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2012年7月

2012年7月21日 (土)

日々農天気(愛しきもの 花と実):果菜類の収穫

2012年7月21日土曜日
昨日は曇り一時雨。終日宅内。真夏日から、肌寒い天気に変わったので体調管理に注意が必要だ。落雷で動かなくなったC1GHzのデスクトップPCのケースを開けてチェック。機材はドライバーとテスターしかないので不具合場所を特定できなかった。FANは回り、5V/12Vの電圧は出ていたので多分電源はOKで、CPUかHDDが不具合のようだ。夕食後来客。しばらく雑談後、PCチェック再開。落雷でも外見上の異常が見えない。推理力が必要だ。先日は、菜園の野菜を収穫。無肥料、無農薬で野菜を作るのは難しい。先生の茄子は元気が良いが、我が家の茄子はもうばて気味だ。

2012年7月20日の天気

TAVE= 19.5
TMAX= 21.1 最高気温(℃) 21.5 00:01 V
TMIN= 17.3 最低気温(℃) 17.2 23:51
DIFF= 3.8
WMAX= 2.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.7(東) 11:31 V
SUNS= 0
RAIN= 5

Q
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日々農天気(愛しきもの 花と実):果菜類の収穫

手塩にかけて育てた菜園の野菜が実を付けてきた。この作物の苗は全てホームセンター等で買った物。キュウリは収穫遅れで太り過ぎ。ミニトマトは赤ピコとかいう品種で色が良い。ピーマンは株が大きくならず収穫量が少ない。茄子は千両二号やミズ茄子だったか。ここまでは、化学肥料無し。鶏糞や鶏糞溶液を少量撒いた程度。もう株がばて気味。そろそろ追肥でもするか。雑草だけはグングン育つのだから、ある程度土壌肥料は残っているのではないかと見ている。

「堆肥の役割(http://www.pref.shimane.lg.jp/industry/norin/seisan/kankyo_suishin/taihi_map/index.data/taihisetumei.pdf)」に以下の発酵鶏糞の記事がある。

「鶏糞たい肥(発酵鶏糞)
【特 徴】
・鶏糞堆肥に含まれる肥料成分は、牛糞堆肥に比べるとかなり高く特にリン酸が多く含まれます。
・野菜畑への施用量は、500kg/10aぐらいとし、作目や作型を勘案して加減します。
・肥料成分が多く、肥効の発現も早いので、堆肥というより化学肥料に近い使い方をします。
【留意点】
・粗大有機物は、ほとんど含まれていないので、物理性の改善効果は余り期待できません。
・施用量が多すぎると肥料あたりの恐れがあります。」

肥料のリン酸過多は、富栄養化により環境汚染をもたらすと言われている。肥料メーカーや販売店も大量にうれる、窒素、燐酸、加里を優先的に売り込む。不足するのは微量元素かもしれない。
Saien_syuukaku_2012_07

2012年7月20日 (金)

幼少の頃:朝起きして置き針を上げるときの楽しみ

2012年7月20日金曜日
昨日は晴れ。相変わらずの猛暑日。朝飯前仕事で苗床の草むしり。用事外出。朝方は、雑草にも朝露が降りているので、手が泥だらけになる。朝露が無くなる頃、蚊が出てくるように感じた。雑草を揺らして、葉の下に潜んでいる蚊を追い出しているようで釈然としない。ほうきで雑草をたたいて、蚊取り線香を付けたら心持ち蚊が少なくなったように感じた。気持の問題か。先日、腰に下げていたポータブル香取線香容器を紛失してしまったが、雑草の中から出てきた。早起きは三文の得の譬えのようだ。早朝の朝露で思い出したのが、幼少時に近くの川に仕掛けた置き針を上げに行く時の感覚。遊びだから楽しいだけでなく、まだ誰も起きていない早朝に朝露を踏む事にも爽快感があった。当時の事なので素足で出かけた筈だ。素足の感覚が無意識の中に残っているようだ。

2012年7月19日の天気

TAVE= 28.4
TMAX= 37 最高気温(℃) 37.7 13:51
TMIN= 21.5 最低気温(℃) 21.2 23:57
DIFF= 15.5
WMAX= 6.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 11.5(東南東) 15:10
SUNS= 9.8
RAIN= 0

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幼少の頃:朝起きして置き針を上げるときの楽しみ

幼少の頃とは、今からほぼ50~60年程度前になるだろう。当時は、人口もすくなく、郊外は里山の風景があちこち残っていた。農薬もほとんど使われず川にはいろいろな魚がいた。「生物の多様性http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/10/post-88cb.html」にその頃の事を書いた。また「魚の捕り方(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/10/post-0357.html)」では、「5.置き針・・・・・釣りの一種だが夕方仕掛けて翌朝引き上げる。効率が良い。ナマズやウナギが捕れた。」と書いた。

