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2023年6月

2023年6月10日 (土)

身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):角田金五郎;「働かず、食っちゃ寝て、たまにギャンブル、嗚呼良い身分だ群馬のヤサオトコ」:;アジサイは 何見て咲くか 独り言。20230610。

2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年6月10日(土)
昨日は雨後曇り。
ざっそう句;アジサイは 何見て咲くか 独り言。
昨日は予定の用事外出。イベント開始前に時間調整で入れていた用事が吹っ飛んだ。休憩スペースで暇つぶし。用事は無事終わり、一緒になった知人からの貰い物を持って帰宅。途中食べ物屋で昼食。田んぼに植えられた花がきれいであった。近くの田圃の田植えは大体終わっていた。庭の片隅にはアジサイとオニユリ?が咲いている。オレンジ一色のみなのでオニユリと思うが、別色のスカシユリもあった筈だ。キジが鳴いていた。近くに停留しているようだ。

Iob_20230610_
原ファイル名=「IOB_20230610_アジサイは 何見て咲くか 独り言.gif」

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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):角田金五郎;「働かず、食っちゃ寝て、たまにギャンブル、嗚呼良い身分だ群馬のヤサオトコ」:20230610。

処分すると言うので、貰ってきた古本の一冊に「近世群馬の人々(1)」(三山文庫9:昭和38年刊)(本書)があった。その人名を目次から引用すると以下の通り。聞いたような名前もあるが、良く知っている名前はほとんどない。そこで当ブログ内での引用件数を調べて見た。今回は角田金五郎からの妄想を綴る。

内田粂太郎(0)
江口きち(0)
金井之恭(4)
桑島定助(0)
佐藤次郎(0)
須永 好(0)
住谷天来(0)
角田金五郎(0)
角田柳作(15)
村上随憲(7)
湯浅一郎(2)

角田金五郎の章の執筆者は大正2年生まれの小井戸哲雄で群馬県社会教育主事とある。WEB情報によると、本書の「小井戸哲雄」に該当するめぼしい情報は無さそうだ。生成AIで「小井戸哲雄」に関する報告を作成したらどうなるか。AIを使ってゴミ情報の大量生産をするより県職員が生産した業績を公表して貰いたい。調べ事をして、検索情報を絞り込んでユクと何と当BLOG記事が出てきてがっかりする事もある。県がAIを積極的に使えと旗振りをして県職員の文書作成能力の低下が心配になる。

上毛新聞は、「生成AIで群馬県 業務効率化全庁活用へ。;url=https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/294929。(公開:2023/6/6 06:00)」というタイトルで、「対話型人工知能(AI)「チャットGPT」などの生成AIについて、群馬県は5日の県議会総務企画常任委員会で、個人情報や機密情報などを入力しないことを前提に積極的に利用することを明らかにした。3月から試行的に利用してきたが、業務効率化に有効と判断したため全庁で利用する。 庁内での利用実績をまとめた活用事例集を5月31日に職員に周知した。あいさつ文の要約や英語など他言語への翻訳、あいさつ文案の作成、アイデアや話題の提案などを掲載している。 ほかに活用時の精度を高めるためのAIへの指示方法のポイント、禁止事項、著作権を侵害していないかの確認が必要なことなども盛り込んでいる。」と報じた。

WEB情報によると、「角田金五郎(読み)つのだ きんごろう;デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「角田金五郎」の解説;角田金五郎 つのだ-きんごろう;1858-1943 明治-昭和時代前期の植物学者。;安政5年5月10日生まれ。苦学して小学校教員となる。群馬師範の佐藤穂三郎にまなび,菌類・苔類の研究で知られた。昭和18年12月30日死去。86歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。」との事だ。

国定忠治の「死没:嘉永3年12月21日(1851年1月22日)」であり、忠治歴を使えば忠治の没後7年、明治維新の10年前に角田金五郎が生まれたことになる。角田金五郎は次男であったが家督を相続することになり、学問に傾倒したようだ。人間、成長時期には知識欲が盛んになるのは当然の理屈だが、江戸時代末期~明治時代初期には教育体制は整っていなかった。身分・金や運、本人の努力がヒトを作った。角田金五郎も師範学校に入り、良き師に恵まれ、教師になったようだが、植物学に開眼してしまい、ついに研究者になってしまったようだ。

「残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(3)=上州一の大尽加部安左衛門の墓地(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/06/3-404f.html)。(2013年6月30日 (日))」で、「改めて、墓碑の側面の戒名を拡大して見ると、「居士」と「大姉」が並んでいるのが何とか読みとれた。夫婦墓というのは今では珍しいようだが、加部安左衛門墓碑が夫婦墓ならまた、上州人の心意気を伝えているようにも感じる。加部安左衛門を地域一番の大尽まで盛り立てた裏にはおっかさんのように頼りになる女性がいたのかもしれない。(忠治研究家)A(真藤)さんは、加部安は俳句などに現を抜かしていたので身上が傾いてしまったと語っていたのが印象に残っている。」と書いた。

WEB情報(https://www.jstage.jst.go.jp/article/koke/3/10/3_KJ00009029212/_pdf/-char/ja)によると(PDF⇒テキストの誤変換あり)、「小池長壽 : 角 田 金 五 郡 と 尾 瀬 ( NKoike : Kingoro Tsunoda and the Oze moor ) 角田金 五 郎 は 我 が 国 の 蘚 苔地衣類研究 史 を 語 る と き に , 欠 か す こ と の 繊来 な い 民 間採 集家 の 1 人 で あ る ・ 金 五 郎 は 安政 5 年 ( 1858 年) , 群馬 県芳賀村小坂 子 ( 現 在 の 群 馬 県前 橋 市小 坂 子 町 〉 に 生 ま れ , 昭稲 19 年 86 才 で 没す る 迄 の 間同地 を離れ る こ と な く , 自 ら 裏 LLi と 称 し て 足繁 く 通 っ た 赤城 由 を 始 め 幅広 く 日 本 全 国 を 採 集 し て 歩 い た (本職 は 小学校 の 教員 で あ っ た 〉 . 金 五 郎 の 師は安 田 篤博士 (当時 , 仙台 第 二 高等学校 教授) で あ り 蘚苔 地 衣 類 を 始 め 高等植物 か ら各種菌類 に 至 る ま で 幅 広 く教 示 を 受 け て い る . ( 安 田 博士 に も 不 明な も の は 、 蘚 苔 類 に つ い て は 最 初 フ ラ ン ス の Lloyd に , 後 フ ィ ン ラ ン ド の Brotherus に , 地衣 類 に つ い て は 最初 オ ー ス ト リ ア の Zahlbruckner に , 後 フ ィ ン ラ ン ドの Wainio に 依頼 し て い る . ) 金 五 郎 が 採集 した 標 本 ば 数 万 点 に の ぼ る が , 申 で も ’ 我 が 国 で は今 日 に 至 る も金 五 郎 の 採 築 標 本 以 外 に は , そ の 産地 が 知 ら れ て い な い Campylopus akagiensis ( 現 在 は C ・ fragilis の 異名)や , Pseudoleskeopsis tsunodae , Clastobryella tsunodae , Brachythecium tsunodae , Haplocladium tsunodae , Isopterygium tsunodae (残念 なが ち 何 れ . も 現 在 は 他種 の 異名 とさ れ て い る )等 々 の 採 集 者 で あ る 金 五 郎 を 記 念 し て 献名 さ れ た 種類 , 又 地 衣類 で も赤城 ・ 鍋 割 山 で 採 集 され た 種 が Zahlbruckner に ょ り Stereocaulon nabewarien − sis ( 和名 ナ ベ ワ リ キ ゴ ケ ) と 命 名 され るな ど金 五 郎 の 果 した 業 績 は 現在 に 至 っ て も遜色 を き ざ して い な い ,~。又 , 尾瀬 の 開 発 を め ぐ る 状 況 と して は 大 正 7 年 に 関 東 配 電 ( 現 在 の 東 京 電 力 )が ダ ム 化 の 為 に 土 地 を 買収 し水利権 を 獲得 し て い る . 匚関東配電 に よ る ダ ム 化 の 正式 な 案 は 1922 年 一 大正 11 年 に 発表 され て い る (今 井 1983 ) . ]」との事だ。

