2009年1月30日 (金)

Zg DIAGRAPH

2009/1/30

Zg DIAGRAPH

高周波トランジスタの開発を担当していた時に使用した測定器にZg DIAGRAPHというもの

があった。Sパラメータをスミスチャート型の表示装置に光のスポットで表示する特異な測定

器で、ドイツのROHDE&SCWARZというメーカー製であった。いかにもドイツ製という風格と

光のスポットで表示するというユニークなアイデアが興味を引いた。実験室の片隅にあった。

しかし、この測定器を使いこなしていた人はほとんどいなかった。この測定器を引っぱり出し

ていろいろ挑戦したが、新米の技術者で使いこなすまでに到らなかった。結局十分に使いこ

なされることなくお蔵入りしたようだ。その測定器がなつかしく思いネットで探した。

ROHDE&SCWARZ社はローデさんとシュワルツさんという二人の科学者が設立した会社ら

しい。創業75年位たっているようだ。今日では世界でも有数の測定器メーカーになってい

る。Zg DIAGRAPHという測定器も当時は最先端の測定器であったようだ。この測定器を開

発した技術者も色々試行錯誤したのではないかと思う。しかし、世界に唯一という製品なら

ばその地位は安定するだろう。Zg DIAGRAPHに追随する日本メーカーは無かったようだ。

http://www2.rohde-schwarz.com/en/about/75_years_rohde_and_schwarz/?decade=1950

上記URLの解説によるとZg DIAGRAPHは最初にSパラメータの位相測定を可能にした測定

器であったと述べていた。テレビやラジオのアンテナや通信ケーブルの測定などにも使われ

たとある。精度の高い測定器と工作機械が工業の基盤であると言われている。確かに電気

信号の位相という概念は数式では簡単に表現できるのだがそれを超高周波で測定すること

は非常に困難であった。それを可能にしたのは技術のブレークスルーであった。高周波トラ

ンジスタの安定度の低下はデバイス内部の位相遅れに起因するのだ。今日のいつでも、どこ

でも、だれとでもという携帯電話の普及は色々な技術進歩の集大成あるとつくづく思う。

2009年1月29日 (木)

マジックアイ

2009/1/29

マジックアイ

真空管ラジオのダイアル表示部分に緑色に光る不思議な真空管があった。真空管は真空中

で熱電子を放出させて色々な電子機能を実現するデバイスである。今日の電子技術の基本

となるかなりの部分が真空管を使って実用化された。その究極のデバイスが受像管であろ

う。画像表示装置に使用する。その代表がテレビである。マジックアイも一種の表示装置で

あり、ダイアルを回して放送電波が強くなると緑色の部分が大きくなり、同調表示管とも言わ

れていた。幼少時はその緑の部分が開いたり閉じたりするのを見て不思議に思った。ラジオ

雑誌等でその品名が6E5であると覚えていた。下記のURLにその写真等があった。

http://www.ne.jp/asahi/uchio/tokyo/tube/index.html

昭和20年代の後半から多く使われたようだ。ラジオが同調したかは音を聞けば大体分か

る。マジックアイはダイアル面に真空管の発光部を出して使うのでアクセサリーとして高級感

をかもしだす役割もあったのかもしれない。

2009年1月28日 (水)

ダウンサイジング

2009/1/28

ダウンサイジング

一つの対象を時系列的に見て行くと、大きくなる、小さくなる、変わらないという傾向が見えて

くる。コンピュータは小さくなる方向で進んでいる。一部はスーパーコンピュータとして巨大化

しているが、ほとんどの人はこれと無縁であろう。最近、数万円の小型パソコンが現れた。

OSはWINDOWS XPを搭載してハードだけでなくソフトも軽くしている。変わらなくなるという

のが成長して安定した状態に近いのか。数万円のパソコンとなると作って売る側からは厳しく

なるだろう。しかし、日用品と見ればまだまだ高額商品だ。一つしか持たないというとあれもこ

れもとてんこ盛りになってしまう。割り切って使い切るのが道具としての使い方かもしれない。

何でも大きければ良しとする価値観も曲がり角にさしかかっているようである。かって、「成長

の限界」が話題になった事がある。入れ物が一定ならば入る量は決まってくる。ダウンサイジ

ングも量から質への転換ならば意義が大きいであろう。

2009年1月27日 (火)