2012年の「土用の丑の日」は7月27日との事だ。今年は、ウナギの稚魚の値上がりで、ウナギの価格も1.5倍からそれ以上に値上がりしているようだ。また、今まで謎に包まれていたウナギの産卵場所や生態が解明されてきたようだ。養殖への手がかりが確実になってきたと思われる。養殖が実用化された段階では、国費で行った調査・研究の成果は国民に広く還元して頂きたいところだ。

幼少の頃に、前日の夕方に仕掛けた置き針を、4時ころから朝起きして、その仕掛けを上げるときの楽しみは格別であった。どこに仕掛けるかは、個人のノウハウがあり、他人には見せたくない気持もあり、それはお互い様という事で、置き針に関しては、単独行動が多かった。この早起きだけは、親が感心してくれた。餌は、肥やし場の中に棲息するミミズを使った。置き針用の針は、漁具店で売っていたと思う。針をカツ糸に結び、糸の他方は仕掛けを固定する箸のような割竹に結んだ。それを、魚がいそうな場所に仕掛けるのだ。他の者に、その仕掛けを取られないように、その場所には作業の後を残さないようにした。場所が分かるよう自分だけ分かる印を付けることもあった。ともかく、自分が作った仕掛けを、自分が仕掛け、それで獲物がとれれば、それだけでうれしかった。創意工夫の面白さは自発的なほど面白いと言えるのではないか。

かかったウナギを食べたかはっきりした記憶がない。自分でさばいた記憶はない。当時は一般の人は、フナ、ドジョウ等はよく食べたが、ウナギをさばいたりするのを面倒がっていたのではないか。大きなウナギはヘビにも似ているので気味悪がっていたのかもしれない。生きたウナギをさばくのは大変だ。仕掛けにかかったウナギでもなななか掴めない。下手に包丁を使うと怪我もしかねない。当時は、近所のおばさんが、ウナギを買ってくれたので、それを売って、小遣いにした。そのおばさんに、さばき方、食べ方を聞くほどの世知辛い関心はなかった。

最近、日本ウナギの生態の解明が進み、マリアナ諸島西方の太平洋で産卵されたウナギが、はるばる日本列島の中央部まで遡上・生活し、それが産卵のため、さらに太平洋を下って、大きな循環をつくっている事が分かってきた。このような生態が、ウナギのDNAの中に記憶されているのは驚異と言えるのではないか。そのような、数千年、数万年も続いたと思われる、生物の循環が、この半世紀ほどの内に無くなってしまったのは残念ではある。まれに、思わぬウナギの捕獲のニュースもあるが、一昔の規模でないのは明らかだ。ウナギにとって大衆魚になってしまったのも運がわるかったのかもしれない。「土用の丑の日」は茄子の鴫焼き等はいかがか。

2012年7月19日 (木)

日々農天気(愛しきもの 生き物):タデ食う虫も好きずき(イモムシ)

2012年7月19日木曜日
昨日はやや雲が厚いが晴れ。夜一時雨。熱帯夜猛暑日が続いている。朝飯前仕事で草かき。夕方用事外出。小豆と雑草が区別できなくなってきた。拙速で小豆の周辺の草をかき削る。近くの柿の木の下も草かきしようと腕を出したら、ちくりとしびれるような痛さを感じた。柿の葉の裏に電気虫(イラガの幼虫)の群がいた。やや大きめで、これから群を解いて単独行動を始めようとする頃のようだ。水道水で患部を洗い流してから駆除した。1メートルほどに成長した草は、数回から10回ほどアゼカキを振り下ろす必要がある。生えたての草なら一二回で済むので、効率は数分の一に落ちる。倒した雑草で地面を覆いマルチにする。イラガの幼虫はピーナッツほどの固い殻に入って越冬する。その殻は多くの樹種に付いているので、好き嫌いが少ない害虫のようだ。そう考えると、どこかで刺される確率が大きいわけだ。先日は、ハデハデな模様のイモムシに出合った。イモムシ、ケムシは気付かない間に触ったり、首の回りを這っている事がある。その異様な外形をみるとびっくりする。

2012年7月18日の天気

TAVE= 29.2
TMAX= 33.9 最高気温(℃) 35.1 12:23
TMIN= 25.3 最低気温(℃) 25.3 05:00
DIFF= 8.6
WMAX= 3.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.6(東南東) 18:21
SUNS= 5.8
RAIN= 3.5

