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2012年7月

2012年7月11日 (水)

幼少の頃(愛しきもの 道具達):桑摘み

2012年7月11日水曜日
昨日は晴れ。最高気温は32℃台の真夏日。ただ、まだ梅雨明けにはならないらしい。日陰の下草刈り。残りタレドリンクに塩と砂糖を追加して熱中症対策ドリンクを作り、これを飲みながら作業。大量の発汗。防虫ネットをかぶっているので汗を拭くのも大変。汗が眼に入りヒリヒリする。発汗作用も人類が改良してきた身体防衛機能と言えるだろう。他の生物はこれほど汗をかかずに、暑いときはそれなりのゆったりした動作をしているのではないか。幼児の時に汗をかかないと汗腺が発達しないらしい。人体も生きるためにはそれなりの適応をしているのだろう。ツルハシで邪魔になった細めのムクゲとウメの木を各一本堀上げた。休み休み作業。1~2週間前からちらほら咲き始めたムクゲの花が満開となっている。ムクゲの花を見るとまた長い夏が来たと思う。先日、作業小屋の鴨居の釘にぶら下がっている桑摘み用具をデジカメに納めた。なぜか一個だけ残っていた。

2012年7月10日の天気

TAVE= 26.5
TMAX= 32 最高気温(℃) 32.7 16:31
TMIN= 21.2 最低気温(℃) 21.2 05:17
DIFF= 10.8
WMAX= 3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.1(南東) 20:06
SUNS= 8.5
RAIN= 0

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幼少の頃(愛しきもの 道具達):桑摘み

養蚕では、蚕の餌が桑の葉。桑の葉の与え方も、蚕の蚕齢大きさの段階ごとに違う。辞書をひくと蚕齢は、はきたてが一齢で、脱皮ごとに数えて五齢まであるとの事。はきたては、桑の葉を包丁で刻んで与えた。母や祖母の仕事だった。それから、中間段階は、桑の葉を摘んでそれを飼育台に並べて与えた。最終段階は葉を食べる量も多くなるのか、葉が付いた桑の枝ごと与えた。枝切りには剪定はさみも使っていたかもしれない。剪定ばさみや大久保はさみがやたらに多くあった。昔は、こういう道具を業者が贈答品としてくれたようだ。ほとんどが安物だ。

子供が手伝ったのは桑摘みがほとんどだった。桑の枝きりは父の仕事だった。そのためには刃が厚い小鎌を使っていたようだ。桑摘みにつかった道具は、指を通す穴がある刃物だった。それを両手の人差し指にはめて両手を使って桑の葉をかきむしるように摘んで、竹のかごにぎっしり詰め込んだ。それをリヤカー等に摘んで帰り、秤で重さを量る。更に、それからかごの重さ分を差し引いて、仕事の能率に応じて賃金をもらった。まさに、若年労働者と同じ扱いだったが、こういう仕事を通して労働の厳しさと共にその尊さも実感した。年齢的には10才前後の頃だったと思う。重さは何貫目という尺貫法だった。

子供が手伝った養蚕の仕事では、上簇できる蚕を拾う「ズウ拾い」と言うのもあった。こちらは、時間との勝負だったのか、拾った蚕の重さを計量した記憶はない。誰が使ったか分からないが、作業小屋の鴨居に桑摘みが一個だけかかっていた。表面は錆でぼろぼろになっている。摘んだ桑は、鮮度を保つためすぐにかごから出して、空気を通して霧をまいた。霧は霧吹きという道具を使ったか、口に水を含んで霧にしたのか定かでない。桑置き小屋という小さな建物が桑の保管場だった。蚕は、隙間があればどこでも飼った。お蚕さまという程で、客間でも棚を作って飼っていた。母は、この子はかまってやれなかったので、目を離したときXXをチュウチュウ吸っていた良く話した。XXは今、思い出せないが、元気な蚕ではなく、死んだりグッタリした蚕をそう呼んでいた。かみさんに聞いたらXXは「ナダレ」だった。もう、「ナダレ」も死語に近く記憶から遠ざかりつつある。
Kuwatumi_4pix

2012年7月10日 (火)

愛しき古里:いせさき明治館100年物語

2012年7月10日火曜日
昨日は晴れたり曇ったり。雨後なのでパソコン環境の手入れをする事にした。たまたま、安価になってきたので買った8GのUSBメモリーがWIN MEで使える仕様と表記されていた。WIN MEで安心して使えるのは2Gまでと思っていた。一応8Gを認識したのでデジカメデータをそちらに移すようにした。余ったHDDを転用した自作のUSB HDDにパソコン本体から追い出されたデジカメデータが入っているので、そのデータを8GのUSBメモリーにコピーして活用したいと、コピーを開始した。数Gbのデータ量なので、残り時間数十分と出た。ちょっと一服。なかなかコピーが終わらない。そのうちに、カウントダウンタイマーの桁数が8桁、1000万分台を表示して表示が不安定になったが、コピーは続行している模様。暴走してデータが壊れたら悲惨だ。何とかコピーは終わったが、パソコンに釘付けされてしまった。調べてみるとコピー残りが1フォールダー分あったので追加でコピー。しばし懐かしい画像を眺めた。

2012年7月9日の天気

TAVE= 24.6
TMAX= 29.5 最高気温(℃) 30.1 17:04 
TMIN= 19.9 最低気温(℃) 19.9 05:05 
DIFF= 9.6
WMAX= 2.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.7(東北東) 16:49 
SUNS= 4.9
RAIN= 0

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愛しき古里:いせさき明治館100年物語

「いせさき明治館」が今年で建築後100年を迎えるので、それを記念してイベントが計画されている。元々は、明治45年に、伊勢崎藩医であった今村家が建てた、和洋折衷の二階屋である。左右対称で均整がとれて、当時としては近代化の象徴であったと思う。振り返ると、明治100年を迎えたのが丁度45年前の事になる。

