06C_読みかじりの記

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2012年4月18日 (水)

読みかじりの記:「わが 半導体 経営哲学 意志ある所、道あり」 川西 剛 著 (1997年 株式会社 工業調査会)。120418。

2012/4/18(水)
昨日は晴れ時々曇り。午後、短時間だが雷鳴がして雨がパラパラ降った。用事外出。買い物。イチゴのポット苗1つ買ってみた。セルフスタンドで給油。150円台の下/㍑。前回の給油時に、店員が満タンですかと聞いたので、うっかり「満タン」と言いそうになってしまった。ガソリン価格は上昇中。「満タン」とはしばらくご無沙汰している。夕方打合せ。WIN VISTAでパワーポイントを操作。両方、ほとんど使っていないので、思うように動かせない。

2012/4/17(火)の天気

TAVE= 13.4  
TMAX= 19.2 最高気温(℃)  20.5  14:07
TMIN= 9 最低気温(℃)  8.9  05:27
DIFF= 10.2  
WMAX= 3.3 最大瞬間風速(m/s)  8.3(北北西)  15:12
SUNS= 5.4  
RAIN= 0  

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読みかじりの記:「わが 半導体 経営哲学 意志ある所、道あり」 川西 剛 著 (1997年 株式会社 工業調査会)

日本の半導体業界の中で飯を食ってきたので、最近の日本半導体の凋落ぶりに耐え難い悲哀を感じている。以前、会社更生法適用申請をしたエルピーダメモリに関して記事を書いた(技術 回顧と展望:日本の産業劣化に経営者の品質劣化は無関係か?2012/2/29(水)http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/02/post-994c.html)。

企業としての半導体事業は、まさに常在戦場というビジネス環境の中で、淘汰をかけた総力戦を戦ってきたといえるだろう。たかが、産業のコメ、産業のねじ・釘に過ぎない部品事業が、企業の中で最も金遣いの荒い部門になり、投資と戦略を誤れば、経営者本人だけでなく、企業母胎も、立ち上がれないほどの損失を被る。

エルピーダメモリ株式会社のホームページを見ると、「企業情報 当社及び当社子会社の会社更生手続開始決定に関するお知らせ(2012年3月23日)」以後の新しい、告示事項は無かった。東芝が、エルピーダメモリの再建支援に乗り出すのか。支援が取りざたされた背景として、東芝の半導体部門は、健全性を保っているという見方があるのだろう。

本書の著者は、東芝の半導体の草創期から半導体事業が最も輝いていた1995年頃まで、一貫して東芝の半導体の現場や最後には半導体部門の経営に従事されて、本書は著者の半導体人生前半の総集編として書かれているように思われる。

著者は「第8章 わが半導体人生 4 私の現在から未来」で、1994年東芝役員退任後、「何か仕事を与えられた時の原則」を掲げている。
①四十年間余お世話になった東芝にプラスになること。
②長い間お世話になった、半導体、液晶業界に少しでも寄与できること。
③長年携わった国際関係に貢献できること。

著者はこの三原則を掲げて、第二の人生に乗り出したようだが、その節目に書かれた本書は、著者と一回りほど遅れて、一兵卒として半導体業界で暮らしてきた自分にとっても、大変参考になった。

仕事、生活、人生等々語れば際限がないテーマだ。それを、色々な支点から見直して、整理する事により哲学が生まれてくるのだろう。本書の川西式経営哲学は、かつての半導体業界を乗り切った哲学でもあろう。出版後15年ほどになるが、本書はまだ価値を失っていないと思う。

現役の半導体経営者はどんな哲学を以て経営に臨んでいるのか。現在現役の半導体経営者は最早自分の哲学を語るチャンスすら無いのだろうか。自分も半導体業界は日々疎くなっている。それでも、人生の大半を過ごした体験や知識は捨て難く感じている。職が変わり、相手が変わっても生き続けて活用できる知恵が哲学と言うのに相応しいような気もする。

「東芝:設立 1904年(明治37年)6月25日(株式会社芝浦製作所)」ref/WIKIPEDIA/⇒:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E8%8A%9D#.E6.B2.BF.E9.9D.A9。とある。後2年で設立110年となる総合企業である。その長い歴史の中で、半導体事業は、明らかに新規の起業に匹敵するだろう。WIKIPEDIAのリンクから、創業者「田中久重」へ跳ぶとその語録が目に入った。

「田中久重;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E4%B9%85%E9%87%8D。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2011年11月12日 (土) 15:29)(http://ja.wikipedia.org/)の一部引用=「語録 [編集]:高い志を持ち、創造のためには自らに妥協を許さなかった久重は以下の言葉を残している。

「知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである」」。何と本書の内容の大半を要約するような言葉が並んでいる。先人の知恵はそれを感得した人に受け継がれて行くのか。

「第7章 明日を見る眼 9 忍耐と創造」で、桃栗三年柿八年の喩えで、メモリーは柿だったと述べている。忍耐の必要性を説いている。

本書を読みかじって、意外に失敗事の記事が少ないように感じたが、「田中久重」の語録の通り、失敗は次なる挑戦の踏み台であり、語らずもがなの事なのだろう。

多趣味のテニス、将棋、園芸等々も、経営の視野拡大に役立てている姿には著者の人生に向かう哲学が見えるようでもある。本書は著者が第二の人生に出発する時の本でもあり、とりわけその部分に共感を覚えた。また末尾の謝辞も印象に残る。特に母への謝辞が。

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追記:ひょっとしたらと思い、「半導体シニア協会」のホームページを覗いてみた。その会報に掲載された記事を拾い読みしていた時があった。会社時代は仕事を通して人に接することが多いが、退職後の先輩・上司の活躍を見ると、また意外な側面があったのだと思う楽しさがあった。

「半導体シニア協会」は「半導体産業人協会」に変わっていた。なんと、そのホームページに掲載されていた最新号であるEncore74号の読者の広場の欄に、「私の半導体人生」というタイトルで、TEK コンサルティング代表 川西 剛氏が執筆していた。著者は「半導体シニア協会」の会長も歴任されている。

この記事から、本書出版以後の様子を知ることができた。この記事で、失敗例としては、「アメリカでのFAB、ザイログ社との提携等であった。」という内容は本書の補足としても興味深い。

著者は学生時代は「無線工学で著名な森田清教授についてアンテナ工学を専攻した」とのことだが、配属されたのは通信関係の職場ではなく、受信菅の現場であったと述べている。いわば、半導体や真空管は想定外の仕事だったが、半導体がライフワークとなったらしい。

自分の場合も、電気工学科に入って、卒研は電子工学的な内容であった。入社したら、モーター関係の仕事をさせられるだろうと予想していたが、半導体部門に配属された。半導体ビジネスは好況不況という山と谷が大きい業界だが、マクロ的には成長産業だと上司から言われ、部下にもそう言ってきた。

現在、その産業の未来を占うことが難しくなってきた。しかし、半導体の誕生から今日まで蓄積してきた技術・ノウハウ等々は一夜に消滅する事はないだろう。問題は、そのような蓄積を使い果たす前に、次の飯の種を探して育てることが可能かどうかだろう。著者はアンコール74号の「グランドシニアーの一言」で、その辺を示唆しているように見える。

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追記(2017/11/16):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
東芝のテレビ事業部門売却のニュースに接して、東芝関係の過去記事を再読した。半導体事業は、日本の超優良企業の中でも鬼っ子だったようだ。そんななかで、東芝元副社長まで上り詰めた川西 剛氏のインタビュー記事が下記サイトの(「週刊ダイヤモンド」委嘱記者 村井令二)による記事。企業の優良成長部門を育てた経営トップが、その現状を、「それで皆で育てた半導体事業を売りに出さなければいけなくなるなんて、本当に信じられないミスとしか言いようがなくて、残念です。」と語って、身につまされる。


東芝はなぜ経営危機に陥ったのか? 元副社長が語る最大の原因(http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/01/diamond-online-toshiba_n_16906432.html)。(2017年06月01日 20時18分 JST)」(ハフィントンポストの記事へのリンク)(このサイトへのリンク

道具あれこれ記:半端道楽:デジカメで撮影したノートパソコンの異音?;爺婆の 迷子が絶えぬ バス旅行。171116。(この記事へのリンク)

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2012年3月29日 (木)

読みかじりの記:「経営者の条件」 大沢武志 著 (2004年 株式会社 岩波書店)