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日々農天気(愛しきもの 生き物):タデ食う虫も好きずき(イモムシ)

ATOKがタデ(蓼)を一発で変換してくれない。下手な単語登録が多いので最後の方から出てきた。畑で出会う、昆虫の幼虫にも、人間色々な反応をしてしまう。やはり、苦手なのはイモシ、ケムシ類。おそらくあの外形、色、模様等は警戒が目的で、外見ほどの危害は与えないと思うが、触れて大丈夫か学習していないから、いつもビクビクする。イモムシ類でも、アゲハの幼虫は苗を食害するので、何とか素手でつかめるようになったが、それも仕事の中での事。普通に、第三者的に見るときは手を出す気はしない。真っ黒の外皮に、黄色く丸い七つの丸い紋があるイモムシに出会った。デザイン的には目立つ配色だが、キュウリを取ろうとしたところなので一瞬たじろいだ。最初見たときは、逆立ちしていると思った。改めてデジカメ写真をみると頭がちゃんと上にあった。頭と尻をごまかす配色なのか。ヤブガラシの茎にとりついてそれを食べているようなので、その限りでは益虫かなと思った。ヤブガラシが好物か全く分からない。タデ食う虫も好きずきと言っても、餓死してまでそれを貫く事もあるまい。おそらく、成虫になれば、またよくわからない蛾に姿を変えるのだろう。
Imomushi_yabugarashi

2012年7月18日 (水)

環境雑録:約110年ほど前の当地の最高気温はどうだったか

2012年7月18日水曜日
昨日は晴れ。一昨日に続き熱帯夜で猛暑日。高温注意報が出た。朝は灌水と少し早いが枝豆を少し収穫。上毛新聞に枝豆収穫の記事が出ていた。やはり莢は選別しているようだ。かみさんから禁足令が出て蟄居。伊勢崎は最高気温(℃) 39.1 14:23 と観測記録タイの高温となった。また、関東甲信地方の梅雨明け宣言もあった。天気図は日本が日本海と太平洋の高気圧に挟まれている気圧配置となっていた。いよいよ夏本番だ。室温は34℃ほどになった。ビールは出ないが、枝豆が食卓に出てきた。今年の梅雨明け状況は以下の通り。

http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/baiu/sokuhou_baiu.html
地方      平成24年     平年差   昨年差   平年         昨年
関東甲信  7月17日ごろ  4日早い  8日遅い  7月21日ごろ  7月 9日ごろ

2012年7月17日の天気

TAVE= 30.1
TMAX= 37.9 最高気温(℃) 39.1 14:23 
TMIN= 25.2 最低気温(℃) 24.9 04:51 
DIFF= 12.7
WMAX= 4.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.6(東) 18:23 
SUNS= 10.5
RAIN= 0

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環境雑録:約110年ほど前の当地の最高気温はどうだったか

余りの暑さ、その上雷鳴もしてきた。たまたま、「佐波郡 殖蓮村郷土誌」という本を開いたら、明治30年/1897~明治42年/1909の13年間の平均気温データが掲載されていた。その中に、「最高気温ノ極」として、7月の欄に39.1℃(摂氏と明記はないが摂氏が妥当)とある。ところが、観測時刻が10時と明記してある。これだけの記録をきちんととれるのは当時の役所かが業務として観測していたと推測される。問題は、10時に39.1℃とすれば、その日の最高温度は更に高かったのではないかと言うこと。そこで、本日朝10時の気温(33.4℃)との差(5.7℃)を考慮して当時の気温を考察してみた。ピーク値を調べるには連続してデータを測定する必要がある。お役所仕事で定時観測だけだと、「10時に39.1℃」と解釈すべきなのか、今日は暑いと特別に観測したのか。昨日のようなパターンで温度上昇したと仮定すればピークで43.6℃となるが、この値は日本の観測史上のデータ以上のようだ。そうならば、今日は暑いと特別に観測したデータが39.1℃だったと解釈すべきかもしれない。以上から、明治30年代に「39.1℃」の気温が観測されていたのは確かだ。場合によれば更に高温だったかもしれない。今日は特別に暑いからと定時観測以上の観測をしていたとすると、その担当者の熱意でこの記録が残った事になる。ともかく、この暑さにもめげずに貴重なデータを残してくれた先人に脱帽だ。
Tenkizu_kion_isesaki_120717

追記:伊勢崎の日最高気温(℃)の高い方から10位まで( 統計期間= 1998/7~2012/7 )