「明治百年記念式典
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%99%BE%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%BC%8F%E5%85%B8。(最終更新 2012年5月26日 (土) 12:12 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「明治百年記念式典(めいじひゃくねんきねんしきてん)は、日本の元号が明治へ改められた1868年10月23日(慶応4年9月8日、明治元年9月8日)から満100年を記念して、1968年(昭和43年)10月23日に挙行された日本政府主催の式典。概要 [編集]
明治改元100年を記念して、1968年(昭和43年)10月23日午前10時半から日本武道館で、政府主催の「明治百年記念式典」が開かれた。昭和天皇・香淳皇后をはじめ常陸宮正仁親王・正仁親王妃華子、閣僚、国会議員、在日外交団、各界代表、青少年代表ら約1万人が出席した[1]。 式典は、田中総理府総務長官の開会のことばで始まり、全員が国歌を合唱したあと、佐藤栄作内閣総理大臣が式辞を述べた。天皇のことばに続いて、小平久雄衆議院副議長、重宗雄三参議院議長、横田正俊最高裁判所長官、フレーチャ・トーレス在日外交団長の順序で祝辞があり、このあと近衛秀麿指揮のNHK交響楽団がワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲を演奏、続いて青少年代表が「若人の誓い」を述べた[1]。 次いで、明治100年頌歌「のぞみあらたに」の合唱が行なわれる中、日本体育大学の男女学生約130人による体育演技「若人の躍動」がくり広げられ、再びNHK交響楽団がヘンデルの「王宮の花火の音楽」を演奏。佐藤総理大臣の音頭により万歳を三唱。午前11時20分に終了した[1]。」

我々、戦後世代は、この明治時代と同じ長さを生き、明治百年と明治が終わって百年という時の流れを体験・評価できる世代だろう。振り返ってみると、この明治時代の45年間と明治100年後からの45年間は、文明の進歩という点で極めて類似しているように感じる。物質文明と言う点での進歩はその両期間で著しかった。しかし、精神文明という点ではどうだろうと考えると、明治時代は和魂洋才という自負心があった。物質のため精神は売らないというやせ我慢をした。そういう、先人のやせ我慢のおかげで、日本は精神的には、西洋の属国にならずに済んだ。一方、そのやせ我慢が高じて暴走してしまった苦い経験もしてきた。西洋の物質文明の下層には底知れない精神文明が潜んでいるのではないか。その部分を自家薬籠中にしなければ、文化の両輪は揃わないのではないか。

いつか、「いせさき明治館」を見学して、そこに展示されていた棟札に感動を覚えた。家を建てる仕事の全責任を持つのが棟梁。施主はその棟梁にすべてを任せる。棟梁と施主の位相がぴったり合った時に理想的な建築ができる。それは、現代でも変わらないと信じたいが、現実はそれほど、理想的な状態でもないようだ。今村医院邸は後に黒羽根内科医院邸となり、現役だったが、医院新築に伴い、旧邸は伊勢崎市に寄贈され、現在位置に曳き家移転された。この曳き家移転や文化財としての保存には多くの市民や団体が関わったと聞いている。この曳き家移転の時に、棟札が発見され、この建物の由来が判明したとの事だ。そう言えば、我が家にもどこかに棟札があるかもしれない。棟札ではなくとも、技術者、芸術家は会心の作品ができた時は、自分の名前をどこかに残そうとするだろう。

「マイクロコンピュータの誕生 わが青春の4004」 嶋正利著 (1987年 株式会社岩波書店)に、著者が8080のチップに家紋を入れた記事を読んで感銘を受けた事を思い出す。こういう心意気を、今村医院邸の棟札にも感じる。自分が小学校4年の時、ブラジルへ移住した同級生がいる。彼が、息子を連れて、日本に仕事に来ていた時、ひょっこり我が家を訪問した。当時は、もう二度と会えないだろうと悲しんだ。その息子に、どんな仕事をしたいか聞いた。彼は、それをブラジル語で通訳して息子に聞いた。技術の仕事をしたいと答えが返ってきた。それを聞いて、前記の嶋氏の本を記念に渡して、自分はもう一冊買い求めた。

「いせさき明治館」を見学して、確かに、洋間だけでなく、和室もあり和洋折衷という表現もあながち、外れてはいないだろう。しかし、もう一度、デジカメ画像を眺めると、和魂洋才という精神面もこの建物に込められているのではないかと思った。

 ☆☆⇒いせさき明治館の画像はここをクリック(撮影2009年夏頃)

meijikan_munafuda_v.jpgをダウンロード (明治館の棟札)

2012年7月 9日 (月)

読みかじりの記:「農で起業する! 脱サラ農業のススメ」 杉山経昌 著 (2005年 築地書株式会社)。20120709。

2012年7月9日月曜日
昨日は朝まで雨。昼過ぎより晴れ時々曇り。キキョウ?の苗をポットに移植。トロ箱苗の除草。カナムグラの退治。PDFをコンビニコピー。今回はOKとなった。A4原稿を袋とじA3原稿で印刷する。袋とじ機能はワードにあるのだが、初めて使った。コピー代節約が目的。最近、@5/枚コピーを某百均店で見つけた。大量コピーの場合は出向いてもメリットがありそうだ。移植した花の苗は「キキョウ」の苗か定かではない。本葉4~5葉。

沼田市の沼田城址公園(沼田城址)を見学した時、観光ボランティアの方が市の花「キキョウ」ですと言って見学者に種子を配ってくれた物。粋な計らいではないか。沼田市ホームページによると、「市の花 ききょう(昭和54年10月10日制定)」とある。公園の一角に「旧土岐邸洋館」があり、沼田市の歴史を見学出きる。WIKIPEDIA「土岐氏」によると、その家紋が「桔梗」とある。見たことがない苗なので「多分キキョウ」ということで作業。もう一種類、花の種をまいてあるが、こちらは発芽が良くない。どちらがキキョウか咲くまでの楽しみだ。

朝方は雨なので、「農で起業する! 脱サラ農業のススメ」を再読。追記:「キキョウ」で思い出すのが「帰郷」。前東京都知事の美濃部亮吉氏の引退の辞に唐淵明の「帰去来の辞」:「帰りなんいざ 田園まさに荒れなんとす」があったのを思い出す。現都知事はもう一期と意欲を見せているようだが、その意欲で本業の作家に戻れば、歴史に残る大作家も夢ではない?「帰りなんいざ 田園すでに荒れ 日々ヤブガラシを抜く」

2012年7月8日の天気

TAVE= 22.3  
TMAX= 27.5 最高気温(℃) 28.0 14:59 
TMIN= 19.6 最低気温(℃) 19.5 06:11 
DIFF= 7.9  
WMAX= 3.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.7(東北東) 16:49 
SUNS= 3.1  
RAIN= 15.5  