パンチカードと紙テープ

2009/1/27

パンチカードと紙テープ

入社数年後に高周波トランジスタの開発に従事した。目標はTVチューナー用につかえる、安

定に動作する性能の良いトランジスタであった。最初はVHF、次はUHF用。安定度は一口で

言えるが、これを定量的に表すことが困難であった。四個の高周波パラメータを測定してそ

れをコンピュータで計算する。一つのパラメータが実数部と虚数部をもつので結局八個の変

数を含んだ計算をする必要があり、手計算ではいつ結果がでるか予想もできない。

FORTRANでプログラムを作成して、大型コンピュータで計算させた。プログラム用紙ににプ

ログラムを書いて係りに渡す。それを係りでパンチカードでコンピュータに入力。プリンターで

印字された計算結果を受け取った。バックアップのプログラムは紙テープであった。データや

プログラムのやりとりをして結果がでるまで数日かかった。コンピュータの計算時間は短いか

もしれないが、人間と機械のインターフェースも未熟であった。コンピュータ本体にお目にか

かったこともなかった。きっと入室制限された冷房完備のコンピュータ室に鎮座していたので

あろう。その後、HP社の小型のデスクトップコンピュータが担当部署に導入されたので他人

の手を煩わせることもなく技術計算が簡単にできるようになった。

2009年1月26日 (月)

お忍びの京都行き

2009/1/26

お忍びの京都行き

高校時代の記憶はどういうわけか余りない。大学受験という目先の事で頭が一杯で、そのた

めに行動も束縛されていたのであろか。そんな中で、修学旅行は日常の束縛から解放され

る良い機会であった。会社に入って関西方面の同僚に聞いたら、旅行は東京方面であった。

関東の学生と逆方向でだが同じような体験をしていたかもしれない。二泊三日の旅程で大阪

に宿泊したとき、数名の友達と京阪に乗り京都までお忍びででかけた。予定の中の自由行動

とは異なり、無断外出には違いなかった。唯一の収穫は店のおばさんの柔らかな京都弁を

聞くことができたことであった。これが、お店のお嬢さんならば胸はワクワクして記憶は鮮明

に残っていたかもしれない。ところが、店のおじさんも同じような京都弁をしゃべったので愕然

としてしまった。ともかく予定外の行動で羽を伸ばし、小さな冒険のスリルを味わい、お咎めも

なかった事で少し大人らしい自信をつけたのも事実である。

2009年1月25日 (日)

試作回数チャンピョン

2009/1/25

試作回数チャンピョン

量産品を開発する場合、その製品が量産に耐える事が絶対条件になる。当然、納期、コスト

等も重要である。一般に量産に耐えるまで何回か試作が行われる。色々な基準が満足され

てようやく量産となる。従って、試作回数を減らして開発期間を短縮する事は重要な技術課

題である。国産の人工衛星の開発を見ると開発の難しさを理解できる。特に仕様の厳しさは

開発の成否を決める。仕様が顧客独自のものとなると更に難度は高まる。集積回路の開発

も同じ様なことがいえるだろう。数回の試作で開発が完了するのが普通であったときその数

倍の試作回数でようやく開発完了に至る例もある。Bi-CMOSという新しいプロセスを使用し

た製品開発をしたとき、不覚にも試作回数チャンピョンを達成してしまった。しかし、製品生産

のインフラとなる新しいプロセスが使えると次々に新しい製品が生産可能になる。丁度、自動

車のエンジンや車台の基幹部の開発を伴う新車開発も同じような例であろう。開発期間は遅

れに遅れてもう止めるべきというささやきが聞こえてくるとさすがに気も滅入ってしまう。会議

で量産が承認されたときは肩の荷が下りた思いであった。BiプロセスとCMOSプロセスはそ

れぞれ得意な特性をもつのでそれが一緒に使えると大きなメリットが出てくる。ともかく今とな

ると手間のかかった出来の悪い息子のような気もするが、後続の多くの製品の先頭を走って

くれたというという点では思い出深い製品であった。回りの評価も余り気にしない鈍感力と粘

りをもったチームとそれを苦虫をかむ思いで見守ってくれた上司の存在も不可欠であった。

これも、企業の体力にゆとりがあったればこそであったかもしれない。

2009年1月24日 (土)

