01B_心象の足跡

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2011年10月23日 (日)

心象の足跡:庭から出てきた錆びた鉄の固まりは蹄鉄か?

2011/10/23
昨日は雨後曇り。用事で外出。帰路、買い物と給油。ガソリンの現金価格は@133であった。ギリシャの財政不安からヨーロッパ経済も不安定になっている。アメリカ国債・経済も不安定。日本も有史以来の円高、ドル安、ユーロ安で世界経済の影響を受けている。世界経済は一蓮托生、風が吹けば桶屋が儲かるというように、お互いに影響を与えあって相互依存の関係にある。世界各国も総論では安定を唱えていても、各論では自国の不利益を排する経済戦争の様相を示すようになる。日本政府も外交・内政で舵取りを誤らないで頂きたい。世界経済の先行き不安を反映してガソリン価格は連続的に低下しているが複雑な心境だ。

2011/10/22の天気

TAVE= 17.1
TMAX= 18.6
TMIN= 15.3
DIFF= 3.3
WMAX= 1.9
SUNS= 0
RAIN= 13

心象の足跡:庭から出てきた錆びた鉄の固まりは蹄鉄か?

Teitetu

先日タマリュウの改植中に、シャベルの先にコチンと当たるものがあった。それを堀上げるとU字型をした錆びだらけの鉄の固まりであった。なんだろうかと考えてようやく蹄鉄らしいと分かった。牛馬の足の裏のひずめ(蹄)にはかせる鉄板だ。これは人間の靴に相当する。マイペディアによれば西洋では9-10世紀に始まり、日本では明治以降に普及したらしい。それ以前は藁靴だったとある。「拾った蹄鉄は災いを防ぎ、幸運を招く」という言い伝えがあるそうだ。幸運の兆しと考えたい。ところで、考古学では、色々な分析考察をするのだろうが、過去の事を想像した「考過学(造語)」的に振り返っておく。我が家は江戸末期から同じ場所に住んでいるので出土した蹄鉄は我が家の牛馬に関するものだろう。残念ながら、戦前の牛馬の事は余り聞いていない。父が復員するとき、馬を一匹連れてきたという話は聞いたことがある。戦争のどさくさで、行き場を失った馬だったのではないかと思う。買ったとしても二束三文だったろう。母屋の南東の一番良い場所が馬小屋だった。多分、ここで馬を飼ったのだろう。餌は藁や草。夏場は田圃の畦の草を飼料用に刈るのが普通であった。この草を刈る場所も決まっていて、農民は自分達なりの秩序を守っていたらしい。馬がいたのは自分が幼少の頃で、馬の事ははっきり覚えていない。記憶にあるのは牛の方だ。最初は役牛として黒の和牛を飼っていたと思う。田植えの前のすきかけの役務に使った。最初は、鼻取りという牛を耕すコースに導く仕事を手伝った。ある程度体力が付いてくると、鼻取りの仕事は弟が担当して、自分は犂を操作する仕事にまわった。鼻取りの棒は牛の鼻環につないだ。鼻環は常時装着。牛を歩かせるときは鼻環に縄を付けた。鼻取りの場合は更に牛との距離をとるためか1間程度の竹の棒等を付けていた。牛に鼻環や蹄鉄を付けるのは専門業者が廻ってくるので、そういう人がやっていた。それを、遠くの方から珍しげに見ていた記憶が残っている。馬の場合その記憶がない。蹄鉄をはかせる前には、蹄を刃物で切って平にして、釘か何かで打ち止めたようだ。出土した蹄鉄にもその穴があるのではないか。耕耘機が入り、役牛は姿を消した。その後は乳牛を飼った。白黒のホルスタイン種だったと思う。2~3頭程度の小規模な酪農で、搾乳も手作業だった。乳缶という筒状の鉄缶に入れて出荷した。乳業会社が毎日集乳こ廻ってきた。この時代は中高時代で農作業の記憶は余りない。出土した蹄鉄も使い古しの物が何かの事情で紛失して埋もれていたものだろう。出土した蹄鉄も思いがけない「考過(造語)」物件ではあった。

2010年4月14日 (水)

箱庭:いとしきもの

2010/4/14

箱庭

少年の頃は忘れず縁側にひとり積木の家をつくりし
少年の日は永かりし箱庭の小さき家に心吸はれし
箱庭の橋よ鳥居よ田舎家よここにわれ住む今も折り折り

湯川秀樹著作集 7 回想・和歌。深山木 少年の頃にあった短歌である WIKIPEDIAによる

と、湯川 秀樹(ゆかわ ひでき、明治40年(1907年)1月23日 - 昭和56年(1981年)9月8日)

