06C_読みかじりの記

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2011年10月 6日 (木)

読みかじりの記:生命特許は許されるか 天笠啓祐 編著 (2003年 緑風出版)

2011/10/6
昨日は曇り後雨。朝方は定例の仕事。刈払機で草刈り。混合ガソリンを1升ビンに入れていたが、コルク栓が折れてしまった。木ねじで回したが残部がビンの中に落下。何とか給油ができた。こういう時には、コルク栓抜きが見つからない。以前拾った栗を乾燥してゆでたがほとんど中身がダメだった。とりたてをゆでるべきなのか。甘みを増すため乾燥したが失敗。乾燥期間が長すぎて腐敗や虫食いが発生した。鬼皮と渋皮があるので変質する事はないだろうと思いこんでいた。

2011/10/5の天気

TAVE= 14.5
TMAX= 15.8
TMIN= 13.7
DIFF= 2.1
WMAX= 2.7
SUNS= 0
RAIN= 27

最低気温(℃)  13.6  01:54
最高気温(℃)  16.0  09:33

読みかじりの記:生命特許は許されるか 天笠啓祐 編著 (2003年 緑風出版)

特許庁 特許電子図書館により、幾つかのキーワードで調べた用語のヒット件数を以下に示す。(2011/10/5)

*********************************************
「生命」に関する技術が 2470件 見つかりました。
●  特許   ・・・   2339件
●  実用新案   ・・・   131件

「遺伝子」に関する技術が 41594件 見つかりました。
●  特許   ・・・   41580件
●  実用新案   ・・・   14件

「生物」に関する技術が 91863件 見つかりました。
●  特許   ・・・   90839件
●  実用新案   ・・・   1024件

「植物」に関する技術が 52925件 見つかりました。
●  特許   ・・・   50300件
●  実用新案   ・・・   2625件

「動物」に関する技術が 68084件 見つかりました。
●  特許   ・・・   65794件
●  実用新案   ・・・   2290件

「ヒト 遺伝子」に関する技術が 14249件 見つかりました。
●  特許   ・・・   14249件
●  実用新案   ・・・   0件

「遺伝子操作」に関する技術が 1235件 見つかりました。
●  特許   ・・・   1235件
●  実用新案   ・・・   0件

*********************************************
以下は本書のメモ書きである:

生命特許のきっかけは以下の米国事例:チャクラバーティ裁判。1971年GE社が石油を食べるバクテリア(発明者=チャクラバーティ)特許出願。米特許庁は却下。1980年米連邦高裁が「チャクラバーティ」の出願を特許と認める判決を下した。1985年最初の植物特許(トリプトファンを多く含んだトウモロコシ=出願モレキュラー・ジェネティック社)を承認。1988年遺伝子改造マウスを特許承認。

日本では1993年ハーバードマウスが特許出願された。動物も特許の対象となる。

背景には知的所有権支配による国力の維持・強化という国家戦略がある。

従来属地主義的な知的所有権はGATTからWTOと国際的な枠組みに取り込まれた。

第2章 生命を特許の太守にするな ショーン・マクドナー (単行本第6章の和訳)

生命特許の不当性の主張と事例解説等。この章の背景には、本章著者の生命に対する宗教的、哲学的、世界観的な信条・生命観も含まれているようだ。その主張の一つに、生命は新しい物ではないので、新しい発明の対象ではないというもの。それを突き詰めると公知・公有の生命を特定者の所有権の対象にできるかという倫理的問題まで遡る。

*********************************************
本書は発明・発見についての権利の正当性について考えさせる内容を含んでいる。近代的な特許制度ができてからまだせいぜい1~2世紀も経っていないのではないか。発明・発見が人間に色々な動機を与える。そこには、経済原理、競争原理等人間社会の基本的な面がある。一面それは個人の問題である。しかし、社会、経済が未発達ならば特許も意味がない。特許を認め、成立させるのも社会や経済がその基礎にある。そう言う意味では特許権も、強力な権利であるが絶対的ものではない。しかし、社会経済がグローバル化すると、その特許権もより協力に作用する。発明・発見が基本的には個人の能力に負うが、そのレベルまで達するためには、公知の社会的・学問的知識が必要だ。ニュートンは一人の個人の能力を巨人の肩に乗った小人に喩えた。これはニュートンの謙遜だったかも知れないが、当然の事実とも思える。ともかく、発明・発見がそれを独占できれば膨大な利益をもたらす。それが発明・発見を促すという、正帰還的な効果を持つ。それが行き過ぎると、弊害の方が大きくなる。生物に関する特許もその例に漏れないだろう。生物自体は、本来人間が作りだした物ではない。

人間は生物に対して色々な対応をする。それは、文化の差によっても生じる。植物より動物に親近性を感じる。動物では魚類よりほ乳類に親近感を感じる。本書は「生命特許」という用語を使用しているが、ちょっと違和感を感じた。特許電子図書館で「生命特許」に関する関連キーワードを検索してみた。特許では「生物」の方がポピュラーなようだ。しかし、「生命」の中に遺伝子・DNA等をイメージしているのかもしえない。「生命を特許の対象にするな」という主張には頷けるが、世界がその逆の方向に進んでいる。遺伝子治療も特許の対象であろうが、非常にまれな遺伝子病患者は助かるのか。金にならなければどんな特許も塩漬けになるのではないか。

日本では特許の存続期間は出願から20年。既に2008年に「人工多能性幹細胞(iPS細胞)の製造法 」の国内特許は成立しているようだ。iPS細胞を使った医療は実用化まで曲折があるだろうが、米国では遺伝子操作が施されたトウモロコシや大豆は既に大量に生産されている。除草剤と種子がセット販売となると、作物の特許が切れても、除草剤の方がどうなるか分からない。遺伝子組み替え作物の問題は、その安全性と在来生物との交雑による遺伝子資源のかく乱だろう。消費者が自己を守るにはどうすれば良いのか。遺伝子操作されて大量に生産される作物は価格メリットで在来作物を圧迫するだろう。遺伝子の違いは、放射能と同じで目に見えない。安全性はどうなるのか。特許も見方によると怖い側面があるようだ。

2011年10月 5日 (水)

読みかじりの記:北京週報 1984・6・12号 (XX) 著 (1984年 (XX)社)

2011/10/5
昨日は晴れ。秋らしい澄んだ空だった。最低気温が10℃以下となった。ポット灌水。ジャングル畑で下草刈りの続き。時間感覚が1.5H 位狂った。思ったより時間が早く進んでいた。仕事が進まない。柿をとって丸かじり。色も甘みも一歩進んだ感じだ。鎌が地面の石に当たって火花が出た。日没の時間も早まった。本日乾燥注意報が出ていたが、「平成23年10月 4日21時37分 前橋地方気象台発表 群馬県の注意警戒事項 注意報を解除します。伊勢崎市  [解除]乾燥注意報」と気象庁HPに出ていた。三台ある湿度計が、20、40、60%台とバラバラの値でどれが正しいか分からない。

2011/10/4の天気

TAVE= 16.2
TMAX= 22.6
TMIN= 9.7
DIFF= 12.9
WMAX= 3.6
SUNS= 11.2
RAIN= 0

最低気温(℃)  9.5  04:14
最高気温(℃)  23.4  13:4

読みかじりの記:北京週報 1984・6・12号 (XX) 著 (1984年 (XX)社)

表紙に「中国で出版の週刊誌」とある。1984・6・12号である。出版人は裏表紙の広告写真と重なり判読不能。WEBにある北京週報社の現在の住所は「中国北京市百万荘大街24号」。本書では「百万荘路二十四号」とあり、現在の北京週報社の発行だろう。参考のため、現在の北京週報WEB版にアクセスすると、その冒頭に以下の記事が踊っていた(2011/10/2)。

北京週報 日本語版(url=http://japanese.beijingreview.com.cn/)は「「天宮1号」を打上げる任務が成功に完了 「天宮1号」が29日21時16分00秒、酒泉衛星発射センターから打ち上げられた。中国の酒泉衛星発射センターで、運搬ロケット長征2号Fが成功に目標飛行体「天宮1号」を宇宙に打上げた。天宮1号を打上げる任務が順調的に完成した。」と報じた。