2012/3/29(木)
昨日は晴れ時々曇り。風が強かった。用事外出。日時を間違えて用事は空振りに終わった。それならばと、目的をサイクリングに変えてしばらくフラフラ乗り回す。店頭にとめた自転車が二度転倒していた。最初はいたずらかと思ったが、二度目は突風かと考え直した。最近、チベット旅行者矢島保治郎が話題になり、墓もあるよと聞いていたので、どこにあるのだろうと気になっていた。写真を見て、頂部が球状になっているのを覚えていた。もしやと自転車を止めて近づいてみると、それが矢島保治郎の墓であった。想定外の収穫ではあった。

2012/3/28(水)の天気

TAVE= 8.1
TMAX= 16 最高気温(℃)  16.6  13:26
TMIN= 2 最低気温(℃)  1.7  05:41
DIFF= 14
WMAX= 8.3 最大瞬間風速(m/s)   16.0(北北西)  15:08
SUNS= 5.6
RAIN= 0

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読みかじりの記:「経営者の条件」 大沢武志 著 (2004年 株式会社 岩波書店)

経営者を一般のサラリーマンから見れば殿上人のようで、余り強い興味は持っていない。本書を手にしたのは、日本の経営が何か元気を失っているように感じてきたことに一因がある。会社の従業員の姿はなかなか、見えないが、会社や経営者はそれなりに、社会的な存在でもあり、何となく見られたり比較されたりしている存在だろう。本書のカバーに雪印や三菱とう名門企業が、不祥事という言葉と一緒に出てくる。本書が書かれた背景に、会社がかかわる不祥事があったのも事実だろう。著者自身もリクルートの役員を経験しているようで、その体験も本書を書かせる動機でもあったことが、後書きに述べられている。

現在、かつての名門企業が不調に陥り、その再起が可能なのか、企業には寿命があり、社会的な役割の果たせない企業は、自滅か解体を辿るべきか、それとも公金を注ぎ込んででも、再生させるべきなのか、企業存立の問題さえ浮かび上がってきているのが最近の様相だ。ともかく、多彩な企業活動の司令塔が経営者であり、経営者の社会的な責任も重要になってきた。経営も政治と同じように結果責任という部分もあるが、経営には基本的なルールがあるので、そのルールを外さないで如何に目的を達成するかとうのが、経営論、経営者論の醍醐味ではないかと思われる。

しかし、その経営者が、最近では世間から余り注目を集めていない。WIKIPEDIAの「日本の高額納税者公示制度」によると、「日本では1947年から2005年まで導入された。当初の制度の目的は「高額所得者の所得金額を公示することにより、第三者のチェックによる脱税牽制効果を狙う」ことであった。初期の頃はこの目的の効果を高める為に、情報提供者に対して報償金を脱税発見額に応じて支払う「第三者通報制度」も導入されていた。しかし、第三者通報制度は、通報の動機が怨恨や報復によるものが多いなどの指摘があって1954年に廃止された。公示制度では収入額を公示していたが、1983年度からは納税額を公示するようになった。」とある。日本の高額所得者は、世間に気兼ねなくその高額所得の恩恵を謳歌できるようになったようだ。経営者の所得とその企業で働く労働者の所得は逆転する事はまずないだろう。「高額納税者公示制度」の廃止により、経営者と労働者の意識にどのような変化が生じているのか興味がある問題だろう。経営者にとっても、労働者にとても、所得と労働は共通した関心事項だろう。それを相互に確認をする手だてが無くなった。倫理観という、高度な自己規定も経営者には必要だろうが、所得と労働という労使共通の評価尺度の存在は経営そのものの位置を同定する上でも重要だろう。

経営者の姿が社会から見えなくなっている事が気になっている。見えなければ興味も湧かない、うわさもできない、人物評価などさらに不可能だ。本書にも「ノブレス・オブリージュ」等の記事があるが、これも経営者だけでなく、社会の上層に立つ人物が社会に向かう心構えともとれる。つまるところ個人の規範意識になるだろう。社会現象的には経営者個人の規範意識すら崩壊しているようにみえる時世だ。ともかく、不祥事が起きた会社やその会社の経営者を語るのはうんざりだ。語るにも”ヨイショ”だけでは面白みもない。その点、司馬遷の史記のような「経営者列伝」のような書き方の方が読ませるのではないか。良いとこ取りだけしていたら何事も薄っぺらになってしまう。

実は、本書を手にした、別の理由として、日本の電力企業の経営者の身の振り方が気になっているいるのだ。電力業界もこれから激動の時代を迎えるだろう。どのような経営者が現れるのか。どのような経営者が望ましいのか。現在の経営者は忍者の如く、その姿も外からは見えにくい。経営者として、経営を傾けさせて、それを立ち直らせることができないのは最大の不覚と言えるだろう。

JCASTニュースは、「JAL植木新社長は「片岡千恵蔵」の息子 「飛行機を飛ばすという仕事が唯一の自慢だった」;url=http://www.j-cast.com/2012/01/17119092.html?p=all(2012/1/17 17:06 )」というタイトルで、「日本航空(jal20+ 件)は2012年1月17日、臨時取締役会を開き、植木義晴専務執行役員(59)を社長20+ 件に昇格させる人事を発表した。大西賢社長(56)は会長に、稲盛和夫会長(79)は名誉会長に就任する。新人事は、12年2月に開かれる臨時株主総会後の取締役会で正式決定する。 植木氏は1975年に航空大学校を卒業し、JALに入社。35年間にわたってパイロット畑を歩み、経営破たん直後の10年2月に執行役員運航本部長に就任。会長の稲盛氏が提唱した部門別採算制度を推進した。jal20+ 件社長にパイロット出身者が就任するのは初めて。~稲盛氏は13年1月で名誉会長と取締役を退任:   稲盛会長は、会長就任から丸3年が経つ13年1月で名誉会長と取締役を退任することを明言。この時期の社長20+ 件交代になった理由について、   「航空事業は、私のような外部の者では難しい。生え抜きの人で経営してもらうことが大事。早いかもしれないが、新しいjal20+ 件の執行体制をスムーズに運営できるように、1年間の助走期間を設けられるようにした」と説明した。」と報じた。

本書の「企業倫理に対峙する経営者」の項は参考になった。特に『「メンター」の存在』の部分。経営者の心の師は求めて得られる者でもないだろう。運命的な出会いかもしれない。その師と弟子は、お互いに心のアンテナを磨き、交流のチャンスが訪れるのを待っているのかも知れない。「メンター」についてはS.Jobsの伝記にも出てきた。創業者である経営者の間では「メンター」という同志愛的な絆が生まれるのかもしれない。企業内の潰し合いや出世競争という経営環境では「メンター」に出合う機会も少ないのではないか。その点上記の記事は再生中のJALに吹いた新しい風のように感じる。上記、JCASTニュースをもう一度読み直すと、稲盛和夫会長の出処進退の姿も浮かんでくる。経営再建には、ニッサン流もあればJAL流もある。ともかく沈没しつつある企業を浮上させるには、コスト的に身軽になるのも基本的な条件だが、それを可能にする条件を作り出す手腕が必要なのだろう。これは経営者のリーダーシップという便宜的な言葉では言い尽くせないようだ。経営者には全人格的な素質・能力・経験等の全ての要因が問われるのではないか。

本書をよみかじって、いつの間にか良い経営者、悪い経営者云々と考えていた。第5章は「経営者能力をどうはかる」。経営能力をズタズタに要素に分解して、それからあるべき経営者像を描き出してもヒューマノイドの空しさを感じるだけだ。経営者を選べない、作れない、評価できないという状況では名経営者は生まれてこないと諦めるべきか。経営者を広義にとれば、企業経営者だけではなく、各界の実権保有者、指導者とも重なる。これらの人物像にも経営者としての役割が求められている。経営者にはなろうとしてもなれるものでもない。今日は、経営者が余りにも内向きになりすぎ、萎縮し、事なかれ主義に徹してしまっているのではないか。実は、これは虚像かもしれない。大多数の中小企業のおちゃん的経営者は、生身を不況にさらしつつも、健全な精神を失っていないと思う。

経営の語源を調べたら以下のブログに出合った。長塚建築設計事務所ブログ((株)ナガツカ 代表取締役(1958年創業、2002年より世代交代し二代目社長))に、「経営とは?;http://jqa.cocolog-nifty.com/koga/2005/07/post_d8da.html#more(2005年7月 4日 (月))」というタイトルで、「語源「経」と「営」 「経之営之=これを経しこれを営す」 紀元前八世紀、周の国の詩人が、「祖先文王が霊台という祭壇を築いて、建国のシンボルとしたことを追想して霊台を経始し、これを経しこれを営す。庶民これをおさめ、日ならずして成る」と謳っているらしい。土木工事や建築を始める際、まず経と営という作業を行ったというのである。〔詩経・大雅・霊台〕~ 直線の区画を切るのを経といい、外がわをとり巻く区画をつけるのを営という。併せて、荒地を開拓して畑をくぎるのを「経営」といい、転じて、仕事を切り盛りするのを「経営」という。~」とある。