失われた形見の腕時計

2009/1/24

失われた形見の腕時計

明治という時代は江戸時代と比べると何となく明るい印象を受ける。文明開化で新しい価値

観が生まれてきたので親近感もある。遠縁にアメリカのおじさんと呼んでいる人がいた。明治

の中期頃師範学校に学び、そこで女子師範の学生と恋仲になったが、彼女は若くして亡くな

ってしまう。思いあまって、大志を抱いて渡米する。その地で、同じく志を抱いて渡米した女性

と巡り会い結婚して二女をもうけた。長い滞米期間を経て帰国。その時家族へのおみやげに

腕時計を買ってきてくれた。父はそれを親から貰い受け、形見の品として身につけて兵隊に

出た。ノモンハンであった。戦闘で窮地に陥って持ち物は全て地中に埋めて隠せという命令

が出された。形見の腕時計もやむなく埋めたとのことだ。戦況が変わり、埋めた現場には二

度と帰れなかった。ともかく戦死せずに帰れたのでこの話が残った。父は戦闘の事をほとん

ど子供達に語らなかった。少し語ったかもしれないが聞きそびれていたのかも知れない。銃

弾が音を立てて飛び交ったというような事は聞いたが...。大便・小便がすぐにコチコチに

固くなる事などは面白そうに話したことの記憶の方が強い。身につけた持ち物まで全て置き

去って逃げざるを得なかったのはどんな状況であったのか。今なお、この腕時計は地中に眠

っているのであろうか。

2009年1月23日 (金)

海外出張中止

2009/1/23

海外出張中止

ポーランドとの仕事は専門の担当部署があり、その部署の技術者がポーランドに派遣され

た。輸出した機器で生産を立ち上げるまでをサポートする一種のエンジニアリング事業であ

った。試作した製品を評価するジグがうまく動かないというテレックスが入った。思いつく対策

案をそのジグの作成をした自分がまたテレックスで回答する。原稿を下書きしてテレックス担

当部署に渡すと係りが送信してくれた。電話線にタイプライターを接続したようなテレックスが

当時の最先端の通信機器であった。そのテレックス回線を使い何回やりとししてもうまくゆか

ない。そこで、とうとう作成者が行けという事態になってしまった。県庁へ行き初めてのパスポ

ートを取得した。ところが、当時は直行便が無かった。アラスカ回りで何カ国かの空港で乗り

継ぎしてようやくワルシャワに着くと説明を受けたが、海外に出た経験が一度もないので途方

にくれた。一人でポーランドまで行かねばならない。言葉は大丈夫だろうか。泥縄で外国語会

話でも練習しようかと悩んだ。そんなとき、うまく行ったから出張は不要になったと連絡が入っ

た。ほっとした。ともかく、任務が終了して帰国した技術者のみやげ話はポーランドの娘さん

は美人だったぞというものであった。本国で振り回された位のトラブルは物の数ではなく、そ

れ以外に色々な苦労があったのかもしれない。

2009年1月22日 (木)

