2008年10月19日 (日)

荘子と混沌

2008/10/19

荘子と混沌

日本で初めてのノーベル賞を受賞された湯川秀樹博士が中国思想である荘子に親しんでい

た事は広く知られている。荘子の思想が自由な発想を触発させる内容に富んでいたからであ

ろう。湯川秀樹著作集の読書に関する一冊を読んでみた。博士は荘子の混沌の話を素粒子

論の発想と対比して語っていた。物理の基礎理論の混沌と荘子の中の混沌を対応させつつ

混沌の中から中間子理論を導いた事を語っているのではないかと思った。そうして博士の究

極の目的とした素領域の理論も視野に入れて荘子の混沌を語ったようでもある。

時間と空間という入れ物は決まっていても、それを舞台にして演じる役者は本当に大勢い

る。偉大な音楽や偉大な彫刻などもその例だろう。天才がそれをつむぎだす。

それなら、その役者の正体は何か。湯川博士は素粒子の種類が多く成りすぎて、それをうま

く整理できない状態を混沌という状態に見立てたようだ。多くの素粒子を生み出す更に基本

的で究極的な粒子の存在を想定した。それが「クォーク」という基本粒子であり、陽子や中性

子、中間子などの粒子はすべて、クォークの組み合わせでできていると考えられるようになっ

た。本年のノーベル物理学賞の小林・益川理論は湯川博士の研究の流れの中にあったとい

えるようだ。物理の世界にも実際の世界にも常に混沌がつきまとっている。その混沌の根本

をつかむことは永遠の課題かも知れない。しかし、混沌に真正面から向かわない限り混沌の

本当の姿さえ見えないのも事実であろう。混沌とは物事が生まれ育ち始める原点のようなも

のかも知れない。湯川博士にとって荘子とは自由なアイデアを見つけ、育む場であったよう

だ。

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追記(2014/6/7):「荘子と混沌(2008年10月19日 (日))。」の記事がいきなりランキング7位に入った。アクセスログは無いので何人この記事にアクセスしたのか不明だ。ともかく最低数人の読者がいるのだろう。物事、数字で知ってしまうと興ざめする事が色々ある。数年前の、自分でも忘れかけた記事を読んでくれる読者がいるだけでもありがたい。思うに、終戦直後に湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した事は、自信を失っていた多くの国民に元気を与えてくれたと思う。特に、当時の青少年が受けた感化も多大だったと思う。残念だが、当今の理化学研究所とそれを取り巻くSTAP細胞論文問題は、まさに混沌状態にある。それも、自然観に関わる深遠な混沌で無く、下世話・世俗的な混沌だ。現代の青少年達が科学に対してどんな夢が持てるのか。

サイト内でキーワード「科学ニュースに独り言」を検索(https://www.google.com/?hl=ja#hl=ja&q=%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AB%E7%8B%AC%E3%82%8A%E8%A8%80%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2Fitoshikimono%2F)。

追記(2014/6/9):
上記記事がランキング2位に入った。なぜ急上昇したのか不明。Googleで以下のキーワードを検索して当BLOGのヒット状況を調べた。「湯川秀樹博士と混沌」というイメージはまだ健在なのかもしれない。

混沌 湯川:24/約 29,500
混沌 湯川 理化学研究所:69/約 12,200(当BLOG記事)
混沌 理化学研究所:100位以下/約 22,000
湯川 理化学研究所:100位以下/約 36,400
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2008年10月18日 (土)