上記は抜粋だが、経営を語源に遡って理解する事も参考になる。WEB英英辞書(http://dictionary.reference.com/browse/manage?s=t)で「manage」を調べると「man?age
   [man-ij] Show IPA verb, -aged, -ag?ing.
verb (used with object)
1.to bring about or succeed in accomplishing, sometimes despite difficulty or hardship: She managed to see the governor. How does she manage it on such a small income?
2.to take charge or care of: to manage my investments.
3.to dominate or influence (a person) by tact, flattery, or artifice: He manages the child with exemplary skill.
4.to handle, direct, govern, or control in action or use: She managed the boat efficiently.
5.to wield (a weapon, tool, etc.). 」とある。

難しい課題をなんとかやりくりして完成させたり、成功させるという基本的な意味が「manage」にある。「management」は「manage」の名詞だから、「manage」する事と明快である。どうも、日本人は、言葉も貰い物という事で、目先の目的に間に合えば良しとする風潮があるようだ。しかし、本当の経営者は、常にその初心を忘れずに、日々の問題、今後起こるかも知れない問題に立ち向かっているのではないか。3.11三大災害に際して、日本の国家経営者や超優良企業の経営者のふがいなさをなげいて昨年読みかじったのが以下の本。

「読みかじりの記:帝王学 「貞観政要」の読み方 山本七平 著 (1983年 日本経済新聞社)http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/07/1983-5736.html」の記事を再読してみた。『帝王学 「貞観政要」の読み方』が書かれたのも、「経営者の条件」が書かれたのも、社会的な著しい不祥事が背景にある。古いが、『帝王学 「貞観政要」の読み方』の迫力を再認識。

追記(20141/13):
サイト内でキーワード「読みかじりの記」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E8%AA%AD%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%8A%E3%81%AE%E8%A8%98%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。

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2012年3月 9日 (金)

読みかじりの記:「鳥の仏教」 中沢新一 著 (2011年 株式会社 新潮社)

2012/3/9(金)
昨日は曇り。平均気温は高めだが日照が無いので寒く感じる。同じ係りの人と二人で資材調達の買い物をした。その後はエクセル作業。東北関東大震災、大津波災害、福島原発事故災害の発生から一年になるので、新聞・テレビ等で色々な報道がされ、特集の企画も目立つ。東京の防災に関して、調査研究の結果、東京の直下で震度7の地震が起こる可能性が高いことも発表されている。万一、その程度の地震が起こった時の責任逃れととる向きもある。あの時、発表していたのだ。俺には責任はないという論理は通るのか。東北関東大震災の教訓は関東大震災で多大な被害が発生した東京等の大都市にあてはまる。もはや想定外は通用しなくなっている。

2012/3/8(木)

TAVE= 9.4
TMAX= 11.5 最高気温(℃)   最低気温(℃)  7.4  04:48
TMIN= 7.6 最低気温(℃)   最低気温(℃)  7.4  04:48
DIFF= 3.9
WMAX= 2.7 最大瞬間風速(m/s)   5.7(東南東)  14:12
SUNS= 0.1
RAIN= 0

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Q

読みかじりの記:「鳥の仏教」 中沢新一 著 (2011年 株式会社 新潮社)

本書末尾に、本書は平成20年に新潮社より刊行されたとある。比較的新しい本だ。カバーに著者は1950年、山梨県生まれの文化人類学者とある。やや薄い文庫本だが、モノクロやカラーの鳥の挿し絵が読書プラスαの楽しさを与えてくれる。「鳥の仏教」が知られるようになったのは20世紀初頭のインドであったとの事。著者はこの本を読みつつ仏教を学んだと記されており、人類にとっての精神文化の遺産ですと述べている。

「鳥の仏教」の中には、それがチベットの民衆の自然観や社会観がそれとなく流れており、チベットを理解するにも参考になりそうだ。アニミズム、輪廻観も合理主義という目的論で切り捨てることはいとも簡単だ。しかし、我々の人体を作っている物質は変転しつつ世界を巡っているのも厳然とした真理だ。放射性物質さえその循環の中にある。ただ、その全体を把握することは容易でない。動物や植物という生物に視点を移すことで、人間の認識機能を客観化し、より広く深い世界観を築いて行くことは人類が生き残って行くための課題でもあろう。人類は自然の摂理を改造する事はできない。

チベットに関しては、鳥葬の国、チベット死者の書、ダライラマ、チベット探検家矢島保治郎等々色々な事を思い出す。梅原猛の「日本の深層」の中に「賢治の霊力」という項があり、「なめとこ山の熊」に関して、「人間が熊を送るのではなく、熊が人間を天に送るイヨマンテなのである」と記されている。梅原猛はアニミズムの本質を見ていたのかも知れない。本書に「きこりを助けた熊の話」という記事がある。二つの話の共通性に驚く。人と熊も共存しなければ、お互いが生きて行くことはできないという教えであろう。この説話を人間の社会に投影すれば、人はお互いいがみ合うことなく共存せよとう教えでもあろう。

以下は、本書の中の一節だ。「鳥の仏教」ではカッコーが聖なる鳥との事だ。フクロウは「ウトォ(なんと哀れ)」と鳴くそうだ。西洋ではフクロウは学識ある賢者の象徴でもある。

以下、引用:
瞑想をして死の意味を知る前に死がやってきてしまうのは哀れだね、ウトォ。
戒律を守らないお坊さんは哀れだね、ウトォ。
ものごとを判断できない老僧は哀れだね、ウトォ。
威厳を持てない大臣は哀れだね、ウトォ。
軍隊がついてこない将軍は哀れだね、ウトォ。
相談相手のいない王様は哀れだね、ウトォ。
従う者のいない指導者は哀れだね、ウトォ。
行動力のない政治家は哀れだね、ウトォ。
学識のない先生は哀れだね、ウトォ。
熱心さのまるでない弟子は哀れだね、ウトォ。
信用のできない友達は哀れだね、ウトォ。
気持がバラバラな家族は哀れだね、ウトォ。
哀れなおこないがどんなものかを知って、それを避けるのが大事です。
引用終わり。

本書は薄い文庫本だが、従来の仏教書にないすがすがしさを感じた。東北関東大震災、大津波災害、福島原発事故災害では、被災者だけでなく、その家族や知人、更には日本中の人、世界中の人が大きな衝撃と悲しみを味わったと思う。その悲しみに打ちひしがれることも人類の歴史としては忘れることのできない貴重な体験ではないか。「鳥の仏教」のフクロウの鳴き声も日本の復興や自戒のために鳴いてくれているようにも感じる。

2012年3月 5日 (月)

読みかじりの記:「新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示」 菅谷 昭 著 (2011年 株式会社 新潮社)

2012/3/5(月)
昨日は曇り。寒さが戻ってきた。宅内作業。水栽培のチューリップの芽が伸び始めてきた。根が出ているのは1球だけ。根は出なくても芽は出るというのも植物の戦略なのか。条件が異なる球根が5球ある。それぞれ生き方が異なるようだ。これから変化が出てくるだろう。昨日は年月日が1234と並んだ記念日。末広がり型だ。3/6は啓蟄。ジャガイモの植え付けをいつしようかと思案中。

2012/3/4(日)の天気

TAVE= 4.7
TMAX= 7.5 最高気温(℃)  最高気温(℃)  8.4  13:58
TMIN= 1.6 最低気温(℃)   1.6  24:00
DIFF= 5.9
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)  5.9(東南東)  17:17
SUNS= 1
RAIN= 2.5

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読みかじりの記:「新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示」 菅谷 昭 著 (2011年 株式会社 新潮社)

本書出版日は2011年7月1日。巻末に「この作品は1998年8月晶文社より刊行された。」とある。この旧版をベースに発行された。2011/3/11の東北地方太平洋沖地震に起因して発生した福島原発事故に関する著者の緊急メッセージととれる著書だ。福島原発事故を契機にチェルノブイリ原発事故も知りたくなったが、昨年でチェルノブイリ原発事故は発生後25年を迎え、書店を探しても関連書物はほとんど見つからなかった。チェルノブイリ原発事故関連で、最初に出合ったのが本書である。