は、日本の理論物理学者。自分の父より一回り程長じている。湯川がノーベル物理学賞を受

賞したのが1949年であるが、自分は幼児で何の記憶もない。しかし、小学校の後半頃から

はノーベル賞の事が学校でも教えられたのではないかと思う。それ以来、湯川 秀樹に関心

があったので、博士の専門外の著作は少し読ませて頂いた。昭和萬葉集を拾い読みしてい

て、この著作集の事を思い出してページを開いてみた。今の自分の関心事の一つが自分

史。しかし、幼少の頃の事になると、当時の事さえはっきりしない。自分のことはなおさらの事

である。湯川 秀樹が、どこかで箱庭のことを述べていたような記憶がある。それを詠った短

歌が少年の頃の歌に含まれていた。博士は単に箱庭を作って遊んでいたのではなく、そこに

自分の世界を作って没頭していたようだ。自分の場合は、小さな穴だらけの火山岩のかたま

りに植え穴をあけて、そこに小さな花や木を植えて石附盆栽のような物を作った事を思い出

す。じじ臭いが、子供の遊びのモデルは、父の代ではなく祖父の代の遊びであった。庭の一

角に坪山という部分があり、そこに石積みがあった。祖父が庭いじりをした残骸であったのか

もしれない。親はそんな遊びのヒマはなかった。それは、子供のごっこ遊びというのと共通し

ていたのかもしれない。電車ごっこをすると、自分が運転手になったり、時には電車になった

りさえする。空想と現実が紙一重でつながっている世界がある。遠い少年の頃の積み木や箱

庭の遊びはいつも忘れることはなく記憶の中を巡っている。それだけではないようだ。ここに

われ住む今も折り折りと詠っている箱庭とは単なる子供の箱庭を超越しているようでもある。

博士は自分の理論のモデルを○を書いて示したという話しも聞いたことがある。博士の箱庭

も何かの象徴のように思える。上に引用した歌から、積木遊びも、箱庭遊びも一人で忘我の

境地で熱中しているように感じる。博士は日常は物を研究しているのだから、歌はその研究

から離れた情意を対象にしてると述べている。確かに今日は、知情意という人間の精神作用

で、知が最優先である。しかし、知の変化はめまぐるしい。情意は脳の古い部分に相当する

らしく、激変することはなく長期間の安定を保つ。そうして、歌で情意の部分を活性化させる

のは知の部分とバランスをとる効果もあるのではないかと思ったりする。今日では情意すら

古くなって、感覚第一の時代になってしまっている。

今日もまた空しかりしと橋の上にきて立ち止まり落つる日を見る

これは、深山木 籠居(こもりい)にあった短歌である。大抵の人は仕事がうまく行かず挫折

感を味わった経験はあるだろう。詞書きに物理学に志してとある。ここで、歌を詠うと言うこと

は現実から一歩退いて心情的な表現という行為にチャンネルを替えたようにも見える。仕事

が空しかったといえども、橋の上にきて立ち止まり落つる日を見るという行為を歌にする事で

そのピンチを乗り越えられたのだろう。

2010年2月 4日 (木)