国定忠治生誕200年

2008/10/18

国定忠治生誕200年

2008 国定忠治 ファンミーティングというイベントが本年3月23日(日) に開かれた。国定

忠治に伊勢崎の街興しに一役買ってもらおうという伊勢崎市観光協会の企画だったらしい。

国定忠治という人物の実像はなかなか掴みにくい。実際の社会から浮き上がった虚像を通し

てしか見ていないのではないかと常々気になっている。当日、国立歴史民俗博物館名誉教

授 高橋 敏 氏 の「国定忠治学」事始め という講演があり興味深く聞かせていただいた。

また、「国定忠治を男にした女侠 菊池徳の一生」という同氏の著書も購入して読んだ。謎は

深まるばかりであった。どうも自分が求めていたのは舞台の役者ではなく舞台裏の方だった

のかもしれない。国定忠治を生んだ風土、時代、社会、地域の状況等々余りにも知らない事

が多すぎる。こういう舞台裏が十分理解できれば、国定忠治という人物の実像に迫ることが

できるのではないかと思ったりする。

2010年に国定忠治生誕200年を迎えるらしい。長寿な人なら百才も珍しくなくなった現代から

見ると200年前は一昔前に近い。それなのに、国定忠治や国定忠治が活躍した時代は余り

にも遠くなってしまったような感じがする。国定忠治生誕200年という節目を迎えて国定忠治

の実像にどこまで迫れるのか、どのような歴史的教訓が引き出せるのか、単なる一過的な回

帰現象で終わるのか気になるところである。

2008年10月17日 (金)

はさみ研ぎ

2008/10/17

はさみ研ぎ

はさみ研ぎ切れ味鈍る秋の暮れ     夢野照緑

大抵の刃物は研げば少しは切れ味が良くなる。ナイフや包丁の一枚刃はこの類である。しか

し、二枚刃の鋏の類は研ぐのが難しい。今時、仕立てなどあまり行うことが無いのでラシャ鋏

の出番はほとんどない。これを、紙切り等に転用しているのだが切れ味が良くない。日頃

から道具の使い勝手はメンテナンスで決まると思っているので、自己流で研いでみた。残念

ながら研ぐ前より切れ味が悪くなってしまった。しかし、刃物研ぎは仕事の合間の気分転換で

行う場合が多い。くだんのラシャ鋏研ぎは古い道具の機能復活の試みであったが、難しそう

なのであきらめた。長く使い込んでいる道具はそれがないと何となく仕事に集中しない。自分

の場合接木ナイフなどがそれである。これは気合いをいれてその都度研ぐ。しかし、ちょっと

した仕事には何はともあれ道具さえあれば何とか間に合う。道具が無ければ仕事にならな

い。結局100円ショップの鋏を使ってしまう。じっくり研いで往年の道具を復活させたいと思っ

ているがその時がいつになるか定かではない。道具としてまともに機能しないがそこにあるこ

とにより歴史をかたってくる。そういう道具があっても良いと思う。

2008年10月16日 (木)

iPS細胞と再生医療

2008/10/16

iPS細胞と再生医療

今年の科学界の特記すべき進歩の一つにiPS細胞の作成があるだろう。数年前にはES細胞が話題になり、韓国では2005年末にヒト胚性幹細胞捏造事件も起きた。ヒトES細胞はヒトの卵子から作成するので倫理上の問題等多くの問題が指摘されていた。iPS細胞はヒトES細胞の代替えとして期待が寄せられている。植物の細胞は動物細胞と異なり、色々な器官にに分化する万能性を備えている。この性質は既に産業的で数多く実用化されている。動物(ヒト)細胞の場合、あらゆる器官に分化する能力を持つ細胞は無いと信じられていたが、ES細胞がそれを持つことが発見され一躍脚光を浴びることになった。

iPS細胞 (induced pluripotent stem cells、人工多能性幹細胞)とは、体細胞(主に線維芽細胞)へ数種類の遺伝子(転写因子)を導入することにより、ES細胞(胚性幹細胞)に似た分化万能性(pluripotency)を持たせた細胞のこと。京都大学の山中伸弥教授らのグループによって世界で初めて作られた。(WIKIPEDIA)

初期の細胞への遺伝子導入にはヴィールスの運び屋を使っており、癌化の問題があったという。最近この運び屋をプラスミドに変更して癌化の心配の無いiPS細胞の作成に成功したと報じられた。以下はそれを報告する論文のタイトルである。遺伝子科学の進歩の早さには驚かざるを得ない。正にここに、未知なる有望で巨大な金鉱があるのは確実であるため、国も会社も学者も必死で研究に取り組んでいるわけである。

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Published Online October 9, 2008
Science DOI: 10.1126/science.1164270

Reports

Submitted on August 6, 2008
Accepted on September 25, 2008

Generation of Mouse Induced Pluripotent Stem Cells Without Viral Vectors

Keisuke Okita 1, Masato Nakagawa 2, Hong Hyenjong 3, Tomoko Ichisaka 4, Shinya Yamanaka 5*