更に調べると、「日本メディア、「天宮1号」打ち上げに注目;url=http://japanese.beijingreview.com.cn/ztjl/txt/2011-09/30/content_395350.htm(「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年9月30日)」というタイトルで、「29日夜に打ち上げられた「天宮1号」の打ち上げに、日本メディアは強い関心を示している。「毎日新聞」は、「天宮1号」の打ち上げ成功は、宇宙ステーション計画を国家発展戦略の重要プロジェクトに掲げる中国にとって、新たな段階を迎えたことを意味すると伝えた。また、中国が独自開発した「天宮1号」は、宇宙開発分野での影響力を強める助けをすると見ている。報道によると、一国が単独で宇宙ステーションを開発すれば多額の費用がかかり、過去の前例を見ると、旧ソ連が1971年、米国が1973年に成功させただけである。現在の国際宇宙ステーションは日本、米国、ロシアなど15カ国が共同開発、使用している。ところが、中国は独自開発という道を選んだ。」と報じた。

北京週報によれば、「10月1日は中華人民共和国の建国記念日にあたる。」との事だ。上記の宇宙ステーション打ち上げも、国威発揚という目的が大きいのではないか。

27年前の本書の「国内ニュースに」、「趙紫陽総理、フランスを訪問」という記事があり、「訪問中、趙紫陽総理は精力的に各地を参観した。まず、新幹線でリヨンに向かい、この先進的な地上交通手段の運行状況を見た。また、リヨン市南部のサン・アルバン--サン・エリス原子力発電所建設工事を見学した。パリへの帰途は、欧州六カ国が協力してつくった中距離飛行機「エアバス」に乗った。趙総理はまたフランス北部の工業都市リールを訪れ、同市の軽便自動地下鉄のコントロール・センターと列車保守職場を見学した。リールの軽便地下鉄はフランスだけではなく、世界でも最初の自動制御地下鉄である。」と述べている。

この記事を読むと当時の中国指導者が、世界の最新技術に大きな関心を示しているのが分かる。本書出版当時は趙紫陽総理も鄧小平主任も健在だった。WIKIPEDIAによると「趙紫陽総理は1989年の天安門事件で失脚し、2005年に亡くなるまで軟禁生活を余儀なくされた。」とある。

「人民網日本語版」は、「1978年日本の旅――鄧小平氏が訪日で学んだもの;url=http://j.people.com.cn/95911/95954/6545780.html(2008年12月3日)」というタイトルで、「1978年は、中国の国家戦略に大きな転換が起こった年だ。中日両国は同年8月、「中日平和友好条約」を締結。続く10月22~29日、鄧小平氏が、中国の指導者としては戦後初となる正式訪日を行った。この訪問は、「中日平和友好条約」の批准書交換セレモニーに出席するためのものだったが、鄧小平氏にとっては中国近代化の大戦略を準備するための学習の旅でもあった。中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議の直前に実施されたこの旅の中で、中国の改革開放の総設計者である鄧小平氏は、改革開放の壮大な青写真を心に描き、中国をいかに発展させていくかを考えていた。」と報じた。

上記記事の「8日間の訪日期間中、鄧小平氏は時間を作り、新日鉄・日産・松下の3社を見学した。新幹線で東京から関西方面に向かう途中、感想を聞かれた鄧氏は、「速い。とても速い。後ろからムチで打っているような速さだ。これこそ我々が求めている速さだ」「我々は駆け出す必要に迫られている」「今回の訪日で近代化とは何かがわかった」と語った。」という部分の記憶も改めて甦えってきた。

中国は、近代化が遅れて、世界の列強に屈した歴史がある。その近代化は技術面だけではなく、国家制度にも及んでいたのが本書の「新兵役法について」ではないか。それによると1955年に最初の兵役法が制定された。毛沢東の長征時代は人民軍が中心で多分軍の階級は明確ではなっかろう。当時は階級否定の雰囲気も大きかったとおもう。本書の「階級制度について」という囲み記事には、「階級制度は1965年に廃止されたが、新兵役法は改めてこれを規定した。」とある。「軍隊の現代化、正規化を強化するきわめて重よな措置である。」と述べている。

本書を読みかじって、改めて歴史の流れの速さを感じた。そうして、ほぼ三十年前に中国の指導者達が外国で見た近代技術の成果を、現在は中国国民が自分の眼でみて、それを享受できる時代になった。しかし、急激な近代化のため、国内の歪みも蓄積されてきているようにも見える。中国は世界の中で存在感・プレゼンスを誇示できる条件が整いつつある。軍事力の強化は特に目立つ。単独宇宙船の打ち上げも宇宙兵器と紙一重ではないか。かつて、帝国主義・覇権主義云々と他国を非難してきた中国であるが、現在の中国はどんな状況なのかと改めて考える事になった。

2011年10月 3日 (月)

読みかじりの記:林住期 五木寛之 著 (2007年 株式会社 幻冬舎)

2011/10/3
昨日は曇り。昼過ぎ少し晴れ間があった。接木の実験。接木が成功して苗が出来ても実が生るまでには数年かかる。本格的に収穫できるまでには10年位かかるのではないか。来た人に120歳まで生きなきゃと冗談を言われてしまった。遊びだよと返事をした。接木が面白い理由は幾つもある。現役時代は半導体で飯を食った。この半導体も性質が異なる物質を張り合わせたような接合面がある。この接合面が半導体の色々な機能を生み出す。半導体は理論も実用性もピカイチ。半導体でノーベル賞を貰った学者もいる。今日のケータイやパソコンも半導体が無ければ想像さえできない。一方、接木は実用性が先行したスーパーローテク。人間がおいしい果物や有用な植物を増産するのに役立っている。接木理論があるのか定かではない。あるとすれば植物細胞生理学の範疇か。このハイテクとローテクの接合という共通性・アナロジーが自分の最大の興味事項。半導体の接合は原子レベルの現象だが接木の接合は細胞レベルの現象だろう。接木は人間が鋭利な刃物を使えるようになってから始まって、相当に古い技術らしい。一方半導体接合は人類が原子の流れを拡散装置で精密に制御できるようになって実用化した。刃物も拡散装置も人類の歴史では大きな発明。接木もプロ級になるには10年位かかるとの事だ。100%の失敗から100%に近い成功まで接木の技術レベルも様々。色々工夫して接木から苗をつくり収穫まで数年。接木はこういう気長な楽しみでもある。ともかく接木の実用性は、人類の歴史の中ではノーベル賞級の技術である事には変わりがないだろう。本日から今年度のノーベル賞の発表があると朝のNHKニュース。興味津々。

2011/10/2の天気

TAVE= 17.0
TMAX= 19.2
TMIN= 15.5
DIFF= 3.7
WMAX= 8.1
SUNS= 1.4
RAIN= 0

最低気温(℃)  15.5  07:04
最高気温(℃)  20.0  14:44

読みかじりの記:林住期 五木寛之 著 (2007年 株式会社 幻冬舎)

本書を一読して、最終章を除いてストント納得できるような読後感を味わった。最終章は「韓国からインドへの長い旅」というタイトルで、著者自身の自伝的な内容を含んでいるとおもう。この部分を理解した上で残りの章を読むべきかもしれない。人生の四住期という古代インドの考え方が何となく自分にもしっくりと馴染むように感じてきたのは、自分もそんな年齢に達したのではないかと思うからであった。インドという国は老大国である。人間の歴史で、何か探せばインドに無いことは無いのではと思うほどである。そのような風雪に耐えてきた生き方の一つが人生の四住期という考え方ではないかと思う。著者は人生百年という現実的な状況を目前に、林住期を積極的に捉えて解説してくれる。それも、著者の四住期の前半の体験を土台にしているので説得力がある。

ここで四住期とは学生期、家住期、林住期、遊行期である。ある期間を4つに分ける場合が意外に多い。一年を第一四半期云々と分けるのもその時系列に特徴があるためだろう。春夏秋冬もその例だろう。日本では人生を春夏秋冬に分けた方が心情に合うようだ。しかし、それでは余りにも即物的だ。やはり、人生いかに生きるべきかという観点からは人生の四住期という区切りがしっくりする。象徴的には、春夏秋冬は朝昼夕夜という区切りでもある。太陽が規則的に朝昇り夕に沈むという現象はエジプト文明の基礎にもなっている。一人の人間にとっては、その人生のサイクルをたった一回しか回せない。しかし、有史以来、何兆何京人以上の人間が、様々な人生を生きてきた。本書は、そんな人間の歴史の中で、林住期を多くの人間が迎えることができるようになった意義を読み解き、如何に生きるかを探求したものでもあろう。

