09D_かみつけ女流歌人 雅 観賞

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2011年3月24日 (木)

かみつけ女流歌人 雅:ひとりの世界

2011/3/24
放射性ヨウ素が各地の農産物、東京都の水道水から検出されて大問題になっている。放射性ヨウ素は半減期が1W余りだから少し辛抱しろという事なのだろうか。セシウムの半減期は数十年と長い。放射性セシウムが原発から拡散すると、検出された地域の今生きている人は生涯その影響を受け続ける事になるだろう。測定したデータは全て公開すべきではないか。原発がばらまいた放射性物質が野菜農家、販売店、消費者に与える悪影響は計り知れない。誰もがヨウ素だけがばらまかれていると考えていないだろう。隠している事がたくさんあるのではと疑っているからパニックが起こる。安全のためと気楽に摂取禁止を発令してするだけで、その影響を考えないのだろうか。安全と言うなら自ら現地に行って自らその野菜を食べてその正しさを証明して貰いたいと誰もが思っているだろう。それが、過去の流儀ではなかったか。トップの姿が見えない。政府も東電も。謝罪訪問を拒否されているのも現実だ。許せない、許せない、許せないという声が聞こえてくるように感じている。

昨日の天気

TAVE= 6.2
TMAX= 9.4
TMIN= 2.2
DIFF= 7.2
WMAX= 7.9
SUNS= 10.1
RAIN= 0

身辺雑記:東北電力と東京電力の比較

東北関東大震災で電力供給の二次的被害が発生している。東京電力は原発が停止してその供給力が逼迫して計画停電の実施を余儀なくされている。それでは、被害が最も集中している東北電力の状況はどうかと気になった。東北電力が計画停電を始めた直後だったか、雨天で水力発電の発電量が上がったので予定の計画停電は中止するというニュースを聞いた事がある。東北電力の場合、地震の被害で電力を使えないという事情もあるかもしれないが東京電力ほどの逼迫はなさそうな印象を受けている。当然東北電力の原発も停止しているが、原発の比率が低いのだろうか。

東北電力のホームページを覗いて見ると、平均需要、想定需要、実績需要(速報)として、計画停電の根拠となるデータをホームページで開示している。東京電力のホームページの作成姿勢は出来るだけ見せたくないという雰囲気が漂っているが、東北電力のホームページはできるだけ見やすいように心がけているとそのホームページ作成コンセプトを述べている。情報開示も進んでいるように見受けた。また、風力発電、太陽光発電等環境面にも配慮した取り組みをしている事が窺えた。(リンクは控える:東北電力 ホームページでGoogle検索)

原発冷却装置のバックアップ電源で大問題を起こした東京電力であるが、東北電力の送電線が福島第一原子力発電の近くを通っているにも拘わらず、それを利用しなかったのは単にお殿様の面子だけだったのだろうかと今になって感じる。原発事故の初動対応は寸刻を争う。放射能が拡散してからでは、被曝を考慮するため作業効率は落ちる。東北電力の送電線からバックアップ電源を引いておく事も可能であったのではないか。

朝日新聞のNET記事によると、東京電力の供給電力の逼迫は今年の夏だけでなく来夏まで及ぶと報じている。公平という美名の本、当初輪番停電と呼ばれていたが、それはすでに死語になったのか。東京23区は計画停電から除外されているのも、計画停電の恣意的な性格を示している。地区割りによる停電時間の不均等も指摘されている。長期的な停電が続くと想定されているのだから、その基礎データを開示して、利用者が納得できる停電を実施すべきである。

風の男 白州次郎(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/02/2000-114b.html)は公職を退いてから、東北電力の会長も務めたようだ。白州次郎に関しては山口増海氏のblog
http://www.iax.co.jp/subscriptions/impressions.htmlに記事があった。企業のDNAについても参考になる記事があった。東北電力は白州次郎のDNAを引き継いでいるのだろうか。ともかく電力会社は国家の基幹産業だ。その存在理由、社会的責任は自ら厳しく受け止めその実現に全力投入すべきである。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:ひとりの世界

歌題=ひとりの世界:

■点訳を 修羅の如くに 打ちつぎて 浮かび来る執念(しゅうね)き 棟方志功 52 菅井 しも

高齢でも人には負けじと点訳に執念を燃やすと、極度に視力の乏しい板画家棟方志功の仕事の姿が目に浮かんでくる。

追記:WIKIPEDIAで調べたら棟方志功は青森県の生まれ。

2011年3月23日 (水)

かみつけ女流歌人 雅:陶の鉢

2011/3/23
昨日は雨後曇りで寒い一日。夜は計画停電。福島第一原子力発電も外部電源の接続が終わり、少しだけ明るさが見えてきた。現場で放射能の被曝覚悟で必死に復活作業する多数の人々がいることを忘れまい。