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読みかじりの記:「農で起業する! 脱サラ農業のススメ」 杉山経昌 著 (2005年 築地書株式会社)

ほぼ150年前は、士農工商という身分がほぼ固定していた時代。職業が社会の身分でもあった。士農工商という階層の人口比率はどうだったかと思う。江戸時代は会社組織は未熟であったので、農工商の基本は個人事業だったろう。武士は、お上にお勤めというサラリーマン。たまたま、本書を書棚から取り出したのが昨日。2006/7/7の書き込みがあった。丁度、購入から6年後に再読した。

同じ半導体業界で飯を食い、潔く脱サラ就農した事をまぶしく感じた事があった。すまじき事は宮仕えと現役時代には毎日と言っていいほど思っていたのだが、いざ農業をしようとしても無い無い尽くしというのが現実であった。しかし、よくよく考えると、農業も理工から文理、はては倫理、美学まで、その気になれば、深遠な所業ではある。十人十色どころではなく、十人百色とも言える。外資系の半導体会社にいたらどこまで持ったかと今になって思う。再読して、著者のまぶしも再度感じた。

本書の中で、「ワラ一本の革命」の著者福岡正信氏の奥様から、「有機農業をめざすのは、まず普通の農業で食べられるよう努力しそのメドがついてからにしなさい」と諭された事がさらりと述べられている。「ワラ一本の革命」は未だツンドクで、あるが是非読んでみたいと思っている本だ。現役時代は開発という仕事で、日々試行錯誤の連続。その面白さは農業でも少しは役立っていると思う。世紀の発明である半導体の機能も、異なる物質成分が重なる接合部分で起こる。その点は、接木とも共通する。接木が面白いのも、半導体の接合と共通する点があるからだろうと思っている。

七月七日は七夕祭りで、子供の頃は、短冊に願い事を書いて祝い、その後はその竹竿を田んぼの隅に立てた。これも、農事と関係しているのかも知れない。農作業の繁忙期をマクロ的に見れば、田植えと刈り取りが大きな山場だ。その中間に、骨休みのように夏の祭りがある。かつて著者のホームページがあり、その多芸多才ぶりを興味を持って読ませてもらった事がある。そのホームページは今はない。本書出版社のサイトに「2007年元旦から「葡萄園スギヤマのホームページ」は閉鎖いたしました。」とあった。

二昔以上前は、日本の半導体の圧倒的な強さで、米国半導体メーカーは苦戦して、ついに米政府が日本の半導体市場開放を迫ってきた。半導体市場アクセス問題になった。日本の半導体メーカーも米国半導体メーカーから自社と競合しない半導体を購入して、売りさばくお手伝いのような事をしていた頃があった。CMOSロジックICがその対象の一例。互換性がある半導体はそういう技が使える。その日本の半導体業界も今は見る影もない。日本の基本産業として国がテコ入れをする様子も見えない。日本という国はなんとお人好しの国なのかと思ったりもする。

農業は脱サラで気楽にできる仕事でもないだろう。著者夫婦が、農業を始めた頃、除草に1000時間以上も費やした努力には脱帽する。ヒトは時に怠惰、病気等々で休むが、山川草木は、時々刻々と動き、休むことがない。自然とどのように向き合うかそれも農業の楽しみ・生き甲斐にに通じるのではないか。本書の、お金、効率、生産性云々というビジネスライクでない話題の部分で一息ついた。農業を産業と言うのもおかしな感じだが、本当の「産」業のルーツは農業にあるのかも知れない。「産み」育てるのが生き物の原点だ。農業にはその原点がある。

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追記(2023/05/06):タイトル末尾に投稿日を追加。現在ランキング2位。自分のアクセスもカウントしているようだが、当ブログにもまだ読者がいるようだ。読者に感謝。本書続編が出版されたようだ:「83歳、脱サラ農家の終農術 ; 杉山経昌[著]1,800円+税 四六判 200頁+口絵3ページ 2022年7月刊行 ISBN978-4-8067-1638-9」。

2012年7月 8日 (日)

老人の寝言:浮き草はなぜ沈まないか

2012年7月8日日曜日
昨日は終日断続的に雨。夕方は雷鳴あり。不安定な天気でやや肌寒い。C400MのPCでPDFを作ったが、VER=1.2でコンビニプリントNG。別のPCで何とかVER=1.3のPDFを作った。本になるワードファイルを作るにも手間取る。パソコンライフもプリンタレスが理想なのだが、どこかでハードコピーが必要になってしまう。逆に、電子ファイルも、ハードの寿命しかないと考えると余り頼りにならない。メダカの容器を覗いたら、ホテイアオイの株が増えていた。最初は見えなかった小さな浮き草の数が、数点になり、やがて、水面を覆うくらいにまで増えた。どこから来たのか気になった。越冬芽が風に飛ばされて来たのか。

2012年7月7日の天気

TAVE= 22.3
TMAX= 24.3 最高気温(℃) 24.6 14:14 
TMIN= 20.4 最低気温(℃) 20.3 23:09 
DIFF= 3.9
WMAX= 3.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.1(西南西) 17:51 
SUNS= 0
RAIN= 36

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老人の寝言:浮き草はなぜ沈まないか

ホテイアオイと浮き草が一緒に浮かんでいる容器をみると、その大きさの違いが良く分かる。ともかく、このメダカ容器の水は変えていないので、富栄養化が進んでいるようだ。ホテイアオイも浮き草も育ちが早いように感じる。水や風任せの動きをしている
「浮き草」を根のある植物と良く比較していたが、「浮き草」にも根があると気づくと思いこみから抜け出す困難さを感じる。
「ウキクサ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AD%E3%82%AF%E3%82%B5。(最終更新 2012年5月14日 (月) 11:22 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「ウキクサ(浮草、Spirodela polyrhiza[1])は、ウキクサ科ウキクサ属の植物である。あるいはウキクサ科の植物すべてを指す場合もある。特徴 [編集]:日本全土に分布し、水面を浮遊する一年草で葉と茎の融合した葉状体と裏面から出す5~11本の根を持つ。葉状体は長さが5~10mm程度、幅が4~8mm程度の卵球形で表面は緑色、裏面は赤茶色[2]。生息場所は水田や小川、ため池などの淡水。水流があると流されてしまうため、水流のない、またはほとんどないところに生育する。通常は生長点から娘葉状体が出芽のようにできて無性的に増殖するが、夏にかけてまれに雌しべ1本、雄しべ1~2本の目立たない花を着ける。秋になると越冬芽をつくり水底に沈んで冬を越す。」とある。