39.8(2007/8/15)
39.1(2007/8/16)
39.1(2001/7/24)
39.0(2000/9/2)
38.7(2002/8/1)
38.6(2011/7/16)
38.6(2006/8/4)
38.4(2010/7/23)
38.4(2001/8/1)
38.4(2001/7/4)

2012年7月17日 (火)

老人の寝言:関西電力は東京電力のとばっちりを受けた被害者か

2012年7月17日火曜日
昨日は晴れ。朝から高温注意報が流れた。最低気温(℃) 25.0 04:03 で熱帯夜。最高気温(℃) 36.3 14:59 で猛暑日となった。まだ、梅雨明け宣言はない、小豆の移植を朝飯前仕事として少しだけして、その後は宅内。宅内の室温も33℃と暑い。海の日だからというわけではないが、海水浴スタイルで暑さをしのぐ。梅酢にクエン酸を入れて熱中症対策ドリンクにした。知人からキムチ等の差し入れ。デスクトップパソコンのFANは回りっぱなし。この暑さで、電力消費量が気になった。東京電力と関西電力のホームページを覗く。一昨年(2010年)東京電力の夏の最大電力は、5,999万kWを記録(7月23日)。東京電力の昨年の電力データから、毎日の最大電力をグラフにしてみた。

2012年7月16日の天気

TAVE= 30.0
TMAX= 35.8 最高気温(℃) 36.3 14:59 
TMIN= 25.1 最低気温(℃) 25.0 04:03 
DIFF= 10.7
WMAX= 3.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.4(東南東) 14:23 
SUNS= 10.7
RAIN= 0

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老人の寝言:関西電力は東京電力のとばっちりを受けた被害者か

昨年は、東京電力福島第一原子力発電所の事故で、東京電力管内の電力利用者は、節電を強いられた。いま振り返るとあの、強引・無計画な計画停電は原発事故隠しの隠れ蓑そのものに見える。まさに、国民の死活に関係するエネルギーを握っている連中が悪魔のささやきに負けた結果を示しただけにすぎなかったようにみえる。東京電力平成23度報告書によると、個別支給額は開示されていないが、取締役21名で総額179百万、平均8.52百万円/人の報酬を受けていると記されている。この平成23度報告書は、事故の責任としての損害賠償と経営責任としての電力料金増加分も利用者にツケ回して、ちゃっかりこれだけの報酬を受け取とったと当世風経営者倫理のありさまを、永久に後世に伝える記念すべき役割を負っているかのように見える。東電の株主は太っ腹なのか。

昨年は、東は大変、西は安心という雰囲気があったが、原発の稼働停止が現実になり、電力事情は西と東が逆転した。原発がなければ、電力は不足するという、原発稼働への強迫観念が未だに電力業界を支配しているようだ。従って、供給可能電力の根拠や明細は具体的に示されない。国民が見せられているのは、その時々の数値だけで、その裏付けは皆目分からない。ともかく、万一、関西電力側に、何らかのトラブルが発生すると今後は更に問題が複雑化するのではないか。そんな事を考えつつ、猛暑の中データをまとめてみた。ざっと見ると、東京電力は関西電力の約二倍の電力規模。相撲で言えば、東の横綱が死に体。西の横綱が頑張らなきゃ。データは東京電力と関西電力のホームページに掲載されたものである。電力事情が逼迫するのが、7月と8月だが、何が起こってもおかしくないのがこの世の常。東京電力の2011年の最大電力:2011/8/18 4922KW。

Tepco_and_kepco_power_2012_07_16

2012年7月16日 (月)

日々農天気:枝豆莢(大豆)の実入りを良くするには

2012年7月16日月曜日
昨日は大体曇り。朝一時雨。昼過ぎ時々晴れ間。最高気温(℃) 33.1 15:49 の真夏日。法事。夕方、来歴不明の小豆を移植。本葉2葉程度。発芽率数%程度で放置すれば雑草の大海に沈没する。蚊取り線香の煙がゆっくり流れる。風速1.3~1.5m/sの微風で体感的には無風だ。馬鹿らしいと思えば馬鹿らしい仕事だ。修業と思えと天の声。シャワーが気持ちよい。そんなところへ、ふかしたトウモロコシの差し入れがあった。感謝、極楽、極楽。我が家のトウモロコシは雄穂が付いている茎が鉛筆ほどの太さだ。あ~はずかしい。周辺に枝豆を作っているはいない。うまくゆけばお裾分けできるかもしれないと甘い期待。