昨日の天気

TAVE= 6.4
TMAX= 7.8
TMIN= 4.9
DIFF= 2.9
WMAX= 3
SUNS= 0
RAIN= 9

多くの批判を浴びて、ようやく福島県駐在を決めた東京電力の鼓副社長が、原発設計における地震・津波等に対する条件設定(追記参照)が甘かったと認める発言をしたと、本日早朝のNHKニュースが伝えた。計画停電で早々に寝てしまったので、この早朝のニュースが聞けた。NHKはこのニュースを誰もが聞く時間帯にも流すのだろうか。知りたい人が耳を傾ける時間帯にニュースを流すのが報道機関の責任だと思う。また、東京電力はほうれんそう、かき菜が規定以上の放射性物質を含むので出荷停止された件については損害補償をするとも報じられた。疑問なのは、なぜはほうれんそう、かき菜、牛乳等測定して規定値を超えた農産品だけなのかという事。スギ花粉と放射線物質はその飛散形態は非常に類似しているだろう。要するに発生源から物理的条件に従ってどこへでも飛散するのだ。政府が発表した食品を除外すれば安全かと言えば完全にNOだろう。政府が言わない部分で暗黙的に言っている事は、放射能で汚染された農産品を食べたかったら自分のリスクで勝手に食べろという程、国民や農民を侮辱した言い方ではないか。政府は責任をとらない、損害補償は東電にさせる、かっこうの良いとこだけは政府が頂くではだれも納得できないだろう。政府は先ず、日本中の放射線物質の汚染度データを収集して、それを汚染地図として日々公表すべきである。ピンポイントのデータではいくらでも言い逃れが出来るのだ。これがまず政府の行うべき責任である。放射線物質は食品として体内に入り体内被曝するだけではなく、屋外にいただけでも人だけでなく全てのDNAを持つ生物を被曝するのである。政府がしている事は国民を見殺しにして自分だけ助かるというような人倫にもとる行為ではないか。

身辺雑記:リフレシュ休暇の東北旅行

在職中、会社から永年勤続表彰としてリフレシュ休暇と旅行券を頂いた。夫婦で旅らしい旅をしたのは新婚旅行とリフレシュ休暇での東北旅行程度だ。なぜ東北方面に決めたのかはっきりした記憶はない。宮沢賢治や遠野のイメージが作用したのは確かなようだ。東北関東大震災が起き、今になって改めて東北地方の旅の記憶がよみがえってきた。

こんなメールがディスクに残っていた:「y2tmt。今晩は。○○のメールは読んだ。しっかりやれて安心。大学にもメールを送る。リフレシュ休暇の東北旅行は今日修了(終了)。21:30頃帰宅した。お婆さんも元気で、皆も無事で何よりだった。◎◎も一人で暮らせたのでいつか役に立つだろう。それでは。01/04/XX 22:16。」丁度今から10年ほど前のことであった。

朝7:30頃家を出て鉄路東北に向かい、新花巻で観光タクシーに乗り、宮沢賢治記念館、遠野博物館を見学し、陸中グランドホテルに着いたのが17時頃であった。ラジオ・テレビの今までの報道では釜石市の被害が大きくて行政機能も麻痺しているようであった。しかし、東北旅行の事は思い出さなかった。更に記憶を辿ると、チェックイン後町中を散歩、翌朝も魚河岸や山の中腹の神社等を廻った。四月の末でウグイスの声が聞こえた。東北地方太平洋沖地震の大津波で釜石市の市街がこれほど大きな被害を受けるとはゆめ思わなかった。WEBで調べると陸中グランドホテルは7階のビル。今、どうなっているのだろうか。

釜石をNET検索すると、「釜石市動く津波ハザードマップ公開サイト(http://dsel.ce.gunma-u.ac.jp/simulator/kamaishi/)」というのがあった。そこには、「釜石市動く津波ハザードマップは、群馬大学工学部 片田研究室(災害社会工学研究室)が開発を行っている 津波災害総合シナリオシミュレータを利用して作成されています。津波災害時の災害情報の伝達や住民の避難に関するシナリオを設定することで、 そのシナリオに基づく人的被害の発生状況をアニメーションによって見ることができます。様々なシナリオを実行することで、地震発生時の避難タイミングや災害情報の伝達タイミングが、 津波災害によって発生する人的な被害規模にどのように影響を与えるか分かりやすく把握することができます。」と述べられていた。

《釜石湾津波氾濫アニメーション》では、
「このアニメーションは、明治三陸地震と同規模の地震が発生した場合を想定した、釜石湾における津波の氾濫解析結果を立体的に表現したものです。津波が発生した際の状況をわかり易く把握することができます。このアニメーションは、岩手県より提供していただきました。」と述べていた。視点を湾の奥の高台に置いて、津波が襲ってくる様子を確認できる。
明治三陸地震については以下のWIKIPEDIAの記事参照:

********************************************
WIKIPEDIA:明治三陸地震(最終更新 2011年3月19日 (土) 15:11 )によると、
本震:
「発生日 1896年(明治29年)6月15日
発生時刻 19:32:30
震源の深さ km (記入無し)
規模    マグニチュード(M)8.2~8.5
最大震度    震度3程度:
津波 綾里湾(現・大船渡市):38.2m
地震の種類 海溝型地震

