんな大人になるか予め決められたらそれこそ味気ない人生が待っている以外にないだろう。

「倉橋惣三;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%89%E6%A9%8B%E6%83%A3%E4%B8%89;(最終更新 2011年10月15日 (土) 15:53)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「倉橋惣三(くらはし そうぞう 1882年12月28日 - 1955年4月21日)は、日本の児童心理学者。」とあり、「1913年、東京女子高等師範学校講師を経て、1917年には教授就任。東京女高師附属幼稚園の主事を長年務め、形式化した明治以来のフレーベル主義を改革、幼児教育の発展に尽くした。戦後、教育刷新委員会委員を経て、保育学会を創設した。*墓所の句碑には「自ら育つものを育たせようとする心 それが育ての心である 世の中にこんな楽しい心があろうか」と刻まれている。」とある。

追記(2017/09/28):Wikipediaのリンクを訂正
WIKIPEDIA「倉橋惣三。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%89%E6%A9%8B%E6%83%A3%E4%B8%89)」(このサイトへのリンク

「フレーベル;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB;(最終更新 2011年10月20日 (木) 01:48)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「フリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・フレーベル(Friedrich Wilhelm August Fro"bel, 1782年4月21日 - 1852年6月21日)は、ドイツの教育者。幼児教育の祖。ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチに啓発され、彼の初等教育のやり方をより小さい子供たちの教育に当てはめて、幼児の心の中にある神性をどのようにして伸長していけるか、ということに腐心。小学校就学前の子供たちのための教育に一生を捧げた。」とある。

追記(2017/09/28):Wikipediaのリンクを訂正
WIKIPEDIA「フレーベル。()」(このサイトへのリンク

日本の幼児教育も文明開化、和魂洋才という流れの中で、西洋の影響を受けてきたようだ。幼児教育に関しては、モンテッソーリ教育というのも聞いたことがある。

「モンテッソーリ教育;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%AA%E6%95%99%E8%82%B2;(最終更新 2011年8月16日 (火) 14:20)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「モンテッソーリ教育(モンテッソーリきょういく Montessori method)とは20世紀始めにマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。 イタリアのローマで医師として精神病院で働いていたモンテッソーリは知的障害児へ感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見せ、1907年に設立した貧困層の健常児を対象とした保育施設「子どもの家」において、その独特な教育法を完成させた。以後、モンテッソーリ教育を実施する施設は「子どもの家」と呼ばれるようになる。」

追記(2017/09/28):Wikipediaのリンクを訂正
WIKIPEDIA「モンテッソーリ教育。()」(このサイトへのリンク

WIKIPEDIA:モンテッソーリ(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%AA)によると、モンテッソーリはイタリア初の女性医師でシングルマザーでもあったとか。

WIKIPEDIA「モンテッソーリ。()」(このサイトへのリンク

幼児教育では、ソニーの井深大も忘れられない。「井深大;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%B7%B1%E5%A4%A7このサイトへのリンク);(最終更新 2011年10月28日 (金) 09:45 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「教育活動 [編集]:教育活動に熱心にとりくみ、1969年(昭和44年)に幼児開発協会[4]、1972年(昭和47年)にソニー教育振興財団を設立し理事長に就任。また、1985年(昭和60年)にはボーイスカウト日本連盟理事長にも就任している。教育の持論は「この人の能力はこれだけだと決め付けていたらその人の能力は引き出せません。」だった。」とある。

井深大の著書「幼稚園では遅すぎる」も読んだことがあるが、実業家でこれだけ幼児教育に真剣に取り組んだ人は少ないのではないか。

幼稚園の頃を再現するには、宇宙の始まりを見ようとするように困難を感じる。しかし、人生百年という歴史が、具体的に始まる頃が幼稚園時代ではないか。人間は生まれたときには既にその構造、骨格は固まってしまっている。しかし、知的能力、行動力等々は嬰児から幼児の間に徐々に獲得されてくる。コンピュータで言えば、イニシアルプログラムローダーを読み込む頃までが幼児教育に相当するのではないか。ともかく、幼児教育がうまく行われなければ、次なる教育への引継もうまく進まない。形にはめて行くのがしつけかもしれないが、その形を自ら壊し、創造的に再構築できる能力を養わないと、進歩の早い時代に追いつけなくなる。子育て中は夢中であったが、遅蒔きながら最近幼児教育が気になってきた。

自分の幼稚園時代を振り返ると幼稚園のクラスが幾つあったか覚えていない。2~3クラスかそれより多かったか定かでないが、小学校では6クラスあった。そう考えると、幼稚園年齢に達しても全員が幼稚園へ通園したわけではなさそうだ。今日では、小中学校の義務教育に加えて、その前後の幼稚園と高等学校も準義務教育化してその普及率は高くなっている。今日では0歳児保育からあるので大学卒業までに20年以上の教育が為される。二度と繰り返しが効かない人生初期の教育にかける20年間をふと考えた。ともかく、20年間無駄飯を食えるのはそれなりに食糧の生産性が上がっているからなのか。教育に関しては受験と職業選択が大きな難問なのだがそれを解決する方法はあるのか。いくら教育を受けても就職できないという現実をみるとなにかさびしい思いがする。

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追記1(2014/1/12):
サイト内でキーワード「読みかじりの記」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E8%AA%AD%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%8A%E3%81%AE%E8%A8%98%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。

追記2(2014/3/6):
上記記事のランキング変動から勝手な推測を楽しんだ。
「書き足しの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2014/03/1976-1b00.html)。(2014年3月6日(木) )」

追記3(2015/1/17):「読みかじりの記:「幼稚園真諦」 倉橋 惣三 著 (1976年 株式会社フレーベル館)」の記事がランキング3位に入っている。比較的読まれている記事らしい。おまけに、最近読み直した過去の関連記事にリンクしておく。「技術断想:小さな力。((2010年10月 4日 (月))」「技術断想:小さな力(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/10/post-16b7.html)。)」

追記4(2017/09/28):Wikipediaへのリンクを訂正(リンク先が正しく表示されない)。

追記(2018/06/19):タイトルに日付を追加。ランキング7位。

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2011年11月10日 (木)

読みかじりの記:「特集 アナログテレビ放送の終焉」 ***著 (2011年 一般財団法人 情報処理学会)