本書の「新版に寄せて」が書かれたのが原発事故発生一月後の4月と記されている。まさに、著者の緊急メッセージなのだ。チェルノブイリ原発事故で、医療支援を行った医師や医療機関も多かったと思うが、マスコミにも余り露出せず、このような個人で身を投げ出して医療支援を行っていた著者の名前を知ったのは本書を読んでからである。その体験を本にしたのも、今から見れば貴重な記録になっている。著者は甲状腺外科の専門医という事で、チェルノブイリ原発事故を通して、放射能が人体に与える影響を科学的に最も身近で把握している人であろう。福島原発事故事故に対して、当局の混乱でヨウ素剤が服用されなかった事と重ね合わせて考えると、幼児に対する放射能の影響に関しては、今からでも本書を熟読すべきではないかと思う。「新版に寄せて」で著者は「ベラルーシで幼児の甲状腺ガン患者が増加し始めたのは事故から5年後の事で、患者数がピークになったのは10年後ことだった」と述べている。

福島原発事故発生以後、「直ちに健康に影響を及ぼすものではない」というような言葉を何回聞かされた事か。著者は「まさに、自国の政府を信用できないくらい惨めなことはない。」とも述べている。また、「どんなに辛くてもチェルノブイリの話をするしかないと思っている。」とも述べている。著者、福島原発事故が起きたとき、第二のチェルノブイリ原発事故になることを危惧したとの事だ。放射能被害に関しては、5年後、10年後、更にその先何十年も不安や心配は消えない。

本書の診療に関する記事は、医と個のドラマである。問題を抱え悩むのは個人だ。個々の人が個々の問題を抱え、そこにドラマがある。最終章の「希望」に「たくましい女たち」という項がある。そこには、日本と食事の様子も描かれている。日本では福島原発事故の放射能で食事も農産物も大きく混乱し、その行く先も見通せない。

日本で活躍している、歌手・バンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーが歌う「バンドゥーラを手にすれば」という歌を聴いたとき、切々とした望郷の念を感じた。この曲は以前風ログを覗いていたらバックから流れてきて初めて聞いた。WEBにあったプロフィールは以下の通り。

ナターシャ・グジー 公式ホームページ!は、「プロフィール;url=http://www.office-zirka.com/profile.htm」として、「プロフィール: ウクライナ生まれ。 ナターシャ6歳のとき、1986年4月26日未明に父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が発生し、原発からわずか3.5キロで被曝した。 その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。 ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学ぶ。 1996年・98年救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行う。 2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。 その美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響きは、日本で多くの人々を魅了している。 2005年7月、ウクライナ大統領訪日の際、首相官邸での夕食会に招待され、演奏を披露。 コンサート、ライブ活動に加え、音楽教室、学校での国際理解教室やテレビ・ラジオなど多方面で 活躍しており、その活動は高校教科書にも取り上げられている。 」と紹介している。

YouTubeで三橋美智也が歌う「あゝ故郷http://www.youtube.com/watch?v=077aFjoBmmM」という歌を聴いた。この曲にも切々たる望郷の念を感じる。人も場所も時も異なるが故郷にひかれる気持は人類本来のもので変わりがないのだと思う。

「若い生命を 埋れ木に
花の咲かない わが運命
男泣かねど 涙にうかぶ
あゝ ふるさとの 山恋し」
作詞・高橋掬太郎 作曲・吉田矢健治との事だ。昭和35年の発売だったとか。

福島原発事故で故郷から逃れる人とそこに住み続ける人がでた。去るも残るも重い決断がのしかかっている。福島原発事故は健康被害だけでなく、そこに住む人々の愛郷心も粉々に砕いてしまったのではないか。それでも、心の中に残る故郷は希望と元気を与えてくれる源なのではないか。最初に買った本書は回し読みをして貰うため手放した。いまも誰かが読んでくれているとありがたい。二回目に買った本書は保存版として残したい。

2012年3月 4日 (日)

読みかじりの記:「日本の深層 ~縄文・蝦夷文化を探る~」 梅原猛 著 (1994年 株式会社集英社)

2012/3/4(日)
昨日は穏やかな晴天。雪や雨が降り、季節が一歩進んだように感じる。久しぶりの農作業。種ジャガイモを切った。数日間切り口を乾燥させて植える。ジャガイモの本を見ると、頂部優勢なので、真ん中で輪切りにするのは良くないらしい。芽の数が均等になるよう切り口方向がまちまちになっている。次は、植え付けの畝作り。肥料は積み上げた雑草が堆肥らしくなったのを使った。多分草との戦いになるだろう。全て手作業で、発汗気味になった。量はごくわずか。ジャガイモは早植えが良いと本にある。収量が光合成をする時間に対応するようだ。

昨日は桃の節句、雛祭りであった。雛様を出さなくなり久しい。耳の日でもあった。「耳の日 ;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E3%81%AE%E6%97%A5。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2011年2月7日 (月) 21:03 )(http://ja.wikipedia.org/)の引用=「耳の日(みみのひ)とは、1955年日本聴覚医学会が創立し1956年に社団法人日本耳鼻咽喉科学会が制定した記念日。毎年3月3日。制定 [編集]:の字が耳の形に似ていることと、「み(3)み(3)」の語呂合わせから。一般の人々が耳に関心を持ち、耳の病気のことだけではなく、健康な耳を持っていることへの感謝、耳を大切にするために良い音楽を聴かせて耳を楽しませてあげるために、あるいは、耳の不自由な人々に対する社会的な関心を盛り上げるために制定された。また、3月3日は三重苦のヘレン・ケラーにアン・サリヴァンが指導を始めた日であり、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもある。」。

「アレクサンダー・グラハム・ベル;。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB。」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。(最終更新 2012年2月29日 (水) 12:10 )(http://ja.wikipedia.org/)の引用=「アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847年3月3日 - 1922年8月2日)は、スコットランド生まれの学者、発明家。その生涯を通じて科学振興および聾者教育に尽力した。」。

G.ベル生誕165年だった。今日、電話無しには生活が成り立たない。WIKIPEDIAによると「父は大学教授で視話法の考案者であるアレクサンダー・メルヴィル・ベル (Alexander Melville Bell) 。」。
G.ベルは電気と音声に興味を持つとある。電話とは音声を電気に変換して遠方と通信する技術である。ここには純粋な学問と学問の実用化する技術との融合がある。G.ベルの偉大さを改めて認識した耳の日だった。

TAVE= 7.2
TMAX= 12.2 最高気温(℃)  12.5  14:09
TMIN= 4.2 最低気温(℃)   3.9  06:25
DIFF= 8
WMAX= 6.5 最大瞬間風速(m/s)  12.2(北北西)  16:39
SUNS= 9
RAIN= 0

Q
Q

読みかじりの記:「日本の深層 ~縄文・蝦夷文化を探る~」 梅原猛 著 (1994年 株式会社集英社)

この本をもむきっかけは、「松岡正剛の千夜千冊」の中で、「日本の深層(http://1000ya.isis.ne.jp/1418.html)」を読んだことにある。東北関東大震災も関心を向けさせた。「東北の海よ:哲学者・梅原猛さんの思い(2011年4月 4日 (月))。http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/04/post-6834.html。」で、東北復活の自分なりのキーワードは「東北の海よ」がふさわしいと思った。著者は復興会議構想会議の特別顧問(名誉議長)に就任している。この役職も著者と東北地方の並々ならない関係の故であろう。読後の印象は、「哲学者・梅原猛さんの思い」に通じる。やはり、特異な哲学者らしく、ずばり、現象の背後に迫ろうとする姿は誰もマネが出来ないように思う。賢い哲学者なら危険地帯として入り込まない領域に足を踏み入れているのではないか。「日本の深層」の「深層」も色々深い意味を想像させる。東北地方が中央から未知であり、まさに未知・道の奥にある。距離的に遠いだけでなく縄文時代まで時間軸を引き延ばして、東北地方から中央を見直してるのだから、こういう業は著者でしかできないだろう。著者が縄文時代の縄文土器の分布、気候や蝦夷やアイヌのことまで言及して東北地方が古代文化の発祥であるように語る中に、著者の熱き思いを感じる。縄文時代は1万年以上前まで遡るようだ。山内丸山遺跡は紀元前3000年頃の遺跡(。http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/jomon/index.html。= 遺跡年表)らしい。栗やクルミを食べていたらし。これらは広葉樹で温暖な気候を思わせる。