被害 :
死傷者数 死者:2万1915名
行方不明者:44名
負傷者:4398名
被害地域 北海道から宮城県までの太平洋沿岸 」
とある。
********************************************
ラジオで聞き流していたので記憶は確かではないが、釜石市動く津波ハザードマップ作成の関係者だったと思うが、今回の東北地方太平洋沖地震の規模が作成当時の想定規模を遙かに上回っていた述べていた。明治三陸地震は震度に比べて津波の被害が非常に大きかった地震のようだ。ともかく、地方自治体と大学がこのような地道な防災対策の研究を行っていた事実について記憶を新にすることも、今後の防災対策をより強固にする手がかりになると思う。天災の本当の怖さは被害を受けた本人が一番良く知っている。その体験を機会ある毎に語り継いで行く事が基本的な防災対策になるのだと思う。

追記:福島第一原子力発電設計時の津波の想定は土木学会の標準値を採用しているとする記事をWEBで読んだような気がする。それによると6~7m台だったろうか。東京電力は壁の痕跡から12mを記録していたと発表していたが、その後14mの記録もあったと修正した。実際の津波云々で責任問題を回避する事は不可能であろう。教科書的な設計は標準値で済むとおもうが、本設計はあらゆる場合は想定して設計しなければならないのが原発ではなかろうか。明治三陸地震の津波という歴史的事実は設計に反映されていたのだろうか。そこが知りたい。この東北関東大震災を客観的に見直しができる頃になったら、是非この辺のことを公表して頂きたい。福島第一原子力発電を設計した技術者も上からのコスト圧縮と自分の技術者としての判断とのジレンマと闘った結果が現在の姿だったかも知れない。それを密かに墓場まで持っていくのは余りにも勿体ない。

追記2:前記WIKIPEDIAの津波の部分に津波の高さの記事があった。:

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明治三陸大津波

大津波の第一波は、地震発生から約30分後の午後8時2分に記録されている。到達した範囲は北海道から宮城県にわたった。

波高は、北海道襟裳岬では4m青森県三戸郡八戸町近辺(現・八戸市)で3m、宮城県牡鹿郡女川村(現・女川町)で3.1mであったが、岩手県三陸海岸では下閉伊郡田老村(現・宮古市)で14.6m、同郡船越村(現・山田町)で10.5m、同郡重茂村(現・宮古市)で18.9m、上閉伊郡釜石町(現・釜石市)で8.2m、気仙郡吉浜村(現・大船渡市)で22.4m、同郡綾里村(同)で21.9mと軒並み10mを超える高さを記録している。 

特に綾里湾の奥では入り組んだ谷状の部分を遡上して、日本本州で観測された津波では最も高い波高38.2mを記録した[2]。」歴史から学んでいれば今回の津波による原発事故は回避できた可能性もあったのか。
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以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:陶の鉢

歌題=陶の鉢:

■わが夫よ 楽しき第二の 人生に 発ちませ心の 糸をゆるませ 45 椎名 喜代子

楽しき第二の人生に発ちませと彼岸への安らかな旅を願っている挽歌。

2011年3月22日 (火)

かみつけ女流歌人 雅:小夜しぐれ

2011/3/22
雨の中を墓参した。福島原発の放射能がきにかかる。

昨日の天気

TAVE= 9.2
TMAX= 14.3
TMIN= 6.4
DIFF= 7.9
WMAX= 4
SUNS= 0
RAIN= 12

身辺雑記:石油と電気に呪縛された文明

停電の無い日がが3日も続くとホッとする。祖母の話によると、電灯が自宅に点灯した時、当時小さな子供だった父がぱっとついたぱっとついたと喜んではしゃいだとの事だ。その話から推定すると電灯が農家にまで普及したのは大正10年代ころかもしれない。当時の電気の用途はほとんど電灯だけだったのではないかと思う。丁度この頃、松下幸之助が二股ソケットを考案したようだ。当時電気料は電力計は多分無かったので、電灯の数等で決められた定額料金だったのだろう。電球の代わりに二股ソケットを付ければ二倍の電気が使えたのか。ともかく、電灯以外に電気を使う手段を二股ソケットが提供してくれたのは事実のようだ。戦時中は物資の欠乏時代。終戦直後は生活が安定すると電力の用途は広がった。終戦直後は米麦の脱穀は足踏み脱穀機を使った。これは各農家にあったようだ。その後動力脱穀機が導入された。モーターや脱穀機が高価なので最初は共同購入・共同利用であったようだ。風呂も一時共同風呂というのがあった。最近聞いた話では、風呂を沸かすのは電熱器という事であった。電気料はどうだったのか定かではないが月極だったかもしれない。受電はどうするかという点では導線をかぎ型に曲げて引っかけたようだ。これはスイッチを省略した暫定的な処置だったかもしれない。電気は動力、熱源等で使われるようになる。その後は真空管ラジオ等の電子機器も普及してくる。更にその後は、電子化が進み今日の電気万能時代を迎えた。オール電化もここ数年多く普及してきた。電気を使う立場では原子力発電まで気にする必要もなかったが、いざ原発事故の危険性を知ってしまうとその末が恐ろしい。