捨てる技術

2010/2/4

捨てる技術

物余りの時代に入って、有限のスペースが一杯になれば、それ以上の物を入れるためには

何かを押し出さなければならない。これは、自明のように感じる。しかし、地球的規模で見れ

ば、あるところの物が他の場所に移っただけで増減はない。終戦後の物不足の時代に育っ

た自分にとっては、形があるものは何らかの価値があるように見えてそれを捨てるにはとま

どいがあるのは事実である。マニアの中には捨てられて残りにくい物を収集している人もいる

ようだ。ともかく、人間が作った物でも人間に見放されてしまうと消滅の運命に直面する。そ

のなかで、一番哀れなのは自分の寿命の一部を裂いて作った物(情報も含まれる)であろ

う。これは大抵同じ物が二つとない。そんな訳で子供の作った工作や絵はできるだけ残して

おこうとしている。その作った本人がそんな物は残さないでくれと言われるとジレンマに陥る。

作られた作品は単なる物ではなく、貴重な時間を費やしている証拠物件でもある。物を大切

にする事はそれに要したエネルギーX時間の価値を認識する事に結びつくと思うのである。

大量に作られる工業製品も農産物も芸術作品もすべてエネルギーX時間という価値を背負っ

ているのである。人間の寿命の上限が120才位とすると、約100万時間に相当する。有効に

使える時間はその1/3程度で約30万時間が上限ではないか。自分が作った資料を入れた

USBメモリーを紛失してそれが時間の缶詰のような感じがして残念に思った。しかし、片づけ

物をしている時に、散らばっているがらくたの中から出てきた。これにはホッとした。がらくた

と一緒にくず箱に直行していた可能性もあった。幸い、そのスペースは自分の聖域で捨てる

技術も貧弱であった。捨てる技術より、探す技術、使い回す技術の方が自分の性分に合って

いるような気がする。それにも限度があるのだが。ともかく捨てる技術云々という本が脚光を

あびるのは、一種の文明の病理現象のようにも思える。そもそも一部の物を除いて、使用済

みのものの行き先が決められないまま先に作った者勝ちの世界が現在も続いているのであ

る。残念だが、不要になり排出された物の処分にもエネルギーX時間というコストがかかる事

である。

2010年2月 3日 (水)

けんかのやり方

2010/2/3

けんかのやり方

平和の時代にはけんかという行為は何かと疎んじられている。父は勝てば官軍負ければ賊

軍という言葉を漏らすことが良くあった。自分はその言葉に反発を覚えた。しかし、物事の実

態を見るとそれは否定しがたい真理性をおびていたのも事実である。一番単純なけんかは

物の奪い合いだろう。もののやり取りということになるとそこにルールが現れる。結局ルール

のない争いをけんかと言うのかもしれない。昭和という時代にはデモ、ストライキ、学園闘争と

いう社会的な闘争も頻発した。これも一種のけんかかもしれない。そう言えば、けんかのやり

かたについての本もあったような気もする。調べて見ると、太田薫元総評議長の著書にけん

かのやり方と言うのがあった。自分にもけんかの思い出がいくつかある。一つは少年時代の

けんかである。原因はすっかり忘れている。大抵はおとなしくふるまっていたが、なにかのき

っかけで取っ組み合いのけんかになり、殴り合ったり、ひっかき合ったりして鼻血も出した。

子供心にも危機感を感じたけんかで、ようやく五分五分の引き分けで終わった。相手が自分

より強いと思っていたので意外な結果でもあった。本気でやれば強いのかもしれないと思っ

たことであろう。もう一つは社会人になってからの仕事上のけんかである。これもその原因が

よく思い出せない。要するに技術者の信念が衝突した結果がけんかの原因だったかもしれな

い。結構激しく対立したが、大人の分別が働き、けんかが何の役にも立たないことをお互い

身にしみたのか、その後はつき合いが親密になったような気もした。そうして、連名で特許を

出願した事もあったように記憶している。この特許の実用化も量産の前にで没になったが、

けんかとは別の判断の結果であった。太田薫氏と言えば太田ラッパという言葉も思い出し

た。ともかく、衆人の見守る中で正々堂々とけんかをやるのもけんかの基本ルールのように

思える。ところが、最近はだれが、どこで、本気でけんかしているのか見えにくくなっているよ

うな気もする。人間も社会も大人になりすぎたのか。確かに、けんかには若気の至りという側

面もあるのだが。時と場合によってはアドレナリンが分泌する程度のけんかはお互いの脳を

活性化して、けんかの後はその始末をするような努力も生じる。けんかにもプラスの側面が

ある。こういう、人間が長い生存闘争という中で獲得したけんかの効用を封印するのもなに

か勿体ないような気もする。

2010年1月28日 (木)