特別史跡山内丸山遺跡のHP:。http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/index.html。に、「三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。 平成4年からの発掘調査で、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、集落全体の様子や当時の自然環境などが具体的にわかりました。 また、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。 ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えました。平成12年11月には国特別史跡に指定されました。」と紹介されている。

尚、本書に述べられた十三湊遺跡も調査が進み、著者の推測が空想ではなかったことが実証されつつあるようだ。更に、東北地方で思い出すのが、旧跡時代の遺跡捏造問題だ。その背景には地域のアイデンティティを強固にしたいという強迫観念が、蔓延していたという時代背景もあったようだ。地域のアイデンティティを確かにすると言うことが、集団で何事を行うにも必要なことだろ。そう言う意味で、アイデンティティ探しも、復興の前提として不可欠ではないか。松岡正剛氏が、上記記事で「芭蕉が奥の細道を通して把えようとした意図が、日本の深層への旅だったと思えてきた。」と書いている。昨年は、芭蕉の句を前句として、それから連想した句を作っていた。東北関東大震災でそれが中断したままになっている。芭蕉は当時の江戸という中央にいたのが、なぜ奥の細道に向かったのか。芭蕉を引き寄せたものがあった筈だ。それは何か。何かを求めた覚悟の旅だったように思う。

YouTubeで三橋美智也が歌う「日本人。http://www.youtube.com/watch?v=mc3QECAUuJs。」という歌を見つけた。「土に顔当て 頬ずりすれば」~。初めて聞いた曲だが、元気を貰える歌だった。日本人の「根っ子を」歌っている。深層とは、普通の眼では見えない根っ子の部分だ。この東北地方に生まれ育った根っ子が日本文化の地下深く覆い尽くしているという逆転の発想が「日本の深層」なのかも知れない。

2012年2月13日 (月)

読みかじりの記:「民事訴訟法」   梅本吉彦 著 (2002年 信山社株式会社)。20120213。

2012/2/13(月)
昨日は晴れ。均一価格のバーゲンセールに出かけた。開店は10時から。お目当ての物は無事入手できた。次ぎに11時に始まるイベントに向かう。ここで偶然従兄弟に出合った。久しぶりなので、イベント終了後、ホールの腰掛けで1時間ほど雑談した。DIY店で工作資材を探したが適当なのが見つからない。直売所で唐辛子。赤色が鮮やかな物を選んでしまった。何かノウハウがありそうだ。唐辛子湯にして飲んでみた。刺激の強い物は程々にしないと。

2012/2/12(日)の天気

TAVE= 2.3  
TMAX= 6.3 最高気温(℃)  6.6  12:37
TMIN= -1.8 最低気温(℃)  -2.0  03:02
DIFF= 8.1  
WMAX= 7.6 最大瞬間風速(m/s)  16.4(北西)  13:47
SUNS= 10.2  
RAIN= 0  

読みかじりの記:「民事訴訟法」   梅本吉彦 著 (2002年 信山社株式会社)

本書は、数年前に必要に迫られ読んだ本の中の一冊だ。広辞苑の半分以上の厚さだろうか(改めてページ数を調べると本文1026ページ。条文索引48ページ)。退職した技術者が読みかじったとは著者も想定外かも知れない。ともかく書き込みのある古本だったので何とか手が出た。講義で著者の学生が使ったかも知れないと考えると不思議な縁を感じる。大学の教養課程で法学の講義を受けた記憶はある。百姓のせがれで、当時使えた金は、親爺がやっと出してくれた授業料と奨学金と少しだけのアルバイトの収入だけ。当時は授業料が一定なら、講義を沢山受けた方が得だとバイキング料理のような感覚があった。多分、ほとんど講義内容の記憶がないので講義内容が消化できたか疑問だ。高校時代は人を助ける弁護士や医者にも関心感心はあったが、ハードルは高いし、後続の兄弟姉妹がいるので、浪人をすることもできないと技術屋の道を歩くことになった。ともかく、大学で法学の講義をうけた事は全く無駄だったともいえなかったようだ。会社では特許や契約の仕事をしたこともあり、ある程度の法学的な要素があった。しかし、訴訟となると話は別である。会社では法務や知財という部署があり、対外的な訴訟事務はその部署が担当するので、現業部門は、せいぜい資料を提出する程度で済んだ。現在では以前読みかじった本書も本棚の隅を占拠しているだけになった。

大部な本書を通読する気力も体力もなかったが、本書を読みかじって、なんとなく裁判とはボクシングや相撲に似ているなという感じが理解できた。読みかじるだけでも気合が必要だった。書くのは尚更だろう。そうして、今になって一番印象に残っているのが、「育ての母に 本書を捧げる」とう献辞が本書の巻頭にあった事だ。あれほどの大著を「育ての母に 本書を捧げる」と書くには相当な背景があるのだろうと目頭が熱くなった。育ての母を語った人に、哲学者の梅原猛氏、ノーベル賞受賞者の田中耕一氏がいる。幼い時の母親は太陽のように暖かく偉大なのだろう。特に男児にとって母親という存在は計り知れないものがある。そんな事を思い出しつつ本書を再び手にしてみた。ずっしりした重さを感じる。WEBで著者の名前を検索すると、下記の記事があり、早速読ませていただいた。

「研究生活を回顧して --人との絆に支えられて(専修大学法学研究所所報)--url=http://www.senshu-u.ac.jp/~off1013/bunken/pdf_syohou/42_0001-0027.pdf」。

本書が著者の専門の集大成であり、一つの分野を一人で書き上げた体系書である事が分かった。「民事訴訟法」とはどんなものか著者の研究のすべてが網羅されている点で、本書を手にしたのも一つの巡り会いかもしれない。体系書は著者も読者も全人格・全能力を打ち込んで取り組むことにより初めてその長所が生きてくるのかもしれない。上記記事には「育ての母に 本書を捧げる」という献辞の背景も書かれており、改めて本書との巡り会いを意義深く感じた。同時に知的財産権や情報という現代的な法律問題にも著者が取り組んでいた事が分かり感慨を新にした。記事の中には、辛口な直言もあるが、それはまさに古巣を去る鳥の老婆心というところなのだろうか。厳しさの中に本当の優しさがあるのかも知れない。そんな事例もその記事にはさらりと述べられていた。門外漢ではあるが記憶に残る一冊である。

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2011年12月28日 (水)

読みかじりの記:「プロ弁護士の思考術」 矢部正秋 著 (2007年 PHP研究所)

2011/12/28
昨日は晴れ。寒い日が続いている。稲荷様への通路整理。ようやく開通した。午後は用事外出。買い物。

2011/12/27の天気

TAVE= 2.6
TMAX= 8.1
TMIN= -2
DIFF= 10.1
WMAX= 6.9
SUNS= 8.9
RAIN= 0

最低気温(℃)  -2.5  07:18
最高気温(℃)  8.3  13:47

読みかじりの記:「プロ弁護士の思考術」 矢部正秋 著 (2007年 PHP研究所)

本書巻末の著者紹介によると著者はビジネス法務、国際取引法務を専門とする弁護士とある。本書は著者の長い弁護士経験を通して磨いてきた思考術を披瀝しており一般の人も生活や仕事の中で役立つ内容が多いと感じた。弁護士の仕事は紛争解決。会社生活では紛争解決で弁護士のお世話になった経験は無かたが、開発や生産にはリスクが付き物。顧客に対する迷惑は、それが高じれば紛争となり、損害賠償となり、最後には裁判になるだろう。日本ビジネス風土は出来るだけ紛争や裁判を避けるのを良しとして来た傾向はあると思う。自分が関与した製品開発でも、開発が大幅に遅れて顧客に大きな迷惑をかけた例もなきにしもあらず。しかし、その製品開発を他社がリスクを理由に受けなかった場合等は、開発の多少の遅れも想定内とい事もある。遅れた分は製品価格で対応するような事もあったように思う。

著者は日本の協議解決条項(当事者は誠意をもって協議し、円満解決をはかるものとする。)というような契約内容はお互い完全に信用がないと意味がないと述べている。著者は国際取引法務が専門だとの事だが、本書にはその具体例は少ないが、英米流の契約の説明がある。自分も開発交渉で、最初はNDAを結び、次ぎに数十ページの契約書案を出されてとまどった事がある。それも英文だ。外国のベンチャー企業の場合情報が少ないのでリスクの評価が難しい。しかし、見方に縒れば、そのような契約書は一種の、契約履行マニュアルにもなると思えた。

