兵器:いとしきもの
2010/3/26
兵器
ベトコンの使ふ兵器と知りてよりやや救はれて遅く夜業す
昭和萬葉集14巻。仕事の歌・工場にてという区分にあった短歌である。自分が学業に勤しん
でいた頃、工場で仕事に励んでいた人が作った短歌である。兵器は向けられる方角でその
性格が逆転してしまう。自分が作っている物が兵器であると知っても自分の仕事に家族の生
活がかかっているとなると矛盾を感じつつその仕事を去ることができない。そんな中で作られ
た短歌ではなかろうか。盾も矛も武器だ。守るにも攻めるにも矛盾が伴う。自分が社会に出
た頃は冷戦の時代、共産主義と自由主義の対立の時代でもあった。武器・兵器の輸入・輸
出も厳しい規制があった。完成した兵器だけでなく、その素材や部品も規制の対象となった。
企業では輸出管理が徹底された。特に汎用性のある集積回路は兵器への転用も容易であ
るので気を使った。ひょっとすると自分が関係した集積回路が兵器に転用されているかもし
れないと思うと心安らかではなかった。当時から既に半世紀が過ぎた。共産主義も自由主義
も絶対でもなく万全でもない事が明らかになった。しかし、各国のもつミサイル等の兵器の向
けられる方角は余り変わっていないのではないか。もはや、兵器を向ける方角が定まらない
テロとの戦いが大義名分になってもいる。最近、北朝鮮への贅沢品の輸出違反に関するニ
ュースを聞いたような記憶がある。小さなニュースで気にもかけなかった。輸出規制も何らか
の効果を狙っているだろうが、贅沢品の輸出規制が大局的にどの程度の効果を持つものか
不思議に思った。困れば内政でも贅沢品は制限されるのだから。何かしっくりしない手詰まり
感を覚えた。確かに、食料等の人道支援の対極にあるのは理解できるが。振り返ると、日本
でも輸入贅沢品を買うのを楽しみに仕事に励んだ人が多くいたのではないだろうか。