2011/11/10
昨日は晴れ。朝の気温が低くなってきた。残りのサツマイモを堀上げた。その後は苗置き場の手入れ。昼食時に収穫したサツマをふかしたものを頂く。ベニアズマで、ほくほくしてうまかった。先日聞いた話では、芋をたくさん付けるにはある程度ツルを間引く必要があるとの事。ツルの元気が良すぎると、栄養成長でツルの成長だけに養分が使われて、芋の肥大がおろそかになるらしい。今回は、切り取ったツルを水刺しして発根させた株も堀上げた。小さいが芋は付いていた。かなり多く芋がついたのも一株あった。遅れて2回目に作った苗は芋まで進んでいなかった。苗を早めに植えれば、そのなかの元気が良いツルを苗として使う事も可能と分かった。

2011/11/9の天気

TAVE= 11.9
TMAX= 17
TMIN= 6.9
DIFF= 10.1
WMAX= 3.2
SUNS= 7.4
RAIN= 0

最低気温(℃)  6.4  06:31
最高気温(℃)  17.8  12:46


読みかじりの記:「特集 アナログテレビ放送の終焉」 ***著 (2011年 一般財団法人 情報処理学会)

表記記事は「情報処理 2011 Vol.52 No.7 通巻556号」に掲載されている。***著の著者は単独、連名であり省略する。総勢14名の執筆である。「アナログテレビ放送の終焉」というタイトルにつられて、ついつい手にした学会誌である。もう現役を離れているが、2011/7/24の「アナログテレビ放送の終焉」には感慨深いものがある。今の自分の興味は技術を離れ、もっと広い意味でアナログとデジタルという二つの代表的なモノの見方、感じ方、表現の仕方に向かっている。この記事は個人的なメモ書きに過ぎない。それにしても最近のテレビ放送のつまらなさには失望する。コンテンツを作る人や組織が死にかけているのか。「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」。いくら頑張っても、デジタルテレビも所詮ただのテレビ。だが、アナログテレビ放送にはテレビの全てが含まれていたような感じがする。その中にはデジタルテレビのアイデアもあったろう。テレビは所詮電子紙芝居。何を発信するかそのメッセージこそがメディアの生死を決めるのだろう。

○1:ハイビジョンからデジタルハイビジョンへ
かつて会社でごつい名前の数十万円もするハイビジョンテレビを紹介販売せよという檄が飛んだことがあった。それ以来、ハイビジョンとは無関係であり、今後も無関係だろう。ハイビジョンで流されたコンテンツは今までどれほどのインパクトを人々に与えてきたのだろうか。しかし、消えてしまうかもしれない事象をハイビジョンに残すのは非常に有意義な事だろう。コストとベネフィットという問題が付きまとう。

○2:地上波テレビジョン放送のデジタル化への取り組み
デジタル化の有利性が多いのは確かだが、地デジへの移行が末端のテレビユーザー不在で強行されたことに疑問が残る。情報処理とは情報の入り口から出口までを扱うのだろう。その処理には必ずハードが伴う。そのハードの流れも情報処理として捉えられれ、システム的な対応が必要だ。物流としての映像装置の生産から廃棄まで、環境の世紀という点では無視できない。エネルギーの消費量も同様。自分はNTSC方式が白黒とカラーのコンパティビリティを維持した技術開発を高く評価している。やはり技術開発とその成果の導入は最低でも視聴者の懐具合を勘案して頂きたいところである。当然システムの寿命は個別のハードの寿命より長い。しかし、今後の日本では、総合的なシステム設計が国の命運を握るだろう。ハードだけでは道半ば以下だろう。半世紀以上蓄積されてきたアナログTVコンテンツ(情報資産)の保存と利用は緊急な課題であろう。

○3:地上デジタル放送の研究開発と海外展開
デジタルとは強引に切った貼ったをする技術であることには間違いないだろう。もともと自然に存在しない技術だから新しい技術には特許とか知的所有権が付き物。本項ではそのデジタル製品の市場に言及している。方式を売り込むのはかつては政治問題でもあった。現に世界にはいくつものテレビ方式がある。コンテンツを方式変換するだけでも当初は大変だった。国際機関も方式決定までの権限を持たないのだろう。しかし、技術の進歩はやがて方式の壁は乗りこえるだろう。日本の研究開発のコンセプトと収益モデルが本項だけでは理解できない。南米だけで海外展開出来た理由も不可解。やはりもっと強いライバルに向かう必要があるのだろうか。

○4:ISDB-Tmm放送技術とサービス
聞いたことのないサービスだ。2012年から始まるらしい。ISDBにはISDNの響きが残る。ISDまで同じ。NがB(BROADCASTING)にとって代わった。mmはMOBILE MULTIMEDIA。それではTは何か。アナログTV放送を追い払って確保した貴重な電波資源である。ISDNのように腰折れにならないよう望むばかりだ。利権の巣で終わっては余りにももったいない。

○5:VHF-LOW帯マルチメディア放送 ~アナログてれび放送終了後の周波数有効利用に向けて~
既にアナログTV放送電波帯域は明け渡されているが、この帯域の利用方法は答申の段階らしく、いつから利用されるかの具体的な記述がない。これでは、有限の電波資源を国が隠匿しているのと変わらず、多数のアナログTV放送利用者に負担を強制した大義名分が通らない。あれもできるこれもできるとシーズはあっても、どれだけのニーズがあるか全く不明である。視聴者が専用受信機を買うだけの魅力あるコンテンツを提供するシステムも不明。今までマルチメディア云々と騒がれてきた例はあるが、テレビに勝ったマルチメディアはなく、そのテレビも衰退傾向である。一層のこと、新に確保された帯域を公共チャンネルとして国民の主体的な利用・緊急放送等のために解放したらどうか。当然NHK、民放、新聞社等の巨大マスメディアはこの帯域利用から除外しなくてはならない。

○6:700MHz帯を使った新しいITSアプリケーション
電波帯域を確保したが実用化のプロセスが不明なのは「VHF-LOW帯マルチメディア放送」と同様。現状は貴重な電波資源を休眠させるだけ。交通用となるとインフラ整備と信頼性の確保が最重要課題だろう。そんな事を考えると実用化はどんどん先に延びるだけだ。利用者負担も問題だ。車載電子機器は高機能化がすすむ。カーラジオ、カーナビ、レーダー探知機等多彩だ。しかし、これらの機器で共通する部分も多い。共通化は限られた車スペースの有効活用、電池エネルギーの省エネ、重量の削減等で環境・資源面で大きな効果が期待できる。車載電子機器のオプションとして取り付けられるような全体システムとしての位置付け、技術動向、買い換えサイクル等を盛り込んだ段階的実用化方針・ロードマップを作るのが先決だろう。運転者が使いたくなる応用を段階的に導入して欲しい。車車間間通信では「お先にどうぞ」と「ありがとう」という超日常的コミュニケーションにも不便をする。高度の技術より、このような人間的な応用が最も、事故防止や快適な運転に効果があるのではないか。人間不在の技術は不要だ。