電気の良いところは発電部と負荷部を切り離し導線で結べば、瞬時にエネルギーを送れて、負荷を多数設置できる点だろう。欠点は電気エネルギーを簡単に貯蔵するのが非常に困難なことと導線が切れればエネルギーは電送できないこと。発電機が止まっても、導線が切れても電気設備は単なる箱になってしまう。今回の原発事故もこの電気の利点の裏返しの欠点が現れた。更に原子力発電はその燃料部を非常に制御しにくいウランやプルトニウムという核物質に頼っている。ウランやプルトニウムという核物質を安定に保つ為にも冷却装置等が必要になる。その冷却装置等も電気で動いている。

原子力発電を安全・安定に稼働させるためには核反応の監視と制御とその機能が働かなくなった時のバックアップが不可欠になる。安定に電力を供給するためには需要1に対して能力が1の発電機2台を50%の能力で動作させて、万一の事故の時能力を100%まで上げるような方式にすれば停電のリスクは相当低減するだろう。しかし、贅沢な使い方という見方もあるだろう。万一の事故の場合のバックアップシステムについては、常時使わないシステムに対してどれだけのコストをかけるかという問題になるのかも知れないが、何重かの安全対策がとられていたのだろうか。ハード的な対策は当然として、緊急事態に短時間で適切な処置をするという現場で作業する人間の教育・訓練等のソフト面の対策は必要十分だったのか。

原子力発電の場合、原子炉が停止しても、再度原子炉が稼働状態になる再臨界という危険が付きまとう。これを阻止するのがバックアップシステム体制なのだが、今回の原発事故でこのようなリスク低減対策の説明がほとんどされていないように感じる。また、臨界というJCOで起きた臨界事故の教訓もほとんど報道されていない。東京電力福島第一原子力発電の1~3号機事故の危険度がレベル5と評価されているが、現実の方が遙かに進んだ後になし崩し的にレベルが変更されただけのようで、このレベルには近隣住民だけでなく多くの人々が不安を持っていると思う。

東京電力の原発事故で計画停電という計画的でない停電が4月末まで続くと報道されている。この「4月末まで」に具体的な裏付けがあるのかまだ納得できる資料を見ていない。事故を起こした原発の早期稼働は絶望的だろう。夏期はエアコン等で電力需要が年間のピークを迎えるだろう。極めて原始的だが、夏の暑さをエアコンでなく、ゴーヤやヘチマで日照を遮る緑のカーテンで乗り切るのも良いだろう。東北関東大震災で被災地以外でもガソリンや灯油の不足が際立った。石油文明も地球温暖化というもう一つの世界的大異変の要因を日々積み増している。あれもない、これもないという情報があらゆる所に飛び交った。こんな状態で持続可能な社会は本当に可能なのか。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:小夜しぐれ

歌題=小夜しぐれ :

■音も無く 心を濡らす 小夜しぐれ 世をへだてたる 人に逢うふべく 12 飯塚 アヤ

死別した夫や息子、親族等の事を詠った歌の総まとめのような一首で無常観の中にも一筋の希望をみる。

2011年3月21日 (月)

かみつけ女流歌人 雅:「山峡の雪」

2011/3/21
環境雑録:大天災と食料の安全保障

昨日の月齢は満月であったが、夕方より雨となり満月は姿を現さなかった。自然が東北関東大震災に配慮してくれたかのようにも感じる。しかし、雨や雪に含まれる放射性物質の怖さこそ現実になりつつある。被災地で作られた農産物が今後どうなるのか憂える。既に、行政的にはコメの作付け調整に入っている。日本の水田は米の需要に対して余力がある。生産過剰は米価の下落を招く。そういう論理で現在も減反政策は続行している。これを生産調整という美名で隠す。東北地方の震災で米の作付けも不確定要因が加わった。それに加えて今年の夏が冷夏だった場合は、また悲惨な状況が発生する怖れもある。農業の個別所得補償政策はコメ以外を作らせようとするが、日本の水田はコメを作るために千年以上かけて作られてきた食料生産体系なのだ。食料安保の基本ではないか。一方、日本の食料の自給率はカロリーベースで40%程度と自国が独立して生きられる食料を確保していない。万一の時他国に頭を下げて物乞いをしなければならない。衣食住を独立してまかなえる事が政治の全てであり、それが国民が自尊心を保てる最低の保証なのである。東北地方の被災地域でのコメの作付けは可能なのか。コメの生産は山間地より平坦地が適す。地震、津波の被害地に重なるのだ。