2012年7月16日の天気

TAVE= 28.2
TMAX= 32.4 最高気温(℃) 33.1 15:49 
TMIN= 25.5 最低気温(℃) 25.1 04:55 
DIFF= 6.9
WMAX= 1.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 4.8(南東) 16:03 
SUNS= 1.7
RAIN= 0.5

Q
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日々農天気:枝豆莢(大豆)の実入りを良くするには

店に出てくる枝豆は食欲をそそる緑色で実入りも良くふっくらとしている。それに比べると我が菜園の枝豆は何と見劣りがすることか。ともかく、試食する前に、3株採取したサンプルのデータを取ってみた。以前の枝豆記事、写真はここ。http://af06.kazelog.jp/photos/uncategorized/2012/07/04/edamame_120703.jpg 三粒莢を選別すると歩留まりが22%程度になってしまう。豆が入らないか、食べられそうでない莢の割合が28%もある。受粉が良くないとにらんだが、大豆は自家受粉で、一つの花の中で受粉が済んでしまうらしい。その受粉期間も極短いようだ。株の方から見れば、一莢に一個でも、確実に稔る方を選んでいるようにも見える。無理して、三粒莢を作る必要もなさそうだ。三粒莢をほしがっているのは人間の都合の方かもしれない。三粒莢を増やすにはどうしたら良いかという質問がWEB上にあった。その要点を末尾に記す。開花受粉する時期を想定して、枝豆が受粉最高条件になるよう管理する以外になさそうだ。たとえ人工授粉が可能であっても採算は合わないだろう。

EDAMAME_DATA.jpgをダウンロード (枝豆実入り状況のデータ)

枝豆の三粒莢を増やすには(http://www.h.chiba-u.jp/soudan/sosai/edamame.htmの要約)
その1:適性品種の選定
その2:栽植距離の適正化
その3:土壌・肥料条件の適正化
その4:苗の大きさの適正化(移植栽培)

2012年7月15日 (日)

日々農天気(愛しきもの 生き物):ポリコップの中のボウフラ

2012年7月15日日曜日
昨日は曇り時々晴れ。最高気温(℃) 33.6 14:15 の真夏日。ハウス下の温度計は昼前に32℃となっていた。前線の影響で九州北部に記録的大雨が降った。赤色二十日大根の播種。小菊の挿穂採取。枝豆試し取り。未だ実は充実していないが、もう少しで食べられそうだ。抜いた茎にカメムシが一匹這いまわっていた。かなり動きが早い。デジカメに納めようとしたがシャッターチャンスが掴めない。枝から降りたところで飛び立ってしまった。昆虫の羽は伊達には付いていないことを実感した。作物が大量にあるところは昆虫にとっても最高の餌場。草の中に、ぼちぼち作物がある状態なら昆虫の攻撃も減りそうだ。軍事技術として、軍事通信信号をノイズの中に紛れ込ませて送るスペクトル拡散という技術が開発された。その技術は、後に宇宙通信にも使われた。昆虫の眼(攻撃)から作物を守るには、混作という方法も面白そうだ。午後は暑さで退散。暫定現用ME機のC400Mのパソコンが起動不全となった。何とかSAFE MODEでは起動出来た。SAFE MODEではNETやUSBメモリーが使えないようだ。C1GのME機に引っ越し。USBメモリーの差し替えだけで済んだ。ジャングル状態の畑に乗り込むには、蚊が悩みの種だが、6月頃から蚊が出てくる。その蚊の幼虫がボウフラだが、ボウフラを横から観察したのは初めてだった。

2012年7月14日の天気

TAVE= 28.4
TMAX= 33 最高気温(℃) 33.6 14:15
TMIN= 24.4 最低気温(℃) 24.3 05:15
DIFF= 8.6
WMAX= 3.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.5(西北西) 10:05
SUNS= 2.3
RAIN= 3

Q
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日々農天気(愛しきもの 生き物):ポリコップの中のボウフラ

仕事中、腰に下げていたポータブル香取線香容器を紛失。ジャングルのような畑で紛失物を見つけるのは大変。見つかった時は使い物にならない場合も多い。畑の容器には雨水が溜まり、そこにボウフラが生息している。水が綺麗すぎると、栄養分が少ないのでボウフラも湧かない。餌となる適度の腐食物が必要なようだ。仕事の気分転換にそのボウフラをポリコップにすくい上げて、生態観察をしたが、実に面白い。ボウフラは空気呼吸をしているようで、振動で水中に隠れても直ぐに浮かび上がる。容器の水でレンズ作用が生じるのか、ボウフラが拡大されて見えた。しっぽの先が呼吸孔になっているようで、パイプを銜えて水に隠れる忍者の水屯術を連想してしまった。2012年は辰年で、タツノオトシゴも人気になったが、そのタツノオトシゴにもどこか似ている。ボウフラの生育には水たまりが不可欠だが、親になった蚊は結構水深の深い水たまりを選んで産卵しているように感じる。WEB情報では産卵から羽化まで10~14日との事だ。最低でもこの期間は生育できる水たまりが必要なのだろう。
Boufura_kokyuu_d