○7:デジタルテレビはどう変わるか ~通信機能によるテレビの進展~
デジタルであれもできるこれもできると宣伝されているが、通信機能もその一つだろう。しかし、本格的な通信機能はすでにインターネットや携帯、スマートフォンが押さえている。デジタル化の隠れた意味は課金の容易性等にあると考えられるが、サービスを多様化して、付加サービスに課金したり、視聴者を選別すると公共性は損なわれ、結局コンテンツの劣化・視聴者離れをもたらし、究極的にはデジタルテレビはインターネットに飲み込まれてしまうのではないか。テレビに通信機能が付けば便利と考えるのか、パソコンがテレビになるのが便利と考えるのか、で立場が逆転する。テレビとして買った消費者がその通信機能を使うことはほとんどないのではないか。デジタルテレビ放送はあくまでも電波というメディアを究極的に使い切るという土俵で勝負して貰いたい。そういう土俵こそその他のメディアが攻め込めない聖域ではないか。

○8:デジタルケーブルテレビ関連技術およびサービス動向
ケーブルテレビの三種の神器は映像、インターネット、電話との事だ。これを支えるインフラが同軸ケーブル。ともかく、作成された情報を再配信するテレビがそのサービスの基本だ。結局、このような大きな枠組みの中でどのような付加価値の高いサービスを生み出すかが今後の課題のようだ。

○9:新しいメディアとしてのIPTVサービス
可能性としては面白いかもしれない。最近の衛星テレビ放送では通販番組が多くなっているとの事だ。メディアの歴史も述べているが、ともかく、テレビは音声と映像。人間の五感の内の、視覚と聴覚だけが疑似情報とメディアを流れるようになったのが20~21世紀。視覚も聴覚もマヒ寸前だ。テレビの前にはお化粧された虚像が際限なく流れるが、テレビの画面から目を離せば、そこにハイビジョン以上の真実の世界がある。

本書の発行日が2011年6月15日。著者諸氏は東北地方太平洋沖地震という強烈な印象を受けつつ原稿を書いたのではないかと思う。最近の国会中継をテレビとラジオを同時に視聴してみた。地デジテレビは音声が遅れているのが確認できた。アナログTV放送実施中、アナログテレビと地デジテレビを同じフロアで写している場所に行った事があり、地デジテレビの遅れを自分の眼で確認した。このような信号の遅延はアナログ信号のデジタル化処理をするために起こるらしいが、本特集ではこのような問題とその解決法が取り上げられていなかったのは残念である。地震、津波等の緊急情報を伝達するには時間が命である。緊急情報のある程度の遅延対策は可能のようだが、対応に金が掛かるので放送局側での対応比率は低いようだ。「情報処理」という技術からはこのような課題について解説するのには格好の時期とテーマではなかった。かつてのアナログTV放送では時報を流す時にはアナログクロックの画面も出ていた。この時の時報の音と秒針の指示を合わせるのにも工夫があったようだが、そのような時代は終わってしまった。

2011年11月 6日 (日)

読みかじりの記:「エンジニアが30歳までに身につけておくべきこと」 椎木一夫 著 (2005年 株式会社 日本実業出版)

2011/11/6
昨日は晴れ後曇り。温暖な天気だった。AM弔問。その足で外出。久しぶりで、スーパーモールに行ってみようと思い、脇道に入った。距離感覚を失い、目的地を通り越して、見知らぬ幼稚園の近くに出た。その南側になにやらお寺があった。しばらくそこを散策して、百目柿の苗を買ったりして帰宅。

2011/11/5の天気

TAVE= 16.1
TMAX= 19.8
TMIN= 11.7
DIFF= 8.1
WMAX= 1.7
SUNS= 3.9
RAIN= 0

読みかじりの記:「エンジニアが30歳までに身につけておくべきこと」 椎木一夫 著 (2005年 株式会社 日本実業出版)

本書カバーの著者の肩書きは慶應義塾大学理工学部教授。巻末の著者略歴によれば、専門は固体物理、磁気センシング。日立中央研究所を経て大学に戻った。産業カウンセラー、キャリアコンサルタントなどの資格を持つとあり、本書を読み進める参考になる。本書を読みかじったのも自分の人生をレビューしてみる意味もある。

本書のタイトルから本書が30歳より若いエンジニアを主たる対象に書かれているのだろうと思う。さらに対象を絞れば、大学を卒業してエンジニアとして出発した人となるだろうか。大学という人材育成の現場から、大学を卒業した若きエンジニアへのアドバイスを述べた本ともいえるだろう。自分が就職する当時にこのような本があれば大いに役だったのではないかと思う。

各章の構成は以下の通り。

序章 二十代のうちに早く意識改革を!
第1章 技術者魂こそ、エンジニアの証
第2章 自分のキャリアは自分でマネージメントする
第3章 一流エンジニアの仕事の進め方
第4章 味方を増やすコミュニケーション術
第5章 プレゼンテーションを成功させるコツ
第6章 知的所有権に強くなろう

自分が技術者として余り意識しなかった項目は、「第2章 自分のキャリアは自分でマネージメントする」、「第5章 プレゼンテーションを成功させるコツ」だったかもしれない。日本は終身雇用の国という意識がほとんどの労働者にあったと思う。いわば、職制に乗っていればなんとか食い損ねる事はないと思いこんでいた。従って、ある意味では技術やノウハウが個人に集積できた。自分の若きエンジニア時代に、リースマンの「孤独な群衆」という本を読みかじり、SOCIAL LADDAERというのがアメリカにもあると知ってショックを受けた。また、実務の面でも、エンジニアと作業員の格差がある事を知った。これは、欧米の会社と集積回路を共同開発したときの事だ。日本の技術者が、自分からデータを採ったりと、泥臭い仕事をしているのに、欧米の技術者はそのような仕事を作業員/OPERATORにさせているとの事だった。欧米では技術者の社会(階層)的に高い位置にいるように感じたのであった。従って、技術者になるには、がむしゃらに勉強して、大学に入り、就職をしても、知識や技術を追求する、そうして、より高いサラリーとより高い技術を求めて転職をする。当時、仕事で付き合った印象に残っているカナダのエンジニアの名前を検索したらそれらしい人物があった。やはり、キャリアを積み重ね、SOCIAL LADDAERを上がっていったようだ。