本日は春分の日。待ちに待った春到来であるが、被災地の人々にとっては墓参りのゆとりもないであろう。しかし、どこにいても祖先に向き合う事は出来る。東北地方は大規模の飢饉に耐えてきた歴史を持つ。こういう難局の時こそ、祖先の微かな声に耳を傾けてみたい。その声が耳に届けば今日の難局を乗り越える勇気を与えてくれるのではないか。旅の思想家と呼ばれ、群馬に生まれた高山彦九郎はその飢饉の様子を記録に残している。改めて、人知を越えた天災を振り返った。
読みかじりの記:(高山)彦九郎 歌と生涯(8)(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2010/12/post-e6e2-2.html

昨日の天気

TAVE= 11.6
TMAX= 18
TMIN= 4.6
DIFF= 13.4
WMAX= 4
SUNS= 8
RAIN= 0.5

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:「山峡の雪」

歌題=「山峡の雪」:

■あのあたり 我が家在りにしを 渇水の ダム指に差し 媼面伏す 42 桜井 君代

旅の情景のひとこまか、渇水したダム底を指さす媼への共感は深い。

追記:今回の東北関東大震災で原発事故で生じた電力供給能力の不足を水力発電が補った。人間で言えば、引退した後期高齢者が火事場の馬鹿力を発揮するのに等しい。代替えエネルギーの確保は危機管理の面からも不可欠だ。ダム建設も住民や自然環境への影響は非常に大きい。しかし、核廃棄物という負の遺産を後世に残さず、自然の循環の中でエネルギーを生産できる。今回の東北関東大震災が日本のエネルギー政策の大転換になる事を願う。後期高齢者も社会のバックアップ要員として自信と誇りを持って生きよう。

2011年3月20日 (日)

かみつけ女流歌人 雅:野萱草咲く

2011/3/20
寒さは一転して昨日の気温は20℃近くまで上昇。今朝は、眼のかゆみとクシャミ、鼻詰まりと花粉症の症状が出た。

昨日の天気

TAVE= 10.1
TMAX= 19.2
TMIN= 2.4
DIFF= 16.8
WMAX= 4
SUNS= 9.9
RAIN= 0

屋外の仕事中、ゴミ山から雨蛙が跳びだしてきた。ゴミと同じような保護色をしている。何回かデジカメに納めようとするとゴミの中に隠れて見つからなくなったが、ようやく撮影できた。運良くデジカメを持っていて撮影できた貴重な一枚。
Frog_winter_s


身辺雑記:先の見えない曖昧な国日本

日本人の精神性として『「美しい国の私」(川端康成)と「あいまいな国の私」(大江健三郎)(2 人のノーベル文学者の受賞講演)の対比』がある。小さな国に身を小さくしているとついつい他人の事を気遣った行動を取ってしまう。生死を分ける危機や危険が迫った時もそのような行動を取ってしまうのはどうしてなのか。言葉で安心させる事が全てではないだろう。時には叫び、時には叱り、時には怒る事も必要だ。泣くことも必要だ。

東京電力の幹部の動きが良く見えないのでNETニュースを探していると以下の記事が眼に付いた:『「福島に希望はあるのか」との問いに、東京電力の小森明生常務は言葉を失った。小森常務は18日、原発事故後初めて東電幹部として福島県を訪問。「大変な心配と迷惑を掛けたことをおわびします」と謝罪。会見後、感情を抑えきれずに号泣した。(http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20110318-750149.html)』

この記事を読んで、東電幹部といえど本当は普通の人と変わらぬ人間であるように思われた。しかし、通常会社・役所等人間は冷静な時は、役職や組織の人間としてその思考や発言が理知や建前の側に傾いてしまう。「福島に希望はあるのか」という質問はまさにその金銭で片が付くような理知の質問ではなくもっと本源的な情意に関する質問であったのだろう。福島に深い愛着があってこその質問だろう。算盤をはじいても答えは出せない質問であったと思う。言葉を失ったとは理知から情意へと頭脳のスイッチを切り替える時間であったように見える。このスイッチを切り替えることにより判断力が曇った頭脳を涙が洗い流してくれたのであろう。そうして「福島に希望はあるのか」という質問の返事であった号涙は真珠の一滴のようにも思われた。強者の奢りから目が覚めた一瞬かもしれない。また、そうなって欲しい。あえて希望があるのかないのかが問題ではないだろう。ともかく共感をさそうきっかけにはなったろう。やはり、物事にあたるには共通した理解が不可欠だ。

かつて仕事で大クレームが生じて、顧客を訪問して激論を交わした事があった。最初は顧客とその責任配分や損害賠償等が目先にちらちらして、当面の問題を終息させる方向に議論がかみ合わなかった事がある。しかし、議論が感情的になり、言いたいことをお互いに言い放った後にそれでは物事が進まない事に気付いた。それからは、両者の協調はうまく進んだ。どうしても、自分が負えない大きな責任を伴う問題のときには、目先に心理的なバリアーが生じてしまい見るべき事が見えなくなってしまう。

昨日は、首相が大連立として野党自民党の総裁に、副総理兼震災復興担当相への就任を打診したと報じられた。このような提案は理知の領分であるかも知れないが、いかにも底の浅い思いつきのように見えてしまう。震災の二次的被害として原発事故が今後益々重大になる可能性は否定できなくなっている。この問題の解決は最も困難な課題であろう。それを副総理にやらせようとするならば自分は何をしようとするのか。