尾瀬の自然環境保護の基礎研究に角田金五郎の研究が繋がっているようだ。同じようなちめいどの低い研究者に南方熊楠がいるのを思い出した。

南方熊楠(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/10/post-45b1.html)。(2009年10月 6日 (火))」で、「みなかたくまぐす。知の巨人と言われている様だが、なかなか人(自分)を寄せ付けない。日本の博物学者、生物学者(とくに菌類学)、民俗学者と解説されているが、学問の分野が一般人が興味を持つ分野を大きく超越しているのも一因かもしれない。解説書を読んでもいつも消化不良に終わる。逸話の部分は拾い読みするが粘菌の研究等は皆目分からない。いつ頃から興味を持ち始めたのかもはっきりしない。活動の場所が海外と日本の地方が中心で日本の中央との関係が少なく、弟子も少ない、故にその業績も宣伝されないという事も知られざる巨人でいる一因か。というより、南方熊楠を超える人物がいないので十分な評価もできないという事か。巨人であるがローカル的な存在で終わっている人物がいるという事は勿体ないとも思う。」と書いた。

現役時代、南紀白浜へ観光したことがあるが、南方熊楠記念館を訪問した微かな記憶が残っている。

WEB情報(https://ja.wikipedia.org/wiki/南方熊楠)によると、「南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日) - 1941年(昭和16年12月29日)は、日本の博物学者・生物学者・民俗学者。生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集も行なっていた[1]。そうした調査に基づいて生態学(ecology)を早くから日本に導入した。 」との事だ。

角田金五郎は南方熊楠よりほぼ十年先に生まれている。研究の対象は重なる部分がかなりありそうだ。本章の執筆者・小井戸哲雄は角田金五郎に関する資料や業績の散逸防止や継承を強く訴えている。情報化時代になっても、「巨人であるがローカル的な存在で終わっている人物」が多数いそうで残念だ。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN
DATA 484.8 206 159 45074.3 20.2 24.8 18 6.8 4 0.2 26
時刻等℃ 16 4 1 1.33 mm
        1年の 44% 経過       AMEDASへのリンク  
ダブルカウントに注意(2023年1月3日ファイル作成);黄緑はそのデータ発生時刻(MATCH関数20220116)
伊勢崎 2023年6月9日(1時間ごとの値)


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2023年6月 9日 (金)

身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):住谷天来;「日本の災害はほとんど人災だ;税金の使い方が間違っているゾ~」:;雨に咲く ビヨウヤナギの 花一つ。20230609。

2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年6月9日(金)
昨日は一時晴れ後曇り後雨で、関東甲信梅雨入りが発表された。
ざっそう句;雨に咲く ビヨウヤナギの 花一つ。
玄関先新聞を読みながらかみさんと二言三言。畑に咲いているのは何か。バラの花だという。微かに赤い花が見える。宅内閑居。ノートパソコン1でネットサーフィン。何を見てもマンネリ臭い。クライナのダム決壊ニュースが流れるが、ウクライナとロシアの言い分が合わず、真相は不明だ。日本も自然災害が多発する季節になった。幾つかの大災害が重なって起こると想定外の問題が起こる。大地震で停電が起きたり、機器が破壊したり、ATMシステム等に障害が起こったときを想定するとシステムの安定度は原始的な程良好だと考えられる。電気・機器等々を使う文明システム<人力・原始的システム。現代文明の便利さを支えている要素は全て人造物で信頼性が万全では無い。日々の不便こそ人類の幸せの源泉だ。見せかけの便利さに騙されるな。そんなモノは文明のカスだ。

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原ファイル名=「IOB_20230609_雨に咲く ビヨウヤナギの 花一つ.gif」

日刊ゲンダイDIGITALは、「マイナカード“別人”登録13万件! 河野大臣に問われる「重大責任」相次ぐトラブルは序章に過ぎない。;url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/324212#:~:text=%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89。(公開日:2023/06/08 14:05 更新日:2023/06/08 14:05)」というタイトルで、「いくら何でも多すぎる。河野デジタル相が7日の記者会見で、マイナンバーの公金受取口座への紐付けをめぐるトラブルについて点検結果を発表。本人ではなく家族や同居人などの名義の口座を登録したとみられるケースが約13万件にも上った。河野氏は「誤登録ではない」と繰り返し強調しているが、カード普及の旗振り役としてゴリ押ししてきた責任は免れない。」と報じた。


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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):住谷天来;「日本の災害はほとんど人災だ;税金の使い方が間違っているゾ~」:20230609。

処分すると言うので、貰ってきた古本の一冊に「近世群馬の人々(1)」(三山文庫9:昭和38年刊)(本書)があった。その人名を目次から引用すると以下の通り。聞いたような名前もあるが、良く知っている名前はほとんどない。そこで当ブログ内での引用件数を調べて見た。今回は住谷天来からの妄想を綴る。

内田粂太郎(0)
江口きち(0)
金井之恭(4)
桑島定助(0)
佐藤次郎(0)
須永 好(0)
住谷天来(0)
角田金五郎(0)
角田柳作(15)
村上随憲(7)
湯浅一郎(2)

住谷天来の章の執筆者は大正2年生まれの萩原 進で群馬県議会図書室長、著書「群馬県史」等がある。WEB情報(https://ja.wikipedia.org/wiki/萩原進)によると、「萩原 進(はぎわら すすむ、1913年7月23日 - 1997年1月20日)は、日本の歴史学者である。群馬県吾妻郡長野原町出身。群馬県の郷土史研究に従事。群馬県議会図書室長、前橋市立図書館長を歴任。来歴;1934年群馬県師範学校を卒業し、群馬県内の小学校訓導・教諭・教頭を経て、群馬県農業会主事・群馬県議会図書室長・前橋市立図書館長を歴任。その間、群馬県図書館協会副会長、全国公共図書館理事、また「みやま文庫」理事兼編集委員長や「群馬県文化事業振興会」常任理事、群馬県芸術文化協会長、前橋刑務所篤志面接委員や読売新聞選挙浄化委員、1987年には群馬県史編纂専門委員長としてその完成に尽力、1984年に群馬県文化財保護審議会長をつとめた。 」との事だ。本章は生家の住谷三郎が書く予定であったがやむを得ぬ事情で本執筆者が代わって書いたと章末に記されている。

WEB情報(https://kotobank.jp/word/%E4%BD%8F%E8%B0%B7%E5%A4%A9%E6%9D%A5-1084574)によると、「住谷天来;没年:昭和19.1.27(1944);生年:明治2.2.16(1869.3.28)
牧師,新聞人。群馬県出身。前橋の幽谷義塾で学び,前橋教会でキリスト教に入信。廃娼運動,前橋英学校の創立に参加。明治23(1890)年に上京後,内村鑑三らと親交を結び,日露戦争に対する「非戦論」に共鳴。明治42年ごろ,帰郷して天来と改名(旧名弥朔)。前橋,伊勢崎で牧師として働いたのち,大正7(1918)年から甘楽教会(富岡市)牧師。『上毛教界月報』に寄稿,自らも月刊『神の国』『聖化』を刊行,平和主義のため軍国主義的時代背景のもと,度々発禁となった。柏木義円と並ぶ群馬のキリスト教平和主義者。漢詩をよくし黙庵と号す。<参考文献>『甘楽教会百年史』 」との事だ。

住谷天来の生年は明治維新の翌年で、明治以後の激動の時代を全身で生きてきたようだ。江戸時代の正規の学問は漢学であったようだ。宗教は仏教と神道が主流。キリスト教は邪教として禁止されていた。明治維新後は、キリスト教も和魂洋才の洋才分野として伝わってきたと思われる。

当ブログで書いた「06BC1_明治時代後期に渡米した米じいさん物語を読む」という一連の記事の主役、米爺さん(重田善蔵)という人物も明治の初め頃生まれ、文明開化の波に乗って、渡米した。自宅は仏教であったが、その後の調査で渡米したニューヨークで教会の仕事をしていたと分かった。プロテスタントの信徒だったようなので、前橋の師範学校時代に、住谷天来やその周辺の人物と交流があった可能性がありそうだ。ニューヨークでは、本書後半に出てくる角田柳作と交流があったことが分かっている。角田柳作は仏教系の学問を身につけた研究者であったが、当時のニューヨーク在住日本人は自分が信じる宗教を超えて、群馬県人として親交を結んでいたようだ。多くの人種が済んでいるニューヨークという外地にあっては、宗教を超えて、同国民として助け合う必要があったようだ。

6BC1_明治時代後期に渡米した米じいさん物語を読む:記事目次(リンク)