野口英世

2010/1/28

野口英世

野口英世の伝記は子供の頃に読んで感動を受けた。多分。しかし、いつ頃か思い出せな

い。やはり伝記は人物の歴史を綴るものなので、そういう内容に興味を持つ年頃の事であろ

う。火傷を負って、それを克服し、医学の道に志す。立志伝として知っている程度である。い

つか、じっくり見てみようと中古ビデを買ってある。一度見たこともあるのかもしれないが、そ

れも忘れてる。タイトルも「遠い~」しか思い出せない。早速、検索。「遠き落日」であると思い

出す。自分が興味を持つのは、記録も記憶も残りがたい人生の初期と晩期のことである。こ

の部分はもはや社会としては余り関心を寄せる部分ではない。しかし、かけがえのない人生

を送ってきた一人の人間としては個人史の重要な部分を占めている。結局、第三者が歴史

上の個人の内面を知ることは本来不可能なのであろうか。技術の現場ではいろいろなデータ

をとる。それをグラフにプロットする。そうして、その点列に近い曲線を引く。ようやく、そのデ

ータの全貌が見えてくる。出来た曲線の両端をどのように処理していたろうか。新入社員の

頃、曲線の両端を無闇に伸ばさない方が良いよと先輩がアドバイスしてくれたのを覚えてい

る。データの無い部分はあくまで推測に過ぎないのである。データの無い、両端からさらに測

定範囲を広げると実用性は余り無いが興味ある現象が現れてくる。物事は大抵あるパラメー

タ値に関して、それ以下では使えない、それ以上では壊れるという特性をもつ。動作する限

界があるのだ。今思うと、勝手に推測で伸ばした曲線の部分に動作しない領域が入っていた

場合もあり得たという事である。ともかく、育児に十分な手が掛けられない場合、昔の人は

色々な知恵を絞ってきたのであろう。意外にそのような知恵を我々は教わったり、体験したり

する事が少ない。最近、この本を育ての母に捧ぐという献辞を巻頭に記した本に巡り会った。

大部の本でそれを出版するのには大変な苦労があったと偲ばれる。専門外の本であるが充

実した内容で大変お世話になった。むしろその献辞に励まされて読んだ法律書であった。そ

の労作を育ての母に捧げたという事は育ての母の苦労はそれにも増して有り難かったから

であろう。そうして、その育ての母がいなければ、この本も無かったと言外に語っていたよう

に思い、自然に涙がこぼれた。

2010年1月24日 (日)

2010/1/24

禅の神髄は不立文字ということで言葉より実践を重んじるようである。目前の小さな悩みから

人生の覚りまで禅に関係する事は多々ある。自分も一時期、禅に興味をもった事があった。

具体的にいつ頃のことかはっきり覚えていないが、漠然とした不安や悩み事があった頃かも

しれない。座禅も組んだ。一方ではヨガの本も読んだ。呼吸法というのもあり、その関連書も

読んだ記憶がある。結局長続きはしなかった。しかし、無心になるという訓練も、時には上司

のお叱りを受けるとき等は役にたったのではないかと思う。最近、あるひとから、青い物を見

ると気が滅入るよなう一種のノイローゼ状態になり、禅寺で座禅をしようと出かけた時の話を

聞いた。その発端が、菜っぱに付いている青虫が蝶になるのであるが、そのような状況が自

分の心理状況に全く合わなかった。その青虫と青い物が結びついてしまったようだ。駅で下

車すると、同じ寺に向かう人がいて、タクシーで行くので一緒に行かないかと声を掛けてくれ

たとの事であった。いざ、寺に着いてみると、講演があり、同乗者が有名な学者であり、

講演も素晴らしかったが、座禅をして警策で打たれるとはっと1mも飛び上がったような感じ

がして悩み事はすっかり無くなってしまったとのことである。眼前に見えた青い物が、何かの

不安の象徴であったのかもしれない。それが、一瞬にして消えるという事は啓示を受けたと

いう事だろうとかみさんの一言。どうして現在の道を進む事にしたのかを聞いたときの話であ

った。何か大きな物を押し上げようとしているが、最後の土壇場で立ちすくんでいる場合は結

構多い。決心、決断、悩み事も同じかもしれない。いま一歩まで熟しても最後のトリガーがか

からないので押しつぶされる場合もあるだろう。困った時の読書で、相手を代えろというのが

あった。心理の無限ループを断ち切ることも大切なようだ。それ自体が最後の一押しなのか

もしれない。

2009年12月25日 (金)