界 : 植物界 Plantae
門 : 被子植物門 Magnoliophyta
綱 : 単子葉植物綱 Liliopsida
目 : オモダカ目 Alismatales
科 : サトイモ科 Araceae
亜科 : ウキクサ亜科 Lemnoideae
属 : ウキクサ属 Spirodela
種 : ウキクサ S. polyrhiza

「ウキクサ」は分類的には、かなり孤独な種のように感じる。「浮き草」は植物学的意味ではなく、単に経験や表層的な観察の結果に従っている用語だったようだ。ホテイアオイの方は、空気層を含む球状の葉による浮力で浮かぶと想像できるが、「ウキクサ」が浮くメカニズムは?空気層による浮力か表面張力の様な力が働くのか。WIKIPEDIAの水草(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E8%8D%89#.E6.B5.AE.E8.91.89.E6.80.A7.E3.81.AE.E6.B0.B4.E8.8D.89)の記事も面白い。
Hoteiaoi_ukikusa

2012年7月 7日 (土)

日々農天気:捨てない「捨て苗」

2012年7月7日土曜日
昨日は午前晴れたり曇ったり。午後よりパラパラと雨。夕方より本降りの雨。午前はモロヘイアの残り苗を植えた。午後は用事外出。苗は本葉3~4葉だが、最初に定植した苗の大きさに比べるとはるかに小さい。密蒔きで、地上の葉も地下の根も過密で、互いに資源を奪い合っている姿が小さな苗箱に現れている。生育状態が異なり、作物の収穫期間が伸びれば結構だが、植物も基本的には、草丈の高さとは別に、同じ時期に芽生えた株は同じように年齢を刻んでいるようだ。まだ、苗箱の半分以上残っているが、捨てるのも忍びないので、モロヘイアとセルリの残り苗は空いているスペースに密生のまま植残した。昔は、田植えをした後に残った稲苗を捨てないで、田の隅に残して置いた。捨て苗と言ったか定かではないが。「捨てる」にも色々な意味がある。勝負の世界では、捨て石、捨て駒は積極的な作戦上の意味を持ってくる。

2012年7月6日の天気

TAVE= 25.3
TMAX= 30.6 最高気温(℃) 30.8 11:59 
TMIN= 21.6 最低気温(℃) 21.6 24:00 
DIFF= 9
WMAX= 3.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.8(南) 14:59 
SUNS= 3.3
RAIN= 13.5

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日々農天気:捨てない「捨て苗」

念のため、「捨て苗」を電子辞書で調べたが俳句歳時記にあったのみ。Weblioによると、「三省堂 大辞林:すてなえ ―なへ 0 【捨(て)苗(http://www.weblio.jp/content/%E6%8D%A8%E8%8B%97)】田植えが終わって余った苗。田の隅に植えておき、根付きの悪い苗に代えて用いる。」とある。三省堂 大辞林の記事には、「田の隅に植えておき」とあり、そのまま育っても少しは増収に役立ちそうだ。ともかく、「捨て苗」は田んぼの前線に配置された正規兵ではなく予備役の扱いだが、正規兵が倒れたときには、直ぐに補充が出きるという農民の増収に対する執念を示しているように思う。最近、予備自衛官のニュースを聞いたので知ればて見たら、以下の記事があった。退役自衛官は、その道のスペシャリスト。それは、一般の退職した職業人とも同じかもしれないが、現役後に、現役時代の仕事が社会の役に立つのは、人材不足の社会の側からみれば、大歓迎なのではないか。

東京新聞(WEB CASH)は、「予備自衛官、出動可能は17% 大震災直後の防衛省調査
;url=http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:36PBKK0AyxcJ:http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012070301004651.html%2B%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E3%80%80%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E3%80%80%E4%BA%88%E5%82%99%E8%87%AA%E8%A1%9B%E5%AE%98%E3%80%80%E7%99%BB%E9%8C%B2%E3%80%80%E6%B4%BB%E5%8B%95%E5%8F%82%E5%8A%A0%E3%80%80%EF%BC%85%E3%80%802012%E5%B9%B4%E3%80%80%E7%99%BA%E8%A1%A8&hl=ja&gbv=2&gs_l=hp.12...6590.47180.0.49160.62.28.0.30.0.5.880.12050.2-2j6j4j9j3.24.0...0.0.YfN93sHddIA&ct=clnk(2012年7月3日 11時10分)」というタイトルで、「防衛省が東日本大震災直後に、災害など緊急時に自衛隊の応援要員となる被災3県以外の予備自衛官2万6372人に出動できるかを調査した結果、「可能」との回答が17・1%にとどまったことが3日、分かった。 財務省による「予備自衛官制度」をめぐる予算執行調査で判明。同省は防衛省に対し「緊急時に実際に出動する予備自衛官の割合を向上させる方策を講じるべきだ」として、処遇見直しや招集に応じない場合の罰則規定を設けるなど改善を求めた。 同制度では、自衛官経験者かどうかや応招義務などに応じ、即応予備自衛官、予備自衛官、予備自衛官補に区分されている。(共同)」と報じた。「苗半作」という言葉は、現役引退後に、百姓の仕事をする中で覚えた。育苗という手間のかかる仕事が、農作業の前半に横たわる。これは、子育てだけでなく、会社や組織の人材育成にも通用するだろう。技術や知識が高度化すると実戦配備までの期間は益々長くなるだろう。

WEB検索すると、「捨て苗(http://houtoku.justhpbs.jp/htjk_sutenae.html)」には、二宮金次郎の倹約精神の原点があるようで、興味深い。捨ててしまった苗はそれまでで、何の役にもたたない。捨てられた苗を拾って育てれば、それが少なくても立派にコメが収穫できる。その、少ない量でも、少しずつ増やせば、膨大な量になる。積分効果だ。ところが、現実はどうか。人も苗も、必要なだけ使って、残りは使い捨ての時代になってしまった。人間が、捨て石、捨て駒同然では淋しくないか。

2012年7月 6日 (金)