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実験はマウス細胞で行われているが、ヒト細胞でも可能であるという前提でマウスが使われていると思う。ともかく再生医療が手に届く可能性が見えてきた。今までに無い全く新しい原理による医療や創薬等の新技術の実現は何をもたらすのか予想もつかない。その光が強いだけ陰も深いのかもしれない。既に、植物の分野では遺伝子操作食品が流通し、知らない間にそれを摂取していることが日常的な事態になっている。再生医療の場合新しく作成された細胞が直接人体に入ってくる。効果は劇的であるかも知れないが使い方を誤ればその逆効果も劇的に成らざるを得ないであろう。しかし、万が一、目的外の予想も出来ない極極微量の不要な遺伝子が導入されて、それが当面は大きな効果の陰に隠れて姿をあらわさなっかたとしても、何世代も後に突然姿をあらわさないという保証はなにもない。一度導入した遺伝子はそれを次々に再生し遺伝させることによりその効果を発揮するのであるから。キュリー夫妻はウランの核分裂を実証して、それが原爆の開発につながった。今日、世界は核兵器の拡散という問題を抱えて世界平和・国際政治にも科学の陰が及んでいる。極微の世界の法則がこの大きな世界を支配しているのは悲しい現実かもしれない。しかし、この世界が極微なものごとにより成り立っている以上それから逃れられない。1953年のJ.ワトソン、F.クリックによDNA の二重らせん構造の解明が遺伝子工学の夜明けとすると、iPS細胞の作成は太陽がまぶしく輝く前兆のようでもある。一度発見された真理は何をもってしても否定することは不可能である。問題はその真理をいかに生かすかに尽きるのであろう。

2008年10月15日 (水)

金木犀のルーツ

2008/10/15

金木犀のルーツ

モクセイの落花が語る過去未来    夢野照緑

金木犀の花が盛りを過ぎ、小さな花が地表をオレンジ色に染めている。金木犀はその花より

むしろ芳香が愛でられているようだ。しかし、咲いているのは雄花だけであるという。なぜなら

金木犀は雌雄異株で、日本には雄花だけが江戸時代に渡来したらしい。それでは雌花はど

んな花か気になる。芳香樹として雄花が渡来したとすれば雌花は芳香が無いのであろうか。

そこで思い出すのが麝香である。麝香は雄のジャコウジカの腹部の香嚢にあるらしい。

アナログ的な物の見方を拡張すると類推という問題になる。芳香が動物の世界と植物の世

界の雄と共通するのは単なる偶然なのだろうか。雌花にも芳香があった場合なぜ雌花は渡

来しなかったのだろうか。我が家にも古木となった一本の金木犀が住み着いている。

この木のルーツを辿ると日本に伝来した数少ない原木に行き着く筈である。

日本の金木犀には実生が無いのだから遺伝的にはクローンで皆兄弟に近いだろう。

一本の金木犀の木も色々な事を語っているようだ。

2008年10月14日 (火)

ぶっちめ

2008/10/14

ぶっちめ

これも、幼少時代の冬の遊びであった。野鳥をしとめる罠の一種であろう。野鳥の餌が少なく

なる冬場の遊びで、理にかなう。用意するものは素材のヒモとナイフ。

ぶっちめのアイディアは餌を食べに来る野鳥を餌場の入り口で捕獲しようとするもの。

入り口に入ったところでかんぬき(閂)に押さえられる仕組みである。

かんぬきをおさえるバネの部分は桑の枝などを使用したので、現地調達である。この桑の枝

にヒモの一端をしばり、ひもの末端にかんぬきとなる棒を縛り付けてかんぬき外す作動部品

に連結する。この作動部品は一種のロックとセンサーを兼ねている。鳥が餌を食べ始めて

この作動部品に触れるとロックが解除されて桑の枝のバネの作用でかんぬきがばたんと下

がり鳥が捕獲される。鳥を引き寄せるため餌をまくが、入り口から入るように、餌場を木の枝

を立てて囲う。この枝も桑の枝などを現地調達する。

この仕掛けを作り、うまく働かせるまでの調整が大変である。というより、ぶっちめという仕掛

けができれば、遊びの大半は終わったようなものである。今、思い返すと点々と鳥の足跡が

あり、かんぬきが外れた形跡は見たが、獲物を捕った記憶はない。多分バネの強さが不十

分であったのだろう。ぶっちめはかっては半実用的に使用された狩猟技術であったが、その

後は技術の伝承という形で子供の世界の遊びとして残ってきたのであろう。罠という狩猟の

基本要素は全てこの遊びに備わっている。ナイフ一本とわずかな材料で色々な遊びができた

のだ。遊びを通して知らず、知らずに生活の知恵も学んだようだ。

2008年10月13日 (月)