天来は幼名を弥作と言い、成人になってから天来と名乗ったようだ。キリスト教信者として生きると決心して天来と名乗ったと想像したが実情が知りたい。伊勢崎にも、森村堯太というキリスト教徒の実業家がいて廃娼運動で活躍した。天来は伊勢崎教会の牧師となったこともあるようで、伊勢崎もキリスト教が普及しつつあったようだ。実は、前記の米爺さんがいつ頃・どこでキリスト教に遭遇したか調査したが、記録が無く迷宮入りになっている。

安倍晋三元首相銃撃時死亡事件以来、世襲問題が注目されてきたが、学問、文化、ノウハウ等々の人間活動の蓄積効果が大きい分野は世襲化が都合の良い要因が多々あるように思われる。特に宗教分野では世襲が目立つように感じる。角田柳作がハワイに進出した要因に日本人のハワイ移民の盛り上がりという時代的背景があった。当時、日本の宗教もハワイ布教を熱心に勧めていた。仏教に流派があるようにキリスト教にも流派があるようだ。

折伏教典(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/09/post-8720.html)。(2009年9月29日 (火))」で、「キリスト教では無教会派の矢内原忠雄、南原繁に興味を抱いた事もあった。しかし、宗教と信仰は別物であろう。まだ結論が出ていない。施設、組織、規律という外的な見える要因が宗教にはつきまとうがそういうものは誰にでも見えるが、誰にも見えないか、極少ない人にしか見えないものもある。そう言う、どうでもよさそうな事も一人の人間にとっては無上のものかもしれない。そのような人の心を思うこともなく、これが最高の真理だと押し売りされるのはうんざりである。当時、その団体の選挙運動が自転車とメガホンであったのを思い出した。それと同じ様な運動を昨今の大政党がやっている。小さいことは良いことだ。原点に返ることはもっと良いことなのかもしれない。」と書いた。

WEB情報によると、「https://genshu.nichiren.or.jp › publications › post-5061 › id-6040
『折伏教典』考証|日蓮宗 現代宗教研究所;一、『折伏教典』とは 『折伏教典』は、昭和二六年五月三日の創価学会第二代戸田城聖会長誕生に続いて、同年一一月に教学部編集で初版が発行され、以来、版を重ねていたが、昭和四四年頃に絶版にされている。」との事だ。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN
DATA 564.5 207 158 44589.5 23.5 29 20 9 4.9 4.4 1.5
時刻等℃ 11 23 12 29.33 mm
        1年の 43% 経過       AMEDASへのリンク  
ダブルカウントに注意(2023年1月3日ファイル作成);黄緑はそのデータ発生時刻(MATCH関数20220116)
伊勢崎 2023年6月8日(1時間ごとの値)


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2023年6月 8日 (木)

身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):須永 好;「日本は田舎の名士が支配しているのか、都会人はもっとガンバレ~」:;好き嫌い 言える贅沢 イワシ食う。20230608。

2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年6月8日(木)
昨日は晴れで、アメダス最高気温TX=30,6℃、14時で真夏日であった。
ざっそう句;好き嫌い 言える贅沢 イワシ食う。
CHAT GPTは使わないことに決めている。残り少ない人生はへそ曲がりで楽しむつもりだ。そこで、Googleでキーワード「コロナ 五類になってから 幾日」と検索してみた。WEB情報(https://www.asahi.com/relife/article/14830996)によると、「政府は、新型コロナウイルスの感染法上の分類を5月8日から、季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げることを、4月27日に正式に決定しました。」との事だ。そうか、今日でコロナが5類になってから一ヶ月なのだ。Google検索もまだAIを取り込んでいない。オレ様の質問を正しく理解して回答していないのは明らかだ。このサイトにこう言う情報があると応答しているだけだ。オレ様的には5月8日のずっと前から現在と同じような生活をして来た。外出時は無精髭隠しでマスク着用。在宅時はノーマスク。花粉症シーズンは症状に応じてマスク着用。本日早朝、WEB情報(【ライブカメラ】渋谷 NOW Shibuya Scramble Crossing Tokyo, Japan――LIVE CAMERA(Nippon Television News LIVE)=https://www.youtube.com/watch?v=5doBysKHoYc )を見ると、依然「マスク着用派」の方が多そうだ。宅内閑居。あさを社発行の古い雑誌:月刊上州路を拾い読み。

Iob_20230608_
原ファイル名=「IOB_20230608_好き嫌い 言える贅沢 イワシ食う.gif」

CEEK.JPのワンタッチキーワード検索:「ホット検索ワード:本日: 警視庁 自衛隊 大阪 熊本 北朝鮮 NHK 海上保安 ガーシー 福岡 解散;昨日:警視庁 自衛隊 熊本 ガーシー 海上保安 福岡 北朝鮮 ウクライナ 解散 大阪」(順番が変わっているので順番に意味がありそうだ。検索ランキングか。)

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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):須永 好;「日本は田舎の名士が支配しているのか、都会人はもっとガンバレ~」:20230608。

処分すると言うので、貰ってきた古本の一冊に「近世群馬の人々(1)」(三山文庫9:昭和38年刊)(本書)があった。その人名を目次から引用すると以下の通り。聞いたような名前もあるが、良く知っている名前はほとんどない。そこで当ブログ内での引用件数を調べて見た。今回は佐藤次郎からの妄想を綴る。

内田粂太郎(0)
江口きち(0)
金井之恭(4)
桑島定助(0)
佐藤次郎(0)
須永 好(0)
住谷天来(0)
角田金五郎(0)
角田柳作(15)
村上随憲(7)
湯浅一郎(2)

須永 好の章の執筆者は明治39年生まれの菊池光好で農業、著書「強戸農民運動史」とある。WEB情報によると、「https://blog.goo.ne.jp › ikatsu2006 › d › 20120805;2012年8月5日のブログ記事一覧-ポポロ通信舎;しかし1930年頃になると官憲の監視が次第に厳しくなり、農会技術員だった菊池光好の話では「須永さんの講話の後に麦の黒穂病予防について講義しに行ったら生徒13人であったのに警官が8人も臨席していたのには驚いた」という。」との事だ。本書の執筆者・菊池光好の記述がしっかりしていて、著書もあると知って、並みの農家で無いと感じた。WEB情報で菊池光好が農会技術員らしいと分かった。

WEB情報(https://ja.wikipedia.org/wiki/農会)によると、その発生は「1883年(明治16年)の農学校通則の布達もあり、この頃には新潟、石川、岐阜、広島、福島、福岡、鳥取、山梨に農業学校が設立された[1]。しかし、農学校の卒業生達には農学校で学ぶ欧米農法と現実の農業改良の遊離が明らかになり、「老農」と呼ばれる在村の農業指導者の人々が評価された[1]。このような背景から明治10年頃から明治23年頃にかけて老農による農業改良が進められ、農談会や農事会と呼ばれる講習会や研修会の組織が各地に結成された[1]。 」との事だ。言わば、国や地方自治体の肝煎りで生まれた農業近代化の組織のようだ。地域の農地開拓記念碑に農会技師の名前が村長、開拓組合役員と並んで刻まれているのを見たことがある。当時の農業近代化の専門家として知識・経験に秀でた人材だったようだ。

WEB情報(https://ja.wikipedia.org/wiki/須永好)によると、「須永 好(すなが こう、1894年6月13日 - 1946年9月11日)は、日本の農民運動家。衆議院議員。香川県の「伏石事件」、新潟県の「木崎争議」とともに日本三大小作争議の1つとして有名な「強戸争議」を主導した。経歴:群馬県新田郡成塚村(現太田市)出身。群馬県立太田中学校を中退し、農業に従事。1920年に近隣の強戸村で小作人組合(農民組合)を結成し、小作争議を指導。1922年から1924年にかけ、農会・村議会]の多数派更には村長までも組合側から送り出す「無産強戸村」の成立にまで至った。 」との事だ。

当地区は、戦前・戦後とも農業地帯で、農家戸数が圧倒的に多い住民構成だったが、地主VS小作農の対立という農民運動が起こった話は聞いていない。地主と小作農の利害が対立するという農地の集約化が進む程の耕作規模拡大問題が社会を動かす程先鋭化しなかったと想像される。当地の昔の農家は、米麦、養蚕、雑穀が主体で、商品経済も発展せず、自給自足に近かったように思う。終戦後は、町内に農事組合が出来て、モーター、脱穀機等の共同購入をしたようだ。その流れの中で稚蚕飼育組合もできて、稚蚕飼育所を建設して、養蚕の合理化を図った。昔は地域農民結束の要となっていた農事組合も現在は目立った事業は行っていない。このような現状を見ると、群馬県強戸村に起きた地主と小作農が対立した農民運動が何となく輝いて見えてきた。