著者は本書出版時に丁度、林住期と遊行期の移行期にあったのだろうか。遊行期の事はあまり詳しく語られていない。しかし、最終章の「歩きつづけるブッダの姿」を読むと、ブッダの学生期、家住期は短く、林住期は家を出て山林で苦行をした6~7年、残りの死ぬまでが遊行期に見える。著者の遊行期のイメージをもっと知りたいところだ。人生を機械的に区切っても仕方ないが、幾つかの段階に分けて、その区分相応の生き方をするというのが人生の四住期という考え方の極意ではないか。ともかく、段階が進むほどに、老いも進む。いま何を為すべきか、そんな目先の事を考えずに、人生の全てをあるがままに認識するのが第一歩だ。それが著者のいう「気づき」ではないか。後ろを振り返るのも前に進むためだ。その前に進むやりかたも、がむしゃら・無謀ではなく、今まで生きてきた方法を振り返り、再考し、取捨選択云々と年齢相応で良いのではなかというのが、自分の勝手な解釈である。やはり、林住期は自分の主人は自分だ、自己を取り戻せという忠言にも思える。

人生如何に生きるかという信条で、サミエル・ウルマンの「青春の詩」は有名である。事業に成功して老いて尚矍鑠の人がこの詩を好んで引用しているのに何か違和感を感じる事が有る。これは米国流の人生観を現しているのだろうか。米国は若い国だが、老人の立場はどうなのか。アンチエージングも老人の不安の裏返しではないのか。日本でもその風潮が顕著になった。日本は世界に先駆けて超高齢化社会が日々迫ってくる。このような社会に個人としてどのように立ち向かうのか。林住期も無く、仕事を追われたら、翌日から器を持って物乞いをしなければならない遊行期が来るようでは困る。林住期を死に至るまでの黄金の道にできるのなら結構だ。著者は死を考えない事はないと所々で述べている。これはブッダが考え抜いた人生最大の難問だ。「汝等は怠らず努めなさい」という言葉がブッダ臨終に際して残した最後の言葉との事だ。

「大般涅槃経;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%AC%E6%B6%85%E6%A7%83%E7%B5%8C;(最終更新 2011年9月27日 (火) 06:29)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「原始仏教経典の涅槃経:初期仏教中で、釈尊の最後の旅からはじまって、入滅に至る経過、荼毘(だび)と起塔について叙述する経典で、パーリ聖典『長部』に属する(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ=大般涅槃経)。元来は『律蔵』中の仏伝の一部であったと考えられている。この中では、釈尊が、自分の死後は「法を依(よ)りどころとし、自らを依りどころとせよ」(自灯明・法灯明)といったこと、また「すべてのものはやがて滅びるものである。汝等は怠らず努めなさい」と諭したことなどが重要である。」とある。

林住期の位置付け・考え方も人様々。死に方も様々。高齢化社会が突然やって来ても困る。団塊の世代が人生問題日本に直面するのも間近い。そんな時に本書の一部を拾い読みするだけで色々示唆を
受けるのではないか。呼吸法もその一つであった。青年時代に呼吸法や座禅を試みた事もある。ともかく人生の前半を読み解く事により人生の後半が描けるのではないか。読書は楽しみでもあり、ワクチン・抗体でもある。免疫力が無いと人生後半を生き抜くのも大変だ。「思うにまかせぬ世に生きて」というのがあとがきに代えてての前の項。世は「思うにまかせぬ世」ではあっても生きる道はあるというのが著者のメッセージだ。若い人も対象にしている。若い人にも読んで貰いたい。若い人も老人も現代人は余りにも刹那的な人生観に捕らわれすぎていないか。人生をもっとマクロに捉えるための参考書にもなると思う。

2011年9月30日 (金)

読みかじりの記:市長のひとりごと 清水聖義 著 (2002年 上毛新聞社)

2011/9/30
昨日も秋晴れ。午前は相変わらず下草刈り。というより、ジャングルの開拓のような仕事。始める前に鎌と剪定ばさみを研いだ。気分転換と仕事の準備。畑に向かって太いシノが進入している。2~3年手入れ不足で、シノも栄養養分を貯金したから太いシノが出せる。シノは正直、人間の方がぐうたら。そんな事を思いつつ背丈以上のシノや雑草に向かう。鎌を研いだのが正解だった。太いシノでもなんとか切れた。切り口を踏むと危険なので、できるだけ切り口が地下で鈍角になるように切る。またリンゴ樹が倒れている。皮一枚、断面1平方センチ以下でつながっていたのでまだ生きている。とりあえず水に浸けておく。毛虫で丸坊主になったスモモの木が芽を吹いて、花まで咲き出した。夏頃から既に花芽形成が進んでいるのだろう。正常なら、まだ葉が残っているので、開花を抑制しているが、葉が無くなったことで、発芽、開花と進んでしまったのだろう。当然、そこには植物ホルモンが働いている筈だ。午後は面会で外出。色々雑談。琴奨菊の大関昇進を話題にしたが、「万理一空」が出てこない。「○○一空」だけ思い出したが、これでは話にならない。パソコンに頼りすぎている。

2011/9/29の天気

TAVE= 19.8
TMAX= 25.8
TMIN= 14.1
DIFF= 11.7
WMAX= 3
SUNS= 11.2
RAIN= 0

最低気温(℃)  13.8  04:30
最高気温(℃)  26.2  14:54

読みかじりの記:市長のひとりごと 清水聖義 著 (2002年 上毛新聞社)

著者が太田市長に就任したのが平成7年と本書にある。本書出版が平成14年で、丁度市長就任後7年目である。市長選初出馬の時の争点が市庁舎の規模であったと記憶している。著者は対立候補のが進めた庁舎はでかすぎるとの主張して、それが市民の支持を受けたのだろう。本書を通読して、印象に残っているのが、農作業の手伝いをしたこと、父親の事など。市長としての実績は、本書全体が語っている。本書の最初の項に、「市長になったその時から「マーケッティング」というものを意識して仕事をしていた。」と書かれており、そうだったのかと何となく納得した。大学の商学部を出て、マーケッティングとは極当たり前なのだろうが、それを一つの体系として実践する事は大変だろう。自分が学生の頃、日本人は、セールス・プレゼンテーションが下手である、諸君は自分を売り出すことの重要性を覚らなければならないと教えてくれた先生がいた。畔上道雄教授で、先生は趣味の方面でも多彩であった。売り出すとは、独自性、自己表現にも通じる。セールス・プレゼンテーションの重要性を教えてくれた先生は他にはいなかったように思う。本書の著者も何をアピールするのか色々工夫、試行錯誤しているようにも見える。そういう点で知名度も高い。ところが、名前は何と読むのだろうかと思っていたが、本書を読んでそれが分かった。名前まで売り込むのは大変なようだ。本書にも「株式会社ブロードバンドシティ太田」のBBCO(ぶぶこ)が紹介されている。これは著者が市長として設立した三つの第三セクターの内の一つ。当時、低額のインターネットサービスが少なかったので、うらやましいとおもった記憶がある。BBCO(ぶぶこ)を調べると以下の記事が見つかった。

RBB TODAYは、「群馬県太田市がITタウンを構築。下り速度1.5MbpsのADSL接続サービスを8月より提供へ;url=http://www.rbbtoday.com/article/2001/05/21/3648.html(2001年5月21日(月) 12時57分 )」というタイトルで、「群馬県太田市が出資する第三セクタ「ブロードバンドシティ太田」が、8月1日よりADSL接続サービスを提供することが明らかになった。第1期サービスエリアは、太田局(22、25、26番)、宝泉局(31~33番)、九合局(45~49番)の3局。また、年内中に毛里田局と高林局の2局でのサービス開始を予定している。 同社のADSL接続サービス「BBCO(ぶぶこ)」は、下り速度1.5Mbps、上り512kbps、2個のメールアカウント(BBCOメールアカウントおよび上位ISPメールアカウント)、10Mバイトのホームページ容量を基本サービスとし、月額4,980円でサービス提供を予定している。バックボーンは明らかにされていないが、域内では1Gbps程度を予定しており、地域内高速コンテンツサービスの提供を目指しているという。 また、Web上での家族間、サークル間、企業内グループウェア機能などのアプリケーションの提供によって、登録利用者間ポータルサイト構築を予定しているとのこと。 ブロードバンドシティ太田は、太田市のITタウン構想の実現のために、4月25日、太田市と三洋電機、三洋電機ソフトウェア、スパルシステムサービス、両毛システムズの5社によって設立された。太田市のITタウン基本構想は最先端のインフラを構築することで、地元産業の活性化と生活環境の利便性を向上することを目的としたものである。現在は、次の2つの事業を計画している。
・高度情報通信ネットワークサービスおよび情報管理サービスセンターの構築
・高度情報通信ネットワークおよび機関インフラ敷設事業者の誘致
(このニュースは、読者からの情報を元に編集部で確認し執筆いたしました。情報を提供していただき、ありがとうございます) 」と報じた。

