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2009年1月

2009年1月11日 (日)

砂漠は生きている

2009/1/11

砂漠は生きている

自分が見た最初の映画は何であったろうかと振り返った事がっあた。屋外に

スクリーンを張って、チカチカとフィルムの傷が目立った白黒の映画を見たよう

な気もする。夏の夜の映画鑑賞会であったかもしれない。小学校で初めて見

た映画「砂漠は生きている」という記録映画であったように思う。調べてみると

W.ディズニーのカラー記録映画で日本初公開は1955年1月とあった。市内に

は映画館が数軒あって、その中の外国映画を扱っていた映画館へ授業の一

環とし出かけたものと思う。確かに、サボテンの花が開く様子をスローモーショ

ンで見せたり、自然の驚異を色々教えてくれたようだ。映画のタイトルだけは

忘れずに覚えていた。しかし、W.ディズニーの作品であったとは初めて知っ

た。W.ディズニーというと作品のキャラクターを最大限に利用した映画会社と

いう印象があったが、この「砂漠は生きている」という映画はW.ディズニーとい

う映画会社のなかでどのような位置づけであったのだろうか。

2009年1月10日 (土)

赤点のトランジスタの講義

2009/1/10

赤点のトランジスタの講義

電気製品を作るとき色々な部品を使う。その中で、電気が通る部品を特に電気部品という。

ところが、電気現象が電子の動きによる事が分かって来たので究極的には電子の動きから

電気現象が説明されることになる。電子が動き回って色々な仕事をするわけだ。その動き回

る道路網が電子回路ということになる。電流、電圧、電界、磁界というような概念で構成され

るような学問の分野が電気工学であり、電子の動きをうまく使っていこうとする学問が電子工

学である。自分が工学の中で、電気工学科を選んだのは、電気に興味があったことに加え

て、これなら飯を食っていけるのではないかという期待もあった。ところが、戦後になって世の

中が大きく動いた。情報化時代の到来と言って良いであろう。これを支えたのが、電気部品

ならぬ、電子部品のトランジスタであったのである。この講義を担当されたのがA教授という

ユニークな先生であった。講義の本題以外にも色々な話をしてくれた。ついつい、自分も本題

以外の方に関心が移り、トランジスタの講義の成績が芳しくなく、追試を受けるはめになって

しまった。自分としては、就職した場合は、モーターや冷蔵庫の類の、即ち専攻の電気工学

が対象とする分野の仕事をすることになるだろうと漠然と考えていた。ところが、就職して配

属されたのがトランジスタ等の部品を製造する半導体部門であった。電気工学科を卒業した

が、卒業研究はエサキダイオードの応用に関するものであり、この研究室は後の電子工学

科の前身となった。エサキダイオードはトンネルダイオードとも言われ、量子物理学のトンネ

ル現象の存在を直接証明した電子デバイスであり、発明者の江崎玲於奈博士はノーベル物

理学賞を受けた。エサキダイオードは電子の動きがトンネル現象に従って起こるという当時

の常識では説明できない不思議な特性をもっていた。いわゆる、駱駝のコブという負性抵抗

をもつ特性曲線も卒研で自分で測定した。しかし、その特性は完全に理論的に説明された製

品の特性であった。問題は玉石混交の実験室の現場で本物を発見する事である。江崎博士

は試作したダイオードの特性を助手にさせたのだが、「もしや?!」というひらめきが無かっ

たらノーベル賞と無縁であったかもしれない。ともかく、当時の最先端の電子デバイスに関す

る研究ができたのは幸いであった。そうして、辛うじて単位をとったトランジスタで飯を食えた

というのも良き師、仕事、時代に巡り会えた縁であったかもしれない。

2009年1月 9日 (金)

都電最後の路面電車

2009/1/9

都電最後の路面電車

東京に行くようになったのは大学の専門課程に入ってからである。目的地は神田と秋葉原で

あった。神田は書店街、秋葉原は電気街を足早に巡った。ともかく、時間と金はほとんどなか

った。一日で両方の商店街を回るのでじっくり物色するゆとりもない。丁度、井戸の中の蛙が

、井戸を抜け出してあたりをキョロキョロ見回しているような姿であったようだ。しかし、このパ

ターンは結局現在も変わっていない。当時は秋葉原の中央通りには路面電車が走ってい

た。WIKIPEDIAによると1972年までには都電の路面電車はほとんど廃止されている。自分

が見ていた路面電車もまさに消え去ろうとしていたのであった。残念であったが都電の路面

電車には乗り損なった。世界不況で自動車産業も大きな打撃を受けている。車が売れないと

いう事は末端の利用者が車を買っていない事である。家を買っても金が払えない、その余波

が車にも及んでいる。環境とスローライフの哲学が21世紀のライフスタイルになった場合、

車の位置づけはどうなるのであろうか。路面電車の復活の時はあるのか。ともかく、ガソリン

自動車が走っている限り、化石燃料が発生するCO2は増加し続ける。

2009年1月 8日 (木)