半端道楽:古いデジカメを使ってみる

2012年7月6日金曜日
昨日は曇り一時晴れ。夜雷雨。AMEDAS前橋の湿度は59~90%。曇りだが真夏日。昼間は無風に近い。セルリの残り苗を圃場に植え付けた。H=2~3㎝。本葉2~3葉。細かな作業だ。体は動かず、動くのは手先だけ。蚊が攻撃するには最高の条件だ。以前かみさんが買ってくれたメシュスーツを着用。だが、風も吹かず、人も動かずなのでメシュスーツの効果もほとんどない。犬の散歩の人が、いい物着てますねと声をかけてくれた。これが女性だったらネ。かなりの密植。間引き苗を利用しようと考えているが。熱中症対策で、簡易残りタレドリンクを作って飲用。納豆のタレなどの調味料は使わないようにして、本物が持つ味を楽しみたいというやせ我慢をしているので、残りタレがたまっている。それを、ペットボトルに入れて水で希釈するだけ。タレは百倍程度に希釈されていると思うが、結構タレの味がする。日常、濃厚な味に慣らされてきたのかもしれない。仕事を終わるときに、携帯蚊取り線香を消そうと容器を開けたら立ち消えしていた。夜は雷雨になった。電話線をコンセントから引き抜き、パソコンのOAタップのSWを切った。雷は接近してきたが、程なく去った。使用中のOAタップにはサージアブソーバーが付いているが、これが効かなかった。数日間、現用のデジカメが所在不明になっていた。いつもの置き場所と違ったところにぶら下がっていた。仕方がないので、古いデジカメを使ってみた。

2012年7月5日の天気

TAVE= 25.9
TMAX= 30 最高気温(℃) 30.5 14:58 
TMIN= 22.4 最低気温(℃) 22.3 04:46 
DIFF= 7.6
WMAX= 3.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.9(北西) 21:04 
SUNS= 1.6
RAIN= 3.5

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半端道楽:古いデジカメを使ってみる

デジカメもCCDという撮像部品の進歩の賜物と言って良いだろう。光のエネルギーを電子のエネルギーに変換する装置と言えるだろう。カメラというのは携帯と画像利用が前提なので、軽いことと画質が良い事が基本的な要求仕様になる。引っ張り出してきたデジカメはDSC-R1という11年前の機種であった。電池が4本、64MのCFカードが入っていた。デジカメがいつでも、どこでも使えるという条件を満たすには先ず電池。調べてみるとDSC-R1の撮像素子のCCDはフレームトランスファー方式。電子に変換された画像も信号として送り出さなければ使えない。その送り出しの信号を作る周辺ICの開発をした事がある。その頃はBIPプロセスを使ったが、DSC-R1の頃はCMOSプロセスになっていたと思う。現用のデジカメで撮影したDSC-R1とDSC-R1で撮影した画像をまとめてみた。昔のデジカメは電力消費が大きいので電池切れが心配だった。LCDモニターは通常は使わなかった。時刻設定をしなかったので撮影日時が「2001/06/01 15:03:27」と出た。これがデジカメ本体の設定日のようだ。
Dscr1_and_kabocya_s

2012年7月 5日 (木)

科学ニュースに独り言:新しく発見された素粒子はヒッグス粒子かそれとも別物なのか

2012年7月5日木曜日
昨日は晴れ。真夏日となった。朝方は定例の仕事。昼頃パイプハウス下の気温は34℃。炎天下の仕事はあきらめて、宿題のネコの修理をする。バルブを交換しても空気が抜けたのでパンクと判断。チューブのゴムが部分的に劣化して空気漏れがあった。パッチとゴム糊で修理。何とかOK。取手は黄色のテープを追加して巻いた。この一輪車は2台目のモノだが現役復帰できた。車台の下に8年前にパンクと書き込みしてあった。
Panku_syuuri_neko_2

夕方はタケノコ切り。タケノコは皮が落ちて枝が出てくる頃になると一人前の強さになる。タケノコ切りは竹の進出との攻防だ。手抜きをすると竹林が広がってしまう。昔、竹きりをした後は、竹を地際まで割っておくと良いと教えてくれた人がいた。割らないと節から下が枯れて腐らずにかなり長生きしてしまう。ここは、竹と腐食菌とのせめぎあいの領域だ。七夕用に細い竹をもらってくれた人があったとの事。帰り際にタケノコの皮を2~3枚拾ってきた。この図柄をじっくり見てみたい。竹取の翁はロマンがあって結構だが、竹切りの翁はつらいところがある。7月4日はアメリカの独立記念日。アメリカ大陸原住民にとっては敗戦記念日か。侵略国家としてのDNAは今なお健在のようだ。NHKラジオ第一放送を聞き流していると、ヒッグス粒子が発見されたというニュースが流れた。WEB上のニュースを見ても今ひとつその実体が分からない。重力発生の原因となる素粒子との事だが実感がつかめない。

2012年7月4日の天気

TAVE= 23.1
TMAX= 25.7 最高気温(℃) 25.9 12:26
TMIN= 19.8 最低気温(℃) 19.8 24:00
DIFF= 5.9
WMAX= 4.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.2(西北西) 21:37
SUNS= 0.2
RAIN= 6

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科学ニュースに独り言:新しく発見された素粒子はヒッグス粒子かそれとも別物なのか

「CERN experiments observe particle consistent with long-sought Higgs boson(PR17.12 04.07.2012):url=http://press.web.cern.ch/press/PressReleases/Releases2012/PR17.12E.html」の伝える記事は以下の通りである。

**********************************
Geneva, 4 July 2012. At a seminar held at CERN1 today as a curtain raiser to the year’s major particle physics conference, ICHEP2012 in Melbourne, the ATLAS and CMS experiments presented their latest preliminary results in the search for the long sought Higgs particle. Both experiments observe a new particle in the mass region around 125-126 GeV.

“We observe in our data clear signs of a new particle, at the level of 5 sigma, in the mass region around 126 GeV. The outstanding performance of the LHC and ATLAS and the huge efforts of many people have brought us to this exciting stage,” said ATLAS experiment spokesperson Fabiola Gianotti, “but a little more time is needed to prepare these results for publication.”

"The results are preliminary but the 5 sigma signal at around 125 GeV we’re seeing is dramatic. This is indeed a new particle. We know it must be a boson and it’s the heaviest boson ever found,” said CMS experiment spokesperson Joe Incandela. “The implications are very significant and it is precisely for this reason that we must be extremely diligent in all of our studies and cross-checks."