本書の「はじめに」で、著者は「技術大国ニッポンの面影は薄れつつある。」それでも、資源の乏しい日本では技術立国が必要。若者の理工離れも進む中で、本書が「若者たちがエンジニアの仕事について考えるきっかけになれば幸いである。」と述べている。文明という大きな時代の流れの中で、日本のエンジニアの地位も生き方も代わりつつあるのかも知れない。日本では技術も学会も閉鎖的な面が多い。人間の動きでも同じ傾向が強い。そのような見えないバリアーもやがて引力を失ってくる。理工離れも嘆いているだけでは改善できない。そういう意味では本書を前向きに読んで自分の力を蓄えるのも結構だろう。

先日聞いた講演もそういう意味では興味を持って聞いた。講師は当地域の出身で大学卒業後渡米。専門は農学だったようだ。その後JICAの支援事業で世界各国で活動。更にその後は教育界に転進。教育学部系の出身でなかったたので、教育の本道以外でも仕事をされて、現在では大学系の高校の校長。講演後の質疑応答で、いじめの話になった。そのような相談員の資格もとって、数年間相談業務も経験したとの事だ。いじめがあったら必ず関係者に報告して相談しなさい。いじめは見えないままにしては解決しない。専門家に相談すれば必ず解決しますと言う心強い回答があった。これは先生のキャリアから生まれた確信のようだった。ともかく、人生の先輩が若者達に、助言をするのも良し、苦言を呈するのも良し。ヒポクラテスの言葉:「人生は短し、されど芸術は長し」。この「芸術」とは技術の誤訳らしい。医聖ヒポクラテスにとっては医術だったかもしれない。全ての技術に人間のありかたが問われているのではないか。

これから、人生100年という長寿社会になるのも現実味をおびてきた。仕事が全てではない。長い人生の中で、自分に最適な仕事はなにかと、いくつかの仕事を変えたり、新しい仕事にチャレンジすることも可能になるだろう。むしろそれが望ましいのではないか。大学、大学院等は人生の途中の、リフレシュ期間、次の仕事へのギアチェンジの期間であっても良いのではないか。自分の人生を振り返っても、受験勉強という非生産的な仕事に貴重な青春時代を浪費してしまったという少なからぬ悔いが残っている。これが先憂後楽という事なのか。青春時代は創造的に悩んでみたい。全ての可能性に挑戦してみたい。人生後半の切符を人生前半にもらってしまいそれに人生がとらわれてしまうのも勿体ない。エンジニアという一見近代的な職だが生涯現役を貫くのも難しい。そういう意味では、一丁前のエンジニアになるより先に、一丁前の人間にならなければならない。S.Jobs、Bill.Gatesはエンジニアなのだろうか。

2011年10月28日 (金)

読みかじりの記:「オサマ・ビンラディン」 エレーン・ランドー 著 松本利秋監訳 大野悟 訳(2001年 株式会社 竹書房)

2011/10/28
昨日は穏やかな晴天。青空と言うよりやや霞がかった空だった。葬儀。買い物。ウドの茎葉の手入れ。ウドの大木といわれるが、春先のウドは全部収穫できない。翌年収穫するためには夏場に茎葉が十分働いて、養分を根に蓄えさせる必要があるので、その分を残さねばならない。茎葉を切り倒して、これから色付くミカン樹に光を当てようとしたが、まだ葉が青いので残して欲しいと言われた。とりあえず倒れた茎葉をミカン樹から離した。除草した後からはもう春の雑草が芽を出し始めている。一昨日から今朝まで3日連続で最低気温が10℃を下回った。柿_大養([タイヨウ])を試食してみたが渋かった。種子の数が少ないのが原因のようだ。02E2_柿(カキ)色々=http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/02e2_kaki_TREES.html

2011/10/27の天気

TAVE= 12.1
TMAX= 17.8
TMIN= 7.2
DIFF= 10.6
WMAX= 3.5
SUNS= 10.2
RAIN= 0

最低気温(℃)  6.4  05:42
最高気温(℃)  18.4  14:30

読みかじりの記:「オサマ・ビンラディン」 エレーン・ランドー 著 松本利秋監訳 大野悟 訳(2001年 株式会社 竹書房)

「アメリカ同時多発テロ事件;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6;(最終更新 2011年10月25日 (火) 14:29 )」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「アメリカ同時多発テロ事件(アメリカどうじたはつテロじけん)は、2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した、航空機を使った4つのテロ事件の総称[1]。航空機を使った前代未聞の規模のテロ事件であり、全世界に衝撃を与えた。その後、アメリカはアフガニスタン紛争、イラク戦争を行うことになる。また、飛行機のマンハッタン高層ビルへの大規模衝突事件としては、1945年のエンパイア・ステート・ビルディングへのB25激突事故以来のこととなった。」とある。

本書の初版発行が2001年11月1日である。緊急に出版されたようなタイミングである。あの「アメリカ同時多発テロ事件」から今年で10年。注目の「オサマ・ビンラディン」がアメリカにより殺害された。リビアのカダフィ大佐の殺害はつい最近の事だ。

「アラブの春;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E3%81%AE%E6%98%A5;(最終更新 2011年10月25日 (火) 20:09)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「アラブの春(アラブのはる、英語: Arab spring)とは、2010年から2011年にかけてアラブ世界において発生した、前例にない大規模反政府デモや抗議活動を主とした騒乱の総称である。2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、アラブ世界に波及した。また、現政権に対する抗議・デモ活動はその他の地域にも広がりを見せている。」とある。

2011年はアラブ世界が大きく動いた年になったのは確実である。本書を読みかじってオサマ・ビン・ラディンを単なるテロリストと切り捨てるのは難しいと思った。オサマ・ビン・ラディンは人・物・金という組織を動かす力量で卓越している事を知った。オサマ・ビン・ラディンの人物の背景にイスラム教があることも。アラブ世界がイスラム教という共通的な価値を共有している事、これは疑いのない事実だろう。

ヨーロッパ、中東、アジアは陸続きで、その宗教、文化はそれぞれ異なるが、本書を読むとマクロ的な世界の構造を考えさせる。日本では、オサマ・ビン・ラディンやカダフィ大佐の死亡も余り注目されなかった。イスラム世界の激動も、インドやアジアの中国という近隣地域という緩衝地帯があるためか、単なる一過性の情報として捕らえられているのに過ぎないと感じてしまう。