当地では、大正用水土地改良事業で、水田の区画整理等が行われ、農地利用が近代化された。国定忠治が活躍した江戸末期に農業用の溜池八幡沼が開削された。

八幡沼開鑿と川端宇兵衛翁(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-d6f7.html)。(2008年11月25日 (火))」で、「華蔵寺公園の北東県道462の東側に八幡沼(新沼)がある。沼の南岸にこの沼の由来を刻んだかなり大きな石碑が建っている。八幡沼の開鑿開始から51年後の大正2年に建立された「八幡沼の碑」がそれである。八幡沼は粕川から取水した灌漑用水を貯水する人工沼であり、まさに一銭たりとも出費をしたくない文久二年の大旱魃の年に、村民の心の拠り所である八幡宮、村社大明神さえも潰して、農民125名が大刑覚悟のうえ連印して藩主に陳情し、発起人・世話人等は総額500両以上の資金を投じ、3年間の期間をかけてこの大工事をやりとげた事が記録に残っている。  大工事を先頭に立ってやり遂げたのが川端宇兵衛翁であった。奇しくも川端宇兵衛は国定忠次の隣村で同じような境遇に生まれ同じような事をして同じ時代を生きていた。国定忠次より1年先輩であったが、国定忠次が大戸の関で磔で処刑されて12年後即ち忠次の13回忌の文久2年(1862)に八幡沼の開鑿を始めたのである。」と書いた。

須永好について書かれた本書を読むと小作農民の組合と地主組合が団体交渉しているような構図があったようだ。明治維新後の四民平等という流れの中で、国民集団が組合という名前で組織化されてきたようだ。現代の会社にも通じるコンセプトだったようだ。八幡沼の開削にも多くの農民が出資してその事業に参加した。須永好の農民運動には西欧の社会主義という流れが見え、戦後社会・政治運動に繋がっているようだが、その現在がどうなっているのか知りたくなる。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN
DATA 562.7 208 157 44025.0 23.4 30.6 18.3 12.3 4.3 10.7 0
時刻等℃ 14 4 19 71.33 mm
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伊勢崎 2023年6月7日(1時間ごとの値)


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2023年6月 7日 (水)

身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):佐藤次郎;「人生とは賽の河原の石積ゲーム、もっとサボレ~」:;アイツラノ キュウショ突きたい トコロテン。20230606。

2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年6月7日(水)
昨日は晴れで、アメダス最高気温TX=26,6℃、13時で夏日であった。
ざっそう句;アイツラノ キュウショ突きたい トコロテン。
かみさんが宅配を出した。おまけにメッセージを一筆書かされた。WEB情報によると、同梱するメモ書きは、「郵便法第4条3項は、但書にて「ただし、貨物に添付する無封の添え状又は送り状は、この限りではない」と規定している。つまり「貨物」という郵送する主体があり、その郵送に関する説明書きなどが記載された文書が「従として添えられている場合」には、同項に違反しないことになっているのだ。」との事だ。宅内閑居。ネットサーフィン等々で暇つぶし。三時のお茶にトコロテンを食す。昔は、店頭で作ったトコロテンに七味唐辛子等を振りかけて食ったので風情があった。脳内のゴミ、雑音を追い払ってトコロテンを無心に食べて見たい。

Iob_20230607_
原ファイル名=「アイツラノ キュウショ突きたい トコロテン」

CEEK.JPのワンタッチキーワード検索:「ホット検索ワード: 警視庁 自衛隊 熊本 ガーシー 海上保安 福岡 北朝鮮 ウクライナ 解散 大阪」

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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):佐藤次郎;「人生とは賽の河原の石積ゲーム、もっとサボレ~」:20230606。

処分すると言うので、貰ってきた古本の一冊に「近世群馬の人々(1)」(三山文庫9:昭和38年刊)(本書)があった。その人名を目次から引用すると以下の通り。聞いたような名前もあるが、良く知っている名前はほとんどない。そこで当ブログ内での引用件数を調べて見た。今回は佐藤次郎からの妄想を綴る。

内田粂太郎(0)
江口きち(0)
金井之恭(4)
桑島定助(0)
佐藤次郎(0)
須永 好(0)
住谷天来(0)
角田金五郎(0)
角田柳作(15)
村上随憲(7)
湯浅一郎(2)

佐藤次郎の章の執筆者は明治42年生まれの西沢嘉隆で渋川女子高校教頭(国語)とある。WEB情報によると、「佐藤 次郎は、日本の男子テニス選手。1930年代前半にグランドスラムシングルスベスト4、ウィンブルドン選手権ダブルス準優勝、全豪オープン混合ダブルス準優勝など国際的に活躍し、1933年に世界ランキング3位となった。グランドスラムシングルス ベスト4進出5回は現在も日本人歴代最多記録。 ウィキペディア;出生地: 群馬県(北群馬郡子持村生まれ);生年月日: 1908(明治41)年1月5日;死亡日: 1934年4月5日, マラッカ海峡;学歴: 早稲田大学高等学院・中学部」との事だ。

佐藤次郎が現在の渋川高校卒なのに、執筆者が何故渋川女子校の先生なのか一瞬疑問を感じた。本文を読み進めると、マラッカ海峡を航行中の船から投身自殺したというような記載が目に入った。国民の期待を背負って東京オリンピックに出場して、結果を出せなかったのを苦にして自殺した選手がいたのを思い出した。自分的には、体も精神もスポーツには適していないと諦めているので、スポーツに関するこだわりは何も無いと言える。他人様が勝った負けたと騒いでも余り関心が無い。佐藤次郎は26歳で、江口きちは25歳という若さでこの世を去った。勿体無いことだ。群馬県とは特異の才能を持った若者が生きずらい地域なのかと愕然とする。

ともかく、人間は才能競争に現を抜かしてしまう。人生そのものが勝負と勘違いしてしまい無駄に人生を消費してしまうのが現代なのか。新聞やマスコミを見ると、勝った負けた、年俸はいくら、賞を貰った等々人生ゲーム的記事が多数流される。唯一、勝ち負けに関係しない記事はお悔やみ欄程度か。お悔やみ欄で記載される事実は主にご本人の死亡という事実だ。

「ビー玉(改題):寝言老人が幼少の頃:凡人の弱さ・射倖性とギャンブル依存症。091126。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/11/post-990e.html)。(2009年11月26日 (木))」で、「あるとき、自分が売り手になって買い手のビー玉を全部巻き上げてしまった事がある。買い手は後でナスから玉を貸してくれと言うので貸してやった。それも全部すってしまった。それ以来、こういうゲームは気乗りがしなくなった。ゲームの厳しさを教えてくれた。子供であったから無事済んだが。」と書いた。

ギャンブルもゲームも、遊んだ後に空しさが残るだけならまだしも、資産を使い果たし、借金を作り、最後に破滅してしまう人々が断たない。賽の河原の石積ゲームは止めようゼ。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN
DATA 511.1 209 156 43462.3 21.3 26.6 17.3 9.3 3.3 2 0
時刻等℃ 13 4 14 13.33 mm
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ダブルカウントに注意(2023年1月3日ファイル作成);黄緑はそのデータ発生時刻(MATCH関数20220116)
伊勢崎 2023年6月6日(1時間ごとの値)


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2023年6月 6日 (火)

身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):桑島定助;「百姓が本気で政治をしていたら、作物は育たないダンベェ~」:;嗚呼卑弥呼 出るか出まいか 迷います。20230606。

2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年6月6日(火)
昨日は晴れで、アメダス最高気温TX=30℃、13時で真夏日であった。
ざっそう句;嗚呼卑弥呼 出るか出まいか 迷います。
ダイソーの運勢暦を見ると、今日は芒種である。芒のある作物・稲の植え付け時。道路をコンバインが重低音をまき散らしながら通過した。ガーシー前参院議員はニュース通り、逮捕されたようだ。予報通り気温が上がり、夕方回覧板を回しに行った。ビヨウヤナギの黄色い花と白っぽいが薄緑色がかった栗の花が咲いている。栗のイガは何が変形してできるのか。