尚、ブロードバンドは急激に普及して、「BBCO(ぶぶこ)」の魅力は低下して、2009年中に解散したようだ。10年という年月は長いようで短い。世界も経済も刻々と変わっている。地方自治もこのような変化の波にさらされている。目先の流行に乗り、為政者としては成功でも、後々住民が塗炭の苦しみを味わうようでは困る。最近勝てば官軍というような風潮が地方自治にまで及んできたのは歓迎すべき事なのか。地方は自ら目覚めなければならない。地方自治体の首長も多彩な活動が要求される。住民を眠りから醒ますのも先覚的な首長の役割に違いない。市民が何を要求しているかを知るのにはマーケッティング手法も重要である。しかし、単にマーケッティングという一方的な手段による行政は必ずしも民意を反映しない可能性もある。太田市は太田市意見公募手続実施要綱を定め、この要綱を、平成18 年8 月1 日から施行している。今後、首長主導だけではなく、住民が参加しないと市政の充実は遠のくのではないか。

群馬県の都市名をGoogleで検索すると、ヒット数は以下の通りであった(2011/9/27)。
高崎市:約 16,100,000 件
前橋市:約 7,060,000 件
太田市:約 16,400,000 件

太田市はWB上の知名度も高い。都市名も一つのブランドだ。情報化時代で、首長が自分の地域を売り出す努力の有り無しで知名度が変わる。その知名度にもプラスとマイナスの要因がある。知名度と地域の価値をいかに高めるべきか、行政のベンチマークの対象としても本書は参考になるだろう。かつて、今も知名度が大切だと思っているが、最近はそんなものに惑わされるなという感じも生まれつつある。売り込みに負けた方が負けという社会は余りにも味気ない。地方には、そんな浮き名に惑わされない低力が欲しい。一朝一夕でできる業ではないが。

2011年9月27日 (火)

読みかじりの記:シャープの謎 勝ち続ける日本力! 長田貴仁 著 (2004年 株式会社 プレジデント社)

2011/9/27
昨日は曇り。朝夕自転車巡回。秋の気配を感じる。相変わらず下草刈り。極早生ミカンの実が黄色くなり始めた。試食すると甘みは少ないが酸味は無かった。柿の実も色付き始めているので試食。渋さは抜けて少し甘みがあった。草退治してできた、小さなスペースに小松菜とビタミン菜の種を少しまいた。仕事はポケットラジオで国会中継を聞きながら。その最中に、陸山会事件の小沢氏元秘書3人に有罪判決が出たとニュースが流れた。デジカメデータをコンビニでプリント。カラープリンターを持っていないのでコンビニプリントは助かる。夜は会合。今朝の上毛新聞新聞記事は環境活動家のマータイさんの死亡を伝えた。71歳。日本は、欲呆けで「もったいない」という気持すら失ったってしまった。それに気付くのはもはや取り返しが出来なくなってからなのだろうか。ここ数日、鼻がむずむず、クシャミ多発。体調不順だ。

2011/9/26の天気

TAVE= 17.1
TMAX= 18.9
TMIN= 14.8
DIFF= 4.1
WMAX= 1.7
SUNS= 0
RAIN= 0

最低気温(℃)  14.6  05:49
最高気温(℃)  19.2  15:07

読みかじりの記:シャープの謎 勝ち続ける日本力! 長田貴仁 著 (2004年 株式会社 プレジデント社)

本書のタイトルの上に「凡人が天才に勝つ仕事術」というキャッチフレーズがある。本書が出版されたから既に7年を経ている。この間の日本経済も大きく変わった。自分が本書を手にしたのは本書から仕事上のヒントを得ようとしている訳でもない。既に現役を退いているのだが、本書の出版時期が現役後半時期に重なり、もう一度シャープという会社を振り返って見たくなった。

一読して興味があったのは、冒頭の早川徳次の短い伝記。この伝記と共に創業の精神と世間から同族企業と見られない理由が分かる。「勝ち続ける日本力!」というキャッチコピーの中に、理想的な日本的経営を見ているのかもしれない。シャープの技術を見ると、日本で最初というのが意外に多いと感じた。早川徳次の企業理念を佐伯社長が「誠意と創意」にまとめたらしい。現在シャープのホームページに経営理念が掲げられ、「いたずらに規模のみを追わず、誠意と独自技術をもって、~」と創業以来のDNAを伝えているようだ。液晶パネル、太陽電池、電子デバイス等の基本デバイスを内作する事により、技術や製品を長期的な視点から育成してきた事が今日の発展につながっているのだろう。真似られる技術から真似られない技術へ、言い換えれば技術のブラックボックス化を進めている事にも興味がある。

WIKIPEDIAによれば、「MZ(エムゼット)は1970年代から1980年代にかけてシャープが販売していたパソコンのシリーズ名。当時はシャープは日本におけるパソコン御三家の1つに数えられていた。」とある。このパソコンは8bitのZ80CPUを採用。またシャープにはX86000というパソコンもあったはず。IBM PCではメビウスを販売。本書にあるように、パソコンはパソコン関連事業展開が主目的で、「いたずらに規模のみを追わず」というブレーキが利いてた事業のようだ。すでに、十数年前の事だが、シャープの幾つかの事業部門へ半導体の拡販で訪問した経験がある。セールス担当の話では、社員は仕事は熱心にやると言っていた。コストは厳しいとも。そういう意味では事業の基本は末端まで届いていたのではないかと思う。オプト電子部品ではリモコン関係のシェアは相当高かったと思う。

シャープはホームページで、「「オンリーワン液晶ディスプレイでユビキタス社会に貢献する」;url=http://www.sharp.co.jp/corporate/eco/special/closeup/index2.html」というタイトルで、「一方、1973年、世界で初めて液晶ディスプレイをポケット電卓に搭載してからは、ひたすら液晶の進化を追求し続け、ブラウン管が全盛だった1998年、「2005年までに、国内で販売するすべてのテレビをブラウン管から液晶に変える」と宣言しました。」と報じた。

これは本書でも度々述べられている。このシャープの宣言により、日本のテレビの液晶化が進んだのも事実であろう。そうして、液晶テレビは景気底上げのエコポイント対象商品になり売り上げを伸ばし、2011年のアナログTV放送の完全地デジ化により特需を迎えた。

産経新聞は、「液晶テレビの採算悪化 シャープ、復活へ次の“お家芸”探す (1/3ページ);url=(2011.7.20 05:00)」というタイトルで、「シャープが主力の液晶事業で苦戦している。韓国や台湾勢などとの過当競争で採算が悪化し、同事業の2010年度の営業利益は3年前に比べ5分の1にまで縮小した。業績を牽引(けんいん)してきた“お家芸”ともいえる事業も、自前主義を捨てざるを得ないところまで追い込まれた。復活に向けて次なる成長戦略が急務となっている。」と報じた。

シャープの液晶テレビの採算悪化は台湾、韓国メーカーの参入で競争が激化して単価が下がったのが原因。今日では、海外メーカーが実力を付け、有望な市場へ高性能より低価格を武器に参入してくる。国内販売をメインにしていたシャープにも意外な盲点があったようだ。映像機器は家電の花形商品だがそこから利益を出す体質を作るのは大変なようだ。かつてブラウン管を内作していない家電メーカーは内作メーカーが羨望の的であった。映像機器という花形家電のキーパーツを自社調達出来れば鬼に金棒となる。シャープは製造業にこだわる。日本のメーカーも多角化であれこれ手を出したが、結局製造業回帰現象が見られる。しかし、半導体、液晶等は装置産業でもあり、巨額の資金が必要だ。労働集約的なアセンブリー産業は新興国の方が向いている面が多い。今日パソコンのマザーボードをを内作している日本メーカーが何社あるだろうか。OEM等が多いのではないだろうか。今シャープが直面している課題は日本が抱えている課題でもあろう。シャープの経営が堅実であっただけ、それが表に出るののが遅かっただけかもしれない。