“It’s hard not to get excited by these results,” said CERN Research Director Sergio Bertolucci. “ We stated last year that in 2012 we would either find a new Higgs-like particle or exclude the existence of the Standard Model Higgs. With all the necessary caution, it looks to me that we are at a branching point: the observation of this new particle indicates the path for the future towards a more detailed understanding of what we’re seeing in the data.”

The results presented today are labelled preliminary. They are based on data collected in 2011 and 2012, with the 2012 data still under analysis.  Publication of the analyses shown today is expected around the end of July. A more complete picture of today’s observations will emerge later this year after the LHC provides the experiments with more data.

The next step will be to determine the precise nature of the particle and its significance for our understanding of the universe. Are its properties as expected for the long-sought Higgs boson, the final missing ingredient in the Standard Model of particle physics? Or is it something more exotic? The Standard Model describes the fundamental particles from which we, and every visible thing in the universe, are made, and the forces acting between them. All the matter that we can see, however, appears to be no more than about 4% of the total. A more exotic version of the Higgs particle could be a bridge to understanding the 96% of the universe that remains obscure.

“We have reached a milestone in our understanding of nature,” said CERN Director General Rolf Heuer. “The discovery of a particle consistent with the Higgs boson opens the way to more detailed studies, requiring larger statistics, which will pin down the new particle’s properties, and is likely to shed light on other mysteries of our universe.”

Positive identification of the new particle’s characteristics will take considerable time and data. But whatever form the Higgs particle takes, our knowledge of the fundamental structure of matter is about to take a major step forward.
**********************************
上記の英文をGooglの翻訳で日本語に翻訳したのが以下の日本文である。

**********************************
ジュネーブ、2012年7月4日。メルボルンで今年の主要な素粒子物理学会議、ICHEP2012に前座として今日CERN1で開催されたセミナーでは、ATLASとCMS実験は長く求められているヒッグス粒子の探索では、最新の予備結果を発表した。両方の実験では125から126 GeVの周りの質量領域での新しい粒子を観察します。

"我々は126 GeVの周りの質量領域では、5シグマのレベルで、私たちのデータに新しい粒子の明確な兆候を観察します。 LHCとATLASと多くの人々の多大な努力の卓越したパフォーマンスは、このエキサイティングなステージに私たちをもたらした、 "ATLAS実験スポークスマンファビオラGianottiは言った、"しかし、もう少し時間は、公刊のためにこれらの結果を準備するために必要です。 "

"この結果は予備的なものであるが、我々は見ている約125 GeVの少なくとも5シグマ信号は劇的である。これは確かに新たな粒子である。我々は、それがボソンでなければなりません、それは今までに発見された重いボソン知っている、" CMS実験スポークスマンジョーIncandelaは言った"影響は非常に重要であり、それは我々が我々の研究およびクロスチェックのすべての非常に勤勉でなければならないことをこのような理由で正確です。"

"それは、これらの結果から、興奮するのは難しくありません、" CERNリサーチディレクターセルジオベルトルッチは言った。 "我々は、2012年に我々は、新しいヒッグスのような粒子を見つけるか、または標準模型ヒッグスの存在を除外することを昨年と述べた。すべての必要な注意を払って、それは我々が分岐点であることを私になります。この新しい粒子の観察は、我々は、データで見ていることのより詳細な理解に向かって将来のためにパスを示す "。

本日発表の結果は、予備のラベルが付いています。彼らはまだ分析中の2012年のデータで、2011年と2012年に収集されたデータに基づいています。今日示した分析の公開は7月の終わり頃に期待されています。 LHCは、より多くのデータを用いて実験を提供した後、今日の観察のより完全な絵は、今年後半に出てくる。

次のステップは、宇宙の我々の理解のための粒子とその意義の正確な性質を決定することになります。念願のヒッグス粒子、素粒子物理学の標準モデルの最後の行方不明成分に期待されるようにそのプロパティは何ですか?またはそれ以上のエキゾチックなものは何ですか?スタンダードモデルは、我々、宇宙のすべての目に見えるものは、作られてから基本的な粒子、およびそれらの間に働く力について説明します。我々が見ることができるすべての問題は、しかし、全体の約4%以上のものはないように表示されます。ヒッグス粒子のエキゾチックなバージョンは、あいまいなまま、宇宙の96%を理解するためにブリッジである可能性があります。

"我々は、自然の我々の理解のマイルストーンに到達した、" CERN所長ロルフ・ホイヤーは言った。 "ヒッグス粒子と一貫性粒子の発見は、新しいパーティクルのプロパティを突き止めるれる大規模な統計を必要とする、より詳細な研究への道を開き、我々の宇宙の他の謎に光を当てる可能性があります。"

新しい粒子の特性の正の識別はかなりの時間とデータを取得します。しかし、ヒッグス粒子がとるどのような形、物質の基本構造の知識は、大きな前進の一歩を踏み出すしようとしています。
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ここで、「英辞郎」によると、「curtain raiser」とは「開幕劇{かいまくげき}、開幕戦{かいまくせん}、前兆{ぜんちょう}の事。「as a curtain raiser」で「前座{ぜんざ}として」の意味になる。上記、ニュース発表におよると、前座の本番が、「ICHEP2012 in Melbourne」。上記のニュース発表自体は、ヒッグス粒子を発見したと述べていないように思われるのだが、日本のマスコミは、どこをどのように確認したのだろうか。「“We observe in our data clear signs of a new particle, at the level of 5 sigma, in the mass region around 126 GeV. The outstanding performance of the LHC and ATLAS and the huge efforts of many people have brought us to this exciting stage,” said ATLAS experiment spokesperson Fabiola Gianotti, “but a little more time is needed to prepare these results for publication.”」「ヒッグス粒子」発見の試みは続行中だが、「発見した」と発表するには、それなりの慎重さが必要な事は、ニュートリノが光速以上の速度を持つという実験の発表が取り消されたばかりなので、言うまでも無いことと思うのだが。上記、報道発表が、前座として、世界の注目を集めようとするのが目的なら、日本のマスコミはそこをしっかり押さえた報道をすべきではないか。