Iob_20230606_
原ファイル名=「IOB_20230606_嗚呼卑弥呼 出るか出まいか 迷います.gif」

読売新聞オンラインは、「吉野ヶ里「石棺墓」の主、邪馬台国と同時代の有力者か…石蓋を外し骨・副葬品調査 。;url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20230605-OYT1T50116/。(2023/06/05 15:15)」というタイトルで、「佐賀県は5日、弥生時代の大規模 環濠 集落で国指定特別史跡の吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市、吉野ヶ里町)で出土した 石棺墓 の内部の調査を始めた。石棺墓の位置などから、邪馬台国が存在した弥生時代後期(2世紀後半~3世紀中頃)に作られた有力者の墓の可能性があるという。  石棺墓は板状の石蓋4枚で閉じられており、石蓋の幅は最大65センチ、厚さは同17センチ、4枚がつながった長さは約2・3メートル。石蓋の表面には「×」などの線刻がある。   この日は午前10時に作業を始め、重機を使って約20分で石蓋を外した。中は土が詰まった状態で、今後、土を取り除き、埋葬された人の骨や副葬品について調べる。1週間ほどで全容が判明する見通し。  石棺墓が見つかった場所は、弥生時代中期の王たちが埋葬された「北 墳丘墓 」の西側。神社があり、発掘作業が行われずにきたが、2022年2月に神社が移転したのを機に、佐賀県が調査している。 」と報じた。

CEEK.JPのワンタッチキーワード検索:「ホット検索ワード: 警視庁 自衛隊 解散 海上保安 福岡 北朝鮮 埼玉 ガーシー 韓国 和歌山」

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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):桑島定助;「百姓が本気で政治をしていたら、作物は育たないダンベェ~」:20230606。

処分すると言うので、貰ってきた古本の一冊に「近世群馬の人々(1)」(三山文庫9:昭和38年刊)(本書)があった。その人名を目次から引用すると以下の通り。聞いたような名前もあるが、良く知っている名前はほとんどない。そこで当ブログ内での引用件数を調べて見た。今回は桑島定助からの妄想を綴る。

内田粂太郎(0)
江口きち(0)
金井之恭(4)
桑島定助(0)
佐藤次郎(0)
須永 好(0)
住谷天来(0)
角田金五郎(0)
角田柳作(15)
村上随憲(7)
湯浅一郎(2)

桑島定助の章の執筆者は明治36年生まれの古屋栄吉で群馬県議会議員とある。WEB情報(群馬県議会ホームページ:https://www.pref.gunma.jp/site/gikai/25083.html)によると、古屋栄吉は「45代;昭和47年6月3日;古屋 栄吉;勢多郡富士見村」との事だ。WEB情報(赤城国際カントリークラブホームページ)によると、「1961年(昭和36年);山内直美氏、清宮龍氏、小口義郎氏、古屋栄吉氏が発起人となり、赤城山麓の75万坪の広大な敷地に、赤城国際カントリークラブの開場を準備。」との事だ。

WEB情報([富士見かるた]へ:平和論者の桑島定助;http://fujimikaruta.web.fc2.com/karuta_he.html)によると、「原之郷品川家に生まれ、桑島家の養子となる。蚕種製造業を始め、蚕品種の改良、蚕養技術者の養成につとめた。県会議員に当選三回、県政にも貢献したが、徹底したキリスト教徒であり、平和論者、禁酒主義者であった。昭和二十三年卒去、八十三歳 (村誌 335)」との事だ。桑島定助は、勢多郡富士見村大字原之郷にて慶応3年・1867年に生まれた。国定忠治の「死没:嘉永3年12月21日(1851年1月22日)」であり、忠治歴を使えば忠治の没後16年と言う事になる。

本文中には、桑島定助の言葉:「私は赤城山麓の一農民として生まれた事に誇りを感ずるものであります。即ち、日本三老農の随一、船津伝次平翁の隣家に成長し、朝夕其の教導を受けた事です。」がある。桑島定助が郷土の偉大な先人に私淑していたことが窺える。本文中、桑島定助と須永好は交流があったように書かれている。群馬県の農業界にも社会主義の風が吹いてきたのか。だが、江戸時代末期から明治時代初期頃までは、まだまだ社会の隅々に博奕が蔓延っていた。博奕で負けて田畑を失った農民もいたようだ。須永好(こう)は小作人を組織して社会を動かしたようだ。だが、敗戦で農地解放が行われて農業社会の風景も様変わりしたようだ。

桑島定助は、蚕種の生産・改良・教育等で島村の田島弥平と共通点が多いように感じる。そのバックボーンとして、当時の新思潮としてのキリスト教の受容があると思われる。江戸時代は、キリスト教は禁教であった。明治維新で、キリスト教が受容されたり組合方式の会社が普及したのだ。キリスト教は見方によれば、従来日本の世界観と馴染まない。日本は黒船と大砲で目を覚まさせられた。以来、和魂洋才で時代の激変を乗り越えようとしてきた。

明治時代に、当地区から海外へ出て活躍した人物がいた。矢島保治郎は当時殆ど未知の国・チベットで活躍した。矢島保治郎がチベット行きを決行するにはキリスト教に関する知識や信仰があったと思われる。矢島保治郎の墓の墓碑にはヨセフ矢島保治郎とキリスト教風の名前が記されている。群馬師範を卒業して渡米した重田善蔵という人物はキリスト教徒になって紐育日本人教会で働いていたと分かった。死亡した日本の郷里では仏教徒として埋葬されている。一方、日本文化を米国に紹介して日米の架け橋として多大な業績を残した角田柳作は仏教系文化を背景にして主に米国で活躍した。

水利科学1958年10月号論文「土地改良事業と地方政治一一県議会議事録よりみた大正用水一一佐藤勝雄」は、「桑島定助議員(出身勢多郡富士見村,党派中立のち実業派,蚕種業を主業とし直接国税21円〕は雑穀と養蚕の村の出身で大正用水上程の際は唯一人の反対者と目され注目を浴びた人である。」と述べている。この論文の著者は議員として党派に捕らわれない議論をしている桑島定助の姿勢を評価しているようだ。

最近、「平家・海軍・国際派」という言葉に遭遇した。近世群馬の人々の中にも直接・間接的に外国との交流があった人物がいるようだ。人物論を国際派か否かで一瞥するとどうも国際派は傍流のように見えてしまう。明治維新の開国後、外貨を稼げる産品の筆頭が絹糸であった。日本は必然的に海外貿易に頼らざるを得なくなる。今後の群馬県は何で飯を食って行くのか。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN
DATA 553.6 210 155 42951.2 23.1 30 18.1 11.9 3.8 9.2 0
時刻等℃ 13 4 16 61.33 mm
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ダブルカウントに注意(2023年1月3日ファイル作成);黄緑はそのデータ発生時刻(MATCH関数20220116)
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2023年6月 5日 (月)

身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):金井之恭;「汗水垂らして働くだけが人生か、たまには遊べよ」:;素手で抜く トゲある草に 目を覚ます。20230605。

2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年6月5日(月)
昨日は晴れで、アメダス最高気温TX=30.1℃、14時で真夏日であった。
ざっそう句;素手で抜く トゲある草に 目を覚ます。
昨日は学校の資源回収日だったようだ。かみさんが道路脇に古新聞の包みを出したと報告した。見に行ったが、既に無かった。外に出たついでに接ぎ木したカラタチ株の側芽除去をした。活着した穂木の芽も伸びているが、側芽があるとそちらへ養分が向かって穂木の育ちが悪くなる。先ず、株の周辺の除草をする。台木にもトゲが残り、抜く草にもイシミカワのようなトゲのある雑草が混じる。それを素手で作業したので、トゲが気になり効率が悪いが、自然とはこんなもんだ実感した。まさに、植物界にも「利己的な遺伝子」が充満しているのだ。それだから、自然は豊で多様性に富んでいるのだろう。区費の集金が来てしばし雑談。WEB情報によると、「ガーシー前参院議員、逮捕 俳優ら常習脅迫容疑 UAEから帰国:朝日新聞 05:00」との事だ。

Iob_20230605_
原ファイル名=「IOB_20230605_素手で抜く トゲある草に 目を覚ます.gif」

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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):金井之恭;「汗水垂らして働くだけが人生か、たまには遊べよ」:20230605。

処分すると言うので、貰ってきた古本の一冊に「近世群馬の人々(1)」(三山文庫9:昭和38年刊)(本書)があった。その人名を目次から引用すると以下の通り。聞いたような名前もあるが、良く知っている名前はほとんどない。そこで当ブログ内での引用件数を調べて見た。今回は金井之恭からの妄想を綴る。