最悪の事態と最良な事態の間には、様々な中間状態が存在するのであり、本書は紛争解決の大局的な捉え方を本書で教えていると思われる。さらに一歩進めれば、紛争が起こらないようにする事が究極的な段階かもしれないが、そこまで来ると精神主義に傾く心配もある。しかし、紛争も局部的な解決から大局的な解決までさまざまのレベルがあり、著者は経験の年代によって、自分の見方が変わっている事を述べている。まさに、これは年の功と言えるかも知れない。いわば総合力を発揮する場面だ。紛争が常の戦場なら裁判は公開の戦場である。そのような色々な戦場を見て、そこに参戦して得た経験には貴重な物があろう。部分と全体。部分と全体の調和等々。

思考術は見方によれば、ある分野だけでなく他の分野にも共通して使える技術ではなかいか。一つのモノを設計する時に、BOTTOM UPとTOP DOWNという大まかに二つの方法がある。これは著者が巻末で述べている考える遠近法に近い技法のようでもある。物事を作るとき、何か行動を起こすとき、やはり、見える限り、考えられる限りの可能性を検討しておけば悔いも失敗も少なくなるのだろう。世の中に完全はないかも知れないが、マサマの事態は起こりうる。その最大の事態が福島原発事故。今考えると、この事故も起こるべくして起こったと思えてならない。

2011年12月25日 (日)

読みかじりの記:「ああ 正負の法則」 美輪明宏 著 (2002年 株式会社パルコ エンタテイメント事業局 出版担当)

2011/12/25
昨日は晴れ。風は少ないが寒い一日。雑木2本を切った。一本は樹種不明。もう一本は椿。樹高は3~4mほどあり、日陰で花芽はついていなかった。しかし、その根元には数本の幼株が生えており、花が咲き種子が落ちた事があるようだ。屋根に近く放置も限界。瓦を壊さないようロープを結び、倒れる方向をコントロール。何とか目標通りとなった。これで空がみえるようになる。つばきのような常緑樹の木陰は薄暗くなっている。

2011/12/24の天気

TAVE= 3.0
TMAX= 8.4
TMIN= -0.6
DIFF= 9
WMAX= 4.7
SUNS= 8.9
RAIN= 0

最低気温(℃)  -0.9  05:42
最高気温(℃)  8.8  14:25

読みかじりの記:「ああ 正負の法則」 美輪明宏 著 (2002年 株式会社パルコ エンタテイメント事業局 出版担当)

陰陽、プラスとマイナス。これは一つの自然観でもある。自分も電気屋としてプラスとマイナスとの付き合いは長い。本書は人生の幸不幸、美醜、貧富というような対立する価値観を正負という概念で巧みに解説している。常にプラス、常にマイナスと言うことはありえない。人生のプラスとマイナスは平均するとゼロとも感じるが著者はそれを主張しているわけでもなさそうだ。世間を見る場合こういう見方もあるという点では新鮮にも感じる。著者のヨイトマケの唄が大ヒットしたのが1966年との事だ。丁度自分が成人になろうとする頃であった。探すとUTUBEにあった;http://www.youtube.com/watch?v=sxHf7xW12xg。自分が物心ついた頃の事はほとんど思い出せないが、曾祖母に連れられて、家を新築する現場を見に行き、ヨイトマケの真似事をしていたと母が話してくれた事は覚えている。多分、その当時母はヨイトマケで綱を引いたり、お茶や食事の対応をしていたのではないかと思う。ヨイトマケは基礎を固める地業の事。ともかく昔は、生活は豊かではなかったが、なにかのどかさはあったように感じる。経済成長のお陰で一億総中流階級云々と言われた頃もあったが、今日では貧富の格差が広がった。世間で先ず関心があるのが貧富だろう。

毎日新聞サンデー時評は、「サンデー時評:「女性首相」がいいのではないか;url=http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20111221org00m010001000c.html(2011年12月21日)」というタイトルで、「ところが、そうではなく、女性は貧しくなったという統計が先日出てびっくりした。国立社会保障・人口問題研究所の分析によるもので、勤労世代(二十~六十四歳)の単身で暮らす女性の三人に一人、三二%が貧困だという。六十五歳以上になると五二%と過半数、母子世帯では五七%と、女性の貧困はだんだん深刻の度を加えていく。」、~「よそはよそだが、ドイツの女性首相、メルケルさんは頼もしい。アフリカの小国の女性大統領がノーベル平和賞をもらった。一カ月後に迫った台湾総統選では、最大野党・民進党の女性候補、蔡英文主席が気を吐いているのに、と思う。 女性は権力闘争を好まないし、やさしさと純粋さが判断の中心を占める。そういう女性の特性が政治に不可欠になってきた。〈女性首相〉待望論を広げようではないか。」と報じた。

この時評は「 いま、〈最後のセーフティーネット(安全網)〉といわれる生活保護の受給者が過去最高の二〇五万人(一四八万六〇〇〇世帯)になったと大騒ぎしている。」と貧困の指数である生活保護の受給者数が戦後最大に達した上に、女性の貧困化が進んでいる事を受けての提言である。

ヨイトマケの唄には、母親が土木工事の現場で働く姿が唄われている。女性が元気に働ける社会
は建前だけでは実現しないのだろう。今、この唄を聞くと貧しさはあるが、未来に対する明るさ・希望を感じる事が出来た。それは、著者が本書で述べている事に通じるのであろう。貧富だけでなく、幸不幸、美醜等々にも正負の法則は働いている。本書には著者の人生体験が盛り込まれており我々凡人にとっては貴重な一冊。

著者は最後に、「マイナス<負>も、プラス<正>に変えてゆくためのエネルギー資源であると気づいていただければ幸いです。」と述べている。マイナス<負>と言えども、それが最初から余りにも巨大で、人々の人生に重くのしかかるようでは大変だ。ところで、今日の価値観も、マスメディアの流す価値観や流行に左右されている面も多い。当世、建前だけのプラス<正>の側面が強調されるが、マイナス<負>の側面も冷静に見つめて、それをプラスに転換するにはどうすればよいか。時代の閉塞感が言われて久しい。そろそろ、この一年を振り返る季節になってきた。人様ざまに正負の法則があてはまるのは避けがたいが、マイナスをプラスに転換する努力は無駄にはならないだろう。

NHK NEWS WEBは、「政府・民主 八ッ場ダム建設継続決定;url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111223/t10014868771000.html(12月23日 18時4分)」というタイトルで、「野田政権は23日、「政府・民主三役会議」を開き、群馬県の八ッ場ダムについて、建設を継続し、来年度予算案に必要な経費を計上することを正式に決めました。民主党が先の衆議院選挙で掲げた政権公約の象徴とされていた、八ッ場ダムの建設中止は、撤回されることになりました。」と報じた。

八ッ場ダム建設問題は賛否両論がある。アメリカのダム開発の例はTVA計画等で教科書でも学んだ記憶がある。しかし、自然の川の流れを堰き止めるという事で自然の力に逆らっている事業であることは明白である。アメリカでは自然の流れを生かし新規のダム開発は控える方向に向かっていると聞いた事がある。自然は悠久の動きを一瞬たりとも止めない。人造物であるダムの寿命は長くてもせいぜい数百年。ダム湖に土砂が積もればダム機能は発揮できない。そのような予定寿命を大幅に下回っているダムもあるとNHKが最近報じていた。万一の場合は、ダムが決壊する可能性も皆無ではない。治水、防災も、ハードという有限の寿命を持つ人造物に頼ることが万全でないことをこの東北地方太平洋沖地震が教えてくれた。しかし、その教訓は八ッ場ダムで生かされているのか疑問にも思う。このような巨大な社会事象に正負の法則がどのように働くのか。ハードに巨額の資金を注ぎ込めば、どこかに資金のマイナスが生じることは自明なのだが。

追記(2019/05/02):たまたま松岡正剛の千夜千冊で本書に関する記事を見つけたのでリンクしておく。
0530夜:2002年05月02日の記事のようだ。

美輪明宏 ああ正負の法則:このサイトへのリンク

2011年12月 9日 (金)

読みかじりの記:「植物のたどってきた道 化石が語る<緑>の過去」 西田治文 著 (1998年 二本放送出版協会)

2011/12/9
昨日は曇り。夜雨があったようだ。風邪の症状は少し軽くなった。「植物のたどってきた道」を少しずつ拾い読み。動物と植物を別物と見たら面白さは半減するだろう。植物あっての動物。専門的なところは読み飛ばし。脱線部分だけでも参考になる。

2011/12/8の天気

TAVE= 5.7
TMAX= 8.9
TMIN= 3
DIFF= 5.9
WMAX= 2.5
SUNS= 0
RAIN= 1

最低気温(℃)  2.6  06:22
最高気温(℃)  8.9  12:00


読みかじりの記:「植物のたどってきた道 化石が語る<緑>の過去」 西田治文 著 (1998年 日本二本放送出版協会)