しかし、アメリカやヨーロッパが中東に向ける視点は異なる。アフリカも中東もアジアもかつては西欧諸国の植民地や属国で真の独立国は少なかった。ところが、第二次世界大戦というパンドラの箱のふたが開いてみると、やっかいな悪魔が多数飛び出してきた。イスラム教もキリスト教もその構造で親近性があるようだが、その宗教レベルでも協調ができない雰囲気があるように感じる。日本ではキリスト教は比較的馴染みがあるが、イスラム教となると分からないことが多い。ヨーロッパ、中東、アジアが陸続きで、宗教も文化も流動してきたのが世界史だ。

アラブの春をツィッター等が助けたと伝えれるが、それも一面の真理かもしれない。しかし、第二次世界大戦の終了から半世紀以上にわたるアラブの冬があったと考えると、今日のアラブの春は来るべくして来たのではないかとも思われる。オサマ・ビン・ラディンがたどってきた遍歴を、アラブ諸国の人々は、数十年遅れでたどってゆくのではないか。今後はアラブ世界に、世界に対して自己を解放して行くという意識が鮮明になり第二のパンドラの箱が開かれてくるのではないか。西欧諸国は、このアラブの春を自国の春とする事ができるのか。日本はアラブの春をどのようにとらえるのか。日本は、世界における自己の位置を明確に把握して行動しない限り、アラブ世界、西欧のみでなく、世界中からはじかれてしまうのではないか。アメリカも西欧もアラブ世界にお節介をするユトリを失うと益々世界の動きは複雑になるだろう。

2011年10月26日 (水)

読みかじりの記:「句集 山祗(やまつみ)の笛」 根岸 苔雨 著 (1989年 ほおずき書籍 株式会社)

2011/10/26
昨日は曇り後晴れ。日ざしは余り強くなかったが暖かであった。接木苗をポットに植え付け。接木実験の続き。リュウノヒゲ移植等。

2011/10/25の天気

TAVE= 18.9
TMAX= 23.2
TMIN= 14.9
DIFF= 8.3
WMAX= 8.2
SUNS= 3.5
RAIN= 0

読みかじりの記:「句集 山祗(やまつみ)の笛」 根岸 苔雨 著 (1989年 ほおずき書籍 株式会社)

著者は藤岡生まれ。あとがきによれば本書は著者の俳句歴50年の集大成。巻頭の吉田未灰の序に代えで著者の紹介がある。

個人句集は一句一句個性の表現だろう。一般読者として、地域の歴史等を知る上でも参考になる句を観賞してみた。年代毎に5抄に区分けされているが時空を超えて抄名は略した。

■窯出しの 瓦きんきん 霜凪げり

瓦きんきんとは瓦が窯から出されるときの音だと思う。霜凪げりとは外気は冷たく風も南無固まっている。そこに「瓦きんきん」と躍動感がある。

■盗み桑して 菓子折に 蚕飼ふ

菓子折に飼う程度なら、桑もわずか。フィクションかもしれない。蚕を飼いたいという気持をこういう作品に仕上げた。群馬県ならではの句だろう。

■桑榾(ほた)を ゆたかに焚きて 初湯かな

昔は桑の榾(ほた)は立派な燃料であった。燃料のランクで言えば、薪は高級、榾(ほた)は中級、小枝や枯葉はそれ以下。素材は中級だがゆたか、初湯とか気分は上々である。この句のように風呂瀧をした経験があると懐かしい句でもある。

■製材工 焚き火の五指の どれか欠け

仕事の厳しさをそれとなく詠っている。今日では労災になるだろうが。当時は泣き寝入りだったろう。

■早苗饗(さなぶり)の 混浴老に 男女なく

早苗饗(さなぶり)とは重労働の田植えが終わった後の飲み食い。自分の親の時代にはそういう風習があった。年寄りの混浴は珍しくもなかった。

■水盗む 一村いづれ 血のつながり

我田引水。稲作は百姓の生命線。小さな村では何代かたどれば皆血縁。そんな事情を句に詠んでいる。
昔はどこにも水争いがあったことを思い出させる。

■萍(うきくさ)や いづれ縁なき 衆生とす

田圃の浮き草を詠んでいる。このような句も歳を重ねないと詠めない。

■鉄砲虫 一樹つらぬき 明易し

「明易し」が難解であるが。無花果やリンゴが鉄砲虫被害にあっているとよく分かる部分がある。

■毛虫より みれば修羅かも 毛虫焼く

立場を代えた視点。それも修羅場を見る。句に作りがたい場面だ。

■死んだもの 貧乏杉菜 よく伸びる

「死んだもの」が難解であるが、嫌われ者の杉菜のイメージにぴったりの句だ。それがつくしんぼうになると逆転する。

■赤い羽根 胸に偽善を 感じをり

真偽は表に現れない。曰く言い難いことを言う事の難しさ。

■雪吊りの 縄一本も 弛みなし

雪吊りは庭木を保護する手段だが、それが庭の風景になる。

■山祗(やまつみ)と 谺(こだま)が遊ぶ 寒桜
■山祗(やまつみ)の 笛蕭々と 寒桜

山祗(やまつみ)とは山の霊、山の神。この句あたりに本書の題名があるのだろうか。本書に寒桜の句が多い。著者の原風景に寒桜があるのか。

■雪卸し 雪をののしる 言葉なく

向かしは自然に黙々と従って生きてきた。今は自然は征服すべき対象なのか。

■きちきちに 無聊の肩を 追い越さる

きちきちはバッタのことか。

■黄昏の 色を曳きずり 蟇歩く

懐かしい風景。

■曼珠沙華 どこかで狙う 火縄銃

難解。イメージで読む句。

■半分はひやかし苗木市のぞく

生活実感がある。

■ぎぎと鳴く 髪切り虫の 悋気かな

悋気(りんき)。カミキリムシは確かに鳴くようだが、あの口がこすれる音のようでもある。視点が違う面白さ。

■花種を 蒔き諍いの 縒りもどす

結構な事だ。

■踏んばって 水を凹ます あめんぼう
■保護色は 神のなす業 雨蛙

上の二句は本書最後に掲載されている。じっくり読みたいが時間がない。読むのに難儀して辞書を何回もひいた。ATOKの入力にも手間取った。やさしい句が出てくるとほっとする。辞書はカシオとシャープの電子辞書を使っている。使い勝手の良い電子漢和事典はないものか。

2011年10月21日 (金)

読みかじりの記:「キュウリのトゲはなぜ消えたのか ---サプライズな「野菜学」」 藤田 智 著 (2007年 株式会社学習研究社)