最初の日米間テレビ衛星中継:090108。

最初の日米間テレビ衛星中継(改題):技術 回顧と展望:老人の寝言:フェイクとファクトの情報戦争;勝負年 勝ち栗貰い 運任せ。180109。=再編集記事へのリンク

追記(2018/01/17):タイトルに日付追加

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2009年1月 8日 (木)
2009/1/8

最初の日米間テレビ衛星中継

ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。その暗殺のニュースは、日米間の初の

人工衛星によるテレビの中継実験を通して伝えられた。全く予想されていなかった大事件が

テレビ画像で瞬時に報道された事に衝撃を受けたのであった。このニュースの中継にあたっ

たのがKDD茨城宇宙通信実験所で、1963年(昭和38年)11月20日に開設された。実験が

即実用ということになり、あの巨大なパラボラアンテナの存在意義が実証された。ところが、

当時はなぜあのように巨大なパラボラアンテナが必要なのかは自分には理解出来なかっ

た。大学生になり、無線通信工学等を学び、技術者としてテレビ用の用集積回路の開発に従

事してから、S/N比という概念に親しむようになってようやく理解できた。即ちS/N比とは画像

の質の善し悪しを計る尺度であった。商用の通信は画像の質を保証する必要があるのであ

る。当然、市販されるテレビもある水準の画質を保証する必要があり、そのためにはより性

能の高い集積回路が要求されたのであった。S/N比が低い時、即ちN:ノイズが大きい時の

画像にはちらちらと見苦しい点々がが現れて、ついには画像はノイズにかき消されてしまう。

ケネディ大統領暗殺の真相は未だに謎である。S/N比で考えるとS(信号)が少ないと言える

のか。封印されたと言われる情報に興味が湧く。技術分野では信号の質の尺度としてノイズ

の外に歪み(DISTORTION)というものもある。雑音も歪みも自然に発生したり、意識的に加

除修正されたりするので問題が複雑になる。雑音や歪みの混じる信号から本物の信号を選

び出すのが大変な時代になった。

2009年1月 6日 (火)

中江藤樹の母

2009/1/6

中江藤樹の母

多分、絵本で読んだのだろう。雪の降る中、若き藤樹は母を思い家に帰る。しかし、藤樹の

母は、一度学問を志し家を出たのだから、その志を遂げるまで家に帰ってはならぬと藤樹を

泣く泣く押し返したという話を絵にしたものだったようだ。孟母三遷のたとえも同じような意義

があるだろう。母が子供の成長にあたえる影響である。こういう逸話は結果が先に生まれて

から生まれてきたのかもしれない。さすが、立派な人物の母は立派であった、いや立派でな

ければならなかったいうべきか。自分の志がくじけそうになった時こういう話を思い出すと励

みになるかもしれない。記憶の片隅にこの絵本の事が残っているのは、それなりの意義があ

ったのだろう。しかし、かなうことならば藤樹や孟子に自分の母の事を語ってもらいたい気も

する。ついでに藤樹や孟子の母に自分の息子の事を語ってもらいたい。子供の動機付けに

関して母親の影響は相当に大きいことに昔も今も変わりはないであろうが。歴史には不案内

であるが、中江藤樹は陽明学者で私塾藤樹書院を開いた民間の教育者であった。また、幕

末の尊皇攘夷運動は陽明学に影響を受けているとのことである。江戸幕府が終焉して、明

治維新を迎え、近代化社会として今日に至っているわけであるが、その流れの源流にこうい

う人がいたのであろう。高等学校 学習指導要領 社会科編 昭和31年度改訂版によると、高

校の社会科は社会・日本史・世界史・人文地理の4科目をもって再構成された。社会を含め

全員に3科目履修させた。今、振り返ると自分は高校の日本史を選択から外していた訳であ

る。日本史は、その気になればいつでも出来るであろうという意識もあった。しかし、社会に

出て学生という身分がいかに貴重であったかに気付くわけだ。目先のことしかできない。よう

やく、時間的なゆとりがとれるようになり、やり残した空白を埋めてみたい思いがする。

2009年1月 5日 (月)