本書ではソフト事業についての記述が少なかったように感じる。日本は物作り、ハードは得意だという自負心があるが、ソフトを敬遠し過ぎていないか。何をビジネスの糧ににするのか。身体を使う以上に頭を使わないと新興国からも置き去られてしまう心配がある。在職中はシンガポールの設計会社と設計委託の交渉をした事があった。その会社のCEOは確かインド人ではなかったかと思う。技術レベルは判断できなかったが、最先端までは行かなくても、当時としては日本からの設計受託が可能なレベルだったようだ。CAD等の設計ツールだけでビジネスを行うので、その身軽さとしたたかさには感心した。設計の委託・受託はサービス業そのもので、その全体をカバーするにはソフト技術が不可欠だ。技術や特許すらビジネスの対象になるのが現代だ。ソフトビジネスは日本の技術にとっても宝の山ではないか。そこに宝の山があることをに先ず気づかなければならない。 これからが日本の技術の実力を示す本番になるのではないか。それが出来なければ、日本の技術は落日を迎えるのみだろう。

2011年9月23日 (金)

読みかじりの記:マッド・アマノの「謝罪」の品格 マッド・アマノ 著 (2008年 株式会社 平凡社)

2011/9/23
昨日は晴れ後曇り。午前から昼過ぎは用事で外出。朝は台風一過の雲一つない爽やかな晴天であった。14時頃、西の空が暗くなり、急激に視界が悪くなる程の大雨となった。短時間の雨であったが気象の激変を車の運転中で体験した。

2011/9/22の天気

TAVE= 22.1
TMAX= 28.5
TMIN= 17.7
DIFF= 10.8
WMAX= 5.7
SUNS= 5.8
RAIN= 10

最高気温(℃)  29.2  11:53
最低気温(℃)  17.4  23:39

読みかじりの記:マッド・アマノの「謝罪」の品格 マッド・アマノ 著 (2008年 株式会社 平凡社)

マッド・アマノと言えばパロディを連想する。そもそも「謝罪」に品格があるのか。謝罪に品格という着物を着せてみたところがパロディのようにも見える。英英辞書では「PARODY=a humorous or satirical imitation of a serious piece of literature or writing: his hilarious parody of Hamlet's soliloquy. 」とある。純文学作品を踏み台にしてそれと別な表現をする事を意味する。茶化したり、皮肉ったりがその例だろう。そう言う点ではパロディには、批判精神やユトリ、寛容性も必要になる。マッド・アマノのパロディ事件はパロディが意外な方向に発展してしまった裁判のようだ。

本書にざっと目を通して、そういえばそんな事があったと思い出される場面が多い。今日頻繁に行われる謝罪会見も不思議な現象だ。やはり、テレビ、新聞、週刊誌等のマスメディアの巨大化と無関係でもないだろう。その謝罪の常套句が「ご迷惑をおかけしました」、「ご心配をお掛けしました」云々。それに、もう少し、状況に応じて味付けをしたりで、料理のメニューのように謝罪が形骸化しているのも事実。こんな白々しい言葉で何も責任もとらずに幕引きされる事自体が異常に見える。

多分、謝罪会見もコンサル会社のアドバイス等が当たり前になっているのかも知れない。著者のように謝罪会見の事例を多数集めれば、謝罪会見マニュアルもそう無理なくできそうだ。謝罪の原因も様々だろう。ともかく、利害の衝突があり、それが争いになり、その終末部に謝罪があるのだろうが、謝罪で全てが解決する事もないだろう。見方によれば、謝罪も仕組まれた事件の幕引きに過ぎないのだろう。強いて品格の基準を定めるなら、完全敗戦なのか算盤勘定の偽装敗戦という辺に着目点があるのか。著者は謝罪する必要もなかろうという例も述べているのだから、著者の目から見て「謝罪」にも品格がありそうでもある。謝罪の裏に何かがあり、謝罪がない裏にも何かがあるとは著者の慧眼と言えるだろう。当事者の行為の正邪が万人に明らかになれば謝罪の適否も一目瞭然だ。テレビ、新聞、週刊誌等のマスメディアが劇場裁判所の司祭のようになってしまっている現実をもっと痛烈にパロディ化してもらいたいところだが、著者もすでに古稀を過ぎているようだ。長い物には巻かれろとは一面の真理であるが、批判精神は必要だ。

マスメディアを通した謝罪がその受け手に向けられているのも確かだろう。謝罪が希薄化してしまうのも早い。本書の事例もほとんど過去のことになってしまっている。にもかかわらず、今後も謝罪事件が続々起こるだろう。謝罪という言葉自体が比較的新しい。日本語の古語で謝罪に当たる語は何だろうか。詫びると言う語ともちょっとニュアンスが違うようだ。行為に故意と過失があり、それにより損害が生じたとき、その損害を補償する行為が謝罪なのか。謝罪が金銭でも物でもなく、行為に過ぎないが、名誉と引き替えであるという点で当事者にとっては謝罪のマイナス価値は大きい。逆に謝罪される側にとってはその謝罪のプラスの価値は大きい。とは言え心理的な面が大きい。また謝罪かと大衆はその謝罪に飽き飽きしているのが現実である。逆に謝罪する側はそれに増長してしまう。何か変な世の中になってしまったようだ。謝罪の価値が暴落したのが現代だ。

毎日新聞は、「JR北海道社長自殺:惜しむ声 「まじめな人」「頭の中が真っ白」 /北海道;url=http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20110919ddlk01040094000c.html(2011年9月19日 地方版)」というタイトルで、「◇人柄知る人、惜しむ声 「安全最優先」を旗印に、会社再生の陣頭指揮を執るはずだったJR北海道の中島尚俊社長(64)が18日、小樽市沖合で変わり果てた姿で見つかった。状況から自殺とみられる。書き置きを残して姿を消してから6日。無事を祈り続けた関係者の願いは届かなかった。JR幹部らは「事故やトラブルで疲れていたのは事実。社長を支えきれなかった」と表情をゆがめた。」と報じた。

日経新聞は、「JR北海道社長、遺体で発見 社員に残した文書公表;url=http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E3EAE2E3EB8DE3EAE2EBE0E2E3E39191E3E2E2E2(2011/9/18 20:58 (2011/9/18 22:41更新))」というタイトルで、「JR北海道は18日夜、中島社長の書き置きは全部で10通程度あり、幹部向けが4通、社員全体に宛てたものが1通だったと公表した。ほかは家族や知人宛てだった。」と報じた。

「JR福知山線脱線事故;http://ja.wikipedia.org/wiki/JR%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E7%B7%9A%E8%84%B1%E7%B7%9A%E4%BA%8B%E6%95%85#.E5.88.91.E4.BA.8B.E8.A3.81.E5.88.A4;(最終更新 2011年7月31日 (日) 16:12)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「JR福知山線脱線事故(ジェイアールふくちやませんだっせんじこ)は、2005年(平成17年)4月25日に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した列車脱線事故である。運転士と乗客を合わせて、107名が死亡した。」とある。

本書では、この事故が「罪の重さと自覚の軽さ」というタイトルの中で扱われている。旅客鉄道は安全が第一のサービスであるべきだ。その常識を完全に覆したのがJR西日本福知山線の脱線事故。しかし、会社側の形式的な謝罪は行われたが、その責任を明らかにする刑事裁判は紆余曲折して、まだその途上にある。

JR北海道は、「36 協定違反(労働基準法違反)について;url=http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2011/110907-1.pdf(平成23 年9月7日)」というタイトルで、「先般、札幌中央労働基準監督署による調査が実施され、平成23 年4月及び5月の本社計画部門の時間外労働に対し、36 協定違反(労働基準法違反)の是正勧告を受けました。この是正勧告を受けて社内で調査をしたところ、過去3年にわたり36 協定違反(労働基準法違反)となる時間外労働の実態があったことが判明しましたのでお知らせします。」、「36 協定の特別条項で定める協議を行わずに、1ヶ月45 時間の上限を超えて時間外労働をさせているという違反に対して今回是正勧告を受けましたが、その後の社内調査の結果、今年度を含む過去3年間で延べ約450 名の違反が発生していました。」と報じた。