魚の手つかみ

2008/10/13

魚の手つかみ

ある結婚式で来賓のあいさつがあり、魚の手つかみのたとえ話をしていた。要は魚の手つか

みをするとき、手の温度と魚の温度が違っていてはうまく行かない。夫婦間の微妙な温度差

を克服することの大切さを気付かせてくれた。自分より年輩の方なので魚の手つかみにも親

しんだのであろう。こういう、話が出きる人は魚の手つかみからも人生の知恵を修得していた

のだなと感心させられた。

自分も幼少時代は魚の手つかみが好きで良く小川に出かけた。誰に教えられたか思い出せ

ないが、魚の手つかみは魚の動きが緩慢になる真冬にするのである。

母はそんなに魚とりが好きかいと言い心配してくれた。

裸足でズボンとシャツをまくり上げて川の中に入り、魚が潜んでいそうな物陰にそっと両手を

入れてつかむのである。鮒などが獲れた記憶がある。しばらく水に入っていると意外に川の

水の冷たさは感じなくなる。しかし、魚と自分の手の温度差まで思い至ることは無かった。

魚の手つかみのおもしろさは、ここを狙えば魚がいる、それをつかむには手をこう回して

云々と自分の思うとおりにならない獲物をとる技術とスリル感にあったようだ。

それこそ、とり逃がした魚は大きかったのであった。遊びが面白く病みつきになると寒さなど

忘れてしまう。

2008年10月12日 (日)

ラジオ放送80年

2008/10/12

ラジオ放送80年

NHKラジオを聞いていると80ちゃん号が登場する。NHKラジオの開局80年を記念して作ら

れた中継車らしい。日本で最初にラジオ放送が行われたのが1925 ( 大正14 ) 年3月で当日

の受信契約数は約3,500であったとの事。今年でラジオ放送開始83年になるわけだ。

この間のあらゆる面の変化は著しい。ラジオ受信機も、真空管から、トランジスター、ICへと

変化してきた。しかし、確実に変化していないものがある。それは音声を電波に乗せる方式

である。それは鉄道で言えば軌道の規格のようなもので、この規格も一度決めてしまうと簡

単に変更できない。AMラジオとは音声の大きさを電波の強さ(振幅)に変換する放送方式で

ある。

音声という世界と電波という世界は別世界であるがその大きさを対応させる事で音声のもつ

限界を飛躍的に拡大できた技術がAM変調技術である。同じ情報でも媒体を乗り換えること

でその限界を乗り越える事ができる。電波から音を取り出す装置がラジオ受信機ということ

になる。AM復調技術である。基本的には変復調には非線形信号処理を伴うが、技術の根

幹にアナログ原理があり、直感的で理解しやすく、技術的にも容易に実現できるという特徴を

もつ。それがAMラジオ放送が80年以上永続してきた技術的な背景であろう。当然に社会の

インフラ構造としての役割がそれを要請していると言えるだろう。

2008年10月11日 (土)