"The results are preliminary but the 5 sigma signal at around 125 GeV we’re seeing is dramatic. This is indeed a new particle. We know it must be a boson and it’s the heaviest boson ever found,” said CMS experiment spokesperson Joe Incandela. “The implications are very significant and it is precisely for this reason that we must be extremely diligent in all of our studies and cross-checks."ここでも、実験の結果が予備的なもので、新しい素粒子と言っているが、それが「ヒッグス粒子」だとまで、言っていないだろう。

The results presented today are labelled preliminary. They are based on data collected in 2011 and 2012, with the 2012 data still under analysis.  Publication of the analyses shown today is expected around the end of July. A more complete picture of today’s observations will emerge later this year after the LHC provides the experiments with more data.Geneva, 4 July 2012. At a seminar held at CERN1 で発表されたのは、予備的なデータである。まだ、最終的な結論は出ていないという事かもしれない。「CERN」とは、「Conseil Europeen pour la Recherche Nucleaire
ヨーロッパ合同原子核研究機関、セルン」との事。今、ヨーロッパの経済危機が最高潮に達しようとしている。国家間の協調より、国家のエゴイズムがまかり通りそうな状況になっている。「CERN」の活動のための予算はどうなるのか。もしかすると、今回の報道の陰の声に「CERNの予算を削るな」というメッセージが含まれているのか。それにしても、純粋科学が余りにも政治的色彩が濃くなるのは如何なものか。

2012年7月 4日 (水)

日々農天気:枝豆異変?

2012年7月4日水曜日
昨日は曇り午後と夜一時雨。来歴不明の食用小豆の種子を畑の空きスペースに播いた。その種子が発芽するか試すため一部を水に浸した。昼過ぎパラパラと雨が降り始めたが期待したほどの量ではなかった。ともかく発芽率は、種子の発芽能力と水分条件が主要因だろう。結果はそう遠くない時期に分かるが、気になる。機械力を使わないので、あれこれ考え事をしながら作業した。昔、田んぼの畦に小豆を播いたら、施肥や除草をどうしたのだろうか、誰がその仕事をしただろうか等々。どうも、農家の主力である父母ではなく、小豆等の雑多で小規模の作物は老人・子供の仕事のように思えた。こういう事は長老に聞いておきたい事でもあるが、その場になると思い出せない。振り返ると、昔の農家には、老人・子供に適する仕事もそこそこにあった。仕事があるという事は居場所があるという事に通じるだろう。今は、老人も子供も直接食べられる作物とは無縁になってしまった。食べる事と生きる事と仕事が分断してしまった。

2012年7月3日の天気

TAVE= 23.1
TMAX= 25.7 最高気温(℃) 25.9 12:26
TMIN= 19.8 最低気温(℃) 19.8 24:00
DIFF= 5.9
WMAX= 4.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.2(西北西) 21:37
SUNS= 0.2
RAIN= 6

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日々農天気:枝豆異変?

豆は、根粒バクテリアが空中窒素を固定して豆に供給するので、昔でも無肥料でそこそこの収穫が出きる程度の栽培が可能だったのかも知れない。5月初旬に播いた大豆の様子を見たら、花が咲いた後で、既に莢ができていた。花は小さく、うす紫色で余り目立たない。大豆が虫媒花とすると、花粉を運ぶ虫は何か気になる。圃場でよく見かけるのがアリ。このアリは花粉の運搬屋なのか。莢にムシが入ると今までの労力が台無しになる。ともかく、まだほとんど虫の害を受けていない。実がどこまで充実するか。周辺の人たちは、枝豆は虫が付くので作らないと言っているのだが。
Google検索(大豆 害虫 防除)=。http://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&q=%E5%A4%A7%E8%B1%86%E3%80%80%E5%AE%B3%E8%99%AB%E3%80%80%E9%98%B2%E9%99%A4。実が充実しつつあるのを狙っている人間だけではないようだ。ともかく、枝豆が食べられるか運次第のようだ。後から、よせば良かったのにと言われるかもしれない。
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2012年7月 3日 (火)

老人の寝言(愛しきもの 道具達):貧困なる精神

2012年7月3日火曜日
昨日は晴れ。雨後で、気温も湿度も上がった。真夏日。前橋のAMEDAS湿度は51~95%。熱中症要注意だ。雨後なのでセルリ、モロヘイアの残り苗を植えようかとしていた。片づけものをしていたら、レジ袋に入った小豆が出てきた。昨年の貰い物が残っていたようだ。かみさんにどうすると聞くと、播いたらとつれない返事が帰ってきた。期待外れ。一袋、数十粒ではなく種子としてはかなりの量だ。幸い手伝いが草かきしてくれたスペースがあった。そこに蒔き始めたところに来客。来客氏曰く、もう遅いんじゃネン。食用にもらったモノなので収穫時期や発芽能力は不明。ダメモトさ。節分の豆まきのようにばらまきにしようとも考えたが、発芽を考慮して大きめのゴミを除去してスジ蒔きにして少し覆土。一日晴れると畑はかなり乾燥する。野鳥対策からも覆土が良いだろう。作物も大きくなり深く根を張っていれば乾燥に強い。小さな苗は根が浅いので乾燥に注意が必要。苗の灌水には水加減を調整しやすいジョウロが適している。その如雨露のハスノミが不調なのでペットボトルで代用品を作ってみた。政界は相変わらず国民不在の茶番劇を見るような状況が続いている。

2012年7月2日の天気

TAVE= 23.8
TMAX= 29.9 最高気温(℃) 30.1 15:47
TMIN= 19.4 最低気温(℃) 19.3 00:41
DIFF= 10.5
WMAX= 4.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.4(東南東) 19:03
SUNS= 7.8
RAIN= 0

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老人の寝言(愛しきもの 道具達):貧困なる精神

如雨露のハスノミ部分が不調になり水がジャジャもれするようになった。ハスノミの値段を店頭で調べたら意外に良い値段だ。安い如雨露ならもう少し金を出せば買える位の値段。それなら、ポンコツになった如雨露のものと交換しようと試したが太さが合わなかった。ハスノミの穴の大きさも用途により何種類かあれば便利だ。自分が使う如雨露もプラスティック製の安物が多かったが、耐久性が悪い。屋外に出して紫外線を受けるとすぐボロボロになる。短期間で買いなおさせる仕様のように思ってしまう。末端の利用者としてはハスノミのサイズ等を標準化してくれると有り難いが、現実は脱標準化・脱互換性なのか。ともかく、本体がまだ使えるのだからと、ペットボトルの口を如雨露にさしたらぴったり合った。そこでペットボトルの底に錐で穴を開けてハスノミの代用品を作ってみた。穴が大きいので、大雑把な灌水には何とか使える。小さな穴が開けられれば更に使い勝手の良いモノができそうだ。昔、万年筆はスポイト式でどこのインクも使用できた。それが、カートリッジ式になり、本体を買うと、カートリッジが選べなくなった。まさに、貧困なる精神の見本に見えて、それ以来万年筆は使わなくなった。
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2012年7月 2日 (月)

