回路屋十年:いとしきもの
2010/8/12
アナログいろはカルタ:回路屋十年
も:
■桃栗三年柿八年、回路屋十年もう古い
果樹は花が咲いて実がなって一人前。かつては回路屋が一通りの仕事を一人前にできるま
で10年かかると言われていた。いろはカルタに○ 門前の小僧習わぬ経を読む ○桃栗三年
柿八年○ 餅は餅屋 等があるようだ。学生の理工系離れの懸念が現実化してからかなり時
代が経た。製造業を中心とする第二次産業からサービス業を中心とする第三次産業へのシ
フトが終戦後一貫して進んできたように思われる。日本の社会では技術者の専門職という位
置づけが明確ではない。自分が飯を食った業界でも設計業務の一部は海外でも行われ、派
遣技術者が職場に来るようになった。十年も同じ仕事ができる環境があるのか。会社も十年
もかけて人材を育成してもペイしないと判断すれば日本の技術も沈没する以外にない。しか
し、経営の基礎に技術を据えている会社も多い。人材育成の手法も出尽くしている感があ
る。技術者の促成栽培はいかがかと思うが、会社も技術者本人も自覚的かつ体系的に技術
の向上に努めることが課題であるようだ。それが実現すれば、技術者の能力もより早く、より
大きく開花するのではないか。ともかく技術の仕事にも適材適所がある。いつも自分が望む
仕事ができるわけでもない。いやな仕事が回ってくることもある。かつて海外から研修に来た
若い技術者に家族の事を聞いたことがあった。本人は優秀で兄弟が多いと言う。自分が稼
いだ金で弟を大学に出してやるのが夢だと語ってくれた。技術にかけるこういう夢もあった。
以下はしばらく寝かせていた記事を投稿時に再読しての追記である。日本でも、自分では上
の学校へは行かずに弟を上の学校に行かせた例はあったと思うし、そう言う例を聞いた記憶
もある。それは、誰もが生活が苦しく、金のままならない時代の事であった。こういう時こそ家
族の支え合いが意味をもつのかもしれない。いろいろ社会制度が整うと家族の支え合いも余
りいらなくなり、家族の連帯も弱まってしまうようにも感じる。