昨日は計画停電は見送られて、一息ついた人々が多かったと思う。しかし、予想が外れて限界値に近づけば停電させると条件付きの意思表明なのだから内心は安心できず、結局疑心暗鬼の状態から抜け出せなかったのが実状だろう。先日は計画停電に関する一面広告が掲載された。その最後の方に、電力消費と何ら関係の無い電車通勤客に関するお節介がましい一行があった。それを見て責任を通勤客へのなすりつけているようで、広告力という圧倒的な力でさすがだと感心した。通勤客は不平不満は言っても東京電力が悪いとまでは言っていないであろう。きっと文句が出ると思ったが、連絡先は一切記載されていなかった。東京電力のホームページで地方営業所の電話番号を調べたら地図は載っていたが、電話番号は載っていない。窓口は別のフリーダイアルになっていた。見ザル、言わザル、聞かザルの三ザルに徹しているように見えた。顧客、利用者の小さな声に耳を傾け、顧客の満足度を向上させるのがサービスの本質だろう。

ちなみに、東京ガスのホームページのお客様サービス窓口で前橋市を指定して検索したら店名と住所、電話番号、提供するサービスが表示された。このサービスの差にはびっくりした。ガスでも電力でも何かの問題や事故の場合、頼りになるのは最寄りの営業所ではなかろうか。

世界的な視野から日本の現実を見ると、情報開示だけでなく、日本人の曖昧性、何を考えているか分からない等においても世界から不信感を持って見られてしまう要素が多々あるようだ。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:野萱草咲く

歌題=野萱草咲く:

■小用の 近かる母を 屈ませしは この辺りなり 野萱草咲く  84 深澤 みどり

盲目の母一人に育てられた娘との絆の全てをこの野萱草に託した亡き母への鎮魂の歌。
野萱草:のかんぞう

2011年3月19日 (土)

かみつけ女流歌人 雅:絆(きづな):歴史の転換:阪神淡路大震災を越えた東北関東大震災の死亡者数(改題):残照雑記:ノモンハン事件に従軍した父の戦友・新井正明氏の事等:110319。

歴史の転換:阪神淡路大震災を越えた東北関東大震災の死亡者数(改題):残照雑記:ノモンハン事件に従軍した父の戦友・新井正明氏の事等

追記(2018/01/19):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等:埋もれていた記事のタイトルを内容に相応しく、検索にかかりやすくするため修正した。尚、再投稿もしておく。


2011/3/19
歴史の転換:阪神淡路大震災を越えた東北関東大震災の死亡者数

今朝6時のNHKニュースで東京電力は電力需要予測から本日の計画停電は見送られると報じた。名ばかりの計画停電に翻弄され、交通信号が停止した為に死亡事故が起こる等二次災害事故のような事故も多発している。現在行われている計画停電の妥当性を大至急検証して、安心安全な電力供給体制を早急に樹立して頂きたい。思うに「安心安全」という基本的な言葉が既に蒸発して消えてしまったかのような現実となっている。これでは企業も民間も毎日の仕事が成り立たない。本日は北関東自動車道の全線開通の日であるが式典は中止された。東北関東大震災が北関東自動車道全線開通にも影響した。

東北関東大地震が起きてから七日目の昨日、この大震災の死亡者数が、戦後の自然災害としては最大を記録した。また、東京電力福島原発の事故レベルが5に上昇し、日本の原発事故としては最悪の事態になった。まさに、日本の運命の転換点にさしかかっているように感じる。それを産経ニュースは以下のように伝えている。

産経ニュース(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110318/dst11031818180074-n1.htm):「福島第1原発事故「レベル5」 米スリーマイル並み(2011.3.18 18:17 );
 経済産業省原子力安全・保安院は18日午後の会見で、日本大震災で被災した福島第1原子力発電所の連続事故について、国際原子力機関(IAEA)が決めた8段階の国際原子力事象評価尺度(INES)で「レベル5に相当する」との暫定評価を発表した。原子炉が炉心溶融を起こし周辺に放射性物質が放出された米スリーマイルアイランド原発事故(1979年)と同レベルとなる。」

産経ニュース(http//:sankei.jp.msn.com/affairs/news/110318/dst11031820220081-n1.htm2011.3.18 20:21 ):死者・行方不明者1万7227人 18日午後7時現在 警察庁;
「警察庁によると、18日午後7時現在、東北など12都道県警が検視などで確認した死者数は6911人に上り、平成7年の阪神淡路大震災の死者数(6434人)を超えた。」

地震と津波による死傷者は自然災害と見なすには躊躇しないだろう。一方、原発の危険度5という評価は地震と津波を前提条件とするが、自然災害とは異質なものと考えざるを得ない。原発の危険度5の状況で適切な対応が成功しないと更に事態は悪い方向に向かう。なんとか進行を阻止してもらいたい。