パナソニックのTVが3億台達成

2008/10/11

パナソニックのTVが3億台達成

2008年10月1日、“松下電器産業株式会社”が、“パナソニック 株式会社”に社名変更して、

これを記念するように、本年10月7日に累計のTV生産台数が3億台になると発表した。

3億台の内訳は、白黒、カラーのブラウン管テレビが2億7700万台、プラズマが1300万

台、液晶が1000万台。 これは、世界のテレビメーカーで初めてとの事だ。ブラウン管テレビ

が圧倒的な比率を占め、今日でも全世界ではこの傾向は変わっていない。薄型のLCD TV、

PDPTVも普及が始まっているが、世界的規模で従来の基幹技術を完全に置き換えるまでに

は相当な期間を必要とするようである。ブラウン管テレビはアナログ技術を集大成したような

民生品であった。これを作りこなすのは日本人の特性が最適であったようだ。米国のTVメー

カーは一つ一つ消えてゆき、日本メーカーが世界の首位を占めている。

しかし、ブラウン管テレビの生産拠点は海外に移り、海外メーカーも不動の地位を占めるよう

になっている。いずれ、日本のメーカーもブラウン管テレビから撤退せざるを得ない時が来る

かもしれない。この技術的に偉大な遺産を次の技術の創造に生かさない限り、技術も産業も

衰退してしまう心配がある。意欲的な世界の国々は日本の技術に追いつき追い越すことを目

標にしているのであるから。

2008年10月10日 (金)

ノーベル化学賞と花成ホルモン

2008/10/10

ノーベル化学賞と花成ホルモン

スウェーデン王立科学アカデミーは8日、08年のノーベル化学賞を下村脩・米ボストン大名

誉教授(80) 、マーティン・チャルフィー米コロンビア大学教授(61)、ロジャー・チェン米カリ

フォルニア大学サンディエゴ校教授(56)に授与すると発表した。受賞理由は「緑色蛍光たん

ぱく質(GFP)の発見と発光機構の解明」。

連日の日本人科学者のノーベル賞受賞に元気づけられる。素粒子は極微の世界を巨大な

装置で暴くことによりその存在が実証される。人類が未知の真理を手に入れるにはそれくら

いの負担は当然であるという考えによるのであろう。間接的には色々な波及効果があるだろ

う。一方、今回のノーベル化学賞の対象は、実用面での応用範囲が広いという特徴があるよ

うだ。生体の中で働いているタンパク質のマーカーとしての応用である。

緑色に光るタンパク質を取り出すときのインスピレーションに感心する。蛍光物質を取り出す

には光らせてはならない。物質そのものが消耗してしまうからとの事だ。その解決策に酸性

にしてやるというインスピレーションがわいたようだ。やはり、あれこれ考えつくし、もう駄目か

もしれないという時の最後のインスピレーションが成功のきっかけになることは多いだろう。

人がやった事の無いことをやるのには信念と勇気がいる。無鉄砲にやっても効率が悪い。何

らかの作業仮説をたてる。いくつかの実験を行い獲物のいる範囲を定め、その範囲を狭め

て行く。そうして最後に獲物を追いつめて捕獲した時が目的を達成した成功の時なのだ。

植物の世界では、花を咲かせるには花成ホルモンという物質が形成されそれが働くことによ

り花が形成されるのであるという仮説がある。しかし、花成ホルモンは極微量で働く物質であ

りそれを特定した人はいないらしい。最近、花を作るきっかけになる遺伝子が特定されたらし

い。花成ホルモンを光らせる事ができれば、どこで働いているかが特定でき、いつでも花を

咲かせることができるようになるのではないか。果物は花がさかなければ実がならない。実を

ならせるまで数年かかる。1年で実をならせることが出来ればすばらしいことだ。現在では夢

かもしれないが、いつかは実現するかもしれない。

2008年10月 9日 (木)