内田粂太郎(0)
江口きち(0)
金井之恭(4)
桑島定助(0)
佐藤次郎(0)
須永 好(0)
住谷天来(0)
角田金五郎(0)
角田柳作(15)
村上随憲(7)
湯浅一郎(2)

金井之恭の章の執筆者は明治23年生まれの田島群次郎で元島村々長とある。WEB情報・「田島弥平家譜」(http://iga.justhpbs.jp/tajimakafu.html)によると、「田島群次郎;たじま ぐんじろう 1890~1975;(明治23~昭和50) 第三代目群次郎を襲名、田島弥太郎は長男;明治43年、高山社蚕業学校を卒業;昭和23年、県蚕種協会長;文芸を好み漢文詩の権威」との事だ。

当ブログで金井之恭の初出は「文化と文明雑感(ちょっとした旅の思い出):「楫取素彦没後100年」を思う 2012/08/10 記事」であり、「昨年死亡した知人は、当地区の「八幡沼の碑」に関して、どんな立派な碑ができても、百姓は汗水垂らして働くだけで、そんな碑を見るひまなど無いと話していたのを思い出す。今年、当地区の私有地にあった「開拓記念之碑」が区有地に移設された。地主の都合で、記念碑の居場所がなくなってしまったのだ。当時、里山であった山林を開拓して畑地に換える事業の完成を記念した碑である。このような事業により、現在の地区の骨格が変わってきた事をしるのも有意義なことと思う。碑は、建立の当事者が未来に向けたメッセージであろう。「前群馬県令楫取君功徳之碑」をじっくり読んで見たいが、まだWEB上ではその文と読み下し文に出会っていない。この碑は、我々現代人にどんなメッセージを伝えようとしているのか。」と書いた。

金井之恭は、「前群馬県令楫取君功徳之碑」の書・本文の毛筆書きを作成したようだがその書を観賞する力量は皆無だ。「百姓は汗水垂らして働くだけ」と言った知人・S関根さんの言葉を思い出す。関根さんの唯一の道楽は国定忠治の研究だったらしい。田島弥平は島村が絹遺産に指定されて有名になったようだが、田島弥平顕彰碑を見学したのも絹遺産絡みで田島弥平旧宅を見学したころだったように思う。

当ブログで金井之恭の二回目の出現は「ツルよ 飛んでおくれ(愛しき古里):田島弥平旧宅近くに立つ田島弥平顕彰碑 2012/10/05 記事」で、「二回目の見学では、顕彰碑の篆額部分(碑名)もデジカメに収めた。顕彰碑を理解するとき、誰が立てたか、誰が書と文を受け持ったか等の碑の関係者も関心の対象になるからだ。なんと、そこには島村の文化人・書家として著名な金井之恭の名が刻まれていた。群馬県庁近くの長浜公園にある「前群馬県令楫取君功徳之碑」の書を担当していたのも金井之恭であった。金井之恭は群馬県令楫取素彦と同様に田島弥平の業績に深甚なる敬意をいだいて書を成したと想像されるのだ。楫取素彦と田島弥平の両顕彰碑は生前中に建立されている。」と書いた。

田島群次郎は本書で、金井之恭(天保4年1833年生まれ)が青年時代に勤王派の志士として活躍して幕府側捕らわれ、幸運にも皇軍に助けられ、明治維新後政府の文官に登用され活躍したと書いている。WEB情報によると、「国定 忠治(くにさだ ちゅうじ、忠次とも、文化7年(1810年) - 嘉永3年12月21日(1851年 1月22日))は、江戸時代後期の侠客である。 「国定」は生地である 上野国 (上州) 佐位郡 国定村に由来し、本名: 長岡忠次郎 。死没:嘉永3年12月21日(1851年1月22日)」との事だ。金井之恭は国定忠治が処刑された頃、青年時代を迎えていた。

十数年前に、入院していた隣のベッドに境町の男性がいて、時々雑談をしていた。その時、境町には鈴木広川という人物の逸話を聞いた。家は農家だが大の勉強家で文化人だったようだ。モウ忘れているが、飼っている牛も忘れて本を読んでいたとか。金井之恭の父が金井烏洲で、有名な文人である。文人は、何らかの意味で文・記録を残している。その記録は代々伝えられる。

島村、シマムラ云々と頭が空転しているとやはり養蚕のイメージが浮かんでくる。田島群次郎は高山社で学んだらしいが、当地区には重田幾馬という農家があった。体が弱いので、養蚕の先生になって生計を立てようと高山社で学んだという伝説があったが記録は残っていない。そこで高山社で学んだ学生の調査を依頼したが当地域にも高山社で学んだ学生が数人いたことが確認出来た。

島村、シマムラ云々と頭が空転していると島村伊三郎が浮かんできた。何だ、金井之恭が生まれた頃が、国定忠治の売り出し時期になるのか。

WEB情報によると、「若き忠治が売り出しの契機になったのが博徒・島村伊三郎斬殺事件である。天保5年(1834年)7月2日夜、忠治は子分三ツ木村文蔵ら8人で伊三郎を襲撃した。当日、自身の縄張りである世良田村(現・群馬県伊勢崎市)長楽寺境内で博奕が開催された。  伊三郎は境宿(現・群馬県伊勢崎市)島屋で酒を飲んだ後、世良田へ向かう途中、米田村原山で忠治らに襲われた。米田村周辺は民家が少なく、田んぼと立木だけの寒村。当時、国定忠治24歳、島村伊三郎は44歳、男盛りである。」との事だ。

「汗水垂らして働くだけが人生か、たまには遊べよ」

金井之恭は楷書が得意だったらしい。大抵の記念碑の最後に記されているのが石工の名前である。その世界では有名な石工も一般庶民には知られずに歴史を伝えている。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN
DATA 517.9 211 154 42397.6 21.6 30.1 14 16.1 4.5 10 0
時刻等℃ 14 4 16 66.67 mm
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2023年6月 4日 (日)

身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):江口きち;「不倫して人を殺すな、もっと読め恋愛小説」:;人生は 花火の如し ばくち打ち。20230604。

2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年6月4日(日)
昨日は台風二号の影響で朝方雨後曇りから晴れ。台風は太平洋岸を北上して熱帯性低気圧になった。
ざっそう句;人生は 花火の如し ばくち打ち。
用事が無いので宅内閑居してゴロゴロして過ごす。古新聞を読み直して整理。読み直しと言ってもお悔やみ欄が中心だ。マァ、我が家の赤ちゃん記事を楽しみにしている新聞読者もいるだろう。赤ちゃん・新生児の命名は親子にとって重要だ。「キラキラネーム」等の人名が法規制されるようだ。これとマイナンバーとデジタル化で全国民をひも付きにして国家権力の思い通りに国民を支配しようとする魂胆が丸見えとなった。当然、国民も馬鹿じゃないから適当に収まるかも知れないが、未来は神様すら支配が出来ないの領域なので、悪徳政治家の寿命も知れたモノだろう。この際法律で正々堂々と改名・読み替え?ができるのだから良い名前を考えるチャンスか。

Iob_20230604_
原ファイル名=「IOB_20230604_人生は 花火の如し ばくち打ち.gif」

毎日新聞は、「改正戸籍法成立 氏名の読み仮名、必須に 来年度にも施行、1年以内に要届け出。;url=https://mainichi.jp/articles/20230603/ddm/012/010/139000c#:~:text=%E3%82%AD%E3%83%A9%E3%82%AD%E3%83%A9。( 毎日新聞 2023/6/3 東京朝刊 有料記事 617文字 )」というタイトルで、「戸籍にこれまで記載がなかった氏名の「読み仮名」を必須とする改正戸籍法などが2日、参院本会議で、自民、公明、日本維新の会、国民民主各党などの賛成多数で可決、成立した。2024年度にも施行され、全国民が施行後1年以内に本籍地の市区町村に届ける必要がある。いわゆる「キラキラネーム」など漢字本来と異なる読み方は「氏名に用いる文字の読み方として一般に認められているもの」との基準を設けた。」と報じた。

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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):江口きち;「不倫して人を殺すな、もっと読め恋愛小説」:20230604。

処分すると言うので、貰ってきた古本の一冊に「近世群馬の人々(1)」(三山文庫9:昭和38年刊)(本書)があった。その人名を目次から引用すると以下の通り。聞いたような名前もあるが、良く知っている名前はほとんどない。そこで当ブログ内での引用件数を調べて見た。今回は江口きちからの妄想を綴る。