2011/10/21
昨日は曇り。区の行事に参加。その後タマリュウ改植の続き。タマリュウとその他の雑草を一緒にごそりと堀上げる。堀上げた物を裏側から見るとドクダミの根の張り具合が分かる。土を落としてタマリュウを分離する。密集している根を分解するとランナーで繁殖している。それを1株毎に切り、数株まとめて植え直した。蚊は少なくなっているが、まだ活動しているものがいる。動きの少ない作業をしていると気になる。

2011/10/20の天気

TAVE= 15.4
TMAX= 19.1
TMIN= 11.9
DIFF= 7.2
WMAX= 3.4
SUNS= 0
RAIN= 0

読みかじりの記:「キュウリのトゲはなぜ消えたのか ---サプライズな「野菜学」」 藤田 智 著 (2007年 株式会社学習研究社)

巻末の著者紹介によると著者は生活園芸及び野菜園芸学の教鞭をとっているとの事。副題が「サプライズな「野菜学」」なのだが、本題の方に先ず目を奪われて本書を手にした。「ナゼ」という疑問への回答はナイショ。ともかく農作物には人類の長い歴史が絡んでいる。農作物の原産地、原産地からの伝搬ルート、その経路途中での品種改良・品種の分化等の解明・解説は文明史にも通じる。日本では主食がコメで野菜は副食の地位に甘んじていたが、それはほとんど有史以来の事で、縄文時代、石器時代は何を食べていたのかと思う。自然の中の動植物を採取・捕獲して食料にしていた。それを、次第にヒトの管理下に置いてきた。さらにその管理品種の有用性を高めてきた。千年以上の間、科学的知識ではなく経験的知識で育種が行われてきた。遺伝学が実用化されて以来、科学的な育種が行われるようになった。そうして現在は遺伝子操作で育種が行われつつある。本書の話題も野菜の歴史やルーツの比率が高い。野菜の機能性、ビタミン、リコピンetcの発見や構造分析の歴史はせいぜい2~3百年しかない。特に野菜の機能性成分の研究史は極短いのではないか。そういう歴史をたどるだけでもサプライズは限りなくあるだろう。ともかく野菜は植物の家畜に相当する。ところがその家畜も現在では本物をみる機会は極少なくなっている。幸い野菜は生食の比率が高いのでその姿を見ることができる貴重な存在だ。しかし、一般消費者から見れば、生産現場も生産プロセスも直接見ることが困難になっているのは家畜と同じであろう。著者は「はじめに」で、「一人でも多くの人にやさいづくりの魅力を伝えたい」と述べている。本書をつまみ読みして、またヤサイに挑戦しようかとちょっと気持が動いた。「おわりに」でギャグお笑いを積極的に採用、つっこみが足りないだろうと述べている。確かにそのような点もあるが、人間、物を食べるのに頭で食べてしまう欠点がある。本書はその欠点を改良してくれるだろうか。ともかく野菜の魅力を伝えようとする熱意は伝わってきた。食の信頼性が揺らいでいるが、自分で作った野菜の信頼性は自分で分かる。野菜作りは「スローライフ」と、著者は「はじめに」で述べているが、本書はそこまで立ち入っていない。生鮮野菜を代用するジュースや錠剤に頼るのか、テマヒマかけて野菜を食べるのか。ビタミンがあるからヤサイを食べなさいが通用するのはその意味が分る年齢になってからだろう。それでは遅いのではないか。先日、もらった小松菜の根をつまんで除去し、包丁で2~3㎝に切って、軽く醤油もみにして食べたらみたら実に美味かった。ほんのり残る青臭さが青虫になった気分にさせる。かつて子育て用に作ったスローガンは「ヤサイ ヤマホド ウンチ モリモリ」であった。ヤサイを食べ・食べさせるにもウンチクが必要なようだ。

2011年10月16日 (日)

読みかじりの記:「堀江貴文のカンタン! もうかる会社のつくり方」 堀江貴文 著 (2004年 ソフトバンクパブリッシング株式会社)

2011/10/16
昨日は曇り。朝小雨。AM来客雑談。切れない鉈を振り下ろして竹きりをして疲れた云々とお互いに年だナーとか言い合うが、こちらはもっと頑張らなくてはとう年なのだが。PM宅内雑用。予想外に昨日収穫したサツマイモが食卓に上がった。薄く輪切りにしてその上にクリームチーズをのせて焼いたもの。ほくほくしてうまかった。昔の芋の食べ方。サツマイモ、ジャガイモは大体ふかして食べた。サツマイモは甘みがあるので何もつけない。ジャガイモは塩を付けて食べた。サトイモはゆでて醤油を付けて食べた。ジャガイモを焼き芋にして食べるのもうまかった。自分はサトイモをすべるいもと言って好物だったようだ。終戦後の食料が不足して贅沢が出来ない時代に、食い盛りだったので芋はご馳走のうちだった。紙芝居屋さんの思い出:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/12/post-591d.htmlで紙芝居もお金でなく、ジャガイモ等の現物を持って見せてもらった記憶もある。祖母は乾燥芋を作った。ゆでたサツマイモの皮をむき、口にくわえた木綿糸で薄く切っていた。それを蚕を飼う竹かごに敷いた新聞紙の上に並べて乾燥させた。これも一種の保存食である。時が経つと徐々に固くなる。その分口の中に滞留している時間が長くなる。飴のようにしゃぶった事もある。草むらの中に落ちていた蜂屋柿を食べた。こちらは膿ガキ。ウンダラガキと言っていた。熟柿も意外にうまい。妻曰く熟柿は年寄りの好物だ。それはもっともだ。

2011/10/15の天気

TAVE= 19.9
TMAX= 21.2
TMIN= 18.6
DIFF= 2.6
WMAX= 3.3
SUNS= 0
RAIN= 2

読みかじりの記:「堀江貴文のカンタン! もうかる会社のつくり方」  堀江貴文 著 (2004年 ソフトバンクパブリッシング株式会社)

本書の腰巻きに「年功序列も大企業信奉も間違っている! 儲かる会社を作って勝ち組になろう!」とある。本書の巻末に本書の著者の処女出版本「100億円稼ぐ仕事術(2003年)」の広告がある。そのキャッチコピーが「一日にメールを5000通さばく! 堀江貴文の驚異の仕事術がこの一冊に」とある。ともかく本書出版当時は著者の勢いは凄まじかった。