最初のフィクション

2009/1/5

最初のフィクション

読み書きの勉強は小学校に入学してから始まった。授業の中に作文があり、鉄砲撃ちの後

について行った時の事を作文に書いた。鉄砲撃ちは近所のお兄さんで空気銃を持っており

電線にとまっているスズメなどを打ち落としていた。作文では自分が騒いでそのスズメを逃が

してやったことにした。この作文の事を覚えているのは事実と異なる最初のフィクションであ

り、ちょっと気になる事でもあったからである。作り事を書いてしまったからである。しかし、こ

の作り事がなければ、平凡なつまらない作文で終わったかも知れない。小学1~2年生頃の

記憶である。こういう、作り事を書いてしまったことを覚えているのは、嘘をいうと閻魔様にべ

ろを抜かれるよと教えられており、うらめしい気持ちがあったからだろう。今思うと、嘘と言う

より、最初のフィクションと言ってよいのかも知れない。郷土史の研究家に、あることの歴史

はその中心より、その周辺により正確に残っている場合が多いと聞いた事がある。偏りとい

うのは必ずつきまとうものなのであろう。100%正しいことはないかもしれないが、数%正しい

ことでも歴史を知ろうとする時は大切だ。その数%が次の行動の手がかりになる。

2009年1月 4日 (日)

家庭教師の体験

2009/1/4

家庭教師の体験

学生になると、講義の選択等により少し時間的な余裕ができた。友達の紹介、地縁等でアル

バイトの家庭教師を行った。自分は学習塾にも通えず、家庭教師を付けて貰うことなどは全く

の夢であった。家庭教師という仕事が自分の境遇から見るとなんとなくしっくりしなかったが、

これも一つの縁と思い引き受けた。受験前の数人の生徒に教えたのは学習塾に近かったよ

うだ。学習塾に行っていなかった生徒も受験直前は対策が必要だ。そういう家庭から頼まれ

た。もう誰を教えたか等細かい事は覚えていない。教え子の親からその節はお世話になりま

したと言われて頭を掻いたこともある。ともかく人間にとって学ぶ事は一生の仕事である。

ある人の前には色々な人が通り過ぎて行くであろう。教育という場は丁度、ある人の人生

と他の人の人生が交わる交差点のようなものであるかもしれない。教育の場では必然的に

質問と回答が飛び交う。単なる暗記と受験技術では収まらない。教育とは何か。結論は唯一

ではなさそうだ。まともな判断力が身につけば良いとも思われる。そう思うと家庭教師の体

験も見えないところで自分の役に立っていると感じる。それにしても、松下村塾の事等を思う

と学ぶことの本当の意味がわかるような気がする。学ぶことも、教えることも外から押しつけ

れるものではない。そのような、自分が自分の意志で学ぶ、教えるという確固たる自覚があ

れば自ずから成果が出てくるのではないか。

2009年1月 3日 (土)

落ち穂拾い

2009/1/3

落ち穂拾い

昔は米麦の刈り取りは手作業で行った。田畑のあちこちに取り残した落ち穂が残っていた。

これを、戦力外の老人や子供が拾い集めた。戦力外といっても何か予備役という感じであ

る。集めた落ち穂はちょっとした自家用に使ったように思う。それなりの用途があった。作物

の大切さを世代を超えて伝える役割も落ち穂拾いにはあったようだ。現在はコンバインがき

れいに刈り取りを行い、老人や子供のでる幕もない。コンバインの運転手が高齢化したとき

の心配は誰もが知っているのだが、昔には戻れないもどかしさがある。

以下も昨年の落ち穂みたいなものである。

2008年5月

(1)厨房の使い回しに今日(凶:吉の対)があり
(2)借りパンダ返す時には子もつけて

2008年6月

(1)こやし場のカボチャの方が良く育ち
(2)キスミーと誘うザクロに心揺れ
(3)草むしり蚊をたたく手のやり場無し

2008年10月

(1)税金や次ぎも近いと係り言い
(2)腰痛の腰を伸ばして柿をとる
(3)検診を終えてほうびの素ラーメン

2008年11月

(1)病人のサツマを食いて皆安堵
(2)血圧のデータ並べて思案顔
(3)車イス連れて秋見る観覧車

たまたま拾い残されただけで落ち穂となる。その落ち穂が別の人により別な用途で役立つの

なら落ち穂も捨てたものではないだろう。

2009年1月 2日 (金)