内田粂太郎(0)
江口きち(0)
金井之恭(4)
桑島定助(0)
佐藤次郎(0)
須永 好(0)
住谷天来(0)
角田金五郎(0)
角田柳作(15)
村上随憲(7)
湯浅一郎(2)

江口きちの章の執筆者は明治42年生まれの田島武夫で高崎市立図書館館長とある。WEB情報によると、「県歌人クラブ会長や上毛歌壇選者などを歴任された田島武夫氏(1899-1987)が戦前、戦中、戦後を通して集めた資料群 [71]。 田島武夫氏は、昭和25年から昭和39年まで高崎市立図書館長 [64] 。」との事だ。WEB情報によると、「 ふるさとの想い出写真集:明治 大正 昭和 高崎;田島 武夫【編】」の著者で「著者等紹介;田島武夫[タジマタケオ]群馬県高崎市宮元町に生まれる。高崎中学校・群馬師範本科第二部卒業。高崎市立中央小学校教員を最初に教員生活30年。高崎中央小校長を最後に図書館界に入る。高崎市図書館長14年半。後、市史編さん事業に従う。現在、群馬女子短期大学教授。高崎市文化財調査委員、高崎市文化財保護協会長、群馬歴史散歩の会副会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)」との事だ。

既に、数日前に「たまたま、上記の古本を取り上げて江口きちの章を読んで、これぞ群馬県かと感じたが、複雑な印象が残った。」と書いた。本書で採択されたタダ独りの女性のようだ。それも20代と若い。その生涯も異例と言えそうだ。だが、本記事で江口きちを賛美して、同じような人生を再生産させる気力は生まれない。群馬県はカカァデンカ云々とはしゃいでいるが群馬の文化レベルは相当低いと嫌悪感を感じてしまう。多分、「複雑な印象が残った」という読後感はずっと続くだろう。才能に恵まれた若い女性の創作、苦悩、葛藤、恋愛、自殺、殺人は現代でもセンセーショナルなニュースになるだろうか。江口きちの短い生涯は色々なことを教え、考えさせてくれると思うが、何時になったら第二、第三の江口きちが活躍出来る時が来るのか。

江口きちの父の戒名は默応空伝居士とのこと。WEB情報によると、「善應寺には忠治の妾・菊池徳が造立した「情深墳」があり、忠治の戒名を「遊道花楽居士」としている[13]。 」との事だ。江口きちは父の生き様に反発していたようだが、默応空伝さんは自分の生き方をしていたのかも知れない。お徳さんは愛人国定忠治の天国行きを最大限に演出して忠治を本当の男にしたと言われている。

母は、時に任せて「天国に結ぶ恋」を口ずさんでいた。母の脳内にどのようなイメージが巡っていたのかは知る由も無い。人間の行動を脳のチョットした遊びが決定づけトンデモナイ事件が起きてしまう。悲惨な事件の発生を未然に防止するためには、脳が少し位遊んでも、誤動作しても、それを妄想内に押さえ込んで、行動というメカニズムから遮断してやれば良い。そのためには、人間の暴走防止装置になる文化が必要なようだ。

当ブログでは、科学者石原純と原阿佐緒の恋愛事件について書いた。まさに、大学では教えられない処世学であった。石原純は学者という身分を捨てて歌人という生き方を選んだのだ。原阿佐緒という女性の生き方も凄まじいと言えるだろう。

「東北の海よ:東北の女性歌人。20110905。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2011/09/post-618e.html)。(2011年9月 5日 (月))」で、「自分なりに割り切れば、科学は「理」、歌は「情」。石原純は1947年に亡くなったが、科学啓蒙書の著作も多い。科学者として活動が出来れば最善であったかもしれないが、時代がそれを許さなかったのか。それは原阿佐緒にも言えると思うが。湯川秀樹も歌だけでなく中国古典などにも造詣が深かった。理と情は所詮同じ頭脳の働きだ。車の両輪のように相補い協働するのが理想なのかもしれない。ともかく、情も理もバランスをとるのが難しい。また、情にも理にも時代という圧力が強く作用する。そんな中、自己本位の捨て身の行動も自由や人間解放への希求に通じるのか。尚、原阿佐緒についてはurl=http://homepage1.nifty.com/B-semi/library/koiku/15hara.htmに詩人正津勉(しょうづ べん)の参考になる記事があり、そこに原阿佐緒の歌があった。ともかく東北地方が東北関東大震災から復興するには先ず精神のバイタリティが必要ではないか。先人達の精神の強靱さにも学びたい。そんなことを思いつつ上記河北抄を読んだ。」と書いた。

大いなる この寂けさや 天地の 時刻あやまたず 夜は明けにけり   江口きち

以下は原阿佐緒晩年の句との事(詩人正津勉のホームページより)
■冬庭のわがまへばかりかげり居り

歴史にIFは無いが、江口きちが人生を生き抜いたらどんな生き方をしたか知りたくなる。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN
DATA 494.0 212 153 41879.7 20.6 26.1 17.4 8.7 8.5 6.7 3.5
時刻等℃ 14 23 17 44.67 mm
        1年の 42% 経過       AMEDASへのリンク  
ダブルカウントに注意(2023年1月3日ファイル作成);黄緑はそのデータ発生時刻(MATCH関数20220116)
伊勢崎 2023年6月3日(1時間ごとの値)


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2023年6月 3日 (土)

身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1);「忠治殺すにゃ刃物は要らぬ」:;粗だけが 光る世襲に 世は呆れ。20230603。

2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年6月3日(土)
昨日は台風二号の影響で終日雨。アメダス雨量RN=77.5mmと田植え時期には有り難い雨量だ。
ざっそう句;粗だけが 光る世襲に 世は呆れ。
昨日は知人と予定の用事外出。鬱陶しい雨が終日降っていた。昔は上州一帯が水利に恵まれなかった。昔なら恵みの雨だった。その水利を確保する知恵が溜池だった。地域の八幡沼開削の歴史を思い出す。用事は無事済み、帰路郷土史の大先輩宅を訪問し昔話に浸った。帰宅後、遅い昼飯を食いノートパソコン1でネットサーフィン。相変わらず、梅雨時のような鬱陶しい情報に目が移ってしまう。

Iob_20230603_
原ファイル名=「IOB_20230603_粗だけが 光る世襲に 世は呆れ.gif」

「八幡沼開鑿と川端宇兵衛翁(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/11/post-d6f7.html)。(2008年11月25日 (火))」で、「華蔵寺公園の北東県道462の東側に八幡沼(新沼)がある。沼の南岸にこの沼の由来を刻んだかなり大きな石碑が建っている。八幡沼の開鑿開始から51年後の大正2年に建立された「八幡沼の碑」がそれである。八幡沼は粕川から取水した灌漑用水を貯水する人工沼であり、まさに一銭たりとも出費をしたくない文久二年の大旱魃の年に、村民の心の拠り所である八幡宮、村社大明神さえも潰して、農民125名が大刑覚悟のうえ連印して藩主に陳情し、発起人・世話人等は総額500両以上の資金を投じ、3年間の期間をかけてこの大工事をやりとげた事が記録に残っている。  大工事を先頭に立ってやり遂げたのが川端宇兵衛翁であった。奇しくも川端宇兵衛は国定忠次の隣村で同じような境遇に生まれ同じような事をして同じ時代を生きていた。国定忠次より1年先輩であったが、国定忠次が大戸の関で磔で処刑されて12年後即ち忠次の13回忌の文久2年(1862)に八幡沼の開鑿を始めたのである。」と書いた。

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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1);「忠治殺すにゃ刃物は要らぬ」:20230603。

処分すると言うので、貰ってきた古本の一冊に「近世群馬の人々(1)」(三山文庫9:昭和38年刊)があった。その人名を目次から引用すると以下の通り。聞いたような名前もあるが、良く知っている名前はほとんどない。そこで当ブログ内での引用件数を調べて見た。最初に内田粂太郎からの妄想。

内田粂太郎(0)
江口きち(0)
金井之恭(4)
桑島定助(0)
佐藤次郎(0)
須永 好(0)
住谷天来(0)
角田金五郎(0)
角田柳作(15)
村上随憲(7)
湯浅一郎(2)