ペット

2009/12/25

ペット

幼少年時代に動物と親しむことは子供の成長に多くの影響を与える。幼少年にとって人間の

生死に直面する機会も少なくその意義を知ることは非常に困難である。しかし、身近な動物

の生死に遭遇することは多いだろう。寿命が比較的に短いペットはとくにそうであろう。自分

の幼少時代は、幸い身近な所に色々な動物がいた。従って、今日のペットの類にはあまり縁

がなかった。当時の大人には野鳥を捕獲して飼ったり、カナリヤを飼っている人がいた。ま

た、ハツカネズミを飼っている人もいた。ハツカネズミが運動用の車をくるくると回しているの

をうらやましく見たこともあった。当時、自分が飼っていたのは、ひょうたん型をしたコンクリー

トの池に川で捕ってきた鮒などであった。この池もいつしか取り壊しになってしまった。社会人

になってがむしゃらに働いている自分の姿をあのハツカネズミが車を回している姿に重ねて

見た事もあった。結局、手間の掛かる家畜類はいなくなり、かろうじて雑種の猫を飼うくらであ

った。子供に買い与えた最初のペットはハムスターであった。飼育箱は金網を張って自作し

た。その後、息子達は自分なりに熱帯魚に凝っていた。娘は野良犬を拾ってきた飼った。そ

の中で、動物を飼う気持ちを起こし、いくつかのペットの生死を体験してきた。最近、厚生省

官僚OBが殺される事件が起きた。動機については必ずしも明確ではないようだ。幼少年は

大抵、ペットのような動物でも殺してはいけない。まして人間は絶対殺してならないとさとされ

るのが普通であるだろう。野放しにされたペット類が捕獲され殺される事にはやはり何らかの

矛盾を感じるのも普通人の感覚であろう。人も社会も病んでいるので殺人が起こるのではな

いかとふと思う。人間に危害を加える存在を撲滅すればその憂いは永久に無くなる。しかし、

そんな事が現実に可能なのか。NET上に以下の犬猫の殺処分数のデータがあった。

平成19年度
          犬猫合計殺処分数    犬殺処分数     猫殺処分数
  全国    310,457                100,963          209,494

最近、九州大学生体解剖事件というのを知った。これは、戦時下に死刑を宣告された米兵

捕虜を生体解剖した事件であるという。大義名分は戦争医学に寄与する事であったようだ。

この事件は戦時下の特殊な状況で起きた。今日の犬猫の殺処分はガス室で密かに行われ

ているようだ。犬猫の殺生マシーンが確実に稼働しているのだろう。無機的にガス室に送ら

れる犬猫を小中学校に回し、給食の残飯で飼って、動物教育の一環としてはどうか。新規に

送り込まれた犬猫で飼育能力が満杯になったら、ガス室に送るか生かす方法を皆で考えさ

せる。きれい事でない生命教育が可能になるのではないか。ガス室に送り込まれる運命の

犬猫も犬死にせずに済む。

2009年11月18日 (水)