2012年7月14日 (土)

技術 回顧と展望:近代養蚕・製糸業の夜明け(富岡製糸場見学)

2012年7月14日土曜日
昨日は朝時々晴れでその後は曇り。それでも気温は高い。ミニトマト、ナス、キュウリを収穫。除草、作物の手入れの時間がほとんど。発芽率は良くないが、食用小豆が発芽していた。小豆種子を水に浸して様子を見たが、幼根が肥大し発芽しそうだという所で中止。雑草の中からひょろひょろのショウガの株が出てきた。売れ残りの種ショウガを植えた物で、時期遅れだったかも知れない。更に水分不足。日陰気味になるイチジクの木の近く植えたが、葉が広がってくると雨が降ってもその木の下は雨がかかりにくくなる。ともかく、ゼロではなかったので工夫すれば成績も上がるだろう。7月13日上毛新聞には、「世界遺産へ前進 富岡製糸 絹遺産群を推薦 文化審議会特別委員委了承 14年の登録を目指す」という大きな活字が踊っていた。そう言えば、町内の生涯学習行事で富岡製糸場を見学した事を思い出した。

2012年7月13日の天気

TAVE= 26.6
TMAX= 29.6 最高気温(℃) 29.8 14:03
TMIN= 23.1 最低気温(℃) 22.8 03:37
DIFF= 6.5
WMAX= 2.2 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 5.2(東南東) 23:56
SUNS= 1.5
RAIN= 0

Q
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技術 回顧と展望:近代養蚕・製糸業の夜明け(富岡製糸場見学)

養蚕は父の代で終わってしまった。その仕事を手伝ったり、見たりして育ったので我々の世代にはまだ養蚕という仕事が身近に感じられる。農家でなくても、養蚕が盛んな頃は、農家の手伝い等の仕事があったので、養蚕に関係した人は相当多かったと思う。養蚕が盛んになっても、適地適作という観点からは、養蚕地帯は畑作地帯と重なる。日本の養蚕が栄えたのも衰退したのも、養蚕により生産された繭の最終商品としての絹糸が国際商品だったからだろう。

絹遺産群は、富岡製糸場(富岡市)、田島弥平旧宅(伊勢崎市)、高山社(藤岡市)と荒船風穴(下仁田町)の4資産。明治はじめに国営の富岡製糸場ができた。機械を動かす動力は蒸気機関。富岡製糸場にある高い煙突がその蒸気機関を象徴するものであった。当時は、在来の人力製糸も健在であった事から、富岡製糸場は国策の近代化の象徴とも見られるだろう。いわば、農産物(繭)を加工する工業(第二次産業)の育成とも見られる。農家が繭を作るのは変わらない。しかし、田島弥平等による蚕種の改良・製造は進歩した。いわば、優秀な蚕の種苗生産により農家の需要に応えたのだろう。荒船風穴は蚕種の保管により、蚕種供給期間を延ばす役割を果たした。今日の倉庫業にも通じる。高山社は養蚕技術の普及・人材育成を図った。今日的には、サービス業という第三次産業ともいえるのではないか。

こうみると、絹遺産群も産業関連では、一つのネットワークを作り、総合的な産業形態が生まれてきたのが明治初期と言えるだろう。欠けているのが生産した絹を売る商業の部分。絹は国内流通だけでなく、国際商品として、横浜等の港に集積され、外国へ輸出された。最近、伊勢崎市の指定文化財である旧時報鐘楼建設資金を当時の伊勢崎町に寄付した、伊勢崎生まれで、横浜で貿易商を営み成功した小林佳助について調べた。小林佳助が横浜で開いた小林商店の取り扱い品目は主に薄荷等の薬種や海産乾物だったようだが、生糸の取引をした可能性もあるようだ。

横浜沿革誌(出版社 太田久好 :出版年 1892-07  明治25年)の記事には「生糸輸出濫觴ノ事」、「横浜生糸商江戸糸問屋ト協議横浜ニ生糸荷受所設立ノ事」、「横浜生糸改会社創立ノ事」、「蚕種検査ヲ横浜生糸改会社ニ委任ノ事」、「独乙国キニフル商会買入蚕種紙違則ノ論議生糸会社役員奔走ノ事」、「内外生糸商協議生糸風袋量目約束ノ事」、「横浜生糸売込商結合連合荷預所設立内外商葛藤ノ事」、「横浜市内外国生糸営業者」等生糸に関する記事が多くある。