スープ皿の底:090102。

スープ皿の底(改題):会社生活断面記:一緒に仕事をしたカナダの青年技術者の心意気を思う;ススキ呉れ 饅頭貰う 十三夜。171101。=再編集記事へのリンク

追記(2018/01/17):タイトルに日付を追加

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2009年1月 2日 (金)
2009/1/2

スープ皿の底

会社勤めをしていても、外国人と食事をする機会は少ない。既に四半世紀も前の事で日本

も豊かさを実感できた頃である。製品の開発担当をしているカナダの若いエンジニアが来社

して、仕事が終わってから夕食という事になった。無難にレストランで洋食ということになっ

た。さて、くだんの青年が食事を終わる段階で、パンの切れ端でスープ皿の底をきれいに拭

いそれを口に入れ食べ終わった。我々もそれを見て同じようにした。きっとあの青年は普段

と同じようにしたのであろう。思うに、あの広いカナダで、小麦等の農産物は余るほどとれる

であろう。しかし、なんと食物を大切にしているか、頭が下がり、恥ずかしい気持ちがしたので

あった。聞くところによると、欧米では技術者と技能者は格付けが完全に異なり、技術者は技

能者の仕事はしないらしい。処遇から言えば技術者の方が数段優遇されているのである。そ

の技術者の青年が本当に質素な仕草をしたのに感銘を覚えた。きっと、生活、信仰、教育、

文化等のしっかりした背景がなければあのような事は出来ないであろうと思う。開発が成功し

て、その青年から、満足できる製品が出来た事に感謝するというレターを頂いて、自分も良

い経験をさせて頂いたことを誇りに思っている。なにしろ、その製品は-50~+150℃まで

動作する途方もない製品であった。誰もやったことの無い仕事。この仕事を上司から命じら

れたときは雑煮も喉に通らないほど悩みに悩んだ。若さと退路を断った尻まくり。しかし、なん

とかなった。その仕事を成し遂げた達成感は本人と同僚しか分からなかっただろう。今、思う

と上司とは部下の責任をとるためにいたのであろう。チャレンジする機会を与えてくれたの

だ。きっとあのカナダの青年技術者も重いミッションを背負って日本にやってきたのであろう。

2009年1月 1日 (木)

肥やし場のツル

2009/1/1

肥やし場のツル

有り難や生老病死すべてみてなお定まらぬ輪廻の行方

新年を迎えた。日々これ新たなりという言葉がある。同じ事は二度と起こらないという意味で

もあろう。しかし、日々新しい気持ちで行動せよという戒めでもあろう。日々健康で、飯がうま

く、何事もなく、平凡に過ごせれば何よりだ。願わくば、その平凡のなかに小さくともきらりと輝

くものを見つけられれば至福の至りであろう。凡人は小さな事を積み上げる以外にない。

輝かしく縁起の良い鶴が、ゴミ捨て場に降り立てばその落差の大きさで鶴の存在も殊更目立

つであろう。二十世紀梨の誕生にもそのようなたとえ話があるようだ。1888年(明治21年)

に、千葉県松戸市に住む13歳の中学生であった松戸覚之助が親類石井佐平宅の裏庭の

ゴミ捨て場に生えていた小さな梨の木を偶然発見して、それを父が経営する梨園「錦果園」

に移植して育ててたところ、10年目に結実したそうである。ところが、その果実は従来の梨

に無い、食味と食感を持っていた。鶴の誕生である。ゴミとして捨てられた梨の種が発芽し、

それが発見され、実が生るまで育てられたという一連の縁が鶴の誕生に必要であった事に

疑いはない。種子そのものが突然変異で素晴らしい性質を持っていても、実が生るまで育て

てみないとその性質は実証されないわけである。叔父さんに聞いた幼少時の話である。姉が

ウリ畑で、非常においしいウリの株を見つけて、誰にも教えないで、そのウリだけを食べてい

た。どうも様子がおかしいので、白状させたらば、お前だけに教えるといって、ここのウリが

うんとうまいと教えてくれたとのことである。今思うと、あれは突然変異のおいしいウリの新品

種であったかもしれない。種を採っておけば良かったと残念がっていた。良い性質を持った

種を発見し、それを育て、世に出すのは長い期間がかかる。これは、野菜、果樹、牛馬、人

間等全てに通じることである。誰にも肥やし場のツルを発見するチャンスはあるだろう。しか

し、発見しようとする意識とそれを育てようという意欲がなければ何事も起こらないだろう。今

年は肥やし場に生えてきたカボチャに負けぬ程度のカボチャでも作ってやろう。自然体で行

こうと思う。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)