天道念仏行事の廃止

2009/1/22

天道念仏行事の廃止

今のこっている記憶と言えば、太陽が昇る朝から沈む夕方まで一日中「ナーンマーハイ ダ

イハンブ」と唱えつつ鉦(かね)を叩く町内の行事であった。子供達も交代で鉦たたきをした。

<てんとうねんぶつ>といった。この行事もいつしか廃止されてしまった。<ねんぶつ>が宗

教だから町内で行うのはおかしいという議論もあったのかもしれない。自分も鉦を叩きに会

議所に行ったことを覚えているがこの行事の意味や由来は分からない。「ナーンマーハイ ダ

イハンブ」と唱えている言葉の意味も分からない。太陽を中心とする天(自然)の運行が順調

であり、五穀豊穣を願った行事であったようだ。従って「ナーンマーハイ ダイハンブ」とは願

い事がかないますようにという呪文ということになるのだろう。これが仏教の「南無 阿弥陀

仏」と関係するのかも知れない。WIKIPEDIA の「念仏」の踊り念仏の

項に

「踊念仏
踊念仏(おどりねんぶつ)とは、太鼓・鉦(かね)などを打ち鳴らし、踊りながら念仏・和讃を唱えること。 その起源は平安時代中期の僧空也にあるといわれる。

鎌倉時代、時宗の一遍が信濃国の伴野(長野県佐久市)を訪れたとき、空也に倣って踊念仏を行った。同じ時期に九州の浄土宗の僧・一向俊聖も一遍とは別に踊念仏を行った。それ以来、時宗・一向宗(一向俊聖の系統の事で浄土真宗とは別宗派、後の時宗一向派)の僧が遊行に用いるようになり全国に広まった。

一向俊聖より興る天道念佛(もとは天童念佛と書いた)。」

天道念仏の時に太鼓を叩いたかは定かでない。地方により天道念仏踊りという形で残ってい

る無形文化財もあるようだ。ともかく「天道念仏」という行事が始められてから終焉するまでの

歴史を辿ってみると、干魃、洪水、飢饉等人力で対処できない自然の猛威があり、それに対

処するために「天道念仏」が行われてきたのではないかと思われる。今日、科学や社会の進

歩で自然の猛威は克服されてきている。「天道念仏」という行事の御利益は不要になった。

振り返って見ると、「天道念仏」という行事は過去の自然の猛威を伝え、万一そのような自然

の猛威が再来した時に、地域の住民が共同で対処しようとする社会的な機能を持っていた

のかも知れない。ともかくこういう地域の行事は必然的に住民の参加と交流を要求するであ

ろうから。

2009年1月21日 (水)

ノーベル賞講演

2009/1/21

ノーベル賞講演

ついにOBAMA大統領が誕生した。この先米国はどうなるか。日本はどうか。不安と期待が

交錯する。就任式のTV中継は通訳が入って便利なようで不便でもあった。いつか、もう一度

PLAY BACKしてみたい。昨年のノーベル賞の話題も遠い過去のように感じてしまう。そんな

中、リンクか検索かでたどりついたのがノーベル物理学賞受賞者の益川氏のノーベル賞講

演であった。済みませんが、英語を話せませんのでと英語で話してから、日本語の講演に入

った。これは、先生一流の皮肉ではないか。英語が万能ではない。自国語を愛し自国語に誇

りをもつ。その上で外国語を学ぶ。ともかく、外国語コンプレックスを持つより、言いたいこと

を持つ事の方が大切だ。前半のなぜ物理学に志したかについては共感を覚えた。後半の物

理学の部分は難解だ。しかし、青少年にとってこの世の中に分からないことがある事に気付

くだけで大発見ではないか。青少年・一般人も参考になるだろう。世界では日本語を理解で

きる人は少数だろうがこのサイトに有ることが重要だ。以下は講演の紹介とリンク先である。

Toshihide Maskawa delivered his Nobel Lecture on 8 December 2008, at Aula Magna, Stockholm University. He was introduced by Professor Joseph Nordgren, Chairman of the Nobel Committee for Physics. The lecture was delivered in Japanese.

http://nobelprize.org/mediaplayer/index.php?id=1064&view=3

2009年1月20日 (火)