謝罪と責任は別物である。謝罪すれば責任を逃れたり、責任が軽くなるという意識が日本人にはないだろうか。WEB情報によると、JR北海道には、「JR石勝線で5月に起きた特急脱線炎上事故」を筆頭に10件程の不祥事があるとの事だ。

毎日新聞は、「JR北海道:トンネル事故受け事業改善報告提出 「企業風土に欠陥」と反省;url=http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20110917hog00m040003000c.html(毎日新聞 2011年9月17日 1時57分)」というタイトルで、「JR北海道は16日、石勝線トンネル内で5月に起きた特急脱線炎上事故などを受けた事業改善報告書を、国土交通省に提出した。事故で問題化した緊急時や乗客避難のマニュアルについて、運転士や車掌など職種別にあったものを統一して現場判断を重視する内容に改めたほか、車両整備の厳格化などを盛り込んだ。さらに背景として「安全への意識不足など企業風土の欠陥があった」と認め、安全性向上のための行動計画を示した。」と報じた。

JR北海道の事故は、JR西日本の事故と無縁と感じたが、何か類似した構造があるのかと思われてきた。かつては労使紛争・対立が多発していた時代があた。使用者に対して労働者は存在感があった。現代はどうか。使用者が圧倒的に強い。その力を無意識に行使するとそれを制止する力が働かなくなる。ブレーキとアクセルは全く別の働きをするがその両方が正常に機能して初めてシステムは健全な機能を発揮する。JR北海道社長が「社員の皆様へ」題して書きのこした(朝日新聞記事url=http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001109200016)事をどう受け止めるべきなのか。この書き置きには社員に対するお詫びと、経営者として責任を果たせなかったお詫びが読みとれる。経営幹部に宛てられた書き置きの内容はどうなのか気になる。言葉は余りにも軽すぎる。いくら言葉を並べても真意は伝わらない。そんな思いから自死につながったのか。JR北海道の事故では死者は出なかったようだ。しかし、大惨事と紙一重の事故でもある。死を以て労使共に覚醒せよと訴えたのか。関係者も国民も生命の尊さをよくよく考えなければならない。

謝罪大国は無責任大国の裏返しだ。謝罪を追求しても空しい結果が残るだけだ。それにしても著者は日本人の盲点をついたのではないか。

2011年9月18日 (日)

読みかじりの記:「新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示」菅谷昭 著 (2011年 新潮社)

2011/9/18
昨日は曇り時々晴れ。ただし、気温は日中と夜間とも高く真夏日、熱帯夜であった。用事で外出。ついでに書店に立ち寄った。新刊書コーナーには原発・放射能関係の本が多く並んでいた。放射能が、危険で見えないだけに関心が高いようだ。

2011/9/17の天気

TAVE= 27.7
TMAX= 32.1
TMIN= 25
DIFF= 7.1
WMAX= 5.1
SUNS= 2.5
RAIN= 0

最高気温(℃)=  33.4  (12:46)

読みかじりの記:「新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示」菅谷昭 著 (2011年 新潮社)

今年7月に文庫版で再出版された本=菅谷昭 著 「新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示」(新潮文庫@400)は今手許を離れている。もう一冊と書店で探したが見あたらなかった。著者が医師としてチェルノブイリで診療活動をした内容を本にしたものだ。ざっと目を通したのだが、もう忘れかけている。印象に残っている部分だけでも書いておきたい。著者の専門が甲状腺医学との事で、幼児の時にチェルノブイリで被曝した少女が甲状腺癌になった話等は身につまされる思いがした。体内で甲状腺ホルモンを作るときにヨウ素が必要になるので、ヨウ素が甲状腺に集まる。

「ヨウ素;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A6%E7%B4%A0;(最終更新 2011年9月4日 (日) 06:12)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「チェルノブイリ原子力発電所の事故では、核分裂生成物の 131I (放射性同位体) が多量に放出されたが、これが甲状腺に蓄積したため、住民に甲状腺ガンが多発した。」という記述がある。

人体は通常のヨウ素と放射性ヨウ素の区別ができないので体内に放射性ヨウ素があればを甲状腺に取り込む、結果として甲状腺が内部被曝を受ける。多分、幼児の細胞は若いので、細胞分裂の回数が成人より多いのだろう。従って、細胞分裂の時に放射性ヨウ素が出す放射線が細胞内のDNAを損傷すると遺伝子の複製に誤りが生じる確率が高まる。従って、体内の放射線により損傷したDNAが癌化のトリガーになる。原発事故事故の直後にヨウ素剤を服用するのは、必要だけの通常のヨウ素を体内にとりこませてしまい、結果として放射性ヨウ素を取り込ませないようにするためのようだ。

東京電力福島原発事故の直後に、ヨウ素剤を配り服用させた自治体もあったようだが、何の対策もしなかった自治体もあるようだ。当時は情報が余りにも少なく、甲状腺癌予防の必要な対策が採られていない例の方が多そうだ。福島原発事故後の初期には半減期の短い放射性ヨウ素の濃度のニュースが多かったが、現在は半減期が長い放射性セシウムのニュースが多い。現在幼少年期にある福島原発事故による放射性物質被爆者は10年、20年後に思春期、青年期を迎える。その頃になると世間一般の福島原発事故への関心は相当薄れて居るだろう。そういう状況の中で、発ガンの恐怖や結婚をどうするかというような厳しい場面に直面することになるだろう。そのような部分が本書の内容と重なって見えてくるような気がするのだ。

追記(2015/7/12):
放射線被曝強度と発癌の確率は相関があるとするのが現代科学の知識と言える。ただし、放射線量が微少な的な場合は議論がある。一部専門家は微少量の被曝では発癌しないと主張しているようだ。その主張を否定するような調査結果が最近報道されている。放射線と遺伝子DNAが相互作用を起こすのは量子力学の原理に基づく確率現象である。放射線で破壊されたDNAはある程度修復されるのだろうが、何ら根拠も無く、「微少量の被曝では発癌しない」と主張するのは科学的な発言では無く、何らかの意図を持った政治的発言になる確率は高くなるだろう。下記のニュースはこの分野の新しい発展を示す成果だと思われる。日本はまともに放射線災害に取り組む気概を持っているのか。

Googleにてキーワード「甲状腺ガン」で本サイト内を検索(https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#hl=ja&q=%E7%94%B2%E7%8A%B6%E8%85%BA%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。(サイト内検索

47ニュースは、「放射線低線量でも白血病リスク 欧米作業員30万人を疫学調査。;http://www.47news.jp/CN/201507/CN2015070201000814.html。(2015/07/02 09:49   【共同通信】))」というタイトルで、「【ワシントン共同】低線量の放射線を長期間にわたって浴びることで、白血病のリスクがごくわずかだが上昇するとの疫学調査結果を、国際がん研究機関(本部フランス・リヨン)などのチームが1日までに英医学誌ランセット・ヘマトロジーに発表した。 欧米の原子力施設で働く30万人以上の被ばく線量と健康状態のデータを分析した。低線量被ばくの健康影響を統計的に示した研究は少なく、東京電力福島第1原発などで働く作業員や、放射線機器を扱う医療従事者の健康管理に役立つ可能性がある。」と報じた。(この記事へのリンク:書式ミスでNG)(この記事へのリンク

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2011年8月28日 (日)

読みかじりの記:ビジネスマンのための「個性」育成術 黒木靖夫 著 (2001年 日本放送出版協会)

2011/8/28
昨日は曇り。不安定な天気だがしのぎやすい気温であった。ポット苗の手入れを再開。雨後なので雑草の根張りが強くなったように感じる。夕方、皆でお茶。空が薄暗くなった頃で、コウモリらしいモノが飛んでいる。丁度鳥はねぐらに入る頃だったのでそう思った。コウモリが飛んでいるというと誰かが、いやツバメだという。よくよく見るとツバメだった。5~6羽程度と数が多かった。コウモリのように低空を、ヒラリヒラリと方向転換しながら飛んでいるので、空中を飛んでいる小虫を追っているのではないかと思った。

2011/8/27の天気

TAVE= 24.4
TMAX= 27.1
TMIN= 22.4
DIFF= 4.7
WMAX= 3.5
SUNS= 0.4
RAIN= 0

ざっそう句:ツバメ

■薄闇にコウモリの如ツバメ飛ぶ
■コウモリに草履を投げた幼時
■コウモリと昔遊んだお茶話
■ツバメ等に居間も解放その昔
■ツバメより殺虫剤に頼る今

読みかじりの記:ビジネスマンのための「個性」育成術 黒木靖夫 著 (2001年 日本放送出版協会)