阪神淡路大震災にまつわる記憶として自分の父が被災地の戦友の安否を必死に確認したがった事があった。戦友とは新井正明氏(群馬県出身)。当時父は入院加療中で安心出来ぬ容態で家族が交代で付き添いをしていた。そんな時に阪神淡路大震災が起きた。それを聞いた父はしきりに関西在住の戦友新井正明氏の事を気遣った。新井正明氏と父はノモンハンで従軍した時の同期兵だった。終戦後は同期兵が戦友会を作り戦友の交流は50年以上にわたり、高齢になり活動が困難になって同期会は解散した。戦争の事を余り話さない父であったが、兵営を一歩外に出れば実弾が飛び交う戦場であった。いつ命を落とすか分からない恐怖の中の軍隊生活を送った。

戦争を振り返り、新井正明氏が住友生命の社長になってからも、あいつは本当に立派なやつだと口にしていた。新井正明氏が東大卒に対して父は小学校卒でしかないが、軍隊の同期兵と言うことで同じ付き合いが出来た事を喜び誇りにしていた。新井正明氏の年譜をみると昭和12年東京帝国大学(現東京大学)卒業、昭和12年住友本社入社、住友生命に配属、昭和13年召集、昭和14年ノモンハンでの戦傷により右脚を切断とあった。今調べてみて、新井正明氏が父より数年先輩であると分かり、改めて父の言葉を実感した。学歴や年齢にこだわらずつき合ってくれたのだ。母は何回か住友生命に電話をかけて安否を尋ねたが丁寧に断られたようだ。しかし、ノモンハンの同期兵のだれそれと言うと、その話が新井正明氏本人に伝わったらしく、無事である事と住所を教えてくれた。父はそれを聞いて安心し、その後しばらくして他界した。葬儀等が一段落してから母が新井正明氏にこちらの消息を伝えると丁寧な哀悼の手紙を頂いた。新井正明氏は90歳の長寿を全うされたが父のお礼を失念していた。改めて氏のご冥福をお祈りします。

WEBで新井正明氏の事を調べると従軍期間は一年以下。父も20歳前半の生死と寝食を共にした戦場体験とその後の同期としての付き合いを通して、新井正明氏の事を語ってくれたのだと思う。WEBで新井正明氏が陽明学者安岡正篤を師と仰いでその後の活動の基礎としている事はつい今知ったことである。そのきっかけがノモンハンでの右脚を切断した事であるらしい。ハンディを克服して会社のトップに上り詰めたが、会社運営でも見事な人事を行い、その引き際も潔く、松下政経塾理事長もつとめたようだ。陽明学とは今時流行っていないが、知行合一を説くらしい。日本が元気な頃、安岡正篤に師事した政財界の要人は多い。今、日本は東北関東大震災という国難に匹敵する災難のさなかにある。地震、津波、原発の放射能等それに直面している多くの人々がいる。まさに生命の危機と背中合わせの戦場と同じ状況のようでもある。誰もがそういう人々の安否や安心を気遣っている。生死と寝食を共にする事で強い絆が生まれ、生死の危機や喪失したかけがえのないものすべてを克服する事で新しい一歩を踏み出せるのではないか。東北関東大震災に際して改めて新井正明氏の事を思い出した。新井正明氏が今日の東北関東大震災を見たらどんな助言を頂けるのだろうか。

昨日の天気

TAVE= 4.9
TMAX= 11.6
TMIN= -1.3
DIFF= 12.9
WMAX= 5
SUNS= 11.2
RAIN= 0

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:絆(きづな)

歌題=絆(きづな):

■まどろみの なかの幼日 春の野を 探せよ探せ 母に逢ふため 6 阿部 貞子

介護や死別を通して、幼い時の母への思いは益々つのる。そんな気持を探せよ探せと率直に詠っている。

2011年3月18日 (金)

かみつけ女流歌人 雅:紀元杉

2010/3/18
寒い日が続いている。昨日は60Wのアンカを膝の上に乗せて座業。作業場の気温は6℃だった。夕方になり更に冷えそうなので仕事を切り上げた。

3/17の17時頃にJR、地下鉄に対して10%の節電指令が出された。その理由に、気温の低下で暖房等の電力使用が増大して、供給能力の上限に近づき予想の出来ない停電が発生するとおそれがある事を上げた。なぜ、JR、地下鉄なのか。気温の予想はある程度正確にできるのだから、そういう要素を入れて予想して実施するのが計画停電ではないのか。理解に苦しむ。

以下の記事を見ると電力消費量が危険レベルに迫ったのは分かるが、計画停電は建前では東京電力の責任で行っているのではないか。そこに政府が口を出したように見える。当然、首都の大規模停電が国家の危機として政府が計画停電を率先主導するのであれば理解できる。この国難にあって、責任のなすりつけをするような場合ではないであろう。