田舎のアインシュタインとノーベル賞

2008/10/9

田舎のアインシュタインとノーベル賞

2008年10月7日、国会予算委員会の審議のラジオ中継で国民新党の亀井静氏が麻生総理

に語りかけるような口調で論戦を挑み他の質疑と一風異なる印象を受けていた。

日本という国はこれからどうなるのかという一抹の不安を抱きつつ聞いていた。

その晩、 スウェーデンの王立科学アカデミーは7日、小林誠氏、益川敏英氏、南部陽一郎氏

の3氏に今年のノーベル物理学賞を授与するというニュースが走った。

明るいニュースである。

湯川秀樹博士の日本で初めてのノーベル受賞が終戦後の暗い気分を追い払い国民に自信

を与えてくれた事が思い出される。

ともかく、基礎物理の素粒子の世界は我々百姓とは別の世界ではある。

しかし、だれにとっても極微の世界と極大の宇宙は何となくロマンチックではある。

ある時、近所の百姓のおじさんがアインシュタインの相対性理論とはどういう物かと話にきた。

まったく、予想もしていない出来事でありびっくりした。

でも考えることは自由なのだ。

おじさんは田舎のアインシュタインであった。

いろいろな事に関心があり、勉強もしていたようだ。

しばらく、とりとめのない話をした。

偉大な真理はただ一つしかなく、ただ一度発見されるだけである。

極微のニュートリノに質量があることが分かった。

この発見もノーベル賞で報いられた。

重力が生じる理由、物質の生成と消滅など今後基本的な真理が解明されてくるのであろう。

一度真理が発見されれば、田舎のアインシュタインでもそれが理解できるようになる。

今回のノーベル賞に触発されて田舎のアインシュタインになってみるの良かろう。

この科学上の真理は全ての利害を超えて人類共有のものである点で無用の用がある。

ひょっとすると我々の見ている事の中に誰も気づかないでいる真理があるのかもしれない。

しかし、真理の女神が究極的に微笑んでくれるのは真理の探究に尽くした大勢の人々の中の

極少数の人だけでなのである。

ともかく、ノーベル賞のニュースは多くの国民にときめきを与えてくれた。

受賞者のみなさん、ありがとう。そして、おめでとうございます。

2008年10月 8日 (水)

計算尺

2008/10/8

計算尺

電卓が普及する以前の技術計算には計算尺が使われていた。

精度の高い計算には数値表を使用する事もあった。

計算尺はアナログ技術に属すだろう。

アナログ技術は直感的で理解しやすく実用的でもある。

自分もアナログ集積回路の開発に従事した経験があり、アナログ技術には愛着を感じる。

計算尺の基本は物差しを二本(固定尺と移動尺)使って計算をすることにある。

一本でも操作手数を増やせばできる。

足し算ならば、足す数を固定尺に置き、移動尺の原点をそこに合わせる。

次ぎに足される数を移動尺に置く。

その下の目盛りが足し算の結果になる。

この操作を移動尺を固定尺の上で滑らせてに行うことにより、計算を作業に置き換えるとい

うメリットがある。

頭を使わずに手を使えば良い。

要するに二つの数を物の長さに代えて、その長さを加えた結果を計る

操作により加えるという計算操作を置き換える。

計算を長さの測定に置き換えるのである。

これがアナログ技術の神髄である。

かけ算の場合は均等目盛りの尺の代わりに対数目盛の尺を使う。

対数の世界ではかけ算が足し算に、わり算が引き算に対応していることを利用する。

そうするとかけ算も長さの測定に置き換わる。

技術計算用の計算尺は色々な関数の目盛りも付いていて相当高価であり

大切に使用していた記憶がある。

その計算尺も最近では電卓に置き換わってほとんど見ない。

なんとなく気になり、ヘンミというブランドであったので調べてみた。

すると、ヘンミ計算尺株式会社として現在も存続していた。

計算尺は一部だが、従来の竹を使用しない特殊用途の物を生産しているようだ。

創業の原点を忘れまいと大事に守っている製品のようだ。

しかし、現在は主力をプリント回路基板、流体制御機器、半導体製造装置等の製品の開発・

設計・製造とする精密工業製品の会社に変貌していた。

計算には精度が大切である。

精度の高い計算尺を作るには高度の技術が要る。

これを国産の孟宗竹を素材にして実現したことには頭が下がる。

2008年10月 7日 (火)

かんちょうとり

2008/10/7

かんちょうとり

かっての子供の遊びであった。

もうルールはほとんど忘れている。

かんちょう、きかん、すいへいという役があり

2つのチームが対戦する屋外の遊びである。

艦長、機関兵、水兵という文字があてはまるので、今風に言えば

海軍のロールプレーイングシュミレーションゲームともいえるだろう。

終戦後の少年時代に暗くなるまでこの遊びをしたことを覚えている。

数名から十名近くが参加するので年齢もまちまちだ。

そのおかげでいまでも近所の同世代の遊び仲間の事は良く覚えている。

今思うとこういう遊びの中で縦横の人間関係、役割関係を

知らず知らずの内に学習していたようである。

走って身体を使ったり、作戦を練ったり色々な要素を含んだ遊びであった。

教えられることもなく自然にこういう遊びをしてきたのは

今から思い返すと不思議でもある。

2008年10月 6日 (月)