読みかじりの記:「ドキュメント 東京電力 福島原発誕生の内幕」 田原総一朗 著 (2011年 株式会社 文藝春秋)

2012年7月2日月曜日
昨日は曇り15時頃から雨。百日草(ジニア)の苗植え付け全部終了。小豆大納言の苗を定植。密蒔きにして管理。定植場所の雑草を除去後に植える。本葉2~3葉。草丈15~20㎝ほど。播種後3週間程度。灌水の手抜きのため雨がパラパラ降りだしてから始めた。民主党は分裂含みでゴタゴタしている。関西電力大飯原発は定期検査で停止していたが、運転再開に異論がある中、総理大臣の判断で起動のSWが入った。本日、夕方に臨界に達すると報道されている。原発は利権の宝庫なのか。

NHK NEWSWEBは、「小沢氏 約50人と離党届提出へ;url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120702/t10013252791000.html(2012年(平成24年)7月2日[月曜日]7月2日 4時0分)」というタイトルで、「民主党の小沢元代表は、野田総理大臣がいまの国会で消費税率引き上げ法案の成立を目指す方針を変えないとしていることから、2日、離党を表明する見通しです。そして、みずからに近い衆参両院の国会議員およそ50人と共に速やかに離党届を提出する方向です。」と報じた。この記事は文体が「です」なので目を引いた。視聴者をナメテバカ丁寧にならないように願いたいところだ。メディアが使う文体は報道姿勢を現すのではないか。

毎日.jpはその報道写真の説明で、「大飯原発:3号機を起動 「稼働原発ゼロ」2カ月で終了;url=http://mainichi.jp/graph/2012/07/02/20120702k0000m010077000c/001.html」というタイトルで、「大飯原発3号機再稼働 中止申し入れ書の受け取りを求め機動隊員に詰め寄る参加者=福井県おおい町で2012年7月1日午前8時36分、松野和生撮影」と報じた。この写真の機動隊員の視線はカメラをそれている。マスクをしている機動隊員もいる。前総理も歴史に名前を残そうと突っ走ったような記憶が残る。現総理もやけっぱちになって同じ道を歩むのか。

2012年7月1日の天気

TAVE= 20.6
TMAX= 22.8 最高気温(℃) 23.3 11:38
TMIN= 19.1 最低気温(℃) 19.0 23:23
DIFF= 3.7
WMAX= 2.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.1(南東) 11:48
SUNS= 0
RAIN= 18

Q
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読みかじりの記:「ドキュメント 東京電力 福島原発誕生の内幕」 田原総一朗 著 (2011年 株式会社 文藝春秋)

本書の「はじめに」に本書は「ドキュメント東京電力企画室」を改題復刊したものと書かれている。その日付が2011年5月。あとがきの日付が1980年12月である。本書に添えられた「はじめに」と「あとがき」に、著者のジャーナリストとしての視点が記されて、本書の読みかじりの参考になる。約32年前に本書を世に出した著者のジャーナリストとしての慧眼の鋭さを知ったのも読みかじりの効用であった。東京電力は技術会社より企画会社、生まれから国策会社という性格が色濃い。それを、本書では国家(官僚)と電力会社という対立軸を通して描いている。その先は自分で考えろと言っているように感じた。東京電力を運営してきた経営者も企画畑の人材だ。その体制が、東京電力本年実質国営化するまで続いてきた。「企画」とは、良くも悪くも企みを画にして、そこに立ち向かう事だろう。未開拓の事業が見える経営者、本書に登場する東電会長木川田一隆もその意味では企画の人材であったのか。しかし、ハード的な未開拓の事業がおおむね完成してしまうと、経営は守りの姿勢に転じてしまう。志を失う。日本の将来も見えなくなる。その昔の体質を改善もせずに続けてきた東京電力はまさに、色々な意味で破綻したのではないか。国家(官僚)は、幸運にも、敵失に乗じて、本丸をハイジャックしたが、本業をまともにできない連中が、厄介者をどこまで介抱できるか国民も懐疑心が募るだろう。本書に、電力王(翁)松永安左エ門が吐き捨てたという「浮かれ革新」という台詞が登場する。浮かれている現象の底流を見よとのメッセージに読めた。

「木川田一隆。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%B7%9D%E7%94%B0%E4%B8%80%E9%9A%86。(最終更新 2012年5月23日 (水) 14:50 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「木川田 一隆(きがわだ かずたか、男性、明治32年(1899年)8月23日 ? 昭和52年(1977年)3月4日)は、昭和期の経営者・財界人。元経済同友会代表幹事(1960年~1962年(複数代表幹事制)、1963年~1975年)。「企業の社会的責任」を唱導した、哲人的財界人として名を残している。
来歴・人物 [編集]:福島県伊達郡梁川町(現伊達市梁川町)生まれ。旧制角田中学(現・宮城県角田高等学校)、旧制山形高校(現・山形大学)を経て、1926年東京帝国大学経済学部を卒業、東京電燈に入社する。東大時代は河合栄治郎の講義を最前列で聴き、河合の唱える理想主義的自由主義に傾倒した。社会に出てからは「電力の鬼」松永安左ヱ門に師事し、民間企業人としての闘魂を学ぶ。戦後の1951年、電力業界再編で誕生した東京電力で常務、1954年副社長となるが、部下の汚職事件の責任を取って1958年常務に降格する。ほどなくして1959年副社長に返り咲き、1961年青木均一の後を継いで社長に就任した。」

本書でも、木川田一隆と福島県への原発設置の関係が述べられていた。木川田一隆にとって福島県は生まれ故郷になる。郷土の発展は誰もが願うことだろう。改めて都市と地方の格差も痛感する。原発が来たことにより、県内最貧村が最富村になるという仕掛けがあった。それも企みなのか。

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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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