*******************************************
以下「スポニチアネックス」WEBからの引用(http//:ww.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/18/kiji/K20110318000447960.html):「首都圏に大規模停電危機…帰宅ラッシュまた大混乱
;海江田経産相は午後3時すぎに緊迫した表情で緊急会見。「本日夕方から夜にかけて電力需要が供給量を大幅に上回り(首都圏などで)予測不能な大規模停電が発生する恐れがある」と強い表現で警告し、各企業、各家庭に節電を呼びかけた。;これを受け国土交通省は鉄道会社に対し、緊急的に運行本数を削減するよう要請。JR東日本は午後5時以降、山手線、京浜東北・根岸線、埼京線、常磐線などで本数を減らして運行。東急、京急などの私鉄、地下鉄も2~3割、削減した。;東電の17日の供給力は最大3350万キロワットだったが、電力需要は午前9~10時に3330万キロワットを記録。最大供給力の一歩手前まで迫った。ただ節電の呼びかけに企業、個人が応じたため、大規模停電は寸前で回避された。」
*******************************************

昨日は原発にヘリコプターから放水を行った。これを行うために、公務員の放射能被爆許容レベルの上方変更を決定した。放射線の危険性は東京電力と政府が率先して説明すべき事ではないだろうか。東京電力や政府が出す情報を裏読みしなければならない日本とはどういう国なのか。日本に外交使節を置いている西欧諸国が所員に日本や原発危険区域からの本国帰国や関西方面への待避をすすめているという報道を耳にすると日本が国際的に信用されていないのではないかとつらい思いがする。被災地の人々はこのような情報に接するどころではないだろうが、後から知って更に辛い思いがするのではないか。

昨夜は計画停電への予備が無く、暗闇の中ガスコンロでインスタントラーメンを作り一人だけの夕食。台所は真っ暗だが、外が明るい。月光が家の中にも入り、目が慣れるとなんとか物がみえてきた。こんな時だからと朝刊を持って外に出た。本文活字は無理だったが、見出しの一回り大きな活字は読めた。カラー写真の色も何とか識別できた。人類の祖先をだどると、小さなほ乳類で捕食されないように夜活動したらしいと何かの本で読んだ記憶ある。人間、日頃の便利さに自分の持っている能力に気付かないでいるのではないか。自分がサバイバルという点で尊敬するのはグアム島から生還した横井庄一さん。何十年かのジャングル生活でカレンダーが狂わなかっただけでも驚異だった。なにがなんでも生き残っていようという気持が大切だと思う。そのためには、自分の持っている能力に気付きそれを生かして行く事だ。

東北地方太平洋沖地震は本日で、発生以来7日目となった。通信や交通機能の回復等により、徐々に、その被害が明らかになりつつある。警察庁によると、17日午後10時現在、東北など12都道県警が検視などで確認した死者数は5692人に上った(産経ニュース:2011.3.17 23:22 )と報じられた。原発事故に目が奪われて、地震・津波の死者・被害者のニュースも相対的に少なくなっている。

今朝6時の屋外気温は-1.7℃で真冬並に寒い。AMEDASでは-0.7℃。

昨日の天気

TAVE= 1.9
TMAX= 6.7
TMIN= -1
DIFF= 7.7
WMAX= 10
SUNS= 9
RAIN= 0

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:紀元杉

歌題=紀元杉:

■酸性雨に 白く立ち枯れし 屋久杉を 遺産の森に 数多見掛くる 18 石原 信子

屋久杉が酸性雨で枯れているという意外な現実を歌として記録している。

2011年3月 8日 (火)

かみつけ女流歌人 雅:万華鏡

2011/3/8
昨日は雨。地面が湿ったので、接ぎ木した桃の苗木を移植したいと思っている。

昨日の天気

TAVE= 4.5
TMAX= 7.7
TMIN= 2.4
DIFF= 5.3
WMAX= 4
SUNS= 0
RAIN= 8.5

以下本題。

「かみつけ女流歌人 雅」という歌集は平成出版から平成12年に出版された。オムニバス形式で百余名の群馬県の女性歌人の歌を載せている。序文で群馬歌人クラブ会長の原一雄氏が指紋と同じように同じ顔と同じ運命の人は誰一人いない事に喩えて、「その誰にもない自分だけの生を表現しようとするのが短歌である。」と述べている。そうして、「自分を大切にする為に如何なる機会も逃さぬ事だ。」と結んでいる。見開きの右ページに作者の歌十首と左ページに本人の写真が掲載されている。この歌と写真は本人が決めたようなので、作者本人の生が凝縮されているようにも感じた。序文でこの本を写真集と述べている通り、掲載されている写真は各作者の会心のポートレートのようでもあるが割愛して、印象に残った各作者の十首の中の一首のみを選んで、順不同で観賞、紹介をしたいと思う。人生の春夏秋冬の全てを見てきた女性の作品としても意義深い印象を受けた。なお、原一雄氏は、群馬ペンクラブの会長も務め、平成19年9月に他界したとの事だ。

かみつけ女流歌人 雅:万華鏡

歌題= 万華鏡:

■座標にて 図面を描く パソコンの キャドに魅せられ 過ぐるいく月   37  熊谷 淑江

高齢の女性は機械嫌いという先入観を見事に否定して見せてくれた一首。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)