生む・生まれる・生ませる

2008/10/6

生む・生まれる・生ませる

誕生・生誕とは人間にしろ動物にしろ不思議で厳粛な現象である。

生む・生まれる・生ませるという言葉に生命が伝えられる様式が見える。

というより、その言葉を使う人の意識や意志が言葉に反映されているようだ。

生むとは正に母親の行為である。

どうも「生む」だけの自動詞的用法は漠然としてしまう。

生み出す目的語である対象を想定している言葉のようだ。

○○を生むという表現から目的語を伴う他動詞が原義であるようだ。

それでは、「生まれる」とは自動詞なのだろうか「生む」の受動態なのだろうか。

私は平成○年○月○日に生まれました。

この表現は親子関係を想定しているので受動態に近いだろう。

行為としての意志の強さは断然「生まれる」より「生む」に軍配があがるだろう。

然からば、「生ませる」はどうか。

父親の行為でもあるようだ。

「生む」よりさらに強い意志の支配を感じないでもない。

○は△に□をして×を生ませた。

しかし、自分は×に生ませられたとなると自虐的になりすぎる。

誕生・生誕という不思議で厳粛な現象もその意識や意志の点でなんとなく

あいまいな部分がある。

なぜだろう。

やはり、成人の意志や意識でもってしても、誕生・生誕という現象には、

人間が完全に制御しがたい自然の摂理が働いているからであろうか。

話は植物の世界に飛ぶ。

植物体が成熟すると花を咲かせ、受精して、実が熟す。

それが、ぽとりと地面に落ちる。

母体からのTAKE OFF離別である。

この瞬間種子(子供)は母体の庇護もなくなり、厳しい環境に耐えてゆく運命にさらされる。

母体に比べれば圧倒的に劣悪な環境から出発する。

植物の意志や意識はどこにあるのだろうか。

もう一度人間の世界にもどる。

人間、挫折し、難局に遭遇したりすると、こんな事なら「生まれなければよかった。」と

思うことがよくある。

親子の口論もこの類が多い。

お母さんが自分を生んだのが悪い等々際限が無い。

○(?)は△(母)に□(父)をして×(自分)を生ませた。

こういう、発想の転換はできないだろうか。

即ち、出生の主体に自己を置くのである。

「○(?)=自分」とすればよい。

自分は自分の意志でこの世に出生したのだと再認識するのだ。

父も母も自分の出生に身体を貸してくれただけだ。

生命誕生のドラマもこれが誤りではないと感じる。

子供にとって精神と生活の独立宣言でもある。

自己の出生を動物の世界、植物の世界、自然の摂理等から客観的に位置づけることに

より自己の存在が確実なものになるのではなかろうか。

それでは、本当の「○(?)は」とは何か。

生まれていない自分がなぜそんな事ができるの?

自分が生まれる前に自分が生まれる準備は進んでいる。

植物で言えば授粉の瞬間に次の生命のバトンタッチが始まっているのだ。

生命の誕生と進化のドラマが普段見えないところで展開しており、

凡人に容易に見られないがのが勿体ない感じがしないでもない。

2008年10月 5日 (日)