富岡製糸場等絹遺産群が世界文化遺産に登録される事により群馬県の養蚕・製糸業の理解がより深まる事に期待したい。現役時代は、半導体の売り込みのため、製糸関連企業を訪問した記憶がある。斜陽になりかけた製糸業を新規事業で立て直すために、電子機器や電子部品の開発する部門を作った企業も多かったようだ。開発した製品を輸出して実績を上げている企業もあった。新しい産業には新しい技術と人材が育つ。長い目で見ると、産業も技術も栄枯盛衰の流れの中にある。富岡製糸場等絹遺産群が我々に何を語ろうとしているのかじっくり耳を傾けてみたい。

TOMIOKASEISIJYOU_3X2_PIX.jpgをダウンロード
(富岡製糸場写真6枚合成:撮影2009年6月)

2012年7月13日 (金)

半端道楽:自作パソコン全盛の頃

2012年7月13日金曜日
昨日は曇り。「未明」と「夜遅」くに降雨。AMEDASのデータを見て降雨があったのは分かるが、その時刻の言い方が分からない。気象庁の「時に関する用語  (http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/toki.html)」は便利だ。父の日のプレゼントのノートパソコンの受け入れ検査。何とか無事動いたが慣れるまで時間がかかりそうだ。SWを入れる前にマニュアル等を読む。本体、ソフトに関する仕様・内容が簡単すぎる。注意事項が多すぎる。必要なデータやサービスはホームページを見よというようだ。確かに、余り読まれないマニュアル類に金をかけても採算が合わないのかもしれない。ともかく初期設定の項だけはマニュアルを参照して立ち上げた。OSはWIN7だった。ディスクやデータがどこにあるのかさっぱり分からない。構造が見えない軟体動物のようにOSが変わっていた。これも時代の流れかも知れない。パソコンも完全に日用品になってしまった。

2012年7月12日の天気

TAVE= 25.6
TMAX= 27.2 最高気温(℃) 27.5 16:53
TMIN= 24.4 最低気温(℃) 24.3 23:45
DIFF= 2.8
WMAX= 3.5 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.7(東) 21:36
SUNS= 0
RAIN= 9

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半端道楽:自作パソコン全盛の頃

「地下鉄サリン事件。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6。(最終更新 2012年6月28日 (木) 18:50 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)は、1995年(平成7年)3月20日に東京都の地下鉄で宗教団体のオウム真理教が起こした神経ガスのサリンを使用した同時多発テロ事件で、死者を含む多数の被害者を出した。警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件[1]である。この事件は日本だけでなく世界にも大きな衝撃を与えた。」とある。

今年になって久しぶりに、宗教団体のオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件や関係事件の容疑者が発見・逮捕されて、改めてこの事件への関心が高まった。「地下鉄サリン事件が起こった1995年(平成7年)は丁度、WIN95発売の年でもあった。DOS/Vパソコンは最初輸入IBM互換パソコン使用層から発展して来たと思う。パーツに互換性があるので、プラモデル感覚でパソコンの自作ができたので、メーカー品より割安感があった。地方にはDOS/Vパーツショップも少ないので、アキハバラに出向いた。その頃の記憶を「某教団系パソコンショップ(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/07/post-4d91.html)(2009/7/21)」の記事に書いた。当時は、会社のパソコンの一部も、従業員のパソコンマニアが組み立てたものを使っていた。会社業務の文書作成も、ワープロ、NEC系パソコン、DOS/V機と変遷した。最終的には、ワープロ禁止令が出て、DOS/V機、ワード、エクセルに統一された。

その後、DOS/Vパソコンやそのパーツを家電量販店が扱うようになり、そのピークも今では過ぎているように見える。パソコン関係の雑誌や本もどんな書店でも扱うようになり、その光景もパソコンの全盛期を感じさせた。WIN3はDOSからWINを起動させていたのでDOSそのものに近かった。WIN95、WIN98、WIN-MEもDOSとの関係が見えていた。XP、VISTAとなると自分には新人類に見えた。WIN7になると更にその感じが深まる。OSもそのアプリ、ハードも時代と共に変化している。ともかく、便利な物もその構造が見える事により、子供たちも関心が高まり、その分野に進もうと考え始めるのではないか。最初から、巨大なブラックボックスのような対象では、それで遊び疲れれば、そこですべてが終わってしまいそうだ。