金融用語辞典は、「ITバブル;url=http://money.infobank.co.jp/contents/A100107.htm(更新日:20110317)」というタイトルで、「あいてぃーばぶる
 ITバブルとは、1990年代末に米国を中心に世界的な広がりを持ったバブル経済状況をいいます。パソコン・携帯電話およびその関連機器、コピー機やファックス機器などの事務用機器などに新製品が相次いで発表され、爆発的に普及したこと、さらには通信回線とコンピュータが結合した情報ネットワークの構築など、情報技術(Information Technology ; IT)に関連する産業が中核となり、その拡大・急成長が米国だけでなく世界経済全般の好況をけん引したところから「ITバブル」と呼ばれます。また、電子メールやインターネットがめざましく普及し、社会のあらゆる場面で情報化が一気に進展しました。」と解説している。

「失われた10年;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F10%E5%B9%B4;(最終更新 2011年10月9日 (日) 03:54)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「日本では1991年3月から2002年1月までの約11年間。本項で述べる。」、「日本における失われた10年はバブル景気崩壊後の1990年代前半から2000年代前半にわたる不況の時代を指す語である。平成不況(平成不況期)や複合不況とも呼ばれる。」、「1991年(平成3年)3月から始まった「失われた10年」(平成不況)は、1999年(平成11年)から新世紀にかけてのITバブルを経て、2002年(平成14年)1月を底とした外需先導での景気回復により終結した。」とある。

IT技術が世界経済を牽引したのも事実であろう。ITは情報の流通速度と流通量を飛躍的に高めた。特にコンピュータと通信網(インターネット)は情報の質と流れる方向の多様化を拡大した。IT技術はビジネスだけでなく生活のインフラになってきた。著者のビジネスがコンピュータと通信網を中心とするIT技術分野であった事が、まざまざと思い出される。

本書を読んだのは、S.Jobsの生涯と重ねて見たいという動機があった。S.Jobsは1955年-2011年、56才で死去。著者は1972年生まれだ。

「スティーブ・ジョブズ;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96%E3%82%BA#.E9.9D.92.E5.B9.B4.E6.9C.9F;(最終更新 2011年10月14日 (金) 14:05)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「幼少期 [編集];1955年、シリア人の政治学者、アブドゥルファター・ジャンダリとアメリカ人の大学院生ジョアン・シンプソンの間に生まれる。ジョアンの父が、シリア人であるアブドゥルファターとの結婚を認めなかったため[5]、誕生以前から、養子に出すことに決められていた。結果、スティーブはポール・ジョブズ、クラリス・ジョブズ夫婦に引き取られることになった。ジョアン・シンプソンは、ジョブズ夫婦が大学卒でないことを知り、養子縁組を躊躇したが、ジョブズ夫婦が彼を大学に進学させることを約束して、縁組が成立した。ジョブズが、実の母と再会するのは、彼が30歳を過ぎた頃である。作家のモナ・シンプソンは、彼にとって実の妹に当たる。」とある。

人格の原型の自我が形成されるのが幼年期である。S.Jobsの幼年期も必ずしも幸福ではなかったようだ。しかし、幼年期に形成された自我がその後のS.Jobsを作る基礎になっているとも思われる。目前の難問も障壁も、それを乗り越えてきたという自信がなければくじけてしまうだろう。強い自我の主張は、本来のナイーブな自我を守るのに役立つのではないか。ナイーブな自我を忘れてはならない。

S.Jobsと著者の仕事ぶりにも似た所があるようだ。しかし、似ているのと同じなのとは別物だ。仕事の対象がIT技術の中核であるコンピュータとインターネットであるのも似ている。

上記、WIKIPEDIAの「青年期 [編集];968年、ジョブズが13歳のとき、あこがれのヒューレット・パッカード社のビル・ヒューレットの自宅に電話をかける。ビル・ヒューレットはパロアルトに住んでいることを知っており、電話帳で調べてみたところ、パロアルトで、ビル・ヒューレットの名前で掲載されているものはひとつしかなかった。ジョブズが周波数カウンタの部品をくださいと言うと、部品をくれたばかりか、夏休みにアルバイトをしないかと持ちかけられた。もらった仕事は、ヒューレット・パッカードの支社で、周波数カウンタをつくっているところだったという[6]」とうい記事も興味がある。

ヒューレット・パッカード社は元々はヒューレットとパッカードという技術者が起業して作った計測器を作るベンチャー企業であった。ソニーの前身もこのような計測器を作る会社であったとの事だ。自分が入社して技術者として最初に使ったバルボル(真空管電圧計)とSG(信号発生器)もhp社製であった。hp社製計測器は価格は高くてもその信頼性は国産品を凌駕していた。S.Jobsが青年期に技術に目覚め、成功したベンチャー経営者と会った事はS.Jobsの生涯にも大きく影響したのではないか。

本書は著者の起業の経緯を記した本でもある。日本はベンチャー企業が育ちにくい風土であるとよく言われている。しかし、日本に商工業という事業が生まれたのも100年単位で考えればつい最近の事だ。そのルーツをたどれば必ず創業者がいる。本書に記された内容も特に新しさはないだろう。本書出版時点では、起業をして成功した実績から、起業をしやすい社会的風土を作る追い風になったとは思う。「一日にメールを5000通さばく!」とはかなりの誇張に感じた。凡人は寝ずに頑張ってもこれだけのメールはさばけないだろう。著者の会社の急膨張で人材・組織の脆弱性が気になった。組織については著者も本書で述べていたことだ。

米国ではXX_BROTHERS AND COMPANYかの会社名がある。hp社も創業者の名前を冠した社名である。社名も創業の精神も企業では大切な要因だろう。そういう点では、企業の人的側面は無視できないだろう。XX_BROTHERS AND COMPANYとかは日本の同族企業のようでもあるが、社名は人材はどうでも良いという会社には凝集力は生まれないのではないだろうか。その点、S.Jobsのアップルは何を教えてくれるのか。会社は利益追求第一というのも考えさせる。そこが若さか。会社も社会的存在として成長しなければならない。読み方では色々な事を教えてくれる本ではあろう。

今思うと、アップルはソフトを重視しているが、ハードを捨てていない。ハードとそれを実現する技術に信頼を寄せている点にアップルの特徴があるように思われる。その点著者のビジネスはハードや技術への信頼が薄いのではと感じた。バーチャルの度合いが高まるに連れビジネスも不安定になる要因が高まるのかもしれない。

2011年10月10日 (月)

読みかじりの記:「食のクォリア」 茂木 健一郎  著 (2006年 青土社)