古い記憶の再生

2009/1/20

古い記憶の再生

義経は兄頼朝の疑いを受け、山伏の姿に身をやつし奥州指して落ちて行き、安宅の関

に・・・・・・。母が機嫌の良いときに口ずさんだせりふであった。学校の学芸会か何かがあっ

た時、母がその劇のナレーターをさせられたようである。無声映画の弁士の様であったが、

口ずさんだのは劇のハイライトの極一部であった。間違ったり、とまどってはならないと一心

に暗記したらしい(と今推測している)。ともかく、十代で暗記して八十代までその一部を覚え

ていた。今、母の記憶をプレイバックしてみると、歌舞伎の勧進帳の一場面であったようだ。

天皇の名前は神武、綏靖、安寧、・・・・とこれも代々の名前を丸暗記していた。しかし、代々

の天皇名はいつしか言わなくなった。記憶を保つには常に出し入れした方が良いようだ。D-

RAMや語り部も同じ様な要素をもつようだ。記憶はいつか使うかもしれないために保持され

るようだ。使う必要が無くなれば捨てても良い。頭脳の中に情報として残すのでローコストで

効率的なリユースシステムだ。 自分が文字を読めるようになって、小学校1年の国語の教

科書の最後の部分にあった教材が多分「こぐまのぼうけん」というよみものであった。人里か

らはなれたところにこぐまがすんでいたとうような書き出しであった。何回も読んで少しは暗記

していたのだが、いざ思い出そうとしたら全く出てこないので愕然とした。インターネットで探し

たがまだ巡り会っていない。教科書の目録やライブラリーがるようなのでそれを調べれば手

がかりがつかめるだろう。とりあえず、以下に関連していそうな情報があった。

http://www.school.ikeda.osaka.jp/hatano-es/enkakuphoto/04.html

教科書の「こぐまのぼうけん」を劇にしたのであろうか。当時のなつかしい写真もあった。「こ

ぐまのぼうけん」を読んだ生徒数はかなりあったろう。しかし、古い情報は徐々に散逸してゆ

く。ともかく、再生された古い記憶で人と人のコミュニケーションがとれればその記憶の役割

は果たされたことになるだろう。

2009年1月19日 (月)

女性上司

2009/1/19

女性上司

冷戦の時代に共産圏の国であるポーランドに技術供与する仕事があった。自分は末端の一

担当者に過ぎなかったので、仕事の技術面の説明をさせられた。日本語とポーランド語の通

訳もいなかったので、英語でやりとりすることになった。どちらからから見ても英語は外国語

であったので、意志疎通にはかなり手間取った。時には黒板を使い筆談、身振り手振りを交

えて何とかのりきった。当時、共産圏の国では女性の職場進出が進んでいると言われてい

た。紹介されたとき、女性がマネジャーで、男性技術者が部下であった。これには内心びっり

した。女性の上司を持った男性技術者はやりにくいだろうと思った。今日、男女共同参画とか

で女性の職場進出が進められているようだが、当時でもポーランドでは女性の科学技術分

野への進出は相当進んでいたのであろう。マリー・キュウリーはポーランド生まれフランスの

女性物理学者・化学者。女性数学者ソフィア・コワレフスカヤの父方の祖父がポーランド人等

ポーランドに縁のある著名な女性学者がいる。ちなみに、日本の女性医師の割合は20%未

満。女性研究者の割合は日本11.6%、ポーランド38.1%。出典は下記ホームページ。(http://www.kunikoinoguchi.jp/katsudou/pdf/190609_shiryou.pdf)

女性を人的資源と見た場合、日本はその能力活用でまだまだ後進国であるようだ。ともかく

女性の社会進出が進めば多数の男性が女性の上司を持つことになる。やりにくいというよう

な事態では無くなる。

2009年1月18日 (日)