本書によると著者は1993年にソニーを依願退職。WIKIPEDIAによると2007年7月に死去した。74歳没。1993年 - 富山インダストリアルデザインセンター所長就任とある。本書の前半には、ソニーという会社の個性と工業デザイナーとしての輝かしい経歴を通して個性をどうだすか、どう育てるかを述べている。

著者がウォークマンの開発に関与した事は知っていたが、筑波科学万博のジャンボトロンにも関与した事は初めて知った。また、「マイ・ファースト・ソニーはおもちゃか」という項で森田さんの庇護で商品化ができたと書いている。自分は井深さんの影響もあったのかと思っていた。一時、幼児向けの電気製品造りに大手のメーカーが取り組んでいた時があった。会社の社会的な責任や自社製品のファンを子供の頃から作ろうという考えがあったのだろうか。

飽きないデザイン、基本機能だけに限定、使いやすい、適度な大きさ、堅牢、安いと自分なりにデザインや商品に要求する所は多い。工業デザインという点で今どこまで進歩しているのか分からない。人間も商品も個性作りは意外に難しいようだ。一番安直なのが型、色、機能を類似させる類似品・コピー品にあるのだが、人間がそうなっては本当に面白くない。

著者は第三章で「省エネや省資源への配慮はウォークマンの時の井深の思想である。」と書いている。その流れの中で、懐中電灯型のプロジェクター・テレビのアイデアを述べている。著者は個性的な製品作りではイタリアの手工業的な家具・照明器具産業に興味を示している。やはり、ハードという物を作るにも見えないソフトを作るにもそれを作る人間の有様が最終的にはそれに反映される。その点では、イタリアの物作りは日本もマネができない領域にあるのではないか。

本書は「ビジネスマンのため」とうたっているが、ビジネスマンとなると個性を発揮するのが更に難しいのではと思ってしまう。ともかく、現代はビジネスマンにしろ技術者にしろ個性を発揮しにくい時代ではなかろうか。大きく発展している分野では何をやっても新しい事という場合がある。

著者がソニーを依願退職したのには何か思うところがあったと考えれるが、本書にもそのヒントが潜んでいるのかもしれない。著者は21世紀の新製品開発のキーワードは「環境と資源とエネルギーである。」と本書末尾で述べている。あとがきに、今の若者の良いところとして、欧米コンプレックスがないこと、生まれつきのコスモポリタンであることを上げている。「私は十年後、二十年後の日本に期待しているから長生きしたいと切に思っている。」と本書をしめくくっている。残念ながら、それは叶わなかったようだが、本書が若者へのメッセージとなっているのではないか。

著者はIT技術の進歩にも期待していたようだ。物作りの基本はいつ誰が作ったか物自体が語ってくれる事ではないか。大量生産品でもそれをいつだれが作ったかが分かれば区別できるという最低の個別化が可能だ。製品のどこかにそのデザイナーの名前を刻む事はIT技術を使えば不可能ではない。自分が作った物に自分の名を刻印したらどうか。そのような願いを込めて物作りに励んでいる人は多いだろう。残念ながら、ほとんどの人は無名のままこの世を去って行く。自分も、一台のセットに一個しか使わない部品が、月産10~20万個になった時、ふとむなしさを感じた事があった。長い目で見れば個性も流行の中に流れているのかもしれない。それでも光るべき時に光らせたいのが個性ではないか。

更に言えば、世界に同じ物は二つと無い。個性、個性と騒いでも何も変わらないのかもしれない。ギネス的個性はそれなりに面白いが、信頼性のような個性はつき合ってみないと分からない。自分が作った物が見えない、自分のやった仕事が見えない。それが現代だ。こんな状況では個性すら見えなくならないか。そうだからこそ、個性は外部から育てられるより自分が磨かねばならないものかも知れない。

追記
この記事を書く際に、ソニーのホームページを覗いてみた。自分がソニーが光っていると感じたのはやはりウォークマンやトリニトロンの時代である。3.5インチFDがIBM PCの標準デバイスになったのもソニーの業績だと記憶している。ソニーはハードが中心であった二次産業時代から、現在ではハード&ソフトの複合企業体に成長している。組織名を見てもその組織が何をしているのか理解しにくかった。企業の巨大化、グローバル化はその企業の個性を出しにくくしているのだろう。ソニーはネットワークという概念に期待している節が見られる。組織の巨大化と権限の集中はやがて硬直へとつながるのは世の常である。ネットワークは分散と統合が生命である。逆張りがソニーの個性なら、ネットワーク概念を更に発展させて、SONY井深、SONY森田とか個性丸出しの無数のネットワーク連合会社を作ってみてはどうだろうか。モルモット企業を自認したソニーなら本気に挑戦して出来ないことはないかもしれない。お節介な真夏の夢をみてしまった。ソニーよもっと光れ。

2011年8月24日 (水)

読みかじりの記:生涯最高の失敗 田中耕一 著 (2003年 朝日新聞社)

2011/8/24
昨日は曇り後午後から少し晴れ間。午前中は挿し木準備。挿し木の適期ではないが実験。午後はポット苗の手入れ。灌水不足で枯らした苗がかなりある。自業自得。厚手の長袖シャツで作業したので多少発汗した。草むらの陰には蚊が群がっている。虫除けネットをかぶり、蚊取り線香を焚いて作業。今朝、XP機のSWを入れてWIN起動しない時のFDの5,12V電圧をチェック。電圧は出ていた。その後、再度SWを入れると反応無し。SWの接点不良か。ME機に戻って作業。鉄砲ユリが咲いている。由来は不明。背が高く、5~6個の花がうつむいて咲いている。

2011/8/23の天気

TAVE= 24.3
TMAX= 27.4
TMIN= 21.6
DIFF= 5.8
WMAX= 1.8
SUNS= 1
RAIN= 0


ざっそう句:処暑
■冷蔵庫スイカが欠伸処暑の雨
■プヨプヨと苛ちて刺せよ秋近し
■物騒な鉄砲ユリ咲くカダフィ邸
■一輪の朝顔許す抜き残り
■雨休み蝉鳴き出せば汗も出る
■男心涙の辞任秋の空
■はばかりが近くになりて秋迫る

読みかじりの記:生涯最高の失敗 田中耕一 著 (2003年 朝日新聞社)

著者のノーベル化学賞受賞が決定したのが2002年10月。本書が発行されたのが2003年9月25日。丁度1年後であり、ノーベル賞受賞前後の様子を改めて振り返った。著者が現役の技術者としてノーベル賞の受賞までの歩みを率直に語っている事に好感を覚えた。著者が就職した島津製作所はそのホームページによれば、明治8(1875)年3月の創業である。島津製作所 創業記念資料館(url=http://www.shimadzu.co.jp/visionary/memorial-hall/display/)を覗くとその事業の中心が理化学機器だとわかる。島津製作所への就職の契機も本書により知ることが出来た。著者の受賞の対象になった質量分析機も何となくイメージしていたのだがその原理も本書で概要が分かった。

終戦後の計測器の進歩はめざましい物があった。電気の分野ではオシロスコープが色々高度に発展した。その実例が周波数分析機で、通称でスペアナと言われている。テレビのVIFアンプの周波数特性やモジュレータの発信周波数特性を調べるために喉から手が出るほど欲しい測定器であった。スペアナが技術の現場に導入される程度の価格になった頃、自分の仕事は変わったが測定器が技術の精緻化に大きく寄与することは実感していた。

質量分析機でいざ、資料を分析するとなると大変な事が本書でよく分かった。分析の相手が化学物質となるとその前処理が分析の可否や精度を決めてしまうようだ。著者が「生涯最高の失敗」と本書のタイトルにしたのも、化学物質をレーザ光で破壊せずに測定できる条件を発見した部分にある。しかし、本書を読むと、闇雲に実験を行っているだけではなく、こういう条件だったらどのような結果になるかという一種の作業仮説的な手法を思い浮かべながら入念な観察の中で実験をしていた事が分かる。自分がドジッた一つの失敗を別の自分が冷静に見ているという複眼的な見方が成功への道としてあったようだ。