S.Jobs伝を読むと、S.Jobsの青少年期の様子が良く描かれている。最初は、こういう物は何からできているのかという好奇心が湧く時が人間の成長段階にある。その時、こういう物はこういうパーツからできているという事を自分から確かめられれば、自分でも作って見ようという段階に進む。更に、それが面白くなると、他に無い物、誰も持っていない物を作ってみようと、夢は膨らむ。問題は、それが子供の遊びで終わるのか、一生の仕事になるかの分岐点だろう。最近、理工系離れがが話題になるが、社会・文化系が隆盛になっているかと考えるとそうでもなさそうだ。若者は本気でぶつかれる対象を見失っているのではないか。そこには、ブラックボックス化という見えない壁がありそうだ。そのブラックボックスも小さな穴を開ければ光が入りダークボックスとなり、蓋を完全に開けばホワイトボックスになる。物が壊れたらゴミ箱直行より、分解したくなる。そいうい気持ちを大切にしたい。

2012年7月12日 (木)

日々農天気:豆のツルの巻き方は?ジャックと豆の木

2012年7月12日木曜日
昨日は晴れ。連続の真夏日。用事外出。ついでにショッピングセンター等を回り見物。立ち寄ろうとした店に別の店が入っていた。最近は店の出入りも激しくなった。空き店舗が出きるとそこに店を移す店もできる。今度は移って行った店に別の店が入るという具合に、店の流動性が出てくる。アパートなども同じかもしれない。少子高齢化で、市場が縮小すると同じ様な現象があちこちおこるかも知れない。柄付きのステテコを見てきた。クールビズならぬクールミズ(COOL ME'S(冷や水?):造語で対人を重視するビジネスに対して、自分の世界をME'Sとこじつけた)には良さそうだ。白のステテコで畑のミズくれじゃ体裁が悪いと言うと、そんな年じゃあるまいにという反応。今年も節電の本格的な夏が近づいている。家に帰るとミニスカートの話題が出た。確か、ミニスカート流行のきっかけは華奢なスタイルのツィギーさんという女性の来日だったと思う。それがあっと言う間におばちゃんたちにも広まった。これが本当のクールミズかもしれない。関西電力ホームページ(http://www.kepco.co.jp/pressre/2012/__icsFiles/afieldfile/2012/07/11/0711_1j_01.pdf)によると大飯原発は3号機は定格熱出力一定運転中、4号機は二次系クリーンアップとある。「二次系クリーンアップ」の意味が分からない。大飯原発の再稼働には不安を持つ利用者が多いと思う。分かりやすい必要十分な情報発信をすべきではないか。尚、関西電力のPDFはACROBAT READER V6で読めた。

2012年7月11日の天気

TAVE= 26.8
TMAX= 31.6 最高気温(℃) 32.3 15:22
TMIN= 21.9 最低気温(℃) 21.7 05:12
DIFF= 9.7
WMAX= 3.4 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.8(東) 21:30
SUNS= 6
RAIN= 0


日々農天気:豆のツルの巻き方は?ジャックと豆の木

イギリスの民話「ジャックと豆の木」で、豆の木の生長の早さが、話の筋の背景にあるようだ。その豆の木がツル性かはっきりしないが、インターネット画像検索では、ツル性を想定しているようだ。ツル性の植物が、支柱に寄りかかるようにして、最小のエネルギーで、高所にはい上がってから、葉を広げ、花を咲かせて実をつける。ずるいのか頭が良いのか。ともかく、構造的な強さを犠牲にして高さを稼いでいるのは事実だろう。畑に植えた中国土産のマメの苗がつるをのばし始めた。竹の支柱を立ててそこに巻き付かせようとしたが、少しいたずらをして、苗から30㎝ほど話して竹の支柱を立てた。二時間もたたないうちに、様子をみるともう竹に巻き付き始めていた。この早さにはびっくりした。巻き付き始めたデジカメ画像は縦横回転の画像変換したのでタイムスタンプが消えたが、タイムスタンプの残っている画像からその時刻を推定した。WEBには、ツルに加わった刺激を感知してツルが巻き始めるという説明があった。確かに、竹の支柱を立てる前に、ツルを竹から遠ざけようと動かした記憶はある。それにしても、巻き蒔き始める位置決めが早すぎる。風でツルの向きが変わってたまたま巻きはじめの位置に来たのか。ともかく、予想以上に早くツルが巻き始めたのは事実だ。ジャックと豆の木の民話の背景ににも、豆の木のツルが巻くのが早いという、農民の体験が潜んでいるのだろうか。
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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)