子供駅伝大会で優勝

2009/1/18

子供駅伝大会で優勝

運動の得意でない自分が子供駅伝の選手になって優勝した体験は忘れがたい。自分以外

の駿足の選手が平均値を引き上げてくれたのははっきりしているのであるが、まさか優勝す

るとは予想していなかったのであるから嬉しさは格別であった。当時、子供会という正式の組

織があったのか不明であるが、駅伝の練習などの世話をしてきたおじさんが、今日は優勝し

たので、うまい物を食べさせてやると言って大会の帰りにそば屋に連れていってくれた。何が

出てくるかとわくわくしていたが、ネギナンであった。ともかく、ネギナンとは初めて聞いて初め

て食べた。そもそも、そば屋など入った事がなかった。駅伝の練習は世話のおじさんが自転

車で伴走してくれた。冬の夕方頃の時間である。練習が終わると近くの商店で砂糖湯を飲ま

せてくれた。寒さの中の練習で疲れ、暖かい砂糖湯を飲むのは大変なご馳走であった。こん

んな時代であったから、ネギナンはとびきりのご馳走であった。ともかく、駅伝で優勝するか

否かに関係なく、ボランティアとして子供の世話をしてくれた人がいてくれた事を有り難く思う。

2009年1月17日 (土)

小学校の体罰

2009/1/17

小学校の体罰

本日、阪神淡路大震災14年目を迎えた。入院中の父は関西地方の戦友の消息が気になり

母が必死に連絡をとった。ようやく無事が確認されてほっと一息ついた。その戦友は帝国大

学卒業。父は尋常小学校卒業。天と地の差である。しかし、戦場では学歴の差もなく、同じ釜

の飯を食った戦友の結びつきは強かった。とりわけ、その戦友は戦場で片足を失ったが、そ

れを苦とせず会社の社長まで上り詰めても、ずっと同じ戦友としてのつき合いをしてくれた事

に誇りを持っていた。軍隊という組織の中にあって、戦友とは同じ運命を背負った仲間であ

り、苦楽を共にした体験が戦後も固いつき合い続けた要因であったであろう。

学校の体罰に関しては色々議論がある。教育と言えども、最初は教育ができる状態を作る

必要がある。言葉で生徒を指導できればそれに越したことはないだろう。言葉だけではどうし

てもうまく進まない時に体罰が使われるのであろう。叱ると尻を叩くは教育以前のしつけの問

題かもしれない。体罰はあくまでも不適切な行動の矯正手段であろう。従って、教育の段階で

は叱ると尻を叩くから、諭すと正すという手段を中心にするのが妥当なのかもしれない。これ

を本気で実行するとなると大変根気と手間のかかる仕事になる。自分の小学生時代を振り

返ってみて、殴られたりする暴力的な体罰を受けた記憶はない。宿題を忘れたり、質問に答

えられない時は立たされた事があった。廊下でボール遊びをして窓ガラスを割って叱られた

時もあった。いたずらをした時は罰はもう少し厳しくなり、水の入ったバケツを下げて立たされ

たり、拭き掃除をさせられた。結果論からいえば、自分もなぜそうさせられたか分かったの

で、先生を恨んだり、先生に感謝することもなかった。今から思うと諭すと正すという範囲で寛

大な処置であったかもしれない。場合によれば拳骨の一つ二つはもらう可能性があった。敗

戦直後の教育環境の中で体罰への反省や抑制意識もあったかもしれない。

2009年1月16日 (金)

船流し

2009/1/16

船流し

学校通りに沿ってコンクリートの側溝があり、船流しをして遊びながら学校へ行った。小学生

の頃であった。流したのはどこにもある、木片の類である。友達数名で流れる早さを競った。

ゴミなどに阻止されて船が止まってしまうと石を投げつけて動かす。ともかく木片一つで片道

の通学時間の間遊べたのである。今日側溝はコンクリートのふたでふさがれておりそこに水

が流れているのも気付かないのではないか。最近、水利の仕事をして知ったのであるがこの

側溝は防火用水も兼ねており、灌漑用の用水路から取水して通年水を流しているとのことで

あった。

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みかん栽培関係情報

公開資料

ISESAKI  有情1

嗚呼 伊勢崎 非情

BOOKS

  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
  • 沼田 真(編): 07_雑草の科学(研成社1979)
    雑草を多面的に解説し防除の基礎も述べる

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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)