2011/10/10
昨日は晴天。午前は畑の手入れ。2008年に切った花水木の根を除去。幹は地上から20~30㎝で切ったが、地面から出ているので作業の障害になっている。根が腐っていればカケヤで叩けば倒れるだろうと実験。引き抜けた根、引き抜けない根、折れた根等々色々であった。3年間では根が十分抜けやすくなるまで腐らせるに不十分だった。1.5~2.0mで幹を切って根が腐ったらテコの原理で倒して引き抜く方が楽なようだ。腐るまで4~5年かかりそうだ。午後は下草刈り続き。苗救出。栗拾いetc。

2011/10/9の天気

TAVE= 17.8
TMAX= 22.8
TMIN= 12.6
DIFF= 10.2
WMAX= 3.1
SUNS= 7.8
RAIN= 0

2011/10/7の天気

TAVE= 18.3
TMAX= 23.4
TMIN= 13.6
DIFF= 9.8
WMAX= 7.1
SUNS= 10.6
RAIN= 0
2011/10/8の投稿は無し。10/7の気象データを追加しておく。10/7も晴天。

asahi.comは、「アップル前CEO、スティーブ・ジョブズ氏死去 56歳;url=http://www.asahi.com/digital/pc/TKY201110060120.html(2011年10月6日13時42分)」というタイトルで、「米アップルを創業し、同社を時価総額世界一の企業に育てたスティーブ・ジョブズ前最高経営責任者(CEO)が5日、死去した。56歳だった。パソコン、デジタル音楽販売、スマートフォン(多機能携帯電話)、コンピューター・グラフィックス(CG)映画など、IT関連産業で数多くの新製品や新サービスを生み出した。 」と報じた。

コンピュータは20世紀を特徴付ける大きな発明だ。しかし、そのコンピュータ全体は小さな発明や創作の集合体である。そのコンピュータが多くの人を引きつけたのは、人間の能力と機械の能力との関係であったろう。コンピュータを作ることにより人間の脳の仕組みも見えてきた。最近の自動車には沢山のマイクロプロセッサーが使われている。これからはコンピュータは益々見えない存在になってゆくだろう。また日用品のレベルに近づいて来る。10年、20年後のアップルはどうなっているだろうか。

読みかじりの記:「食のクォリア」 茂木 健一郎  著 (2006年 青土社)

「食のクォリア」をGoogle翻訳したら「Food Kuoria」と出た。この漢字の「食」がくせ者で、大体、この「食」の意味をはっきり限定しないと落とし穴に落ちる。漢字源で調べると、元々の意味が動詞で「食べる」。それが抽象化されて食物云々という名詞の表意文字としてのイメージがふくらんでいったようだ。一筋縄で一刀両断にできないのが食の悩ましい問題だ。

「茂木 健一郎 ;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%82%E6%9C%A8%E5%81%A5%E4%B8%80%E9%83%8E;(最終更新 2011年10月6日 (木) 12:07)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「茂木 健一郎(もぎ けんいちろう、 1962年10月20日 - )は、株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別研究教授。学位は博士(理学)(東京大学・1992年)。血液型はO型。」とある。

「食」に関するコメントは際限がない。一日三食。人生50年一人で5万5千回も休み無く食べる。著者の言う「クォリア」を著者は(質感)と言い代替えしている。「質感」だとピンキリまで範囲が広すぎるのか、「クォリア」という言い直しで、概念を化粧直ししているようにも見える。「質感」ならば常識的な成人ならなんとか意味を把握できるが、「クォリア」と言われたら、常識的な成人は何の事か分からない人が多いのではないか。

著者の「茂木健一郎 クオリア日記(url=http://kenmogi.cocolog-nifty.com/)」には「クオリア(感覚質)を鍵として、脳科学をやっています。」とある。質と量は異なった概念だがどこかで繋がっているように感じる。量から質への転換という言葉も言い古されている。本書の中にも、生存のための食、歴史、社会、習慣等が材料となり、著者流に料理されている。食に関する「思い出せない記憶」の研究も、自分として興味を持つ。著者は脳科学をやっているので、もっとむちゃくちゃな、非科学的な仮説でも結構だから、もっとこれが自分の言う「クォリア」だと示してくれると面白いと思う。

上記著者のブログで著者は、「ジョブズは、醜い技術の世界を、美しくした;(2011/10/07)」というタイトルで、「ニューヨークタイムズに引用された言葉に、「ジョブズは、醜い技術の世界を、美しくした」(“R.I.P. Steve Jobs. You touched an ugly world of technology and made it beautiful.”)とあった。ぼくの気持ちもそうだ。コンピュータの世界は、醜い技術、正確に言えば、美的なセンスなどどうでもいい、という人たちがつくる技術に支配されていた。」とアップルのS.ジョブズの死を悼んでいる。

「クオリア;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2(最終更新 2011年9月24日 (土) 10:21)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「クオリア(英:複数形 qualia、単数形 quale クワーレ)とは、心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと[2]、とりわけそれを構成する個々の質、感覚のことをいう[3]。日本語では感覚質(かんかくしつ)と訳される。」とあり、著者独創の概念ではなさそうだ。
「クオリア」が正しいのか「クォリア」か。この文では混用している。日本は言い換え、使い捨て文化で言語に関して極めて底が薄い感じを常に持っている。一種の流行語で、10年後にはその残骸しか残っていないようでは残念だ。

10万回何事もなく食べて死ねればそこには「本当の食」があった事にはならないか。そこから、その本質を抜き出すことにより本当の食の質感が得られるのではないか。食の質の本質を極める努力は必要だが、流行に乗ったり、言葉に酔っては危険だ。たったの百年で人間の食は大変貌してしてしまった。現代人はその激動の中で食うために夢中だ。自分達の青年時代は食は貧しかったが、パンのみに生きるにあらずとか、働かざる者食うべからずとか真剣に考えた。著者は衣食足った時代を生きてきたのか。

最近冷やかしにGoogle翻訳を試用している。原文と訳文を比較してみると、訳文にはそれとなく原文の風味は感じるが、全体の風味は今ひとつだ。自分としてはGoogleの翻訳アルゴリズムを知りたい所だ。WEB上の膨大なデータを適当に加工するともっと原文に似た訳文ができるようになるのか。もっと言えば、WEB上の全ての単語と文章に適当なパラメータを与えるともっと原文に近い訳文ができるのか。冷やかしができない訳文が出てきたら恐怖だ。S.ジョブズはコンピュータ界の孤独な芸術家でGoogleのコンピュータ技術者はその逆なのか。食もコンピュータも10~20年後は大変貌しているかもしれない。しかし、コンピュータは変わる運命にあっても何の不思議もないが、食はどうなるか。不安が一杯だ。

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    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)