アナログTV放送の中止

2008/9/5

アナログTV放送の中止

2011年7月24日にアナログTV放送からディジタルTV放送に移行するらしい。

既に多くの問題が指摘されている。

最大の問題は各世帯に数台あるといわれるアナログ受像器の処置であろう。

日本全国では1億台を下らないだろう。

一台数万円の価値があるとすると総額で数兆円の価値がアナログ受像器にある筈だ。

環境の時代といわれる今日、これをいきなり粗大ゴミにする事は許されないだろう。

白黒TVからカラーTVに移行するときには巧妙な方式がとられた。

白黒信号を運ぶ列車の上にカラー信号を載せるコンテナを積むような方式を採用したのだ。

これをNTSC方式のカラーTVと言い、現在のアナログTV放送である。

即ち、政府(米国)は白黒TVとカラーTVの両立生を確保するための方式の開発に、当時可

能であった最大限の技術を投入したのである。

国(米国)がこのような目標を掲げたことにより、白黒TVしか持たない人でもカラーTVを白黒

で見られるようなったのである。

社会的には、普及した白黒TVという社会財の延命・有効活用を可能にした点と白黒TVの保

有者に余分な経済的負担を強いないという点、経済的に余裕のある人にはカラーTVへの移

行を同時に可能にした点に意義あった。

TVという情報媒体は電波の性質により即時に隈無く情報を届けるという機能がある。

これは情報化社会にあっては基本的人権・知る権利に匹敵する国民の権利であろう。

この権利をディジタルTVを持つ人しか享受出来なくなるのでは問題であろう。

現在のアナログTVの機能・性能で十分満足している人も多いだろう。

国民が信頼してきたシステムを、代替えシステムを用意せずにいきなり変更されては

納得ができまい。

鉄道システムでは在来線を撤廃して新幹線一本にするようなものであろう。

これが、国民の行動(手足)の自由に関係するのは自明である。

当然、在来線を廃止するのならば代替え手段であるバス路線を確保する位の処置は

常識であろう。

TV(目、耳)についても同様であろう。

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  • 橋本 英文: 刃物雑学事典 図解・刃物のすべて(1986年 株式会社 講談社 ブルーバックス B-659)
    刃物という視点で多くの事例が取り上げられている。刃のある道具の理解にも役立つ。類書が少なく貴重な一冊。「すべり変形が切断の原理」という考え方で説明している。
  • 沼田 真   : 植物たちの生( 1972年 岩波新書(青版 833))
    「ご要望にお応えしてアンコール復刊(1988年岩波新書50年記念復刊) 地球生態系の中で自然を見直す」(腰巻きのフレーズ)。植物の知恵と戦略に人類は勝てるのか。
  • 出町 誠: 14_NHK趣味の園芸:よく分かる栽培12ヶ月  カキ(NHK出版2007年)
    初心者向け柿栽培参考書(新版)。旧版と比較すると楽しい。
  • 中村三夫: 13_NHK趣味の園芸:作業12ヶ月  カキ(NHK出版1996年)
    初心者向け柿栽培参考書(旧版)。新版と比較すると楽しい。
  • 山科正平: 12_細胞を読む   電子顕微鏡で見る生命の姿
    細胞はどんな部品からできているのか。そんな疑問に答えてくれる一冊。何事も形を見るのが第一歩。μからÅオーダーの世界で、細胞をメスで解剖するように、電子顕微鏡というメスで解剖して見せてくれるので興味が尽きない。
  • 柳田充弘: 11_細胞から生命が見える
    著者の専門は分子生物学、細胞生物学。普段生物を考えても細胞レベルで止まってしまう。その細胞の中で色々な分子が働いている。細胞こそ生命の基礎だが、その細胞の中の動きを知るのに最適な一冊。疑問の発端はなぜ発根剤が効くのかということ。薬剤が細胞膜を通過して細胞内で分子と分子が作用するイメージができた。本書でできた細胞のイメージは小さな無数の穴が空いた水分が充満したヨーヨーのようなもの。そのヨーヨーの中に分子部品が詰まっている。細胞自体もタライの中のヨーヨーのように浮かんでいる。細胞図面の空白部は真空でなく水分だ。細胞の内外に水がないと細胞は生きられない。水が生命のゆりかごだ!
  • 野口悠紀雄: 10_ホームページにオフィスを作る(2001年 光文社)
    ITが輝いた時代の作品。HPの活用法は参考になる。参考:url=http://www.noguchi.co.jp/(野口悠紀雄 ONLINE)
  • 小池洋男 編著: 09_果樹の接ぎ木・さし木・とり木(農文協:2007/3/31第1刷)
    やや専門的であるが、実務専門化が分担執筆しており、その場で役に立つ一冊。
  • ノーバート・ウィーナー(鎮目恭夫訳): 08_サイバネティックスはいかにして生まれたか(みすず書房1956)
    情報と通信という現代社会に不可欠の基礎的な学問を作った著者の自伝とそれを通した科学史
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    POST IT :ブログ画面への張り紙に使える。
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    2010/8/4:MEMO等の表示に使える。 農作業で気になる自戒の言葉 ■畑の石ころはいつまで経ってもても石ころ(早く拾って片づけよという意味か)。 ■同じ石を二度拾うな(やってみると難しい)。 ■手ぶらで歩くな。 ■三つ先のことを読め。 ■適当な観察。 ■空を見よ(気分転換、休憩、天気を読む、腰曲がり防止)