生物は大まかには動物と植物に分類される。生物分類学にも色々説があるようだ。20~21世紀の科学の発展で学問の境界も薄れてきたようだ。本書は学問分類から言えば植物学に入るようだ。植物化石も、発掘、収集の段階から、植物進化のプロセス、疑問や謎に迫るとまた別の面白さがある。著者が読者に伝えたかったのも自分の研究のテーマとそれにかかわるエピソードだったようだ。更に、環境問題や生物の多様性の意義を述べている。

歴史を語るにも時間のスケールが無ければ面白くない。WIKIPEDIAによれば宇宙の年齢は、「最近の観測によると(137.2±1.2)億年であるとされる[1]」。WIKIPEDIA「地球史年表=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8#.E5.9C.B0.E7.90.83.E8.AA.95.E7.94.9F_.E3.80.9C_.E7.94.9F.E5.91.BD.E8.AA.95.E7.94.9F」によれば、「46億年前 - 地球誕生。」、「44億年前 - 現在、知られている最古の岩石鉱物が現れる。」、「40億年前 - 原始海洋ができた。花崗岩(カナダ北部のアカスタ片麻岩)ができた。プレートができた[8][9]。」、「40億年前(±2億年) - この頃、原始生命が誕生したと考えられている。 → 生命の起源」。

生命の起源にはいまだ多くの謎がある。その謎を人類も、自分も背負っている訳だ。本当の歴史を知りたくなるのは、あたかもその謎がすべて解けているという言説が信用できないという現実的な謎があるからかも知れない。人間も自然の産物なのだ。宇宙を作ったのは誰だ。宇宙はナゼできたのだ。そんな疑問・質問が出来るのも人類が知能を発達させたからだろう。

植物と動物の類似性を思うとき、いつも驚嘆する事がある。本書でも植物の<緑>を随所で語っている。この緑の元がクロロフィルという色素である。葉で集めた太陽光と根から吸い上げた水を分解して酸素を出す働きをする。そのとき太陽エネルギーはATPという物質に取り込まれ、糖分等が合成される。植物栽培で、水と太陽が不可欠であることをこの光合成の原理が余すことなく示している。

一方、動物では酸素の運び屋であるヘモグロビンが重要な位置を占めている。ヘモグロビンは動物を象徴する赤い色を現す色素でもある。動物が呼吸で使う酸素は、何と光合成で出来た廃棄物ではないか。動物の生命維持も、植物体またはその生成物も植物あて始めて可能になる。驚嘆する事はクロロフィル分子とヘモグロビン分子の構造式が非常に似ていること。ともかく、動物も植物も自然界からクロロフィル分子とヘモグロビン分子合成するのだが、その物質を作るプログラムは非常に似ているのではないかと思うのだ。動物も植物も結局、地球上に現れた最初の生命DNAから派生しているのか。

今日、地球温暖化は全世界の悩みの種になっている。生命が海から地上に上がってきてから、空中の炭酸ガス濃度が非常に高かった時期の事を本書でも述べている。植物にとっては温暖で成長も盛んであったが、植物体を分解するシステムが能力を超えて、蓄積したのが石炭等である。いわば、植物は濃すぎる空中の炭酸ガスを薄めそれを地中に固定して今日の地球環境を実現してきた。そのような地球規模の資源を人類はここ百年程度で破壊し尽くそうとしている。そのような、文明上の問題を、「愚かにも多量の核物質を飛散させてしまった場合には、~」と警告している。人類の歴史は高々数百万年、それに対して植物は4億年の年輪を刻んでいる。

生物の繁栄は数と量を増やすこと。数を増やすのは生殖システム、量を増やすのは構造システム。本書では花や種子に到る進化を述べている。構造に関しては維管束について述べている。今まで、古植物学の本は余りなかったようだが、恐竜等を考えるにも古植物学は不可欠だろう。それよりも、人類の来し方、行く末を考えるためには、物事の一面だけを見てはいけないという事も本書から読みとれるとおもう。人類の文明も高々数千年から数万年前に芽生えたに過ぎない。著者は人類が滅んでも、その後に繁栄する生物まで滅ぶまいと見るが、そんな馬鹿なことはするなと叫んでいるようでもある。今日の地球上の生物の全てが死屍累々の進化の歴史をくぐり抜けてきている。そう思うと、一本の雑草さえ引き抜くのが惜しくなる。

COP17の行方が気になった。以下はGoogleのリンク:「【主張】 COP17と日本 議定書の延長拒否は当然:MSN産経ニュース - 5 時間前:MSN産経ニュース - ?5 時間前?
南アフリカのダーバンで開かれている国連気候変動枠組み条約第17回締約国会議(COP17)が大詰めを迎えている。 各国の利害が激しく対立する中で、地球温暖化問題解決へのまっとうな取り組みを続ける日本の姿勢は評価されてしかるべきだが、旗色は必ずしも芳しく ... 」⇒「ページが見つかりません:http://sankei.jp.msn.com/world/news/111209/erp11120903270000-n1.htm」。このニュースは削除されたのか。一体、日本の環境政策は世界の視線に耐えられるのか。

サンケイニュースは、「細野環境相演説に批判相次ぐ;url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111208/plc11120808160007-n1.htm(2011.12.8 08:15)」というタイトルで、「 【ダーバン(南アフリカ)=小雲規生】国連気候変動枠組み条約第17回締約国会議(COP17)で7日、京都議定書の延長に応じない立場を表明した細野豪志環境相は、議定書に代わる枠組みづくりに向けた作業部会設置を求めた。ただ、発展途上国からは「議定書を葬るな」との声も上がった。 細野環境相は将来的な法的拘束力のある枠組みについて、「2020(平成32)年を待たずにできるだけ早急に成立させる必要がある」と強調。そのための議論の場として、COP17で「新たな作業部会を設立すべきだ」と求めた。 日本と同様に議定書延長を拒否するカナダのケント環境相も、「われわれにとって、『京都』は過去のものだ」と発言した。」と報じた。

YOMIURI ONLINEは、「京都議定書、延長ムード高まる…COP17;url=http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20111208-OYT1T00976.htm(2011年12月9日01時09分)」というタイトルで、「 【ダーバン(南アフリカ)=吉永亜希子、中西賢司】南アフリカで開催中の国連気候変動枠組み条約第17回締約国会議(COP17)で、米国代表団のトッド・スターン気候変動担当特使は8日、「新しい枠組み作りに向けた欧州連合(EU)の行程表を支持する」と、記者会見を開いて明らかにした。 世界2位の温室効果ガス排出国の米国がEUに賛同する姿勢を明確にしたことで、2013年以降は京都議定書を延長し、20年頃を目標に主要排出国が参加する新枠組みを作ることに合意する可能性が高まった。 スターン特使は、「米国は新しい枠組み作りに反対しているわけではない」と述べ、COP17で消極的だと批判されていることに対して強く反論した。その上で、「法的な削減義務を負うかどうかは関係なく、将来の枠組みについてのEUの行程表を支持し、前進させるために強く関与していく」と強調した。」と報じた。

日本は、COP16の枠組みに加わらないアメリカに同調した姿勢を示したのだろうか。

「二酸化炭素25%削減;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%85%B8%E5%8C%96%E7%82%AD%E7%B4%A025%25%E5%89%8A%E6%B8%9B;(最終更新 2011年9月23日 (金) 10:43)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「二酸化炭素25%削減(にさんかたんそ25%さくげん)とは、日本の民主党の環境政策であり、二酸化炭素を2020年までに1990年比で25%、2005年比で33.3%削減して地球温暖化を防ごうというものである。これは1970年代における二酸化炭素排出量にあたる。」とある。鳩山首相が2009年9月22日、国連気候変動サミットで演説し、「温室効果ガス主要排出国の枠組みへの参加を条件に、2020年までに1990年比で25%の温室効果ガス削減を目指す“世界公約”を表明した。」というニュースも耳に残る。