パンドラの箱

2009/11/18

パンドラの箱

小学校頃の国語の教科書の教材であったと思う。これを劇にして、箱から色々な悪役が飛び

出したような記憶がある。WIKIPEDIAによると、ギリシャ神話の一つであるようだ。パンドーラ

は人類に災いをもたらす為に、神が作らせた女性。女性が災いの本であるとは皮肉な神話

ではある。パンドラの箱とはその災いの象徴のように思われる。神々は開いてはいけないと

と因縁を含めて、中身の分からない箱をパンドーラに与えたのである。これは人間の心理の

裏をつき興味をそそる設定ではある。鶴の恩返しの昔話を思い出す。見てはいけないと言わ

れるとつい見たくなる。開けてはならぬと言われれば開けたくなるのが人情だ。禁止はするが

箱の中身は教えない。結局、誘惑に負けて箱を開けてしまう。リンゴを食べてしまう。障子を

開けてしまう。ブスを舐めてしまう。同じようなパターンかもしれない。その箱からでてきたの

が色々な災い。劇から考えると箱の大きさは人間が入れるこおり程の大きさと思っていた

が、女性の持つ手箱程度の大きさのように描かれていた。災いは抽象的なもので箱も正体

を隠すシンボルに過ぎないのだから大きさにこだわる事もないだろう。箱を開けたら災いが

外に逃げ出してしまった。その事に気づいて蓋を閉めたら既に手遅れで、箱の中に残ったの

は希望であった。希望が災いであるならば開けるなという趣旨と矛盾するように思う。箱の中

に希望を幽閉したというのも納得できない。最後に箱の中に残った一片は何かという議論に

は興味がある。しかし、それが何かを詮索するよりも、災いのもとになる多くの要因が人間世

界に氾濫して、それが人間を誘惑しているという事であろうか。ギリシャ神話は本来現世肯定

的であり、教条的な解釈が加わったのは後世になってからであるという見方があったように

思う。希望が手箱の中に残っているから安心しなさいという説話ととるか開けてはならないと

言うからには中には何か好ましいことがあるぞという想像話ととるか。結果は箱を開けてしま

った。神話から現実の人間世界の話に戻ったのである。希望という妄想に捕らわれるな。現

実を直視し、災いはいたる所にあるがそれを避けて現実を享受せよという見方も成り立つ。

一方、災いの為に遣わされたパンドーラ、そのパンドーラに与えられた災いの予感の詰まっ

た箱の中の一片を残して飛び去ったという事はパンドーラに残された災いは最後の一片だけ

という見方もできる。即ち、パンドーラは箱を開いた事により、娑婆世界には多くの災いがあ

るが、心(箱)の中から見れば大方の災いから解放されたととれないか。この最後の一片と

は希望なのか絶望なのか興味が湧く。ともかく、箱は開けるためにある。謎は箱を完全に開

ければ解ける。しかし、一度開かれた箱は既に閉じられている。最後の一片は人間に残され

た謎かもしれない。

2009年10月24日 (土)

海の記憶

2009/10/24

海の記憶

エディターで編集が終わろうとしていた頃にWIN-MEの画面が固まってしまった。オートセーブ

していた筈だが再起動時に記録は見つからなかった。BLOG画面での編集はどうも使い勝

手悪いのでエディターで編集後に貼り付けていた。テーマは学生時代に読んだ短詩を思い出

せないので、探し出す事。ともかく、みつけられたのは本日の成果。

Mon oreille est un coquillage
Qui aime le bruit de la mer.
私の耳は貝の殻
海の響をなつかしむ   (堀口大學 訳)

<「なつかしむ」は、原詩ではたんに aime (好き)という単語なのですが、これを「なつかし

む」と訳したところが、堀口大學氏のすばらしいところです。>と空っぽの皿さんのBLOGを参

照させて頂いた。ON LINE辞書でcoquillageを引くとこれが貝の事。二枚貝、巻き貝も表すよ

うだ。余り多くファイルを開くとフリーズする。WIN-MEの欠点らしいがそれと仲良くつき合わざ

るを得ない。それにしても、直前の記録を失うのもつらい。貧弱なパソコンではフリーズも楽し

みの一つにしなければならない。RAMは192Mで増設したら効果が上がるのか。

2009年10月23日 (金)

遠い記憶

2009/10/23

遠い記憶

サラリーマンの頃か学生の頃か全くいつの事か思い出せない。しかし、電車で通勤通学して

いた頃の記憶である可能性が大きい。電車を使うのはそれ以外もあるので別の可能性もあ

るが。ともかく駅のベンチでそれとなく本を読んでいた。もう40~50年も前の事と思う。ある人

が本をのぞき込むような格好で話しかけてきた。俺は(日本で初めて)飛行機に乗っていた徳

川というものだよ。しっかり勉強し給えと言われて去って行った。本当に短い間の出来事であ

った。詳しいことはすっかり忘れている。俺と言ったか、日本で初めてと言ったかも定かでは

ない。しかし、飛行機乗りの徳川と言う人が駅のホームのベンチで読書をしている青年に激

励の声をかけてくれたのは事実である。漠然とした記憶であるが、飛行機乗りの徳川と言う

人が何人もいるはずもないし、別の人がわざわざそう名乗って立ち去ることもなかろうと思っ

ていた。ずっと記憶の片隅に残っていた不思議な体験であった。WIKIPEDIAで調べると「徳

川 好敏(とくがわ よしとし、1884年(明治17年)7月24日 - 1963年(昭和38年)4月17日)

は、清水徳川家当主で、日本陸軍の航空分野を主導した軍人である。陸軍中将。男爵。

1910年(明治43年)12月19日午前、軍公式の飛行試験で日本国内で初めて飛行機により

空を飛んだ。」とある。自分の記憶も徳川 好敏氏の生存期間と重なると思うのだが時間感覚

が余りにも漠然としすぎている。何十年も記憶の片隅に残っている体験はそれなりに有意義

なのだろう。本当に徳川 好敏氏に会ったのだろうか。

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みかん栽培関係情報

ISESAKI  有情2

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嗚呼 伊勢崎 非情

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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MEMO 海外の博物館・美術館

  • https://www.artic.edu/collection?place_ids=Japan&page=6
  • 項目のタイトル2
    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
  • TYPE LIST事始め
    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)