内田粂太郎の章の執筆者は明治41年生まれの山田直次郎で前橋市立女子高校教諭(現前女の前身:音楽)とある。WEB情報によると、山田直次郎には、「「群馬県音楽の歩み」 後藤重樹・山田直次郎/著 みやま文庫 1965」があるとの事だ。内田粂太郎は文久元年に武家の一人っ子として生まれ、長じて群馬県師範学校の最初の音楽科担当教諭として赴任して、群馬県音楽教育の礎を築いた。和魂洋才と言うが、武士の息子が切り開いた明治時代の西洋音楽導入事情等が書かれており面白い。内田粂太郎が生まれ育った時代が八幡沼の開削が始まった文久年間の頃で、江戸時代が終わる直前頃だった。この時代は、国定忠治の伝説・真説が飛び交っていただろう。西洋音楽も、西洋科学と同様が明治政府がむしゃらになって導入したのだろう。一方、終戦後の音楽の授業では日本音楽(和楽器等の知識)は殆ど学ばなかったように思う。

Iob_20230603__2原ファイル名=「IOB_20230603_処世の歌.gif」

終戦直後に生まれた百姓人間は、音楽が苦手であった。生活の中に歌や音楽というぶ文化的要素がほとんど無かった。課程(バカなATOK!)にあったのはラジオ程度。リズムがあったのはお祭りの屋台囃子程度。小学校にあったのはオルガン程度か、教科書に印刷された紙のピアノでその奏法を習った。尚、文字の「粂(くめ)」は国字で久+米を組み合わせて出来ている。WEB情報によると、「[字訓] くめ;[字形] 国字;久米の合字。麻呂を麿とするのと同じ。〔万葉〕など、古代に久米の姓は多いが、古くは粂に作る例はない。[訓義]:1. 姓、くめ。」との事だ。

群馬県の民謡と言えば、草津節や八木節。民謡は平民の生活から生まれて来た文化だ。伊勢崎市には、町田佳聲という民謡研究者がいた。それを知ったのは数年前だった。

「01C_残照雑記:身辺雑記:田舎老人徒然草:町田佳聲生誕130年記念イベントでの民謡を聞きつつ古里伊勢崎を思う;謎コンビ まだまだ行ける 政治ショー。20190301。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2019/03/01c_13020190301-03e1.html)。(2019年3月 1日 (金))」で、「当BLOGで、群馬県人で海外に出て活躍した角田柳作、矢島保治郎を取り上げた。今回初めて町田佳聲に出合った。町田佳聲が全国津々浦々民謡ハンターとして回って、絶滅するかも知れない民謡を採取した姿を想像すると、群馬県人・伊勢崎人としてのDNAが流れているのかと思った。群馬県人・伊勢崎人としてのDNAがあればこそ、全国津々浦々人々が迎え入れて、その地域の民謡を町田佳聲に伝えてくれたのでは無いか。」と書いた。

YOUTUBE:「八木節 (やぎぶし) 国定忠治「群馬県・栃木県民謡」(https://www.youtube.com/watch?v=WpT40m_sIys)。(342,745 回視聴 2020/02/20)」(なぬ、この八木節の歌詞には国定忠治いねーじゃねーか。忠治がいねー八木節なんて~)

YOUTUBE:「八木節(国定忠治)赤城山-下-(堀込源太)80rpm (https://www.youtube.com/watch?v=nd-6fiM7omQ)。(105 回視聴 2019/10/18)」国定忠治は明治以後、鬱屈していた住民の気分を解放してくれたようだ。「忠治殺すにゃ刃物は要らぬ、チョット堅気の振りをすりゃ~いい。」

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN
DATA 432.7 213 152 41385.7 18.0 19.3 18.2 1.1 3.1 0 77.5
時刻等℃ 12 3 15 0.00 mm
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2023年6月 2日 (金)

身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1);上州の女:;欲かけば 何の因果か 逆回り。20230602。

2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年6月2日(金)
昨日は曇り晴れ一時曇り。夏日になった。
ざっそう句;欲かけば 何の因果か 逆回り。
少し早めに起きてざっと新聞に目を通し用事外出の準備。受付をして何とか昼直後で指定コースを回れた。空腹を感じてきたのでそば屋へ入り昼食。その後、少し遠回りして帰宅。帰宅後、ノートパソコン1に向かってネットサーフィンをするがウトウト。

Iob_20230602_
原ファイル名=「IOB_20230602_欲かけば 何の因果か 逆回り.gif」

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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1);上州の女:20230602。

処分すると言うので、貰ってきた古本の一冊に「近世群馬の人々(1)」(三山文庫9:昭和38年刊)があった。その人名を目次から引用すると以下の通り。聞いたような名前もあるが、良く知っている名前はほとんどない。そこで当ブログ内での引用件数を調べて見た。

内田粂太郎(0)
江口きち(0)
金井之恭(4)
桑島定助(0)
佐藤次郎(0)
須永 好(0)
住谷天来(0)
角田金五郎(0)
角田柳作(15)
村上随憲(7)
湯浅一郎(2)

群馬県は「かかあでんか」で有名だが、意外に著名な女性が少ないように感じる。たまたま、上記の古本を取り上げて江口きちの章を読んで、これぞ群馬県かと感じたが、複雑な印象が残った。

金井之恭は楫取素彦の記念碑等を知って巡り会ったと思う。村上随憲は当ブログで取り上げた「ハトよ 鳴いておくれ:善応寺にある女医のさきがけ髙川磯?の墓を見る;花吹雪 犬引く美女の 乱れ足。1604。」の記事に関連している。髙川磯という女医がいたという歴史も、遠い過去のことになってしまったのか。

群馬県の名物男と言えば国定忠治が筆頭に来ると思われるが、その国定忠治という群馬の男をプロデュースして有名人に仕上げたのが女侠菊池徳と言われている。群馬県の「かかあでんか」の実像はどんなものなのか。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN
DATA 478.6 214 151 40953.0 19.9 26.6 13.7 12.9 4 6.7 0.5
時刻等℃ 16 4 19 44.67 mm
        1年の 41% 経過       AMEDASへのリンク  
ダブルカウントに注意(2023年1月3日ファイル作成);黄緑はそのデータ発生時刻(MATCH関数20220116)
伊勢崎 2023年6月1日(1時間ごとの値)


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2023年6月 1日 (木)

身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:怠慢心がAIの妄想を煽る:;ズルズルト チカクヘンドウ ドコヘユク。20230601。

2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年6月1日(木)
昨日は曇り一時晴れ。気温は夏日前であった。NHK:台風2号 宮古島が暴風域へ(4時推定位置)。
ざっそう句;ズルズルト チカクヘンドウ ドコヘユク。
いよいよ6月に入り1年の41%が経過した。玄関先新聞。宅内閑居してノートパソコン1にてワープロ作業。黒電話で打合せ。行動予定からすっぽり落ちていた用事があった。何とかすっぽかさずに済んだ。黒電話二件対応。タケノコの収穫が始まった。ザクロの赤い花が見える。

Iob_20230601_
原ファイル名=「IOB_20230601_ズルズルト チカクヘンドウ ドコヘユク.gif」

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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:怠慢心がAIの妄想を煽る:20230601。

現役時代、環境管理等の管理業務を担当したことがある。そのなかにコピー用紙の削減とかの目標があった。COVID-19パンデミックで在宅勤務等が盛んになり、紙を使う量も激減したと思うが、現実はどうか。国連のSDGsにも環境問題が課題になっている。現実は、情報を流すにもかなり紙を使う。新聞の折り込み広告は一向に減らない。

結局、資源の削減計画といっても、廃棄物が出るのを削減する程度で、廃棄されるモノを断つという発想に到らない。そんなコトをすれば計画自体が不要になってしまう。それに従事する人間も不要になってしまう。古新聞が出ないようにするには新聞購読を断てば良い。新聞や本の発行部数は減りつつあると言われているが、読書の習慣がのこっているとそれを断ち切るのが難しい。

それなら、情報を集めるのにAIを使えば良いと考えるが、AIを動かすのは所詮電力だ。キャシュカードだってATMが必要だが大地震の時停電でATMが使えるのか疑問だ。結局一番信頼性があるのは、紙媒体のように感じる。AIは高級おもちゃと考えれば間違いが無い。おもちゃに自分が駆逐されては可愛そうだ。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN
DATA 472.4 214 151 40946.8 19.7 24.2 16.7 7.5 3.4 4.7 0
時刻等℃ 15 23 16 31.33 mm
        1年の 41% 経過       AMEDASへのリンク  
ダブルカウントに注意(2023年1月3日ファイル作成);黄緑はそのデータ発生時刻(MATCH関数20220116)
伊勢崎 2023年5月31日(1時間ごとの値)


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    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)