asahi.comは、「「京都」を殺すな COP17、議定書延長求める途上国;url=http://www.asahi.com/international/update/1202/TKY201112020244.html(    2011年12月2日14時24分)」というタイトルで、「「京都」を殺すな――。南アフリカ共和国で開かれている気候変動枠組み条約締約国会議(COP17)で、2012年末で期限切れとなる京都議定書の「延長」を求める途上国の声が強まる一方だ。190を超す批准国中、13年以降は新たな温室効果ガスの削減義務を負わないと断言しているのは日本、カナダ、ロシアの3カ国。日本は苦しい立場に立たされている。 「アフリカの大地を『京都』の墓場にはさせない」 会議冒頭で、コンゴ(旧ザイール)の交渉官がこう繰り返すと、大きな拍手がわき起こった。日本を名指しこそしないが、「いくつかの先進国が延長を拒んでいる」との批判が渦巻く。 海面上昇の影響を受ける島国グループなども相次いで発言。削減義務を先進国に課す「京都体制」の延長を強く求めた。欧州連合(EU)が条件つきで延長を受け入れる姿勢を打ち出したことも途上国の期待を高めている。 日本が目指すのは、京都議定書で削減義務を負っていない世界一の排出国・中国や、議定書を批准していない米国も含む新体制だ。「京都体制」は不公平で効果も乏しいとして、議定書の枠組みには残るが、削減義務の延長には「サインしない」との姿勢だ。 日本などが延長を拒否した場合、国際的な排出量取引市場から閉め出そうという意見も一部から出てきた。京都議定書には、途上国で削減したガスの排出枠を自国の削減量に充てるクリーン開発メカニズム(CDM)など、資金、技術支援の仕組みもある。ベネズエラの交渉官は「削減義務を負わなければCDMは何の意味もなさない。延長しなければ利用は認めない」と力を込めた。 COP17に参加している日本の環境NGOメンバーは「風当たりは相当強い。会場の雰囲気が政府首脳にきちんと伝わっているのか疑問だ」と話している。 日本は「世界低炭素成長ビジョン」として、13年以降のCDMの活用を掲げる。細野豪志環境相は2日の会見で「CDMは途上国にもメリットがあると理解してもらいたい」と述べた。(ダーバン=小林哲) 」と報じた。

一体、日本の環境政策の一貫性はどうなっているのか。緑の地球に国境線が出来たのは、生物の歴史から見れば、その最後の一瞬に過ぎない。植物のみどりが、地球を覆い始めたのは数億年も前からなのだ。生物多様性、地球の温暖化、放射性物質の環境への放出、これらはあまねく環境問題なのだ。アメリカの尻馬に乗るつもりだったのか知らないが、尻馬から落馬するようではその感覚が疑われる。日本の環境政策が世界で支持を受ける事がなければ、日本の原子力政策も世界の支持を受けられないのは明らかだ。環境へ放出した放射性物質は完全に無害化できず、その半減期で減るのを待つ以外の現実的かつ有効な方法はない。東京電力福島原発事故による放射能汚染水を海洋投棄する計画も再度浮上している。濃度が薄ければ流して良いというのは島国日本の妄想ではないか。これが、多くの国の国境が重なる欧州で通用しないことは明らかだ。EUが、日本抜きでもCOP16の枠組み維持を鮮明にしたのも、それなりの作戦だろうが、日本が環境問題に対する世界の流れを読み違えるほどならば、世界のなかの日本はどうなるのだろうか。

本書は盛りだくさんの内容があり、読者のターゲットもはっきりしない。願わくば、恐竜に興味を覚える青少年向きの一冊も書いていただきたい。更に賞味期限一年以下の閣僚向けの参考書があればベストだ。

2011年12月 6日 (火)

読みかじりの記:「句集 続 雑草」 志塚政男 著 (2006年 非売品)

2011/12/6
昨日は晴れ。ケヤキの落葉はほぼ終了。庭のモミジ等が色付いている。ポット灌水。種を播いた菜を一掴み収穫。昨年の菜のこぼれ種も同じ程度に育ち区別がつかない。

2011/12/5の天気

TAVE= 8.7
TMAX= 13.1
TMIN= 6
DIFF= 7.1
WMAX= 7
SUNS= 8.8
RAIN= 0

最低気温(℃)  5.2  04:40
最高気温(℃)  13.4  12:44

読みかじりの記:「句集 続 雑草」 志塚政男 著 (2006年 非売品)

本書を手にしたのは「雑草」というタイトルと著者が前橋生まれという事。前著「句集 雑草」の続編として、著者一周忌に際して、非売品として発行されたようである。主要日刊紙の俳壇に採用された句の集成のようで、本書掲載句は全て秀作と言うことだろう。以下の句は、本書の性格から講評の無い句を特に選んだ。講評の無い句に雑草の雰囲気を感じとりたい。一般読者として観賞させていただいた。

■あの世ともこの世ともなく日向ぼこ

日向ぼこの心地よさをとらえて見事

■寒釣りの向ふも手持無沙汰かな

魚心あれば水心という風情

■晩年の反抗期あり懐手

懐手となにやら奥が深そう

■派出所の机に置かれ福寿草

交番勤務を詠ったのか

■大雷雨衝きパトカーの突つ走る

これも仕事がらみの一句のようだ

■刑事たる過ぎし日思う木の葉髪

自然と年輪を感じさせる一句

■村バスに乗客二人走り梅雨

昔の村バスの乗客も懐かしい風景。今はその村バスもないのでは。

■減反は我が意にあらず耕せり

この減反の句に日本農業の現状の一面が見えるようだ。

■電飾に己を捨てし枯木立

説明不要の一句。

■考えることありもぐる鳰(にお)

鳰(にお)はカイツブリという水鳥の古語。この句は定型ではなく、ちょっと考えさせられた句だ。カイツブリの甲高い鳴き声と水面下へ逆立ちして潜る姿を思い出した。考えることありとは作者の方か。自分を鳰に投影しているようにも感じる。こういうユトリ、あそびも時には面白い。「鳰」と言う字は馴染みが薄く、辞書を引き、又忘れ又引くという事を何回か繰り返した。漢字入力にも手間取る。

■ここかつて鐘の鳴る丘緑たつ

「鐘の鳴る丘少年の家;url=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%90%98%E3%81%AE%E9%B3%B4%E3%82%8B%E4%B8%98%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%AE%B6;(最終更新 2009年5月10日 (日) 10:33)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「品川の活動が菊田らによって紹介されることにより、ようやく資金も集まり、1948年9月、晴れて養護施設として認可され、群馬県前橋市に「少年の家」がスタートした。はじめは8畳2間だったという。」とある。「ここかつて」とは初期の頃の鐘の鳴る丘なのだろうか。

■廃坑の入り口塞ぎ葛の花

説明不要の一句。

■おじいちゃんとやんわりいはれ桜餅

ひらがなと漢字と句調が微妙にバランスしている。

■さやさやと麦になごめり風の神

ふと俵屋宗達の風神雷神図を思い出した。風を捉えるのは難しい。

■ただ一途さくらになりて観ていたり

「さくら」とは木のさくらか人のさくらか。不思議な句。

■秋の蠅打ち損ねしは齢かな

説明不要の一句。

■霜柱踏む童心をなほもてり
■夜桜の闇の向ふにある昔

説明不要の一句。

■稲妻の使ひきれざる空のあり

稲妻を空間的に見事に捉えている。

■すいっちょのかるく地球儀跳び越せり

発想の飛躍を感じる。

■秋の蚊の生命線を刺しにけり

難解。秋まで続く人と蚊の攻防。

■仁王の眼さけるでもなく鳥交じる

人界と鳥界の交叉。

■狸罠かけて古老の寡黙かな

難解の句。古老とともに寡黙の意味が深そうだ。

著者は警察界の人のようで、読む前に強面の警察官を連想したが、その期待は見事に外れた。本書の序で金沢義一氏が著者の「鴻毛の兵今生きて冬ごもり」という句を紹介している。また、「左遷され玄人はだし岩魚釣」という句から著者の人間性を振り返っている。著者の出征や社会の中の姿を知る。後書きには「父は厳しい気性を持っていた反面、ふだんは優しく繊細なところがありました。」と記されている。著者は本書の出版の作業を進める途上で死亡された。それ故遺稿集としてでなく、「句集 続 雑草」として著者の供養として出版されたらしい。一般書でなく非売品なので、供養としてじっくり読まれた事だろう。著者は全ての職から退き夫婦二人の生活に戻ったときが一番幸せであったようだ。それが、本書の冒頭から三首目の「あの世ともこの世ともなく日向ぼこ」に代表されているように感じられた。印象に残った句:「この村のたったの一戸蚕飼ふ」。俳句は四季、生活、自然等を写真のように写し、固定してくれる。作者の視点を通して。再び戻らない昔の面影を伝えるタイムカプセルでもある。一句一句が貴重だ。ともかく故人の意志がこうのように引き継つがれ実現されたことに敬意を表したい。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)