いわば凡ミスは大抵直ぐに気付くのだが、待てよともうひとつ突っ込むところに成功への糸口があるのかもしれない。本書に紹介されているグリセリンが乾く前後のスペクトルの差も、執念を持って注意してその差異の理由を追及しないと見逃してしまいそうである。21世紀はバイオテクノロジーの時代でもある。どのような物質がどのような部分でどのように働くのか。質量分析機の用途は多いかもしれない。生体高分子も観念的には理解できるが、質量分析機はそれを具体的に振り分けて見せてくれるわけだ。その進歩に期待するが、あまり進歩しすぎると未来の人類が挑戦するテーマが無くなってしまわないか心配でもある。

何事も人間の為す事には雑音の中から信号を取り出すような作業が必要になる。その指標がSINAL TO NOISE RATIO S/N比であろう。測定を何回も繰り返してそのデータを平均するとノイズは打ち消しあって小さくなり、逆に信号は重なり合って大きくなる。そんなデータ処理の例も本書には書かれている。そういう視点を更に拡大すると、一つ一つの実験で見れば失敗であっても、実験全体の中では失敗が意味を持ってくるのが分かる。

自分の技術者人生を振り返ると著者に重なる部分が幾つかある。出発点では電気工学を学んだこと。自分の失敗等は「アナログいろはカルタ」にまとめた事がある。

初期のテレビゲーム:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/02/post-c6ec.html
開発した集積回路が全く売れずに廃止された事もある。この時、3ピンしかなかったTO-220というパッケージからTO-220-5Hという5ピンのパッケージも開発したが、これが後続の機種開発に大変役だった。

チャンスという名の女神:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/05/post-d632.html
回路が動くのもその背後に自然現象がある。色々なアイデアを出してもうまく行かないことは多い。そんなとき、まだ自然の女神は自分に微笑んでくれない、もう少し頑張らねばと思うこともあった。上司や同僚から見たらどうでも良いことでも自分にとっては新しい発見である事もある。そんな事を思い出しつつ本書を読んだ。

2011年8月23日 (火)

読みかじりの記:千利休 無言の前衛 赤瀬川原平 著 (1990年 株式会社岩波書店)

2011/8/23
昨日は雨後曇り。機嫌が悪いXP機をだましだまし使っている。おかげで、電源を入れてからWINDOWSが立ち上がるまでの様子がおぼろげながら分かってきた。起動の不調はイベントビューアに記録されていない。パソコンをいじるツールはドライバーとテスター程度しかないのでお手上げだ。

2011/8/22の天気

TAVE= 21.9
TMAX= 25
TMIN= 19.3
DIFF= 5.7
WMAX= 2.7
SUNS= 0.1
RAIN= 17

YOMIURI ONLINEは、「34億年前の岩石から最古の化石?硫黄えさに;url=http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110822-OYT1T00959.htm?from=main7(2011年8月22日22時17分  読売新聞)」というタイトルで、「西オーストラリアの約34億年前の岩石から、地球最古の微生物化石が見つかったと、西オーストラリア大と英オックスフォード大の研究チームが発表した。」、「当時の地球は、酸素がほとんどなく、表面の多くは水温40~50度の海で覆われていた。発見された微生物は、直径約10マイクロ・メートル。グループを作って生息していたとみられる。」と報じた。

生命の起源には謎が多い。その謎解も証拠がなければ科学にならない。地球上の生物が地球上の環境から生まれてきたとする説の他に宇宙から飛来したという説もある。後者は隕石に含まれる有機物質を根拠としている。海で生まれた生命が陸に上がってきたというのが進化の筋道である。海水温が40~50℃とすれば、陸上の温度は更に高いだろう。WIKIPEDIA地球史年表によると地球の誕生が46億年前との事。それから12億年後には初期の生命が生まれたことになりそうだ。40億年前に原始海ができた。意外に速いピッチで生命が現れているように感じる。

読みかじりの記:千利休 無言の前衛 赤瀬川原平 著 (1990年 株式会社岩波書店)

もうふた昔前の本である。お茶などとは生涯関係ないだろう思っていたがとっさの時にどう対応するのだろうとふと考えて手にした。茶と言えば、「茶の本」BOOK OF TEAを高校時代の先生が紹介していたのを思い出す。こちらは岡倉天心の著作。WIKIPEDIAによれば、「岡倉 天心(おかくら てんしん、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、明治期に活躍した思想家で文人、哲学者。本名は覚三(かくぞう)。幼名は角蔵。」、「人物:横浜生まれ。東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献し、日本美術院の創設者としても著名。近代日本における美学研究の開拓者で、英文著作での美術史、美術評論家としての活動、美術家養成といった多岐に渡る啓蒙活動を行い、明治以降に於ける日本美術概念の成立に寄与した。」とあり、美術との関係が深い。

赤瀬川原平も最近「老人力」で知ったが、かつての前衛芸術家とは知らなかった。そのような著者が「利休」という映画のシナリオを書いたのが本書執筆の契機になったようだ。今日の茶道はその名の通り稽古事になっている。田舎物は素性がばれないように作法で身を隠せれば上々だと言う程度の積もりで読み流した。利休と秀吉等は別世界の人物だ。そんの事を思いつつ読むと面白く読めた。特にⅢの「利休の沈黙」が本書の山のようだ。そこには著者が辿ってきた視点が生きているようだ。人間がやること全てに表現者・パフォーマーとしての要素があるだろう。能力を一つの事に集中してパフォーマンスの質を高めるのが表現者の手段の一つだろう。ところが、著者はそのような方式で突っ張っても全然面白くなくなって、色々な方面に活路を求めたのだろうか。利休は魚問屋との事でまさに商人、こちらが本業だったのか。色々な仕事をこなすマルチタレントはなかなか評価が難しそうだ。芸術も文芸も表現も目的とする対象者がいるだろう。そう言う分野は饒舌性は付き物ではないか。無言は一種のパラドックスになる。阿吽の見えないルールが支配する世界。広いようで狭い。「ディーテールへの愛」、「縮小のベクトル」という項も面白い。日本人の縮嗜好を指摘した外国人もいたと思う。茶室をどんどん小さくする。そうすると収容人数も少なくなる。その処理のためパラレルからシリアルに変換する。誰が先に入るのか、誰がどこに座るのか。そこに必然的に序列が生じる。本書もWIKIPEDIAも利休はがっしりとした大男として描いている。また利休は禅にも関係があるらしい。それが小さな茶室で茶事を阿吽の呼吸でやるのだから、茶室はまさにパフォーマンスの式場に見える。自分も集積回路というミクロな世界を相手に仕事をした。回路を結ぶ配線を鉛筆の線に喩えればまさにミクロンの世界だ。しかし、現実に作業しているのは、紙やモニターの上に表されたバーチャルなシンボルを使っていた。数㎜角の集積回路チップの中の世界まで入り込む機会は少ない。不良解析の時は顕微鏡下にミクロンの針先を立てて探った。実はこれも本当の世界ではなさそうだ。回路の動きは電子の動きを見なければ掴めない。でも現実にはそんな暇なことはできない。いま、同じ事を外国人もやっているだろう。物理的に入れ物を小さくすれば入る量も少なくなる。入れる物の大きさが一定ならば。砂や水等を容器に入れる場合は、誰が入れても同じように入るだろう。形が異なる物を一定の容器に入れるのは工夫が要る。こんなところにも個性が出てしまう。部屋という容器、枠に人間を閉じこめてそこでお互いを観察するような事をチンパンジーが見たら本当に驚くだろうか。否、チンパンジーもその程度の事はやっているのかもしれない。茶道や茶の作法にはそれなりの仕来りやルールがあるのだろうが、残念ながらそのような世界にはほとんど馴染んでいない。茶室も見方を変えればバーチャルな空間なのかもしれない。近代文明により日常がバーチャルになりきっている。禅には不立文字、以心伝心という言葉があるという。以心伝心は使い古されて新鮮みを失っているようだ。不立文字は意味を伝えにくく敬遠されてほとんど使われいないのが実状だろう。「不肖の弟子」という項も参考になる。沈黙。この語も矛盾と危険性を含む。その例は至る所に満ちているだろう。本書の中に「貧乏性」という言葉が度々出てきた。SMALL IS BEAUTIFULという言葉もある。ユトリをもってこの「貧乏性」を堪能したいところだが、それがむずかしい。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)